第461話 有難き日々
伏線の多かったノギアス編、最後の伏線回収。
最初の登場回から気付けた人はいましたか?
side 狂信者
時は流れて……と言っても、数時間程度ですが。
マニス派とのポーカー対決大一番、オスカー氏の襲撃、そして勇者様の撃沈という様々なイベントがあった日……ではなく、いつしか日付も変わってもう夜明けまでもう少しという頃合いですかね。
いやはや、元々イベントの後始末やら利権移譲の手続きやらで忙しいことになるのは決まっていましたが、『ノギアス・マフィア』のボスが凶弾に倒れて『魔王の力』がゴルディオさんに移動するなんて大事件まで立て続き、街はてんやわんや。
ゼロさんが壊れた街と人々を治して行ってくださったおかげで、どうにか収拾はつきそうですがね。
その瞬間の痛みや混乱はあれ、責任や賠償といった話は本来もっと大変なことになっていたでしょうしね。それが一夜の夢のように痛みも残さず消えた、それだけでもかなり事情は違うでしょう。
とは言っても、全員が全員傷も残さず完治した……とは言えなかったようで、こうして医務室にお見舞いに来ているわけですが。
「いやはや、小野倉さんこの度は大変勇敢でしたね。いえ、女性に対してこういうのは言い方が良くないのはわかっていますが……名誉の負傷、そう呼んでいいかと思いますよ」
「いやぁ……変身したらもうちょっと動けるかなーって思ったんすけど、全然っしたわー……恥ずかしいっす……」
ベッドにうつ伏せで横たわる小野倉さん。
行儀が悪いとかではなく、背中を斬られたおかげで今はその態勢でしか療養できないという話なのですが。
彼女だけがこうしてダメージを残しているのは、やはり下手人が勇者様だったから、でしょうね。
その気はなかったのでしょうが、奇蹟の回復を阻害する技を使った……というよりも、ロバートさん相手で苦戦していましたし、普段から通常攻撃として『確実に殺す剣』を振る癖が付いているのかもしれませんね。相変わらず、融通の利かない性分のようで。
ちなみに、私の隣では……
「はあ……本当に運が良かったわ、『生身』じゃなくて。一ヶ月くらいは能力使えないだろうけど、変身体がクッションになってなかったらゼロの奇蹟を待たずに死んでた傷よ。変身型でよかったわね」
『不運』によって暴徒を演じた『群衆の贋作』を処理していた勇者様に誤って斬られかけた年端もいかない少年を助けるために、とっさにその身を躍らせて見事切り傷だけで済ませた勇気ある小野倉さんを診ていたテーレさんは呆れたように息をつきます。
小野倉さんの背中は疵痕こそあるものの今はもうほとんど治っているように見えるます。
残ったダメージもどちらかと言えば精神的な痛みの残像のような部分が強いらしく、しばらく安静にしていればまた普通に動けるようになるとか。
しかし、それはあくまでゼロさんが起こした奇蹟の結果。壊れた街を復元するほどの『巻き戻し』を受けてもなお疵痕が残るほどの斬られ方をしたとも言える。
この場合の『下手をすれば死んでいた』というのは洒落や冗談で済む言葉ではありません。
たとえ、最終的な因果がこの街のルールによる運気の補填で『不幸中の幸い』に収束したとしても、それと彼女の勇気は別の話です。
その勇気があったからこそ、勇者様の一撃をギリギリ耐えられる能力を持った小野倉さんが動いた。だからこそ、勇者様は踏みとどまることができた。なんとか、『ただの人殺し』にならずに済んだのです。
「小野倉さん、疵痕が残ってしまうといっても、もしその気があれば他の部分の皮膚を移すなどで隠すこともできるとか。もし必要であれば……」
「そのこと、なんすけど……できれば、この傷はちょっと残しておきたいかなって思うっす。隠せないわけじゃないし、隠したくなったら後からでもできるなら……一応、『勲章』ってことで」
少々恥じらいながらそう言う小野倉さん。
それが少し意外だったのか、テーレさんが問いかけます。
「まあ、手術は簡単だしお金もあるだろうからいつでも治せるのは確かにそうだろうけど……本当にいいの? 結構大きな疵痕になるわよ?」
