第653話 凡人なりの英雄譚
side アントニオ・ノーラン
『城塞の指定箇所に時限爆弾を設置しろ』。
『贋作工房』から与えられたのは、破壊工作としては定番とも言えるそんな指示だった。
「本当にこれがその『時限爆弾』でいいのだな? そうは見えない外見だが」
『ああ、それでいい。その硝子瓶を指定箇所に突き刺して計測の時と同じように溶け込ませろ。時間が来たら自動で同時に作動するようにしてある』
指示の通りに収納の贋作神器から取り出したのは、とても『爆弾』としての破壊力が高いとは思えない手の平サイズの尖った硝子瓶。
その中には血のような赤い液体が気泡も入らないほど満タンに注がれていて、魔法的にも機械的にも爆弾らしい機構が組み込まれているようには見えない。
だが、おそらくその『らしくなさ』も『贋作工房』の制作物だからこそ。
通常の単に火力が高いだけの爆弾ならどうにもならないであろうこの城を止めるための鍵だ。
兵たちに実演するために最初の指定箇所の床に突き立てたものは、そのまま床の石材に一体化するようにして消えていった。
これもまた、一つ一つが贋作神器の類なのだろう。
むしろ、単なる火薬玉の類を渡されるよりはずっと信用できる……そして、今は疑っている時間すら惜しい。
既に、夜明けの時間は……オルーアンへの到着は近い。
聖女がオルーアンから移動していたとしても、人の移動速度で一晩程度の距離は今のマサヨシにとって誤差に過ぎない。
「皆、この『爆弾』は仮に全てが設置できず途中で気付かれたとしても、それまでにどれだけ多くをどれだけ効果的に設置できたかが勝率を決める。リスクを分散し、それぞれに必要数を配分した。この地図に従って各地点に配置するんだ。仮にイレギュラーで目的の地点に設置できなくても、焦らず他の地点へ。少しでも大きな効果を確実に発揮できるように」
「「「了解!」」」
ここにいるのは、決してエリート集団じゃない。
天才ではなく、物語の主人公にふさわしい唯一無二の能力の持ち主など一人もいない。
だが、この数週間を共に過ごした俺は知っている……無為に石を積み続けていただけの黒雄は知らなくても、軍人たちの中では他に比べてろくにサバイバルもできず常に助けられてきた俺は知っている。
彼らは、『普通の仕事』を責任感を持って懸命に熟すことのできる、信頼できる戦友だ。
マッピング、重要物品や危険物の取り扱い、軍事施設の設営や備品の運搬……天才的でなくとも、持てるスキルを用いてできる限りの責務を果たすことのできる人間だ。
だからこそ、任せられる。
『普通のことしかできないただの人間』を軽視しているマサヨシと黒雄の不意を打てる。
「お前たちは黒雄の見張りだ。こちらの意図が悟られないように交代で警戒心を分散するんだ……場合によっては、黒雄に『自分にも能力を使ってほしい』と相談する体で時間を稼ぐんだ。マサヨシの体内とも言える城の中で『もっとマサヨシの役に立てるように』と強調すれば黒雄は無闇に排斥はできない。それでもリスクの高いポジションだが……こちらの思惑が知れればみんな仲良く全滅だ。文句はあの世で言ってくれ」
プロならずとも多少なりとも諜報や潜入の経験とスキルを持つ者は、黒雄を監視する役。
黒雄は『特殊な能力を持つ転生者』ではあるが、人間として天才的なセンスや知識を持つ者ではない。能力のスキル補正に頼った参謀としての直感力も失った今では、社会経験も対人技術も『ただの一般軍人』に勝る道理はない。
「踏み込む必要があれば、数度なら実際に能力を受けてレベルアップを受け入れてみてもいい。黒雄にとっては、自分の能力を使えば忠実な手駒にできるという利点もある……だが、黒雄の能力は命令を絶対に遵守させるものではなく、使い続けると中毒性が発生して自発的に従うようになるだけだ。俺が見てきた所感にはなるが、過度にレベルアップを繰り返さなければ深刻な悪影響はない」
旧都での使い方からして、黒雄が能力を使っても最初は簡単な課題だけ。
まだ中毒性が弱い初期段階で秘密の告白や絶対の忠誠を求められることはない。
使い手によってはクエスト達成の是非によって嘘発見器のような使い方をすることもできる能力だろうが、黒雄にはそういった使い方をする応用力はない。
自分の望んだ通りの能力を自分の想定した通りの使い方で最大限活かせる環境が揃っていた分、黒雄にはそんな工夫をする必要性すらなかったのだから。
転生者としてのその方面での実力で言えば、黒雄はリリアの入れ知恵のあった偽アレクセイ以下だ。
「最高指揮官、そこの残り分は……」
「あれは俺の分だ。設置役は一人でも多いほうがいい」
「ちょっと待ってくれ、あんたはほんの少し前まで過労でぶっ倒れてたんだぞ! それなのに……」
「わかっている。お前たちほどの体力も走力もない俺では時間もかかるし、またどこかで倒れるかもしれない……だが、やらせてくれ。俺自身も戦いたい、いや、戦わなきゃいけないんだ」
俺は、ノーランに現れたあの転生者に何もできず、ひたすら財を貢いで生き残ることしかできなかった。
だからこそ……この手で、今度こそは一発でも転生者を殴りつけてやりたい。それが蟻の噛みつき程度のものでしかなくても、俺自身が過去を乗り越えるために。
