第94話 全は一、一は全
side ルビア
「ど、う……し、て……」
私の人生はわからないことだらけだ。
昔から、最初から、何もわからない。
「どうしてっていうのは、負けたこと? それとも殺されなかったこと? それかもっと単純に、どうやって負けたかってこと?」
わからない。
負けたことに関しては、やっぱりこうなったかとも思うけど。多少準備をしていただけの研究者の私が、プロの冒険者相手に真正面から挑みかかって負けるのは必然と言えば必然だ。
殺されなかったことも、負けた理由がわからないことも、それだけの実力差があったからだろう。
お父さんも、冒険者だったけど結局は自分より強いモンスターに殺されてしまったんだから。
だけど……
「わたしは……ただ、みんなを……なおしたい、だけなのに」
「それだけ話せるなら、思ったより効いてないわね。『ゼット』には物理耐性を付ける能力もあるのかしら。ルビア、聞こえるんなら聞いときなさい。本当なら、これはココアが教えるべきことかもしれないけど、あんたがお乳吸ってる時から知ってる立場として、私が答えてあげる」
お母さんは、私じゃなくてティアを後継者に選んだ。
あの時……私は、ティアなら大丈夫だと思ったし、私より人と仲良くなるのが上手いティアの方が適任だと考えて、同意した。
思考して、理解して、理性の上ではちゃんと納得したつもりだった。
なのに……何故だか、自分でも思っていたよりもショックを受けていたのを少し後で自覚したのを憶えている。
私の方が『癒し手』としての能力は高いはずなのに。
私の方がいろんなことができるって自負があったのに。
妹のことを見下していたわけではない。
ティアのことは間違いなく大好きだって言える。私よりも少し物覚えはよくないけど、私よりもずっと行動的で人から好かれる自慢の妹だ。
実際、職員さんたちや患者さんたちの投票で次期院長を決めるとしても、結果はティアの圧勝だったと思う。
けれど、それとは別の部分で私は傷ついていた。
理性ではそれが身勝手な言い分だとわかっていたから、それを誰かにぶつけることができなかった。
だから、お母さんとも少し話ができなくなって、勉強に逃げるしかなかった。
私はお母さんから……なんで、私が後継者になれないのか、その理由をはっきり聞くことができなかった。
「あんた、さっき言ったわよね。『欠けた部分を埋めてあげる』みたいなこと。それが大きなお世話だって言ってんのよ。まあ、言いたいことはわかるし、それを望む人間だっていないわけじゃないだろうけど……私も、たぶんあの馬鹿も、それは願い下げだって言うわ」
「どう……して……」
私なら、できるのに。
もう、仲間外れにされたり、見下されたり、差別されたりしないように、してあげられるのに。
『みんなと違う』なんて……辛いだけなのに。
「『これが私だから』。私も、自分が周りと違うことは物心ついたころから知ってる。それで仲間外れにされたこともあるし、最近じゃ信頼してた同僚に裏切られて精神的に殺されそうになったしね。周りの態度だけじゃなくて、私も同僚と同じようにできないことで苦労したわ。けどね……それでも私はこの性質を持ったままでこの生き方を貫くと決めた。『私』にしかできないことがあって、それは『この私』でしかできないことだから。何より、私はこの私だったからこそ、誰よりも強く女神ディーレのために……私の一番の恩人のために努力できた。私がただの『善人』になってしまって、今の自分の気持ちを理解できなくなったらって思ったら……ぞっとする」
辛いだけな……はずなのに……
あなたはどうして、そんなにもしっかりと、立っていられるんですか?
「いいこと? あんたの手を救いの手として求める奴が相手なら、好きにすればいいわ。それを止める義理はないし、本当に救いの手になるならそれでいい。けどね……世の中、そういう弱い人間だけじゃないのよ。努力も代償もなく、ただの偶然で神様が目の前に現れて『チート能力をあげましょう』って言われて、わざわざそれを断った上で押しつけられた最悪の不良品を抱え込んで、それをちゃんと理解しながら嬉しそうに笑って泥道を歩ける受難上等の馬鹿もいるの。そういう馬鹿じゃなきゃ、こんな状況はどうにもならなかった。あんたからすれば、そんな自殺紛いのことばっかりする人間なんて『欠陥品』でしかないのかもしれないけどね」
私が……弱かっただけ?
テーレさんが……強いだけ?
どっちが本当なの?
どっちが正しいの?
ずっと、村の人たちを見て来て……みんなのいいところを見つけようとしてきた私は……結局、悪いところを、『欠陥』を、見ないようにしてきただけ?
