第724話 不戦のための戦い
side アンナ・エルフ・キティ=ダグブック
わたしは、自分がいつから存在していたかをよく憶えていない。
ただ、生まれたのが森の中で、いつのまにか一本の樹に住んでいて、自然のままに……『妖精』らしく、特別な何かが起きることもなく穏やかで平和な時間を永く過ごしていたのは憶えている。
そして……いつしか、その森には人間が来るようになって、木々が切り倒されて、運び出されて、森じゃない場所が広がって。
わたしの住んでいた樹も同じようにされた。
切られて、運び出されて、さらに切られて、削られて、打ち付けられて、家を建てるための材料になった。
わたしは、その行為を怒ったり恨んだりってことは考えなかった。
それもまた、世界の営みの一つだから。
怒る必要があるとしても、それは別の妖精の仕事だから。
私は、世界で起きることをただあるがままに見守るだけの妖精だった。
ただ樹と共に発生して、その一生の始まりから終わりまでを見届けて世界に還るだけの微風みたいな神秘だった。
やろうと思えば少しくらいは奇跡を起こせると生まれた時からわかってはいたけど、それが必要だと感じなかった。
『命』は生まれて、生きて、生き終わるもの。
嵐で倒れるのも、病気で腐り落ちるのも、斧で切られるのも、大きな違いはない。
永遠に生き続ける樹はないし、永遠に続く日々もない。
だから、わたしは妖精らしくその変化を受け入れていた。
木材になった樹と一緒に人間の町に運ばれて、家に組み込まれて、けれど樹はまだ生きて呼吸を続けていたから、その息吹みたいなものであるわたしもそのままその家に住むことにした。
そこでは妖精が生き続けるのは難しくて、自分がいつか薄れていって消えてしまうこともわかっていたけれど、特にそれを悪いことだと思わなかった。
全てに満足していて、生きたいとも死にたいとも思わないくらいに執着するものがなかった。
『普通の妖精』なんて、そんなもの。
絵本に出てくるような個性的な悪戯者とか地方では崇められたりする子もいるけど、そうじゃないわたしみたいな子は本当にささやかな微風みたいなもの。
そこに存在することすらほとんど意識されることなく、大きな役割も目的もなくそこに在って、いつしか誰からも忘れられて消えていく。
そのはず……だった。
ただ……
『そこに……誰か、いるの?』
時々、そんなわたしみたいな名前もない、なんでもない妖精でも認識できてしまうような、『視える子』がいる。
あの『屋根裏の家』に引っ越してきたあの子は不思議とわたしとの波長が合ったらしくて、消えかけのわたしの存在に気付いて、声をかけてくれた。
『私、今日からここに住むことになったの。よろしくね』
消えかけのわたし前に現れて隣人となった少女……彼女は、いろんなことを教えてくれた。
外では何年も戦争が続いていること。
それで彼女や家族の人たちは人間の軍隊に追われてて、見つかったら捕まって収容所へ送られてしまうこと。
だから、外国に逃げたふりをして『隠れ家』に移り住んできたこと。
絶対に見つかってはいけない彼女は、音を立てないように生きなきゃいけなかった。
だから、わたしとの彼女の会話は日記を使った。
彼女はわたしに『キティ』という名前を付けて、家族にも怪しまれないように日記の中だけの架空の友達という形式で語りかけてくれた。
いつしか家の材料になった樹じゃなくて日記帳に『棲み家』が移っていたわたしは、それまでの微風みたいなぼんやりした自分が信じられないくらいに楽しくて刺激的な毎日を『生きる』ようになっていた。
『ねえ、知ってるキティ? この前、ラジオの人が言ってたの。この戦争が終わったら、子供の書いたお話を集めて本を作ってくれるらしいの』
彼女は、物語を書くのが好きだった。
聖書や神話の話も好きで、あらゆる人が戦争で心をすり減らしていくような時代の中でも、未来を想って、前を向いていた。
『私、戦争が終わったら絶対に作家になるわ。もし私が有名になったら、キティはその記念すべき最初の読者になるわね』
