第88話 【赤熱石】
side テーレ
日の出の直前、月が去り太陽が昇る前の闇の時間。
最も暗く、最も寒い時間。
少し先に送り出したアンナ、コットンの囮組が配置についたのを目視で確認して、準備運動をしているマスターと持ち物の確認をしているルビアに声をかける。
「さあ、そろそろ行くわよ。気合い入れなさい」
今からが決戦。
この事件を犠牲なく解決できるかどうかの分岐点。
その大役を担う突入隊の私たち三人の中には、怖じ気づいた者はいなかった。
「了解しました。女神ディーレの加護のあらんことを」
「はい! 必ず成功させます!」
空の白み始める時間を合図に動き出す作戦。
夜と朝の狭間に、賽は投げられた。
三日間、スキルをフルに使って研究した結果わかったことは、何も『病原体がカビである』という核心だけじゃない。
その過程、そしてその確認でわかったこともいくつかある。特に、感染者の活動についてはパターンが見えている。
その結果から、作戦の実行は夜が明けてすぐの時間にした。
感染者は気温の変化が大きい日の出の前後での活動が最も鈍くなる。
これは、病原体であるカビが環境変化に弱いことが主な原因だ。
『性質の説明の際に「この病原体になっているカビ」と「普通の魔本カビ」というように呼称を分けるのは紛らわしく混同の危機がありますので、何か新しい名前を付けたいのですが……皆さんにアイデアがなければ、仮称として「ゼット」という名称を提案します。元ネタは私の昔見た物語に出てきた病気の名前ですが、人間を生きたままゾンビのように振る舞わせる物ということで「ゾンビ化」の始点という意味で「Z」とするのはどうでしょう?』
……別に、不都合があるわけじゃないし、呼び方が簡潔な方が楽だから、作戦会議でのマスターの提案に沿うとしよう。
『ゼット』は、生物としては変異前の魔本カビよりもかなり死滅しやすい。
常に微生物としてはかなり多くの栄養を消費して強力な『自己保存』の魔法を発動し、環境変化から自分達を守っている。
大型生物の体内に入ろうとするのは、その環境がゼットの生存に適していることと、常に栄養を補給し続けられることが理由らしい。
でも、体内は環境が一定に近いと言っても、それには限度がある。特に夜明けは人間の身体が生物の本能的に活動の準備を整えようとする目覚めの合図。
体内から肉体を操っているとしても、無意識下の根本的な習性を完全に制御することは難しい。その変化に対応するために、肉体の操作に回される魔法が疎かになるということだ。
妨害を考慮しなくていいのなら、後は単純に結界の発生装置のある小屋に行って、私が設定を変えてルビアの能力を村中に拡散させるだけ。
地図や発生装置の情報が正確なら仕事は一時間とかからない。ゼットが活発化する前にことを終えられるはずだ。
つまり、重要なのはどれだけ無駄な時間をかけず、障害となる感染者を素早く無力化して先に進めるかどうか。
可能ならば、『一撃』で感染者を『無傷』のままで封じることが理想だ。
さすがに強力な『自己保存』を持つゼットは、即席で作った電撃棒や麻酔薬なんかでは一時的に動きを鈍らせられても、すぐに活動を再開することがサンプルの実験でわかっている。
だから、縛り上げるか肉体へのダメージ覚悟で倒すしかないかと考えていたけれど……
「狂信者さん! 右前方、一人来ます!」
「はい、では失礼して……【赤熱石】」
マスターの手が石化し、さらに幻炎に包まれる。
幻炎の『暴走』による自分自身のダメージを石化で防ぎつつ、石化した部位を攻防一体の武器と化す【点火】と【石化】の合わせ技。
いつの間にやらマスターが習得していた『魔法の合成』というのは、習得済みの魔法を組み合わせてオリジナル性の高い魔法を生み出す技術だ。
一般化して誰にでも使いやすく汎用性の高い術式として確立されたものと比べて、癖が強いし使い込まれた歴史がないから効果的戦術が確立されていないけど、その代わり状況が合致すれば特化した性能を発揮できる特殊技術。
ある意味、『暴走』のせいで一般化された戦術通りに魔法を発動できないマスターには必要な技術だ。
【赤熱石】も、幻炎を使う度に魂に火傷を負うというデメリットを補うために【石化】を組み合わせたに過ぎないけれど……その相乗効果は、単純にデメリットを克服したことに留まらない。
「ウガァア!」
「ちょっとヒヤリとしますよ」
マスターの幻炎を放つ石腕が飛びかかってくる感染者の胸に触れると、感染者は衝突の衝撃以上のダメージを受けたかのように仰け反り、苦しみ始める。
それは、肉体の表面を焼かれたという苦しみ方ではなく、体内で何かが起きているというような動きだ。
幻炎自体は石化した腕の表面を僅かに覆う程度で、感染者を包み込むような規模ではなかった。けれど、そのダメージは確実に感染者の体内に『浸透』している。
