第651話 『世界で一番のコルク抜き』
side アントニオ・ノーラン
『アレクセイ・ノーラン』。
我が兄者の一人息子にして、俺の甥にあたる人間。
そして、兄からノーランの大領主の地位を受け継ぐ前に人生を終え……転生者によって、徹底的に名誉を汚されたノーラン地方領の正統継承者。
身内としての贔屓目を抜きにしても、間違いなく人格者の部類だった。
嫉妬する程に若く真っ直ぐな青年で、嫉妬なんてできないほどにお人好しで……この好青年がこのまま大人になって治めるようになったノーランを見てみたい。
純朴さ故の危うさも感じられたが、同時にそう思わされる人間性だった。
天才的な統治者などではなかったが……
『私は、父や叔父上を尊敬していますよ。ノーランの歴史上の英雄の誰よりも』
いつかのテラスでそんなことを言われれば、こちらの方が驚く程度には出来の良い秀才。
そんな、安心して次代を任せられると思わせてくれる次期当主だった。
『それはない。お前なら、もっと憧れるのにふさわしい英雄はいくらでもいるだろう? 私も、兄者も、多少いい教育を受けてきただけだ。素質としては平々凡々な自覚はあるさ』
私だって昔は、偉大な英雄になった自分を夢に見ていた事はあった。
大人になったらノーランに革新的な改革やこれまでになかった大事業を興して歴史に名を刻むような人間になることを夢見ていた。
だが、歳を重ねる中で凡庸さを自覚し、結局は適度に税を取り、適度にインフラ整備や投資に金を振り分け、安定した領地経営を維持することに落ち着いている。
所詮は片田舎。
港があり、牧場や養蜂場があり、これといった敵はいない。
発展の売りとなるものは少なく、代わりに安定した生活を維持するにも苦労がない、それがノーラン地方領という世界だった。
『ええ……平凡なのは、私も同じです。だからこそ、同じ凡人として頑張ってる父や叔父上の姿を見てきたからこそ、自分に特別な才能なんてなくても真っ直ぐに頑張ろうと思える』
『アレクセイ……達観するにはまだ早いぞ、まだ酒も飲めぬくせに』
『ふふっ、そうですね。案外、お酒を飲み始めたら気が大きくなって世界征服なんかを夢見たりするのでしょうか』
『もしそうなったら両極端すぎて驚くぞ。そこはせめて、ノーランの大発展辺りで抑えておいてくれ』
そんな軽い冗談を言いながら、平穏であることが何よりと『ノーランらしいノーラン』として地方領を維持している私たちの仕事を尊敬していると混じりっけのない心からの言葉として言ってくるような、そんな甥。
あの頃の俺は……それに、誇らしさを覚えていたのだろう。
だが……そんなアレクセイが理不尽な死を迎えたと知ったあの時、あの虚無感に私はどう向き合えばよかったのだろうか……
「うっ……ここは……どうして、俺は……」
目覚めると、ベッドの上だった。
どうやら、外周砦の医務室だった場所がある程度原型を残していたらしく、人間への配慮のない砦の中では比較的まともに部屋としての機能を残したまま組み込まれたらしい。
身を起こすと、側には兵士の一人が控えていた。
「過労ですよ。一応は訓練を受けてる俺たちですら参ってるんだ、無理もない」
「……俺は、どれくらい寝ていた?」
「たぶん数時間そこらですよ。少なくとも、まだ暗い時間だ」
数時間……その間にも、マサヨシは進み続け、あの邪悪な洞穴は闇を深め続けているのだろう。
起きていれば何かができたわけでもないが……『悲劇』は確実に範囲を広げ続けている。
いっそ、全てが手遅れになるまで気を失っていればとも思わなくはないが、目覚めてしまったものはしょうがない。
とにかく、『贋作工房』が兵力を送り込んで救出を考えると言った以上は最低限すぐに動けるように起きていなければならない。
「それと……これを、勝手に触っちまって悪いとは思ったんですが」
まだ重い身体を引きずるようにベッドから出ようとする俺に、兵士から申し訳程度の布に包まれたものが手渡される。
それは……『折れたコルク抜き』。
木製の持ち手部分は無事だが、肝心のコルクにねじ込む金具部分が折れてしまっている。
持ち手に刻まれた紋章は見覚えのあるもの……私の持ち物だ。
「血が滲んでいたので、勝手ながら服の下を調べさせてもらいました。袋に入ってたが、倒れた時に運悪く金具の方が上に向いてて突き出たらしい。壊れてたから捨ててもいいかと思ったが、その彫り込みは……」
