第436話 新人転生者『小野倉ねね』の進路相談②
side ヒトミ・フェネリア
使うトランプはツーセット。
基本的なルールはババ抜き。
一枚抜いて、落とすときには赤と黒の同じ数字でワンセット。
最後に残ったカードのマークで勝敗が決まって、それまで有利も不利も不確定。
そして、やってるときには『叶ってほしいこと』や『夢』の話をする。
自分のことでもいいし、そういうキャラを演じるとしてもいい。そのどっちかを問うことはないし、指定する必要もない。
そうして勝てば、話したことが叶うというおまじない。
あるいはそれが叶ったという体で軽い演技をして、願いが叶った結果を語る。
要は強さも作戦もない単純な運試しを軸にしたトランプゲームだ。
完全な遊びとしてなら、『お伽噺の悪役』を演じてメインヒロインから王子様を奪い取った高笑いなんかをしてみてもいいし、現実的には絶対に叶わない『世界平和』みたいな夢を願ってみて、それが利己的な恋物語に敗れ去るドラマを演じてみてもいい。
正義の味方みたいな願いをかけてそういう演技をしてみてもあっさり負けたりするし、それで悪役が世界を支配してバッドエンドなんてオチを付けてもいい。
お遊びの上での『願いの叶う権利』を取り合って、誰が勝つかわからないゲームで誰の『願い』が勝つかを楽しむ。
ねねは『これでよく聖杯争奪戦ごっことかやってたっす』ってよくわからないこと言ってたけど、最後の一枚まで勧善懲悪になるかも悲劇か喜劇かもわからない、台本のない即興劇みたいなものだろう。
「なるほどなるほど、将棋が軍略の訓練になるように『叶ってほしい願い』と『願いが叶った後の結果』のイメージが盛り込まれたゲームですか。単なるロールプレイでの対話ではなく、一応の『勝ち負け』を作ることで雑談に最低限の意義を認識させると」
「聖杯ルールだと手札なくなった人から『願い叶わず敗退』って演出をやっていって、最後の二人で『最終対決』の口上をやったりしてたっすね。サークルの中で流行ったんすけど、慣れてくると『願い』が一致する同士で同盟を組んでメモ渡したり問答の末に勝ちを譲ったりってプレイが流行って元がただのババ抜きとは思えないくらい盛り上がったんすよね」
ねねは、どこか懐かしそうな……同時に、どこか哀しさを混ぜた表情を見せる。
「ゲーム考案者のロリ先輩は単純に勝ったときの『願いが叶った演技』が好きだったみたいっすけどね。同じキャラで周回して、人生ゲームみたいに結婚して子供ができて家が建って、みたいなことやってたっすよ。『他人の願いを踏み躙ってでも幸せな家庭を作る平穏系ラスボスキャラ』とか言われてて……また、一緒にゲームやりたかったっすね」
カードの準備をし終えてそう感慨深く呟くのは、前世の世界を恋しく思ってのものだろうか。
転生者になるのは前世に戻りたがらないような人間であることが多いと言っても、あらゆる知り合いと『死別』してまだひと月も経たないであろうねねにとってはまだ気持ちを整理しきれない部分なのかもしれない。
配られたカードを受け取った狂信者は、同じくカードを受け取ったテーレ様と一緒にペアの揃ったカードを捨てながらねねを見る。
「何はともあれ、小野倉さんの中では『未来のこと』を考える行為とこのトランプルールが紐付けられているのなら悪くないと思います。リラックスできる単純作業をしながらであれば机に向かってガチガチに緊張しながらというよりもコンディションは数段良いでしょうしね」
こっちも成り行きで参加することになったのは確かだけど、今更それに文句を言うつもりもないからペアのできているカードを捨てる。
トランプをツーセット使っているだけあって数字だけの一致で落とすとすぐにほとんどが落ちてしまうから赤と黒なのだろうけど、それなりの枚数だ。それだけ『話す時間』を確保するということなのかもしれない。
「さて、では時計回りとして……他にやりたい人がいなければ私から引きましょうか? 議題は夢の話……そうですね、では私は……」
「え、あの、狂信者さんが最初に言うんすか?」
「先に話したければどうぞ。しかしまあ、話しやすい流れを作るのなら特に気負う必要も評価を気にする必要もない私が先陣を切るべきかと。それとも、そこらへんにも厳密なルールがあったりしますか?」
「い、いえ、ないっす!」
「では、お先を頂きまして。まず、私とテーレさんは具体的な目標として『聖地創建』を目的に冒険者をやっています。第五の偉業を認定され、自治区と名声を獲得した上で女神ディーレの正式な『聖地』を確立する。まあ、街作りみたいなものですかね」
初っ端からの『街作り』宣言。
信仰する女神様のために聖地を作るというのは『幸運の女神』の狂信者らしい目標だけど、いきなり臆面もなくそれを持ち出されたせいか、ねねは既にひき気味というか萎縮気味だ。
「一応、称号の受け取りは保留としてはいますが第四の偉業まではなんとかなったので、後は今受けている依頼を上手く解決して第五の偉業に臨むことになりますかね。まあ、中央政府が機能停止しかけている以上はそんなことしなくても勝手に街や国を作れてしまう時代が来るかもしれませんが。それはそれで手続きが楽に済むと思いましょう」
「うへぇ、街を作るとかとんでもないことが現実的に視野に入ってるって時点でヤバすぎるんすけど。ちょっと参考にならないかもしれないっす」
