紫雨の恋
私たちが使わせて頂いている八畳二間の部屋に戻ると、私は「もしかして、紫雨ちゃんは柾さんのことが好きなの?」と問うた。
「どうして?」
「だって、柾さんのことを思って哀しくなったんでしょう?」
「そうね。哀しそうに話している柾さんを見ていると自分の事みたいに胸が痛んで哀しくなったの」
「それは恋よ。柾さんに恋をしたのよ」
「そうなのかな。でも、恋だとして、私にはどうすることも出来ない。私たちは人ではない。雨女なの。人を好きになったら、その人がどうなるか分からない」
紫雨ちゃんは吐き出すように続けた。
確かに、私たちは人ではなく、雨女。人を愛しても結ばれるはずはなく、深い関係にでもなれば、男性の方か、あるいはかふたりとも命を落とすかもしれない。
今は紫雨ちゃん24才、私23才だが、17才で人としての生涯を終えて雨女として再生した紫雨ちゃんより47才まで人として生きていた私の方が人生経験はある。
だから、先の事は分からないが、紫雨ちゃんにとって初めての恋かもしれないから、許されるならば叶えられたらと思う。たとえ、上手く行かなくても悔いだけは残して欲しくない。人を恋する、愛することの素晴らしさを知って欲しい。哀しみも苦しみさえついて来ても、すべて恋のうち。
知らないよりずっとずっと幸せだと思うから。
その夜、柾さんが私たちの所にやって来た。
女二人の部屋に入ることに遠慮して、「入って大丈夫ですか?良いですか?」と2回尋ねている。
「明日の朝、良ければ神社の辺りを散歩しませんか?お二人に澄んだ朝の風景を見て頂きたいんです」有難いお誘いに是非にとお願いする。
翌朝、山々から降りてくる野鳥たちの愛らしい囀りに目が覚める。約束は朝6時半。紫雨ちゃんは真白い綿の半袖
ワンピースに薄紫のカーディガンを羽織っている。ノーメイクでも華やかな顔立ちなので、淡くピンクの口紅を差すだけで美しい。私は布団の中から見ている。
「早く支度しないと間に合わないよ」
「まだ眠くて頭がスッキリしないの。紫雨ちゃんだけ行って来て」
「嫌だわ。美雨さんも来てよ。私一人じゃ間がもたないし、恥ずかしい」
「一人じゃないでしょう。柾さんがいるでしょう。色んなお話してきてね」私は微笑むと布団の中に潜り込んだ。
楓さんと朝食の用意をしていると、柾さんと紫雨ちゃんが帰って来た。いつものどこか儚げな雰囲気の紫雨ちゃんの表情が弾むように明るい。楽しい時間が過ごせたようで安心する。二人が揃って玄関に入って来た姿はとてもお似合いだと思った。長身の柾さんと並ぶと、170センチ近くある紫雨ちゃんも小柄に見えて可愛らしい。
朝食の後、部屋に戻ると紫雨ちゃんから、どんな話をしたのか尋ねる。
「雨女だということは話せないけど、モデルの仕事のこと、美雨さんとの生活のこととか話したの」
「そう。楽しかったのね。良かった。柾さんはどんなお話されたの?」
「有機農法のお仕事の苦労とか逆に心浮き立つこととか」
「真面目な彼らしいわね」
「でも、やっぱり楓さんのことが気がかりだと悩まれてた」「何とか、日照りの原因を突き止めなければね」私は優しい楓さんや柾さんの力にならなくては、雨女の名が廃ると改めて思った。