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転生したので狂信します  作者: 枝無つづく
第十一章:『堰』破りし『超越者』

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番外編:賢者の石と愚者の町④

side 天儀愛理


 闇の中から、嘲笑混じりの声が響く。

 その度に、直前までなかったはずの小さな傷が増えていく。


『ボクはネ、みんなにもっと正直になってほしいんダ! もっと気軽に殺したい、もっと自由に生きたい、当たり前のことをもっとみんなで楽しくやろうヨ!』


 同じ転生者でも、私はただ『特別な従者』がいるだけの使役型、あっちは『特別な能力』を自分で使える発動型。この状況では圧倒的に格が違うのに、致命的な傷は負わされていない。

 殺そうと思えばいつでも殺せるのに、遊ばれている。

 それが怖い……いつ、どこから斬られているのか、斬られた瞬間すらもわからないで『もう斬られてしまっている』ということにやっと気付くことの繰り返し。


 もしかしたら、致命傷でも死ぬまで気付かないかもしれない。

 もしかしたら、私はもう死んでいるのに気付けていないかもしれない。

 一瞬ごとにそう思わされる、この闇が怖い。


「おねえちゃん……」


「ダメ……バロンくんはその子と隠れてて」


 バロンくんは救出した人質の女の子と一緒に壁の窪みに隠れさせて、私は外側。

 窪みは小さくて私じゃ入れないし、攻撃しにくくなるだけだとしてもこの子たちが先に狙われるよりはいい。


 けど……こんなもの、時間稼ぎだ。

 ホワイト・ブルームさんが敵を倒して来てくれるとしても、本当にそうなったら合流される前に遊びをやめて本気で殺しに来るに決まってる。


 むしろ、私たちが逃げられないくらいボロボロにして彼女との戦いでの足枷にしようとしているのかもしれない。

 どちらにしろ、その時まで五体満足でいられるなんてことはない。


 私には、リーテンみたいな知識はない。

 多少記憶力がいいだけの私に、経験なんてあるわけもないこんな状況を打開する策なんて浮かぶわけもない。

 一方的に痛みと共に、異常に心に響く言葉を聞かされ続ける。


『キミだって、嫌いなやつはいるヨネ? あの傲慢な魔法少女カナー? それともキミを盾にしてるそこの男の子カナー? そいつらを殺したくなったとき、キミはなんでガマンしなきゃいけないのか答えられるのカナ?』


 嫌な言葉、理解したくもない言葉。

 なのに、勝手に頭の中に焼き付けられるように強く響く。


『誰かからの罰が怖いのカナ? 周りの人に嫌われるのが嫌なのカナ? でも、自分に正直になれないのは自分に嫌われちゃう悪いことダヨ! 嫌いなやつは嫌いでいいじゃないカ! たとえば……そこに倒れてる、キミを一番縛り付ける偉そうな子とかネ……』


 私への攻撃が止まる。

 どこかに行った……? いや、違う!

 狙いは、倒れているリーテン!


『キミが自分でやらないなら、ボクがお手本見せてあげるヨ。よく、見ててネ?』


 まだ息のあるリーテンの所に、男の姿が浮かび上がる。

 これまで意識できなかったのが嘘みたいにはっきりと、むしろ見せつけるように印象強く。

 そして、その腕は既にナイフを振り上げていて……私は、全く間に合わない、そのとどめの一撃は防ぎようがないはずだった。


「やめろぉおおおっ!」

「ヒホォ!?」


 バロンくんが私の後ろから飛び出して、男を突き飛ばして代わりにナイフを受けなければ。

 反射的に向けられたナイフに裂かれた蝙蝠の翼から血が噴き出す。彼が痛みに呻く。


 私が急いで駆け寄っていくと、男の姿はまた見えなくなった。

 リーテンは、私たちの中で一番バロンくんと距離を置いていて、会話もほとんどしていなかったのに……リーテンを庇った痛みで息も絶え絶えのバロンくんは、私を見て、笑った。


「お父さんとお母さんがね……ぼくたちは、人を傷付けずには生きていけないから……せめて、優しくできる時には優しくしないと、いつか怪物になっちゃうって……よく、言ってたんだ……」


「しっかりして! 大丈夫、こんな傷、手当すればきっと大丈夫だから……」


 そう言って励ますけど……膜のような翼が大きく裂けてしまっている。

 確かな肉体の一部、それも薄い皮の部分で、刺された穴の大きさ以上に傷が広がってしまっている。


 私には、これが魔法とかで治療して治るような傷なのか、指とかが切れたり肉が大きく抉れてしまった時みたいに治らないような傷なのかもわからない。

 そして……


『ヒホホホホッ! なんて意地悪なやつだろうネ! キミの大嫌いなやつを殺してあげようとしたのを邪魔するなんて、偽善者もいいところダヨ!』


 悠長に手当をしていられる状況でもない。

 バロンくんの乱入で驚いて一旦は退いているけど、いつまた襲ってくるかわからない敵がいる。

 けど……


「私なんかに……何ができるっていうのよ……」


 リーテンも、バロンくんも、このまま何もしなければすぐに死ぬ。

 たぶん、私が殺されるのもそう遅い話じゃない。もしかしたら、洗脳とかされてただ死ぬよりも酷いことになるかもしれない。

 何もしなければ……このまま、何も……


「何も……しないつもりだったのに……今度は、何も怖がらないでいいように、誰にも迷惑かけないようにって……余計なことなんて、何もしないで生きたかったのに……」


 七歳の頃から、ずっと怯えて生きてきた。

 警察官の人たちが怖い顔の人たちに何かを渡しているところを見てしまって、深い意味も分からずに話したそのことがお父さんの死に繋がって……家を燃やされて、全てを憶えているとしても絶対に何も知らないふりをして生きていかなきゃっていけないって教えられて。


