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お日様な彼  作者: 植木枝森
1/3

一話

 スピーカーから流れる鐘の音が、終業の合図を告げる。

 それと同時に先生の厳かな声が響き渡り、皆が一斉にペンを手放す。誰かが歓喜の声を上げたと共に、教室内の張り詰めていた空気も緩みだした。今は解放感に満たされている。

 現時点を以て、期末試験の全過程が終了した。

「今日でテストは終わりだが、お前ら三年生には受験が控えている。気を抜くなよ」

 答案を回収した先生は、そんな言葉を残して教室を退出したけど、それを真面目に聞いた生徒は誰一人としていないだろう。試験が終わったことに浮かれて早々と帰り仕度をし、中にはこれからどこへ遊びに行くかなどの相談も聞こえてくる。私も帰宅のために筆記用具などを鞄の中にしまっていたとき、

「あの、佐奈さん。これからみんなでカラオケに行くんだけど、一緒にどうかな?」

 不意に、私の一つ前の席の女の子が話しかけてきた。

「……ごめん、このあと用があるから」

「そっか、それじゃあまた今度ね」

 その子は愛想良く笑いながら軽く手を振ってきたが、私は特に返事をすることもなく、荷物をしまった鞄を肩に掛けて席を立った。

「だからやめた方がいいって言ったでしょ。佐奈さん誘うの。どうせ来ないからって」

「ていうか、あの人友達いるの? なんかいつも一人だし、体育祭とか文化祭とかも全然参加してなかったよね?」

「私、三年間佐奈さんと同じクラスなんだけど、あの子が誰かと話しているところ、一度も見たことないんだけど」

「えー、何それ。ヤバくない?」

 教室を出るとき、後ろからそんな話し声が聞こえてきた。

 私は人が嫌いだ。

 いや、この言い方だと語弊がある。人と関わるのはあまり好きではない、くらいにしておこう。

 たいして変わらないかもしれないけど、誰かに対して嫌悪の感情を抱いているわけではない。いつも一人なのも、ただ周りに気の合う人がいなかっただけ。話の合わない人たちと上辺だけで付き合うのは疲れるし、そんなことしてまで輪の中に入りたいとも思わない。別に一人でいても何も困らないし。誰かに対して余計な気を使わなくていい分、むしろ一人の方が楽だ。

 だけど、そんな自分が周りからすると奇妙に見えることも分かっている。さっきの子達が話していたことも理解できないわけではない。それでも、私には関係ないこと。私がどこで何をしていようと、あの子達には関係のないことだし、逆にあの子達が私のことについて何か話していようと、別にどうでもいい。

 私は、私の世界で生きているから。

 そんなことよりも、帰ったらお昼ご飯何食べようかな? 確か昨日のご飯がまだ残っていたはず――

「――あっ」

 そんなことをぼんやりと考えて歩いていたら、曲がり角で誰かとぶつかり、そのまま後ろに倒れてしまった。

「おっと、ごめん。大丈夫?」

 ぶつかった相手の方は何もなく無事だったようで、そう言いながら座り込んだままの私に手を差し出してきた。だけど私はその手を借りずに自力で立ち上がった。

「いや、友達と話していてちゃんと前見てなかったから、ホントにごめん。怪我とかしてない?」

「いえ、別に……」

 彼は顔の前で手を合わせながらもう一度謝ってきた。というか、ぶつかった相手が男子だと今気づいた。彼の周りには確かに誰かいる。男女合わせて六人くらい。それぞれが彼に対して何か言葉をかけている。

「そっか、それならよかった」

 そう言うと、彼はなぜか笑った。

 最初の印象は、随分背が高いなと思った。私が並ぶと丁度肩が来るくらい。そして屈託のない自然な笑顔。……あれ? この人、どこかで見たことある? 