「しかしまあ、そうですね……これは『夢』とはちょっと違いますか。目標、仕事の意義という意味でやりがいはありますが」
「へ?」
ねねが驚きに思考を止めるけど、狂信者は口調を変えずに続ける。
「『夢』で言うなら、やはりあれですかね……冒険者としてモンスターを狩りながらグルメ旅や芸術、景観巡り、というのはやっぱり憧れですかねえ」
「え、あの、街作りの方は『夢』じゃないんっすか? 二つとも夢なんすか?」
「街作り、聖地創建に関しては具体的な目標として具体的な行動方針の調整段階に入ってますからねえ。まあ、かつては夢としか言えなかったものが進展した、という意味では『夢』かもしれませんが」
あっけらかんとそう言う狂信者。
テーレ様は慣れたようで小さく溜め息をつきつつ、隣の彼からカードを引く。
「それじゃこの子にわかんないでしょうが。マスターの話は要するに『夢の話』ってのは『今できそうなこと』じゃなくて『今のままじゃできないこと』だって言ってんのよ。『聖地創建』はもう手の届く目標だからって……そりゃ当然、何もかも上手くいくなんて保証はないけどね」
ペアになったカードを捨てて、テーレ様は私の方に手札を寄せてくる。
「ところでマスター、前は芸術とか遺跡とかの鑑賞だけじゃなかった?」
「いやはや、色々と方々を旅して見ると観るものばかりではなく触れるものや味わうものもなかなかに魅力的で、どうせならそちらも色々と経験してみるのもいいかと。前世でもそういうことを全然してこなかったの、ちょっと後悔しているくらいで……今度は、そういうこともしてみたいかなと」
「それだったら、もっと時間と心の余裕を確保しなきゃね。今までのはなんだかんだで追われたり追っかけたりがほとんどで名産品とか楽しんでる暇あんまりなかったし」
「まあ、旅の道中で路銀稼ぎがてらに魔獣とかを『狩って食べる』というのは楽しんでいますけどね。小野倉さんも、一度は狩りたての魔獣というものを食べてみるといいですよ。養殖された肉類とは全く違う食感や風味……そして何より、自分で狩った獲物を自分で食すというのはいい。他のものはあまり『美味しい』かどうかわからない私ですが、それに関しては特別に命の味を感じます」
「えっと……自分で釣った魚は格別においしい、みたいなもんっすか?」
「ええ、血も肉も魂も……自らの手で狩った命というのはある種の勲章のようなものを感じさせるもの。特に魔獣に関しては油断しているとこちらが美味しくいただかれてしまいますからね。ある意味ギャンブルの楽しみと一緒ですよ、恵まれるのではなく勝ち取ることで得られる勝利の味、抗いに触れた手応え、そして大切なものを受け継いだという感覚はスーパーで買うパックのお肉やお野菜からは得難いものです。『生き血』はそれこそ仕留めた直後でないと味わうことが難しくなりますしね」
「そういえば、マスターってやたら血抜きした直後のやつ飲みたがるわよね。山で修行してきてから」
「ええ、リザさんから『強さを受け取るおまじない』として教えてもらったので。狩った直後の魔獣の味も、元は修行の中でリザさんに教えてもらいました……おや、メメさん? どうしました? 何か気になることでも?」
狂信者の目がこちらに向く。
慌てて表情が変になっていることに気付いて取り繕いながらカードを捨てた。
「べ、別に……そのリザって人、変わってるんだなって思っただけ」
「そうですか。まあ、確かに彼女は育った文化がちょっと違う感じですし。ちょっとしたヌーディストでもありましたし。世間一般からすれば変わった人で間違いはありませんでしたね。もちろん、とても善き人であることは間違いありませんが」
「そ、そう……育った文化が、ね。そういうこともあるか……」
私の手札からカードを一枚抜いたねねがペアを捨てる。
そして、手番も丁度回ってきた狂信者の視線がまたねねに向く。
「まあ、狩りの醍醐味は別の話として……小野倉さんは大学生、ということは受験とかやったのですよね。その時にはこう言われませんでしたか? 『受験先は今の成績で行けるところで選ぶんじゃない』『行きたいところのために成績を上げるんだ』みたいなこと」
「あ、言われたっす。あれっすよね、今の成績で行けるからって油断してると落ちるぞっていう。高めの目標を立てて勉強して、本番では実力なんて出し切れないからそれでようやく相応のところに入れるからってやつ……」
「あー、そう理解したのですね。ええまあ、それも確かに間違いではないのでしょうが。今の話の本題からするとそれは穿ち過ぎの意見になってしまいますね」
「え、穿ち過ぎって……どういうことっすか?」
「単純な話、そのまんまの意味ですよ。『夢』はそのために頑張れる、今の自分では達成できない遠い目標です。お馬さんの前に垂らされたニンジンですよ。夢のために頑張る、頑張るために夢を作る。そうして人は『成長』するのです。まあ、大学選びなどはどこを選べば何が違うのかわからないので単なる『テストの難しさ』でしか比較できないというのはままあることです。私もそうでしたし」
「はは、意識高い系の意見っすね……きっと、狂信者さんは大学とかでも成績トップとか主席とかだったんだろうなって思ったっす」
ねねがそう言うと、狂信者は『はて?』というように首を傾げながらカードを引く。