 ずっと……あの時、私が何もしなかったらどんなにいい人生が待っていたんだろうって考えていた。

 ずっとずっと、私があんな些細なことなんか簡単に忘れられていたら、いつもの制服を着ていなかったあの人たちが『近所のお巡りさん』だってことに気付かずにいられたら、安心して生きていけたのにって。


 けど……結局、こうなるんだ。

 世界は、なんにもしなくても、脅かされるようにできている。

 余計なことなんてしなくても、こっちが何も望まなくても、勝手に襲ってくる。



「『英雄』になんてなりたくないけど……せめて、こんな理不尽な世界から、罪のない人たちを守れるなら。償いには、なるのかな……」



 目を閉じて、記憶のアルバムを捲りあげる。

 散々読み返した魔法の教科書。

 リーテンが魔法を使うときにやっていた呼吸。

 天使の剣を形作る光。

 剣の振り方、対象指定の時のリーテンの視線、勝手に動く剣に従う足運び。


 そして、写真のように鮮明な記憶に残る、眼球の焦点が合わずにピンボケした『敵』の姿。


 認識や精神に干渉する能力は、少なくとも『物理的に透明になる能力』じゃない。

 視認したはずのものを認識できず、理解できず、強く意識できなくて思考の優先度を下げてしまう。


 人は常にたくさんのものを視界に入れてはいるけど、意識を向けていないものは何があったかまず思い出せないから、視界の端にある小石の存在を記憶できないように、認識に残らないこの『敵』を記憶できない。

 だから、透明人間みたいに目の前で動き回られてるのにわからない。


 私だって、『視認』している間はダメだ。

 直前の光景を思い出そうとしても、敵の能力に上書きされてしまう……きっと、能力に認識している五感の記憶にも干渉力がある。あるいは、五感で認識されることでそれまでの記憶全体をあっちの好きな認識で上書きできるような能力だ。


 でも、私は確かに『敵』を認識した記憶がある。

 ホワイト・ブルームさんの瞳を見つめて、『目を閉じた時』だ。

 私はまず見たものを理解せずにそのまま写真のように記憶している。『理解できないもの』をそのまま取り込んで、後から見返して理解し直すことができる。

 視覚情報を遮断して過去の記憶だけを見れば……確かに、私は全てを見ていた。


 罠を起動する姿も、リーテンを刺したところも、闇の中から語りかけてきた表情も、バロンくんに突き飛ばされたときの動揺も。

 『対象』として、一つの概念を認識し直した。


「【天使の剣】」


 目を瞑ってはいるけど、そこに光が集まっていることがイメージでわかる。

 リーテンが使っていたものとそっくりそのまま同じ、黄金の光で編まれた剣。『対象』だけを過不足なく指定して斬る、天使のための特殊な魔法。


 本来はもう、人間には使えない魔法。

 もっと天界と地上が近かった大昔、人が天使の威光を見慣れていた頃なら使えた者はいたけれど、天使は現世から離れて天使の威光を想像できなくなった。

 具象化する魔法の精度は術者のイメージの鮮明さに影響されるから、地上での馴染みを失い『想像もできないような神々しさ』を持つ武具なんか創造できなくなってしまった現代の人類。


 けど、私は少しだけ違う。

 完全な画像としての記憶があるから、完璧なイメージ象として、一度見た魔法の完全な形を頭の中に再現できる。

 これができるから、リーテンは私を選んだ。


『ヒホホ? さっきの光の剣と同じやつかな? けど、キミは魔法使いじゃないよね? そんな付け焼き刃の魔法で何ができるのカナ?』


 さすがに気付かれている。

 私はこれまで魔力を溜める呼吸を全くしていない。使えるからって、使いこなせるわけでも使い続けられるわけでもない。

 勝負を決めるには、一撃に全てを賭けるしかない。


 私の『記憶』は過去のもの、敵は最後に見た場所から移動して、私の付け焼き刃の魔法が保たなくなるのを待っている。

 いくら対象を切り分ける魔法でも、『どこにいるかもわからないもの』を自動で斬ってくれたりはしない。少なくとも、今の私の魔法技術じゃ無理だ。

 どこに向かって剣を振るかは、私が決めなきゃいけない。


 五感では見つけられない。

 これまでの記憶から動きを読め。

 考えろ、私がこう構えたら敵はどう動く。

 この状況、この環境なら……


「……そこだ」



 重さのない光の剣を振り下ろし……そのまま、『私の身体』と背後の『人質の女の子』を貫いて、その背後を斬った。



「ヒホッ……ガッ……なんで……」


 落ちるナイフ、飛び散る血の水音。

 ダメージで能力が途切れて、気配がはっきりとわかる。


「ホワイト・ブルームさんが私にステッキを向けたとき。あれは能力を強引に破ったわけじゃない……あの人の経験から、こういう相手はいざとなると人質を盾にするって読んでたから。そういうのを、卑怯って言うんだ」