「そっすけど……『名誉の負傷』であるのと同時に『戒め』って感じもあるかなって。ほら、ジブンもすぐに捕まったとはいえ、あのオスカーって人とやってたことは同じだったし、初めはちょっとだけなら、周りが勝手に勘違いしてくれるだけだからって思ってたのがどんどん傲慢になっていって、最後にはああなるはずだったのかなって。因果応報ってやつっすね。まあ、ジブンが人を助けられたっていうのはちょっと誇らしいかなってのもあるっすけど」
「……そうね、子供が斬られそうになってるのを見て飛び込むなんてなかなかできないわ。誰にでもできることじゃない」
「そうっすかね……そりゃまあ、目の前で剣振り回してる人に近付いていく子がいたらほっとけないっすよ。変身した自分が全然動けないのを把握してなかったっていうのもあるっすけど、深く考えずに体が動いていたっす」
当時の小野倉さんは変身能力の即死回避機能も知らず、自分がどれだけ動けるかもわからなかった。
斬られない可能性もあった、斬られて死ぬ可能性もあった。
未知数の賭けに、考えるまでもなく『子供を助けた』……それは、誇ってもいいことです。一瞬でも迷っていたら、きっと手遅れになっていた。
「小野倉さん、あなたは自分で思うよりも『ちゃんとした人』ですよ。今回の作戦であなたが得たお金はそのまま、あなたのものとして受け取ってください。騙し取るような形になったとしても、それはあなたが正式に譲渡されたもの。心苦しい部分があっても見舞金だと思ってほしい。しばらくは困窮に急かされることなく、この世界でのあなたの生き方をゆっくり考えてください」
「あはは、ありがとうございます。けど、また動けるようになったら、もう少しこの街でいろいろお仕事してみようかなって思ってるっす……あの子には、なんか尊敬されちゃったみたいですし。ダメ人間なところはちょっと見せられないかなって」
叱責や懲罰を伴う『大人の目』よりも、純粋な尊敬を宿した『子供の目』の方が気の引き締まる。
頑張り方は人それぞれかもしれませんが、小野倉さんは自分を奮い立たせるものを見つけられた……そう考えれば、災い転じて福となった。そう言えるのかもしれませんね。
小野倉さんのお見舞いを終え、テーレさんは『ノギアス・マフィア』の方々とお話に。
まあ、今回の後処理とかそこら辺の話でしょうが、私はいなくてもいいとのことだったのでダイアナさんのお店のラウンジで、食べ損ねた料理を改めていただくことにしました。
まあ、一度は店と一緒に破壊されたものなのですが、ゼロさんが店と一緒に直してくださったので土や埃とかも混ざっていませんし、他の人はちょっと食べるのに気が引けているようですが、そのまま廃棄はやっぱりもったいないので。
もうオスカー氏の遺体なども片付けられ、今夜の事件の中心から離れた静かな店内。
そんなところに……
「一回床にぶちまけられたやつだろそれ。よく平気で食べられるな」
イコール博士……見た目は黒人のお爺様なヒトシさんと、傍に仕えるアヤメさん。
騒動のほとぼりが冷めて来たから戻ってきた、という辺りでしょう。
「完全に元に戻っていますし、普通に美味しいですよ? 冷めてしまいましたが、私はこういうのも悪くないと思います」
「そうかよ、変わってるのは相変わらずか」
「そちらの体調はよろしいので? オスカー氏の『不運』でかなり具合を悪くされていたように見えましたが」
「さっき治ったよ、他の人間やこの街が治るのと一緒にな。話には聞いていたが、ここまでデタラメができるようになっているとはな」
あのパニックの後では注目もされていないためか、もう最初のような好々爺然とした演技をする気もないらしく、以前の口調でそう言ってソファーに腰を下ろすヒトシさん。
その表情は呆れや驚きではなく、何かを深く考え続けているものでした。
「狂信者、状況はそこらの話で大方把握したが、確認しておきたい。『ウスノロ』……じゃあないな、もう完全に別物になった『ゼロ』は、誰かに願われて街や人を直したのか? それとも、自己判断か?」
