第744話 『これからのためにすべきこと』
ちなみに、伏線ポイントを書き忘れてましたが前回の『伝言』は
第356部分【第332話 断ちきれぬ禍根】
のやつです。
あと、今回の演説は
第102部分【第98話 魔眼姫】
にサラッと出てたりします。
……まあ、これも『初志貫徹』ってやつですね。
まさかこのシーンを迎えるまでに八百話越えるとは思ってませんでしたが。
side 吉岡美森
大災害を乗り越えた直後の世界。
奇妙な静けさに満ちた夜の世界。
赤い流星が女神の神体を貫いて、立ち上がった大地は元の地面に戻った。
嵐も地震も嘘みたいに過ぎ去って少しだけ時間が経って、急を要するけが人や火事の始末もついた。
今は、大方の人が『無我夢中で対処すべき問題』から解放されて、ある種の祭りの後のような静けさが広がっている。
「体験したことはないけど……大震災の後とかも、こんな感じだったのかな」
人は、疲れ果てていると危機から脱したことへの喜びに浸ることすらできない。
人は、本当に精根尽き果てると泣き喚く元気すらなくなる。
今のガロムの人たちは、まさにそんな感じ。
自分たちの世界を守ってほしいという総意への賛同。
理不尽な世界や、それに屈してしまいそうな無力な自分への怒り。
それに、大地の女神を鎮める流星の奇跡への祈り。
脅威と直接向かい合って戦う力のない人も、怪我をして動けない人も……祈ることしかできなかった人も、誰もがこの決戦に参加した。
ほとんど丸一日、人類全体の防衛戦線を維持するためにそれだけのエネルギーを提供した。
それは疲れもするし、目の前に脅威や助けるべき人がいればその対応で忘れていた平時の感覚も戻って来る。
急場を凌いだことで疲労感が襲ってくるのも当然のことだ。
半壊した建物の上から見下ろせば、街にはたくさんの人がいる。
改めて壊れた自分の家を見て立ち尽くす人がいる。
守りきれなかった身内の遺品を手にしてうなだれる人がいる。
体力が尽きて、でも興奮と過度の疲労で寝落ちることもできずに座り込む人がいる。
これは、魔法少女でも解決は難しい問題だ。
どれだけ強いヒーローだって、敵は倒せても人の心まで立ち直らせることは難しい。
「この先は中央政府の人とかの仕事……なのかな」
まだ瓦礫に埋まっている人とかを助ける手伝いができないかって見回して、ちょっと見つけたところでは『知は刃なり』の力も使って助けまわって、大体の仕事を……魔法少女らしい『表の仕事』を終えた今。
そろそろ『裏の仕事』へ回ろうかと思っていたところで……世界に、美声の旋律と転生者の声が響いた。
『みんな……この結界を張っとる転生者の荒野耕次じゃ。みんなに、聞いてほしいことがある』
荒野耕次くん。
直接会ったことはないけど、この大防衛戦の反撃起点になった巨大結界の能力者。
戦いの始めにも聞いた声が、もう一度世界に響いている。
『まず最初に……ありがとう、みんな! ガロムの王様からも許可もらったからはっきり言わせてもらう……この大戦、わいら人類の勝利じゃ! もう、地震も嵐も心配いらん! 安心してほしい』
ガロム王、中央政府からの勝利宣言。
それに胸を撫で下ろすのは、また災害や脅威がぶり返すことを警戒して気を張り詰めていた人々。
それ以外の人々にも、安堵の波が広がる……そして、それと同時に緊張の糸が切れて、へたり込む人もいた。
そのタイミングで……
『だからこそ……ってのも、意味わからんかもしれんが、みんな。これを受け取って、そんでもう少しだけ話を聞いてほしい』
人々の目の前に、私の前にも光る何かが現れて空中に浮かぶ。
それは一杯の紙コップ……中身は、白い液体。
程良い熱さ、それに見た目と匂いからして、『甘酒』みたいだ。
『これは……わいの能力と、それに他にも何人か力を貸してもらって作ったもんじゃ。飲んだら多少なりとも精がつくようにできとる……疲れてるもんは、これでも飲みながら聞いてほしい』
温かくて、甘い湯気。
何もしなくてもほんの僅かに水面が揺れているし光っている……もしかしたら、クリスティーヌさんの歌や坂井さんみたいなタイプの転生者の能力が込められているのかもしれない。
それに回復に効く『祝福』も込められているように見える。
確かに疲労に効きそうだ……けれど、全人類に配っているとすれば、その効能はきっとほんの僅かだろう。
