第445話 リスキー・マネジメント
side マニス
『ノギアス・マフィア』の構成員のほとんどは、生まれ持った家名を使わない。
それは、暴力行為が厳禁とはいえ違法な物品の売買などの犯罪行為に染まり切った組織に属している負い目から親兄弟に顔向けできないという心情もあれば、札付きの流れ者もいて実家に迷惑をかけられないというような理由もある。
構成員の多くが、『生まれた家』を捨てて今の『組織』に属している。
だからこそ、名前を捨てている。家名を『ないもの』のように扱うというのが、組織の中での流行のようなものだ。
その点で言えば、『血の繋がらない家族』も『血の繋がった家族』もここでは同等の存在。
そうやって扱うことも、この街では合っているのかもしれない。
だが……
「ふぅ……俺は勝つ。そのために、ここまでやった」
俺自身の経営する賭場、その所有者の部屋で、昨夜の『戦果』と『出費』の試算に目を通し終え、葉巻を吸う。
賭けに勝ち、賭場を潰した。しかし、そのために膨大な人件費やその他の諸経費がかかっている。
どうやって用意されたものか(あるいは転生者の能力でスキルを与えたのかもしれないが)、『王弟派』から雇った大量の人員はどれも一定以上の腕を持つギャンブラーだ。
信用できない浮浪者をスラムから持ってくるのとは違う、カジノを潰して手に入った利益以上の経費をかけた大赤字だ。
それでも、やる必要があった。
もう一人の若頭……ゴルディオだけが相手なら、ここまでする必要はなかっただろう。
だが、その娘として扱われているあのダイアナという女は……まだ十代半ばでありながら、既に賭場の経営で並々ならぬ商才と、そしてこの街では何より尊敬されるギャンブルの才能を見せている。
ゴルディオには、戦闘能力以外でリーダーとしての気質はそこまでない。
慕う部下こそ多いが、組織経営という面ではこちらがずっと上だ。現に、総資産ではこちらが大きく勝っている。
あいつだけなら、いくらボスの血を継いでいるとしても後継者争いにはならなかっただろう……だが、その養子が見せた才能は、捨て置けないものだった。この街では『血の繋がりのない家族』であっても、血縁者と同等の扱いを受けることがある。
ゴルディオ派は、今の若頭であるゴルディオ自身のリーダー性は差し置いても、娘のダイアナへの繋ぎとして、実質的な『ボスの孫娘』として街の未来を期待されている面がある。
加えて、願いを叶えるという『祭壇』の出現だ。
ボスと同じ、運を味方にする才能。奇跡を起こす才覚がある。
俺の部下にすらそう思い始める者が現れた以上は、ここで動かないわけには行かなかった。
「俺は実力で勝つ……自分より劣る相手に、血や生まれた順なんかに平伏してたまるか」
俺がのし上がるのにこの街を選んだのはそのため。
この街のマフィアのボスだけが手にすることのできる『魔王の力』は、この街の中にある限り誰にも支配されず全てを治める権限となる。
血脈、生まれつきの地位、外部出身者、そういった偏見や差別で実力を正当に評価されないなんて人生からの脱却を求めて、この街にやってきた。
それなりの商家に生まれたが三男坊で長男の予備の予備という扱いで育った。
自分よりも劣った兄弟の下に就くのが嫌で独立して新しい店を立ち上げたが、家を出て後ろ盾のない俺を襲ったのは伝統主義の貴族や大商家、そして俺の独立を疎んだ実家から浴びせられた業界への新参者潰し。
それでも利益を維持するために裏で依存性の違法薬物も扱うようになったが、決定的だったのはノーランの山奥にあった生産元の奴隷が逃げて原料の生産者が告発されたこと。
おかげで芋づる式に仕入れ元が検挙されて俺もせっかく立ち行くようになっていた表の看板を畳んで夜逃げするしかなくなった。
店は畳むことになったが、社会の裏と表で取引を重ねてきた俺にはそのノウハウが残った。