彼女は『旅の話』を書く好きだった。
あの狭くて暗い隠れ家の中で……あの日記帳の中で、わたしにたくさんの『旅』をさせてくれた。
わたしが自分の思い出を語れないことを、永く生きていたはずなのに旅と呼べるようなものも思い出もなにもないのが申し訳ないくらいで。
そんなわたしにできることは、せめて彼女とその家族が誰にも見つからないように隠れ家に魔法をかけることだけだった。
『今、何か音がしなかったか?』
『確かに聞こえたぞ! そこに! って……なんだ、猫か。紛らわしい』
すごく簡単な、『人払い』の魔法。
名前をもらって少しだけ存在は濃くなったけど、それでも結局は大した力もないような消えかけの妖精でもなんもかかけられる、本当にささやかなおまじない。
存在を削りながら、彼女とその家族を探す兵士から、泥棒から、誰からも見つからないようにするための結界。
『キティ。私、この戦争が終わったら……』
どうか、この戦争が終わるまで。
『ねえキティ。外に出られるようになったら、一緒に……』
どうか、彼女が隠れたりせずに外に出られるようになるまで。
『キティ……いないの? キティ?』
どうか、どうか、どうか……あと、ほんの少しだけ。
この戦争が終わってくれるまで……外の世界が、わたしの大切な友達が生きることを許してくれる優しい世界になるまで。
彼女が夢を叶えて、素敵な物語を描ける作家になれるように……まだ、わたしが隠し続けてあげなきゃ……
『出てこい! このユダヤ人共が!』
『まさか、本当にこんなところに二年も隠れてたのか? 今まで見つからずに?』
ああ……まだ、もっと一緒にいたいのに。
まだ、消えちゃいけないのに。
まだ、彼女を隠し続けなきゃいけないのに、戦争が終わってないのに……もう存在を、保てないなんて……
『キティ……今まで、ありがとう。ごめんね……』
『なに喋ってる! さっさと歩け!』
お願い……どうか、どうか。
わたしの友達を、つれていかないで……
「キティさん……あなたに、新しい世界に転生する発生しました。本来は人間を対象にしたシステムなので、特例として妖精から人間への転生となりますが……それでもよければ、あなたは第二の生を歩むことができる」
気付けば、わたしは森の神様の前にいた。
わたしの発生した世界のママとは違うけど、大きくて強くて優しいママ。
死んだ人の魂を招き入れて転生者にしてあげている、異世界のママ。
『……なんで、わたしなの? わたし、人間じゃないよ?』
自分が力尽きて消えたことは理解できていた。
彼女を護りきれなかったことも、本来は『妖精』に第二の生なんて必要ないことも。
けれど……
「……これは、人間の記す歴史には刻まれないことですが、あなたには知ってほしい。あなたが守り続けた『彼女』が、世界を救いました。あなたから見れば未来の話ではありますが、確かな史実として、彼女は人類史の可能性を確かに未来へ繋げたのです」
そう、言われた。
真っ直ぐに、嘘や誇張なんかじゃないっていうのを伝えようとするように、真剣に。
「『西暦1962年』……あなたの知る第二次世界大戦と呼ばれる大きな戦争の十七年後に発生した『第三次大戦』は核戦争に発展し、人類史はその年で終わりを迎えた……はずでした。確率にして言えば、99%を超えるほぼ確定した運命として、そうなって然るべきだった」
妖精のわたしには関係ない、人の歴史の話。
けれど、ママの語るそれは……
「しかし、その大戦を止められる唯一のタイミングがありました。そして、そのタイミングで……外交上で重要な立ち位置にあったとある人物が行った『勇気ある選択』により、第三次世界大戦が回避されるという『1%未満の奇跡』が発生します。いいえ……もっと厳密に言えば、『世界の辿る未来の可能性』の内、そのほとんど全てが途絶の渦へ呑まれる中で、ほんの一握りの世界線だけがそのルートを回避することに成功し、無意味化を免れることができる『1963』以降へ繋がるルートを開拓した」
