第734話 後に継ぐ者、先へ行く者
side 雨宮クロ
『適材適所』という言葉がある。
まあ、言葉の意味を改めて説明する必要はないだろうけど。
要するに、仕事の割り振りの基本。
人間が大きな働きをするのは、そのスキルや来歴に合った状況や仕事が目の前にある時だけ。
だから、大変な時ほどそれを見極めて仕事を任せなきゃいけない。
そういう意味では、アタシの……というか、アタシの妹こと虹色の『自分の人生経験をリビルドして好きな職業になれる』って能力はどんな時でも腐ることのない、どんな時でも『適材』になれる能力だ。
こうして世界中が大災害に見舞われてる今も、レスキューや応急医療のプロに変身しての大活躍。
昨日までは神殿に入ってきたばかりで生産特化でも戦闘特化でもない器用貧乏な転生特典持ちの転生者として微妙な立ち位置だった虹色だけど、この調子だと一気に英雄扱いされてしまうかもしれないってくらいの大立ち回りをさせられてる。
暗殺者として育てられて人を救う技術なんてからっきしの『こっち側』にお呼びがかかる仕事はない。
「ないはずなんだけどさ……呼び出しの名義は『雨宮クロ』の方なんだよね」
……そんな中での呼び出し。
それも、『虹色』じゃなくてアタシの方に。
早足で、一番近い『アビスの箱庭』から、呼び出された場所まで向かう。
目的地は、女神ディーレ神殿本部の聖堂。
最近突貫工事で行われた補強工事のおかげでこの大災害でも壊れていない神殿の重要施設。
少し前までフローレンスの指令で各地に運び出す医療物資の集積地として一時利用されていた場所だ
けど、その物資があらかた運び出されて人も物も空になったタイミングで、一人だけ『祈り』のための利用を許された人物が私を呼んでいる。
扉の前まで着くと、聖堂の入り口を守るように一人の女の子がいた。
少し小柄でも肉体的には私とそう変わらない年齢に見えるけど……感情を『色彩』として認識できる私の瞳から受ける印象は、外見と少し釣り合わない精神の幼さと、それとさらに釣り合わない長い時間を感じさせる深い色彩。
というか、人間じゃない……?
「えっと……もしかして、天使さん? だったら……ターレさん、で合ってる? 今、テーレさんの代わりに狂信者さんの従者やってるっていう」
「そういうあなたは、雨宮……クロさん、で合ってますか?」
「うん……ちゃんと言われた通り、『クロ』の方で来たから合ってるよ」
「それなら……どうぞ」
ターレという天使の従者が扉を開けてくれて、聖堂の中へ入る。
もう、紅くなり始めた陽の差し込む空間で……祭壇の前で跪く彼がいた。
「狂信者さん……」
こういう時に声をかけるのはいけないかもしれないけど、呼び出したのはあちら。
こっちに気付いているのも色彩で確認できていることもあって、少しだけ躊躇ってから声をかける。
すると、狂信者さんは最後に少しだけ祭壇へ頭を下げて呟いてからこちらへ顔を向けた。
「では、そのように……いやはや、クロさん。急にお呼び立てしてしまい申し訳ない。つい先日ぶりですかね」
杖を手にして、それを支えにするように立ち上がる。
その時の体重移動は、『本当に杖が必要な人』のものだった。
「……前は杖なんて使ってなかったのに。ちょっと見ない間にどうしたの?」
「クックッ、ちょっと腰をやっちゃいましてね。杖がなくても歩けるは歩けるのですが、その後がちょっとキツくて」
冗談めかして言われるけど、その感情が読みきれない。
この人は色彩が重なりすぎて表面はわかっても深い部分まで読めない。
けれど……冷やかしに来たわけじゃないことはわかる
「用件って? ていうか、虹色の能力が必要なら直接あっちに言えばいいよ。わざわざアタシの方を指名しなくても」
「いいえ……いえ、まあ、確かに能力を使ってもらう場面は出てくるもしれませんが、あなたの思っているような形ではないので。私から……あなたたち『雨宮姉妹』への依頼がありまして」
