第650話 『大人』の在り方
side アントニオ・ノーラン
故郷を救おうと叫んだ兵士が、血肉となって無残に散った後。
兵士たちから隠れて物陰に入った俺は、懐の贋作神器から新たな通信を受け取った。
『大方の分析が完了した。骨格のおおよその構造は推定できたが、仕掛けの効果を確実にしたい。追加の仕事になるが、できれば詳細確認のための調査点を……』
「……もう嫌だ」
『……アントニオ?』
「無理だと言ったんだ! マサヨシを倒す? そんなこと、俺なんかにはできない!!」
頭を抱えて縮こまる。
そんなことをしたって、いざマサヨシや通話の向こうの第九位冒険者がその気になればなんの防御にもならないことはわかってる。
だが、俺にできることは本当にそれくらいしかないのだ。
「爆破するなら好きにしろ! いっそやるならさっさと全部終わらせてくれ!!」
さっきまでは、まだ心の余裕があった。
利害の一致でしかないとはいえ、第九位冒険者の力を借りている。そして、オルーアンへ前進することしか考えていないマサヨシからは意識を向けられてすらいないという安心感があった。
だが、それは勘違いだった。
『贋作工房』は、通信程度しかこの城の中への干渉手段を持たない。そして、マサヨシには黒雄がいる……怪しい動きをしていると密告されれば、その時点で死が確定する。それを心で理解するのに、さっきの『見せしめ』は十分すぎた。
「無様だと罵るなら好きなだけ罵ればいい……俺はもう、枯れ果てたオッサンなんだよ。主人公になれるような才能も情熱もない……もう、そんな若さを失った『大人』なんだ。未来に無限の可能性を感じられた子供じゃない。とっくの昔に終わっちまった大人なんだ……英雄になんて、どうしたってなれない」
『アントニオ……そんなことはない、今のお前には……』
「そんなことはない、か……『贋作工房』、さっきは若作りだのなんだのと言ったが……もしかして、お前は本当に『子供』なんじゃないか? 昔から活動してきたのは先代や師などで、お前自身はまだまだ若いんじゃないか?」
『…………』
あまりにも若い声。
確かな技術力と知識として持っていた『贋作工房』の偉業の時系列から、相手が老いすら超越した技術や能力の持ち主なのだろうと思っていたが……伝わっているのは詳細不明の『工房』としての異名だけ。
よく考えれば、どこかで代替わりしていると考えるのが自然だった。
職人が師の引退を受けてその活動名を『襲名』することなど、珍しいことではない。
俺は……真っ当な『大人』であればまずあり得ない判断に、こんないつ裏切るかわからないただの中年男に計画の重要部分を丸投げできてしまう部分に、『若さ』を感じたのだ。
「本当の年齢は、答えなくともいい……だが、少なくとも心に『若さ』を持ったままのお前にはわかるまい。本物の『無力』を味わった大人が感じる我が身の重さなど」
遠い昔は、自重など意識することもないほど足は軽く、力はみなぎり、いつでもすぐに走り出せた。
熱意を注げば、それに世界が応えてくれると信じて全力で他人や障壁に向かって全体重を投げ出せた。
だが、それは若さがある間だけだ。
かつては英雄譚に憧れる子供だったとしても、誰もが歳を重ねて行き、かつての憧れだった英雄たちの年齢を越していく中で気付いていく。
自分は夢見ていたような姿からは程遠い『つまらない人生』を生きるしかないと……夢は夢でしかなかったと。
気軽に我が身を投げ出せば、世界はそれを受け止めず虚しく倒れて後悔するだけだと。
それを知って、軽々に動けなくなっていく。
世界を動かす側から、世界の動きを拒む側に移り変わっていく。
どんな英雄譚でもそうだ。
この世界の現実だってそうだ。
世界の『主役』は少年少女だ。
野心や情熱を持ち、若い内から才能を開花させて期待を背負い活躍し始めた者たちだけが主人公になれる。