復興のためって話なら、そういうリソースは必要なスキルや力を持った人員に集中した方が良いはずだ。
けれど、そんなのを度外視した『元気のお裾分け』をしながら、この大神災で誰もが認めざるを得ない活躍をした転生者は語る。
『これは……わいの我儘じゃ。こんな時に、こんな疲れてる時に、やることが山ほどある時にって怒ってくれて構わん。けど……それでも、お願いじゃ。今から、デカい「祭」をさせてほしい』
真剣な声色。
今は怒る気力もない人も、この甘酒で回復したら途端に怒鳴り始めるかもしれない。
たくさんの人が傷付いた、死んだ人も身内を失った人もいる。
それなのに、『今すぐにお祭りがしたい』だなんて……それを世界に向けて発信するなんて、非難されてもおかしくない。
けれど、転生者は『それをわかっている声音』で語り続ける。
『みんな……みんなきっと、明日になれば大変な日々が始まるってのはわかっとる。家も町もなんもかんも壊れて、直さにゃならんものも直せんものもいくらでもあって、「どうしてこうなった」「どうして自分ばっかりこんな目にあわにゃならん」って何度でも考えるはずじゃ』
少し前までのこの世界には、『人災』よりも怖いものは無かった。
悲劇は常に『誰か』のせいだった、それが当たり前だった。
きっと、明日から先の復興期、辛いことはみんな『誰か』に責任を求めたがる。
だからこそ……
『……だからこそ、そう考え始める前の今、顔を上げて、周りを見てほしい。周りにいくらでもいる、泥やら煤やらで汚れまくったきったない連中と顔を見合わせてほしい。自分の汚い泣き顔も見せてやってほしい……周りを見て、確かめてほしい。一緒に必死になって走り回って、揺れる世界で転げ回って、どうにかこうにか生き延びた連中の内にゃ、高笑いしとる悪者なんておらんってことを』
それが、『災害』だ。
誰のせいでもない、ある意味では平等に人を脅かす自然の脅威。
そして……
『わいらは、でっかい嵐の中、同じ船を沈めんように必死に頑張った仲間じゃ。今生きてるのを無理して喜べとは言わん、むしろ泣きたいだけ泣いて、泣きながら笑ってほしい……これはわいの勝手じゃ。怒ってくれても構わん、それで元気が出るならそうしてくれて……』
そこで、ノイズが入る。
まるで、マイクを横から誰かが取り上げたように。
そして……違う声が響いた。
『えー、皆さん。どうも、荒野さんに無理を言ってこのお祭の開催を提案した者です……私は、これが後世まで遺る「史上類を見ない不謹慎者」として歴史に刻まれるであろうこともわかっていて、敢えてこの提案をさせていただきました。お怒りならどうぞ、私の方へ』
新しい声は、堂々と胸を張るように、はっきりとした口調で語る。
話者の笑顔すら思い浮かぶような声音で。
『私は、たとえ自分の名前が汚名として歴史に残るとしても、これが必要なことだと思って提案をさせていただきます。皆さん……どうか、この一晩だけ立ち止まって、このお祭にお付き合いください。一刻も早く、一秒でも早くという焦りを一晩だけ抑え込んで……歴史に一つの区切りをつけさせてください』
『歴史に区切りをつける』。
そんな、途方もないとも表現できることを口にして、名もなき提案者は語る。
『皆さん、残念ながら世界は滅びてしまいました』
仮に、今この瞬間に世界中からブーイングや罵声を浴びせられようと止まらないだろう。
そんなふうに確信できてしまう程に強くて真っ直ぐな言葉だ。
『少なくとも、これまでのわだかまりや生き方を見直すのに十分なくらいには、「これまでの世界」は滅び去って、過去のものになってしまった。
善かったものも、悪かったものも、ただ在るものを享受するのではなく立て直し作り直さなければならなくなった……ここから先の未来は、きっと誰にもわかりません。
しかし……きっと、未来から振り返った時、今がその分水嶺だったと言われる瞬間になる、私はそう思います』
誰もが壊れ果てた過去に呆然とする中で、『未来』を見ている。
異質とも思える前向きさに力を与える確信に、その信じる力に世界が凪ぐ。
『なので……まずは宴を始めましょう。
ありとあらゆるくだらない境界線が崩壊した今だけの、最初で最後の晩餐を。
この世界が……この「エルノア」という名の大地に生きる皆が迎えるべき新たな夜明けを、「再出発」を、項垂れ、俯きながらではなく……肩を支え合いながら前を向いて歩き出すために』