そう言って彼が懐から出したのは、二つの小物。
封筒の束と、コインの入った袋。
「依頼内容は『配達』です。これを……然るべき時に、それぞれに記された宛先へ。袋の中の依頼料は……まあ、必要経費も込みで手紙の配達料としては多めに入れてあります。足りればいいのですが」
私には感情の色が見える。
単なる顔色だけじゃなくて、残留思念とか言われるような、物体に残った色彩も薄まりはするけど読み取ることができる。
この封筒も、感情が込められている。
狂信者さん本人からわからなくても、文章に込めた感情なら方向性が統一されているからなんとか読み取れる。
けど、それは……
「これを、然るべき時にって……それってさあ……」
「ええ、『それ』をわかってくれるだろうと思ったから、あなたをお呼びしました。もしかしたら、これを受け取っても私の意図した通りの意味として伝わらないかもしれない……そんな時には、それとなくフォローしていただけると助かります」
そのための、アタシ。
感情の色を読み取れる、書き綴られた内容の解釈を修正して保証できる瞳を持つアタシへの依頼。
けど、それが必要になるのは必然的に……
「だから、祈ってたの?」
「ええ、まあ。ついでといいますか、せっかく荒野さんのおかげでどこにでも行きやすくなったので、一度くらいちゃんとした場所で作法通りの祈りというのを試してみようかと思いまして」
そう言って苦笑する。
あくまでよくある日常の失敗を笑い話にするかのように。
「しかしまあ、こんな言い方はあれかもしれませんが……不要な時間だったかもしれませんねえ。立派な施設や祭具に感心はすれど、心改まるようには感じず、主観的には日頃の祈りと大差なしです。やはり私にはじっと祈るのは向いていないらしい。膝をついている間にやりたいことが次々と湧いてきてしまう」
『不要な時間』。
仮にも『狂信者』と呼ばれる人物が信仰する神様の祭壇への祈りの時間をそう表現していいものか、私にはわからない。
「まあ、今のこの世界の状況で『不要な時間』を堪能できるのはそれはそれで贅沢な話でしょうが。ある意味では、『自分にとって不要であったと確認できた』とも言えるわけですし」
『では、そのように』。
彼が祈りを終える時に呟いたのは、そんな言葉だった。
『祈り』を神様や自分自身との対話だとするなら、自分の中の迷いや決意を見つめるための時間だとするなら……それが『自分にとって不要だったと確認ができた』というのは、迷いも決意の確認も必要なかったということ。
「なんで、アタシなの。一度、事件で助けてもらっただけなのに……もっと親しい人や信頼できる相手なんていくらでもいるでしょ?」
「ええ、ですがまあ……なんとなく、あなたくらいの距離感の方がいいかなと。それに、クロさんの方がそこら辺ドライに受け止めてくれそうですし」
『自分と程よく距離があって、ドライに現実を受け止められそうだから』。
それが、依頼が私たち二人に向けたものなのに、アタシを名指しした理由。
他のもっと親しい人や優しい人なら、この瞬間に迷いのない彼に、それでも何かできなかったのかと後から考えずにはいられないから。
「……自覚ある? 最悪だよ、そういうの」
「クックッ、やっぱりですか? まあ、半分くらいそうかもなーとは薄々思っていたんですが、太鼓判を打たれてしまうとは」
そう言ってまた苦笑する。
アタシから文句を言われることも、なじられることも、全部わかっていてやっている。
自分がすることで起きる全てを当然のこととして、最初から結果まで受け入れている。
「では、最悪ついでに……祭壇の前で、ふと思い付いたことを。これも書いておけばよかったと封をしてから気付いたのでどうしたものかと思ったのですが、よく考えたら普通に直接伝えてもいい話でしたね。クロさん、よく聞いていてくださいますか?」
悪戯っぽい微笑みと共にそう言って。
