団欒
私が佐久田家に戻ると、紫雨ちゃんと柾さんが、山門のような立派な玄関の分厚い木造りの門から続く広い庭に置かれた、陶器の椅子に腰かけて話していた。セットのテーブルにはガラスのティーポットと、お揃いのカップとソーサーが置いてある。
「遅かったわね。ここで休んで。お茶を淹れるわ」紫雨ちゃんが立とうとすると、柾さんが「僕が淹れて来ますから、お二人で休んでいて」とポットを手に席を立つ。
「有り難うございます」
二人同時に言ったのが可笑しかったらしく、柾さんが「やっぱり、息が合ってますね」と微笑む。
私はわざとハンカチを落として、探すのを口実に桐生家の井戸が見たかったことと、優美子さんが楓さんに憎しみを抱いていそうだということを紫雨ちゃんに話した。
「流石、美雨ちゃんだわ。でも、どうして楓さんを憎んでいるのかしら」
「多分、嫉妬だと思う」
「嫉妬って。優美子さんは柾さんが好きなの?」紫雨ちゃんは驚いた顔をしている。
「私は消えるから、柾さんとゆっくりしてね」
「いやよ。美雨ちゃんも居てよ」
「何言ってるの。好きな人とは、二人だけで居たいでしょう」紫雨ちゃんは頬をピンクに染めている。
私は47才まで人として、生きていたので人並みに恋もし、失恋もし、片思いもした。一応、恋する時の喜びやときめきや淋しさも知っている。人生で愛するひとのいることが、どれ程貴重で幸せなことであることかも。愛情を家族以外で深く持てる人など出逢いたくて出逢えるものではないから。17才で人としての一生を終えた紫雨ちゃんには、叶わなくても、恋をしてほしい。
その日の夕方、絵の先生の所から帰って来た楓さんにアクリル絵の具で描く幻想的な絵を見せて貰う。花や月、星などがモチーフになっている。絵葉書、パンフレット、ポスターなどが並んでいて、とても素敵だ。どれも柔らかい色彩で癒される画風で「楓さんの優しい人柄が出ているわね」と言うと嬉しそうに笑っている。まさか、優美子さんの嫉妬心を自分が駆り立てているなど楓さんは知らないだろう。
「私は8才の時から車椅子生活になったので、この身体で、何が出来るかを考えて、好きな絵を描くことにしました」
「とても、綺麗だけどその奥に哀しみのようなものがあるから、より絵に奥行きが出てる気がする」私が言うと
「有り難うございます。そんな風に言って貰うと嬉しい」楓さんはすこしはにかみながら答える。
「街の小さなイベント会社と契約しているので定期的にお仕事頂けるんです」
「それは素敵ね。楓さんの描かれた作品が何処かで見られるなんて。楽しみが増えたわ」紫雨ちゃんが続ける。
「紫雨さんのグラビアも見ました。とてもお綺麗。お兄さんにも見せてあげたの」
「嫌だわ。恥ずかしい」楓さんはニコニコしている。
「美雨さんの旅行エッセイも読みました。簡単に旅行出来ない私も本当に現地を旅してる気分に成れる、細やかで優しい文章だと思います。偉そうなこと言っちゃった」ペロッと可愛い舌を見せている。
ノックの音がして「楽しそうな笑い声が、聞こえたから。邪魔したかな」と柾さんが部屋に入ってくる。
「ううん。お兄さんも来て。まず、グラビアの紫雨さんとってもお綺麗ねと話してたの。お兄さんも見たでしょう」いたずらっぽく言う。
「いや、本当にそれは…」柾さんは照れて言葉が続かない。「こんな時は僕もそう思いますくらい言わなきゃ」楓さんは可笑しくて仕方ないらしい。箸が転んでも可笑しい年頃なのだ。
「美雨さんのエッセイも素敵でしょう」
「本当に。楽しく読ませて貰いました」
「有り難うございます」
「こんなに笑って楽しそうな、楓を見たのは久し振りです。お二人のお陰です。有り難うございます」
「こちらこそ、楽しませて頂いてるのは私たちですから」
楓さんの部屋を出ると柾さんは楓さんが車椅子に乗ることになった原因を話したいと言い出した。