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プロローグ

アライド王国の公爵令嬢エリューシア・ルーゼンは、目の前の凄惨な光景に身体を強張らせていた。


王宮の広い謁見の間に集められた貴族達は帝国兵に囲まれ、彼女と共に皆、両腕を後ろに縛られ床に跪いている。

扉から広場の中程まで続く上質な絨毯の上には、首を無くした国王と元婚約者の王太子の身体が大量の血の海に投げ出されていた。

エリューシアは全身に冷や汗をかきながら悲鳴を飲み込んだ。


あっという間の出来事だった。

何の通達も無く、隣国のガーランド帝国が王宮に攻め込んで来たのは昨夜遅くの事。

王都を制圧し、王宮内に主だった貴族は引っ立てられ、まず最初に王家が処刑された。


ガーランド帝国は、古くは豪族が争いを繰り返し統合されて出来た国家だ。

故に武力に長け、近隣諸国を軍事力で制してきた歴史がある。

だが、近年は調和を掲げる皇帝の治世が続き、危うさはあっても戦になる事はなかった。

そして、その危うさは、今や現実のものとなって目の前に広がっていた。


「さあ、聖女よ。其方の婚約者を癒してみせろ」


広場の正面、高座に座る金髪の男が冷たく言い放つ。

聖女と呼ばれた女は泣きながら男の足元に崩れ落ちた。


「俺の為に力を使うなら、其方を助けてやろう」


まるで恋人に囁くような甘い声とは逆に、金髪の男は聖女にゾッとするような視線を向けた。


何故こんな事になったのだろう?


エリューシアには、今この時が、2年前のあの時から続く不幸のような気がしてならなかった。

そう、2年前の今日、この国に聖女が現れたと騒動が起きた。

平民だった彼女は、聖女の持つ癒しの力で怪我人や病人を治し瞬く間に人々を魅了していった。

そして、その一年後、彼女こそが国母に相応しいと、当時既に王太子の婚約者であったエリューシアは婚約を破棄され、聖女が新たな婚約者となったのだった。


幼い頃から度々共に時間を過ごし、王太子とはそれなりに親交を深めてきたと思っていた。

魔力なしのエリューシアを卑下することも無く、情のある人だと尊敬に近い念を持っていた。

しかし、婚約破棄を告げた時の彼の顔は、それまで見た事もない冷たいものだった。

家族のように想っていた彼に、裏切られたと感じた。

そこに愛があったかと問われればよく分からない。

けれども、君主となる彼を生涯支えていこうと思う心は確かにあった。


だが、今、目の前の首を刎ねられたかつての婚約者に、悲しみどころか同情すら抱かないのは、自分が薄情だからなのか・・・。


「陛下、お待ちください!」


床に無理矢理押さえつけられている貴族の中から、凛とした男の声が聞こえた。

この国の宰相でエリューシアの父でもあるルーゼン公爵だ。

金髪の男はつまらなそうに公爵に視線を向けると、帝国兵は公爵を引き摺るようにして高座の下に引き倒した。


「な、何故、このような卑劣な行いをなさるのです?!我々アライド王国は貴国とは同盟を結び、互いに不可侵、対等の関係にあった筈です!」


公爵の言葉に、玉座に座る男は端正な顔を歪めながら不敵に笑った。

豪奢な金髪は後ろで無造作に束ねられ、肘掛けに置いた手で顎を支えた拍子に前髪がサラサラと流れるように右へ揺れた。

筋骨逞しい体躯で優雅に脚を組む姿は、本来の主であった国王よりも玉座に座るに相応しい王者のそれだった。

ただ一点、美しい彫像のような外見を壊していたのは、左眼に巻かれた漆黒の眼帯だった。

白い肌、金糸の髪に翡翠の瞳。

まるで宝石で創られた存在にある異質な黒が、この男の不気味さを物語っているようだ。


ガーランド帝国との国交はあっても、互いに文官が交流を持つ以外、皇族がアライド王国に訪れる事も無ければ、アライド王族が帝国を訪ねる事も無かった。

目の前の男、ガーランド帝国皇帝ヴィクトールを見たのはこれが初めてだった。

末席の皇子であった彼が、僅か一年足らずで皇帝にまで上り詰めたと、王国でも驚きを持って彼の統治を受け入れた。

それが、自国を手中に治めるに飽き足らず、アライドにまで触手を伸ばしてくるとは、一体何が彼を駆り立てているのか?