「ヒッ……ヒホホホホホホホッ! 今回はボクの負けだネ! でも、満足だヨ! だって……」


『キミはもう、立派に人を殺せる人になったからネ』


 そう言って、離れていく敵の声。

 地面には並々ならぬ出血の跡が残され、出口の方へと走っているのがわかる。きっとドーピングで動けはするんだろうけど、もう戦えない状態だ。


 私が狙って死なないようにしたわけじゃない。

 さすがに、後ろに向けて剣を振るなんて初めてだし、位置もある程度までしかわからなかったから命に届く斬り方ができなかった……殺すのには、失敗した。


「ちゃんと殺せなかった……か……」


 『殺しきれなかった』という事実を『失敗』だと認識する自分に驚きがあったけど、すぐに意識はそれどころじゃなくなった。

 『天使の剣』が崩れて、一気に疲労感が襲ってきて膝をつく。

 初めての魔法、それも天使の魔法……負担が大きすぎたみたい。

 早く、リーテンとバロンくんの治療をしなきゃ……


 そこで、洞窟の奥から『ズンッ』と重い音がして、光に身を包んだ魔法少女が急いで飛んできた。


「ごめん! 動き止めるのに時間かかった! 敵は?」


「なんとか……やっつけました。逃げられちゃったけど……二人の治療を……」


「わ、わかった! これは縫わなきゃダメかも……それより愛理ちゃん! あなたも辛そうじゃない! 身体も傷だらけ!」


「私のは……軽傷だし……あとは、単なる疲労みたいなものなので……」


 魔法少女が変身を解いて、携帯していた応急処置セットを取りだす。

 『医療行為』は切開や縫合みたいに『人を傷付ける行為』を含むから、魔法少女のままだとできない。

 けど、美森さんは能力なんかなしでも一通りの応急処置はできる技術の持ち主だ。

 これでみんな助かる……私も、もう限界……


「ねえ……わたし、おうちに、帰るの?」


「あ、うん! でもごめんね! ちょっとすぐに処置しなきゃいけない人がいるから、もう少し待って……」


「そっか……帰らされちゃうんだ……」


 その時、人質の女の子の残念そうな声と共に、『ザクッ』という嫌な音がした。

 朦朧とした意識でそちらに目を向けると……美森さんが、驚いた表情で口から血を流している。


 そして……その背後で、女の子が顔を赤らめて、敵の落としたナイフを新しい血に染めていた。


「あはっ……おじさんみたいに『かっこよく』できたかな?」


 催眠術とか、意識が朦朧になってるとかじゃない。

 まるで、心から憧れた夢への足をかけたように、なりたかったものになれたみたいに。

 まるで……『尊敬する人』に影響を受けた、みたいに……


「洗脳……されてた……?」


 思ってみれば、あんな殺戮現場に拘束されていたのに、パニックにもなっていなかったし腰も抜けていなかった。

 殺戮現場を繰り返し見せつけられた……そして、その行為への認識に能力を使われていたとしたら……殺人という行為への『憧れ』を刷り込まれていたとしたら……


 この子の心はもう手遅れ。

 家に帰れることを喜ぶよりも人を殺せない生活に戻ることを厭う、立派な殺人鬼だ。


「外に出たら、自由に殺せないよね……なら、今のうちに……」


 もう動けない私に、ナイフを振り上げた少女が迫る。

 私は、その姿を落ちる瞼の隙間から記憶に焼き付けて……


「うがぁぁあ!」


 最後に、バロンくんが彼女に飛びかかる瞬間を目撃して、意識を落とした。




 それから、どれだけ経ったのか。

 私は、柔らかなベッドの上で目を覚ました。

 傍らには、このシスナ市の町長さんが笑顔を浮かべていた。


「いやはや、お目覚めになられましたかな。この度は、巨悪からこの町をお守りいただきありがとうございました」


「ここ……は……?」


「役場の医務室です。診療所には重傷の方を、あなたは比較的軽傷と判断されましたので」


 この前とは打って変わって、好意的な態度。

 けど……どうにも、わざとらしい。

 あの洞窟で気絶した後、私たちは町の人に助けられたのか……でも、その詳しい過程がわからない。


 起き上がると、全身の切り傷が痛んだ。

 恐怖を与えるために表面を浅く撫でるような斬り方はされているけど、深い傷はない。

 他のみんなは私よりも重傷で診療所の設備が必要……それはわかる。

 けど……


「たぶん、事情聴取……ですよね? 私が一番軽傷だから……」


 あの殺戮現場、そして市長の娘さんの状態。

 絶対に説明を求められるだろうと思ってそう言うと、市長さんは一瞬だけ表情を固めた。

 そして……


「いえいえ! その必要はありませんとも! 事件は全て解決しました! なにせ……」


 『犯人が、あの「人の血を吸う化け物」が、全て自白しましたから』。

 目の前の彼は、わざとらしいまでの笑顔でそう言った。

 私はその顔に、これまでの人生で一番の吐き気を覚えた。




 

 今までの人生で一番、必死に走る。

 涙がこぼれそうになるのを我慢して走る。

 呼吸が乱れて苦しいけど、構わず走る。


 嘘であってほしいと思った。

 世界がどうにかなってしまった気がした。

 怖くて、恐ろしくて、嘘であってほしいと思った。


 けれど、広場からは既に『見世物』を見終えたみたいな雰囲気の人たちが出てきていて、傷の手当てもそこそこに走る私に奇異の目を向けていた。


『娘は事件のショックで少々取り乱していましたが、ことの顛末は捕らえた化け物から全て聞き出せました。まさか、人間に化けるために人を襲って血を吸う怪物が何年も前から子供になりすましてこの町に巣くっていたなどと……』


