第479話 英雄譚の打ち切り
side ユーキ・マキシマ
僕にはトーリーさんみたいな並外れた聴力はないし、壁の向こうを見透すような目もない。
だから、当然のように地下から地上の様子を感知する彼女が『地上の様子』を教えてくれても、それは伝聞でしかないというか、本当にリアルタイムで起きているという実感が薄かった。
けれど、実際に地下通路から地上に近付いてくると、常人の僕にもわかるほどの揺れと破壊音。
揺れの度にレンガの隙間から零れ落ちる砂、変な圧力がかかってるせいかひび割れて落ちてくる小石。
この地下道そのものがいつ壊れてもおかしくないという状況で、僕を抱えたまま僕が自分で走るよりも速く走れるインセクターさんに運ばれるのに文句を言えるわけもなく、結局は民家の地下収納に見せかけて隠されていた地下道の出口まで運ばれてしまったけど……
「あっ、本当に避難所に近付いてる! もう、瓦礫が飛んでくるくらいに近い!」
「うむ! 避難所が頑丈だと言ってもまずいかもしれないな!」
『守護者』を使って戦う転生者と『魔王ヒイラギナツメ』の戦闘地点が、避難所として人を集めた聖堂に近付いている。
もっと厳密に言えば、おそらく移動はしていない氷の巨塔の遠距離砲撃と押し合いをしながら移動する闇の守護者が避難所の近くまで動いている。
周囲は氷柱砲撃の流れ弾や守護者に土台を削られて倒壊した建物の破片なんかが飛んで二次被害がばらまかれている。
二次被害と言っても宙を舞う瓦礫の中には納屋くらいに大きなものまである。
当然だけど、そんなものが運悪く命中すれば避難所にいるような非戦闘員は死ぬ。
訓練を積んだ軍人だって雨のように降り注ぐ瓦礫なんて避けられないし、当たりどころが悪かったり潰されたりすれば、やっぱり死ぬ。
きっと、避難所の人たちはまだ聖堂の中だ。
結界で他の建物よりは強度があるあそこに籠もってる方が瓦礫の雨の中を逃げるよりはまだ危険が少ないから。
あそこ以上に安全だと確信を持てる場所がない以上、残ったまとめ役の兵士の皆もマニュアル通りに守りを固めているはずだ。
けど、それも段々と近付いてくる破壊の中心に怯えながら待つことにしかならない。
「しかも、これから毒ガスも……自分は急いで避難所に知らせて来ます! インセクターさんは……インセクターさん?」
僕を地上まで連れてきてくれたインセクターさんは、暴れている転生者とは別の方を見て動きを止めている。
まるで、何か無視できないものを見つけて気を取られてるみたいに。
「どうか、したんですか?」
「ああ……何か、近くにいるらしい」
「それって……敵? 僕には何も……」
「匂い……なのか? すまない、私にもどうやって感知しているのかわからない。私の能力の一部なのかもしれない。前にも一度あったが、今度は前よりもずっと近い……気になるな」
なんだか、インセクターさんのこれまでの振る舞いからすると不自然にも思えた。
その気配が近いだけで落ち着かないというか、どうしても無視できないというか。
「僕は……自分は、ここから一人で大丈夫です。インセクターさんはその気配の方に」
「ユーキくん、いいのか?」
「ここはもう十分近いですし、戦ってた兵士の人たちも逃げちゃっていないみたいですから。それに、もしかしたら……」
インセクターさんの感じている気配は、脅威という感じではなさそうに見える。
むしろ、気になって、気配の正体が知りたくて仕方がないみたいな……それは、インセクターさんの失った記憶に深く関わるヒントなのかもしれない。
もしそうなら、この次々に街が崩壊していくような状況で、いつ消えてしまうかもわからないそれを探す彼を止める権利なんて、僕にはない。
インセクターさんは、しばらく逡巡した後……
「すまない。終わったらすぐに戻る」
そう言って、彼が感じた気配の方へと走り出す。
本当は、居ても立ってもいられなかったというように。
「どうか……ご無事で」
僕も油を売っている暇はない。
ここからは自分の足で避難所になってる聖堂まで向かわなきゃいけない。
降りかかる小石や木片の雨を手で払いながら、飛んできた巨大な瓦礫であちこちが崩壊し始めている街道を走る。
もう何年もこの街に済んでいて見慣れた景色が破壊されているのを見るのは思ったよりも堪えたけど、感傷に浸っている暇はない。
元の日常は戻らないとしても、今生きている人の命だけはなんとか助けないと。
「あの守護者使いの転生者が暴れてなかったら、街もここまでは……」
