第383話 クローズド・サークル
side テーレ
あれから、十日以上。
このイディアナ諸島に来てから、二週間近くにもなる。
ルカの話では中央政府に依頼を受けてきたという冒険者パーティーも島々を廻りながら情報集めをしているらしく、今のところは遭遇していない。
出会えば敵対する可能性が高いのは事前に話してあるし、ルカもバッティングを避けるように島を選んでくれているらしいけど、『祭壇』を探すためにその影響を探る方針を立てたのか情報集めのついでにマーマン退治を請け負っているようだ。
言わば互いに距離を取って様子を見ながらそれぞれ地図を塗り潰す形で目的のものがある地点を絞り込んでいるような状態で、どちらが優勢かは定かじゃないけど探索としては確実に進展していると言える。
だけど……それ以外は、あまり目立つ進展がないのが現状だ。
「テーレさん! こっち終わりましたー!」
「そうね、マスター。ホントにそのやり方だと早いわね」
そう、目立つ進展がない。
マスターは、十日経っても未だに男には戻っていない。
それどころか、どんどん振る舞いが普段とは違う方向へ変わっていっているように感じられる。
こうやって一緒にマーマン退治をやらせてみても明らかなんだけど、そもそも使う魔法が同じなのに戦闘スタイルが全然違う。
これで私の『従者』としての感覚がなかったらマスターに成り代わった別人じゃないかと疑うところだ。
いや、そもそも成り代わったにしては『成りすまそう』という態度が見えないというか奇行を堂々とやる辺りが逆にマスターらしいのかもしれないけど。
「ていうかあーもー、ホントに髪の毛ぐちゃぐちゃにして。もうちょっと返り血とかどうにかなるんじゃない?」
「だって掴んでそのまま握るのが一番楽なんですもん。張り裂けないようにするには柔らかすぎますし」
「キョウ、毎度のことだけど傍から見てたらあんたの方が植物とか触手系のモンスターっぽいわ。下手したら勘違いされて襲われるんじゃない?」
「えー、返り血で手を汚すのも髪を汚すのもそんなに違わないですか? 洗えばいい話ですし」
「「いやいやそういうことじゃなくて」」
マスターの今の戦闘スタイルは伸ばした髪の毛を操作しての中遠距離型。
それ自体は、そこまでない話じゃない。神官系の魔法が『体内』を起点に発動する以上、それを最大限に活かすため髪の先まで使えるようにするというのはちゃんと技として存在する……基本的には、手の届く範囲の動きで格闘や装備の切り替えの補助だけど。
マスターの場合は、攻撃に使う射程が少なくとも十から二十メートル、並みの遠距離魔法くらいの射程と命中精度がある。
魔法の内訳としては、リジェネ道の基本魔法での『再生』を応用した伸縮に、接触点の強度と硬度を確保する『石化』、そして『弾丸掴み』を指の代わりに髪に適用して動かす合わせ技。
だけど、本来は防御や補助にも使えそうな『動かせる部位の延長』という技なのに、手加減が全くできない。
生物を掴めば絞め殺すか穴を空け、無機物でも相当の強度がなければ圧壊する。遠くのものを引き寄せたりとかって器用なことはほぼできないというか、手でも力加減は苦手だったけど触覚がない髪だと余計に加減が効かないらしい。
マーマン退治みたいな『殺すだけ』の戦闘なら長い射程と必殺に十分な破壊力があるから一瞬で片が付くけど、純粋に『強くなった』かと考えればそうでもない気がする。
『少女化しても弱くはならない』とは言われていたけど、これは正常な変化の範囲なのか何か変なのか、魔法の暴走やらがよくあるマスターだけに判断が難しい。
「何より攻撃のビジュアルがやたらとモンスターじみた感じになってるわよね……やられるマーマンが上げる悲鳴とかもなんかエグい感じだし」
「単に絞め殺されるだけじゃなくて『潰される』って感じの時多いよね。『グエッ』とか、『ギョエッ』とか、武器で殺すより生々しい悲鳴出るし。文字通り搾り出す感じで」
