第659話 『絶対』の守り手
side 現海正義
全身が、すごく痛い。
自分が自分じゃないみたいに感じる。
動くと余計に痛くて動きたくないのに、たくさんの手足が勝手に動いてる。
そもそも、僕にはこんなにたくさんの手や足があったっけ?
わからない。
自分がどうなっているのか、どんな姿勢でいるのか、起きているのか眠っているかもよくわからない。
「マサくん」
僕を呼ぶ声がした。
ガラスの向こう側。
僕を囲む透明なカプセルの外側。
ひび割れた壁の向こう側から声をかけられて、僕が『カプセルの中』にいることを思い出した。
女の人が二人。
女の子とおねえさん。
『……誰?』
誰かわからなかったから聞いた。
すると、おねえさんは少し悲しそうな顔をしてから、もう一度口を開いた。
「『マサくん、みーつけた』」
どこかで聞いた言葉。
どこかで聞いた優しい声。
それで蘇ったのは、昔の『かくれんぼ』の記憶。
かくれんぼで高い木に登って降りられなくなって泣きそうになっていた時にも、同じ声を聞いた。
『天使さん……?』
天使さんにはないはずの『顔』がある……けど、なんでかわかる。
オルーアンに会いに行こうとしていた方の天使さん……『聖女様』には感じた、『なにか違う』って感じがない。
『あの人が天使さんなんだ』と思おうとしてもどこか違うような気がしていたのが、それでもあの人が天使さんなんだと頑張って思おうとしてた時の違和感が、この目の前の天使さんにはない。
「……『天使』、か。そうか……あの石像たちは、そういうこと、だったのか……母は、あの人は、私のことを教えなかったんだな……あの事故で記憶を失ったお前に、私のことを『最初からいなかったもの』として忘れさせようとしたのか。決して思い出さないように、顔写真すら見せないようにして……だから、あんな形に縋って……」
天使さんは、少し俯いて震えながら拳を握る。
それから……力を緩めて、そっと手を下ろした。
「あの人にとってよい娘であれたとは思っていなったが……そうか。あの人にとっての私は、そこまでして消したい過去だったのか……改めて突きつけられると、思ったよりも、辛いものだな……」
おねえさんは、深く息をしてから、顔を上げて僕を見た。
そして、握り拳を解いて透明の壁に触れる。
「マサくん……いいや、マサヨシ。ずっと一人にして悪かった。淋しい思いをさせて、恨まれても仕方がないな」
『ううん。それより僕、ずっと、天使さんの顔が見たかったんだ! ようやく見れた!』
「私は、想像した通りの顔だったか?」
『思ってたよりずっとキレイ! 太ってて豚みたいなウチのお母さんとは大違い!』
「ははっ、今ほど父親似で良かったと思うこともないな……なあ、マサヨシ。私が本当に『天使』だったら……お前を迎えに来たと言ったらどうする?」
『一緒に行く! 今度はずっと、天使さんと一緒に……』
天使さんの方へ行こうとして、行けないことに気付いた。
目の前には見えないカプセルが、透明な壁があるから。
どうにか出られないか壁を叩いていると、天使さんがまた俯いてから……僕の目を見て、優しく微笑んでみせる。
「ああ、わかった。安心してくれ」
光の剣が走った。
僕が叩いていたカプセルのガラスが、透明の壁が割れる。
急に目の前の壁がなくなってよろけた僕は……そのまま、何にも邪魔されることなく天使さんの胸に飛び込んだ。
『うわっ……へへっ、ありがとう、天使さん』
「……ずっと守ってやれなくて、死なせてしまって済まなかった。あの家に一人だけ遺してしまって一緒にいてやれなくて、もっと生きさせてやれなくて……本当に、悪かった!」
『いいよ、天使さんに見つけてもらえて……約束、守ってくれたから、それだけで』
なんだか、眠くなってきた。
受け止めてくれた天使さんがあんまりにも柔らかくて、沈み込んでいってしまいそうな気がするくらいに柔らかくて……どこまでも落ちていきそうな気分になってきて……
『そういえば……ずっと、天使さんに会いたくて走ってたんだっけ……せっかく作ったお城も、僕の王国も壊れちゃったけど……』
本当は、怖いものがなんにもない僕だけの国を作って天使さんとずっと一緒に暮らそうと思ってたのに。
もう、誰にも何も取り上げられないようにしないと、天使さんを見つけても安心なんてできないと思ってたのに。
そのために作ったものも結局取り上げられちゃったのに……
『ああ……なんでだろ、今はなんにも怖くないなぁ……へんなの……』
起きていても寝ていても、ずっと何かが怖かった。
どこにいても、自分がほんとにそこにいていいのかわからなくて、できるだけ邪魔にならないように縮こまってた。大人が目の前を通るだけでも、いきなり僕に怒鳴ってくるんじゃないかって不安だった。
けど……ここに天使さんがいるだけで、そんなの全部どうでもいいと思えてくる。