走りながら巨大な闇の守護者を見遣って、ふと昔のことを思い出す。
『守護者』……転生者の与えられる能力の一種で、多種多様な転生特典の中でも典型に近いパターン化されたタイプ。
『守護者』の姿形は転生者ごとに全然違うけど、性質には共通点がある、『いつも自分を護ってくれる何か』というイメージの具現化みたいなもの。
僕は転生者だった父さんから、昔の冒険の話を何度も聞いた。
転生者の生きる世界に憧れて、何度もせがんで聞かせてもらった。
その中にも、『守護者』を持った転生者たちとの出会いの話があった。
『守護者使いというのは、性格が守護者の大きさや形に出るんだ。単に強い弱いって話じゃない。得意不得意もあるし、見た目は小さくても芯が強いってこともある』
冒険者をしていて、敵対したり味方になったり、どちらにもならなかったり。
父さんの世代には『守護者』を転生特典に選ぶ人が多かったらしくて、何人かの知り合いがいたらしかった。
そして、そうやっていくつかの『守護者』を見てきた父さんは穏やかに語ってくれた。
『けど、基本的にはみんなそんなに悪い人じゃなかったよ。個性的というか、自分の世界観や価値観を守ってる人が多かったけど、自分勝手ってわけじゃなかった。大切なものを護りたい、そういう時に一番強くなるから「守護者」なんだろうね』
そして、その体験談の中には……
『特に苦労したのは、本人も抑えられないような何かが心から溢れてきた時、だったかな。元から涙脆かったり、失恋したばかりだったり、誇りを傷付けられたり。彼らの心が泣いてる時は、特に強くて恐いんだ。けど、そういう時には……』
父さんの話を思い出してからもう一度『闇の守護者』を見る。
影も見えない黒一色の姿だからハッキリとは見えないけど、その姿は……
「もしかして……」
呟きが漏れかけた、その時。
角を曲がった瞬間、正面からばったりと人影と行き合って驚いて足を止める。
あちらも僕に驚いたらしくて立ち止まったけど、その服装は……
「に、日本の服……て、転生者?」
「やべっ、兵士か!」
空山さんみたいにこの世界で作った装備じゃなく、あちらの世界の服を着た僕と同じくらいの年の女の子。
転生者に多いタイプの顔付きとかもそうだけど、着心地が悪くて慣れないこちらの服を嫌うのは、軍の教育でも習う『転生して日の浅い転生者』の特徴だ。
そして、この街が混乱に包まれた最初の原因は確か……
「まさか、クーデター軍の!」
「ま、待て! 今のこの街で争うのはマズいんだ! 知らねえのか!?」
鉢合わせでかなりの至近距離。
思わず何かをされる前に取り押さえようとしかけた僕に反応して待ったをかけられる。
不審な動きをしたらすぐに取り押さえるために身構えるけど……確かに、『戦闘禁止』のルールがある。取り押さえるにしても、うっかり怪我でもさせれば僕がルール違反になってしまう。
あっちも身体能力を強化したりできるタイプの能力じゃないのか、互いに下手に動けないまま状態が膠着する。
クーデター軍の転生者……どんな能力があるかわからない以上、丸腰に見えても気を抜けない。
十秒経って、固唾を飲み……二十秒経ったところで。
「……チッ、なんだよ。兵士つっても、よく見たらせいぜいタメのガキか。虫も殺せないような顔して軍服なんて着やがって」
「なんっ……いや、それがどうした! これでも基礎訓練課程は卒業した軍兵だ! 素人の捕縛くらい容易いぞ!」
「はんっ! やってみろよ青二才! あたしの能力でてめえなんて瞬殺だこの野郎!」
相手の腕に不自然な力が入っている。
あれはそう……拳銃の早撃ち。飛び道具への対処訓練で何度も見た予備動作に似ている。
腰に武器の類があるようには見えないけど、転生者なら『見えない武器』くらい出てきても何も不思議じゃない。
何が起こるかもわからない未知の能力を防ぐ術なんて僕にはない。
相手が戦闘技術のない女の子だろうと、転生者としての能力で『何か』をするのを許したら本当に瞬殺される。
だけど、この超至近距離ならその『何か』が身体の動作を必要とするものだったらその前に押さえ込める。
互いに緊張が走る……けど、それを破ったのは、凄まじい破壊音だった。
ドゴンッ、と曲がり角を成していた建物が砕けて、目の前を岩の塊が通り抜けた。
「うわっ!?」
「な、なにが!」
次々に飛んでくる、これまでより大きな瓦礫の雨。
もはや睨み合いどころじゃない。
粉塵が舞い上がって互いの姿すら見えない。
というか、睨み合いをしてる場合じゃない!
