第641話 潰しは効かず、されど明日は盤外へ続く
side イラズ・クロミネ
「勇者……ねーちゃん……」
観測装置の向こう側。
画面越しに塵になっていく『理想の勇者』。
キーの一つも叩けないように拘束された今の俺には、手の届かない場所で起きているそれを見ていることしかできなかった。
「どうしても、とのことでしたので映像を繋げましたが、これで満足ですか?」
「殺せ……さっさと殺せよ!」
俺のシステムを奪って俺自身をこうして無力化した『リリア・レイフォックスを名乗っていた女』に怒鳴り声で訴える。
この戦いで俺は『WWW』も『理想の勇者』も失った。
俺の人生の全てを捧げたものが、すべて壊れてしまった。将軍が負けた今ではもう、軍の中でのキャリアも意味がない。
「もったいぶらずに、今すぐ殺せよぉ……もう、生きてる意味がないんだよお!!」
「はあ……殺しませんよ。何度も言いますが、とどめを刺す気もありませんし公開処刑するつもりでもありません。むしろ、これは保護です。軍へのヘイトが高い今あなたを表舞台に出せば八つ裂きにされますよ?」
「そんなの、どうでもいい……もう、なんだって……」
「……そんなにショックでしたか? 『理想の勇者』が……いえ、彼女が負けたことが」
本当に、ショックだった。
自分でも思ってもみなかったくらい、ショックだった。
『ねーちゃん』なんて呼んでるのも、冗談のつもりだった。
だが……
「殺せよぉ……」
勇者の強さが俺の希望だったことを、失った今になって知った。
『理想の勇者』は、俺の夢だったんだって、今わかった。
『素晴らしき子供たち計画』なんてクソったれな世界に放り込まれて、理不尽の中で理不尽に合わせて生き抜くしかなかった俺が、そこから抜け出すキッカケをくれたのは、未完成の『理想の勇者』だった。
それが完成すれば、世界が変わると思った。
いつか、将軍の制御も越えて本物の『理想の勇者』に届けば世界を変えてくれると夢を見ていた。
最強で無敵で……クソったれで間違った世界って牢獄を突き破って、壊して、救ってくれる。
いつか……きっと、俺も救ってくれる。
それが、どこへ行っても、どんな仕事を与えられても、何をしてでも生き延びるための支えになっていた。
「なるほど、そういうことですか。あなたにとっては、『理想の勇者』の器として手を加え続けてきた彼女が『木彫りの神様』だったのですね」
「…………」
「プロパガンダや他人に促されてではなく、純粋に自らの心の中から溢れた『信じたいもの』への想いの形。未来に希望を持てない無力な少年少女が心に希望を保つために思い描く、誰にも負けない勧善懲悪の体現者……あなたが心の中で求め続けた『救いの形』を現実に投影した本来の意味での偶像崇拝。厳しい環境の中で縋り続けた救済の象徴だったのですね」
「そう思うなら……さっさと殺せよ……」
「殺しませんし、死なせませんよ。そんなの、あまりにももったいない」
うなだれる俺の顎に指を添えた女が、強引に俺の視線を上げさせる。
女は、品定めするように俺の顔を見つめて……ニッコリと笑ってみせた。
「ええ、前から思っていましたがなかなか悪くない顔立ちです。それに、せっかくの能力を腐らせるのも、やはりもったいない。四、五年もちゃんと教育すれば、立派に仕事を任せられるスタッフになるでしょう。いえ、なりなさい」
笑顔が怖い。
脅しでも演技でもなく本当に『好意』が感じられてしまうことが余計に怖い。
「と、その前に……」
蛇に睨まれた蛙みたく動けなくなってる俺を前に、女は思い出したように呟いた。
「技術や手法というのは再現性を立証してこそ後世まで認められるもの。せっかく一枚噛ませていただいた事業ですし、主目的が達成されたからと成長を止めるのはもったいない」
「な、なんの話……」
「『闇堕ち軍人コンビ』のライバル路線……『生意気なイキリ惨敗ムーブを基本路線にした天才メスガキ公僕社畜系男の娘アイドル』なんていうのも、『かわいそかわいい系アイドル』のコンテンツ拡大に役立ちそうですわね。最初はライブ乱入なんかのサプライズを提供するヴィランポジションから外伝的に露出を増やす方針で……」
「……へ?」
「安心してください。ティーンズの彼女たちのようなショートカットは用いません。むしろ、手法としての一般化のためにじっくりと試行錯誤しながら、技術としての確立を目指しましょう」
「へ? へ?」
