第662話 『主神様』
side テーレ
『できれば、□□が祭壇に触るのは防いでほしい』
戦いを前にした作戦会議の時。
配置のために離れた□□□□□□を除いて集められた私たちにフィースが言ったことだ。
『これはみんなには言ってなかったけど、□□は昔、邪神崇拝の教団と関わりがあったから……ずっと前に縁は切れてるはずだけど、その頃の教団は特に「森の民の遺産」を狙ってた。だから、一応……念の為だけど、変な気を起こすきっかけを作りたくないの。みんな、気をつけておいて』
『祭壇』が使い方次第でとんでもない危険物になることはわかっている
だから、美の女神の化身としての目を持つフィースでも考えが読み切れない□□□□□□の乱心を警戒するのは妥当とも言えた。
私も、マスターのことがあって価値観の違いを思い知らされた□□□□□□が予想外の動きをし始めることがないとは言い切れなかった。
だから、ドラゴン形態の□□□□□□が本来の持ち場を離れて戦場のど真ん中へ飛び込んだ時にはやられたと思って、痛む傷を押さえながら急いで後を追った。
けれど……
「あっ……」
その□□□□□□から祭壇を奪って握り込んだのは、フィース。
それも、自分に無警戒の彼女の胸を貫いて。
本当に、一瞬のこと。
セブンスと同じ飛行法で空を飛び、誰より早く祭壇を奪取したフィース。その動きには迷いがなかった。
その直前に、すぐ側にいたマスターを薙ぎ払いで吹き飛ばして、妨害すら封じて。
「ゴフッ、ゴボッ……!」
「マスター!」
致命傷寸前の重傷。
魔王の残骸の中で、見るからに危険な状態を知らせる黒くて粘ついた血を吐くマスター。
死んでもおかしくない攻撃に見えたけど、死んでいないのは、直前で割り込んだ味方がいたから。
「ライラ……」
マスターと一緒に吹き飛ばされて深刻なダメージを受けながらもどうにか動いている緑の騎士『デュラハン・ライラック』。
おそらく、ティーンズの『双剣士』が使っていたという加速技でギリギリ割り込んで、マスターの即死を防いでくれた。
そして、それでも瀕死の一撃。
正規勇者として鍛えられた神性持ちの放った『殺す気』の不意打ちだった。
地面に降りてくるフィースの人相は、別人のように変わっている。
それは、狂気や憎悪みたいな恐ろしいものじゃなく、むしろ……
「『美の女神』……!」
『神性持ち』が、その神性の大元になる神々が現世で活動するために使われることはある。
正しい意味、そして深い意味での『化身』としての活動………本来は、現世に対して必要以上の神威を振りまかず干渉するための措置。
けれど、目の前の『美の女神』の神威は明らかにそんな領分を超えていた。
「アハッ、アハハハハハッ!! やったわ、やってやったわ! 待ってなさい、これで主神の座は……私の手に!!」
私たちだけじゃなく、戦場の兵士たちも異常を感知してフィースに目を向ける。
けれど、それに返しされるのは……圧倒的な『美の権能』。
戦場の時間が止まったかと錯覚するような神威が暴力的に場を満たした。
天使の私ですら息を呑む『美』の神威。
普通の人間は、『微笑むだけ』で魅了の域に達するその神性に、呼吸すらもままならない。歩み寄るなんて、行動を妨げるなんて思いも寄らない。
いや、仮に動けたとしても……
「アハハハッ、ハーァ……全く、アービスのやつも本当に傑作よね。仮にも知恵を司る女神のくせに、恋だの愛だのが絡んだだけでありえないほどお馬鹿になるんだから。少し嫉妬心を煽ってやるだけで勝手に問題起こしてくれちゃって、本当に笑える」
あの、『正規勇者』でもあり『神性持ち』でもあったフィースの器に女神が入ってる。
その性能を振るうべき力も、『祭壇』から供給されている。
それを止められる人間なんて、この場にいない。
ありえるとすれば、祭壇に触れる前に神威の魅了に抗って動けたマスターだけだろうけど、そのマスターを真っ先に不意打って祭壇を手にされた時点でどうにもならない事態になってしまっている。
「美の女神……イディアルか? あんた、どういうことだよ? なんで、シ……あの子を、刺した?」
□□□□□□の名前を思い出せないまま、神威に気勢を削がれながらも声を発したのは空山恋太郎。
他ならぬ『美の女神』が担当した転生者だからこそ耐えられてはいるけど、それでも声をかけるので精一杯の様子だ。