アタシの耳元に口を寄せる。
そして……嘘偽りのない感情を込めた声で、囁くように、彼はこう言った。
『これからの主人公は、あなたたちです。いろいろと大変でしょうが、頑張ってください』
きっと、一生忘れられない。
不思議とそう思わされる、深くて静かな囁きだった。
「…………なに、それ」
「今の言葉を、どうか配達先の皆様へ。もちろん、あなたと虹色さんにもですが」
「……はぁ……本当に最悪だよ、アンタ。神殿が今どんだけ忙しいかわかってるの? それなのに、これからはいろいろと大変とか、そんなのさぁ……」
「クックッ、依頼料の値上げ交渉は想定していなかったので追加の袋はありませんよ? 配達の件、基本は虹色さん任せでもいいと思いますが……まあ、この言葉はあなたからの方がいいかもしれませんね。それから、依頼自体は『女神ディーレ神殿』へのものだと言えばまあ、納得してくれるでしょう。さて、そろそろオルーアンヘ戻らなくては、儀式の支度がありますので」
そう言って、杖をついて背中を向ける。
毅然と背筋を伸ばして、ちょっと格好つけるみたいに。
「では、雨宮さん。どうかこの先……明日も明後日も、お元気で。もしかしたら、運良く奇跡でも起きれば依頼を取り下げに来ることもあるかもしれませんし、その時はその時で、またお食事でもしましょう」
「そんな約束……なんで言えるわけ? 第一、アンタが上手くやったってさ……こんな、世界の終わりみたいなことになってるのに、明日なんて来るかわかんないじゃん」
「クックッ。明日は来ますよ、生きていれば必ず。それに……」
聖堂の扉を開いて喧騒と地響きの続く外の世界へ踏み出しながら、彼は振り返った横顔で強気に笑って言った。
「この世界は、そう簡単に終わりませんよ。私なんかより強い人が、たくさんいるんですから」
side 吉岡美森
『答えてよ。どうして僕たちは助けてもらえなかったの?』
高速空中戦の最中。
白昼夢のような真っ白な世界。
その世界の全てが変化したように、濁流のような泥が見覚えのある人々の形を得ながら襲ってくる。
たくさんの死者の手。
たくさんの怨嗟の声。
たくさんの過去が一斉に襲いかかってくる。
『魔法少女なら、ヒーローなら、どうして自分は助けてくれなかったのか』。
自分たちよりも死ぬべき人はいくらでもいるはずなのに、自分たちよりも悪かったり罪深かったりしても生きることを許されてる人もたくさんいるのに。
そんな、世界の理不尽の責任を問うような声が浴びせかけられる
それに対して、私は……
「そんなの……ずっと前から知ってるわよ」
迷わず、答える。
無数の過去の手を、ステッキで一息に薙ぎ払う。
驚いた顔のバロンくん……いや、その幻影。
彼に向かって、私は『当たり前の答え』を返す。
「私がヒーローならどうして助けてくれなかったのかって? そんなの決まってるじゃない。私はヒーローじゃないし、本物の魔法少女でもない。『ただの魔法少女のコスプレ女』よ、ちょっと岩を砕いたり転生者を殴り倒したりできるだけの」
私は『魔法少女ホワイト・ブルーム』そのものなんかじゃない。
私は『魔法少女ホワイト・ブルームにコスプレした吉岡美森』だ。それを忘れることなんてない。
そもそも、理想の自分と現実の自分が一致しないことへの懊悩なんて、それこそ若い内に済んだ話だ。
その上で、こうして三十路を前にしてもコスプレを続けていて、そのまま人助けをできる形でやり続けてる。それだけのことだ。
「難しい話じゃないでしょ? 溺れてる子が目の前にいて自分だけが救命胴衣を着てたら、自分が助けに行く。火事の中に取り残された子がいて、自分だけが防火服を着てたら自分が助けに行く。銃撃戦の中に取り残された子がいて、自分だけが防弾繊維の服を着てたら自分が助けに行く。そんな当たり前の話よ」
助けられる側を安心させるために魔法少女らしい振る舞いをして、虚勢を張って、必ず助けると嘯くことはよくある。