……それは、人間が過去を振り返ることでしか語ることができない『歴史』とは違う、神様の視点からの歴史。
そして、その視点からしか観測できない『誰も知らない奇跡』の話だった。
「人間の歴史観……『後世』から振り返れば、それは単なる『史実』、剪定された『枝』と残され大きく伸びた『幹』の分岐点に過ぎない。しかし、それは過去を振り返る未来があってこそ当たり前のように認識されるだけであり、可能性の俯瞰図においては眩く稀な『奇跡』の瞬間です。人類史はより遠く、より永く継続可能な航路を確立し、未来へさらなる枝葉を広げた。それは、言わば人類史を有意化させる上での必須事項とも呼べる事象を刻んだに等しい偉業となります」
一つの滅亡を防いだ奇跡。
その先の人類から見れば、自分たちが生きている以上は過去のそれは『起こるべきして起きたこと』でしかないけれど、それがなければそもそもそれを歴史として振り返る人間がいない、そんな特異点。
そして……
「そして……『勇気ある選択』によってその奇跡を起こしたその人物が、その選択に踏み切れるかどうかの分岐点。『99%の剪定された世界線』と『1%の継続した世界線』をわけた条件が……その人物が、それまでの人生の中でとある一冊の本を読んでいたか否かでした」
なんでそんな話をわたしにするのか、その瞬間までわたしにはよくわからなかった。
けれど……ママが口にした『世界を救った本のタイトル』を聞いて、わたしの心は驚きに染まった。
「そう……あなたが守り続けた彼女の書き続けた『日記』が、戦争が終わった後の時代に、知らない人がいないくらい有名な本として世界中で読まれることになった。そして、その感動は多くの人の心に影響を与え……人知れず、世界を救うことになる。その選択をした本人は個人的な感傷だからと記録に残すことはなかったから、人の語る歴史には載らない。それこそ、神のみぞ知ることができる分岐点であるとしても……間違いなく、彼女は世界を救ったの」
事務的な神様としての言葉じゃなくて、人間みたいな感傷を込めた言葉。
けど、だからこそ、そこに込められた想いは強く伝わった。
「その『人知れぬ偉業』への対価として、現世での営みを終えた彼女の魂には、様々な報償が提示されました。平和な時代に思い通りの条件の両親に、なりたいと願えば世界一の大富豪の娘や本物のお姫様になることも可能な権利を含め、様々な特典が提示された……そして、彼女が選んだのは、『あなたの転生』でした」
『どう……して……?』
「『旅の話』に憧れていたあなたが、自分の足で広い世界を旅できるようにと。自分が日記を書き続けられたのはきっと、あなたのおかげだからだと」
わたしは、彼女に『人払い』のことを話したことはなかった。
自分の存在を削りながらみんなを隠し続けてるって言ったら、きっとやめてって言われるから。
だけど……
『気付いて……わかって、くれてたんだ……』
わたしが隠してたのは、彼女だけじゃなかった。
彼女の家族も、あの隠れ家のみんなを隠してた……だから、彼女も気付いててもやめてなんて言えなかった。
けれど、わたしが守っていたのがわかって、感謝してくれていた……それがわかっただけで、十分に報われた。
「……本来は、『妖精』であるあなたの転生というのは偉業への報償としての要望であっても難しい条件です。けれど、近しくも異なる世界の神であると同時に……『あの時代』に、あなたと彼女が切り拓いた新たな航路の先に生まれた者として、私はその願いを無下にしないため、あなたの受け入れ先としてこの話を受けました」
異世界の『森の神様』は、わたしに手を差し伸べる。
大きくて強くて優しい神様であると同時に、わたしに感謝と敬意を示すように。
「決して、平和で住みよい世界とは言い難い世界です。それどころか、転生者として現世に降臨するだけで戦争に巻き込まれる可能性は非常に高い。けれど……あなたにその気があれば、きっと色彩豊かな『冒険』ができる世界であることだけは約束できます。『彼女』への土産話を作りに行くつもりで、生まれ変わってみませんか?」