「そうですか? 斬殺でも撲殺でも絞殺でも本質的には殺してることに変わりないと思いますが。むしろ必要以上に苦しまないようにできるだけ早く終わらせているつもりですよ? 物理的に圧迫されて空気や中身が飛び出すから音が出るのは仕方のないことです」
「普通は『絞め殺す』ってどちらかと言えば静かに済む殺し方のはずなんだけどね……中身が飛び出すほど絞めるから絵面が酷くなるのよ。ほら、また髪汚れてるし洗うわよ。服もちょっと汚れてるわね」
「それならあっちに小さな泉があるからそこで水浴びでもしてきたら? 魔法で洗うより気持ちいいでしょ」
「そうね、そうさせてもらうわ。ほら、行くわよマスター」
ルカに教えられた方へ行くと、林の向こうに泉がすぐ見えてくる。
狭くて魚もいないくらいの小さな泉だけど、ちょっと水浴びするのには丁度いい。
マスターは毛先の血塗れになった部分が根本まで戻らない程度まで髪の長さを戻しながら、水浴びを楽しみにするように小さく笑っている。
「クックッ、これをやるとテーレさんに念入り洗ってもらえるのでお得な気分です」
「こーら、味占めるんじゃないっての。髪くらい頼まれればいつでも洗ってやるんだから、あんた自分だと洗い方が雑いし」
「だってー、多少傷んでも再生できますし」
「そういうところだって言ってんの」
泉に到着し、装備を脱がせる。
いつもの男のマスターなら水浴びとかするときは片方が見張りでその間にって感じだけど、こうなってからはルカがいるし……マスターが自分の『女体』で変なことするといけないからというのもあって、私が洗ってる。
……いやほら、今のマスターっていつにも増して突拍子もないことやりそうだし。普段と違うからって興味本位でいろいろ弄ってみたり。前と違って元の精神がちゃんと男で身体は女とか、変なナルシズムみたいなのに目覚められても困るし。
マスターの『美少女化』に合わせるようにサイズやデザインの変わった黒服もあれからそのまんまだけど……その下のスタイルは、やっぱりそれなりにいい。
前に見た『女性化』じゃなくて『少女化』なせいなのか、いろんな部分のサイズはあの時よりも縮小されてるけど、鍛えられていることは変わらない。
空山恋太郎の『美少女』の認識のせいかもしれないけど、わざわざ外見に『弱々しさ』を持たせるような変化はしていないのだろう。
それに……
「……相変わらず、これもそのまんまなのね。完全には治らないのかしら」
右肩から左脇までバッサリと、斜めに刻まれた大きな疵痕。
マスターの【過剰回復】で治ってはいるものの、しっかりと残った負傷の痕。
ニライ村で『枯死』にやられた背中の傷はほとんど消えているのに、あの『研究施設』の戦いで土蜘蛛につけられたこの大きな疵は姿が変わっても消えていなかった。
マスターは気にしてないみたいだけど、『女の子』としては気になる部分だ。
「まあ、やってくれた相手が相手なので、一生治らないかもしれませんねえ。しかし、わたしもこれはお気に入りなので無理に治す気はありませんよ。見苦しければ隠すくらいはできますが」
「別にいいわよ。あんたがあの戦いで頑張った証なんだから。名誉の負傷、でしょ?」
「はい。ありがとうございます」
マスターの今の戦闘スタイルは、ある意味では以前よりも守りに入っている。
たとえ切られようと痛みもなく伸ばせば済む髪で広い射程を確保した一方的な攻撃。直接の掴み攻撃からの投げ技とかって繊細な攻撃はできないけど、そういう技術を使うまでもないモンスターを安全かつ作業的に処理するには最適解に近い。
戦いで傷を受けたとしても名誉の負傷……だとしても、やっぱり『余計な傷をもらいたくない』っていうのは今のマスターがいつもより『女の子』に近いからなのかもしれない。
できるなら、普段からもう少し自分を大事にしてほしい所なんだけど……
「キョウ、テーレ。せっかくだしあたしもちょっと……」
「あ、ルカ! マスターと一緒に入るのはダメって言ったでしょ!」
