第664話 緊急着陸
さあ、『残りの絵本』はあと二冊。
物語は容赦なく進みますので、どうぞお心構えを。
side トーリー
戦争はゲームじゃない。
人間は盤上の駒じゃない。
そして、勝敗は終わりじゃない。
盤上の駒を動かすだけのゲームなら、一つの対局が終わったら駒を並べ直せば全部元通りになるとしても、現実の戦場ではそうはいかない。
勝っても消耗や犠牲はなかったことにはならないし、怪我も疲れも残る。
治癒魔法が使える人がいたって怪我人が多ければ治すのが間に合わないし、どうやっても治らない傷もある。
そして……どうにか目の前の相手との決着がついて『これで終わりだ』って思って、『ようやく休める』って安心しても、世界は容赦なく動き続ける。
ゲームなら一度決着がついたら駒を並べ直せるけど、現実では『これで終わり』って思ってそのつもりで動かし終えた布陣そのままで次の戦いが始まることもある。
それは、『裏切り』と呼ばれるものだったり、『奇襲』と呼ばれるものだったりする。
最高の味方だと思っていた人がいきなり身を翻して戦利品の総取りを狙ってきたり、その人も予期していなかった第三勢力がさらに不意をついてきたり。
多分、リアルタイムでこの戦場全体を他の誰よりも詳しく感知して把握していた私でも、理解が追いつかなかった。
『剛樹の魔王』を撃破してからの短時間で、急展開が起きすぎた。
突然、なんの前触れもなく狂信者さんを殺そうとしたフィースさん。
そこに割って入って間一髪で狂信者さんを守って一緒に深手を負って吹き飛ばされたライラさん。
そして、それを尻目に事態の理解が追いついてない□□さんの所へ飛んでいって、胸を貫いたフィースさんの……神器の槍。
『祭壇』を手に入れて、とんでもない神気を振りまきながら野望を口にした『美の女神』……その胸を背後から貫いて、『祭壇』を手中に収めた『徘徊魔王』。
現れて消えた怪獣の群れと、連れて行かれたガロム正規軍の兵力。
そして……奪われた『祭壇』と、『テーレさん』。
昨日の戦いの傷で後方配置になって戦況把握に徹していた私も、周りのみんなに何が起こっているのかを説明するのが追いつかなかった。
けど、きっと私がもっと軽傷で最前線に配置されていても、あの流れじゃ何もできなかったと思う。
「フィースさん自身ですら『あんなこと』は絶対にしたくないと思ってた。だからこそ、誰も予想できなかったし、フィースさんを守ってくれる人もいなかった」
怪獣たちが消えた後、真っ先に動いたのは今も腕の治療を受けている空山さんだ。
手を『蝋』にされて満足に動けなくなった空山さんだけど、彼は乱入してきた第三勢力が消えた直後から自分の装備品に呼びかけて、出てきた『少女体』の子たちに指示してすぐに手当が必要だった狂信者さんたちの応急処置を始めた。
どうしても間に合わなかったのは……体内を怪獣化した植物の根にズタズタにされていて手の施しようがなかったフィースさん。
そして……
「わたし、森の中で迷って、死にそうで……そしたら、鳥がキノコを落としてきて、無我夢中で食べたらそれから意識がなくなって……」
もう名前を思い出せないドラゴンの少女。
『名無しの槍』の『名槍』に貫かれて、その力を受けた……私たちがピークドットで二週間も一緒に過ごしていたはずなのに、どんな事を一緒にしていたのかも朧げにしか思い出せない誰か。
傷の治療を受けて目覚めた彼女は『別人』になっていた。
ある意味では、憑き物が落ちたように。
彼女は、自分の種族がドラゴンになっていて、しかも自分にとっての最後の記憶から百年以上の時間が過ぎていることに混乱していた……きっと、私たちと過ごした『□□□□□□』という人物は、あの少女の中から身体を操るようにして人間みたいに振る舞っていたのだろうと思う。