そうして……わたしは、ママの提案を受けた。
種族を『人間』に変えてもらって、彼女の名前から付けてもらった人間としての新しい名前で自分の存在を固めて、妖精だったことや彼女との思い出も忘れないように名前に付け加えて『アンナ・エルフ・キティ=ダグブック』になった。
それから、弱っていく彼女や彼女の家族を見ていることしかできなくて、元気してあげられるだけの魔法が使えなかった後悔から、転生特典として『弱ってる誰かを、弱る前よりももっと元気にできる能力』をもらって、人間として現世に降りた。
それから……わたしは、自分の足で『旅』をした。
人の食べ物を味わったり、失敗したり、努力して強くなったり、いろんな初めてを知った。
精霊やヌシたちと友達になった。
冒険者として一緒に旅をしてくれる仲間ができた。
シアンちゃんという、可愛い妹分までできた。
人間としての旅は、想像と違ったこともたくさんあって、けれど想像もしなかったような景色もたくさん見ることができて。
戦争の時代で、確かに嫌なものもたくさん見てしまったけど、その中で輝くものを見つけたりもした。
そして……
『ごめんね、ママを助けに行かなきゃ』
わたしをこの世界に受け入れてくれたママを罠にはめようとする人たちがいた。
それをどうにかしようと戦って、『名無しの槍』の攻撃が頭に当たって、でもママからもらった能力で……ママが邪神になって変質し始めてた癒しの力で自分を治しながら戦い続けて。
それで……
『はあ、はあ……うぐっ……』
『キミは……! 大丈夫かい!?』
必死になって、旅の中で得た全てを使って抗って、暴れて。
夢中でそうしている内に、ママを守るための戦いはいつしか終わっていた。
その戦いの中で『名無しの槍』に殺されかけたわたしは妖精界を通じて、過去に行ったことのあるどこかへ、転がり込むように逃げ込んでいた。
そして、転がり出たそこは……よく歳を取った『売れない画家』のアトリエ。
『名無しの槍』に頭を突かれて『表の名前』で知り合ったみんなからはすっかり忘れられてしまっているだろうと思っていたわたしを憶えていた転生者。
私は彼が描いた私の絵との縁に引っ張られて彼のアトリエへ転がり込んだらしかった。
『私のもらった力は、絵に心や魂を乗せられるものだからね。一度でも心を込めて描く絵のモデルになってくれた子なら、絵を見る度に鮮明に思い出せるとも』
彼はわたしに手当てをして、話を聞いてくれた。
彼も、手当てをしながら、あの後世界がどうなったのかを教えてくれた。
そして、ママが何年かしたらきっと怒ったまま目覚めてしまうってことを話すと、彼は決意を固めるように目を瞑った。
『そうか……なら、人間同士で戦争を続けている場合じゃないな』
『作品に心や魂を刻み込む』……絵描きになりたかった彼がママからもらった転生特典。
彼は、その能力と魂を全部使って、人間同士の戦争を終わらせた。
けれど、それからわたしは……
『はあ、はあ、はあ……』
額の傷からこぼれ落ちるように、日に日に頭の中の何かが壊れていく。
そして、その代わりに湧き上がるのは強烈な憎しみ。
ママにもらった人間としての肉体と力の変質。
それだけじゃなく、致命傷を受けた後も無理やりママの擬似権能で命を繋いで動き続けたせいもあって、ママの邪神化の影響は日に日に強まっていった
いや……それも、きっと単なるキッカケでしかなかった。
だって……その感情は、いけないと思って抑えつけていただけで、本当はわたしの中に最初からあったものだったから。
『人間』への恨みと憎しみ、そして『戦争』への怒り。
いつまで経っても終わらない争いが憎い。
いつまで経っても戦いをやめられない人間たちが赦せない。
戦争を前提とした醜い文明が嫌いで嫌いで仕方ない。