「不可侵、対等・・・か。笑わせてくれる。盟約を反故したその報いだと言う事を忘れ、どの口が言うのか?」


右の緑の瞳を眇めて皇帝ヴィクトールは凄んだ。


「盟約・・・?」

「恍けるのであれば構わぬ。其方も連座するがいい」


帝国兵は公爵の髪を掴むと、背後の血の海へと引き摺り出した。


「お父さまっ!!」


愛する父親が殺される!!

恐怖も忘れてエリューシアは叫んだ。


「ほう、娘が居たのか」


皇帝は隻眼の緑の瞳を細めエリューシアを見やった。

立ち上がるとエリューシアの前まで歩み寄り声をかけた。


「お前、名は何と言う?」

「エ、エリューシアと申します・・・」

「ふん、親子愛か」


不快そうに吐き捨てると、男は床に蹲る彼女の胸倉を掴んで無理矢理立たせた。

指示された帝国兵はエリューシアの縛を解いた。

自由になった彼女の腕を掴むと、金髪の男は公爵の前に引っ張って行った。

乱暴に腕を離されると、エリューシアは父親の前に倒れ込んだ。

皇帝は床に倒れた彼女の目の前に、自身の腰に刺してあった短剣を放り投げた。


「チャンスをくれてやる。その剣をお前の胸に突き立てたら父親を助けてやろう」


口元に笑みを湛えた男は、凍った瞳で彼女を見下ろした。


「何をっ!!?」


隣で兵士に押さえつけられている公爵は真っ青な顔で叫んだ。


「駄目だ!!止めなさい、エリューシア!」


兵士に殴られ呻きながらも必死で娘を止めようとしている。

そんな父から視線を目の前に立つ男に向ける。


さも楽しそうに残酷な事を言うこの男は、一体何が目的だったのか?

エリューシアは震えながらも睨み上げた。

その時、見上げた男の背後、天井高く灯されているシャンデリアの光が一瞬翳った。

不思議に思いその影を追うと、男の肩に金色の毛の塊が鎮座していた。


『な、に・・・?』


黒眼を限界まで広げてフワフワの塊を見ると、男と同じ緑色の、左は斜めに走る傷で潰れた猫目と視線がぶつかった。

互いに凝視して視線を外せない。


「何をしている!早くやれ!」


男の怒声にハッと我に帰る。

目の前に転がる短剣に手を伸ばしながら、もう一度男の肩を盗み見た。


『居る。・・・何か居る』


エリューシアは急かされる恐怖と、未知のモノへの好奇で頭の中は混乱していた。

目を閉じて深呼吸すると、苛立ちを露わにする目の前の男に視線を向けた。


「あの、陛下。お伺いしたいのですが・・・」

「お前がその気なら、ふたり纏めてあの世に送ってやる」


腰に穿いた長剣の柄に手を掛けた男に、彼女は質問が続かなくなってしまった。


「約束は守って下さいませ」


そう言って隻眼の男を睨みつけると、意を決しエリューシアは掴んだ短剣を自身の胸に勢い良く突き刺した。


父親の絶叫が耳にこだまする。

激痛で息が出来ず、視界が霞んでいく。

床に倒れた彼女の顔を覗き込む、緑の猫目と再び視線が重なった。

温かな血でベタついた手を震えながら金毛の塊に伸ばすと、その塊は小さな舌でエリューシアの手に付いた血をそっと拭った。


「やっぱり、ネコ、だった、ね・・・」


重い瞼が降りてくる中、彼女を見る緑の瞳が驚愕の色を浮かべていた。

瞳の持ち主は、猫だったのか、それとも・・・。


そうしてエリューシアは深く冷たい闇に落ちていった。


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