「どうして? そんなの決まってるじゃない……『主神の座』を確実に取り戻すためよ。祭壇と、それにあの町の中にいる依り代を使って……今の主神を、あいつを殺すの。この槍で」
そう言って、見せつけるように示された槍。
それには、見覚えがあった。
今は『バウァ=クゥ』が宿ってる私の短剣と同じ、かつては転生者の神器だったもの。
けれど……それは今、『空っぽ』じゃなかった。
祭壇からフィースの肉体を通して、神器に適合する権能が充填されている……槍の持ち主だった『名無しの槍』が美の女神の担当転生者だったからこそできる裏技だ。
「ま、まさか!」
「さすがに天使は理解が早いわね。そうよ、力だけじゃなくて、主神そのものを『依り代』に降ろして、現世で殺す。『名前』を奪ってね……その機会を逃さないために、こうして種を撒いておいたのよ。私がいつでも現世で使える器が世代ごとに生まれるように」
その言葉は、天界の天使として黙って聞いていられないものだった。
マスターさえ手に掛けようとした今の彼女に話をかけるのは危険だとはわかっていたけれど、思わず言葉が出る。
「主神様を殺す……!? そんなこと、できるわけがない! そんなことをする前に、アジム様が!」
「当然、こっちに来る直前にそっちのルートは塞いで来たわ。この祭壇を使わなきゃ大天使や神々は現世に来られない。いずれ復旧はされるだろうけど、時間は十分よ」
とんでもないことを言っているその表情に、嘘やはったりの気配は見えない。
これは……本気だ。
本気で、ジャネットを使って主神様を殺そうとしている。
「な、なんでそんなこと、本気で……」
「なんで……? なんで、ですって? 当たり前よ! 『主神の座』は、本来は私のものになるはずだったんだから! それを取り戻そうとするのは当然でしょ!!」
抑えきれない怒りの表情。
それすらも美しいまま、『美の女神』は叫ぶ。
「三千年前! あと、たったの十年だった! あと十年あれば、確実に私は王神たちの戦乱を終わらせて、『主神』になってた! 私は、そのために生まれた『最優の女神』だった! 永い永い戦乱を終わらせるために、最高の王神たちが神血を注いで創り上げた結晶たる最高最後の王神として、『理想の神性』として産まれたの!! それなのに……それなのに! 横から『異教大陸』が攻め込んできたせいで! 主神の座を『死の神』に奪われた!!」
フィース自身がピークドットで語っていた、歴史の転換点。
『異教大陸』から『不死殺し』が伝わり、神々の不滅性から神秘性が削がれ、代わりに『死』を司っていた先代の主神様が力を増して王神たちの戦乱を終わらせた。
それは知っている。
けれど……
「でも、あなたが主神になれなかった原因はそうじゃなくて……『イディアナ諸島』の……」
「私は侵略を防ぐためにやるべきことをやったのよ! 主神がやるべき存在として、私が治めるべき領土の境界を守った! 私があそこでああしなかったら、『文明の境界線』を引かなければ、二つの文明は混ざり合って、あの先何世紀も戦乱は終わらなかった。必要なことだったのに……人間たちは、私を『文明を護った神』じゃなく、『半島を海に沈めた恐ろしい神』として信仰よりも畏怖を注いだ。そのせいで、私は主神の座を取り逃がした!」
『今の歴史的解釈』だと、イディアナ諸島の位置にあった半島は、『女神イディアルの怒り』で沈んだことになっている。
異教大陸からの侵略でいくつもの港を占領され、敵側の橋頭堡になった半島。
そして、当時はまだ文化圏を統一する勢力がなかったのもあって防衛側も『小国』ばかりで対抗するだけの戦力がなく、橋頭堡から広がる敵軍の支配域を止められない人間たち……その醜態に、侵略者を撃退できない人間の情けなさに苛立ちと怒りを募らせた女神イディアルが、最終防衛線として戦っていた味方の軍団や住民ごとまとめて半島を沈めた。
歴史的には、そう解釈されている。
『女神に目をつけられたら赦しを乞え』、そんな言葉が後世に残るほどの大事件。
『気まぐれな女神』への恐怖の代表例として。
「三千年前、『秩序』のやつに主神の座を横取りされた時には、どうしようもなかった。実際、あの時のあいつは他の神々を差し置いて……あの時の私すらも追い抜いて『最強の神』だった。だから、私はあいつがいつか信仰を失う日が来るを信じて、次の機会を待った……それなのに! 千五百年前!! あの『他所者』がいきなり現れて、主神の座を奪って行った!」