「……自己判断です。まあ、あの場に街や人を元に戻してほしいという願いを持った人間がいたのかもしれませんが、誰もそれをはっきりと求めてはいなかった。その無意識の願いを汲み取ったのだとしても、それを選んだのは彼自身です」
「そうか……つまり、はっきりとした意志の指向性がある。自我を持っているんだな」
そう言うと、少し考えるように溜め息。
胸ポケットから何かを取り出すような仕草をしてから、そこに何もないことに気付いて所在なさげに手を振ります。ルビアさんの話で以前はよくタバコを吸っていたとのことなので、その時の癖ですかね。
傍らがアヤメさんは、ヒトシさんの仕草を見てポケットから取り出した棒付きキャンディーを差し出すと、口寂しさを紛らわすようにそれを咥えます。
「狂信者、お前に質問がもう一つあるって言ったこと憶えてるか? 土蜘蛛の話の後、しようとしていた話だ」
「ええ、途中でオスカー氏が攻め込んできてできませんでしたね」
「ああ、その話だ……お前、ていうかお前らクロヌス軍の話なんだが、俺の『秘密金庫』の中身って回収したか? 『研究施設』にあったやつ。能力で強度と隠密性を弄った、トラックコンテナサイズのチタンのやつだ」
「コンテナサイズのチタン製の金庫、ですか? いいえ、見ていませんし回収したというのも聞きませんが」
「やっぱりか……この間、まだ脱皮を始める前の土蜘蛛に頼んで『研究施設』の跡地に見に行ってもらったんだが、綺麗に空になっててな。お前たちが開けたんじゃないなら……リリアのやつか。あいつには見つからないように隠してたつもりだったんだが、どさくさに紛れて持っていかれたな」
「何が入っていたのですか?」
「……俺の作ってたものの中でもヤバいもの、それこそ『擬人悪魔兵』の作り方とか色々入れてあったが、重要なのは……『祭壇』と、そこから抽出できるエネルギーについての研究データだな。俺が『世界を変える』のに必要だったデータだ。こうなるんだったら処分しておくべきだったか」
紛失したのは機密情報の中でもトップシークレットの部類。
ヒトシさんが身内にも秘匿していた本当の目的に関わる、『祭壇』と、そこから抽出できるエネルギーの研究データ。
それはつまり……
「ゼロさんの本質に迫るデータ、ということですか?」
「もっと言えば、この世界でいわゆる『摂理』って呼ばれている現実改変の抵抗値についての研究データだ。転生者の転生特典に関わる空間ステータスでもある。というか、お前だってある程度は理解してるんだろ? 周りの摂理抵抗を操作できるんだから」
「まあ、そこは感覚的にですかね。重力と同じようなものです。落下のエネルギーを上手く利用したり重いものを軽々と持ち上げたりできるのと重力加速度や建物の強度を計算できるのは違いますよ。世界にごくありふれた当たり前のものを改めて数値化して研究できるというのは本当にすごいと尊敬します」
「凡人は存在すら意識できない力を感覚だけで『当たり前のもの』って言いきれる時点でどっかおかしい気はするんだが、まあ、ともかくだ。俺の研究データを読んだならわかっているかもしれないと思ってたが、読んでないってんなら話しておくべきか」
そう言って、ヒトシさんは周囲の注意がこちらに向いていないのを確認してから、声を潜めて告げました。
「まず結論から言うが、あの『ゼロ』ってやつは恐らく先が長くない。そもそも不安的なエネルギーの渦が器の形に沿って人間みたくなってる『現象』だ……その存在は『摂理』にそぐわない」
それから、私の顔を見て。
小さく溜め息をつきました。
「なんだよ、知ってたって顔じゃねえか。それも感覚的にってやつか?」
「いいえ……違いますよ。本人から、それらしい言葉を聞いたことがあったので。『たった一度の、自分自身の願いを叶えるまで』……どうして『たった一度』なのか、そして『次の場所で最後』とも。もしかしたら、そういうことなのかなと」
「そうか……本人もわかってたのか。なら、遠慮なく言わせてもらうぜ」
そう前置きして、ヒトシさんは説明を始めます。