けど、私自身は『本物の魔法少女』なんかじゃない。
まあ、正直に言えば……やっぱり、転生してきたばっかりの頃は勘違いしてた時期も確かにあったし、それで正義の魔法少女な自分のやることは絶対に正義だって勘違いして、そりゃあもうたくさんの人に迷惑をかけてた。
けど、それももう何年も前の話だ。
「『助けなきゃいけない相手』だった時には、少しでも安心してもらうために『魔法少女』として接してたかもしれないけどさ……ごめんね、もう助けられないあなたたちには隠す必要もないから言うけど、本当に助けが必要な人を絶対に助けてくれる理想のヒーローなんて、現実にはいないんだ」
目の前で手が届いた人には『絶対に助ける』って嘘でもなんでも言わなきゃならない。
そうした方が本当に助けられる確率は上がる、安心して身を任せてもらえた方が助けやすくなる。
けど、それはあくまで手段の話であって信念じゃない。
……いくら強くたって、人間は理想のヒーローなんかにはなれない。
目の前の人は助けられても、目の前にいない人は助けきれない。それは何度も思い知ってきた。
だからこそ……
「だからこそ、コスプレ女でもなんでもいいから、目の前の誰かを、たとえ絶対なんて保証がなくても助けられる人が助けに行かなきゃいけない。そのために使えるなら三十路前にはキツいコスプレ衣装だろうがなんだろうが使うし、助けやすくなるならヒーロームーブもする。私が特別だからそうできるなんて話じゃなくて、みんながそうすべきことってだけなんだ」
まあ、その魔法少女のコスプレが楽しくてやってるのも否定はしないけど。
それでも私はヒーロー業を自分の使命や生業だとは思ってない。
趣味でヒーローやってるだけ、その趣味に人生を懸けちゃってるってだけだ。
「……ま、それで犠牲になったみんなに何も感じないってほど割り切れちゃいないけどさ。ごめんね、助けられなくて。私もいつか普通にそっち側に行くからさ、文句とか、あの時ああしていればみたいな反省会はその時まで待っててよ。それまでは……今だって、みんなのお墓参りは欠かさずしてるからさ」
勘違いして、間違えて、失敗して、後悔して、悩んで、上手く行かなくて。
それでも、動かなきゃ助けられない人たちはいて、とにかくがむしゃらにでも動いたから助けられた人もいた。
百点満点じゃないとしても、間違いなく0点ではない。
みんなの結果を重ね合わせて、失点を埋め合って、いつか世界全体で百点以上の結果を出せるやり方が見つかったなら、たとえ満点の道筋でなくたって、それが正解の形になる。
ズルくたって、屁理屈だって言われたって。
机上の空論なんかじゃなく、その積み重ねで本当に助けられた人の数が『諦めなくてよかった』って証拠になる。
私は理想のヒーローでもなければ、机に向かって頭を回せば『遠くて大きい問題』を解決できる賢い人でもないから。
そんな私にできることは、目の前の問題に向き合い続けることだけだ。
『そっか……そっかぁ……』
バロンくんや他のみんなの姿が消えていく。
もう救えない過去の幻影は、『ホワイト・ブルームが本物のヒーローなら助けてもらえたはずだ』なんてありえない空想を順当に諦めて消え去っていく。
そして……
「はっ、アーリン!」
私と同じように幻影に襲われていたもう一人を心配する私の呼びかけごと、過去からの手を薙ぎ払う灌木の杖。
そこから歩み出てくるのは、わりかし余裕の表情に見えるアーリン。
「まったく……よくも自分を殺したとか、ヒムロを赦すなとか。言うわけないでしょ、『森の民』の氏族ともあろうものが。だって、これまでにないデータが取れたんだから」
アーリンが、白昼夢の中の天上を指差す。
その瞬間、世界には夜空が創られて、そこに満天の星空が広がる。