いつしかわたしは、『妖精』だった頃のように何も考えずに世界を揺蕩うか、人間たちの作った醜い文明の終わりのことを考えるかしかできなくなっていた。
ママが一日も早く目覚めて人類が二度と戦争なんてできなくなってしまうことを願って、そのために行動するようになっていた。
そして……
「邪魔しないでよ!」
『グルァアアッ!!』
ママは目覚めて、この人間たちの文明に終わりの時が来た。
発展という名の傲慢で切り拓かれた森を元に戻すためのママの権能が広がるのを邪魔する人間たちに少しでも早く戦いをやめさせるために、わたしもブラリーとコットンの力を借りて前線に立った。
なのに……『こいつ』に、邪魔され続けてる。
「ブラリー! 鍵を使う! 遠くへ跳んで!」
『妖精界』を通じた移動。
夢の世界と忘却の世界の間をすり抜けて、縁を手繰り寄せて別の場所へ出る妖精の裏技。
この百年以上、ずっと世界を歩き続けてきたわたしに行けない場所なんてないに等しい。
なのに……
「出た! ここで……育て!!」
『グルァアアッ!!』
さっきの場所から地方領をいくつも跨いだ別の街。
ママの力でそこら中に権能が浸透した若木が生えている今なら、深い森の中じゃなくたってどこでも無条件に『歩く森』を生み出せる。
ほんの数十秒もあれば、街一つ潰して『歩く森』を生み出せるのに……その数十秒が、ない。
さっきの場所はずっと遠くなのに、『こいつ』もすぐに一番近くの転移地点から駆けつけてくる。
普通の人間ならその転移地点への移動だって数十秒くらいじゃ到底足りないのを無数の『肢』の組み替えで高速移動に特化した姿に変形することで、たった数秒に圧縮して間に合わせてくる。
しかも……
「ブラリー! 構わず暴れて!」
狙った通りの規模まで育たなかった『歩く森』を壁にして、時間を稼ぐ。
そして、その僅かな時間で……
「いや……誰か、助けて……」
足下からこちらを見上げる、まだ十年も生きていないであろう女の子。
まだ、戦争に関わってもいない、汚れてない子供……けれど、いつかは大人になって穢れてしまう、妖精と友達になることもできなくなってしまう『人間』。
「戦争をする人に……穢れた大人になる前に、大地の中へ還って」
ブラリーとの繋がりを通じて、思念を送る。
こちらを見上げながら、縋るようにヌイグルミをぎゅっと抱きしめる女の子を大地の中へ押し込むために足を上げて……真っ直ぐに落とす。
次の瞬間には、少女は大地の一部に還るはずだった。
それが……
『グゥウウ!! そんなことは……させない!!』
大怪獣の踏み付けが、絡み合った『肢』の網のような屋根に受け止められる。
その女の子だけじゃなく、街全体が……あっという間に薙ぎ払われた『歩く森』の残骸までも全部受け止める肢の網で護られて無傷のまま。
絶対に偶然なんかじゃないし、やろうとしたってできることじゃない。
町中に突然現れた大怪獣と、それに匹敵する巨体のぶつかり合いなんてどうやっても被害が出るのが当たり前だ。今のわたしたちから見たらあまりに小さな人間なんて、存在にも気付かずに踏み潰してしまっても何もおかしくないはずだ。
なのに、こいつは自分の無数の『肢』の踏み場さえ器用に人を避けて傷付けないようにしている。
それどころか、建物の破壊や瓦礫で傷付くはずだった人まで、一人残らず完璧に守り抜いている。
『こいつ』が出てきてから、ずっとそう。
どんなに移動しても、『歩く森』を生み出しても、暴れようとしても。
誰も死なない。
誰も、殺させてくれない。
そして……
「そんなに邪魔してくるなら! わたしと戦いなさいよ!!」
ブラリーに怒りの思念を伝えて、コットンの骨に魔法を込めて、全力で殴りつける。
本当に全力の全力で、『こいつ』だって無傷じゃ済まないのはこれまでのやり取りでわかってるのに……
『グッ! ガッ! グルルゥ……それで、満足か?』
「そっちだってやり返せばいいでしょ!! 戦えばいいでしょ!!」
避けもしない、受け流しもしない、反撃もしない。