「ふむ、上手く行きましたね。ただのガス燃焼のイメージでは火炎は触れたものの表面を焼くだけです。しかし、石焼きイモ、石窯、あるいは地熱による温泉や砂風呂。『石』を通した加熱は表面からの伝導と違い内部まで熱が浸透します。そこから、『石』を加熱して発生する遠赤外線のイメージを加えることで『一瞬で体内まで熱感が貫通する幻炎』というものを試行してみました」
これまでの幻炎なら、触れた表面を火傷させることはできてもダメージはそこ止まりだった。
ショック死させる気でやるならまだしも、無傷で敵を鎮圧できるものではなかった。
けれど、マスターはそれを『合成』という技術によって接触部分に酷い火傷を負わせるのではなく、全身にダメージを拡散させる使い勝手のいい魔法に改良した。
そして……
「ウ、グ、グァァア!」
マスターが再び感染者に触れながら幻炎の熱を送り続けると、大きな変化が現れる。
感染者の身体から、白い粉のようなものが噴出し、黒く浮き出た血管が元に戻っていく。
それはまるで、悪い憑き物が逃げ出していくかのような姿だ。
「一応、サンプルでの実験は成功していましたが、これで外の感染者にも効果があると実証されましたね。これなら、足手纏いにならずに済みそうです」
これがマスターがこの作戦への参加を強く主張した理由。
偶然に発見したという、ゼットの致命的弱点を突く攻撃法だ。
ゼットは人間を操ったり思念波で情報を共有したりしているが、その魔法の本質は『自己保存』。そして、生物として環境変化に極端に弱いという性質は情報共有で多少賢くなっても変わらない。
マスターはそれを利用して、幻炎によってゼットを自滅させた。
幻炎は物理的な温度を上げずに、精神影響という形で熱を錯覚させる。
火傷が発生したり条件反射で敵が怯んだりするのは、錯覚による反射に過ぎない。
けれど、元が知能の低い微生物であるゼットには物理的温度変化と錯覚による温度変化の違いが区別できない。
人間を利用することを憶えたばかりの彼らは燃えるような情熱も、底冷えするような恐怖も実感したことがない。
だから、『熱さ』を感じれば『自己保存』の魔法で物理的に『冷却』しようとする。
けれど、それではどうやっても『熱さ』からは逃れられない。だから、どんどん自身を『冷却』しながら、体外へ逃げ出していき……やっと、自らが自身を凍り付かせていることに気付きながら、死滅する。
「すごいです、狂信者さん! これなら……」
「はい、計算通り村の方も生きています。疲労と低体温で気絶したようですが、命に別状はありません」
そして、この攻撃法の利点はこれだ。
操られて外部刺激に鈍くなっている宿主にはほとんど幻炎による苦痛を与えず、安全に無力化できることだ。
そのまま放置していれば風邪を引くかもしれないけど、事件を解決して適切な処置をすれば問題ない。
元々、無理に何日も操られて肉体的な限界も近かったはずだし、それが続くよりはマシなはずだ。
これなら……
「さあ、早く小屋まで行くわよ! 油断しないでね!」
確実に解決できるはずだ。
何か、とんでもない見落としやアクシデントがなければだけど。
side 狂信者
感染者と交戦すること三回。
いずれもそれほど苦戦することもなく、【赤熱石】によって相手を無力化して突破することができました。
あちらも学習して対応しようとはしているようですが、アンナさんとコットンさんが頑張って思念波を乱してくれているのか学習は目に見えるほどではなく、一度物陰から奇襲をかけられはしましたがテーレさんの索敵能力の前にはそれほど脅威でもありません。
ここまでは順調です。
そう……順調過ぎます。臆病風かもしれませんが、逆に怖い気すらしてきます。これはそう……魔導書のフィルタリングを万全に整え、本を開こうとした直前のあの瞬間のようです。
テーレさんも経験則からか周囲を先程よりさらに厳重に警戒しているようですが、何も見つけられない様子。
つまりは、敵がいないということなのでそれはいいことですが、やはり『物事が上手く行きすぎる』というのは少々怖い。
取り越し苦労なら構いませんが……
『……アルジサマ、悪意の気配がする! 止まってるけどこっちから近付いてるよ!』
取り越し苦労では、なさそうですね。
悪意の主が止まっているということは、隠れているのでしょうか。隠れられる場所があるとすれば……
「ルビアさん、小屋まではあとどれくらいですか?」
「この林を通り過ぎれば見えてきます! あと三分もかからないはずです!」
テーレさんが周囲を警戒していて、何も感知していない。
おそらく、三分以内に到達する場所、小屋までの道には感染者との遭遇はない。悪意で動いていない感染者に、そこまで悪辣な動きはない。
ならば、あそこしかありませんかね。
「これを使いますか……【万物鑑定】」
「狂信者さん、いきなり何を……」
ルビアさんは驚いていますが、もしも私の妄想空想予想が間違っていなかった場合、これは有効なはずです。
これを使うと本来の視界が塗り潰されてしまうので移動中に使うのは危ないというのはわかっていますが……!