「いいえ、私は成績悪かったですよ?」
「えっ、そうなんすか? なんか過去問とかめっちゃ集めて対策を万全にして試験に備えたりしてそうなイメージっす」
「過去問……ああ、周りにはそういうのをやってた人も多かったですね」
「……はい?」
「私はそういうの全然してなかったので。だって、テストの問題や答えを先に知っているなんてズルいじゃないですか。学問の真理の探究ではなくその過程の能力測定で結果を出すための外法に労力を割くというのは勉学の本質に反しますし」
カードのペアを捨てながらの狂信者の言葉に、ねねは口をパクパクと開く。
どうしてそんな顔になってるのは知らないけど、なかなかに間抜けな顔だ。
「そもそも、現実には全く同じ問題が起こるわけじゃなし、勉学というのは自分自身の知識と理解力で解くものでしょう? まあ、私は地頭がよくないので単位を落とさないようにするのは大変でしたね……小野倉さん、どうしました? 私、何かルール違反しちゃってます?」
「いやいや! ルール違反じゃないっすけど! ガチで実力だけで単位取ってたって言ってんすか!?」
「試験範囲が通達されてからはその範囲の復習に集中しましたが?」
「それジブンの知ってる『大学生』って生物と違うっすよ! ヤッバ、何言われても参考になる気がしない……」
「こいつはそういうやつよ。マスターが常識みたいに言ってることなら自分にも『同じこと』ができるとか考えるのは不毛だからやめておきなさい。そもそも転生者なのに転生特典なしで他の転生者を倒せるタイプの人間なんだから……ペアなしね。はい、じゃ次は私の番で……そうね、夢は『大天使になる』くらいにしておこっかな」
「おや、テーレさん。ちょっと意外ですね、自分の夢については流すかと思っていましたが」
「あんたの作りたい会話の方向性はこういう感じなんでしょ? なら、私だって適当に『夢物語』くらい話してやるわよ。ちなみに理由は私を馬鹿にしてきた天使連中があっさり追い越されて私が上司になったときの唖然とした顔を見てみたいから。そうそう実現なんてしないのはわかってるけど、妄想くらいは自由でしょ?」
「はい、議題はそういう方針でお願いします。メメさんも、どうぞお気軽に」
そう言われたと同時に、テーレ様が手札をこちらに寄せてくる。
これは取ったら言わなければいけない流れだというのはわかるけれど……
「夢なんて……他人に言えるような夢なんて、私には……」
『私にはない』。
そう言葉にしようとして、直前に胸の中に引っかかった何かがあった。具体的な言葉にできない、薄いイメージのようなもの。
狂信者は、私の顔を見てそれを察したのか、軽く言葉を挟む。
「なるほど無解答。ええ、構いませんよ、強制することではありませんし。ささ、お次の小野倉さん。お気兼ねなくどうぞ」
「うえっ!? 覚悟の時間が消し飛ばされたっすか!?」
私に質問を投げておいて答えさせない、嫌がらせか。
……なんて、一瞬だけそう思ったけど目の前の人間の態度はそういうものじゃなかった。
未来のことなんて考えたくもない、最初からそういうスタンスを見せていた私の虚を突いて、ほんの一瞬でも『考えさせた』。
それだけで、答えなんて言わせるまでもなく目的は達成された、そういう態度だ。きっと、安易な嘘を思いつく間も与えなかった時間配分まで計算通りなのだろう。
魔眼のあるなしに関係なく、言葉だけでしてやられた気分になる。
そんな私をよそに、発表者は隣のねねに移る。
「うえっと、あの、ジブンは……身の丈に合った慎ましい生活ができれば……」
「小野倉さん、それだと『自分の今の成績で入れる大学に受験します』みたいな答えになってますよ。このゲームは夢を語り合うものなのでしょう? ならもっと大胆にいかないと」
「だってぇ……いきなり言われても」
「はあ。いきなりじゃなくてマスターからの流れ作った上でのはずなんだけど……そうね、なら逆から行きましょうか」
流れの止まってしまったゲームを仕切り直すように、テーレ様がねねを見遣る。
そして、豆知識でも披露するかのように、ねねの悩み方と相反した気軽さで。
「小野倉ねね。あんたの『夢』がその程度なら、ちょっと手続きすればすぐに叶うわよ。なんの努力も試験もなし、本当に窓口で『そうしたい』って言って、目の前に出てきた契約書にサインするだけでね」
「……へ?」
「簡単な話よ。あんたの担当神の神殿、『豊穣の女神』の神殿に行ってそうすればいい。下級貴族くらいの暮らしならすぐに用意されるし不労収益も勝手に振り込まれる。書類仕事すらせずに、時々書類にサインするだけでね」
「な、なんなんすかそれ!? 悪質な詐欺の売り文句っすか!?」
「ただの事実よ。実感がないみたいだから言ってあげるけど、『転生者』なんてのはどんな能力だろうがどんな人格だろうが生きてこの世界にいるだけで『奇蹟の証明』で『異世界人』なの。神殿としては抱えてるだけで権威の証明になるし、商会だって売りたい商品に『転生者も認めた味』とか『転生者公認の異世界技術』とか付けるだけで利益が出る。ついでに、たまに宣伝の仕事を受けるだけでボーナスだって上乗せされるわ」
「そ、そんなの……マジでありなんすか?」
