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4 聖女

 足の下の硬い感触を不思議に思って目を開けると、そこには白い石造りの床が広がっていた。目線を上げると白い柱が見えて、パルテノン神殿を丸く小さくしたような建物の中にいることがわかる。一瞬天国に来たのかと思った桜子の前に、男達が何かを喚きながら跪いた。キリスト教の神父のような服装の男達は日本語ではない言葉で口々に何かを言っている。桜子は一生懸命に聞き取ろうとして、すぐに気が付いた。

 白人っぽい見た目の男達が話しているのは、英語ではない。かといってスペイン語でもフランス語でもない。ロシア語でもなさそうだったし、もちろんアジア圏の言葉でもない。桜子が聞いたことのあるどの言語とも違うようだった。

「どうして?なんで・・・あの、ここはどこですか?」


 混乱の中、桜子は水辺のミニパルテノン神殿もどきから、豪華な城の豪華な部屋へ移された。テレビで見たノイヴァンシュタイン城のような美しいお城である。甲冑を着た騎士が居て、メイドさんが居て、執事っぽい服装の男性がいる。貴族っぽい豪奢な服装の男性達もいて、全体的に200年くらい前のヨーロッパ王侯貴族のような雰囲気である。


 いやそれよりも。確か自分は駅ビルから飛び降りたはずだ。即死間違いなしの高さから落ちた自分が、一体なぜこんなところにいるのか。

 勇気を出して傍にいた中年のメイドさん(本当は女官長なのだが)に英語で話しかけてみたが全く通じない。ボンジュール、チャオ、サワティなどなど、思いつくかぎりの言語で挨拶してみたが、どれも通用せず何が起きているのか分からないままだった。

 不安に怯えていると、中年のメイド(何度も言うが女官長である)から服を見せられ、奥の部屋を指し示された。どうやら着替えろということらしい。20代くらいのメイドと中年のメイドに連れられて大人しく着替える。キリスト教の修道女っぽい裾の長いワンピースに着替えると、顔半分をすっぽり覆うようなヴェールを被せられて、桜子は城の裏手にある森の中へと連れていかれた。

 一体どうなるのかとビクビクしていた桜子だったが、特に手荒に扱われることもなく、森の中の古い教会のような建物の中に連れられ、奥まった部屋を指し示された。ここに居ろということらしい。

 中年のメイドは騎士を指して何かを喋っている。桜子と同じくらいの身長の、金に近い茶色い髪に緑の瞳をした若い騎士は、右手を胸にあてて少し頭をさげた。

 イーデオ、マティアスガロ。桜子が聞き取れた単語はこの二つだった。もしかしたらこの騎士の名前かもしれない。彼が警備をしてくれるということだろうか。

 それにしても中々のイケメンである。桜子よりも少し年上だろうか。白人は日本人よりも大人びて見えるから、もしかすると同じくらいかもしれない(実は2つ年下なのだが)

 掘りの深いイケメンを前に、桜子は年頃の乙女らしく、少しだけ前髪を直した。

「・・・日野桜子です」

 自己紹介してくれたようなので、桜子も一応名乗っておく。

「ヒノサ?」

 中年のメイドが首をかしげる。

「日野、桜子」

 桜子は自分を指さして、もう一度ゆっくりと名乗った。

「ヒノ、サクラコ」

 納得したように頷くと、中年のメイドは若いメイドに何か言いつけ、頭をさげて出て行った。




「りんご!これはなんて言う?ろうそくは?」

「あ!リス!リスがいる!かわいい!ねぇ、こっちではなんて言うの?」

 見ず知らずの世界に放り込まれて丸5日。

 高圧的で支配的、何をやっても否定しかしない母と、隙あらば桜子を貶してマウントを取ろうとする兄の呪縛から解放された桜子は、本来の好奇心旺盛な性格が功を奏して、驚異的な速さで環境に適応した。

 イケメン騎士イーデオ・マティアスガロ(一部勘違いである)は真摯に桜子の言葉に耳を傾けて桜子の気持ちを理解しようとし、根気よくこちらの言葉を教えてくれた。

 メイド達は、桜子の髪を優しく丁寧に梳いてくれ、微笑みながら食事や掃除など生活の面倒を見てくれた。


 スマホやテレビどころか電気がない。読める本もない。教会の隅に置かれたピアノに似た楽器は、古くてほとんど音が出ず使い物にならない。ないものをあげればキリがない。

 家に戻れるのかどうかも分からない、そもそも地球なのかどうかも分からないこの世界で不安がないと言ったらウソになる。

 それでも桜子は、ついこの前死を選んだとは思えないほど、清々しい気持ちだった。

 誰にも罵倒されず、あの女でけぇ!などと言って大きすぎる桜子を指して笑うものもいない。何をしても皆、微笑んで桜子を受け入れてくれているように思えた。

 いつも丸まっていた背中は、いつのまにかピンと伸びていた。




 6日目の朝。状況は一変した。

 遠くの方からいくつも煙が上がったのだ。時を置かずして、城から顔色を変えた貴族や騎士達がやってきた。中には大怪我をしている者達もいて、腕や足を無くし血まみれで運び込まれる様子を見た桜子は腰を抜かしかけた。