大人を主役にする物語だろうと、それは『志ある子供』が大人になってもその志を貫いている姿を切り抜いて描いているだけだ。
そして……そうなれなかった人間は『いつか自分も』と思っている内に齢を重ね、目の前に現実に手一杯になっているだけで気付かぬうちに『憧れ』の歳を追い越し、惰性で生きている『大人な自分』を認識する。
……もう、その惰性から逃れる機会も気力も失った自分を知る。
「長年の疑問が解けたよ……転生者たちが若い者ばかりなのは、そのためなのだろうな。俺のように枯れた大人は、たとえ特別な力を与えられようと大したことに使えない」
今、こうして贋作神器を与えられた俺が座り込んでしまっているように。
神々が力を与えた人間がこんなふうに無様に振る舞っていれば、それこそ神威というものが揺らぐ。
大衆のためであれ、傍迷惑な野望であれ、大きな力を恐れなく振るうことができる『若さ』のない者には力など与えてもしょうがない……昔は、分別のない子供に能力だけを与えて降臨させるなど神々は何を考えているのかと思ったが、今ならその気持ちもわかる。
『何もできない大人』に力を与えても、毒にも薬にもならないだけ……無意味だから、良薬になる可能性すら生まれないから子供に託すしかないのだろう。
「『贋作工房』。お前は、間違えてしまったんだよ……大人に期待しすぎなんだ。大人っていうのは、お前が思っているよりもずっと意志が弱くて何もできない、どうしようもないものなん……」
『バカ!!!』
不意に、少年の声とは違う声が骨に響く。
かなり若い娘……幼さの残る少女の声だ。通信の向こうで通話用のアイテムを奪い取ったのか、わずかに揉み合うような音も聞こえた。
他にも誰かいたのかと困惑する俺に、少女の声は強い語気で言葉を発する。
『アントニオ・ノーラン!! あんた、大の男がそんな情けないこと言ってんじゃないわよ!』
「お前は誰だ……『贋作工房』の仲間か?」
どこかで聞き覚えがある気がするが、誰の声だったか思い出せない。
だが、あちらは俺のことを知っているのか、気安さを越えた無遠慮さで猛烈に怒鳴りつけてくる。
『大人はすごいの! 子供が憧れられるくらい、自分もあんな大人になりたいって思えるくらいすごくないといけないの!! だって、そうじゃなきゃ……そうじゃなきゃ、子供たちが「自分も大人になりたい」って思いながら生きられないじゃない!!』
「だが、そんなことを言っても……絵本の中の夢物語じゃないんだ。現実は……」
『現実だからこそ! そんなことを言ってる場合じゃないでしょうが!! 絵本の中の英雄じゃなくて現実の大人だからこそ、現実と戦え! グダグダ言いながらみっともない生き方すんな!!』
俺の力ない反論の言葉を最後まで待つでもなく一刀両断する少女の声。
その声には震えが混じり……俺の脳裏には、瞳を涙で潤ませながら叫ぶ少女の姿が思い浮かんだ。
『いい!? 大人が、「できないこと」の理由に「大人になったこと」を使っちゃいけないの!! 大体、挑戦もしないで「現実は……」って何よ!! よく聞きなさい!? 大人はねえ、子供が「子供だから」って理由で諦めるしかなかったことが全部できる存在なの!! 子供は嫌でも大人になるからこそ、そうならなきゃいけないの!! そうじゃなきゃ……人は、人生の中のどこで夢を叶えるってのよ!!』
あまりに痛烈な言葉だった。
大人の気苦労や立場への重圧を知らずに理想をそのまま求めてくる子供のわがままな言葉。
だが、その声には何も知らないだけの子供とは違う、上手く行かない現実を知っている者だけが込められる重さが乗っていた。
『野心? 情熱? 気力? 違うでしょ!! 今してるのはそんな話じゃない!! あんたは「やらない理由」を「できない理由」って言ってるだけ!! 挑戦できない自分の臆病さを、とっくに失くした部分にあったはずなんだってすり替えてるだけ!!』
「だが、俺にはもう……」
『もうじゃない、まだでしょ!! あんたにだって、まだ夢は……』