「ただし、その代償は『絶対に問題を起こさないこと』。そりゃ、広告塔に雇って不祥事なんて起こされたら大赤字だし。多少のことならもみ消せるにしても、既に能力悪用でやらかしてるあんたは軽い軟禁スタート、ある程度は信用が得られたとしても自由気ままな旅とかはたぶん一生できないわね」
「…………」
「それでいいんなら、進路とか悩む必要はないわ。実際にそうやって安定した生活をしてる転生者もいる。まあ、神殿が『転生者のサポートセンター』として機能してることを知らずに……あるいは信じずに、無一文から自立しようとして能力悪用に走る転生者は後を立たないけど。あんまり酷いやらかしの後だとさすがに神殿も擁護できないし」
テーレ様の言葉に何も言えず沈黙するねね。
『身の丈に合った慎ましい生活』という目標は、ねねの中では『それでもまだ頑張らないと手に入らない遠い話』のつもりだったみたいだけど、それが何の苦労もなくその気になればすぐにでも手に入ってしまうものだと知って困惑しているらしい。
しかも、気軽にそれを選んでしまえば、もう他の道は選べない。それに一も二もなく手をつけるほど『本気の夢』ではなかった、そういうことだ。
つまり……
「ふむ、まあそれは今すぐでなくても『大きな悪事』さえしなければいつでも選べる生き方。良識的に生きていればいつでも逃げ込める『善良な転生者』の最終手段です。しかし、それをすぐに選べないということは……自覚的であるかはともかく、小野倉さんにはテーレさんの語ったルートと反する『夢』があるのではないでしょうか?」
『身の丈に合った慎ましい生活』が本気の夢と言えない分、『身の丈に合わない夢』があるということになる。
その結論に、ねねは自分でも気付いていなかったものを認識し始めたのか、目がテンパり始めた。
やれやれ……
「ほら、ねね。次、ねねの番でしょ」
「あ、いや、ジブンは夢とか難しいことは」
「そうじゃなくてトランプ、早く引いて。腕が疲れる」
「あ、ああ! はい、ごめんなさいっす!」
混乱しかけたところにゲームの話を挟んで気を落ち着かせる。
なるほど、確かにこれはねねに苦手な話をさせながらやるのに便利な方法かもしれない。
「あー、えっとー、はい、ペアを落としてー……ジブンの進路の話、だったっすよね?」
「はい、一枚もらいますね。うーむ、落ちませんか。まあ、最後に残った一枚で勝利条件が変わるので有利でも不利でもないのですが。それはそれとして……小野倉さん、質問を一つ。いいですか?」
「あ、はいっす」
「小野倉さんの能力は『悪役令嬢に変身する能力』、それも周りが行為や現象に対して勝手に好意的な解釈をしてくれる認識操作付き。そうでしたね?」
「はいっす……狂信者さんには通用しなかったっすけど」
「あなたは転生の際にいろいろ考えた末にその能力を選んだのだと思いますが……それは、『異世界』においてどんな人生を想定しての初期ビルドだったのでしょう?」
敢えて『オタク気質』だというねねに合わせた表現で問いを投げる狂信者。
ねねはそれを受け取って、少しオドオドとした後、俯いて声を小さくする。
「えっとー、そのー、ジブンが死んじゃった頃はこういうジャンルが流行ってて、はまってたっていうか憧れてたっていうか……」
「しかし、転生特典というのは第二の人生を決定づけるもの。これまでの経験的に、転生者はいろいろと悩んだ末に自分に思い入れの深い『願い』に繋がったものを選ぶことが多いようですし。単に『何も知らない世界で生き延びる』というだけならもっと戦闘や生産に特化した能力もあったと思います。しかし、それらよりも『悪役令嬢』という概念を選んだことに深い思い入れはない、本当にそうですか?」
狂信者の瞳が、じっとねねの瞳を見つめる。
ねねは少し緊張して背筋を伸ばすけど、狂信者が小さく吐息を吐いて、吸って、吐く。小さな深呼吸をしてみせると、ねねも無意識にそれを真似て深呼吸して、肩の力を抜いた。
そして……おもむろに自分の髪の毛に指を触れて、軽く撫でた。黒髪や茶髪の多い転生者には珍しい、鮮やかな赤い髪だ。
「すごい恥ずかしい話、なんすけど……ここだけの話で、いいっすか? これ、日本でも一番信頼してたサークルの先輩くらいにしか話したことないんすよ」
「私は構いません、テーレさん、メメさんは?」
「別にいいわよ。進路相談なんてそんなもんでしょ?」
「……私もいい。別に言いふらしたりする気ないし」
私たちの承諾を得たねねはもう一度だけ深呼吸して、声を低くする。
「実はジブン……ほんっとうに小さい頃っすけど、自分がなんかの『ヒロイン』だと思ってたんすよ。本気で、きっと中学校とか高校とかに入る頃には超絶美人になってて、アニメの主人公みたいな運命の相手が現れたりするんだろうなって」
私たちの反応を心配そうに窺う。
ジェスチャーで続きを促す狂信者、『なんだそんなことか』と、思ったよりもくだらなかったというように目を瞑って首を振るテーレ様。最後に目を向けられた私は……馬鹿にするようなことには思えなかったから、目を見つめ返して頷いておいた。
ねねは少しだけ安心したように、話を続ける。
「なんでそんなことを思っちゃったかって言うと……ジブン、赤毛って染めてないんすよ。完全な地毛っす。お爺ちゃんがイギリス人でその遺伝だったんすけど、生まれつきで……ほら、アニメのヒロインとかレギュラーキャラって、自然にすごい色の髪してるじゃないっすか。青とか、黄色とか、紫とか……こんな、鮮やかな赤色とか。演出上、モブキャラと見分けがつきやすいようにだって、今ならわかってんすよ? でも、当時はそんなこともわかんないくらい、幼稚だったんす」
