第373話 歴史の当事者
side 狂信者
さて、倉庫の方はテーレさんに任せて少し離れたところまで来たわけですが。
周りから死角になっている人気のない辺りで急に物静かになった……ということは、ここら辺ですかね。
「さて、セシリアさん。音消しの結界が張ってあるということはトーリーさんにあまり聞かれたくない話だとは思うのですが、つまりは今回の事件の仕掛け人として種明かしをしていただけるという理解で間違いないですか?」
「あら、もう少し驚かれるかと思いましたのに。というか、わかっていたんですね」
「そりゃあまあ、何となく察したと言いますか。推理と言うほどのものではないのですが」
物陰から悪びれることもなく姿を現すセシリアさん。
服装からも気配からも争うつもりではないようで助かります。
なんか戦えるというか、やり合ったら死ぬほど面倒そう、というタイプに見えますし。下手すると文字通りの意味で。
「あの競い合うお二人が全く同じ日の同じ時間に私たちの前に現れ、さらに『新しい狂信者』であるトーリーさんを討論に巻き込んだ……さすがに、これが意図してトラブルを起こそうとしたものでないとしたら、ちょっとうっかり屋さんが過ぎますよ。まあ、情報通なあなたが本当に何かの偶然による情報不足でこの結果を予測できなかったというのはあり得ない話ではありませんが」
「確かに全く予想できなかったといえば嘘になりますわね。しかし、一応の弁解として言わせてもらえるのなら、私は彼ら彼女らを引き合わせて会話の機会を与えただけ。後の流れは全て自然に生まれたもの、それぞれの自主的行動の結果です」
それが怖いのですが。
催眠やら脅しやらといった手段を使ったわけではなく、嘘すらもおそらくほぼ使っていない。
誘導だけで人を思い通りにできる『人間の欲』への理解。敵に回したくない人です。
「確かに、起こってしまった結論から言えば必然的にこれ以外の流れが存在しなかったとしても、誰かの選択や思慮次第ではこのようなトラブルを起こさない選択肢自体はいくらでもあったでしょうね。それに、私も重大な事件に発展させるつもりは最初からありませんでしたから。ちゃんと間に合うように情報をお渡ししたでしょう?」
まあ、その通りですが。
私たちだって神殿の選挙のことを知らなければ、あのお二人の性格をある程度知っているテーレさんでもここまでの事態になるとは思わなかったわけですし。
私たちに情報を流してきた時の用意の良さも事態を丸く収めるための努力をしていたと表現できないわけではないでしょう。
事態の発生を未然に防ぐ気がなかっただけで。
「あのトーリーさんの発言はさすがに私にしても想定の範囲外でしたし……会話に巻き込んでも少し機嫌を損ねる程度で嫌がらせか勧誘で収まるのが順当かと」
「あー……まあ、それは確かに。彼女自身、自分の信仰の在り方には無自覚でしたからね。それに関しては被害が大きかっただけでちょっとしたミスの範囲ですかね。しかし……」
トラブルを起こす気はあったものの、その規模や深刻さに関してはあまり周到に用意されていたわけではなかった。
神殿への脅しのネタにするためという可能性も考えていましたが、私がお二人に出頭をお勧めするのを妨害しようという気配もありませんでしたし。
「一応、お伺いしたいのですが、あなたの目的をご説明いただけるということで合っていますか? ここで密談の備えをして待ち受けていたということはそういう意図かと思ったのですが」
「あら、そこまで読めるものなのですか? もしかしたら、こちらの思っているよりも多くのことを知りながらとぼけているのかも」
「いえいえ、セシリアさんの立場からちょっと考えてみれば、ここまでわかりやすくトラブルを誘発しておいて何も言わずに立ち去るのは印象が悪い……ご自身で口にしていた通りに『信用商売』をする者としてあまり無闇な不気味さを演出したくはないのではと思っただけですよ。なんとなくですが」
私の言葉に軽くため息をついて、観念したというように空の両手を挙げて見せるセシリアさん。
どうやら少し苦手がられてしまっているかもしれませんね。権謀術数そのものを楽しむタイプの方からすればその時の気分と直感次第で『なんとなく』動く私のような部類はやりがいのない相手なのでしょうかね。
「では、正直に告白しますわ。それほど難しい話ではありませんのですけど……この件に関連して私が最初に受けた依頼は、あなたのことです、狂信者様。他の件に関してはそのついでと、こうして直接対面するための理由付け。基本はそれだけです」
「なるほどなるほど、私に関しての依頼を受け、私の居場所を探すついでにシンシアさんとゼムコルさんに『祭壇』関連の情報を流し、私を探すように仕向けてその依頼を受けて調査経費と報酬を稼ぎつつ、あわよくばトラブルの隠蔽の証拠を押さえて女神ディーレ神殿や『真愛派』『善功派』の弱みを握ってさらなる利益のチャンスを……という感じですか。元はほとんど値段のついていない情報群に価値を生み出す手腕、お見事です」