「……ああ、ノーラン領主の家に受け継がれてきた紋章だ」
「そうか。一応、折れていたから先端があるんじゃないかと思って探したが、見つからなかった。傷を見た感じ身体の中に入ってるってわけじゃないと思うがどこかで……」
「いや、余計な手間をかけさせたな。これは……最初から折れてるものだ」
「あ、やっぱりそうなのか。てか、壊れてるのに持ち歩いてたんですかい?」
疑問に思われるのも当然だ。
壊れて使えないコルク抜き、それも無益どころかうっかり倒れた時に怪我をするようなものを持ち歩いてるのも奇行みたいなものだろう。
だが……袋ではなくもっとちゃんとした箱にでも入れるべきだったかもしれないし、金具は外すべきだったかもしれないが、なんとなくどちらもできなかった。
大切に扱うのも形を変えてしまうのも、躊躇われた。
「遺品なんだ……転生者に殺された甥の持ち物だ。壊れたのも、その時だ」
「そりゃ……申し訳ないこと聞いちまったな。すんません」
「構わないさ……俺自身、なんとなしに持ち歩いていて存在すら意識しなくなっていたものだ」
元は、父の所有物だった。
家紋こそ彫ってあるが、特別な由来や歴史があるものではない。父と母が外交で別の地方領に赴いた時、うっかりコルク抜きを持っていくのを忘れて現地で買った安物だ。
だが、安物ではあったが質が悪い品ではなかったらしく、手に馴染んで使いやすいからと父が気に入って普段使いするようになり、俺と兄が酒を飲めるようになった時に家族の共用物のような扱いになった。
それから、大領主となった兄が旅先で使うものとして持ち歩くようになり、紛失した時のためにと家紋を彫らせた。
それから何年かして、屋敷の改築を機に家具などと一緒に新調したコルク抜きを使うようになった時、父の遺品のようなものだから処分するのも忍びないという話になり、特に相談することもなく自然と俺のものになった。
そして……俺は、これをアレクセイに贈った。
ただ使いやすく、物持ちが良かっただけの安物なのはひと目見れば明らかで、深い意味もない日用品。
成人祝いの席で半分冗談として『ノーラン家に代々伝わる世界一使いやすいコルク抜きだ』などと言いながら渡したものだが、そんな冗談ごと、アレクセイは喜んで受け取った。
『私が特別な時に開けるボトルは、必ずこれを使いますよ。そうすれば、このコルク抜きはノーランの歴史を刻んできた本物の家宝になる。そうでしょう?』
……それから数年後。
アレクセイは、ノーランに現れた転生者との対話に臨み、命を落とした。
アレクセイが死んだ村で回収した遺品の中にこれがあった……きっと、この世界で最初に出会う貴族として正しい態度で接点を作れば友好的な関係を作れる。
ともすれば、酒を酌み交わすことでわかり合えることもあるだろうと信じて、自分なりの準備を整えて転生者に迎えにいった。
それを、愚かしいと言う者もあるだろう。
誰より早く転生者に取り入ろうと焦ったが故の油断だと、それがノーランの悲劇の始まりになったと表現する者もあるだろう。
だが、アレクセイを知らない者がなんと言おうと、俺は知っている。
ただ純粋に、純真に、純朴に、自ら誠意を示そうとしたのだ。
元より、平和なばかりで中央から遠く転生者との関わりも薄いノーランには強力な転生者を相手に『万全な備え』なんてものができるような兵力もノウハウもなかった。
ならせめて、降臨したばかりでほとんど情報のない転生者に、可能な限り早くに警戒ではなく親愛を示すことで『新しい世界』への隔意を取り除けると信じて、胸襟を開きに行った。
実際の結果は最悪だったとしても、それは『結果』でしかない。
もしも、相手がもっとまともな転生者であれば、きっと話は違った。
あれほど狂った転生者でなければ、アレクセイはきっとその人柄で友好的な関係を築けていた。
俺がアレクセイの遺品の中でもこれだけは身につけているのは……その『もしも』を忘れられないからかもしれない。
アレクセイと兄が何事もなく生きていて、ノーランが取り潰されることなどなく『ノーラン地方領』のままで、俺は……
「すまない……少しだけ、一人にしてくれ」
折れたコルク抜きを握り締める。
僅かに残った金具が手に食い込んで痛みが走るが
、今の俺にはむしろその方が心地よかった。
「ああ……ゆっくり休んでくれ。どちらにせよ、俺たちにできることはなにもないんだ」