『世界は終わってしまいました』。
……なんて、大声で本当になんてことを言うんだと思った。
こういう時には、『元の日常は必ず戻ってくるから皆で頑張ろう』とか、『取り戻せないものはない』とか、そういう事を言うのが常識だ。
皆が弱ってるような時に、ネガティブな言葉から入るとか良識的な人間がやることじゃない……常識的で良識的な人だと思われたい人間がやることじゃない。
けど……そうやって、『世界が終わってしまった』なんて言葉をいきなりかけられて、反射的に心の中に浮かんだ反論。
『私たちは生きている』。
『世界を終わらせないために大神災を乗り越えたのになんてことを言うんだこいつは』。
それは、言い聞かされて復唱した心の声じゃない。
心の内側から湧き出たものだ。
『元の日常は必ず戻ってくる』と言われれば、『信じられない』と言いたくなるかもしれない。
『取り戻せないものはない』と言われれば、『戻らないものはある』と考えてしまうかもしれない。
人間の心っていうのはそういうものだ。
まして顔も名前も知らない、誰かもわからない勝手な他人から自信満々に決めつけるように言われれば、心が逆に振れる瞬間が生まれる。
そして、そこにいきなりぶち込まれた未来や世界という大きな視点の話。
人々は反発を通り越して困惑してしまっている。
きっと、予想外の言葉が前置きもなく連続して話の内容自体についていけてる人なんてほとんどいない……何もかもがメチャクチャでグチャグチャになっていた考えをゼロに戻された、そんな空気だ。
「悪役……いや、『道化の狂言廻し』ってところかな。終わりの雰囲気に染まりかけてた世界を先に進めるための」
既に言いたいことは言い終わったらしく、続く言葉はない。
歌姫の美声が、疲れ果てた人々の心に寄り添うような音色を奏でる。
「未来なんて……世界なんて……わけわかんねえよ」
見下ろしている街の中、一人が目の前に現れた甘酒をヤケになったように飲み込む。
他にも困惑の中で呆然としながら半ば無意識に手元にある甘い香りのする温かな飲み物を口に運ぶ人や、所在なさげにしていてとりあえずといったふうに甘酒に口をつける人もいる。
そして……
「こんな、全部壊れちまったんだぞ……なのに、なのに、俺、生きて……うわぁぁああん! おれ、生きてるっ、生きてるぞぉおお!」
「うっ、ぐすっ、おかあちゃぁん……助けられなくてごめんよぉおお!!」
「あ……あ、あなた! アタシたち、生きてる! アタシたち、ちゃんと生きてるわよね!? 夢じゃないのよね!」
「あ……そうだ、生きてるんだ……ああ、おまえ! そうだ、全部終わったんだ! 家がなくなってもそれがなんだ! おまえだけでも生きててくれれば十分だ!!」
……人間っていうのは、疲れ果てていると危機から脱したことへの喜びに浸ることすらできない。
人間は、本当に精根尽き果てると泣き喚く元気すらなくなるものだ。
けど……泣くにしろ笑うにしてろ、その激情を表出させて、ちゃんと処理できないと前に進めないのも人間だ。
一杯の甘酒がくれるのは、ほんの僅かな活力だけかもしれない。
けど、それは確かに必要な種火だった。
爆発する感情。
悲しみに喜びに興奮。
それを叫びたい、表現したい、共有したい……そんな『総意』に応えるように世界が色を変える。
嵐を退けるために世界に巡らされていた提灯と太鼓が、災害を軽減するために使われていたリソースを『祭』へと変換していく。
夜の寒さを忘れさせる暖かな熱気。
無数の『鬼』が打ち立てる食べ物の屋台。
それに、鳴り響く音楽。
『温かな光』と『食べ物』、それに『音楽』を共有するだけの、ある種原始的で必要最低限の要素だけを揃えた祭事。
人を元気にして、心を一つにまとめるだけ……けれど、あらゆる形で古代から受け継がれてきた文明の始まりと節目を象徴する儀式。
それはきっと今のこのガロム文化圏という世界に……あの放送の中で『エルノア』と呼ばれたこの世界に必要なものだった。
「強くて敵を倒せるだけじゃない、『そういう英雄』もいるってことね……安心した。これで、私は気兼ねなく『裏の仕事』に取りかかれるわ」
私も甘くて温かな甘酒で力をもらって、祭囃子に背を向ける。
目の前で『世界の再出発』が行われようとしているからこそ、やっておくべき仕事がある。
side 『新・世論編集長』