 桜子の面倒を見ていたメイドも、続々と運ばれてくる怪我人の手当に必死である。一体何が起きているのか分からず、しかし何をしたら良いのか分からない桜子は、とりあえず状況を確認しようと、教会の塔へと登り王都を見下ろして、その光景に絶句した。

 王都の上空を、何かが覆いつくしている。信じられない大きさの蟲。ドラゴンとしか言いようのない巨大なトカゲ。プテラノドンのような大きさのコウモリもどき。それらは急降下すると、何かを掴み上げて空へ戻っていく。掴み上げられたものをよくよく見てみれば、馬や牛であったり、人間であったりした。

 そしてそれらの獲物を、上空で奪い合って引きちぎり、喰っているのだ。

 なぜか不思議と、桜子は恐怖を感じなかった。あまりにも現実離れしすぎて、脳の処理が追い付かなかったのかもしれない。ただただポカンと見つめる桜子の肩を、イーデオ・マティアスガロが掴んだ。振り向くと、彼は首を振って下を指し示す。ここは危険だから降りよう、そう言っているのだろう。

 それに従わず、桜子は王都上空へ視線を戻す。空は青く風に流れる雲は白くどこまでも美しいのに、その下の大地は今、炎と血と肉で地獄のようだった。

 ブン、と羽音が聞こえる。突如目の前に、大型犬ほどの大きさの蟲が現れた。

「×××!!」

 イーデオ・マティアスガロが何かを叫んで、剣を抜く。正確に羽を切り裂いて、蟲の胴体を貫く。青黒い血が、イーデオ・マティアスガロの端正な顔を、剣を、鎧を汚した。

(あ~イケメンのご尊顔が・・・いや何あれ蜂みたい。血、青いんだ)

 支離滅裂な思考の中、突然音楽が鳴り響き始めた。

(あ、これ映画のエンディング曲だ)

 白い雲の描写が美しいそのアニメ映画の曲を、初めて桜子が歌ったのは幼稚園児の頃である。鈴を転がすような幼くも美しい声で歌った桜子を、あの時珍しく母が褒めたのだ。「あらいいじゃない」と。

 仕事でほとんど家に居ない父もその日は在宅していて、2人して桜子の歌を褒めてくれたあの日を、桜子は鮮明に思い出していた。

(あの時歌が好きになったんだ。お父さんと、お母さんが、喜んでくれたから)




(小さいやつで助かった。けどあれは群れで動く。近くにまだいるぞ)

 魔物を切り捨てたマティアスは、尖塔から身を乗り出して周囲を見渡し、森の中から近づく数匹の魔物を見つけるやいなや、踵を返しヒノ・サクラコに駆け寄ろうとして、ぎょっとした。

 突然ヒノ・サクラコの体から、音が鳴り出したのである。聞いたことのない楽器の音を全身から響かせて、そして彼女は歌いだした。

 尖塔の2人を狙って飛び上がった魔物が、がくんと落ちて地面に叩きつけられた。教会に逃げ込もうとしていた騎士を追いかけていた一匹は、突如方向を見失って木に激突した。魔物達はピクピクと足を震わせ、やがて動かなくなる。

 美しく力強い歌声が強い神力を帯びて、教会から森へ、森から王城へ、王城から王都へと広がっていく。そして、王都上空を覆いつくしていた魔物がバラバラと墜落していく様を、マティアスは呆然と眺めていた。マティアスの隣には、いつの間にか国王オクタヴィアンが立ち尽くして、マティアスと同じように王都を見つめていた。

 ヒノ・サクラコは1時間以上歌い続け、王都から魔物を一掃した。

 王都にいたすべての人間が、聖女の歌を、確かに聞いたのだった。




■登場人物■

●日野桜子

明るく活発で適応力があるのが本来の性格。


●マティアス

歳のわりに落ち着いていて辛抱強いイケメン。桜子に名前を間違われている。


●オクタヴィアン

娘を失って傷心だが表に出さず頑張る王様。

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