兵士はそう言って、軽く頭を下げて部屋を出ていく。
もう、あの襲撃から何日も一緒にいる相手だ。人間性も知っている。
元が礼儀作法などと縁のない人間で敬語も崩れやすく、目上の人間との会話を続けたくはないというだけで、彼もまた誠実で他人を思いやれる人間だ。
他の兵士たちも、マサヨシに殺された彼もそうだった。
無力なだけで、学がないだけで、運がなかっただけで……俺と同じく、凡庸なだけ。そして、まだ若く、自分で決断できないまま右往左往している間に逃げ遅れただけ。
それが、理不尽に人生を壊されて当然だと言われるほど悪いことだとは、思いたくない。
懐の贋作神器を取り出し、収納の中を調べる。
思えば、指示に従ってアイテムを引き出すだけで他に何があるかをちゃんと確認したわけではなかった。
「気力はないが……それは、『できない理由』ではないか。『やらない理由』は、どうにかなる」
過労で倒れて身体が動かず、何もできない。
だが、『本当にそうなのだろうか』と浮かび上がった小さな気泡のような感情……頭の中に響くその言葉に逆らわず、自由に使っていいと言われたものの中に、何があるのかを見る。
そして……思った以上にあっさりと、今の俺に一番必要なものを見つける。
「『ガリの実』か……もっと早くに見ておけば倒れずに済んだかもな」
嵩張らず、保存が利き、栄養価が高い。
大きめのバックパック程度の物しか入らない収納に入れる物資としては、確かに最適なものだ。
「アレクセイ……俺はまだ、お前に尊敬してもらえる大人に戻れるだろうか」
ノーランで『王様気取りの転生者』に屈してしまった俺が、あの頃よりも財力も権力もなく、何も食べられず飢えてすらいるこの俺が。
既にノーランを取り戻すことはできないとわかっていて……それでも、こんな今すぐにでも消え入りそうな意志の種火から立ち上がれるだろうか。
「もしそうなら……見ていてくれ、父さん、兄さん。そして、アレクセイ。『ノーラン』が、転生者に勝つ姿を」
ガリの実を一粒だけ、口に入れる。
大きすぎる丸薬のようにも思える硬い果実を奥歯で噛み砕いて、呑み下す。
これだけ空腹でも美味くは感じられないし、いくつも一気に食べようとは思えないほど硬い。
だが、力は湧く。ほんの一口にも満たない食料とは思えないほどに。
「『贋作工房』、まだ繋がっているな?」
『……ああ、そちらからの音は常に繋げてある。少し前から聞いてたよ』
「ならいい。作戦続行だ、今すぐやるべきことを教えてくれ」
『……既にこちらはお前が倒れてる間に外部からの迎撃準備を進めている。指示を出すだけ出すことはできるが……最初に計画していた破壊工作は、今からでは絶対に間に合わないぞ?』
「それでもやらせろ。少しでもお前の計画の成功率を上げるための仕事を」
『……わかった。最小限の手数で最大限の効果が出るポイントを試算する』
『贋作工房』が計算を進めている間に部屋を出る。
意志の炎が揺らがない内に少しでも足を動かして、動き始めていたかった。
だが、部屋を出てすぐのところで……さっき出ていったばかりの彼が、待っていた。
他の兵士たちと一緒に。
「すまない、懐に妙なものがあることには気付いてたんだ……それ、あの転生者の、物を出したり消したりするやつだろ?」
「……ああ、あの神器そのものではないが近いものだ。この城ができた後で手に入れた」
黒雄を通じてマサヨシに密告されれば、その時点で終わり。
だが、そうするなら俺が眠っている間にいくらでもできた。
『私は、父や叔父上を尊敬していますよ。ノーランの歴史上の英雄の誰よりも』
……ここが、分岐点だ。
「黙っていて済まなかった。だが、『転生者たち』に気取られるわけにはいかなかった」
俺は英雄などではない、ただの貧弱な文官だ。
転生者どころか、軍人として多少の訓練と実戦を経験した兵士にだって勝てはしない。ましてや、それが数十人など黒雄を通すまでもなくリンチにできる。
だからこそ、敵意に意味はない。警戒にも威嚇にも益はない。
自分を大きく見せるためでなく、ただ相手の目を見つめ返すために顔を上げ、背筋を伸ばす。
「頼む、行かせてくれ。時間が惜しい」
目を見て、そう言った。
少しだけ自分の脚が震えているのを感じ取って情けなく思うが……過労で倒れたばかり、これは単なる疲労だと自分に言い聞かせて、兵士たちの目を見つめ続ける。
そして……
「ガリの実、まだあるかい?」
彼は、そう言った。