 人々が、手を取り合っている。

 これで『悪者』はいなくなったと、これを機に対立なんてやめようと。

 みんな、狡猾で醜悪な『化け物』がそうさせていたのだからと。


『ですから、どうか今回のことは内密に。この町はこれから一致団結して発展を遂げていく予定ですので、化け物に惑わされていがみ合っていたなどという歴史はその妨げになる。口止め料……いえ、お礼は致しますので、あくまでただの異常者の犯行といたしまして……この町に化け物がいたなどという物証は全て……』


 きっと、悪いことをしたのはあの転生者だけじゃなかったはずだ。

 始まりは転生者だったとしても、その嫌がらせや行方不明者を相手側のしたことだと思い込んで『仕返し』した人間が少なからずいたはずだ。

 全てがただ『人に化けるだけ』の、翼のある子供にできることじゃないなんて、誰でもわかるはずだ。


 でも、みんなが『これで終わりにしよう』と態度で語っている。

 いがみ合っていたのも、傷付け合っていたのも、彼とほとんど関係ないのはわかっているはずだ。


 でも……『そういうこと』にした。

 諍いは、これからこの町が発展する妨げになるからと。

 これが、丁度いい機会になるからと。


 絡まりきった因縁を、面倒な諍いを、全部過去のことにするために……町の意思統一のために都合の悪いことを全て『解決』するために、みんなが『共犯者』として関係を再構築した。

 その全てを押しつけられて、否定の権利なく口を封じられるのは『人間(ヒト)じゃないから』と……


「あっ、ああ、ああああ……」


 広場の中央に立つ、黒焦げの杭。

 そこに巻き付いた煤けた鎖に引っかかった……黒く染まった、『何か』の燃え残り。

 黒くなって、縮れきって、元の姿なんて連想できない生き物の成れの果て。

 杭の周りに落ちた、拳大の、何十もの血で汚れた石。

 町の人の声が、聞こえてくる。



「しっかし、本当になかなか死ななかったし、やっぱり人間じゃなかったんだな……」

「ずっと私たちを騙してたんでしょう? こんな生き物がいたなんて怖いわね……」

「孫を騙って世話させてた爺さんもやったんだろ……他にも何人も……」

「市長の娘さんも、もう少しで噛み殺される所だったらしいわ……」



 これが、彼が頭を下げてまで『守って』と言った町の正体なのか。

 これが、自分が傷付いても他人を守る優しさもを持ったあの子への仕打ちなのか。

 これが……


「アイリ、激しく動いては傷口が開きます」


 背後から、聞き知った声がした。

 驚くほどに動揺も変化もない、いつもと変わらない平坦な口調。

 私を追ってきたリーテン……私は、我慢できずに訊いた。


「リーテンは……こうなるのを、防げたよね?」


「……その質問に答えろというのは、『命令』ですか?」


 『いいえ』と即答しないのが、もう答えと同じだった。

 リーテンは、私に嘘を言えないんだから。

 否定したければ、一言そう言えばいいだけだ。それができないなら、やっぱりそうなんだろう。


「リーテン……『賢者の石』ってさ、嘘だよね。あの転生者が、町の人を争わせるために信じさせた嘘。あいつは殺し合いをさせたがってるだけで、お金なんて興味なかった。それに、あの能力なら自分の言葉を信じさせるくらい簡単だよね?」


「…………」


「リーテンの『金策』ってさ……町の外から、『賢者の石』を持ち込んで売ってたんでしょう? じゃなきゃ、こんな危険のある町に私を連れてくる必要ないもんね……それで、本当に石に価値があるなら、わざわざここで売る必要もない。石はこの町でしか価値がないもので……リーテンは、本当は価値がないことを知ってて石を売ってお金にしてた。だから、石の価値が原因で起きてる対立にも口出しできなかった……違う?」


 私がそう問いかけると、リーテンは懐から一つの石ころを取りだした。

 特徴的な赤い結晶。けれど、私には何の変哲もない……人の命が動くほどの価値のない、ただの石にしか見えなかった。


「これがこの町で『賢者の石』と呼ばれている鉱石……またの名を『辰砂』とも呼びます。アイリには『硫化水銀』という言い方をした方がわかりやすいかもしれませんね」


「硫化……水銀……じゃあ……」


「はい、液体金属である『水銀』の原料。アイリのいた前世においてもかつてはある程度高価な鉱石として扱われていた物質です。産業価値も確かにある」


「けど……それって……」


「はい、その毒性から『現代』においてはその用途のほとんどに、より安全で安定した工法が確立されています。その知識を一足飛びに手に入れているこの世界では、そこまで値段が高騰することはないでしょう……『学院』にいたという医師はそれに気付けたのでしょうが、この町の知識レベルではその判断ができなかったのでしょう」


「……リーテンは、騙すことになるのを知ってて、それを売りつけてたの?」


「少なくとも、現在のこの町においてはこの石にそれだけの価値があるというのは紛れもない事実。双方納得の上での取引であり、綺麗なお金ですよ」


「でも! こんなことになる前にそんな価値ないって町の人に教えていれば!」


「アイリ……あなたが泊まっていた宿屋、食べていた食事、着ている衣服……それらは、ほとんどその取引の利益で代金を払ったのですよ?」


「そ……そんな、こと、言われても……」


「本来は、既に冒険者としての活動を始めているはずでしたが、アイリが活動を拒否したので当面の生活のために早急の収入が必要になりました。冒険者としての活動報酬を元手にした軍資金の工面の代わりにタダ同然の鉱石がまとまった資金になるこの町に来たのです」