こっちがどれだけ暴れようとしたって足下の人間たちは完璧に守って誰も傷付けさせないのに、自分だけは守ろうともせず自分からこっちの攻撃を受けに来る。
「どうして!? それだけ『戦うための力』を持ってる癖に!! 何百年経っても何も学ばない、醜い争いも戦いもやめられない人間の癖に!!」
『グルル……どうして、か……本当に、「どうして」だ。「ここまで世界が荒れるまで何もせずにいたのに、どうして今更になって」……そう言われたら何も言い返せない。グッ、ゴァッ……俺だって、もしも、人間の世界がどうなってるのかがちゃんと見えていたらすぐに戻って来てた……後から悔いても今更でしかないのがわかっていて、それでも「知らないことすら知らなかったこと」を死ぬほど後悔したさ』
攻撃を続ける。
力も魔法も手加減なんて抜きで、新たに怪獣化させた樹木も全部ぶつける。
けど、人間に向けた攻撃は完璧に防ぐ癖に、自分の身だけは守ろうともせず全てをその肉体で受け止められる。
『だが……少し前、狂信者の足音と声が聞こえて来たんだ。地の底まで、地獄まで。あいつのものとは思えない、女みたいな、泣きじゃくるような声だったが……確かにあいつのものだってわかった。それも、人間としてのカタチを捨ててまで持て余すほどの力を手に入れながら仇を討ち損ねた俺と近い何かを感じる叫びだったんだ。それで、現世であいつがそうなるくらいの何かが起きていることに気付いた』
わたしの攻撃に怯むこともなく、罪悪感に沈むように目を伏せる。
人間のカタチを捨てた姿のはずなのに、その表情は人間としての顔貌の変化よりも明瞭に感情を表現していた。
『きっと、俺が止めなきゃいけなかった。全てを捨ててでも得た復讐の力で結局復讐相手になにもできなかったあの時の俺と同じだったから……その行き場のない激情を受け止めてくれたあいつの心を、今度は俺が受け止めるべきだった』
「くっ! このっ!! 戦えっ!!」
『俺があいつを助けて、恩を返すのがきっと正解で、物語としても一番綺麗だった。そうできるだけの力もあった……だが、助けに行けなかったんだ。いや……行かなかったんだ』
『肢』が絡み合って、大怪獣を抱き留められるだけの腕になって、絡みついてくる。
拘束から抜けるために『肢』をいくらか引き千切るけれど、敵はそれに怯みもしないでさらに絡みつく『肢』を増やしてくる。
『地獄を進んで、今の俺でも嫌になるほど苦労して、もう少しで本当の「神格」に至るって感覚でわかってきたところでそれが聞こえてきて、思わず迷っちまってさ……そうしたら、迷ってる内に全部終わったらしい気配になった。その瞬間、心底後悔したよ……今も後悔し続けてる』
「なら!! どうして!! 助けるべき相手を見捨ててまで神様になろうとしておいて、なんで今更になって!!」
『ああ、本当に「今更」だ……だからこそ今、今度こそ間近に迫った神格も全部投げ捨ててお前を止めに来た。狂信者にも、俺がもっと早く動いていれば傷付かずに済んだたくさんの人たちにもなじられて当然の選択だってのはわかってる……けどな、そんな「今更」だからこそ、決心がついたんだ』
『妖精界』を利用して拘束をすり抜けて消える。
次の場所は、ずっと遠く、うんと僻地の村。
あっちが使ってる転移地点もすぐ近くにはない、ほんの僅かな村人たちが嵐や地震に怯えながら身を寄せ合っているだけの場所。
移動して、すぐさま何も考えずにブラリーの爪を振り下ろす。
どんなに殺せる数が少なくても、戦略的な価値がない場所の戦力にもならない人間でもいい。
まずは誰か一人でも殺さなきゃ、『戦い』を始めたことにすらならない。
なのに……
『俺だったらいくらでも殴っていい、愚痴だろうが世界への恨み言だろうが好きなだけ吐き出してくれ』
また……滑り込むように受け止められた。
村の人は誰一人、傷一つ負わせずに。
『俺がお前の正面に居続ける限り、俺以外の誰かを傷付けるなんてことは絶対にさせない……嫌々やってるお前の戦争なんて、憎しみの連鎖なんて、続けさせてやるものか』