「……テーレさん!」
「どうしたの!?」
「『小屋の中』です! 警戒してください!」
「……! そういうこと、面倒な!」
小屋に到達する直前、テーレさんはナイフを構えながら石を一つ拾い、小屋のドアに投げつけます。
そして、それと同時に私とルビアさんを手で制しました。
「【失敗率証明】。居留守を使おうとしたってそうはいかないわ」
石のぶつかった音に応えるように、私たちが立ち止まってから数秒の後……ドアが、内側から切り裂かれました。
そして、その下手人は小屋の中からガチャガチャという金属音を鳴らしながら、歩み出てきました。
その声は聞き覚えのあるものでしたが、その姿は……
「チクショウが。ドア、開けようとしたら串刺してやろうと思ってたのに、なんでそんなに離れててんだよ?」
肩や腕から生えた大小様々な赤黒い刃。
木製のドアが両断破壊貫通されたことから鑑みるに、虚仮威しではないのでしょうが……表情からも殺意が高いのが見て取れますねえ。
「ロック……ウェイトマン、さん。思ったより、お元気そうですね」
豹変、いえ、変貌ですかね。
血管や充血した眼球が黒っぽくなっているのを見るに、ゼットに感染されたようですが……他の方と違い、はっきりと自我を残しているようです。
色合いや生え際を見るに、赤黒い棘のような刃物は血液を材料にしているのでしょうか。
元々『刃物を生成する』という魔法を使えた彼だからこその『自己保存』との『合成魔法』なのですかね。単純に感染を逃れて復讐の機を狙っていたかと思っていましたが、これは想定外です。
とりあえず、話が通じるならまずは対話を試みてみましょうか。
「はてさて、結界が無事なことを鑑みると装置を破壊してしまったというわけではないでしょう。となると、もしや装置を護っていてくださったのですか? それならばとても有難い献身だとお礼を申し上げたいところなのですが……」
「あ? 護る? ……ああ、そうだよ。その通りだ……へへ」
ロックさんの全身の刃が一気に伸長し、地面に深々と傷を刻みながら叫びます。
「誰もここには入れてやらねえよ! てめえらだろうが、誰だろうがな! ここからは誰も逃がさねえ!」
理性が侵食されているのか、単純にこちらへの嫌がらせのつもりかはわかりませんが……どちらにしろ、結論は変わりませんね。
「では、通してもらえないのなら押し通るしかありません。さあ、衝突しましょう。私も、あなたとはまた話がしたいと思っていたのですから」
魔法解説【赤熱石】
【石化】と【点火】の同時発動により、『自分自身の手が焼けてしまう』という欠点を克服した。
名前の通り石化した上で赤熱しており、触れた相手の内部まで熱感が浸透する。単なる幻炎との違いは、相手の頭を掴んだまま発動すれば幻炎は『髪や頭皮が燃え上がった』と錯覚するがこちらは『頭が沸騰しそうだ』と表現されるような状態になる。
なお、直接次第では湯たんぽ代わりにもなる。(基本的に錯覚なので実際の体温は下がるのに注意)
ちなみに、『発動部位が動かせなくなる』という石化の欠点は健在。また、熱感克服により出力制限は上がったものの、幻炎発動の直後に石化を解除してしまうと残った熱感で低温火傷するのでただの【石化】よりも解除に時間がかかる。