他の兵士たちも、俺から贋作神器を取り上げようとはして来ない。
「僅かな食糧の奪い合いがしたいってわけじゃない……そんな気力はないし、意味もない」
「意味もない、か」
「ああ、黒雄が言ってたよ。この転生者がオルーアンの聖女を取り込めば、誰も勝てるものはいなくなる。世界は征服されて、食糧だろうが金銀財宝だろうがなんでも手に入るんだとさ……つまりは、世界の終りってやつだ。それまで邪魔するな、黙って見てれば後から食い物なくていくらでも浴びるように食えるってな。そう言っておけば余計なことはしないって考えだろうよ」
自嘲するように笑った後、彼は催促するように手の平を出した。
「もう、転生者に逆らう気力もない……だが、『世界の終わり』をひもじい気分で迎えたくない。みんな、それだけだ。こっそり隠し持ってた兵糧食いの共犯者になるだけ、いいだろう?」
「……ああ、全員分はある。受け取ってほしい」
収納から取り出したガリの実を、それぞれに渡す。
自分から手を出さない者にも自ら手を取って握り込ませる。賄賂でも渡すかのようで慣れないが、不思議と悪い気分はしなかった。
そして……全てのガリの実を配り終え、意を決して声を発する。
「皆、食べてからでいいから聞いてほしい。俺は、これから……」
「よし、みんな。これで『共犯』だ、いいな?」
俺がその続きを言う前に、俺を手当てした兵士がガリの実を口に運び、噛み砕き、飲み下す。
そして……その目は真っ直ぐに俺の瞳を見返していた。
「最後まで言わなくていい。あんたのやってること、俺たちにも協力させてくれ」
口々に声が続く。
「あんたが裏で目的を持って動いていたのは気付いてた。中にはスカウト経験があって耳のいいやつもいる」
「うなだれてるしかなかった俺たちの中で、あんただけは目的を持って動いてた……だから、決めたんだ。あんたに賭けようって」
次々にガリの実を噛み砕いていく兵士たち。
噛み締めて、呑み込んで、目を見開く。
「負け犬のままなんて嫌だ! 俺たちは転生者の王様ごっこの駒なんかじゃない!! 人間なんだ!!」
「これを見ろよ! ふんっ!! ほら! 壁を殴ったって何にも反応がない! ダチが殺されて俺も死んでいいって思って思いっきり暴れた時に気づいたんだ!! マサヨシは、外からの攻撃にはあれだけ反応するのに俺たちのすることには何も思わない!!」
「マサヨシは俺たちのことだけは警戒していない。この城の中なら、黒雄にさえ見つからなければ自由に動ける。そして、黒雄はマサヨシを強化するためにここ数時間はかかりきりだ」
「動くなら今しかない……ますます時間がないんなら、手分けすればいい。どちらにしろ、マサヨシに世界を覆われた後じゃ逃げ場もなくいつ理不尽にすり潰されるかと怯え続けるだけだ」
全員がガリの実を食べ終えた。
『共犯者』となった兵士たちは、不格好ながらに膝をつき、俺を見上げる。
「命令権を持ってるのは転生者じゃない、あんただ『最高指揮官』。俺たちはあの日から、あんたの命令を待ち続けてたんだぜ」
見えない覇気が沸き立った。
それぞれが口にした、たった一粒のガリの実の熱量が意志の炎に変わる。
俺たちが弱者であることは変わらない。
多勢に無勢どころじゃない、転生者がその気になれば一瞬で潰される蟻の軍団だ。
だが、何かを食べればそれだけで、反乱を起こせるだけの力は湧いてくる。
蟻の軍団だろうと、大樹の根を囓り腐らせることはある。
城を落とすのは外からの痛撃ばかりではない。
鉄壁とされた城壁が『主君に愛想を尽かせた家来』の裏切りで内側から開け放たれることなど、よくあることだ。
「ああ……征こう、夜明けはすぐそこだ」
ちなみに、アントニオさんには跡目問題を下げるためにアレクセイの誕生を待って作った妻と息子がいますが、浮気性な奥さんとの間に生まれた息子の髪色が『自分と妻の二人からは絶対に生まれない髪色』だったためにうまく愛することができず、ノーランが転生者のアレクセイに支配された時に浮気に初めて気づいたふりをして多額の手切れ金を渡してノーランから追い出しています。
地方領運営の仕事を口実に顔を合わせづらい息子から離れてほとんど城勤めのような生活をしていたアントニオさんは、滞在期間の引き延ばしを兼ねてアレクセイに政治などの勉強を教える師匠のような形で触れ合うことが多く、幼少期からアレクセイに懐かれていました。