『はぁ〜……つまり、私はクビってことですね〜。みんな酷いな〜、捏造も誇張もノリノリでやってたのに、編集長一人に全部責任押し付けるなんて〜』
オルーアンでの『闇市』のトップ陥落の裏で、ひっそりと失脚した『裏組織のトップ』がいた。
世論操作に特化した裏組織『報道機関』の実質的トップにあたる『世論編集長』。
俺の主導した組織内クーデター……『闇市』との協力による情報操作の暴露とその『不祥事』についての責任追及という形での、武力ならぬ政争による組織からの追放。
それに対して、『彼女』は興味なさげにこう返した。
『いいですよ~だ。どうせこれじゃあ中央教会の権威だって保たないでしょうしね〜。じゃ、私はお友達のアドちゃんのところでお世話になりますから。おかげさまで新聞もオワコンになっちゃいましたけど、それでも欲しいって言うなら組織も権力もそのまま全部あげちゃうので頑張ってくださ〜い』
……前々から、気に入らないと思っていた部分だ。
超然としているくせに自分の能力をどうでもいいと思ってるような、必死に組織の中で上り詰めようと権力闘争に明け暮れる俺たちを馬鹿にするような態度が憎かった。
だから、失脚した瞬間にはどんな顔をするのかと期待していたのに、結局は崩れなかったその眠たげな表情に落胆したことは否定できない。
だが、ともかく俺は勝った……あの女に勝って、今ここに座っている。
「では、始めるとしようか……これからのこの世界の『裏の支配者』としての指針を決める会議を」
ここは……世界で最も厳重な守りを敷かれた秘密の施設。
ガロム全域を覆う結界使いにも見つけられない、あらゆる転生者への対策も成された場所。
ここに集まっているのは、俺を含めた『三大裏組織』の新しいトップとその腹心。
『王弟派』の王『レイモンド・フォン・クロヌス』。
『闇市』の怪物将軍『テセウス・グラム』。
そして、『報道機関』の無貌こと『世論編集長』。
『先代』の裏組織トップは確かに誰もが独裁的であり圧倒的だった。
だが、それでも『組織』という構造があれば、常にトップが失脚した時にはその座に滑り込もうと画策している『No.2』がいる。
これは、長らくトップが変わらなかった裏社会の世代交代だ。
三組織の頭がほぼ同時に潰れた今、新たなトップとなったそれぞれの代表者がこうして顔を突き合わせて『これからの振る舞い』を話し合おうとしている。
表社会が徹底的に壊れされ尽くして手を出せる余地がいくらでもある今、そこにどう干渉していくか。
そして、そこから発生する利権をどう分配していくかの調整。
ここは、そのための施設だ。
厳重な警備だけでなく、これから最も価値ある財宝となるべき『復興支援』のための備蓄をはじめとしたあらゆる準備が整っている。
「まず考えるべきことは、結界使い……『荒野耕次』の暗殺手段だろう」
「あの能力は規格外だ。全人口の大部分が同意すれば復興中の食糧問題や住居、労働力まで解決してしまう。我々が影響力を再確立するのに邪魔すぎる」
「それに、支援物資の類を無尽蔵に生産できる類の転生者も消していくべきだろう。アルゴニアは妨害してくるだろうが……」
「そこは報道機関で手を回す。不祥事を広めて政府として転生者の守護にリソースを回しにくくすれば暗殺は容易になるだろう」
「懸念すべきは『幻龍界』の武力か……『ガロム正規軍』の手勢が壊滅し犯罪者層があちらに吸われるとなると、新たにまとまった戦力の確保が必要だ。都合がいいのは……」
「……まだ比較的降臨から日の浅い転生者……特に、うちで接点を確保してる『小野倉ねね』はどうだ? あれの能力は洗脳装置としてかなり使えるはずだ。本人に戦力はなく後ろ盾も混乱中のノギアス・マフィアしかない。迅速に動けば混乱に乗じて拉致することも可能だろう。そこから洗脳装置として……いや、いっそのこと、あれをそのまま表向き『闇市』の新たなトップとして祀り上げることで戦力確保は大きく早まるはずだ」
「それはいい。『護衛』として相応の戦力を付ければハッタリも効くし動きも制御しやすい。いっそ本人もその気にさせて可能な限りの強化改造でも受けさせてやりましょうか」
「能力の性質上、当人に超人性を付与してカリスマを演出できれば効率はさらに上がるでしょうな」
踊ることなく会議は進む。
確かに、三つの裏組織はトップを失ったと同時に三者三様に大打撃を受けて権力や戦力それに影響力を大きく損なった。