希望的観測よりも、より確率の高い未来を正面から見つめるべき『科学者』として。
「あの『ゼロ』って形を取った『現象』は、元がどんな形にも作用し得る『無色のエネルギー』がウスノロの収納能力って器の中で爆ぜたことで生まれた偶発的な奇蹟だ。本来はすぐに霧散するか適当な形に変化するはずのエネルギーが、擬似的な人格という指向性を持って渦を巻くことで待機状態で安定している……早い話、かき回し続けることで液状を保っている過冷却水みたいなもんだ。規則正しく、定速で液体全部が回り続けている限りは安定化していた」
「しかし……彼は、様々な刺激から成長し、『変化』してしまった。それは、渦に乱れができて流れが滞る部分を生んでしまったと?」
「そういうことだ。まだ自我なんて持たない、単なる『無我の願望機』だったなら、それは願ったことが叶ってしまうってだけの無機質な現象だ。きっと、金品財宝やらの俗的な願いを叶えながら存在し続けるだけなら大した問題はなかったんだろうがな。『全能の権能』そのものであるはずの存在が『人間らしい自我』を持つ……それは、言い換えれば『世界が全能者に支配される』ってことだ。本人にそんな野望なんてなくてもな」
「転生者や従属神には能力の条件や在り方としての方向性があるからこそ、権能の保有を許されている。しかし、それらの縛りを持たない『無条件の全能者』は主体性を持つことが許されない……ただの『現象』であることが、辛うじてその存在が認められる条件であったのに、それを破ることは己の能力のルールを破ることに等しいと」
「そうだ。その手のルール破りは仮に主神とやらに匹敵する力があったとしても、既に『摂理』を設定した『神々』がいる世界においては不可能に近い。仮に同じ出力だとしても、相反する『権能』は早い方が高い優先権を持つ……だからこそ、この世界に対して『既に発動し終えている権能』である『摂理』は絶対的だ。少なくとも、この世界の天界やら神の加護やらってシステムが健在である以上は、勝負すら成立しない。挑んだところで、確定済みの『負けた』って結果を渡されるだけだろうな」
いわゆる、矛盾の問題。
転生特典と転生特典の効果が矛盾した場合、権能と権能が矛盾した場合。
多くの場合はより上位の権能、より出力の高い効果が優先的に結実するでしょう。しかし、それは予め天界の神々の間で規格化された優先度の判定基準……いわゆる『摂理』が定まっているため。
優先度100の『どんな盾でも貫く矛』があったとして、それが永遠に『どんな盾でも貫く矛』であるためには世界全体に『優先度101以上の盾を作ってはならない』というルールを設けなければならない。
あるいは、『優先度101以上の盾を作る場合においても必ずこの矛には貫かれるという条件を与えなければならない』となるでしょう。でないと、ゲームで言うところの不具合が現実で発生してしまう可能性が残る。
それと同じことがゼロさんに対して適用されるとすれば……偶発的にしろ、本来はありえないはずの『無条件の全能』というバグ技を手に入れてしまった。
それが他人の意思に従うだけの現象であれば、『摂理』は願いをかけようとする人間に働き、世界に不具合が生じない範囲に影響を抑えられる。現に、ゼロさんの転移先は彼に『願わない』方だけが選ばれていたのです。
しかし、その全能自体が、彼自身に『願う者』に変化してしまう……『摂理』の影響を突破する力と意思を持ってしまえば、それは『存在するべきではないもの』とされる。
既に、世界には神々の、主神様の法が敷かれているのですから。
たとえば、通常の手続きを踏まなかったり転生特典の規格を守らない違法な転生者や、対応する転生者が亡くなっても権能を天界に返還しない神器、魂の循環から外れてしまう死霊の類い、天界の敷く『摂理』にはそういった『発生してしまったエラー』の処理も含まれるでしょう。
通常であれば、テーレさんのような『天使』の本来の仕事がその対処だったりするのでしょうが……
「お前のさっきしてた話……土蜘蛛が『地獄』で迷いやら煩悩やらを捨ててって話だ。あれもそういうことだろう? 『神の領域』に入るには、普通の人間の心なんてものはノイズが多すぎる」