抑えきれない怒り、そして悲しみ。
その声にすら神威を込めて、美の女神は叫ぶ。
「三大女神!? 美の女神!? ハッ!! 『戦争』も『産業』も、当然『美』も! 本来は全部、『最優』を司る私のものだった!! 王神たちを制するために、『全てにおいて他の神を上回る神』として産まれた神血の結晶が私なんだから! それが、突然現れたあいつの下に組み込まれて『美の女神』なんて枠に押し込められて本来の力と信仰を失った!!」
『最優の女神』。
最も優れた、王神たちの戦乱を終わらせるために創られた『理想の神性』としての名を持つ女神は、その理想と今の自分の間にある隔たりへの怒りを露わにする。
「アイツのせいで! 元は、異世界で力を失って落ち延びてきただけの……主神になんて絶対になれないはずの『悪の神』だった癖に! 無力な神崩れとして下界を彷徨って餓死し続けてる時に、神でもなんでもない小娘から施しを受けたってだけで!! 二元論の壁を越えて主神の器を手に入れた!!」
その瞳は私を睨んでいた……私を通して、私の向こう側に見えているであろうディーレ様を憎々しげに貫いていた。
「本当に赦せなかった! 私が千五百年待った主神の座を、たった半世紀もかけずに『秩序』の懐から掻っ攫っていったアイツが! 心底、殺したかった! 機会さえあれば……いつだって『最優の神』である私がアイツを上回って殺せた! いつもいつでも、アジム……あのクソ蛇が! あの『諸悪の産み蛇』が、アイツを護っていなければ!!」
そう言って、地平線の先から上がり始めたばかりの『太陽』を睨む美の女神。
彼女が口にしたのは、王神として、美の女神としてどれだけ完璧であろうが届かない『星の権能』を取り込む前にアジム様が使っていた『古い名前』だった。
「ずっとこの時を待ってた! クソ蛇の守りの届かない現世で主神を……『悪』をこの槍で貫いて、名前を奪い、主神の座を取り戻す機会を!!」
恐れ多くて、誰もが『秩序と混沌の神』と呼んで決して直接的に口にはしない『主神様の名前』を声高に叫ぶ。
神殺し、それも主神殺しというあまりの暴挙を隠すことなく叫びながら、誰も、私すらも批判の言葉を紡げない。
女神イディアルは本気だ。
そして、本当にそれができる状況と力が揃ってしまっている。
彼女がオルーアンまで歩いていき、無理やりにジャネットに主神様を降ろして、何もさせずに槍で貫く……それを、誰も止められない。
あの『美の女神』の神威を認識してしまえば、人間は誰だろうと……
「アッハッハッハッハ──は?」
唐突に、その『美』が乱れる。
頭の先から爪先まで完璧に美しいはずの女神の依り代に、『ありえない要素』が加わる。
それは、胸のど真ん中から飛び出した『誰かの腕』……血に塗れたそれが、『祭壇』を掴んでいる。
「出口の位置、メメちゃんの見た通り。ピッタリだったね」
女神の背後。
全身を覆う呪紋の包帯。
羊の角に、口元の幼気な笑み。
「…………え?」
予兆も気配もなく女神の陰に現れた『徘徊魔王』の腕が、眼前の肉体を貫いて、『祭壇』を確かに手にしていた。
オマケ①『ざっくりパワーバランス』
『偉さ』抜きで普通にケンカした場合の強さ的には……
アジム様>三大女神(状況次第で内部順位変動)≧主神様≒女神ディーレ>他の神々・大天使>普通天使
……くらいです。
なお、力関係は……
『主神様とアジム様の力関係』≒『某閻魔大王様と冷徹な鬼神様』
『主神様とディーレ様の力関係』≒『某天パ銀髪侍とその下働きツッコミ眼鏡のお姉さん』
くらいだったり。
まあ、仮に警備会社とかでも社長が会社の中で最強とは限りませんし、というやつで。
ちなみに、実はディーレ様の女神キックはやってる側が思ってるより効いてるけど主神様は毎度痩せ我慢してます。
なのでディーレ様は『主神様>自分』くらいに思ってたり。
オマケ②『たぶん誰も覚えてないであろう伏線描写』
【第26話 都合、効率、合理性】
アーリンと初めて話した時のテーレさんの反応より。
(テーレ)「偽名にしてもすごい名前だ。」
たぶん、西洋圏の人が『家栄さん』って名前の日本人に遭遇した時にするような顔してたシーン。
【第98話 魔眼姫】
……こんな伏線、さすがに誰も憶えていませんかね?