だが、それでも百年以上も社会の陰で暗躍し続けてきて培われてきた裏組織としてのノウハウやコネクションがある。
必ずやり直せる。
この騒乱で失った全てを取り戻して、新たな社会の裏側に以前以上の支配構造を構築できる。
このタイミングでの古い支配者たちの失脚は、むしろ俺たち『新世代』にとって好都合。
世界滅亡を回避するのに必死になって疲弊した表の支配者たちと違って、自分たちの身を守ることに専念してきた俺たちの余力は十分だ。
これから迎える社会復興期の裏側には、いくらでも俺たちの手を入れる余地がある。
悲観することなんて何もない。
壊れた拠点や違法施設は、いくらでも建て直せる。
失った利権や資産は、また力を合わせて稼ぎ直せばいい。
俺たちの『変わらぬ日常』は、必ず取り戻せる。
そうだ、何も終わらない。
時代も世界も何も変わらない。
そのための、再始動のための話し合いの場がここだ。
一致団結の最初の一歩。
世界で最も重要な対話が進む。
俺たちの未来を始めるための会議が……
『問題でーす。世界中のみんなが頑張ってる中、自分たちだけ安全な秘密基地に引きこもって悪巧みしてたの、だーれだ?』
会議の横から、そんな声が割り込んだ。
そちらを見ると、そこにいたのは『闇市』新トップの腹心であるはずの男……この施設の警備を任されるだけの実力者だったはずだ。
それが……まるで、皮を何者かに『着られている』ように不格好な姿勢で立っていた。
その口から、外見に見合わない少女のような声を発しながら。
「お前は……何者だ?」
『見てわかんない? ただの……明るい未来を夢見る、ちょっとした善意の通り魔だよ。いきなりだけど、あなたたちを殺……』
「ふんっ!」
次の瞬間、男の肉体が十個の肉塊に分割される。
やったのは、『闇市』のトップ。
ここにいるのはいずれも規格外の先代トップには敵わないとしても、裏組織でその後釜を狙えるだけの力を持った人間だ。
暗殺者の一人や二人、問答無用で抹殺できる。
だが……声は消えなかった。
『あはは、そりゃまあそういう反応だよねー。ていうか本当に、いきなりでごめんなんだけどさ……あなたたちみたいに「世界が平和になると困る」なんて言う人は、これからの平和な世界に生きてちゃいけないんだ。だからね……』
『蟲』だった。
バラバラの死体の中に入っていたのも、いつしか会議室の壁を溶かして声を引き継いだのも、巨大な蟲。
それも、何十もの大群だ。
「いつの間に! チッ! 正義漢気取りの転生者が!」
『闇市』のトップが警備の男をバラバラにしたのと同じ力で部屋に入ってくる蟲を八つ裂きにしていく。
だが、まるで水中の箱に穴を開けたかのように流れ込んでくる蟲の群れは途絶えない。
それどころか、壁が溶かされていくことで密室が密室でなくなっていくと……見えてくる『外』の光景。
それは、この部屋に入る前に通った廊下の壁でも貴族の別荘に偽装された施設の周囲に広がっていた清涼感のある景色でもなく……
「なっ……なん、これ……は……?」
蟲、蟲、蟲、虫、蟲。
蟲蟲蟲蟲虫蟲蟲蟲蟲蟲蟲虫蟲蟲虫蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲虫蟲蟲蟲蟲虫蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲虫虫蟲蟲蟲蟲蟲蟲虫蟲虫虫蟲蟲蟲蟲蟲蟲虫蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲虫蟲虫虫蟲蟲蟲蟲蟲虫蟲蟲虫蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲虫蟲蟲蟲蟲虫蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲虫虫蟲蟲蟲蟲蟲蟲虫蟲虫虫蟲蟲蟲蟲蟲蟲虫蟲蟲蟲虫蟲蟲蟲虫蟲蟲虫蟲蟲蟲蟲虫蟲蟲蟲蟲蟲蟲虫蟲蟲虫蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲虫蟲蟲蟲蟲虫蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲虫虫蟲蟲蟲蟲蟲蟲虫蟲虫虫蟲虫蟲蟲蟲蟲蟲虫蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲虫蟲蟲蟲蟲蟲蟲虫蟲蟲虫蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲虫蟲蟲蟲蟲虫蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲虫虫蟲蟲蟲蟲蟲蟲虫蟲虫虫蟲蟲蟲蟲蟲蟲虫蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲虫蟲虫虫蟲蟲蟲蟲蟲虫蟲蟲虫蟲蟲蟲蟲虫虫虫虫蟲蟲蟲虫虫虫蟲蟲蟲蟲虫蟲蟲虫虫蟲蟲虫蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲虫虫蟲蟲蟲蟲蟲蟲虫蟲虫虫蟲蟲蟲蟲蟲蟲虫蟲蟲蟲虫蟲蟲蟲虫蟲蟲虫蟲蟲蟲蟲虫蟲蟲蟲蟲虫虫虫蟲蟲虫蟲蟲虫蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲虫蟲蟲蟲蟲虫蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲虫虫蟲蟲蟲蟲蟲蟲虫蟲虫虫蟲虫蟲蟲蟲虫虫虫蟲蟲虫蟲蟲虫虫蟲蟲蟲蟲虫虫虫蟲蟲虫虫虫蟲蟲蟲蟲虫蟲蟲蟲蟲蟲蟲虫蟲蟲虫蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲虫蟲蟲蟲蟲虫蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲虫虫蟲蟲蟲蟲蟲蟲虫蟲虫虫蟲蟲蟲蟲蟲蟲虫蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲虫蟲虫虫蟲蟲蟲蟲蟲虫蟲蟲虫蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲虫虫虫虫虫蟲蟲蟲蟲虫蟲蟲蟲蟲虫蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲虫虫蟲蟲蟲蟲蟲蟲虫蟲虫虫蟲蟲蟲蟲虫虫虫蟲蟲虫蟲蟲蟲虫蟲蟲蟲虫蟲蟲虫蟲蟲蟲蟲虫蟲蟲蟲蟲虫虫虫蟲蟲虫蟲蟲虫蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲虫虫虫虫虫蟲蟲蟲蟲虫虫虫虫蟲蟲蟲蟲虫蟲蟲虫虫虫蟲蟲虫虫虫蟲蟲蟲虫虫蟲蟲蟲虫蟲蟲蟲虫蟲虫虫蟲虫蟲蟲蟲蟲蟲虫蟲蟲蟲蟲蟲虫虫虫虫蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲虫蟲蟲蟲蟲虫虫虫虫蟲蟲虫蟲蟲虫蟲蟲蟲蟲虫蟲虫虫虫虫虫蟲蟲蟲虫虫虫虫虫蟲蟲蟲虫蟲蟲蟲蟲虫蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲虫虫蟲蟲蟲蟲蟲蟲虫蟲虫虫蟲蟲蟲蟲蟲蟲虫蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲虫蟲虫虫蟲蟲蟲蟲蟲虫蟲蟲虫蟲蟲蟲蟲虫虫虫虫蟲蟲蟲虫虫虫蟲蟲蟲蟲虫蟲蟲虫虫蟲蟲虫蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲虫虫蟲蟲蟲蟲蟲蟲虫蟲虫虫蟲蟲蟲蟲蟲蟲虫蟲蟲蟲虫蟲蟲蟲虫蟲蟲虫蟲蟲蟲蟲虫蟲蟲蟲蟲虫虫虫蟲蟲虫蟲蟲虫蟲蟲蟲虫虫蟲蟲蟲蟲蟲虫虫虫虫虫虫蟲蟲蟲虫蟲蟲蟲蟲虫蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲虫虫蟲蟲蟲蟲虫虫虫虫虫蟲蟲虫蟲虫虫蟲虫蟲蟲蟲虫虫虫蟲蟲虫蟲蟲虫虫蟲蟲蟲蟲蟲蟲虫虫虫………
地平線まで見える限りの地面を埋め尽くすほどの、巨大昆虫の軍団。
そして、それに蹂躙されていく防衛設備と味方の護衛戦力の悲惨な姿。
『たとえ、転生者を含むどんな人間が暗殺を目論んだとしても絶対に安全』。
その確信があったからこそ一堂に介した裏組織のトップを、その防衛設備を『単純な物量作戦』で圧し潰すという暗殺と呼ぶには悍ましく派手に過ぎる暴挙。
そして……
「ナレッジ・トラップ・ブレイカー☆!!」
『魔法少女』が空を舞う。
『蟲の軍団』に僅かでも対抗できる可能性のある種類の防衛設備や呪いの術式、こちらの能力者を端から狙い撃ちして無力化し、蟲の蹂躙に呑ませている。
いつの間に、こんな状態になっていたのか。