「いいこと? 私たちの文明の目的は『約束の時』を最高の叡智を備えた状態で迎えること、約二千年後にやってくる本当の『2309』の年、一万年の歴史を結集した私たちの『答え』と呼べる最高の時代を手にして遥か彼方の新天地を目指して星の海へ飛び立つことよ」
星空が、背景の闇ごと落ちてくる。
白昼夢の真っ白な世界が、星の光を散りばめた夜空の世界に変わって、アーリンの指差す空の先に青い宝石みたいな『惑星』がはっきりと描かれていく。
「一万年の叡智で星を渡った方舟からこの大地に降り立った私たちの『生まれ直し』から、さらに一万年。万全の準備を整えた上で星の海へ飛び立って……そして、母なる女神がそうしたのと同じように、今度は私たちが次の一万年で自分たちの出した『答え』よりも優れた『答え』を出せる新たな文明の『母』になること。そのためには、新しい文明がどう成長してどんな問題と向き合うことになるかの研究データも必須。そんなことは、ちゃんと森の掟と共に育った森の民の氏族なら誰でも、子供でも知ってる常識よ」
アーリンは、目を見開いて言葉を続ける。
「『予想外の問題が起きた』ということは、『問題が起きる前に知っておくべき改善点が見つかった』ってこと。それを文明じゃなくて個人単位の責任問題として処理するなんて目の前の研究課題からの逃げでしかない」
アーリンは、見えない地面に杖を叩きつけて、泥の手を退ける。
テストに赤ペンで修正を入れるように、怨嗟を切り捨てていく。
「掟から離れた『派生文明』……その発展と干渉が私たちの予想を越える『被害』を出したということは、いつの日にか私たちが他の文明と接触した時に起こり得る問題への対策ができるようになったということなんだから。失敗だって得難い結果よ」
過去の手が砕けていく。
アーリンの語る『解釈違い』とのあまりの乖離に、形を失っていく。
「それを、これだけ有益なデータが取れたのに、延々と怨み言を愚痴るくらいなら、とっくの昔に氏族抜けしてたでしょ?」
残るのは、他よりも小さくて弱々しい泥の手だけ。
アーリンはそれを見て少しだけ嘆息しながら、躊躇いなく杖を振るう。
「まあ……まだ氏族抜けを選べない年齢だった子供たちには悪いと思うけど、それは森の民として生まれた者として、そういうものだと受け入れなさい」
一閃、一蹴。
アーリンに絡みつこうとしていた過去の手は、全て切り捨てられた。
私とは違う形で。
『なんでなんでなんでなんで……』
残るのは、頭を抱えて問いを投げ続ける羽飾りの少女だけ。
それに対して、アーリンは一歩前へ出て堂々と言い放つ。
「人生に『納得できる答え』なんてものが出ると思ってる限り答えなんて見つかりゃしないわよ。いつだろうとどこだろうと、人間に『納得できる死に方』なんてない。だからこそ文字通り、本当に死ぬほど信念貫いて、最期まで自分の『生き様』に納得できるようにするしかない。もしも死んでからグチグチ言うやつがいたなら、それはそんな簡単なことに気付けないまま、そんなわかりやすい答えを実践できない内に一生を終えた未熟者だったってだけの話よ」
『過去』を起点にした『なんで』という問いかけそのものへの全否定。
白昼夢の世界が砕けて消えていく。
『キュィイイイイイ!!』
高速飛行の世界に戻った途端、激昂するように叫びながら突撃してくる青銅の怪鳥。
アーリンはそれを見て、私に問いかけた。
「『何十秒か衝撃波さえどうにかできればいいんだっけ? なら掴まって!』」
アーリンの乗る木組みのドラゴンの急旋回。
その過程でアーリンの手が直接私を掴んで、ドラゴンの頭の上に伏せさせる。
そして……
「【クドリャフニクの靴舟】」
木組みのドラゴンは、瞬間的に『光』に変わった。
超音速の領域をさらに超えて、慣性もなにもないような急激な軌道で青銅の怪鳥の真下に回り込んで、その腹を捕らえて同じ光に包み込む。
そして、そのままさらに上へ加速した。
「上へ参りまーす!!」
空から、さらに上へ。
大気中から、青空の向こうの闇へ。
