表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
お日様な彼  作者: 植木枝森
3/3

三話

 それからも、守谷君が私に話かてくる日々は続いた。最近では、昼休みには校舎と視聴覚棟の間の空間で私と一緒にお昼を食べて過ごすことが、すっかり当たり前となってしまっている。

「いずみ、駅前に新しいクレープ屋できたんだけど、帰りに一緒に行かない?」

「行かない」

「えー、奢るからさ。一緒に行こうよ」

「私、甘いもの苦手だから」

「毎日あんパン食べてるやつがよく言うよ」

 このどうでもいい会話も相変わらずだ。でも最近ではこのやりとりもすっかり慣れてしまった。さすがに楽しいとかは思わないけど、前ほどは一緒にいて居心地が悪いとは感じなくなった。私はもともと話が合わなくて上辺だけの付き合いが嫌いなだけで、こうして言いたいことをそのまま言える守谷君なら、そこまで気を使うことはなくて楽でいい。自然な私でいられる。


 連日、お世辞にもあまりいい天気とは言えず、今日も空は濁った色をしている。風が強く吹く度に教室の窓がカタカタと音を立てて、外はいかにも寒そうだ。

 だけど、それはあくまで外だけの話で、私の今いる教室は文明の力のおかげで、実に快適な室温が保たれている。まさに暖房様々だ。しかし、発達し過ぎた技術は、時として人を怠惰の底に突き落とす。適温に保たれた室内は快適過ぎて、意識が薄れ始め、まぶたが徐々に重くなる。もはや授業は心地いい子守唄と化して、すでに船を漕いでいる生徒も何人かいる。私も抗いがたいまどろみに身を任せていると、気づけば昼休みに入っていた。眠気を飛ばすために腕を大きく伸ばして、いつものように購買部でパンを買って例の場所に行こうとしたとき、

「あ、あの、佐奈さん」

 知らない女子生徒に話しかけられた。

「……何か用ですか?」

「少し、一緒に来てほしいんだけど……」

 彼女はそう言いながら廊下へと向かう。でも私が付いてこないと、振り返って無言で促してきた。

正直言って行きたくなかった。あまりいい予感はしない。それでも、ここで行かないと後々になってもっと面倒なことになるのも目に見えているから、今は黙って大人しく彼女に付いていった。

 連れてこられた場所は体育館の裏だった。体育館が影になっていて日の光が当たらず、それと昨日の晩に雨が降ったせいで、普段より一層じめじめとしたその場所はまるで、魔物の巣窟のようで、実際に五人の悪魔が私を待ち構えていた。

「い、言われたとおり連れてきたよ。……もういいでしょ」

「ああ、ご苦労さん。もう帰っていいよ。分かっていると思うけど、このことチクるんじゃないよ」

 私を連れてきた子はどうやら案内役だけだったようで、役目が終わると足早にこの場を去った。

 目の前には女子生徒が五人いる。当然だけど、私は彼女たちを知らない。でもよく見ると、その内の二人は見覚えがある。確かこの前、守谷君と昼食を一緒に食べる約束をしていた子たちだ。

 手前に立っていた一人が、足で地面の砂利を鳴らしながら私に詰め寄ってきた。

「あんただよね、佐奈いずみって」

「……そうですけど」

 私の返事に何を感じたのか、彼女は歪んだ笑みを浮かべてきた。視界の端ではピアスがちらつく。

「あんた最近、随分と調子に乗っているみたいじゃん」

「なんのことですか?」

「とぼけるなよっ。守谷のことだよ。あんたら最近よく一緒につるんでんだろ」

「はぁ……」

 思わずそんな声が出てしまった。何を言い出すかと思ったら、そんなことか。

「あんたらってさ、付き合ってたりするの」

「付き合っては、いない」

「じゃあ話は早い。ただのクラスメイトってだけで守谷の周りにいられるのってさ、私たちからすると結構目障りなんだよね。……言いたいことわかるよね?」

 分からなくはない。彼女の言っていることも、この集まりがなんなのかも、彼女たちの気持ちも、理解できないことはない。

 私だってこれ以上の面倒事はごめんだ。ここで素直に頷いておけばそれで話も済むだろう。

 だけど、何か違うと思った。

「だから、なに?」

 私の言葉が気に障ったのか、彼女はさらに距離を詰めてきた。威嚇のつもりなのか、随分と鋭い目つきで睨んでくる。呼吸からは微かではあるけど、煙草の香りがした。

「だから、守谷と一緒にいるなって言ってんだよっ! 守谷と一緒にいたいって子は他にもいるんだよ。それなのにあんたみたいなのが側にいると、迷惑なんだよっ!」

「……下らない」

「――っな!」

 私がそんなことを言うとは思っていなかったのか、彼女は少し面を食らったような表情に変わる。周りを囲んでいた子たちもざわつき始めた。だけどこの中で一番驚いたのは、何を隠そう私自身だった。こんなことを言うつもりなんて全然なかったから。

 それでも心底下らないと思った。

 確かに、想いを寄せている人の側に他の誰かがいたら、不安に思うこともあるだろう。そして不安の種はできるだけ取り除きたいと思う。そう言った意味では、今の私の状況は仕方のないことかも知れない。彼女達からしてみれば、私は花にたかる悪い虫だから。

 でも、私は何をしたの?