「あの、俺の顔に何かついてる?」

 私がまじまじと顔を見ているのが変に思ったのか、彼の顔が少し引きつった表情へと変わる。

 なんか見覚えがあるけど、どこで見たんだろう。つい最近だったような……あ、思い出した。

「……猫の人だ」

「え? 猫?」

「いえ、なんでもないです。こちらこそすみませんでした」

 私は軽く頭を下げてその場を去った。

「あっ、ちょっと――」

 後ろから彼の呼び止めるような声が聞こえてきた気がしたけど、特に振り返りはしなかった。

 たぶん、あのときの人かな。


 試験が終わったからといっても、私たち三年生に安息は許されない。試験から解放された余韻に浸る余裕もなく、翌日からはまた受験対策のための日々が続く。とは言っても、別に教室内の空気が殺伐としているわけではない。むしろその逆だ。授業中に寝ている人がいるのは当たり前だし、昼休みになれば仲のいい友達同士でお弁当を囲んで、笑い声を上げながら何か話している。いつもどおりの風景、本当に何も変わらない時間が流れている。私の周りは。

 私は鞄から問題集を取り出して、途中だった問題にとりかかった。志望校には今の成績でも十分可能性はあると先生に言われたけど、それでも油断していいことにはならない。少しの時間でも、できるだけ自分を高めるために努力したい。周りがどうとか関係ない。

 私は、私だけの時間の流れの中で過ごしていく。

 帰りのホームルーム、今日は先生からの連絡もなく早めに終わり、荷物を片付け帰ろうとしたときだった。

「あ、そうだ。誰か残って資料の整理をして欲しいんだが、今日の日直は……おい佐奈、悪いが頼まれてくれるか」

 先生に用事を頼まれてしまった。確かに今日の日直は私だけど、よりによって今日とは運がない。まあ、帰っても特に何かするわけでもないから、快くとまではいかないけど、別に断る理由もない。

「分かりました」

「あと鈴木……は休みか。おーい、誰かもう一人残って手伝ってくれるやつはいないか」

 と言っても、それで素直に名乗り出て来る人はいない。それもそうだ、放課後は生徒にとって文字通り学業から解放された自由の時間。そんな貴重な時間を、自ら進んで何の得にもならない雑用に費やそうなんて、そんな稀有な人はいないだろう。

 それに、誰も私なんかと――

「はーい、誰もいないなら、俺がやります」

 いた、稀有な人が。

 教室にいた全員が、その声の主の方に視線を向けた。私もそっちに顔を向けた。そして、その先にいたのは――

「おお、そうか。じゃあ頼んだぞ、守谷」

 猫の人だった。

 彼は私の側まで近づいてくると、あのときと同じような、お日様みたいな笑みを向けてきた。

「よろしくね、佐奈さん」


 職員室に資料を取りに行って帰ってくると、教室にはもう誰もいなかった。適当なところの机を合わせて、それぞれ作業を開始する。

 教室内は放課後独特の静けさが満たしているが、そのぶん外からの音がよく聞こえてきた。上の音楽室からピアノの奏でる音色が流れてきて、校庭からは、運動部の活気ある掛け声がここまで届いてくる。隣の教室からは楽しげな笑い声が反響して、壁時計の秒針を刻む微かな音さえも、今は聞き取るとこができる。

 ……気まずい。

 作業を開始してから十分くらいが経ったが、その間お互いに何一つ言葉を口にしてない。別に何か話したいわけでもないし、話題がないならその必要もない。それでも、二人しかいない空間でお互いに無言でいるのは、どうにも居心地が悪い。

 だけど、そのぶん作業は順調に進んでいく。半分に山分けした資料も、お互いに残すところあと数枚となった。これだったら最初から私一人でもじゅうぶんだったな。

 少し目線を上げて向かいに座っている彼の顔を覗いてみると、彼も同じように顔を上げて私のことを見ていた。

 意図せずして視線が重なる。

「あのさ」

 今まで作業していた手を止めて、目の前の彼が話しかけてきた。

「昨日廊下でぶつかったとき、俺のこと見て『猫の人』って言っていたけど、それってこの前のことだよね?」

 やっぱり、あのときの人だったか。

 私は心の中で頷いた。


 あれは確か、一週間くらい前のことだったと思う。

 あの日は雨が降っていて、風も冷たかった。

 学校の帰り道、私は電柱の下に置いてある小さなダンボールを見つけてしまった。中を開けてみようと思ったけど、開けなくても分かる。中から小さな鳴き声が聞こえてくる。一応確認してみたけど、思ったとおり、中には真っ白な子猫が一匹、毛布に丸まっていた。