だから、あの女の子にとっては長い支配から解放されたって見方もできるかもしれないけれど……私たちにとっては、きっと取り返しのつかないくらい大きな喪失だ。
フィースさんも、名前のわからない彼女も、そして……
「『聖女』……ジャネットさんは守れたけど、テーレさんが連れて行かれるなんて……」
テーレさんは自分から魔王について行ったけど、あの状況だと他に選択肢はなかったし、止められる人もいなかった。
何より……あの時、狂信者さんは死にかけだった。
『ゼット・ネイバー』とライラさんがいなかったらそのまま死んでいたってくらいに。
何せ、化身越しとはいえ神様の一撃……それも、『美の女神』の一撃だった。
普通の人間はまず『美の女神』の行動を阻めない。見惚れてしまって、気が引けてしまって、動けない。
美の女神が殺そうとした人間を助けるなんてことも不可能に近い。
手当をしなければいけないとわかっている医術者ですら、『美の神威』の証拠として刻まれたその傷を塞ごうとすることを躊躇ってしまう。
けれど、ゼット・ネイバーもライラさんも、『人間じゃない存在』だからこそ助けられた。
体を張って割って入ったライラさんの咄嗟の判断もあるけど、狂信者さんが『人外だから』と忌避せずゼット・ネイバーを体内に宿していたのが大きい。
ある意味では、狂信者さん自身の人徳の結果とも言えるかもしれない。
けど……それでも、死にかけというのが大げさでない程に傷は深い。
防御したはずのライラさんも核に傷を負ったらしくて元の『緑の騎士』の姿に戻るのに手間取ってる。
私なんかよりずっと強くて、特に回復力は高いはずの二人だ。
それが、二人とも倒れている……きっと、狂信者さんの石化を貫通するための『不死殺し』の技だったのだろう。
治療を躊躇わせる『美の神威』を抜きにしても、『不死殺し』の性質を持つ攻撃で受けた傷は回復しにくいダメージになる。生きていればいつかは完治するとしても、かなりの時間がかかるだろう。
「昨日は魔王化までしかけて回復しきってなかったのに……連戦して、テーレさんも攫われて、『不死殺し』でのダメージも大きくて……まだ目覚めないセブンスも心配だけど、狂信者さんはそれ以上に危ないかも」
一昨日までの私なら『狂信者さんなら何が起きても大丈夫だろう』と思えたかもしれないけど、今はそうは思えない。
狂信者さんも、痛くて苦しくて、でもそれを隠せてしまうってだけで、やっぱり同じ人間だから……その上で、限界を超えて無理をしてしまう、できてしまう人間だから、余計に危ない。
「狂信者さんとかシアンさんに比べたら『消去砲』も『不死殺し』も受けてない私の方が軽傷なくらい……もういっそ、狂信者さんを岩の中に閉じ込めてでも私がテーレさんを助けてきた方が……」
「カッカッ、いやはや。今流行りの『ヤンデレ』というやつかねぇ。気持ちはわかるけど、思いつきで極端な行動をするのはやめておいたほうがいいねぇ」
「え、あっ、ギルマス!?」
いつの間にか、座っていた直ぐ側に見覚えのあるおじいちゃんが……冒険者ギルドのギルドマスターがいた。
私はこれでも、負傷者の治療中にまた新たな勢力の襲撃なんかがないように見晴らしのいい丘から耳を澄ませていたつもりだったのだけど……この、すっかり腰の丸まった杖つきのおじいちゃんがここまで接近してくることに気付かなかった。
ちゃんと周辺を警戒していたつもりなのに、思ったよりも考えに気を取られていたらしい……それを自覚すると同時に、狂信者さんを閉じ込めようとか結構危ない思考に行きかけていたことも自覚した。
「す、すいません……」