 私は、誰にも迷惑をかけたくなくて、何もしない生き方を選ぼうとしていた。

 引きこもって、人を傷つけず、一人で腐っていようと。

 力なんて求めず、強くなんてならず、強力な転生者としての責任なんて負わされないようにしようと。


 でも……それが誰にも迷惑をかけていないなんていうのは、勘違いだった。

 心のないリーテンなら世話をさせても迷惑にはならない、そんなことを思っていたけれど……私は、その怠惰な生活を送るために、リーテンを悪事に加担させていた。


 そして……その怠惰な生活を送ろうとしていたこと自体も、間違いだった。

 もしも、私がリーテンの言うとおりに少しでもトレーニングや魔法の訓練を始めていたら、あそこで力尽きてしまうことはなかったはずだ。後から来た町の人々に、バロンくんのことも転生者のこともはっきりと説明できたはずだ。

 私が、『何もしない』なんて選択に執着していなければ。


 何も言い返せずに項垂れる私を慰めようとするかのように、リーテンは淡々と追い打ちを告げる。


「バロン……彼には感謝しなければならないかもしれませんね。町民に目撃されたタイミングがそう印象付けられるようなものであったにしろ、拘束された彼が自ら『私たちを騙していた』と主張しなければ、私たちもあそこに並んでいた可能性が高いのですから」


「それって……」


「彼らは、敵の死体がなかったことに……殺戮を行った転生者が生きて逃亡したという事実に解消されなかった不安の捌け口を私たちに求めかけていました。それを、彼が一人で私たちをも騙して襲おうとしていたように証言することで犠牲は彼一人で済んだのです」


 つまり……私たちは、バロンくん一人に全てを押しつけて、今この瞬間を生きている。

 もう、私の命は私一人だけの重さじゃない……勝手に逃げることなんて、許されない。

 私は、ずっとこの想いを背負って生きていかなきゃならない。


 ……ああ、そっか。

 やっと、わかった……


「私は……人間は、生きてるだけで……安心して生きたいと思うだけで、平穏に生きようとするだけで、こんなに、罪深いんだ……」


 これからこの町に生きる人間が、赤ん坊から大人まで一人も例外なく、一人の少年の優しさを裏切った罪の上に成り立つ平和を享受するように。

 私が、守るためなんて言って人を斬ることを選んだように。


 平穏だろうと、戦いだろうと。

 どんな生き方をしようとしたって、人間はどうしようもなく罪深い。

 『罪のない人』なんて……どこにも、いなかった。

 私だけが悪いんでも、世界が悪いんでもない。ただ、『人間』が根本的に愚かな生き物だっただけ。



「そんな! うそっ! なんで……!」



 広場の入り口の方から声がしてそちらを向くと、魔法少女がその表情を悲痛に歪めていた。

 傷が深くて元の姿のままでは動けなかったのか……一瞬でも早くここへ辿り着けば、何かが変わると思って急いだのか。

 でも、もう全て終わった後だった。

 魔法少女にも、『燃え滓』なんて救えない。


「美森さん……」


「アイリ! あなた……も……そう、よね……言わなくていい。その顔でわかるから……」


「美森さん……弱い者を助けるのが、『正義』なら……彼を助けないで、他に助けるべき人なんて、いたんですか? この町に、彼以上に救われるべき人なんて、いたんですか? 『弱い者』なんて……『罪のない人』なんて、どこにいるんですか……」


 こんなことを質問するのはずるいってわかってる。

 でも、止められなかった。

 私は、どんなものでも納得できる答えがほしかった。


「私たちしたことは、石ころなんかのために本当に町を想っていた子供を生贄にするような馬鹿な人たちを喜ばせるだけだった! 助けた女の子ももう元には戻らない人殺しで、この町の人たちみんなも彼に石を投げて火を付けた人殺しで、私たちも……」


 私が顔を上げて魔法少女の顔を見ると……彼女は、泣いていた。

 子供のように泣きながら、大人のようにそっと私を抱きしめる。


「『私たちも』じゃない……もっと上手くやれなかった、わたしの責任だから。わたしに怒るのはいいけど、あなた自身を責めないで」


「そんな……そんなの、あんまりですよ……それじゃあ、『正義の味方』なんて損ばっかりじゃないですか……」


 私の言葉に肯定も否定も返すことなく、彼女は私から離れて、背中を向けた。

 そして、広場の中央へ……弔われることもなく放置された亡骸の方へ踏み出しながら、一言だけ。


「それでも、わたしは『正義』を諦めない」


 そう言って、町の人が止めるのを押し退けて、綺麗なコスチュームが汚れるのも構わずに彼を鎖から解放する。

 丁寧に……心からの謝罪と、敬意を込めて。

 私には、それを遠くから見ていることしかできなかった。


「……すごいな、美森さんは。そんな強い生き方、私には真似できないよ」


 私にはもう、平和な世界で幸せに生きるなんてことはできない。

 もう、平穏の礎に生き埋めにされた酷たらしい犠牲のことを考えずには生きていけない……あの真っ黒な亡骸を、忘れることなんてできないから。


 英雄なんかになりたくない。

 地位も名誉も欲しくはない。

 その先に得られる安心や平穏なんて、想像するだけで吐き気がする。


 だから……全ては贖罪だ。

 償いきれない大きな罪、犯さずに生きられない無数の罪、それを積み上げながら濯いでいく。

 罪を積んで、累を重ねて、それでも生きなきゃいけないっていうなら……もう、どうしても犯していく罪に贖うために生きていくしかない。


「リーテン……あなたが知識の大天使だっていうなら、答えてよ。何がこんな悲劇を起こしたの? どうして防げなかったの? いったい何が一番悪くて……それは、どんな罪だったの?」