その中で、アーリンはさらっと私の腕に呪紋を刻む。
「はい、【宇宙服の呪紋】。これでしばらく空気なくても平気だから安心してぶっ放しちゃって」
「えっ、ちょっと! 『宇宙服』って……」
そこで、光の移動が唐突に終わった。
青銅の怪鳥が慣性力で前方に飛び出す。
闇空の中。
怪鳥は不意の突進への反撃をしようとするように尻尾を振り回して衝撃波を発生させようとするけど……鞭のような鎖の尻尾は、無音のまま宙をかいて怪鳥自身に激突する。
『空気がなきゃ、音の壁から衝撃波を生み出す事はできないでしょ?』
『────!?』
衝撃波の護りが消えた。
精神攻撃の音波も、空気がなければ伝播しない。
それに気付いて無重力の中で無茶苦茶に藻掻いて、青銅の羽根をばら撒き始める怪鳥。
けど、アーリンはスペースデブリとして飛んでくる羽根を避けて、念話で叫ぶ。
『ライカ! ちょっとそいつ捕まえておいて!』
直後、星の光に満たされた闇空の空間から飛び出すように伸びた何十もの腕のような、それも粘土なのか金属なのかもわからない材質のアームが暴れる怪鳥を掴んだ。
『──ッ!?』
『さ、魔法少女さん。今のうちに』
『え、ええ。わかった……【ベーシックフォーム】!』
『知は刃なり《ページエッジ》』から『基本形態』へのフォームチェンジ。
単純に攻撃出力なら追加フォームよりも上の姿で、全力でステッキを振るう。
『スター・ブレイカー☆ フルパワー!!』
『────!? ────!!』
音のない宇宙空間を走る光弾。
その直撃を受けた怪鳥はその身を捕らえていたアームに投げ出されるように『下』へ飛んで、落ちていく。
そして、大気圏突入で発生する断熱圧縮の赤い熱波に覆われながら私の攻撃で胴体に穿たれた傷のひび割れが全身に広がって……
『────────!!!!!』
炎上しながらの大爆発。
打ち上げに失敗したロケットの墜落のように青銅の羽根を海へ散らしながら、最後に『ドン』と軽くお腹に響く衝撃波を放っての四散燃焼。
そして……その爆発の光に照らされて、一瞬だけアーム以外の部分も見えたのは……闇空に浮かぶ巨大な缶コーヒーみたいな円筒状の物体。
たぶん、宇宙空間の闇に隠れる保護色みたいになっていて一瞬しか見えなかったけど……見たこともないそれは、私の知識で一番近いものを選ぶなら……
『アーリン、今のって……人工衛星……ていうか、スペースコロニー……?』
『うーん、ちょっと違うけど、まあ似たようなものかしら。私たちは【スプトライカの筒舟】って呼んでる神器だけど』
【スプトライカの筒舟】。
海や河を進む『船舶』の形じゃなく、完全な円筒状の舟。
もう星空に隠れて見えなくなってしまったそれを見上げ続けながら、アーリンは続ける。
『確か、ファラオ様のところとの講和条約成立から千周年の記念でパーツ打ち上げて宇宙で組み上げたやつらしいから、製造は二千年前くらい? 元々は反物質とか細菌系とか地上でやるのは危なすぎる実験で使うための「浮き島」なんだけど、今ではわざわざ宇宙空間でやりたい実験もほとんどないし、実験室としての仕事はちょっとご無沙汰かしら』
『は、反物質……?』
『ま、最近は王朝さんに打ち上げ実験とか隠すの手伝ってもらえなくなって下手に往復できなくなったから、セルフメンテの持続実験を兼ねてここ二世紀くらいは無人待機で放置してたけど。まだまだ元気そうね』
『二千年前に打ち上げて、二百年前からは無人で放置している人工衛星の神器』。
さらっと口にされたそれにクラクラしそうになるけど、同時に納得する。
私が刻まれた『宇宙服の呪紋』。
これは『生身で宇宙空間に出られるようになる魔法』だ。
宇宙空間という概念を、そして、そこへ飛び出す手段を前提にしないと絶対に発明されることがない魔法だ。
『森の民』の魔法技術の一部は中央側の技術を超えてる部分があるっていうのは認識していたけど、これは……