『どうどう、興奮しすぎだ。気持ちはわかるが少し頭を冷やしてくれ』
通信の向こうでもう一人、少女の声よりも年上らしい……最初の少女が十代前半だとすれば、おそらく十代後半くらいの少女の声が割り込んで、最初の少女の声が離れる。どうやら、通話装置から引き離されたらしい。
しばらく後ろで揉めるような音が聞こえた後、少年の声が戻って来る。
『悪いな、今のはこっちの協力者だが今は少し情緒不安定でな……アントニオ、ここまでありがとうな。これだけ調べられれば十分に上出来だ。約束通り、ガロム王にはこれから転生者攻略に貢献した協力者として恩赦を求められるか交渉してみる』
「……爆破は、しないのか」
『ここまで調べれば、雑に起爆するよりもタイミングと要点を絞って攻めた方が効果的だろうしな。こちらから、どうにか兵力を送り込んでみる……可能なら、お前たちも救出できるように手を尽くすよ』
「……すまない」
『だが……最後に一箇所だけ確認してほしいポイントがある。怪しまれるようなアイテム設置まではしなくていい。ただ、俺がデータから割り出した構造が確かなら、その地点に他とは違う特徴があるはずだ。それだけ、目視で確かめてくれればいい……そうしたら、後は収納の中の物資は自由に使っていい。起爆もしないと約束する』
そう言われて、少し躊躇ってから重い腰を上げて歩き出す。
指定された地点に向かって、黒雄にした言い訳そのままに、もうどうしたらいいのかわからないのを誤魔化すようにフラフラと足を進める。
そんな中……少年の声は、申し訳なさそうな空気を混ぜて、こんなことを口にする。
『アントニオ……お前の言うとおりだ。俺は、確かに歳は行ってるが、子供だ……昔、師匠の下働きしてた時にちょっと事故ってな。成長が止まっちまった。肉体も……精神も。知識や慣れで振る舞いはどうにかできてるが、感性は昔のまま、事故の直前まで嫌いだったものが嫌いなまま、好きなものが好きなままってやつだ……実は、今でも苦い野菜とかはしかめっ面で食べてるし、真っ暗な夜中には一人で用足しに行けないままだ』
「…………そうか、それは……羨ましい、と言うべきではないのだろうな」
事故で成長が止まった少年。
『職人』としては子供の柔軟性を保ったまま年月を重ねられたというのはとてつもない利点かもしれないが、『人間』としては一生大人になれない呪いを刻まれていると表現しても誇張にはならない。
子供でありながら、『自分はきっとこんな大人になるのだ』という夢を持つことすらできない……そんな人間に『大人になってしまったこと』を弱音の根拠としてグダグダと語り続けていたのなら、それは本人が何も言わなくても事情を知る周りの人間が怒るのも当然というものだろう。
だが……それでも、少年は迷いなく言葉を続ける。
『だが、俺には大人になれないとしてもそれとは関係ない夢がある。師匠の腕に追いつくのも一つの夢だったが、それを叶えた今でも俺の夢はまだ終わってない……いや、ここ最近の話だが夢が増えたんだ。これはきっと、俺が子供のままだからじゃない』
「…………」
『俺の今一番の夢は、弟子の成長を見届けること……才能はあるが、まだ抜けてるところばかりで困った弟子だよ。あのアホ弟子が安心して修行できる環境を保つために、いつまでも戦争が続いたり世界がなくなるのは困るんだ』
「そうか……」
『だから……途中で折れてしまったとしても、あんたが協力してくれたことで夢が叶えば、俺は感謝するよ。アントニオ』
今の俺は、惰性で歩いている。
感謝されるような立派なものじゃなく、恩赦を手に入れるためという前向きなものでもなく、流されるままに動いている……そんな俺に対して、率直に『感謝する』なんて言葉をぶつけてくるのは、やはりこの少年が『子供』だからなのだろう。
残酷なまでの純粋さと前向きさに背を押されて、指定された場所へと辿り着く。