「ふふっ。『理想の勇者』という偶像のプロデュースで大コケしたプロデューサーが今度は自らアイドルとしてプロデュースされる側になる、というのも因果なもの。けれど大丈夫。あなたの精神と尊厳の犠牲は後世で人生を拗らせた多くの少年少女の更生に役立つことでしょう。とりあえず、まずは形から。変装ついでに自分のビジュアルが持つ可能性を知ってもらうところから始めてみましょうか」
「な、何をする気だ! やめろ! や、やめろぉおおお!? ああああぁぁああっ!?!?」
side 夜神夕子
ここは、オルーアンの外……戦場の外。
守護者の力で町の壁も外側の軍の壁も抜けて人気のなくなったいわゆる安全圏と呼べる場所。
喧騒も遠く道らしい道もない平原の中、ボンヤリとしながら思うことは……
「さて……これから、どうしましょう?」
やることがなくなってしまった現状について。
あの炎の守護者使いさんと会ってみれば何かが変わるかもしれない、そう思うことでここ最近を生きてきたけれど、結果は期待外れの虚無感が得られただけ。
「失敗しましたわ……アトリさんに変な嫌がらせなんてしたせいで、すぐに死ぬっていうのもなんか違う感じになっちゃった」
正直に言えば、別にそれだってそこまでこだわる話でもないのだけれど。
せっかくだからというか、自分で台無しにするのはちょっと違うというか、惰性みたいなものではあるけれど。
「どうせなら、程よい頃合いでころっと死ねるくらいの危ない仕事とかないかしら。レイさんならなんだかんだで生きてそうですし、少し探して合流してみたら……それはそれで余計に死に時を逃しそうですわね。レイさん、あれでわりと人情派ですし」
仕事の選り好みをする気はないけれど、変に大事にされたり庇われたりして他の人に迷惑をかけるのも違う気がする。
そうやって、方針も目的も定まらないまま時間の浪費そのものを目的にボンヤリと考えを巡らせていると。
「『夜神夕子』、だよね?」
背後から、『名前』を呼ばれた。
振り返ると、そこにはフードを深く被った黒衣の二人組。
その風体は確か、美森さんから教えてもらったこの世界の知識だと……
「あら、邪神崇拝の……」
「何も言わずに、この子の目を見て」
最初は男の方の声に聞こえたけれど、いつの間にか女性の声に変わっていた声に言われて、前に出た黒衣の方のフードの下からは覗く片目を……妖しく光を放つ瞳を見つめる。
そのまま、数秒の沈黙が続いて……
「『夜神夕子』、私たちのために命懸けで戦う駒になって」
そう言われた。
脈絡もなく、取り引きや条件もなく、お願いというよりは命令という声音で。
状況はよくわからないけれど……
「ええ、構いませんわ。いつ誰と戦うのか知りませんけど、あなたたちのために死ぬまで戦えばいいんですのね?」
とりあえず、そう答えました。
特に感慨も疑問もなく、予定調和のような流れに自分でも少し可笑しく思いながら。
「……本当に捨て駒にするかもしれないけどいい?」
「ええ、特に問題はありませんわ。けれど、どうしてそんな当たり前のことをお聞きになるのかしら?」
こちらは別に構わないと言っているのに。
おかしな質問ですこと。
「じゃあ、まず私たちのことは『ご主人様』って呼んでくれる?」
「ええ、わかりましたわ、ご主人様。御用はそれだけかしら、ご主人様?」
軽く問い返す私に、顔を小さく見合わせる二人の『ご主人様』。
そこにはどこか困惑のような気配が見られますわね。
「ちゃんと効いてるの?」
「二重にかけたし、たぶん……変わってないようにも見えるけど……」
「一応、確かめておいた方がいいわね」
あけすけな密談の後、ご主人様たちは私に向き直る。
少しだけ警戒心が見える臨戦態勢で。
「これは命令。これから目の前で何が起きても、絶対に驚かないで」
そう言って、おもむろにフードを外すご主人様。
その下からは……まあ、確かに普通に事前の断りなく見せられれば驚いてもおかしくなさそうなもの。
けれど……今の私が驚くようなことではありませんでしたわ。
「…………」
「……驚いた?」
「いいえ、特には。『驚くな』と言ったのはご主人様でなくて?」
私の返答に、再び顔を見合わせて、小さく頷くお二人。
どこか安心したように、小さく息を吐いて話を続けますわ。
「ちゃんとかかってるね。反応が薄いタイプだっただけみたい」
「よかった……じゃあ、ついてきて。とりあえず、しばらくは私たちの護衛をしてもらうから」
そう言われて、どこかへ手を引かれていく私。
まるで馬のような家畜か魂のない人形を扱うみたいな、連れて行くというよりも持っていくといった扱い方。
……はてさて、私に何がかかっているというのでしょう?
ふふっ、変な『ご主人様』ですこと。