 私の『命令』に、リーテンは静かに目を瞑って僅かに思案する。

 そして、彼女の中で言葉を選び終え、私の問いに答える。


「答えましょう。それは『無知』によるものです。この町の人間が『賢者の石』の本当の価値を知っていれば無用な争いや欲望に振り回されることはなく、彼が危険な生物でないことを正しく理解していればこのような結果にはならなかったでしょう。『無知』の罪とは、ただ知らないというだけの罪ではなく、知ろうとしないことの罪なのです」


「……どうすれば、それをなくせるの?」


「……世界を変えるしかありません。この世界の人間の営み、今のこの社会には、『無知』があるからこそ成り立つシステムがあまりに多すぎる。このままではいつまでも、人は一生無知なまま、無自覚に愚かなまま、産まれて生きて死んでいくしかない。だから、私は現世に降りてきたのです……世界から、『無知』の呪いを祓い去るために」


 リーテンが、膝をついている私に手を伸ばす。

 私には、それが契約の証を求めるものに見えた。


「人間の世界を変えるには、人間の力が必要です。アイリが社会の構造を変えるだけの力を手に入れることが不可欠です。それがきっと、彼のためにもなるでしょう」


 それがきっと、彼のためになんてならないことなんて、きっと誰よりも私が一番わかっていた。

 だって、彼はもう死んでしまったのだから。私にはもう、何一つ彼のためにできることなんてありはしない。


 だから、これはただの身勝手な贖罪だ。

 全ての人間がどうしようもない罪に溺れながら生きるしかない世界で悲劇を起こさないために、私が最後の罪人になる。

 そうすることでしか、これから先を生きる理由を見つけられない私の、独善的な代償行為だ。


 たとえ、この先の道がどんなに罪を重ねていくしかないものだとしても……


「命令する。リーテン、私を必ず『英雄』にして。どんな手を使っても……こんなことの二度と起こらない世界を作るための、平穏も幸せもいらない、『ただ理想(それだけ)のための英雄』に」


 私は、目の前の手を強く握った。




side リーテン


 朝の日差し、小鳥の鳴き声。

 いつもと同じ時間に目が覚めて、新しい一日の始まりを認識する。


 『大天使』として天界にいるときには体感することのなかった『睡眠』という行為、完全な意識の休止とは違う思考と無意識の間の曖昧な移ろい。

 それを毎日のように繰り返すこと十年……いや、十一年。

 それだけの時間が、たった『その程度』なのかと思ってしまうのは、入眠と覚醒という行為によって一日一日が区切られているおかげか、あるいは私にとっての『新しいこと』がそれだけ多かったのか。


 最初は論理的なまとまりもない断片的な精神活動のために一日の数割を費やすなんてなんと不便なことかと思ったけれど、今ではこの時間がかけがえのないものと思えるようになった。

 特に、『夢』というものに関しては無秩序で、無作為で、なのに心を反映したもので……自分の中から生まれたはずのものなのに、驚かされることもある。不思議な感覚だ。


 この重要な日に、あの頃の夢を見てしまうというのは、私の中に何か緊張のようなものが残っているのだろうか。


「う、うーんっ……はぁ……」


 ベッドの上で身を起こして伸びをすると、肌の上を絹の薄布が滑り落ちていく。

 そして、その端が首筋に落ちてきたのか、隣で背中を丸めて眠っていたアイリがモゾモゾと動き出して……目を閉じたまま、私に触れて口を開いた。


「         」


「はい、おはようございます、アイリ。今日はいい天気ですよ」


「          」


「ええ、心地よい気温と湿度です。まだ時間はあるので、もう少し寝ていてもいいですよ」


「       」


 私の言葉に無声の口の動きだけで肯定を返して、胎児のように丸くなりながら私にすり寄って二度寝に入るアイリ。

 夢に見たあの頃から……十五の少女だった頃から、この子の背はずっと高くなって、顔付きが変わって、髪も伸びて、消えない疵がいくつかついて筋肉もついたけれどスタイルのいい肉体は誰もが認めるものになった。

 