「ノイズ……というのは、少し違うと思います。人間の苦悩懊悩煩悶は、その瞬間の選択の可能性そのものです。最終的に選べるものが一つだけだとしても、他の選択肢について検討したことも無意味ではありません」
「『悩むだけ時間の無駄』……ってのは、確かに嫌な言葉だな。なら、表現を変えるか。ゲームで言えばそうだな……新しいカードやコマンドを実装するならそれはルールに即した処理ができるものとして定まったテキストを持っていなければならない。そして、ルールの方もそれがどんな場面で実行されても致命的なバグが発生しないように例外処理や解釈を固めなきゃならない。勝手に自分についてのルールを都合よく書き換えられるカードなんて認められない。世界の法則に食い込むようなものが『人間的』になるってのは、カードがプレイヤーになりたがるようなものってことだ」
「『人間らしくなるほど、存在が不自然になる』。自我を持ち、自分自身の『願い』を具体的に意識できるようになれば、それだけ不安定になる……そういうことですね。彼が転移するまでの時間……『自分で意識した願い』が結実するまでの時間も、一瞬で消失した最初よりも遅くなっていますし。既に予兆は現れているということですか」
「そうだな……そもそも、本来は存在自体がありえないんだ。あの『祭壇』は、神々とやらが用意したこの世界へ干渉するためのバックドア……たとえば、巨大隕石の衝突やらで人類そのものが危ぶまれる時にはあれを使って『摂理』の制限を超えた特例措置をするためのものなんだろう。俺はその機能を利用して、『摂理』の制限を無視して世界を変えようとした。要は裏技だ……だが、俺の儀式で起動した『祭壇』は今や完全にその制御を離れて明確に暴走している。誤魔化しは利かない」
「人間の心に神の力は身に余るもの、そして逆もまた然りですか。彼が殉ずる概念を定めて一柱の『神様』になりたいというのなら話は別なのでしょうが。ゼロさんの願いは『人間になりたい』でも『神様になりたい』でもないもの、そして人間になってから叶えるとはいかないものなのでしょう」
「……あいつのことは、止めないんだな」
「その願いが世界を歪めるようなものならその時に対処しますが、そうでないのなら……『命懸けで叶えたい夢がある』、それだけで引き留めるのは道理が通りませんから。自分が燃え尽きて構わないというほどに叶えたい夢があるのなら、止めたところで意味もない」
「……そうだな、それがいい。『天才』なんて呪いに嫌々突き動かされていた俺とは……止めてもらえてほっとした俺の時とは違う、『自分で決めたこと』だからな。それが聞けて安心した」
そう言って、立ち上がるヒトシさん。
人目を気にするように帽子を目深に被り、老人のように杖に体重を預けます。
もう表舞台に上がることはできない、死んだはずの人間としての立場を弁えるように。
「狂信者、頼みごとなんてできる立場じゃないことはわかっているが、あれの行く末を見届けてくれ。望まないものだとしても、意図しない結果だとしても、そもそもが間違いの積み重ねだったとしても……ゼロは『研究施設』の生み出した最後で最大の『研究成果』なんだ。俺たちの足掻きを、数多の犠牲と間違いをただの『無駄』に終わらせたくはない。せめて、その結果だけでもしっかり観測してやってくれ」
返事も聞かず、こちらに一礼だけして付いていくアヤメさんを伴って去って行く黒い肌の老人の後ろ姿。
パニックの余波が消えない内に退場しなければならない。そんな彼がリスクを吞んで最後まで話をしに来てくれたのは、結局の所、最後の用件が目的だったのでしょう。
今回のことも、あんな目立つゲームになんか参加する必要はなかったはずでしょうに。
「はあ……断るわけがないでしょう、それくらいのこと」
私は野蛮人でも義理堅いタイプの野蛮人のつもりですよ。
土蜘蛛さんには多少打ち解けたようですが、他人を頼るのに遠慮がちなのはまだ治りませんねえ。
「あら? あの子とのお話はもうよろしいんですか?」
