談合麻雀 ~半世紀前のガチ犯罪! うちの親父が若いころ不正入札の片棒かつがされていた件~
1
令和三年三月七日深夜、うちの親父が死んだ。
身体中あちこちボロボロになったあげく、最期は肺炎だった。
本人がいなくなったので、これまで酒を飲むたびに聞かされてきた裏話をしてみようと思う。
親父は太平洋戦争が終ったその年の秋に生まれた。
中学卒業後、今でいう職業訓練校に通って大工になった。
訓練校で設計や見積書の作り方も習っていたため『お偉いさん』たちには将来有望な新人として可愛がられたが、そのかわり先輩方からは妬まれトコトンいじめられたという。
そんな環境にいつまでも留まっていられるわけもなく、親父は職場を転々とした。
生まれ故郷の北海道を出て東京へ。
東京からC県へ。
本題は、そのC県であったのだという。
親父はまだ二十代前半。社長のカバン持ちをさせられていた。
カバン持ちとは何かご存じない方もいるだろう。
お上品な言いかたをすれば秘書ということになるが、雑用係という方が感覚的にはふさわしい。
パシリである。付き人である。子分である。
偉そうにふんぞり返っているオッサンの言いなりになって何でもやるのが、若かりし頃の親父の仕事だった。
まだまだ戦前の荒っぽい考え方が残っていた業界だ。
ささいなミスで拳が飛んでくる。蹴りが飛んでくる。
怒鳴り声ですんだら楽なほうだったそうな。
一人前の土建屋になるための経験を、親父は文字通り『叩き込まれて』いた。
2
麻雀はかつて上流階級の遊びだったそうだが、戦後になると民間の賭博として大いに盛り上がったらしい。
いわゆる『大人のつき合い』として上司や先輩に酒や麻雀を強要される。よほどの理由が無いかぎり断ることはできないというのが当時の常識だ。
さいわい親父は酒もギャンブルもむしろ得意だったので、その辺はうまくやったようだ。
……うまくやっていたからこそ、悪い話に巻き込まれる事となった。
「オウお前、今夜接待だからな、ちゃんとやれよ」
社長にそう言われて、親父はハイと素直に応じた。
プライベートがどうのこうのと言う権利は無いのだ。
内容は酒を飲みながら麻雀。
相手は役人。
酒と麻雀、両方できて目上の者にたいする最低限のマナーを身につけている人間。ということで親父が選ばれてしまった。
※ここで一つ読者の皆様に謝罪しなくてはならない点があります。
この『役人』というのが、官僚なのか、県の職員なのかが不明なのです。
つい聞くことを失念しており、もはや確認不可能になってしまいました。
父はくり返し『役人』と言っておりましたので、この作品も『役人』ということで続けさせていただきます。
ちょっと肌寒い夜だったという。
スジ者(暴力団員)が出入りしていないのを確認済みの、馴染みの雀荘に四人の男が集まった。
土建屋側は社長とうちの親父。
役人側も二人。
ビールやらウイスキーの水割りやら、注文を聞いて店員に伝えるのは全部親父の仕事。
相手が酔いつぶれて前後不明になったりしたら、家まで送り届けるのも親父がやらねばならない。
『カンパーイ!』
和気あいあいとした笑顔でグラスをかたむける四人。
だが本気で笑っている人間なんて一人もいなかっただろう。
これは犯罪行為をごまかすための、偽装工作だから。
半荘を二、三回。ここまではいたって普通の接待だった。
麻雀をうつ。
酒を飲む。
おべっかをつかう。
何の変哲もない接待麻雀。
今の時代はダメだが、この当時はまあまあ見逃されていたことだ。
「ちょっとトイレ」
そう言って役人の一人が席を立った。
次の瞬間である。
一連の偽装行為にまぎれて、『本題』が顔をのぞかせた。
「うん、この数字、おぼえとけよ」
残っていた側の役人が小さな声でそう言うと、数字の牌を次々と拾い上げて卓上に打った。
トーン。トーン。トーン。トーン。トーン……。
横に何枚もの数牌が並ぶ。
「おぼえたか?」
役人はそう言うとガシャッと牌列をくずしてしまった。
一分にも満たない短いやり取りだ。
これで役人側の『仕事』は終了である。
3
この話、筆者は親父と酒を飲みながら二、三十回聞かされたが、ちゃんと理解するまでに根掘り葉掘り質問する必要があった。
「……この数字をそのまんま入札の時に書けば、うちが仕事とれたんだ」
と、酔っ払った親父は私に言う。
だがなぜそういう事になるのか予備知識がないのでチンプンカンプンなのだ。
建築の入札なんてものは一番安い金額を提示した会社が注文を受けるもの。私はそう思っていた。