 子供から大人に、十五の『少女』から二十六の『女』になった。

 けれど、今のこの子の表情や振る舞いはあまりにも幼くて、最初の頃よりも子供に見えるくらい。


「今のあなたは、きっと声も可愛らしいのでしょうね」


 二度寝を邪魔しないように、そっと髪を撫でる。

 最初はむずがるように少しだけ動くけれど、心地よい刺激だとわかると気持ちよさそうに身を委ねてくれる。

 子供というより、小動物の方が近いのかもしれない。


「昔の私は、アイリのこんな姿を見ても何も思わなかった……何も、思えなかったのでしょうね」


 十年と少し前を『昔』と言ってしまう今の自分に、思わずクスリと小さく笑ってしまう。

 あの頃なら『たった数年前』と言うのを躊躇わなかったのに、今では『たった一日』と口にするのが怖い。

 あの時、どうしてあの正義の魔法少女があれだけ本気で頬を張ったのか、今なら理解できる。


 何年もかけて、理解できるようになった。

 こんな当然のことが理解できるようになるのに、何年もかかってしまった。

 人間の時間では無駄にできない、取り返しのつかない大きな時間を、まともに知ろうともしないまま過ごしてしまった。


 『知識の大天使』なんて言っておいて、自分の無知な部分に無知なまま、全てを知ってるつもりになっていた。

 その結果が、私の触れている今のアイリだ。

 あの頃の私に会いに行けたのなら、たとえ今の私が消えるとしても全力の【三式消去砲】で消し飛ばしてやりたい。たまに、そんな気分になる。


「この髪を結ばずに今日一日を過ごせたなら……そうさせてくれるのなら、迷わずそうするのに」


 あの一ヶ月後、私たちの立ち去ったシスナ市には『学院』からの調査員が来て、『賢者の石』が大した価値のないものだということが証明されたことで発展計画は頓挫。

 一度は町に溢れた活気は落胆の内に失われた。


 そして、その次の月。

 あの町は『徘徊魔王』の生み出した怪獣に蹂躙されて消滅し、何も残らなかった。

 ただ一つ、アイリの心の傷だけを残して。


 アイリはあれから、私の『英雄育成計画』に文句一つ言わずに従ってくれるようになった。

 あの時の私はそれを単に彼女が転生者との戦いを経て、この世界で生きていくことが戦いと不可分だと知って『その気』になっただけだと、不名誉な汚名を着せられて誹られながら死んだ少年を見て、力を得なければ華々しい『人生の成功』を得られないのだと理解してくれたのだと思った。


 アイリが、命の恩人である彼をそんな『失敗者の反面教師』だなんて考えるわけがなかったのに。


 アイリの『警察官恐怖症』は消えた。

 けれど、それは克服したのではなく、それ以上に『偽りの平穏』への怒りが恐怖を塗りつぶすようになっただけ。なにも、好転なんてしていなかった。


 振り返れば、私はデータしか見ていなかった。

 確かに効率的な計画ではあったのは今でも否定できない。

 天界で、過去の英雄や偉業を達成した転生者の現世での経験や修練法、強化の経緯。それらを統計的に分析して、個人の資質に合わせて調節しながら最大限に効率的なスキルと能力、そして地位と名声を高めるための最短ルート。


 確かに、アイリの努力のおかげで結果は伴った。それも、元々の見込み以上に。

 十年そこらでアイリと私が別個に単独ランカーとして最上級冒険者に数えられるなんて、私も予想していなかった。


 けれど……私の計画には、情緒というものがなかった。

 『知識(データ)』だけを重要視していた私は、最終的に結論として記された『功績』だけを見ていた。

 そこに至るまでにあった葛藤や迷い、紆余曲折を『間違ったルートでの時間的損失(タイムロス)』としか見ていなかった。


 けど、今ならわかる。

 人間の『人生』の本質は、最終的に記録される功績ではなく、一瞬ごとに揺れ動く心にこそあった。

 『知識』として記録される功績や歴史は単にその結果であって、歴史に残らない数多の人生が何も成せずに無意味に翻弄されただけの、試行錯誤(トライアンドエラー)の内の失敗例(エラー)であったなんてことは絶対になかった。

 今ならわかる……それなのに、それがわかる『今の私』に至るのが遅すぎた。


 アイリは、効率的と言っても並の人間には過酷に過ぎる育成計画に必死についてきた。

 アイリには才能があった、素質もあったし意志力や勝負強さだって十分に持ち合わせていた。けれど、それを計算に入れた上で、限界ギリギリを攻めるように試練を課した。

 アイリは拷問とも呼べるそれに耐え、弱音すら吐かずに戦い続け……『強さ』を完璧なものにするために、逃げたいと思う自分、怖がってしまう自分、足を止めようとする自分、心や身体の痛みを訴える自分、そういった『弱さ』をまとめて切り分けて、乖離させた。

 さながら、初めて会った転生者、あの魔法少女を真似たように。


 その結果が、こうして幼児退行したような振る舞いをする今の『幼いアイリ』。

 私以外の全ての者がイメージする苛烈で強靭な『戦士のアイリ』も演技ではないけれど、私と二人だけで安全な場所にいるほんの一時、髪を解いたアイリは瞳を閉ざし、声の発し方すら忘れる。

 忘れられない苦しみから解放されるために『思い出す』という能力を捨てて、罪にまみれた過去から解放されるために無垢な心に還って、孤独から解放されるために私との関係をただの依存に純化する。


 新しいことを記憶せず、過去の苦痛を想起せず、決して私に『命令』なんてせず、ただひたすら幼く弱く儚い存在になる。

 私が予定を曲げて自分の戦闘力を上げたのも、アイリがもはや私がいなければならない人間になってしまったから……絶対にアイリより先に死ぬわけにはいかなくなってしまったから。