「おや、あなたは……これはこれは、この度はご協力ありがとうございました」
ヒトシさんが去っていつしか入れ替わるようにやってきていたのは、兎の髪飾りの見目麗しきお方。
まあ、私たちのゲームでディーラーを務めてくださった方、なのですが……まあ、それだけでは不十分ですかね。
ゲームの前に私とテーレさんで訪れた孤児院の世話役の方でもありますし、何より……
「ルールに守られるとはいえ、他の方がディーラーであれば、ゲームが続行できるとしても潜在的な病などの見えない形で『不運』に見舞われる可能性もありました。その場合も治療や補償の準備は済ませてありましたが……私が心置きなく作戦を貫けたのは、あなたがディーラー役を担ってくださったが故のことです」
今はお忍び、そう振る舞っているのであればこちらもそれに合わせて『ただの人間』として接するべきなのはわかっていますが、それでも最高の敬意を払わないわけにはいかないお方ですから。
「麗しき微笑みの『幸運の女神』よ、わざわざ現世においてご足労くださるとは感激の至りです」
オスカー氏は自分を非転生者と偽った上でありえない幸運の理由として『幸運の神性』の持ち主を騙ろうとしていましたが、見れば一発でふかしだとわかりますよ。
だって隣にその『本物』が立っているんですもの。ちょっとシュールなギャグみたいでしたよ。
「あら、やっぱり気付いてたんですね。まあ、孤児院ですんなりテーレを貸してくれたからそうだろうとは思っていたけれど」
「曲がりなりにも同じ化身ですから。しかし、よかったので? 転生者への干渉はアジム様がお怒りになるのでは?」
「はい、なのであくまで『この私』はただの神性持ちの女の子、ディーラーをやってたらとんでもない札ばっかり引かされちゃってちょっとヤケ酒しちゃった、酔ってトランスして自分に『幸運の女神様』が降りてきていると思い込んでいる女の子。そういうことにしてください、ギリギリセーフラインで。一晩寝たらここでの会話も覚えてないし、ここで『この子』が知らないはずのことを口走ってもそれは酔っ払いの妄言ということで」
言われてみれば、確かに仄かにお酒が入っているご様子。
いやまあ、ディーラーとしての仕事は完全に公平に『幸運』に依存したランダムな結果を出してくださった結果ですが、ロイヤル・ストレート・フラッシュ出し過ぎましたからね。ちゃんと混ぜていたのは確認していましたが、それをちゃんと見ていない方にはカードをちゃんと混ぜなかったように見えてしまうこともあるでしょう。
あの時はただの『神性持ちのディーラーさん』だったのでしょうし、悪いことしましたね。
「いやあ、それにしても驚きましたよ。『神性持ち』とは基本的に王神などの子孫に発現する先祖返りのような体質と聞いておりましたが」
「まあ、当然ながら若い内に死んだ私に子供なんていませんでしたし。この子は単に形質が生前の私に近いだけ……まあ、もしかしたら私の親戚の子孫だったりするのかもしれませんけど、千五百年も前の話ですから。私がこうして降りて来るのに使えるのも、ちょっとした奇蹟です」
「しかし……アルファ様もやってはいましたが、神性持ちの方に宿る形とはいえ、現世に来るのは大丈夫なのですか? 権能を振るわないにしても多少の影響は出てしまいそうですが」
「それはまあ、できるはできるにしても簡単じゃないというか、他の街ならアジム様に叱られちゃうかもしれませんけど……この街はちょっと特別ですよ。なにしろ、ここでは毎日たくさんの人が『幸運の女神』の降臨を求めていますからね」
そう言って、微笑む神性持ちのディーラーさん。
ここはカジノの街……『幸運の女神』が降り立つことを願う人など、いくらでもいるでしょう。
「それに、この街を治める彼とは五十年近い付き合いですから。私の信徒とは言えないけれど、だからこそ融通の利く部分もあるんですよ。私が降りて来やすいようにちょっとした儀式場を街作りに組み込んでもらったり、カジノで生まれる『幸運への祈り』を信仰として私に届きやすくしたり。ちょっとしたヘソクリみたいな?」