「避難所が!」
半ば遭遇地点から逃げ出すように本来の目的地へ走る。
あっちもこんな危険地帯で追撃してくる余裕はないと信じて、それよりもこの瓦礫の雨で避難所に被害が出ていないことを祈りながら。
いつしか『闇の守護者』もずっと近付いてきていて、瓦礫の雨はそれで壊れた建物の残骸で、守護者の触手みたいな部分に削られたような痕までそこかしこに見えるようになってきて……
そして……
「避難所……聖堂は……ここ、だったはず……なのに……」
最後の角を曲がって見たものは、土台ごとごっそり消え失せた聖堂の跡地。
呆然と立ち尽くす僕の背後で、一際大きな破壊音が響いた。
side ???
壊れゆく街の中を、ゆっくりと歩く。
無駄にできる時間はない、それはわかっている。
なのに、走る気になれない……どうしようもなく惹き寄せられているのは確かなのに、そこへ行きたくないという相反する直感がある。
悪い予感……いや、予感以上に確かな感覚。
その感覚に引き摺られるように街中を進んで……見つけたのは、一つの廃墟。いや、廃墟になったのはついさっきと言えるくらいに最近か。
その中には……
「はあ……やっぱり、こうなっちゃうんだ。せっかく私の方も『記憶の虫』を削ってまで忘れてみたのに、帰巣本能みたいなものがあるのかな?」
大きめの、人の頭ほどの大きさの壺を抱えた転生者が一人、我が物顔でテーブルの上に座っている。
そして、どこか困ったような表情で、私の来訪を待ち受けていた。
「キミは……いいや、『キミ』ではない、のか……?」
「やっぱり、出会ったらわかっちゃうんだね。はあ、この方法じゃ本質的に『私じゃないもの』は産めないのか……いろいろと違うようにしたんだけど」
転生者の抱える壺の中で、虫の群れが壁にぶつかるような音がする。
まるで、こちらに集まってこようとしているかのように。
「思い出そうとする気がなくても、フェロモンも通り抜けないはずの容れ物に閉じ込めても、グチャグチャに潰してみても、細胞が惹きつけ合う。『記憶の虫』が弱ると、死ぬ前に『次の脳』に情報を送って、時間がかかってもいつか元に戻っちゃう……その断片からフェロモンのパターンを思い出したあなたがここに来たみたいに」
全て想定の範囲内。
そんなふうに話す目の前の相手の言葉を、何も否定できない。
わかってはいけないはずの情報なのに、なんとなく理解できてしまう。その事実こそが、失われた記憶の答えだった。
「これはもう、テレパシーとかシンクロニシティみたいなもので繋がってるんだろうね。これだと焼いたり夕子ちゃんの『不明』に投げ込んだりしてみても死にきる前に移るだけかな」
一つの実験結果について考察するように独り言を呟く転生者。
そして、私の方を見つめて、こう言った。
「おかえり。あなたの『親』に……なりたかったよ」
その直後。
背後で、一際激しい破壊音が響いた。
方角、そして距離は……聖堂だ。
「ユーキくん!」
「あっ、どこ行くの! 待って!」
私は転生者からの声も振り切って、破壊音のした方向からの嫌な予感に意識の全てを向けて走った。
今の私には、それだけしかできることがなかった。