「おっとごめん。忘れてた……けど、あたしとしてはずっと女の子の姿しか見てないし、あんまり気にすることない気がするんだけどね」
「今はよくても戻ってから変な癖付いてたら大変だからよ。やたらと見たり見られたりしたがったりとか……ていうか普通は女体化した男が女と同じ水場使って身体清めるとかアウトだし! 変態扱いされるっての!」
「まあ、今は女の子でも中身が男なら見られたくないって女は確かにいるかもだけど……あたしは気にしないんだけどなー。たかが裸見られるくらい」
「いつも素潜りやってるあんたはそうでも一般的にはそうじゃないの! 私だってさすがに全裸はまだ見せたりしてないし!」
「クックッ。テーレさんったら、わたしのこの姿でもちゃんと見てくれるようになるまでちょっと躊躇ってましたもんね。ちなみに、わたしはテーレさんが嫌なら無理に見たり見せたりしようとは思いませんけど、自分の裸体が見られるくらい全然構いませんよ?」
「ち、痴女みたいなこと言うなっての! 私はあくまで医術者として今のあんたの状態をちゃんと把握しておくべきだと判断したわけであって、見せたり見せられたりって変な趣味みたいな意味合いは……」
「はい、医術者としての立場に忠実にすべきことができるテーレさんは立派ですね。お陰様で去年の年越しの日には熱いディー……」
「わぁああ! こんな所で変なこと言い出すな! てか、ルカもいつまでも聞いてんじゃないわよ! 水浴びなら後にして!」
「いやごめん、そういえば伝えておかなきゃいけないことがあったからついでに話しちゃおうと思って」
「伝えておかなきゃいけないこと?」
「うん、明日なんだけど、ちょっと島の人たちと話し合いがあって案内できないから、マーマン退治は一日お休みってことにしてもいい? 最近の変な嵐のことでいろいろ会議しないといけないから」
変な嵐……おそらくは、『祭壇』の影響で発生している異常気象だ。
最初はこのイディアナ諸島の真上に集まるかと思われていた雨雲は、何度かの大雨の後、集まった雲の形状を安定させる間にその形を円状に変えた。
イディアナ諸島をまるごと囲い込むような激しい暴風雨の壁。イディアナ諸島自体は晴天が保たれているけど、その周辺の海だけは境界線のように大陸本土との行き来が困難な荒波が続くクローズドサークル化。
これまでは単なる『悪天候』で済んでいたけど、台風の目にしてもここまで動かない状態が続いていると、いよいよもって『異常』な気象なのが誰の目にも明らかになってきている。
今はまだ生活に問題が出てはいないけど、これが続けば隔離状態で諸島の物資とかに支障が出る。
島のまとめ役の間で会議が必要になるのは当然の流れだ。そこにルカも参加するということだろう。
「構わないわ。むしろ、情報収集って意味ではこっちからお願いしたいくらいよ。それに、ここ最近はマーマンを探しては狩っての繰り返しばっかりだったし、ここらで私とマスターも少し休んでも……」
「じゃあ提案です! デートしましょう! テーレさんと休日デートしたいです!」
挙手しながら声を上げたのは髪を洗われている最中のマスター。
そういえば、そうだった。
性別が『女』の時のマスターはここぞとばかりにこういうことを求めてくるっていうのは、アトリにやられた時の振る舞いで知っている。最近はマーマン退治って仕事ばっかりで抑えていたみたいだけど、休みとなれば我慢はできないらしい。
求めてくると言っても、『提案』だから従者への命令ってわけでもないし、強要してくるわけじゃないんだけど……
「……ダメですか?」
「……はあ、ダメじゃないわよ。だからそんな顔しないの」
美少女化をいいことにここぞとばかりに距離を詰めておねだりように問いかけてくる。
こっちだっていつもと違ったマスターが見られて嫌なわけじゃないし、そんな頼み方されたら断れないっての。
大胆なデートの申し込みは女の子の特権。
(性別反転する度にデート申し込んでるなこの狂信者)