「カッカッ、まだ『狂信者』の頭に慣れてないようだねぇ。職業は魂の鋳型、元からの適性で近い形の魂を持っていたとしても引っ張られる部分はある。技の成熟には便利なものだけど、認知に振り回されないように気をつけないとねぇ」
「は、はい……気を付けます」
「うんうん、やっぱり素直でいい子だよトーリーくん。起きてしまった物事の結果に対して気負いすぎるのはよくないけどね。大抵の物事は、結局のところタラレバなんて言ってもしょうがないからね。いやはや、儂もあと六十、いや七十歳若ければキミたちと一緒に大立ち回りができたんだけどねぇ」
確かにそのタラレバは現実から遠すぎて本当に言ってもしょうがないと思う。
というか、いくらなんでも七十年前ってこのお爺さんはいったい何歳なんだろうか。
私と同じ十代とか二十代くらいなら同世代として肩を並べられた……とかって話かもしれないけど。その頃ならあの戦況を変えられたみたいな口振りはさすがにちょっと若い頃の自分を美化してるんじゃないかって感じがする。
「さて、それはそうと……少し、その場所を空けてもらえんかね?」
「あ、はい。どうぞ」
広域感知のためとはいえ、開けて見通しのいいスポットを独り占めしてしまっていたのに気付いて場所を空ける。
周辺警戒だって自主的な仕事だったし、ギルマスの接近にも気付けなかったのに文句を言える筋合いはない。
そうやって、てっきり見晴らしのいい場所から景色を見たいんだろうと思ったギルマスに空いた場所を勧めるけど……
「カッカッ。ありがとう、ありがとう。けど、そうじゃなくてね。そこだと危ないから」
「危ない……?」
「ほら、キミならそろそろわかるんじゃないかい?あっちの空、ほらあそこら辺かな? もうすぐだろう?」
ギルマスに言われて、指された空へ意識を向ける。
すると……
「は、え? ドラゴン? いや、違う?」
かなり大きな『何か』がこっちに向かって飛んでくる。
ドラゴンに近いけど、羽ばたきの音は全然ない。
固い翼がそのままの形で風を切って、こっちへ一直線に飛んできてる。
これは……
「大きな、紙飛行機……?」
「惜しいねぇ。そのデザインの元になってる『飛行機』って乗り物だよ。もうエンジンが止まってるから飛行というよりも滑空しながら落ちてるような感じだけどね。さあ、もっとこっちへ動いた方がいい。そこはまだ泥がかかるよ」
ギルマスに言われて慌てて動くと、背後からすごい音と揺れが来た。
振り返って目を開くと、そこには全てが『黄金』でできた翼のある乗り物が、地面を走っていた。
丘の緩やかな傾斜を利用して地面を削りながら、さっきまで私がいた辺りまで減速を続けて、ようやく止まったというのがわかるように。
そして……
「ゴホッゴホッ、緊急脱出とはいえもっと快適な着陸法はなかったのか……死ぬかと思ったぞ」
「ガロム王! お怪我は!?」
「よい、ドレイク。元より覚悟の上での無茶だ。それよりも……ゼパ爺のことだ、これ見よがしに位置情報を発信しているということは、拠点の準備はできているのだろうな」
『黄金の飛行機』から出てきた彼らには見覚えがあった。
この世界でも、トップレベルの有名人……『世界一偉い人』と、その懐刀の『転生者殺し』。
私の隣のギルマスは、彼らを見上げて笑う。
「カッカッ、久しぶりじゃの。少しやつれたか?」
「ゼパ爺……出迎えする余裕があるなら着陸の準備くらいしておいてほしかったぞ」
「陛下をすぐに転移対策のある拠点へ! ミダス、すぐにここの戦力と情報共有だ!」
ガロムの王様、議長王『アルゴニア・ガロム』。
そして、『転生者殺し』の『私掠怪盗ドレイク』。
テロリストに包囲された王都で生死不明とされているはずの二人が、私の目の前にいた。