 このまま放って置くことはできなかった。いくら私が周りに関心がないといっても、この状態を見なかったことにできるほど人間落ちぶれてはいない。と言うか、私は大の猫好きだからなおさらだ。家に連れて行きたいけど、家ではどうしても飼えない理由がある。だけどこのままだと保健所に連れて行かれるし、何よりこの寒空の下だと凍死してしまう。

 私は思わず子猫を抱き上げてしまった。腕の中で小さな体をより小さく縮こませて、消え入りそうな声で鳴いている。まるで助けて、と言っているかのように。だけど、私はこの子に何もしてあげられない。

「……ごめんね」

「こんなところでどうしたんだ?」

 突然、後ろから声が聞こえてきた。驚いて振り向くと、そこには知らない男の人が立っていた。いやよく見ると、私と同じ制服を着ている。同じ高校の男子生徒がいた。でも知っている人ではないから、やっぱり知らない人だ。

「そんなところでしゃがみこんでどうした? 腹でも痛いのか?」

 どうやら目の前の人は、私に異常があると思っているらしい。私は腕の中でうずくまっている子猫を彼に見せた。

「うわー、捨て猫か。ひどいことするな」

「うん、何とかしてあげたいけど、私には何もしてあげられない」

「君の家では飼えないの?」

「……お母さんが、猫アレルギーだから」

「ありゃ……、それは、しょうがないな。でも、そのうち誰かもらってくれるよ」

「そんなのダメっ」

「えっ」

 私が突然声を上げたからか、目の前の彼は少し面を食らった顔になった。でも今の一言を私は許せなかった。

「誰かがもらってくれるとか、そんな無責任なこと言わないで。そんなのこの子がかわいそうじゃない」

「でも、君はこの子に何もしてあげられないんだろ?」

「……うん。私は、何もしてあげられない。それなら最初か無視するべきだったのに、それなのにこの子を見つけてしまった。この子に悪いことをしてしまった。本当にごめんね、ごめんね」

 当然子猫は私の言葉なんか理解していない。それでも私は腕の中の子猫に何度も謝った。

 きっとこの子はこのまま死んでしまう。それを思うとますます悲しくなって、思わず涙が滲んで来るのを抑えることができなかった。

「……よし、分かった」

 彼はいきなりそう言うと、私の腕の中から子猫を自分の腕の中にと抱き寄せた。

「俺がこいつを飼うよ」

「……え」

「言っただろ、そのうち誰かがもらってくれるって。だったらその誰かが、俺でもいいかなって」

 彼はそう言いながら子猫の頭を撫でた。最初はその大きな手が子猫を潰してしまいそうに思ったけど、小さな頭をそっと愛おしそうに優しく包み込んだ。そのときの彼の笑顔がお日様みたいで、温かいものを感じた。

 気がつけば雨も止んでいて、今は雲の切れ間から陽の光が差し込んでいる。

「あの、ありがとう。その子を助けてくれて」

「いいよ。それにこいつよく見たら可愛いし。じゃあ、また明日。佐奈さん」

 最後に、なんで私の名前を知っていたのだろうと、疑問に思った。


「同じクラスだったんだね」

「って、気づいてなかったの? ひどいなー、同じクラスなのに」

「と言うか、あなたのことも知らなかったんだけど」

「えっ!? そこから!? それはさすがにキツイな……」

 さっきまでお日様みたいに笑っていた彼だけど、今は雲がかかったみたいな苦笑いをしている。

「私、クラスの人とか興味ないから。ごめんなさい」

「んー、まあいいや。でも、俺は前から佐奈さんと話してみたいなって思ってたけど」

「私と?」

「そ。俺、このクラスになって、ほとんどの奴とは話したり遊びに行ったりしたけど、佐奈さんとはそういうの全然なかったなって。ほら、体育祭や文化祭の打ち上げとかも参加してないじゃん」

 それはそうだ。だって私が望んでそうしてきたのだから。同じクラスってだけで、別に仲がいいわけではない。実際、今のクラスに友達と呼べる存在はいないし、そんなところの集まりに行ったって、どうせ片隅で一人ご飯を食べて終わるだけ。あと、騒がしいところも好きじゃないし。それに私がいたって、みんなの空気を悪くするだけだ。

「どう?」

「どうって、何が?」

「同じクラスなのに、私はあなたのことを知らなかった。そんな私なんかと話したってつまらないでしょ。時間の無駄って分かったでしょ」

「そんなことないよ。すごい楽しいよ。と言うか、嬉しいかな」

 嬉しい? 私と話していて?