 守谷君といつも一緒にいるのも、彼が一方的に話しかけてくるだけだし、私はそうなることを望んでいない。

 あのときも、一緒に昼ごはんを食べる約束をしていたのに、自分の勝手な都合で断った守谷君が悪いし、彼女たちは被害者だ。強いて言うなら、彼女たちが守谷君の興味を引く、いわいる『面白い人』じゃなかったというだけ。

 それを棚に上げて私を責めるのは、いい迷惑だ。

 私には関係のないこと。守谷君のことも、彼女たちの気持ちも、全部全部、私には何も関係ない。

「佐奈、お前、今なんて……」

「一つ教えてあげる。守谷君は面白い人が好きなんだって」

「ふざけるなよっ!」

 痺れを切らしたのか、彼女は私の胸の辺りを強く押してきた。私はバランスを崩して、そのまま後ろのぬかるみに倒れた。スカートからは冷たい泥が染み込んでくる。

「何なんだよっ! 調子に乗りやがって。守谷が話しかける前はいつもぼっちだったくせに。キモイんだよっ!」

 そんな汚い罵声は一方からだけでなく、周囲から雨のごく降り注いでくる。だけど、そのほとんどが何を言っているのか聞き取れない。今はひどく体が痛かった。

 ああ、だから嫌いなんだ。

 友達とか、仲間とか、グループとか。群れでいることが強いと勘違いしている。大勢でいることに安心して、弱い自分から目を背けて、隠して、埋めて、誤魔化している。私はそんな曖昧な存在になりたくない。

 じゃあ、私は強いの?

 どこかに属することを嫌って、常に他人を遠ざけて。いつも一人で、周りからは浮いた存在となって。今もこうして囲まれて言いがかりで責められて、それでも私は平気だと言えるの?

 ……そんなわけないじゃん。

 私の体は鉄でできていない。私の心は不死身ではない。普通の生身の体で、心はシャボン玉よりも脆く壊れやすい。傷つけられれば痛いし、その痛みに耐えきれなかったらどうしようもなく苦しいし、悲しくなる。

 本当は誰かに助けて欲しい。誰かに側にいて欲しい。一人な私を支えて欲しい。

 でも、誰もこんな私なんて――

「おいっ! 何してんだっ!」

 沈みそうな意識の中、誰かの叫ぶ声が聞こえた。

「いずみっ、大丈夫かっ。しっかりしろっ!」

 誰かが私の名前を呼んでいる。気安く下の名前で呼ばないで。

「守谷、これは……ちがっ」

「……お前らどっかに行けよ。二度といずみに近づくんじゃねぇ!!」


 そのあとのことはよく覚えていない。気が付いたときには私は保健室のベッドの上で横になっていた。制服もいつの間にか学校指定のジャージになっている。

「いずみ、目が覚めたか。痛いところとかはないか?」

「……守谷君、どうしているの?」

「どうしてって、いずみがあいつらに絡まれていたから、ここまで運んだんだよ。いつまで待ってもあそこに来ないから心配になって探してたら、あんなことになってって」

「そうか、守谷君が助けてくれたんだ。ありがとう」

「今保健室の先生はいないけど、目が覚めてももう少し寝てろってさ」

 今が何時か分からないけど、窓に自分の顔が映るほど外は暗くなっている。結構な時間寝ていたみたいだ。その間、守谷君はずっと傍にいてくれたのだろうか。たぶん、彼ならいてくれたのかもしれない。

「本当にありがとう」

「だから気にするなって、あいつらが悪いんだから」

「うん、それもあるけど、傍にいてくれて、ありがとう」

「……普段もこれくらい素直なら、こんなことにならなかったかもな」

「……私もそう思う」

「ん? 何か言ったか?」

「ううん、なんでもない」

 彼が聞き返してきたけど、私はそれには答えないで布団を深くかぶった。保健室の先生に言われたように、もう少し寝ていようと思う。今の私を彼に見られたくなかった。なんでかはよくわからないけど、今顔を合わせたらきっと、泣いてしまう。

 そのあとしばらくの間、互いに口を開くことなく二人の間に沈黙が続いた。確かあの日、放課後に一緒に作業をしていたときもこんな感じだった気がする。あのときは気まずくて息苦しかったけど、今はこの静けさが落ち着く。

 この沈黙を破るように、守谷君は唐突に話し出した。

「俺さ、中学のときはすげー苛められっ子だったんだ」

 特に返事はしなかったけど、内心では驚いた。私はつい最近彼の存在を知ったから、中学時代の彼のことも当然知らない。それでも今の彼からは想像もできないから、意外に思った。

「その頃はさ、クラスの不良たちに毎日のように殴られて、あざ作って。その度に泣いてたよ」

 私は布団から少し顔を出して、彼のことを見た。いつもお日様みたいに笑っている守谷君が泣いていたとか、それこそ想像もできなかった。でも、自分の悲惨な過去を語っているはずなのに、今の彼の顔は、どこか懐かしむように少し笑っている。