「……遠い箇所は俺たちが全部設置します。無理をしないでくれ」
「ああ……では、作戦開始だ!」
それぞれが自分の役割を胸に刻みつけ、持ち場へ向かって散開する。
この先頭区画の中だけでも、かなり広い。俺一人では絶対に間に合わないと言われたように、爆弾を設置すべき箇所もあまりに多い。
だが、数十人の人員がいれば可能だ。
夜明けまでの時間は長くない。おそらく作戦が実行できてもオルーアンのすぐ手前になる。コソコソと自然な巡回を装う余裕もない。
オルーアンを目前に前のめるマサヨシに疑われる前に全てを済ませる、時間との勝負だ。
『アントニオ、応答できるか?』
「どうした!」
『外部からの観測データで気になる部分がある。悪いが、爆弾と一緒に観測装置の残りを追加で設置してくれ』
「了解した!」
この少年が無駄な指示を出さないことは既にわかっている。
四の五の言わず、贋作神器から取り出した泥団子も硝子瓶と共に壁へと溶け込ませていく。
途中、壁や床が僅かにうごめくたびにマサヨシに不審な動きを感知されたのではと心臓を跳ねさせながらも、心を奮い立たせて自身に命じた任務をこなす。
その中で……
『やっぱりか……これは、少しまずいな』
「どうした!?」
『先の計測時よりも転生者の感知能力と反応力が向上している。慣れによる多少の変化は予測していたが、このデータは予想以上だ』
「……っ、黒雄の能力か!」
黒雄は、俺たちの動きに気付いていない。
だが、それはあいつがただボンヤリしているわけではなく、マサヨシへの能力行使に意識を集中し続けているからだ。
元々、マサヨシは新米転生者に見合わない戦闘力を得るために黒雄の能力の恩恵を受けていた……今のマサヨシは、それをさらに積極的に押し進めて巨大化した自分自身を思いのままに動かせるようにスキルを強化し続けているのだろう。
それが爆弾設置には有利に働く反面、こちらにとってありがたくない結果も招いている。
『計算通りなら異常への対処が始まる前に主根と側根を切り分けて先頭区画を孤立させられるはずだが……この数値だと、場合によっては影響が十分に広がる前に患部を切り離される可能性がある』
「まさか、作戦は失敗だと言うつもりはないだろうな!?」
『いいや。こちらの計画では、効果が発揮されるタイミングに合わせて戦力を送り込んで浸食に気付くのを遅らせる予定だ。だが、転生者の能力で強化されているとなると……それだけでは足りない可能性がある。というより、外からの攻撃にも想定以上の対応速度を見せられると陽動としての効果も低下しかねない』
第九位冒険者の深刻な声音。
おそらく、かなりマズい事態だ。
感知能力が上がれば破壊工作が察知される可能性も高まり、反応速度が上がれば破壊工作の効果は下がる。
とすれば……
『アントニオ、頼みがある』
「…………嫌な予感はするが言ってみてくれ」
『少しの間でいい、魔王と融合した転生者の気を引いてほしい』
side ???
『そういうわけだ。そこにタイミングを合わせて突入すればお前たちへの攻撃も十分に掻い潜れるはずだ』
スマートフォン型の贋作神器。
収納機能はなくて通信だけの再現品ではあるけれど、基地局もないこの世界で使える以上は別物の神器と呼ぶべきもの。
ただ、そこから聞こえてくる作戦は神器の性能ではなく、ひたすら一人の男の人間力に頼ったものだった。
「つまり、アントニオさんが転生者に話しかけて意識をそっちに向けさせるってことね……大丈夫?」
私の隣の味方が、心配そうな表情を隠そうともせずそう問いかける。
彼女は私と違って直接アントニオ・ノーランという人間を知っているからこその反応だろうが……そこに見えるのは人間性への不信というよりも、頼りなさへの不安だろうか。
『危機感がトリガーである以上、無力なアントニオとの会話によって気が散れば無意識発動している部分も反応は低下する。計算上はかなりの効果が期待できる一手だ』
「そっちじゃなくて! 機嫌を損ねれば殺されちゃうかもしれないのにアントニオさんはちゃんと話せるのかってこと! アントニオさん自身が何かおかしいって思われたら元も子もないでしょ!」
『不審がられない当たり障りのない会話で場を繋ぐとは言っていたが、どうだろうな。できるなら、お前たちが可能な限り素早く突入してくれた方が助かる』
そう返す『贋作工房』の言葉にも確信の気配は見られない。
頼りない相手、そしてその能力が通じるかわからない試練……それでも信じるしかない状況だ。
私の目でも、『誰かの意志力』によって作られる未来だけは見えない。
ただ、身を守る力すらなく、それでも自らの役割を命懸けで果たそうとする男の仕事を信じてその先を引き継ぐだけだ。
「わかった、こちらはそのつもりで準備しておく。オルーアンの迎撃部隊との連絡は任せるぞ」
『ああ、頼むぜ。「お姉ちゃん」』
「おい、その呼び方は……いや、そうだな。私は姉として、やるべきことをする。それが残酷なことだとしても」
通話を切り、もうすぐ目標が見え始めるであろう北北西の方角を見る。
私がするべきことを考え……与えられた、『不死殺し』の贋作神器に手をかけ、未来を睨む。
「……今こそ、もう一度見つけに行くぞ、マサくん」