「でも……私の、研究は……もう、失敗なんて……」
「それは、どうかしらね……見えるなら、あれを見なさい。あんたがあれに最後に出した命令、その末路よ」
まだ少し朦朧とする意識で、倒れたまま、辛うじて首を動かしてテーレさんの指す方向を見た。
私たちの沈められつつあった魔法の流砂の中。
私が投げ出されたすり鉢状の罠の中では……
「……え? なんで……」
コバルが、私の愛馬が、死んでいた。
それも、尋常な死に方じゃなかった。
まるで巨大な岩でゆっくり潰されたかのように身体が変形し、あちこちから折れた骨が飛び出ていた。
私の持っていた手綱が急に引かれて手から離れたのは、コバルの能動的な動きのせいじゃない。丁度、コバルの首がへし折れたのがあのタイミングだっただけ。
でも、どうして……感染していたからって、あんなに惨たらしく殺さなくても……
「あいつが意図的にやったわけじゃないわ。『どんなに強く押し返されてもとにかく前進しろ』、そうやって思念を送ったのはあんたでしょうが。普通に動物が魔法を使うだけだったら、自分の身体がひしゃげたりする前に魔法を解いて逃げているでしょうね。でも、『ゼット』は違う。与えられた思念を全うするために、宿主の肉体的限界を無視してひたすら前進しようと魔法を使い続けた。その結果があれよ。人間でも、限界以上の肉体強化をさせようとすれば同じように身体の負担を無視し始めて自壊する。抑えても寿命が減るような使い方になるでしょうね。ほんと、『研究施設』ってところはどうして……まあ、それはいいわ。マスター、そろそろいいでしょ! 上がって来なさい!」
「はい! すぐにでも!」
いつの間にかコバルの死体を見下ろしていた狂信者さんがこちらへ上がってきた。
そして、倒れた私を上から覗き込む。どうやら、血が出ていないかを確認しているらしい。
「ふむ、流石はテーレさん。しっかりと峰打ちで済ませたご様子。それに引き換え、私の方はあのお馬さんを犠牲にしてしまいました。犠牲を出さないようにと自分で言いながら情けないものです」
「魔法解いたらあんた自身が死ぬようなパワーだったんでしょうに。どちらにしろあれは助からなかったわ……身体の中、無理に改造されてボロボロだったし」
「そん……な……」
波長を変えて隔離しても、安全にはならなかった?
私の研究は……
「マスター、ルビアにも【赤熱石】やってあげて。進行は遅いけど手から感染し始めてるから。ルビア、意識ある状態でやられるのは熱いだろうけど我慢しなさいよ。『お灸を据える』ってやつだと思って」
私の研究は……ここで、終わり?
『いやだ』
『もっともっと』
『いきたい』
『ふえたい』
『もっともっともっともっともっともっと!』
「……! なに、あれ?」
穴の底。
コバルの死体。
そこから伸びる、無数の触手のような何かがまるで自らを呑み込むように蠢きながら膨れていく。それに……私にはわかる。思念の波長を目まぐるしく変えて、反応を探している。
「これは……ルビアさんの意図したことではないようですが、あまりよい事象ではなさそうですね。おそらく、あのお馬さんの中にあったゼット因子が宿主の死を察知し、自身も消滅の危機にあると察したが故の抵抗なのでしょうが……」
「……! マスター、小屋の周り、感染者が集まってきてる! 真っ直ぐに……」
「助けを求め、仲間を呼んでいる。ということですか?」
違う……これは、そんなものじゃない。
そんな、生易しい変化じゃない。
「違う……気付いちゃったから……止めないと……」
「……何に、気付いたのですか?」
身体強化の魔法とは、言い換えれば『肉体を魔法で操作するための術式』。
コバルの肉体の限界を超えた力を引き出して、その肉体を変形するまで操作させたゼットは気付いてしまった。
自分たちは、宿主の生物の身体に、その形状に囚われる必要はないと。
動物の肉体に侵入して繁殖するのではなく、動物の肉体を取り込んで繁殖することもできるのだと。
もはやコバルの面影もない肉塊は、もはやただの培地でしかない。
ただ効率良く血液を増やし、環境を整え、そして新たな血肉を取り込み繁殖するための苗床。
「あれは……村のみんなを、取り込んで……大きくなろうと……」
もしそうなれば、もう誰にも止められなくなる。
この村の全ての血肉を取り込み、それでも飽き足らず結界を容易く砕いて生き物を手当たり次第に襲い始める。
しかも、大きくなればなるほど賢くなって、おそらく取り込んだ生物の魔法を使い始める。
もしもレグザルまで到達されたら、きっとどんな人間も、転生者だろうと敵わない怪物になる。
つまり、世界の終わりだ。
「なるほど……この小屋に近付いている感染者の皆さんを取り込まれたら私たちではどうしようもなくなると。テーレさん、装置の増幅では……」
「……マズいかも。出力が想定以上かも……っていうか、ルビアの能力を学習したせいか波長を自由に変えられるようになったみたい。そうなると、変調されて思念波攻撃が通じない可能性もある」
「そうですか……困りましたね」
そんな……私のせいで、みんなが、世界が……
嫌だ……そんなの……
「ぐっ、くっ……」