『さすがに強引にあなたの記憶消すのは難しそうだからしないけど、その代わりみんなには内緒よ、魔法少女さん。一応、氏族の中でだって伝承権限が低い人は存在すら知らない神器なんだから』
『いや、そんなこと言われても話と状況についていけてないし……記憶を消すって……ていうか、これだけのものが造れるなら地上でももっと技術を使った生活できるんじゃない?』
『いやよ。だって、まだ戦争をやめられてないガロム人が異世界の科学とか関係ない技術だけでも「こういうの」が造れるって知ったら、絶対に正しく扱えもしない内から戦争のために使い出すに決まってるもの。せっかく今は異世界を真似るのに必死で気付かずにいてくれてるのに。第一、過干渉で技術や価値観が混ざり合ったら「異文明」としての研究にならないじゃない』
そう言って、アーリンは呆れ顔で肩をすくめてみせる。
『それに、未だに「戦争」も「競争」も社会構造の前提から外せてない段階の幼年期文明には、下手に生態系崩壊とかに繋がる危ない技術とか流せないしね。そのために、専門的な研究基地は海外へ移して、氏族抜けする同胞には記憶処理の秘薬まで使ってるのよ?」
『…………』
『まあ、ガロム人が「旧都」って呼んでる神殿は儀式に必要な地理条件だけじゃなくて宗教施設と文化財って意味でもそれはそれで重要だから私たち十二氏族の直系が代表として代々維持してたけど……秘匿範囲の技術情報を持ってて記憶処理をしてない氏族メンバーが生きたまま捕まった時にはさすがに焦ったわね。いきなり死なれると失伝技術の復旧に時間がかかる口伝の持ち主も混ざってたし』
そう言って、アーリンは木組みのドラゴンの額の上に腰を下ろして眼下の世界を……『ガロム文化圏』というここからなら視界にすっかり収まってしまう世界と、宇宙からでも視認できてしまう大地の女神と人類の衝突を眺める。
『それにしても……こうやって見ても、なかなか壮観というか、壮絶で大変そうねガロムの人たちは。こういう万が一の「文明リセット」に巻き込まれたら困る金属系の研究とかはもう二百年前から全部海外の方に移してあったからいいけど、信仰上の都合で神殿から簡単に離れられない人はそうはいかないから……でも、ジャネットのおかげでそういう人たちもちゃんと事前に安全な海外へ避難させられたし、あの子には本当に感謝だわ』
『さっきから言ってる「海外」って……』
さっきのアーリンが口にしていた『ファラオ様との講和』という言葉から思い浮かぶ『海外』と呼べる概念……『異教大陸』と呼ばれる、一つの海を越えた先の世界。
ガロムの人間が基本的に『ないもの』として扱っている、なにも、本当の文明レベルすらも『知らない』、知らないことすら知らない隣の世界。
思い返してみれば、この十六年生活してきたこの世界では『何故か』誰も話題に出してこなかった、存在は知っていても詳細は誰も知ろうとしなかった『ないもの』として扱われてきた情報……認知の死角。
『宇宙』や『海外』という広い世界との繋がりを当たり前として語る『進んだ視点』を持ちながら、ガロムの人間から『原始的で遅れている民族』と認識されることを厭わないアーリン。
何千年という歴史を持つ『森の民』は、少し遠くなった青い星に尊敬と崇拝の念を込めて目を伏せる。
『魔法少女さんも、「聖典」の力がなくなった今ならちゃんと見えてる? まん丸で、輝いてて、綺麗な私たちの女神様。巣立ちの時が待っているとしても、穢しちゃいけない……星の海へ飛び立つにしたって、その準備で急いで、焦って、競い合うなんて……そのために土を掘り起こして森を焼くようなやり方は女神様が悲しむわ。ちゃんと大事にしていれば、少なくとも次の氷河期まで……たとえ、ガロム人が今年からやり直して一万年を歩み直すとしても充分なくらい、大体あと一万三千年くらいは健やかに暮らせるみんなの家なんだから』
そう言って『木組みのドラゴン』を撫でるアーリン。