絶対の、絶対に、何があっても、このおねえちゃんが守ってくれる……そう思うとなんだか気が抜けたみたいに力が入らなくなって、身体が軽くなって……暖かくなってくる。
「おやすみ……マサくん」
『うん……おやすみ、お姉ちゃん……』
side 吉岡美森
魂を封じ込める呪いの檻から解放された光が、さくらさんの胸の中に飛び込んで消えていく。
目の前のカプセルの中には……もう、私たちが来た時から、もっと前から、『人間』なんていなかった。
鋼色の根と、それに絡まった頭蓋骨。それに、カプセルの底にバラバラに散らばった子供の骨。
そして、天に還ることもできずにいた……自分の肉体がもうとっくに魔王の根に吸い尽くされて死んでいることにも気付いていなかった男の子が囚われていた。
「さくらちゃん……」
「言わなくていい……ここに来る前からわかっていたことだ」
彼がもう『人間』として生きてはいないことはわかっていた。
もしも、生きていれば助け出すことも考えていたけれど、それはもうとっくに不可能だった。
事前に、話し合って覚悟を決めてもらっていたことだ。
私の攻撃が『転生者と融合した魔王』にも全く無効化されずに効いていたから、きっとこうなっているだろうってことは彼女もわかっていた。
けれど、覚悟していたとしても辛いことはある。
彼の魂を閉じ込めていた装置を壊した……もう手遅れだったとはいえ、最後の破壊を私に任せず自分の手でとどめを刺した彼女の表情は俯いて垂れた髪で見えない。
けれど……その声には、震えが残っている。
「昔……弟が、友達とのかくれんぼで木の上に隠れていたことがあるんだ」
「……」
「自分で降りられなくなっていたらしくてな……見つけて降ろしてやったら、もうみっともないくらい泣いてな……その時、本当は『面倒だ』としか思わなかったんだ。昔から、あまり興味が持てていなくてな……だが、見つけた弟を連れて帰ると、近所でちょっとした騒ぎになっていたらしくてな……母がいきなり、弟を怒鳴りつけて、叩いたんだ。『こんなに心配させて!』ってさ……」
「お母さん……心配、してたんだね」
「ふふっ……いや、まったく……母も私と同じで、なかなか見つからないのを『面倒だ』としか思ってなかったのが丸わかりだったよ……だが、ご近所さんの手前、薄情な人間だと思われないように、『いい母親』らしい反応をしなきゃいけないと思ったんだろうな……どこかのドラマの感動シーンで行方不明から帰ってきた子供を叱る優しい母親役そのまんまだったよ、大根役者だったこと以外は」
さくらちゃんは、右手を見て、軽く拳を握ったり解いたりして嘲るように笑った。
「思えば、あれが人生で初めてだったな……衝動的にカッとなって誰かの顔を殴ったのは。全く後先考えずに……それで、初めて自覚したんだ。『私はこの子のお姉ちゃんなんだ』『私が守ってやるべき存在なんだ』って……それからは、弟も私にべったりで……母も無闇に怒鳴りつけることがなくなって……それでも、少し家に居辛くて、休みにはできるだけ二人で一緒に出かけるようにして、父もそれを察して小遣いを多めにくれて……私が死んだ日も、映画の帰りだったんだ。最後の引きが面白くて、続編も一緒に見ようって話をしている最中だった」
「…………」
「私が悪かったんだろうな……いくらカッとなっても、親の顔なんて殴るものじゃないな。あの時の母は目玉の周りにキレイに青痣まで作って、それからは私が目を向けるだけでヒステリックに怒鳴るのも控えるようになって……最初が本当にいきなりだったから、いつ私がまた殴りかかってくるかわからなくて怯えられてたんだろうな」
「…………」
「おかげで、マサヨシは私に依存するのが当たり前になって……その私がいきなりいなくなって……マサヨシの面倒はきっと父が見てくれているだろうと思っていたが、その父とも引き離されていて……顔も思い出せない天使にしか縋り付けなくなった」
「さくらちゃん……」
「……だが、そうだとしても、やっぱり『他の未来』は見えないんだ。あそこでああしなかった私は、『今の私』に繋がらない。もっといいルートがあっただろうとは思っても、『過去に戻れるなら戻りたい』とは思わないんだ。我ながら人でなしだとは思うが……叶うのなら、このまま一緒に未来へ連れていきたいんだ。マサヨシをちゃんと見つけてやれた『この私』と旅をしてほしいんだ」
彼が飛び込んだ胸に手を当てて、そう言うさくらちゃん。
死霊にも幽霊にもならない転生者の魂……けれど、確かに残っていた残響のようなものを胸に、彼女は顔を上げる。
強い子だなと思う。
まだ成長過程の三十五位の時点でもギルドマスターが期待していたのもわかる気がした。
と、そこで……『グラリ』と、地面が大きく揺れた。
「さくらちゃん!」
「ああ、わかってる。マサヨシとの融合状態が破綻して……『剛樹の魔王』が本格的に自立し始めた」