「…………いつから、というのは問いませんが。どのように、それを『幼稚』だと認識するようになったか、憶えていますか? 答えたくなければ……」
「別に、いじめとかはなかったっすよ。心配しなくても……ジブンは、周りの友達に恵まれてたっす。けど……まあ、その友達の方が成長して、みんなに何かしらの主人公みたいなキラキラした人生があって……ジブンは、ヒロインでもレギュラーキャラでもない、ただの勘違いした自己主張の強い脇役だって、ある日、なんとなくそう思っちゃったんす。そうなると、生きてるだけで恥ずかしい……そんな、気がしてきて……」
「……物事に積極的になることが、自己主張をして目立つことが怖くなってしまった。そんな感じですかね」
小さく頷くねね。
私は……こんな『転生者』を初めて見た。
私たちの動き一つ、息遣い一つにすら怖がって、否定されることか馬鹿にされることかわからないけど、全てを警戒して逃げ出したいと思いながら、言葉を絞り出している。
私は、過去に戦いの中で瀕死に追い込んだ転生者でも、こんなに『弱々しい』とは思わなかった。あの時だって、相手は最期まで何かしてくるかもしれないと、息の根が止まるまでずっと恐かった。
なのに、今は……何を言ったらいいのかと、心の中で思っている。
目の前にいるのは『転生者』なのに、相手のために適切な言葉を選んであげたい、そう思ってる自分に驚いている。
「ジブンは……『悪役令嬢転生』ってジャンルに触れたときに、ちょっと感動しちゃったんすよ。だって、普通の物語の中の『悪役令嬢』ってポジションは、要するに『自分が世界の主人公だと勘違いした傍迷惑な脇役』っすから。それが本物の主人公になっちゃうような世界なら……そういう人生なら、自分の中のダメになった部分も直るかもしれない。そう思って、無理やりそういう能力にしたんすよ」
「なるほど、なるほど……かなりプライベートの深い部分まで打ち明けてくださり、ありがとうございました。ところで、その……引かなくていいのですか?」
狂信者に促されて、手札を押しつける。
私の席はこういうポジションらしい。
「カード。早く引いて、手が限界」
「あ、ごめんっす!」
空気が少し暗く沈んでいたのも忘れてカードを引いてペアを落とすねね。ルール的に、今はまだ有利も不利もない、ただの『進行』のための作業で気が紛れる。
一気に空気が緩和して軽くなったのを感じる。
真面目な話も空気を和らげながらできるように、という意図ならよくできたゲームだ。
「しかし、『悪役令嬢』というジャンルはあまり詳しくないのですが……そのテンプレートなストーリー展開ってどんな感じなんですか? 起承転結というか、その分野の王道みたいなのは」
「…………えっ」
「私の方が早く死んでいるせいか、そのブームを実体験していないみたいで。話を聞いている限りだと、本来脇役のはずの『悪役令嬢』というポジションに転生者が生まれ変わり、主役級の活躍をしていくようですが。悪役令嬢って中世ヨーロッパ系の作品でそんなに定番キャラでしたっけ? いわゆる『お代官様』的な悪徳貴族や、『美女と野獣』のように強引にヒロインを狙う放蕩者の王子というのは確かに脇役としてよくあった気がしますが」
「……あー、えーっと、元のジャンルはそっち系じゃないっていうか、そのー……」
「マスター、たぶん違う。マスターの考えてるのは古典というかバトル系だろうけど、『悪役令嬢』は男子攻略系の恋愛ゲーム……いわゆる『乙女ゲー』の派生。たった今、『万能従者』の知識から閲覧した」
「なるほど、恋愛方面の作品でしたか! となると主人公に成り代わるようなポジショニングでの置換をシミュレートすると…………おや?」
ねねの目が気まずそうに泳ぐ。
ついさっきまでの真剣で重い空気が嘘のようだけど、これはゲームのおかげじゃないっぽい。
「えー、そのー、いや、違うんすよ? そこら辺の人生設計は漠然としてたというか、さすがにそんな節操のないキャラじゃないっていうか……」
「……逆ハーレム、作りたかったの?」
「ぐはあっ!」
テーレ様からの一言で深刻な精神的ダメージを受けてテーブルに突っ伏す。
どう見ても図星の反応だけど、往生際悪く突っ伏したまま抵抗する。
「違うんすよぉ……生まれ変わるんなら、一度くらいモテモテのモテ期体験したいじゃないっすかぁ……そりゃ、選り取り見取りも憧れじゃないとは言わないっけど、最後は本命にルート確定してゴールインする方針で……」
「ふーん、まず逆ハーレム作って、その中から選り取り見取りで男漁って、一番気に入った一人を厳選して『運命の相手』のポジションに据えるのが理想だったと」
「ふぐぅっ!?」
「ちなみに、そういう動機で精神系の能力を選ぶ転生者って結構いるけど、実際本命相手に能力を使うのはあんまりお勧めできないわよ。傾向的に転生者の中でも破局率異様に高いから。関係が深くなるほど、相手からの愛情が本物なのか能力で操られて生まれたものなのかわからなくなって上手くいかなくなるの」
「ぎゅふっ!?」
