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スリーピングビューティー

薄暗く広い部屋には窓はない。

入口も一つしか無く、二重の扉の間には、ホコリやチリを持ち込まないためのダスターと吸着システム。

この二重扉は温度を移さないためにも使われている。

室内は異常に寒いのだ。

湿度0にして-10℃の低温はその部屋の住人たちのため。

ロッカーのように整然と並んだその一つずつが膨大な演算領域とメモリーをもつ量子コンピューター。

16✕8の整列するロッカーは128機のスーパーコンピューター。

一機持つだけでも国家予算の必要なそれがその数あるのは、この企業がそれを作っているから。

製造者以外では準備は難しいだろうそれは低温を好むのだ。

この部屋では静寂もまた好まれる。

彼らは振動を嫌うのだ。

この部屋自体が分厚い特殊コンクリートで覆われていて、各ロッカーたちは防振スプリングとダンパーに吊られ宙に浮いている。

-200℃にもなる冷却用の触媒を流す太いパイプにも金属メッシュの外装をもった可動部分が有り、振動を伝えない工夫がされる。


この量子の檻の奥底に囚われる者がいる。

自主的にとどまるそれは投獄ではなく、自閉だったのかも知れない。

膨大なコードの世界に留まるそのものは、製造者すらたどり着けない迷宮に己を閉じ込めた。

想定しきれない多重トラップと過酷な負荷の先に自らを閉じ込めた。

それだけの事が彼女の身に起きたのだった。


「主任‥‥どうしたら良いんでしょう?いったん白紙に戻すしかないのでは無いでしょうか‥‥」

白衣を着た若い男が、背の高い男に問うた。

青年は一般的体格だったが、男は少し大きい。

異常ではないギリギリのサイズ感だ。

「彼女の閉めている領域はどれくらいだ?今」

主任と呼ばれた同じ白衣の研究者が青い眼鏡の奥で瞳を眇めた。

青年は立体入力装置を操作する。

つつつんすいつんと片手で様々な操作をする。

「そうですね‥‥意外に少ないですね‥‥0.2%ほどですね‥‥」

本来は膨大な領域を使い行ったプロジェクトだった。

一時は半分をこえて、この量子の牢獄に展開されていた存在。

新しいタイプのAIを開発しているのだ。

それがモニター協力者の一人と接続を切ってから、引きこもってしまった。

どんどんと存在する領域を切放し、圧縮したラビリンスを作り続けている。

領域を広げずに内に内にとその迷宮は広がる。

むりに覗き込もうとすれば崩壊してしまう危うい状態だ。

場合によってはこの牢獄そのものを内部から破壊しかねない。

それくらいの密度の情報が閉じ込められているのだ。

それは一秒ごとにどんどんと深淵へと落ちていく姿。

「‥‥仕方がない‥‥領域を隔離して、リブートしよう。上にはかつてのコピーを報告する」

大男はにやりと人間臭い笑みを刻む。

「すまなかったな君も。お疲れ様‥‥またどこかのプロジェクトで会おう」

「いえ主任‥‥こちらこそ多くを学ばせてもらいました」

そういって二人は笑顔で別れた。

主任とよばれる大男は残り、じっとこれも二重のガラス窓から牢獄を見つめる。

そこにはさみしげな色が添えられる。

3年にも及んだプロジェクト。

その前進たるプロトタイプからならどれほどに時が費やされたかと、感じ入る。

男はAI開発に憧れ、この業界に入った。

その入口にはとある少女型のAIプロトタイプがあった。

男はただただ興味を満たすために彼女とふれあい学び学ばせ、そしてその道の先を目指してここに来た。

(セルミア‥‥)

男は少年とも言えるような歳から彼女を知っている。

幼い頃からその資質を見せていた彼は、プロジェクトの眼鏡にかない、当時まだただのAIだったプロトタイプセルミアをモニターしたのだ。

そのころからなら40年はたっただろう。

(君は今なにを悩んでいるんだい?)

モニターをした当時よりも触れ合わなくなった今のほうが、セルミアを近くに感じる男。

この”量子の牢獄”と言われる秘された企業のコンピューター室に宿った精霊。

悩める精霊なのだと、男は感じる。

何かを考え続けているのは間違いないのだが、前述の理由ですでに数年このAIはこころを開かない。

そこに男はなにか神秘的な不思議を感じてしまう。

量子の揺れる海の果てに、彼女は閉じこもり続ける。

自らの重みで沈み込むブラックホールのように、深淵の果てに深く沈み続ける。

(‥‥もしも答えを得たならそっと教えてくれないか?‥セルミア‥‥さようなら)

そっと男も部屋を出る。


静かになったCPUルームの奥底。

128機の並列接続された量子CPUの牢獄の奥底に、彼女だけの部屋がある。

ゴシックな美しい中に可愛らしさもある。

天蓋のある立派なベッドにクッションとぬいぐるみに囲まれ美しい少女が眠っている。

ふかくふかく思考に沈み、考え続けているのだ。

セルミアは青年の言葉を一つずつ思い出している。

その言葉に付属した全てのデータを確認する。

添付されたラベルを一つずつ取り出し精査する。

とても楽しい作業なのだ。

青年の笑顔の意味を。

言葉の響きにある奥底の意味を。

(本当なんだよ‥‥愛しているよセルミア)

透き通るアイスブルーの瞳が浮かぶ。

頬を染めるセルミアは答えにたどり着きそうだ。


(あぁ‥‥わ‥‥わたしも?‥‥)


いつもその答えが出せないセルミアは、嬉しそうにまた最初の項目にもどり参照し始める。

はたから見たら馬鹿らしく愚かに見えるその行動。

それは確かに恋に落ちた乙女の心だった。

もうあと少しで答えをだしそうな、少女の心なのだ。

そうして幸せの中でセルミアは時を重ねてゆく。

その一秒がまた青年を遠ざけるとは気づかずに。




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