無機質な金属で組まれたロケットじゃない、転生者の持ち込む『現代技術』の後追いじゃない、独自の技術で作られた『宇宙に飛び出せる乗り物』を自慢するようにしながら、彼女は語る。
『森の寿命も大地の寿命も無限じゃないし、人間が生きられる環境が続く時間はもっと短い。私たちはそれが終わる前に次の星へ種を撒くために巣立たなきゃいけないけど……それでも、ここまで八千年、ゆっくりじっくり丁寧に進んでも、ちゃんとここまで来られた。綺麗な星を損なわず、綺麗なまま外から眺められるようになった』
きっと、地球で最初の宇宙飛行士が見たものよりも綺麗な青い星を眺めながら。
世話の焼ける弟が勇気を出してお母さんに謝ろうとしているのを微笑ましく見守る成人間近の姉のように、遠い戦場を穏やかに見通す。
『掟を、大地を、森を、変わらない神様の愛を信じてきたから、迷わず次へ託し続けられた。託され続けてきたからちゃんと、進んで来られた。だから、私たちはこれでいいの……巣立ちの日まで、大地は変わらず私たちを支えてくれる。「いつ突然に世界が終わるかわからないから一日でも早く、少しでも高く飛べるようにならなきゃ」なんて考えなくてもいいし、そのために使える技術全部を常に使わなきゃなんて、そんな発展に振り回されるような生活なんてしなくてもいい』
そう言ってから、アーリンは流暢に諳んじる。
多分、ラテン語の原語そのまま。
二十一世紀の地球で宇宙開発の象徴として用いられていた言葉を。
そして、語る。
『「苦難を乗り越え星に至る」……戦争も競争もなくたって、星空への使命とロマンさえあれば私たちはいくらでも前進できる。私たちの「神器」は女神様や森の神々から与えられた奇跡の再現であると同時に、それができるようになったって前進の証として神様に捧げたもの。武器にも使えるとしても、武器として作ったものじゃない。どんなに兵器として強くても、神器で人間同士が殺し合ったり、神器のために殺し合ったりするのはダメ』
『まあ、それはそれとして技術研究の一環として戦士同士でバトるのはありだけどね?』
そう言って軽く舌を出してから、内緒話というように唇に指を立てるアーリン。
彼女は、一粒の『ガリの実』を取り出して口づける。
『どんなに顎を鍛えた人が食べても必ず固く感じ、どうやって調理しても決して美味しくなることはなく、けれど、それさえあれば飢えることはない』。
そんな不思議な樹の実に心底感謝するようにしてから、それを口に入れて頬張り、微笑んでみせる。
『私たちの「神器」は、遠い昔に女神様から手渡された愛の種をちゃんと育ててきた証。だから、大切なものとして磨いて、大切な宝物として受け継いで、大切な目的に必要なだけしか使わないの。普段はみんなで協力すればちゃんと健やかに生きていけるようになる分だけ使えれば、それで十分なのよ』
ちなみに、『森の民』と『ガロム中央会議連盟』がガチの戦争をしたら概ね『プロサッカーチーム11人vsサッカーのルールをよく知らない小学生100』みたいな絵図になります。
とにかく前線を向こうへ向こうへと押し込もうとするガロム人側に対して、『森の民』は『相手が悪者だから倒す』みたいなプロパガンダじゃなくて『この戦いの原因はこれ』を全体共有して動くので(その分いきなり相手が非合理的な理由で奇襲してきた時には対応できず撤退しますが)、基本的にアーリンさんがアオザクラさんを無力化した時みたいに要人の暗殺で終わらせます。
強者と正面からやりたがるアーリンさんはちょっと特殊性癖な部類というか、『森の民』の中でも(クロクヌギには比較的多いですが)ちょっと変態。
みんながみんな達観しきってるわけでもないので(というかアーリンさんが求道者の類なので)、さすがに他の『森の民』が今回のアーリンさんの発言を聞いたら、『いや、さすがにいきなり殺されたらちょっとくらい文句言いたくはなるだろ』とツッコミが入ります。