ちょっと嗜虐的な笑みを浮かべながら発されたテーレ様の追い打ちで精神を打ちのめされるねね。
改めてだけど、こんなみっともない転生者もなかなか見たことがない。
「こらこら、テーレさん。相談者をオモチャにしてはいけませんよ。勇気を出して内心を打ち明けてくださったのです。いいじゃないですか、逆ハーレムだろうが酒池肉林だろうが白馬の王子様探しだろうが。相手を洗脳したり自分の人間性や性格を否定するのではなく『自分がどんなにみっともない人間だとしても、そのままの自分を好意的に見てもらえるようになりたい(できれば努力とか自己改革は抜きの方針で)』というのは、なかなかに自分に正直で度胸のある願い方だと……」
「ぎゃふんっ!?」
狂信者から、とどめのクリティカルヒット。
味方に見えた相手からの流れるような一撃に完全に沈められたねねはもう転生者というか人間として見たことのないレベルのみっともなさだった。
「ねね、カード」
「う、ぅぅ……はい……ホントに、勘弁してほしいっす……しょうがないじゃないっすかぁ……ジブンは狂信者さんみたいな『特別製』の人間とは違うんす。ちょっと毛色が違ってただけの凡人なんすよぉ……こんなのが頑張って半端にキラキラしてみたところでなんにもならないんすよぉ……」
「ふーむ。小野倉さんはあれですね、『元から特別な人間でなければ特別な夢を見てはいけない』みたいな意識が強いようですね。そして、自分は半端に目立つ容姿をしている分、輝くのなら誰よりも特別にあるべき。あるいは誰の目にも止まらぬように気配を殺して生きるしかないと」
「だってぇ……」
「まあ、『他人と同じ生き方』というのが難しい性根を持って産まれてしまった自覚はあるので、わかる部分もないではありませんが。結論から言えばあれですよ、そんなこと言ってる間に人生なんてすぐに終わりですから。いきなり誰よりも輝く術などなし、かといって隠れ潜んでいたところで誰が報いてくれるわけもなし。転生を機にはっちゃけてしまった方が楽ですよ。せっかくの、本来はあり得ない第二の生なのですから」
「はっちゃけるって何したらいいんすかぁ……」
「ふむ、そうですね。まずは少し痩せてみては? 好んでだぼ付いた服ばかり着て、ご自身でも気にしているのでしょう?」
「ぐふぉあっ!?」
致命傷の上からの死体蹴り。
予期せぬタイミングの一撃が油断していた下っ腹の急所に吸い込まれるように命中。
仮にも女子としてストレートすぎる発言にどうかと思う部分はあるけど、実際一緒に生活して実体を見たり触ったりした立場としては挟むべき異論はない。あれは贅沢な悩みの肉、贅肉だ。
「ねね、カード」
「ぐふぅ……気にしてるって、気付いてるなら、見て見ぬふりをするくらいの優しさを……」
「小野倉さん。これまでのあなたの話を総合すると、要するにあなたの目下の『夢』は恋愛願望、そして自分が愛されるに足る人間だと認識することで自信を得ることのように思います。しかし、それは能力に頼っていては逆方向に突っ走ることになりかねません。順序は逆になりますが、能力なしでも自分に自信を持てるようにすることが小野倉さん自身の魅力を引き出すための第一歩でしょう」
「そのためにはまず、『自分で気にしている弱点』を見つけて克服していくのが近道よ。ていうかその芋ジャージも『自分には私服のセンスがないと自覚しているので敢えてダサい服着てます。つっこまないでください』って感じだし。まずはもうちょっとセンスのいい服を買いそろえるのも手軽で手早い方法よ。あと化粧のやり方とか喋り方……全体的に『女子力』が足りてないって言った方がいいかしらね」
「女子りょぐほあっ!」
「あ、はい。これであがりね。一番抜けが有利かどうかはわからないんだけど」
テーレ様がねねの悲鳴をよそに最後のペアを捨てて手札を空にする。
いつしかゲームも進み、残りの手札はこちらも少ない。
「女子力……ジブンみたいなのに向かって死の宣告になりかねない即死ワードを躊躇いなく撃ってくるなんて……天使の正体は悪魔……」
「うーむ、小野倉さんはベースが悪いわけではないですし、変身能力なんて使わなくてもちょっと髪や服を弄るだけで普通に可愛くなると思うんですがねえ。別にハキハキと喋れないわけではありませんし、髪の色や性格から不快感を抱くようなことは今のところありませんよ? アトリさんがいれば、一度スーパーメイクで自信をつけてもらうとか考えたんですが、テーレさんなら『万能従者』のスキルでやれますか?」
「無理とは言わないけど、アトリみたいに意識まで根底から変えるような衝撃的な変化はちょっと厳しいわね。最終的には本人の意志と力で『綺麗な状態』を維持するようにならなきゃいけないんだから」
「ふーむ、そうですか。さすがに私も『女子力』の鍛え方はちょっと専門外すぎますし、テーレさんも……」
「そうね、私は直接何かの技能やらスキルやらを教えるのには向いてないわ。つい折れるまでいじめちゃうし」
具体的な解決策を提示できずに悩む二人。
ねねは私からカードを引いて最後のペアを捨てると、万策尽きたというようにテーブルに突っ伏す。
「はあ……結局はそこなんすよぉ。彼氏がほしいとかモテたいとかは夢見たところでどうにもならない才能の領域っす……人間としての魅力とか女子力がお金で買えたら頑張って働いて買ってるっすよぉ」
と、そこに。