 その疑問が顔に出てしまったのだろうか、彼はまた苦笑いをしながら話してくれた。

「佐奈さんってさ、いつも一人でいるから、みんな話しかけにくいところがあるんだよね。何考えてるのか全然わかんないし。なんか俺らと違う感じがしてるんだよね。

 でもさ、捨て猫の前で初めて話したとき、意外に思ったんだ。佐奈さんでもこんなふうに怒ったり、悲しんだりするんだなって。ごめん、失礼だったね」

「それは、普段私がみんなの前でそういうふうにならないから」

「そ。だから嬉しかったんだよね。佐奈さんの知らなかった一面が見れたからさ」

 不思議な人だ。それとも変わった人と言うべきか。こんな私と、いつも一人で誰とも話したことのない私なんかと、言葉を交わしてそれが楽しいとか。しかも私のことを知ることができて嬉しいとか。そんなこと言われたのは初めてだ。

「……猫、どうしてる?」

「ああ、連れて帰った日は随分と大人しかったけど、今じゃすっかり馴染んでるよ。今朝も俺のベッドの上に寝てたし。あ、チロって、名前付けたんだ」

「そうなんだ。よかった」

 突然、目の前の彼が意表を突かれたような顔になった。

「どうしたの?」

「えっ、いや、佐奈さんもそんなふうに笑うんだなって」

 そう彼から指摘されて、今度は私の方が意表を突かれた。私今、笑っていたの? 自分では全然気づいていなかったけど。

「私、笑ったの?」

「なに? 気づいてなかったの?」

「……うん」

 そう返事をすると、彼がいきなり笑い出した。

「はははっ! 何だよそれ、おもしれー。佐奈さんって、面白い人だったんだね」

「はぁ、どうも」

 普通、面白い人と言われてどう反応すればいいのだろう。芸人さんとかならともかく、普通の女子高生が面白い人と言われて、それを褒め言葉として受け取っていいものなのだろうか。私は分からない。そもそも彼が何を思って面白いと言ったのかさえ理解できていない。

「佐奈さんさ、もしよかったら、俺と友達になってよ」

 彼の面白い人認定に困惑していると、さらに私を戸惑わせる発言が飛んできた。

 私と友達になりたい? 今までのやりとりからどうしてその結論にいたったのだろう。

「私が、面白い人だから?」

「んー、それもあるけど。あ、面白いって、別に悪い意味とかじゃないから。なんて言うかさ、もっと佐奈さんと話がしたいなって思ったから」

「……嫌です」

「ありゃま、どうして?」

 だってそうじゃない。私と話がしたいからとか、ますます理解できない。確かに私と話して楽しいって言ってくれてけど、それもどこまでが本気か分からない。もしかしたらからかわれているだけかもしれない。それに、

「私、あなたのこと、何も知らない」

「俺は知ってるよ」

「え?」

「佐奈いずみ、出席番号二十番。身長は百六十くらいかな。休み時間はいつも自分の席で勉強していて、その甲斐あってか成績は学年でもトップ。得意科目は数学と物理。でもクラスでは誰とも話していないから、いつも一人でいる。カーデガンは紺色と白色を毎日交互に着ていて、髪型もいつもはストレートだけど、体育のある火曜と金曜は結んできている。あと、猫が好きで、笑った顔がすごく可愛い。どうかな?」

「……ストーカーですか」

「なんでそうなるかな? そういうことじゃなくて、俺はこれだけ佐奈さんのこと――」

「そんなの全部表面的なことじゃない。それに、それが私の全部じゃないし……」

「だからさ、教えてよ。友達になって、いろんなんこと話して。いずみの全部、俺に教えてくれよ」

 ああ、やっぱり変な人だ。

 クラスでもいつも一人で、彼の存在なんて今まで気にもしていなかった。それでも彼は私のことを知っていて、そんな私と友達になりたいって、私のことをもっと知りたいって。

 そんなことをお日様みたいに笑って口にする彼が、なんだか不思議と、温かく感じた。

「でも、やっぱり気持ち悪い」

「ええっ!?」

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

続きもお楽しみください。

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