相変わらず、可愛らしい見た目をしながら強かな神様です。
この感じだと似たような『ヘソクリ』は他にもあるのかもしれませんね。
本当に困窮した人間に送られる神の奇跡、一生忘れないような細やかな幸運を与えた相手。書類上の契約や数字ではなくとも、長い目で見れば確かにお返しがもらえる『人徳』の投資先……声をかければ融通を聞かせてくれるような『縁』のある方や信仰の集まる場所が。
「テーレさんは……知りませんよね。孤児院からずっと気付いていないみたいでしたし」
「そうですね。この身体の神性が戦ったりできないようなタイプだってこともありますけど……あの子は『聖地』のために頑張ってくれていますから、それに水を差したくはなくて。子供に家計の心配をさせるほど困ってるわけじゃないですよ? でも、あの子はちょっとストイックなところがあるから、こういう機会でもないと『天使』としての仕事を忘れて現世を楽しんだりできないでしょうし」
「それに、ディーレ様が目の前にいると思うと緊張してしまいそうですしね。孤児院では、楽しめましたか? テーレさんをたっぷり可愛がっていたそうですが」
「ふふっ、全く畏まったりせずに私に撫でられてくれるあの子は新鮮で楽しかったです。天界では、あの子を特別扱いするとターレの時みたいに他の天使に角が立ちますから。けど、他の子よりハンデがある分だけ、それ以上に頑張り屋のあの子を特別に可愛がってあげたいときもあるんですよ」
「わかります」
「あの子は、こういう信仰を集める『ヘソクリ』があることを知ると驚くかもしれませんけどね……あなたはどうですか? 自分が『聖地創建』を成し遂げなければ信仰が絶えてしまうほど私がギリギリでなくて、がっかりしてます?」
「いいえ、特には。わかっていて聞いているとは思いますが、私は自ら好んで尽くしているのです。必要とされるのは嬉しく思いますが、自分がいなければ、自分でないととまで依存されたいと思ってはいませんよ。それは、相手がもっと不幸であることを望んでいるようなものですから。少なくとも、『神様』を相手に思うことではない。むしろ、気楽になりますよ。私がなにを成せようが成せまいが、世界は回り、善は続くのですから」
「ふふっ、ありがとう。テーレの場合は、まだそこまで割り切れないでしょうけどね」
そう言って、少しだけ困ったように微笑むディーラーさん。
確かにテーレさんはディーレ様に拾ってもらった恩義と同時に負担をかけているという負い目みたいな意識もあるみたいですからねえ。できるだけ、自分の成し遂げることがディーレ様にとって大きく役に立つことであってほしいと思うのも仕方がありませんか。
しかし、本来『善行』とはそういうものなのです。
相手に恩を売るためでなく、世界をよりよくするための細やかな行動。相手のためを思ってするべきことであると同時に、自分にできることを見極め、その範囲での『最善』を見つけること。
『できる者ができることを』、この街を変えたというシルバさんのやったのもきっとそういうことなのでしょう。
「テーレには内緒でお願いしますね? あの子には、私のことを忘れるくらいにあなたとの旅を楽しんでほしいですから」
「承りました。まあ、テーレさんのあの様子であれば……」
「あっ! マスター! そろそろ行くわよ!」
おっと、丁度と言うべきか、テーレさんがお呼びです。
勇者様が目覚めて次の行き先を問い詰められたりしてもつまらないですし、せっかくなので小野倉さんに買うだけ買っていただいた『街からこっそり出る方法』を使って朝一番で出発しようという予定だったので。
「では、またこのような機会があるかはわかりませんが、今回はこれにて失礼を」
「はい、転生者同士の争いに私たちができることはあまりないけれど、いつも応援してますからね。どうか、この先の旅路にも幸運があらんことを」
ディーラーさんに頭を下げて席を離れると、私たち二人分の荷物を持って離れたところに待っていたテーレさんがジトッとした目で睨んできました。
お待たせしすぎましたかね?