トランプを囲んでいた私たちの外から声がかけられた。
「え、買えるけど?」
そちらを見ると、ブロンドの女の子。
確か、『ノギアス・マフィア』若頭の娘だ。それと……
「狂信者、連絡。今日は、様子見。現場じゃなくて、裏で待機」
ポツリポツリと喋るスーツの大男。
私たちに必要なものを胸中に抱える存在。
今はまだ、私たちが触れるべきではない容れ物。
少女と一緒にやってきた彼の言葉に、狂信者は頭を下げる。
「これはこれは、連絡のためにわざわざご足労をありがとうございます。了解しました、トラブルが発生しない限りは裏方で大人しくしていましょう」
「それはそれとして、ダイアナ。今の『買える』ってどういうこと?」
「え、そのまんまの意味よ? 要は身に付けたいスキルがあるんでしょ? ここはノギアスなんだし、それくらいならいくらでもお金で買えるわ。意志が弱かろうとなんだろうと調教レベルで教え込む方法から、上手くご褒美を用意してモチベーション維持する方法まで、『教育のプロ』の時間を買うの」
「なるほど、『大抵のものがお金で買える街』とは聞いていますが、スキルも買おうと思えば買えると」
「大枚はたけば転生者製の人間改造神器とかでショートカットできる。そうじゃなくても、その道の経験者やら専門家やらが表社会からあぶれて教育者として食べてるから。『暗殺のスキル』とかなら予約も詰まってるし一般人には値が張るけど、『女磨き』くらいなら娼館だったりハニトラだったりの経験者が歳を取って引退して来てるから先生も多いし、結構お安いわよ? なんならちゃんとした資格試験とかも受けられるし」
「なるほど、人が集まるベースさえあれば需要も供給も窓口を整理するだけで容易く作ることができると。それならば……」
「ちょっと待ってほしいっす! それって結局習い事みたいなもんっすよね!? 自分でやっても続かないのにわざわざお金かけたってできるわけじゃ……」
ねねがそう反論する。
けど、若頭の娘はあっけらかんとして。
「ああ、それなら心配ないわよ。ギブアップなんて絶対にさせないコースがあるから」
「……へ?」
「ここは『違法』だって売りにできるノギアスよ? 支払い能力のない不良債権者を働かせて資金回収することもあるし、嬢やら客商売やらはスキルがないと稼ぎにならないから、本人の依頼でなかろうと『人間に芸を仕込む』くらいなんてことないわ。今の御時世『奴隷』はないけど、『借金奴隷』は話が別だし」
ねねの顔が青くなる。
狂信者とテーレ様の方を見て、そちらから向けられる『悪い笑み』に顔を引き攣らせる。
私に助けを求めるような視線を向けてくるけど……なんとなく首を横に振っておいた。さすがに巻き添えを食らう義理はない。
「そういえば、小野倉さんは能力の悪用で稼いだ分の賭場の損失をまだ払ってはいませんよね? 神殿に全額補償してもらう『予定』でゴルディオさんに『立て替え』はしてもらっていますが、それってつまり現在は『借金』をしていると」
「いやあ、アハハハハ。ホントに反省してるんすよ? でも、さすがに、いくらなんでもいきなり自分で払えとか言わない……すよね?」
ねねの乾いた笑いに、ニッコリ笑顔を返す狂信者。
二人の間に目に見えない緊張が走る。
そして……狂信者さんは私の手札から最後のカードを引き、ペアを落として最後に残ったカード……このルールでは残る可能性が極めて低いはずの『色つきのジョーカー』を見せながら、優しい口調で語りかける。
「なに、全額分とは言いませんよ。ただ、私も小野倉さんのペナルティについて裁量権を与えられた立場、反省を促し『より善き小野倉さん』の人格形成を応援する者です。全くその気がないというようなら身につきませんが、目的意識の種となる動機があるのなら最適な社会復帰の方法は変わってくるでしょう?」
「いやいや、そんな……ジ、ジブン、ちゃんと自分で……」
「おや、『自分でやっても続かない』という自覚があるのでは?」
「うぐっ……」
「なあに、こちらが利益を得ようというわけではありませんし、小野倉さんだって長い目で見れば『神殿への借金』が少しだけ早く清算されるだけです。もちろん、絶対に強制するというわけではありませんが……」
今でも既に、温情でペナルティをかなり軽くしてもらっている立場。
しかも、自分自身では変われないというのを吐露してしまったばかり。
何より、狂信者の無言の圧力は『それが小野倉ねねのためになる』という頑なな善意であることを有無を言わさず語っていた。
「どうです? ちょっとした提案があるのですが、やはり確固とした意志と決意で『拒否』なさいますかな?」
「し、しないっす! そんな確固とした意志とか決意なんてジブンにはないっすよ!」
「ふむ、つまりは『拒否する意思』がない。則ち承諾ということで、快い返事をありがとうございます」
「あ゛っ」
「さて、今夜は呼び出しがなければ暇になってしまうわけですし。せっかくなので小野倉さんが自信を持つのに必要な経験が積めそうな『職場』でもリストアップしておきますかね」
「あ、それならちょうど素人でも人手がほしいところがいくつかあるわ。異世界に詳しい人も欲しかったし」
硬直するねねの前で着々と進んでいく段取り。
カードを片付けて簡単な会議の準備を進めるテーレ様にも異論はないらしい。