外に会話の漏れないように防音が施された会議室の外で何が起こっていたのか、外の異常を伝えるべき警備はどうなっていたのか。
わかるのは……この蟲の軍勢も、あの魔法少女も、俺たちを確実に始末するために動いているということ。
「くそっ! なんで、こんな、ぐわっ!?」
徹底抗戦していた『闇市』のトップが、蟲の物量に負けて押し流され、見えなくなる。
「と、扉! 扉が……なあっ!?」
『願いを叶える魔精』の生み出した転移の鍵。
緊急用の脱出神器を使おうとして扉へ走った『王弟派』のトップが、時空を繋ごうとした瞬間に魔法少女の誘導弾に鍵を粉砕され、鍵穴まで消失したドアを見て絶望に膝をつく。
そして……
「や、やめてくれ……死にたくない、ごめんなさい! でも、俺はまだなんにも……」
俺をこの地位まで上り詰めさせた特殊能力とも呼べるもの……『自分の言葉を信じさせる』という力。
詐欺の技術から始まり、自分の強みとして知識から転生者の能力まで利用して異能の域へ到達し、報道という世界で大きな力を振るった技能の極み。
それを使って命乞いをしようとした、どうにかして生き延びようとした。
だが……
『うん、そうかもね。でもさ……長城ができてから、みんなが大変だった間ずっと、あなたたちだけは「世界が滅びた後」の準備してたよね? たくさんの人が不幸になるのを喜んでたよね? みんなが困って、貧乏になってから偉くなれるようにって』
蟲たちから声が響く。
それは、俺の言葉を信じていながらあまりにも無情な声音だった。
そして……
『それにさ……ねねのこと、悪者にしようとしてたでしょ? そういうのってさ、すごくよくないと思うんだ。ああいう平和な子はさ……私たちみたいな「薄汚れた人間」が同じ世界に引きずり込もうとしちゃいけないんだ』
蟲の群れの奥から、何かが高速で迫って来るのを見た。
思考も挟まずとっさに回避しようとした俺の動きを『予知』したように、光の刃が閃く。
そして……
「ああ……同情してやれない『人でなし』ですまないな」
光の剣を振り抜いた剣士の背中を見る俺の視界は、胴体の上からずり落ちて蟲の海に落下していった。
side 『拝金主義者』
遥か遠方に見える屋敷が、蟲の軍団に食い潰されていく。
その様子を見て、通信用のマジックアイテムに声を吹き込む。
「レイさん……あなた自身もたくさんの目で見ているとは思いますが、一応報告しておきます。殲滅、完了いたしました」
『うん、こっちも見えてるよ。ここまで、いろいろとありがとうね』
「いいえ……被害に遭った方々には散々なことばかりだったと思いますが、今回の騒動のおかげで仕事自体はとてもやりやすかったので。予定よりも難易度が下がった分、依頼料にお釣りでも返しましょうか……あなた自身、たくさん働いてくださいましたし」
オルーアンの戦いの裏で起こっていた、レイさんを中心としたもう一つの戦い。
『執着していた聖女の処刑』への干渉を見送ることで表向きは、『お気に入りの身内を奪われようとも強大な裏組織とは戦わない自分本位で臆病な転生者』として認識されることで裏組織の警戒から外れ、その能力を諜報に全投入するという作戦を受け入れて従ってくれたこと。
そして、 『長城』の出現という世界的な大事件の裏で起こっていた大量の物資や人員の移動の追跡……こうして、社会の衰亡に乗じて次の覇権を奪おうと画策する社会の不穏の芽が集約する地点を絞り込み、そのおかげで大神災の間に夢川さんの能力を借りてこの秘密施設の完全な特定に至れたこと。
単なる『依頼人』として見るにはあまりに勤勉で、働き過ぎなくらいだった。
むしろ、この計画の協力者としての仕事量を考えれば、最初に受け取った額以上の報酬を渡して然るべきなほどに。
『いいよ、私なんて能力を使ってできることをしてたってだけだし。それに、お釣りは期待しないでって言ったのはそっちじゃん……お釣りはとっといて。むしろ、ごめんね。あんな「はした金」で無茶な依頼しちゃってさ』
「……わかっていてやっていたのですね。まあ、あなたはそういう人なのでしょうけど」
子供のような外見をしていても子供ではないし、馬鹿でもない。
いくら積んだって無理な依頼であることはわかっていても、全財産を払って無茶を言う。
今回は、それで本当にうまくいってしまっただけ。
そう……本当なら、何十年とかけてもいい依頼だったし、その間ずっと『お友達』でいることになるだろうと最初は思っていた。