 本当に、皮肉な話だ。

 アイリをこうなるまで追い込んだのは私なのに、アイリは私以外に依存できる相手を持てなかった。


「ミモリ……ごめんなさい。もっと、あなたと話しておくべきだった」


 あの魔法少女は、旧都で新しい転生者に敗れてその正義を終えた。

 最後は、まだ年若い転生者の少女たちの心を開こうと変身を解いていた時に不意打ちを受けたらしい。

 いかにも彼女らしい、最後まで正義を貫こうとした結果……いや……違う。


「本当に、ごめんなさい……」


 より流れる血を少なくしようと、傭兵を装った工作員スタイルでの活動をするようになった彼女。

 そうなる前の真っ直ぐな彼女を知っていて、どんなに報酬がよくても本質的にクーデター軍に帰属意識を持つわけがないと警戒を促したのは……そして、彼女の弱点が『子供』であることを教えたのは、私たちだ。


「……どんな手を使っても、ただ理想(それだけ)のために」


 最終的に社会を変える力を得るため。

 表だろうが裏だろうが、王道だろうが外法だろうが、なんだってすると決めた。

 それがアイリの絶対命令で、最初の頃の私は本当にそうするつもりで計画を立てていた。


 けれど、決定的な一線を越えるのを選んだのは、私の反対を押し切ったアイリ自身だった。

 想定以上の困難の末に『天蓋の魔王』の討伐を達成して『第五の偉業』の称号を得ても、転生者であるアイリと天界の存在である私に認められる社会への干渉力は頭打ちになった。


 合法的な手段ではこれ以上功績を増やしても無意味だと結論付けられたとき、アイリは与えられた自治区の中で小さな理想郷を作ることよりも、道なき道を進むことを選んだ。


 世界を変える力を手にするため、それを叶える組織での信用を得るために。

 悪事に手を貸し、恩人とも呼べる転生者を売り、アイリを慕う幾人もの冒険者をテロ行為のための戦力として献上した。

 全ては、絶対の理想を叶えるために。『決して妥協しない』という、自罰的な贖罪を続けるために。


 そして、今日……私たちは今夜、王都を落とす。

 まずは手始めに冒険者ギルドの本部を制圧し、最上位冒険者たちの全力を解放するための契約書を確保して、この社会の要となる機関を停止させて実権を奪い取る。


 最上位冒険者の中にはあの『地獄帰還者』として知られる『武神』もいる……生まれながらの神性もなく、転生者でもなく、ただ純粋に技術の究極から『武の神髄』を掴んだ人間。

 まだ、当時(いま)は『人間だった頃』が終わっていないだけの神格化内定者。ガロムの守護神と言ってもいい存在だ。

 人界に生きるための契約で力を抑え込んでいようと、決して侮ることはできない。


 作戦がどんなにうまく行っても、激しい戦いになるのは間違いないだろう。

 組織を牛耳るあの男がその過程で私たちを散々利用して使い潰そうとしていることはわかっている。

 だから、決して知られないように用意した秘策……私自身の『大天使の鎧』も使えるようにしてある。どんなに過酷な戦場に割り当てられようと、なりふり構わず戦後まで生き残っていれば私たちの勝ちだ。


 私たちは世界を変え、無知を祓う。

 無知であることを利用され、人々がされるがままに悪意に操られる愚かな悲劇を生まない世界を作る。

 それがアイリの絶対命令……私が逆らうことのできない、この降臨での至上命題。


 けれど、もしも全てが終わって、この命令から解放されたら……


「その時は、いっぱい、いっぱい、謝らせてください。今更になって、なんで人間みたいなことをって嫌われちゃうかもしれないけど……」


 今の『幼いアイリ』が言葉を発することはない。

 それは、心の隙をついて私が勝手に命令を上書きさせたりすることを心のどこかで拒否しているのだろう。

 アイリは今まで一度だって、自分が出した命令を後から曲げたりすることはなかった。一つでも例外を作ってしまったら……あの日の絶対命令まで、そこに込めた決意まで、揺らいでしまうかもしれないから。


 だけど、もう世界を変えてしまって、理想(それだけ)のために生きる必要がなくなったなら、あまりに重い肩の荷が降りたのなら、その日にはきっと……『この顔で笑顔を見せるな』という命令も、不要なものになる。


 今の私はもう、現世のシステムや人間社会の改革なんかよりも、そのためだけに戦っている。

 あの日の私を赦してもらうために……この子の誰にも褒めてもらえない苦難の道を、私だけは笑顔で祝福するために。


「『これからは一緒に、笑って生きられるようにしよう』……どうか最後にはそう言って、あなたに微笑むことを許してください。いっぱい頑張りましたねって、笑顔で言わせてください」


 あらゆる手を許容して、あらゆる罪を重ねて。

 それでも、その果てに生まれた綺麗な世界を見れば、きっと『報われた』と感じてくれる。

 だから、そのために今日という一日を乗り越えよう。


 決戦の時まで、あと半日。

 作戦も計画も準備も、全てが万全。

 今夜には、王都は混乱と恐怖に包まれ、世界は転換期には避けられない不安と困惑に覆われるだろう。

 改革のための必要な犠牲、悪が正義を闇討つことになる、後の歴史に残るであろう災禍の日。

 けれど、だというのに……


「本当に……いい天気ですね」


 私たちを照らす窓の向こうに広がる空には、人々に不穏を告げる暗雲なんて一片もなく……明日の世界の安寧を告げるように、怖いほど青く、どこまでも遠くまで澄み渡っていた。


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― 新着の感想 ―
[一言] でも二人とも死んでリーテンは未亡人確定なんだよなーと思いながら読んでました
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