「そういう解釈もありますね。私にしてみれば磨けば価値の出る石をそのままにしておくはもったいない、という程度の話ですが。まあ、本命の依頼報酬に比べればちょっとしたオマケのようなものですよ」
「私に関する依頼というのは、どのようなものか伺ってもいいのでしょうかね。よほど大御所からの依頼というニュアンスですが、やはり守秘義務でお話していただけないのですかね」
「はい、依頼人に関してはその通りです。しかし……依頼内容については、隠さなければならないものではありません。私が受けたの依頼は『狂信者様がどのような人物であるか』の調査、そのために少しばかりこのトラブルを利用させていただきました。人間の本質を手っ取り早く見極めるには、平時の振る舞いよりもちょっとしたトラブルに直面している場合の方がわかりやすいものですしね」
私の人となりに関する調査依頼。
上辺だけでなく、本質的な部分を見極めるために、リアクションを引き出すためのシチュエーションを誘導したと。
確かに合理的で効率的なやり方です。
特に、私たちに直接的な被害があるわけでもなく解決が絶対的に必要なほどの親密な人間に被害が及ぶわけでもなく、個人的な関係性の薄い知人同士の諍いであれば他人事と静観するも干渉するも自由。
シチュエーションに対する人によって対応が別れるということは、その選択で相手の人柄が絞り込みやすいということです。
トーリーさんとシンシアさん、ゼムコルさん。
三人への最終的な対応まで試されていた、ということでしょうね。
無難に常識的な注意の上で出頭をお勧めしておきましたが、それが先方のご期待に添える対応だったかどうか……いえ、それはあちらが私を調べようとした目的次第でしょうか。
「それをこうして教えていただけていること……そしてトラブル自体は望んでもその悪化は望んでいなかったことからすると、依頼人の方は正体は明かさないまでも絶対的な敵対を望んでいるわけではない。そういうことですかね。だからこそ、『勝手に身辺調査したこと』と『調査のためにちょっとしたトラブルを起こしたこと』は実際に会ったときに悪印象を与えたくないのでここで清算しておきたいと」
「話が早くて助かります。ただ、一つ理解していただきたいことは……依頼人は、あなたとの敵対を決めているわけではありませんがあなたに味方すると決めているわけでもありません。現状はあなたについて『非常に興味深い』と思っている段階です。あなたがこれからの諸事変でどのように動く人間なのかをある程度知っておきたい……そして、それは私の依頼人だけではありません。おそらくは、あなたが思っている以上に多くの目がその行動に視線を向け始めています」
「ほう……私は一介の冒険者として活動しているつもりなのですが」
「だからこそ、でしょうね。それが組織の一部としての活動であれば、組織への圧力や利害交渉でどうとでもできるでしょう。組織に属してのものでなくとも大きな後ろ盾として利用している組織があればそこから動きを縛ることもできる。けれど、ただの個人として、一介の冒険者としてしか動いていないというのは……政治の世界の方々からすれば『怖い』のでしょうね。あなたのようにお金や地位で懐柔できそうもない、強固な意志の持ち主であるのならなおのこと」
まあ、そうでしょうねえ。
仮に私を止めようと女神ディーレ神殿という組織を攻撃したとしても、神殿からこれといった支援を受けていない私は痛痒を受けませんし、活動を停止する気もありません。
身辺攻撃の有効性など証明してしまっては、それこそことあるごとに周りの人間を危険に晒すことになる。むしろ報復的な攻勢を見せることで『効果が期待できずリスクばかり確定している悪手』としての認識を与えて結果的に他人への被害を防ぐことができる。
テーレさんの言う冒険者ギルドの暗黙の了解と同じこと。
私がシンシアさんとゼムコルさんの支援をお断りしたのも主にそれが理由ですしね。
実質的な支援を受けてしまった時点で女神ディーレ神殿は『少なくとも攻撃すれば私の補給路にダメージを与えられる組織』になってしまいますから。繋がりがなければ期待できる効果はただの『嫌がらせ』止まり。その上で私が『嫌がらせに屈しない人間』として見られている限りは周りに狙いが向く道理はありません。
「狂信者様。『祭壇』に関する問題に最初から関わっているあなたは『研究施設』の戦役を経て現物を手放しながら、依然として『祭壇』に最も近い人物の一人。あなたの個人戦力、社会的な権限、財力は確かに一介の冒険者、個人活動を続ける転生者として珍しくない範囲のものですが……それでもなお、あなたは台風の目になるのではないかと、ある立場からは期待され、ある立場からは恐れられています」
「私はそんな大それた存在ではないと思うのですがねえ」
「あなたに自覚がなくとも、そう思っている人間は確実に存在します。個人としての信念と感情で動くあなたが、『祭壇』にまつわるあらゆる計画に関する不確定要素……下手をすれば、歴史を変えてしまうような事象の起点になるのではと。個人とはいえ、あなたの力は完全に無視するには大きく、無闇に敵対するには危険すぎる。ともすれば……あなた自身が新たな一大派閥を立ち上げて立ち回ることすら不可能ではないでしょう。その気があれば、私もお手伝いをさせていただきたいくらいですが……実際、どうなさいますか? 今ならサービス料金でお安くしておきますよ?」