「なんか今、随分と楽しそうに話してなかった? まさかいい雰囲気になってたんじゃないでしょうね? 相手の人、お酒入ってたみたいだし。ていうかあれ、孤児院のディーラーさんでしょ?」
「……クックッ。ええ、そうですね。テーレさんの可愛らしさについての会話がはずんでしまして。またこの街に来ることがあったらテーレさんをもう一度レンタルしちゃってもいいですかね? 今度は二人で愛で倒すということで」
「ダメ、じゃないけど……甘やかされるのも、何だかんだで悪くはなかったし。でも、まずはやるべきことをやってから! 『祭壇』の依頼もあるんだし、『聖地創建』だってまだまだなんだから! ほら、行くわよ」
私への嫌疑が晴れてすっきりしたのか、私の分の荷物を押しつけて先導するように前を歩くテーレさん。
何かいいことでもあったのか、その足取りはほんの少し弾んでいるように見えますねえ。
「さ、一息つける町まで行ったら焼き肉食べましょ、焼き肉パーティー! 今回は私の奢り!」
「いいんですか?」
「いいの、あんたの勝ちに賭けてたから大儲けしたし! 祝勝会もあんな邪魔が入って冷めた料理で終わりなんてなしよなし!」
「テーレさんの私費で勝ったお金ならテーレさんの欲しいものを買ってもいいんですよ?」
「仮にあんたがあのオスカーとかいうやつみたいに幸運を鼻にかけた傲慢でいけ好かないやつだったら遠慮なくそうしてるわよ。あんた、あんだけ活躍しておいて本当に最初に決めた報酬以外受け取らなかったんだし……こっちは今回は全然活躍できなかったんだから、このくらいさせなさいっての! 嫌だって言っても無理やり食べさせるわよ!」
「そこまで言われては断れませんねえ。幸運にもご機嫌なテーレさんからのご褒美と思って、ありがたくいただきましょう」
結局のところ、私はこの街で益を得るための賭けはしませんでしたが、こうやって得られるものはあったりするのです。
こういった善き巡りからの幸運であれば、四の五の言わずにありがたく受け取るべきでしょう。
『ありがたい』とは『有難い』もの。
あって当然と思っていて起こらなければ苛立たしく、なくて当然と思って不意に訪れれば心底から嬉しいもの。
自分にはちっとも良いことが起こらなくて不幸だなんて言わずに、ご飯が美味しいだけでも幸福だと素直に喜びましょう。
『幸運』というのは、そんなふうに思っていた方が幸せに事が運ぶという世界の捉え方を示す言葉なのですから。
本当は一章あたりで書こうかと思っていたちょっとした解説
『女神ディーレ』という名前について
メタ的な名前の由来は『ディーラー』と『誰?』から。
幸運の女神として、しかしある意味では公正な立場として『運命のカードを配る存在』で『ディーラー』。
そして、設定としての神話裏話。
現世で旅をしていた主神様に自分が飢え死にするのも構わず食べ物を渡して救ったという少女が神格化された『幸運と善意の女神』は、生前では歴史に名前も残らないような低い身分の『名もなき少女』であったため、最初は人々からの呼び名も定まっていませんでした。
しかし、『王朝』が今のガロム文化圏を統一支配して自分たちに繋がりが深い主神様を中心に各地の文化や神話を統合した際、主神様の逸話の中でも有名なエピソードに登場する『名もなき少女』が正式名称なしのままだと神話統合の上で都合が悪いという問題が発生。
そこで、聖典に残された記録で、現世を旅していた頃の主神様が少女に対して『「汝は誰か」と言った』という記述から『誰か』という部分が実はそのまま名前を呼びかけていたのかもしれない(主神様なら初対面の相手でも名前くらいわかったはず)という解釈から『誰』に当たる単語が変形して人名として『ディーレ』が定着。
『幸運と善意の女神』は『女神ディーレ』と呼ばれるようになりました。
一度名無しの状態で逸話だけ広まってから統一されたことで、周辺地域の似た伝承や伝説、神話も『女神ディーレの伝説』に取り込まれて『流れ星から天啓を受けて主神様を助けた』や『実は兎が少女に化けて、食料がない代わりに自らの肉を粥に入れて差し出していた』のような『諸説』も発生。
それによって『流星』や『兎』といった派生の象徴や権能も持っています。
また、『死にかけた旅人(主神様)に無償の施しを授けた』という逸話の内容から医術団や孤児院などの慈善事業団体のシンボルとなり、神殿がその元締めのような扱いをされています。
長らく名前が『誰』のままなのも、『心から困っている時に、幸運にも目の前に現れて手を差し伸べてくれる"名もなき善い人"は、それが"誰"であっても、きっとディーレ様の化身である』という思想を反映しているとかいないとか……