「でも高校に入ってからはそんなこともなくなってさ、それなりに友達もできて、あの頃と比べたら断然楽しい学校生活になったよ」

「……怖くはなかったの?」

「何が?」

「友達を、つくることが」

「怖くなかった、って言えば嘘になる。正直、もう誰とも関わらないようにしようって思ってたくらいだから。傷つくくらいなら一人の方がましだって。ちょうど、今のいずみみたいに。

 でもさ、ここはもう俺のいた中学とは違うんだよ。俺を苛めていた奴らも、苛められて泣いてた俺も、どこにもいないんだよ。だったらさ、変われるんじゃないかって。俺が望めばいくらでも楽しくできる。いつまでも昔の出来事に怯えてても仕方がないって。そう思ったんだ。そしたら友達もできて、いつしか自然と笑えるようになってた」

 ああ、守谷君って強い人だったんだね。

 一度は人との関係に失敗して、心に傷を負ってしまった。だけど、いつまでも過去にとらわれることなく、勇気を出して自分から変わろうとした。そして今は、彼が思い描いていた、たくさんの友達に囲まれて、楽しく笑える毎日を送っている。それって、すごくすごいことだと思う。私なんかとは大違いだ。

「でもさ、やっぱり時々不安になるときもあるんだよな。また一人になることが怖くて、今でも周りに溶け込むことにどこか必死になってた」

「必死だっていいじゃない」

「え?」

「変わりたいって自分で決めて、そのために必死になれるのはいいことだと思うし、むしろかっこいいと思うよ」

 そう、それが私にはできなかったことだ。私にはそんな勇気ないし、こんな自分を変えようとすら思わなかった。

「……俺さ、いずみのこと好きだよ」

「――なっ! なんてっ!!」

「三年で初めて同じクラスになって、いずみのことを知ったとき、なんだか昔の俺を見ているみたいで、ずっと気になってたんだ。

 でも、いずみは俺なんかとは全然違ってた。しっかりと自分ってものを持っていて、何を言われても物怖じしなくて。周りに流されることなく、一人でも堂々としている。そういう姿勢がマジでかっこいいなって。また一人になることが怖くて、周りに溶け込むことに必死になってる俺なんかとは大違いだ」

「……私は、そんな強い人じゃない」

 本当は怖かっただけだ。人との距離の取り方がわからなくて、他人とどう接したらいいのか分からなくて。それによって自分が傷つくことが、ただ怖かっただけだ。

 でも、そういう弱い自分を認めることができなくて。素直になれずに一人で壁作って、ずっと自分の殻の中に閉じこもっていた。本当は寂しかったくせに。

 だけど、彼はそんな私のことを見ていてくれた。

 クラスでも影を潜めていて、自分を主張することができずに埋もれそうになっていた私のことを、あなたは気づいてくれた。私はあなたのことなんて知らなかったのに。

 初めて言葉を交わしたあの日も、最初は無責任なことを言っていたけど、でもそのあと子猫を助けてくれた。一緒に作業をした放課後には、面白い人だの、私と友達になって欲しいとかいろいろなことを言ってきて、それ以降は毎日のように話しかけてきて。そのときは落ち着かなかったり、いい加減にして欲しいと思っていたけど、たぶん、あなたの言うように、素直になれずに戸惑っていただけだと思う。

 今日も私が傷ついていたときに、こうして助けに来てくれて、自分の過去の話まで持ち出して励ましてくれて。私のことをかっこいいと言ってくれて。そして……

 そして、こんな私のことを好きっだって言ってくれた。

 気づけばいつも一緒にいてくれた。そのことに私は素直になれずに、いつもあなたを遠ざけようとしていたけど、それでも、あなたは私の傍にいてくれた。

 私はそのことがすごく、嬉しかった。

「いずみは俺のこと、どう思ってる?」

「正直、今でもよくわからない」

「……そっか」

「でもっ!」

「?」

「でも、……守谷君と一緒にいると、なんだか落ち着く」

「……そっか。今はそれでじゅうぶんかな」

 そう言って、守谷君はいつものように笑った。見ていてどこか安心する、まるでお日様みたいな笑顔で。

 少し空いていた窓から冷たい風が吹き込んでくる。確か天気予報ではまた明日から雪がちらつくと言っていた。それでも、今ここに流れている空気は、とても温かい。

「返事は気長に待つよ。その代わりと言ってはなんだけど、これからは俺のことも、名前で呼んで欲しいな」

「いいけど、……私あなたの名前、知らない」

「はは、言うと思ったよ。一回しか言わないからよく覚えとけよ。俺の名前は――――」

 彼の名前を聞いた瞬間、私の中が温かいもので満たされた。

 その名前、あなたにぴったりだと思うよ。

 どんなことがあっても、くじけたりしない。いつも明るく笑っている。

 これからもその温かい笑顔で、私ことを照らしてくれるのかな。

 お日様のように暖かくて、優しい人。

 守谷陽人(はると)

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