その経験から俺には表社会に向けた法律に従う『クリーンな商売』は向かないと悟り、堂々と裏の取引ができる土地を探し、ここを見つけたのだ。
『何でも買える街』、前のボスの代までは扱っていたような違法薬物は扱われていなかったが、厳しい逆風の中で培ったマネジメントスキルでここまでのし上がったのだ。
街を出ていた『ボスの実の息子』であるゴルディオが冒険者を経験し、一定の尊敬を集めるだけの戦闘力を手に入れて若頭の地位を得た時にはかなり危うんだが、それでもこの街では暴力に意味はない。
若頭として、この経営手腕で財を得てきた俺には十分に勝ちが見えていた。ゴルディオの養子が将来を期待される才覚を持つとしても、それはまだ『その若さにしては』というレベル。それが育ち切る前にボスが死ねば、持っている資産的にも俺がボスの座に繰り上がる流れができていた。
よりにもよって、あの娘の元に『祭壇』などというものが現れなければ。
世界を揺るがす至宝が自ら現れてかしずく、そんな何万、何億分の一の確率で起こるような『奇跡』を起こされたりしなければ。
「計画は順調だ……だが、油断はできない」
『王弟派』の手を借りての作戦はコストはかかったが完璧に決まった。
長年かけて研究してきたこの街のルール、解明した『不運』のペナルティを避けて相手にダメージを与えるための策。
皮肉ではあるが、机上の空論だったものは敵側に『祭壇』が現れたことでこちらに現れた『王弟派』との接触で実現された。
この街での真の勝利は賭博での勝利によってもたらされる。
今のボスがギャンブルで前のボスから地位と力を奪い取ったように、俺もそうするのだ。
「おい、マニス。報酬のことで確認があるんだが入っていいか?」
ドアの前から声がする。
よく聞き知った男の声だ。
「オスカーだな……ああ、構わない。入ってくれ」
「そんじゃ遠慮なく入るぜ……お、いい葉巻吸ってんな。俺にも一本くれよ」
「ふん、レギナ産の一級品だ。よく味わって吸え」
入ってきた燃えるような赤髪の男『オスカー・キャトレ』に葉巻を投げると、やつはこともなげにそれを指で挟み、懐から出したマッチで火をつける。
以前からこの街に度々訪れては大勝負に勝って金と名声を欲しいままにしてきた地方出身ながらかなりの財力を持つ大貴族。そして、『王弟派』からの使者として空座の書状を持ってきた男。
理屈なく、小細工なく、生まれついての豪運と賭けの勘で財を築くギャンブルの達人。
『王弟派』からのバックアップで行われた昨夜の作戦の中、この男だけは与えられた多大な財を賭けてたった一人で『賭場潰し』をやってのけたのだ。
追い詰められたあちらが『祭壇』を用いて何かを企んだとしても、この街で勝利を手にするためには絶対的にギャンブルでの勝利が必要になる。
『オスカー・キャトレ』は、そのための切り札だ。
「報酬の確認だったか。今の提示額では不満か?」
「いいや? だが、せっかくなら今夜も遊ぼうかと思ってな。それで店が潰せたら、勝った金は俺の懐に入れてもいいかって話だ」
「ふん……確かに三日待ってやるとは言ったが、その間も圧はかける予定だった。好きにしろ。だが、潰すなら店はこの中から選んでもらいたい」
「そりゃあどうも。じゃあ遠慮なく……」
葉巻を吸いながらそう言って俺が予定していた潰す店のリストを見ようと近付いてくるオスカー。
だが、そこでオスカーが閉めたばかりのドアが、今度は礼儀正しいノックの音を鳴らしてから声を通す。
「若頭、少々妙な相手から書状が。今すぐに確認いただけやすか」
「書状? まあいい、見せてくれ」
名前は思い出せないが、聞き覚えのある声に応じて入るように促す。
そして、ドアが開いて封筒を盆の上にのせて現れたのは、知っている顔……のような気はするが、やはり名前は思い出せない。護衛のために雇いこんでいる軍人崩れの誰かだった気もするが……