だがそうではないのだという。
とにかく親父が言うには秘密裏に下限が設定されている。つまり不自然に安すぎるのもダメなのだという。
この日本には入札額が安すぎたことによる、伝説のトラブルがあるのだそうな。
その昔、H建設という会社が皇室関係の仕事でまさかの一万円で入札したのだと親父は語る。
タダ同然でもいいから、とにかくやらせてくれというのだ。
これはさすがにやりすぎだというので世の中から批判をうけ、結局この話は流れたのだとか。
談合麻雀で役人が伝えてきた数字は、まさにそういう下限値だったのである。
ちなみに親父が勤務していた会社が本当に、クソ安い下限値で仕事していたのかは分からない。
工事が遅れて人件費がかさんだーとか、原料や燃料の高騰がーとか、色々と理由をつけて追加予算を請求するのは普通のことだ。現代でも平凡にやっているであろう行為である。
親父にそっち方面の質問をしても、
「知らん」
としか言わなかった。経理には関与していなかったらしい。
4
とにかく役人サイドのミッションは終わった。
だが親父のミッションはここからが本番だった。
絶対に忘れてはならない数字を脳裏に思い描きながら、これまでと同じ行為を続けなくてはならない。
この時点でメモを取れたら楽なのだが、それは許されない。
メモが警察や公安などしかるべき組織の手に渡れば、決定的な不正の証拠になるからだ。
記録に残せるのはせめて家に帰ってから。
それすら厳重に保管し、早めに処分しなくてはならない。
※数字は不明なので○で表記します。
(○○○○○○……! ○○○○○○……!)
数字を思い浮かべながら接待麻雀をうつ。
(○○○○○○……! ○○○○○○……!)
「いや本当にお強いですね! 参っちゃうな!」
思い浮かべながらニコニコ笑顔でお世辞を言う。
(○○○○○○……! ○○○○○○……!)
「ビール三つに水割り一つね! あとおしぼり四つちょうだい!」
雑用だってやらなきゃいけない。
(○○○○○○……! ○○○○○○……!)
「あれ全然すすんでないじゃない、飲みなよ、飲みなよ!」
「〇〇〇……えっ、は、ハイ!」
あろうことか酒もドンドン飲まされる。
断ったら接待にならない。飲めと言われれば飲むしかない。
いくら二十代の若い脳味噌とはいえ。
酒もギャンブルも得意とはいえ。
絶対に忘れてはならない数字を思い浮かべながら、酒、麻雀、接待、雑用。
これらすべてが親父一人にのしかかってくる。
この話を私にする時、親父は必ずと言っていいほどこう言った。
「必死だった!」
毎回言うくらいだから、本当に必死だったのだろうと思う。
何はともあれその夜は無事にミッションをやり遂げ、泥のように眠った親父。
だが地獄はその一回だけでは終わらなかった。
ことは犯罪である。誰でも彼でも連れていけるものではない。
仲間は少なければ少ないほど都合がよいのだ。
というわけで何かあるたびに社長は親父を連れていくようになってしまったのである。
「俺、このままじゃいつか捕まる!」
こんな理由で親父は会社を辞める決心をした。
精神的にも肉体的にもしんどかったというのももちろんある。
いつか必ず大事な数字を忘れてしまう日が来ることだろう。
もしかしたら役人はそれを狙ってガバガバ酒を飲ませていたのかもしれない。
忘れるようなバカとはもう組めないよと、そう言えるチャンスを待っていたように筆者には思えるのだ。でなければ何でミスを誘発するような真似をするというのか。
なんとか荒れることなく縁切りできないかなあ、と相手は思っていたのではないか?
これは単なる想像であるが、正解のような気がする。
ともかく親父は逮捕されることなく会社をあとにした。
社長からはしつこく残るようせまられたそうだ。
親父が優秀だったから?
いやいやそんなわけはない。
秘密をばらされたら困るからだ。
一蓮托生。地獄の底まで連れていくつもりだっただろう。
だが親父もそこだけは譲れなかった。
どうにかこうにか退職を承諾させ、新幹線に乗って今度は大阪へ逃げたと親父は言う。
大阪万博の仕事もやったそうだが、そこから先はあまり面白い話もない。
生まれ故郷の北海道に帰ってきて、結婚して、姉が生まれ、私が生まれた。
しれーっと善良な一般人のふりをして数十年の歳月を生きぬき、そしてつい先日この世を去った。
日本の人口は一億二千万人強。
一億二千万分の一に過ぎない、砂粒のような男の物語だった。