「ルビア! まだ立てるほど回復してないでしょ! ていうか手のそれ……!」
「止めないでください! 今ここで止めないと……この手で……」
私の手にはコバルの手綱から浸食したゼットが染み付いている。
私自身が思念波を乱して進行を遅らせているけど、私も血肉を求める思念をあの肉塊から感じている。
だったら……
「……テーレさん。ルビアさんは何をしようとしているんですか?」
「……多分だけど、自分からあれに手を突っ込んで、一体化した状態で自分の精神もろとも自壊させようとしてる。そうでしょ?」
もう、それしかない。
今のあれは、ひたすら何もかもを取り込もうとしているだけだ。まだ、肉体の操作が完璧じゃないから生存のために必要な機能を得ようとしている。
なら、そこに私の腕を取り込ませて私が私自身の精神をバラバラにするように思念を送り込めば……
「私は、みんなを治したかっただけ……それなのに、みんなを殺してしまうくらいなら、いっそのこと……!」
「なるほど……ナイスアイデアです、ルビアさん」
そう言いながら、狂信者さんは私の目の前に立った。
テーレさんが抑えようとする私の正面を、その背中で塞ぐように。
「言い出すタイミングもありませんでしたし、説明も少し難しいのでとりあえずプランBで進行していましたが……これは幸運です。プランAが実行可能、いえ、プランA以外の作戦が実行不可能になってしまいましたから。その役目、私にやらせてください」
その横顔は、強がりでも何でもない本物の笑顔。
この状況においてもまだ……本気で現状を『幸運』の結果だと信じている、そんな表情。
「ば、馬鹿言ってんじゃないわよ! あんたが手を突っ込んでも取り込まれるだけだって……」
「失礼、誤解を招いてしまいましたか。別に、手を突っ込むつもりはありませんよ。そんなことをせずとも、これで十分です。ライリーさん、例の作戦です。ボディを出してください。それとテーレさん、先程の石化した血液のサンプルをこちらへ。最新版を加えて互換性を上げましょう」
何をするつもり……
狂信者さんの手の上には、あのライリーという使い魔のゼリー人形が……いや、あれは前見たのと違う!
真っ黒じゃなくて赤黒で、あれは……
「ルビアさんが同じことをしていたのには少し驚きました。まあ、私の方は厳密には私の血液を加えた培地を操作するのがライリーさんだったのですが……これでよし、です。最新版ゼットスライム・ライリーさんの完成ですね。そして……」
テーレさんも何をしているのかおそらくわかっていない状態だけど、狂信者さんは大きく腕を振りかぶって……下投げで、ゼリー人形の使い魔を肉塊に投げ込んだ。
そして……人形が取り込まれると、彼は私に、そして自分自身に言い聞かせるように語る。
「来るものを拒まず全てを取り込み、そしてその魔法を学習し模倣する真菌の苗床。大変すばらしい、まさに進化の種です。しかし……あなた方はまだ知らないでしょう。実感がないでしょう。敬意を覚えないでしょう。しかし、それとは関係なく……『あなたの身体は、あなたの食べたものでできている』。そして世には、毒となる食物もあるのです」
彼がロックさんと握手をして怪我をした右手をぐっと強く握る。
思い出した……これは、あの時の再現だ。
ロックさんに自分の血を取り込ませて、『相手の体内に行き渡らせた自分自身の一部』を起点に、魔法を発動するという離れ業。
そして、今回は血液だけじゃない……相手は思念を変調させ、共有する群体。
そこに、既に時間をかけて『自分』との同調率を高めた、自分の血液の中で生まれたゼットの胞子を、ネットワークに混ぜ込んだ。
狂信者さんが土蔵で私の魔法知性学の本を借りて読んでいたのが、『魔法で思念を共有した微生物は一つの精神を持つ巨大な生物と同義である』という、魔法知性学の持つ基本理念を深く理解するためだったとしたら……それを実感として、魔法のイメージとして適用できるようにするためだったのなら。
「詠唱は我流で申しわけありませんが。【命の価値は零 あるいは無限 故に十と一の天秤は揺れず 全も一も違わず】」
その詠唱は、命の価値を均すもの。
全てを1とするのではなく、零あるいは無限と置くことで、足してもかけても変わらない価値を持つと定義するためのもの。
幾万の命が一つとなった群体と自身を等価の存在として定義して、その上で『自分と無数の命を足したとしても、それは自分一人の命と等価である』と主張するもの。
たった一人で、一つの『種族』に干渉することを宣言するもの。
本当に我流……そんな定義、聞いたこともない。
私には真似できない術式を経て、魔法は完成する。
「【石化共有】」
狂信者さんの右手が石化する。
そして、まるでその延長であるかのように、あの肉塊も動きを止め、石へと変化していく。
世界を終わらせかねないはずの破滅の起点が、最初の動き出しで歯車に石を噛まされたかのように、静かに止まってしまった。
外の感染者もみんな、ピタリと動きを止めた。
それを成した狂信者さんは、多少疲れたような表情を浮かべながらも、振り返って私に笑いかけた。
「では、これにて停戦ということで。停戦協定を始めましょうか」