ジャネットちゃん……『聖女』のいるオルーアンはもう目と鼻の先。
そして、魔王の中には『黒い祭壇』と魔王の強化のために調節された起動術式。
「脱出するよ!」
「ああ……後のことは、この先で待ち構えている彼らに任せよう」
迎撃の巻き添えを食わない内に魔王の体内から外へ飛び立つ。
できるだけのことはやった。
私たちの仕事はここまでだ。
side 女神ディーレ
現世において、一人の転生者の死が確認された。
魔王と融合した転生者……囚われていた魂を解放された彼は、無事に天に還った。
「はあ……ということは、まあ、こうなっちゃいますよね……できるだけ大事にならないで欲しかったのにな……」
『戦争の女神アービス』。
彼女の引き籠もり続けるプライベート空間の前に集まる天使と神々。
事件は結局、ほとんど現世の人間の手だけで解決されてしまった。
特別に転生特典の強化を受けた転生者の担当神は『豊穣の女神アルファ』。そして、その裏技的支援の提案と手続きをしたのは『知識の大天使リーテン』。
転生者が深く関わっているために天界からの干渉ができなかった大事件……その縛りを外すために必要な手続きを拒み続けた女神アービス。
魔王と融合していた転生者が天に還ったことで、戦争の女神が『自分の担当転生者の関わった災厄の収束に最後まで手を貸さなかった』という結果が確定してしまった。
現世に出た被害は十分に大きい。
さすがにもう『後で対処するつもりだった』や『様子見をしていた』では弁解できない規模になってしまっている。
責任追及は避けられない、それは間違いないけれど……
「どうだ? 解けるか?」
「うーん……無理そうだな。難解過ぎる」
「こちらも、わたしたちではなんとも……」
プライベート空間への立ち入りを阻む錠前。
『戦争の女神アービス』……知略や閃きを司る彼女が施した封印。神々から見ても難解な謎かけが幾重にも組み合わさった知恵比べの挑戦状みたいなもの。
責任追及するにしても、この鍵を突破できないことにはそもそも彼女に対面することすらできない。
同じ『神様』であっても、自分の得意分野で勝負している方が強いのは必然だ。ましてや、三大女神ともなれば簡単に封印を無視して突破するわけにも……
「もう、アジム様に頼んで解いてもらうしか……」
戦争の女神への責任追及のために来た天使たちも、彼女からの難問出題と聞いて興味本位で挑戦しに来た神々もお手上げ状態になって諦めモードに入り始めた、その辺りで……。
「皆さん、お退きください」
扉の前の混雑を遠目に見ていた私の隣に立ったのは、麦穂頭の女神……『豊穣の女神アルファ』。
とうとう、三大女神同士の知恵比べが始まるのかと期待するような視線がこちらに向けられる。
けれど……
『ヴィィイイイイイン……』
その期待の視線を一切顧みず、豊穣の女神がその右手を創り変えて構えたものは、幾多の歯車が組み合わさって高速回転する刃で障害を両断する神器……端的に表現してしまえば『伐採用回転刃』だった。
それが、相手の得意な『知恵比べ』に応じる構えなんかではないことは一目で見て取れることで……神々と天使たちが逃げるように扉の前を空けると、豊穣の女神たる彼女は迷いなく前進しながら淡々とした事務的な口調で宣言した。
「女神アービス。これより天界規定に従い、領域を侵害します。多少の破壊行為に関しては事後承諾とさせていただきますので、悪しからず」
転生者紹介『現海正義』
登場時、並びに死亡時十三歳。
死因は後頭部強打。
能力は『絶対防御』。
危機感に応じて自動発動するタイプの防御能力であり、周囲の物体が盾や防壁となって危機から身を守るというシンプルなものだが、彼の場合は無意識のイメージからより高い防御力を求めた場合には防御壁が『首の無い天使』の像を形作る特徴がある。
小学生時に至近距離で起きた交通事故の二次被害により姉の夢川さくらを喪うと同時に記憶を失い、程なくして両親の離婚により母親との二人暮らしになる。
しかし、記憶喪失により赤の他人も同然の認識となった母親との生活は上手くいかず、いつしか見えるようになっていた『首のない天使さん』という自分にしか認識できない存在を心の支えとして生きていた。
しかし、ある日の同窓会から帰ってきた母親による突然の暴行で家庭環境は決定的に崩壊。
その後の無理心中未遂の際に死に至っている。
なお、本人は無理心中に用いられた練炭による一酸化炭素中毒を死因と思っているが、実際の死因はドアの下からの空気を得ようとした母親の突き飛ばしによる家具の角への後頭部強打。
部屋の隙間に目張りなどをしていなかったこともあり、母親は気絶こそしたものの生存しており、翌日家にやってきた離婚した父親によって現場を発見されている。
現場を発見した父親は即座に救急車を呼んだが、マサヨシは死亡が確認され、その日の内に病院で回復した母親は家庭内殺人により逮捕された。