まさか、こんなに早くに叶ってしまうなんて……終わってしまうなんて思わなかったから。
『探偵さん……本当に、ありがとうね。私はさ、ホントは仕事をしてほしかったって言うよりも……うん、なんていうか、こうやって一緒に戦ってくれる仲間が欲しかったんだ。あなたみたいに……私がどんな人間だろうと、性別とか年齢とか関係なく一緒に動いてくれる人がいてほしかったんだ。お金のために転生者のご機嫌取りをして地方領まで潰しちゃったって人なら、うまく騙してくれるかなって』
「…………心外ですわね。あなたのことは騙してなんていませんでしたのに」
『うん……気付いてた。なんか、私のこと本気で友達だって思ってくれてるんだなってこと。あんな無茶な依頼を安請け合いしてくれて、依頼と関係ないところでも知恵や力を貸してくれて。本当に……嬉しかった』
本当なら止めるべきことであるのはわかっている。
これからやろうとしていることは、もっと先延ばしにした方がいいと。
人間として、友人としてそう言ってあげるべきなのはわかっている。
けれど……
「……本当に、酷い人です。どうですか? せっかくなら、一度くらい夜を共にしてみるというのは。ちょうど最近消費した『命の予備』を補充しようかと思っていたところですし」
『あははっ、それって酷いのどっちかな……私の夢、わかってるでしょ? まあ、確かに「気兼ねなくできる」って意味じゃ悪くないかもしれないけどさ……うん、ごめんね。やっぱり、今しかないと思うんだ。決心が鈍っちゃうと嫌だから』
「…………そんなに、生きていけないほどに、人を傷つけたり殺したりするのは嫌でしたか?」
『うん……ごめんね。でも、私ってやっぱり普通に現代の一般的な日本人だからさ。人肉が美味しく感じる能力になったって人を食べたりとかは普通に気持ち悪いし、脳なしの蟲にやらせたって自分の一部が人を殺してるとか考えるのは吐き気がするほど不快だよ。そういうのを我慢するのには慣れてるけど』
「……辛くとも、転生者としての力を与えられようとも、そういった人間性を捨てない。そんな『現代の一般的な日本人』ばかりであれば……この世界も、もっと平和だったかもしれませんね」
『あはっ、そんな私でも、いきなり戦場に連れてかれて「言うこと聞かなきゃ殺す」って殺意向けられたら暴れるしかないんだからさ。世界と人と、どっちかだけが平和なだけじゃダメなんだよ、きっと』
世界を本当に平和にしたいなら、その平和を乱そうとする人間は残しておけない。
だからこそ、世界が変わる節目に裏組織の頭を潰した。
それで全ての悪が消えるわけではないとしても、『世界の平和そのものを壊そうとする意思』とその力を途絶えさせるために。
そして……それを主導して、誰よりも派手に手を汚す自分すらも。
大地の使徒に取り込まれていたとはいえ、数え切れないほどの『まだ生きていたはずの人間』を容赦なく殺した自身を新しい時代へ残さないと決めて。
このゴールを見据えていたからこそ、嫌で嫌で仕方のないことを笑顔で嫌々やり通せた。
「……気が変わったら、またのご依頼をお待ちしております」
『……そう言ってくれて、ありがとう。最後についでだけど……美森先生、こっちに呼んでおいて。あの人なら、きっとうまくやってくれるから。それじゃあ……さよなら、ありがとう』
通信が切れる。
これ以上私と話すことで決意が鈍るかもしれないと考えたのか、それとも邪魔が入るといけないと思ったのか。
いずれにせよ……私にできることはもうない。
「『全財産』と引き換えにした依頼の達成……『世界平和』の納品を、確かに報告いたしました。これがあなたにとって、良き買い物であらんことを」
……ちなみに、先代『世論編集長』の活動目的は、歴史を歪に改竄し続けている『聖典の原典』を破壊し、人々が各々にとっての真実を探究する自由を取り戻すことでした。
なので、失脚とのタイミングは前後していますが狂信者さんが勝手に目的を達成してくれたおかげで彼女は三大裏組織のトップの中で唯一『勝ち抜け』に成功した形になってます。
その後は、友達の『アドちゃん』のところで、地震の中で堂々と居眠りしたり雨宮さんにファイアーマンズキャリーされたりサクッと災害対策マニュアルを作ったりとこき使われながらアフターライフを満喫しています。