「ん? マニス、ここじゃ手紙は盆の上に乗せて持ってくるのか? 変わっているな」
「え? そういえばそうだな。そこまで扱いに注意の必要なものか?」
オスカーの口にした疑問に俺も違和感を抱きつつ、書状を持ってきた部下に尋ねる。
だが、それに答えを出したのはそいつ自身ではなく……
「若頭! 曲者だ! チャーリーが服を盗まれて縛られてた! そいつは偽者だ!」
閉まりかけたドアの向こうの廊下から響いた声。
それに応じるように、目の前の男は手紙の乗った盆を捨て、その下に隠していたナイフを握る。
同時に、盗んだ服の胸元を大きく開いて中から見せたのは……体型をごまかすための詰め物にもなっていた、爆弾のベルト。
「なっ!」
「死ね! 卑怯者共が!」
『暗殺の技術』でも買っていたのか、声音も顔つきも変えて俺とオスカーに襲い掛かって来る刺客。
とっさに引き出しに隠した拳銃を取り出そうとするが、こちらが撃てば爆発するように仕掛けてあるであろう爆弾の存在に躊躇して反応が遅れる。
そして……
「バーカ、負けた腹いせに殺されに来るかよ」
三発、重い銃声が響いた。
オスカーだ。片手で葉巻を持ったまま、もう片方の手で懐から抜き撃ちした拳銃で三発。
それは、刺客のナイフを持った手と脚、そして胴体……爆弾のすぐ上を撃ち抜き、男を転倒させる。
速く、何より迷いのない射撃だった。
「な、なに……爆弾は、本物……だぞ……」
「その顔、見覚えあんな……ああ、昨日潰した店にいたやつか。『巻き添え』で破滅した仕返しって感じかい? そんなもん、破滅するまで賭けた自分が悪いんだろ」
「ふざ、けるな……俺はあの勝負に、人生を賭けてたんだ……故郷の店のために、あそこで勝たなきゃ、ならなかったんだ……それを、てめえみたいなやつが笑いながら……」
「あっそ、そりゃ運がなかったな」
オスカーは倒れた男の頭に銃口を向ける。
何の躊躇いもなく。
「撃つ……つもりか? 俺の心臓が止まれば、爆弾は自動で……」
「ハッ、自分が殺されるとしてもその『不運』の巻き添えにしてやるってか? そんな考えでこの街のルールの隙を突けたと思ったなら甘過ぎるなあ。いいこと教えてやる。お前は、ギリギリまでその悪だくみを気付かれずにここに来れた。だが、その『揺り返し』にとびきりの『不運』が起きるんだよ。断言するぜ、さっきの俺の一発で、その自動で爆発するとかいう仕掛けは壊れて止まってるよ」
「そんな……馬鹿なことが……あるわけが」
「あんた、昨日もそんな感じで負けてただろ? 欲しい手が揃わない、引きたいカードが引けない。『物事が望んだように運ばない』、だから『不運』って言うんだよ。今のあんたの一番の不運は、その命懸けの作戦が失敗して無駄に終わっちまうってところだ」
「そんな、まさか……」
「本当さ、賭けてもいい」
止める間もなく続いた、三発の銃声。
刺客は悲鳴を上げる間もなく、絨毯を赤く染めて絶命する。
そして……爆発は、しなかった。
「『研究施設』の劣化ウラン弾、ちと反動は重いがいい感じの威力じゃねえか。さて、そういや持ってきてた書状ってのは本物か? 開けたら爆発とかしねえだろうな」
盆と共に放りだされていた書状を拾い、振ったり光にかざしたりしてから中身を開くオスカー。
そして、中のメッセージカードを読んで……ニヤリと笑う。
「ほーう……こりゃ面白いぜ! 傑作だ! まさに善意は人のためならずってか! おう、マニス! いい知らせだぜ、本来の勝ち分にオマケが付いてくるらしいぜ……って、その前に」
上機嫌になっていたオスカーが刺客の襲撃で驚きに思考を止めていた俺の手に、指を向ける。
「葉巻。指、火傷してんぜ?」
「え、う、熱っ!」
俺が呆然としていた時間はそれほど長かったのか、あるいは襲撃に硬直していて感覚も鈍っていたのか。
葉巻は大きく燃え進み、それを挟む俺の指を深く焦がすように黒く焼き付けていた。