そこは、入り組んだ城の中で自然には気付かないような、そもそも抜けられる通路として認識しないような場所を通って迷い込むように入り込んだ空間。
これまでの雑な造形でも、辛うじて砦のパーツから『城』としての体裁を保っていたのだと思わされる、巨大生物の体内としての色が濃い造形の構造体の中で……
「うぅ……あぁ……」
「たす……けてぇ……」
「ひぐっ……ぐすっ……」
深く深く……見る間にもさらに深くなっていくように見える大洞穴。
もしかしたら、旧都まで一直線に繋がっていそうなトンネルの壁面。
そこに、数多の人間たちが捉えられていた。
軍服や鎧の軍人たちに、明らかに戦いとは無縁そうな一般人、老人から子供……それに、まるで天使のような翼を持った幼子まで、数えきれない人間が、『祝福』の光を宿しながら銀の樹林に絡めとられ、苦しんでいた。
悪趣味な夜空の写しように、人間の光がどこまでも遠くまで光点を散りばめていた。
「これは……」
『……本来、「黒い祭壇」から引き出せる力が膨大であったとしても、それを受け取る側には限度があるんだ。それこそ、例の聖女のような完全適正者でもなければ、受け皿としての限度に合わせて利用できるエネルギー量も制限される。それは、質量的には規格外な魔王やそれに融合した転生者でも変わらず有限だ……だから、やつらはこうして捕まえた人間に受け皿の役割を肩代わりさせて、間接的に力を搾取してるんだ』
「つまり、これはこれまでマサヨシが轢いてきた軍の部隊や村や町の……俺が教えた、オルーアンへの最短ルートで……」
『……それだけ、じゃない。先頭の城の中からは見えないだろうが、増築で造られた途中の長城からは枝分かれした構造体が近くの人里へ伸びて、「剛樹の魔王」の分体が密集地から順に人間を攫って取り込んでいる……空高くから見れば、それこそ樹木の地下の主根と側根みたいになってるだろうさ。その根っこのさらに周辺じゃ、首無し天使の姿をした無限湧きの怪物が避難勧告よりも早く町々に飛来して人間を捕まえていくんだ……近場の地方はちょっとしたパニックさ』
ここにいるのはごく一部。
おそらくは、先頭区画で直接巻き込んだ正面の人間だけ。
マサヨシに迫られて見せたガロムの地図が脳裏によみがえる。
旧都からオルーアンまで、文明を縦断するようなルート……その周辺に根を伸ばしているとすれば、どれだけの人間がこの災害に巻き込まれているか、想像したくもないものを想像してしまう。
足が震える。
自分が捕らえられているもののあまりの大きさに、自分たちはこの文明を断つ大蛇の口の中で舌に舐られているに過ぎないことを実感し、眩暈がする。
『ありがとう、アントニオ。これで、そいつをどうにかする算段を立てられる。巻き込んで、危ない仕事を頼んで悪かったな』
少年の声が骨に響くが、俺にはそれどころじゃなかった。
これをどうにかする算段が立てられる?
俺には無理だ……破壊工作の実行犯なんて、最初から無理だった。
武器を与えられたところで何もできない、こんな『大きな力』の前には普通の人間にできることなんて何もない。
洞穴に背中を向け、城の中へと走る。
もう、不自然さや冷静さなど考える余裕はなかった。
ただ、一秒でも早くこの空間から逃げたい一心で生物感を醸し出す邪悪な星空から逃げ出す。
そして、覚束ない足下のまま城の通路に出て、そのまま地面の窪みに足を取られて転んだ。
尖った石でもあったのか、脇腹に痛みが走る。
肉体的にも精神的にも限界だったのか、意識が重い闇に落ちていく。
そんな中……
『私は、父や叔父上を尊敬していますよ。ノーランの歴史上の英雄の誰よりも』
吹き抜ける冷たい風の感触と、空気に混じる家畜や牧草の匂い。それに、広い草原と陽光を照り返す青い海。
そんな場違いで曖昧な夢現の世界。
その懐かしい風景の中……心身の極限状態が見せる幻影の中。
すぐ傍らから、ノーランの地で転生者に殺されたはず甥の声が聞こえた気がした。