もう既に、ねねには逃げ場なんて残されていなかった。
ちなみに、『色つきのジョーカー』を残してのゲームセット、その場合の勝敗ルールは『奇跡的にみんなの夢が叶う』。
強制力のあるゲームじゃないけど、今のねねにとってのそれは目の前の『夢を叶えるための努力』から逃げることができない運命を暗示しているのかもしれない。
そして……
「わーん! メメえもーん! 助けてほしいっすー!」
「ええい、泣き付くな似非ウサギ! また肉つまむぞ!」
「ぎょええええ!」
翌日。
寮部屋の片付けをしていると、早速用意されたアルバイト先から帰ってきて泣き付いてくるねね。
頭には外し忘れなのか、商売道具のウサギ耳がくっついたままだ。
「別に肉体労働辛い店じゃないでしょ、コスプレ喫茶。お酒も入らないとこだし、いいじゃん。とりあえずは渡された制服着て愛想振りまいてるだけでいいって仕事だったんだから」
「陰キャには精神ダメージが致命的なんすよお! 他にこんなだらしないお腹した店員いないっす!」
ちょっとだけ仕事風景を見に行ってみたけど、他がスタイルよくって手慣れた店員ばっかりの中で一人だけ羞恥で真っ赤になって緊張しっぱなしだったねねは『そういうキャラ』としてなかなかに客に受けていた。
こっちからしたら天下の転生者が情けなさ過ぎて笑いを堪える方が大変だったけど。
「そのだらしないお腹がキャラの売りとして定着する前に頑張って痩せろってことでしょ。私は今日出て行くけど、ねねは他の仕事でも頑張りなさいよー、指ブチされたくなかったらねー」
「自業自得とはいえ借金苦で身売りしたみたいになってると思うとなかなかくるものがあるっす……」
そうは言っても、自分で変わらざるを得ない環境に落とされないと変われない性格だっていうのはわかってるみたいだから、弱音は吐いても逃げたり投げ出したりはしないだろう。
次に会うときには少しは人間としてマシな転生者に……いや、『次に会うとき』なんて、それこそ夢物語か。
私はカラクサさんとリーナ、二人と一緒に大姉様のところに帰る。
そうしたら、星の整う時期も近いし後はこの街で仕入れた資金と資材で儀式の準備につきっきりで、またここに来るような暇も理由もない。
儀式が終わったら……そのまま『終わり』なんだから。
元から私に、その先の未来について考える意味なんて……
「あれ、それってもしかして進路の紙っすか? 出さなかったんすか?」
「あ、こらっ! 勝手に!」
「これは絵っすか? ネコ耳とかウサギ耳……? なんかそういうイラスト書く絵師さんすか? あ、それともマンガ家さん! ほのぼのして楽しそうな感じの世界観……」
「かってにみるな!」
「ぎゃぁあああ! 弁慶の泣き所ぉぉおお!!」
脛を抱えて転げ回るねねから取り上げた紙を折り畳んで懐にしまい込む。
別に、深い意味なんてない……あの時に浮かんだものを、働いてるねねを見たときにちょっと思い出して、落書きしただけだ。
『儀式の後』なら、現実になるかもしれないことだとしても……私たちには、夢物語だ。
「……ねね、今見たのは誰にも言わないで。あと……もう会わないだろうけど、そっちはそっちで人生頑張りなさいよ」
「いたた……そんな今生の別れみたいな言い方しなくてもいいじゃないっすか……」
「会わない方がいいって言ってんの。私だって本来は外部の転生者とこんなに話すような立場じゃないし、そっちだって……平和に生きられるなら『こっち側』と仲良くなる必要なんてないんだから……今回は特別、それだけ」
カラクサさんがどんな意図でこんな『体験』をさせてみたかったにしろ、儀式の予定も計画も変わらない。
本当に、それだけの……
「うぅ……メメえもんは友達に冷たいっすよぉ……」
「……友、達?」
「ええっ! 友達になれたと思ってたのジブンだけっすか!? そんなん自意識過剰で羞恥死するっすよ!?」
友達……ともだち、かあ。
そういえば、昔はいたんだっけ……あの日から、そんなもの私にはできないと思ってたけど。そんな資格も権利もないはずだけど。
まあ……こんな情けなくて手がかかるだけの、転生者らしくない転生者くらいなら、少しくらいいっか。
「はいはい、死ななくていいよ。友達ってことにしておいてあげる。それじゃ……さよなら、友達。あなたが立派に社会復帰できることを同じ空の下で祈っておいてあげるわ」
「言い方がトゲトゲしいっす……けど、ありがとうっすね。ジブンも、内容はわかんなかったっすけど、メメちゃんの夢も叶ったらいいなと思うっす。お祈りしとくっすよ」
「ふっ……あはっ」
「え! なんかジブン変なこと言ったっすか?」
「あははっ、ごめん! 家族以外にそういうこと言われたことなかったから! お祈りされちゃったなら、頑張らないとね」
荷物を持って寮部屋を出る。
魔眼を通して見た世界で出会った『転生者』はどんな性格だろうといつも『能力』が見えていて、どんな顔や振る舞いをしていても気を抜いて隙を見せたら何かを奪われるかもしれないと思って怖かった。
いざとなったら殺せるかどうかしか考えられなかったけど……カラクサさんに能力を封じられたおかげで、『視えないこと』で、いつもなら考えないことまで考えられた。
たとえ、もう会わないとしても。
人生の最後に、一人でも『友達』がいた。
そう思えるのも、悪くないかな。