「私にその気がないとわかっていても商談成立の目があるかのように話を持ちかける商魂はさすがだと思いますよ。しかし……私からしてみれば、こちらに注意を向けている方々には『本当にそんなことをしている暇があるのですか?』と言いたいところです」
「と、言いますと?」
まあ、確かに私も転生者です。
一応は『活躍している』と言えないことはない程度の知名度があることは自覚していますし、そこそこ戦える部類ではあるのでしょう。少なくとも、これを『無力』と言えば信用されないくらいには。
しかし……
「私程度の人間はいくらでもいますよ。財力も権力もなかろうと、歴史を変えられる人間くらいどこにでも。むしろ、そうできない人間なんていないのではないかと思えるくらいです。一つの時代に生きている時点でその歴史の当事者、少なくとも完全な『部外者』なんてどこにもいないのですから」
「それは比喩ではなく、本当に『どこにでもいる』……という意味ですか? それだけの才能を秘めた人間に心当たりがあるという示唆ではなく?」
「ええ、その手の深読みの必要はありませんよ。お偉い方々は危険人物やら敵対組織やらと具体的な仮想敵を用意してその対策を取ることで安心したがるかもしれませんが、現実にはそんな大層なお膳立てやら因縁やらなどなくとも歴史など、どこかの誰かの決意や行動で簡単に動いてしまうもの。クックッ、今こうしている間にも、名もなき誰かの手で歴史が動いているかもしれませんねえ」
「随分……楽しそうに語るのですね。それはたとえ事実だとして、歴史がよい方向へ動いているとは限らないのでは? むしろ、この動乱期での時代の変化は大凡悪化へ向かうものかもしれませんよ?」
「確かに動乱の中、悪手に走ってしまう人間は少なくないかもしれません。しかし、そんな中で流れに逆行するからこそ大きく響く一手もあるでしょう。名もなき兵士が稀代の数学者を殴殺して戦争兵器の開発を止め、一人の修道女が誰にも諭されずに悪政を行う権力者を暗殺し、迫害された少女の日記が人知れず次の戦争を防ぐ。現実とはそういうものです」
人は歴史に学ぶもの、それはとても合理的かつ効果的で、大事なことです。
しかし、歴史とは所詮『語られる』だけのもの。
名もなき誰かの活躍や奇跡は紙面から溢れ、その分だけ実像からはずれ虚像へと漸近していくものです。
今の世界もいずれ歴史になるとしても、英雄や大義を並べて『歴史を描く』つもりで世界を作ろうとしていけば、それだけ無理が出るという話。
それだけのことです。
「全てを掌握できていると思っている誰かの書いた筋書なんて、本人への断りもなく勝手に組み込まれた名もなき端役のアドリブで容易く崩れ去るもの。世界は即興劇だからこそ面白く、今日ここまで神々から愛されながら続いているのです」
まあ、世界に響く一手ともなれば得する側と損する側、それを好意的に受け止める人々と受け入れ難い人々で行為の善悪について解釈が分かれるのは世の常。
何をしても善い側面と悪い側面が生まれる可能性があると考えれば、あまり『夢のある話』ではないかもしれませんが。
それでも、自分の打つ一手が世界を善くも悪くも動かしてしまうと思えば気も引き締まり、何が起きても少しでも胸を張って生きられるように努力しよう、善く生きようという気が起ころうというものです。
「それが私でなくとも人々の中から『狂信者』が現れるように、人知れずにある日ふと天命を悟る人間などどこからでも現れるものでしょう。もしも私が『善行』のために自分を刺しに来るのではと思って備えを固めている方がいるのであれば、私はこう言って差し上げたいものです……『「善意」に刺される心当たりがあるのなら、私に目を向けるよりも自分を見直し改めた方が合理的ですよ』と」
少し、語り過ぎましたかね。
セシリアさんの依頼人がどちら側に近い立場なのかはわかりませんが、私自身は特に理由なしに敵対する意思はないというのが伝わっていればいいのですが。
あるいは、さすがにちょっと引かれ始めたかとセシリアさんの沈黙を見守りましたが……クスリと、これまで聞こえていた彼女の声と少し違う声音に聞こえる笑い声が洩れたように聞こえました。
「世界を本当に動かす『名もなき人々』の力を信じるからの『名無しの狂信者』……なるほどなるほど、これが『999』の狂信者の在り方ですか」
「そう面白い話でもないでしょう? 裸一貫、とはさすがに言いませんが所詮は無名の一信徒でしかない私程度にできることなど頑張れば誰でもできる、それだけのこと。今更な当たり前の話ですよ」
「いいえ、いいえ、とてもためになりましたわ。ままならない現実を観ていながら卑屈さを見せない。理想を語りながら現在と乖離しない。ただ会話しているだけの相手にすら、その気がなくとも思想を広め感化を促す。何よりも、全ての言葉に『自分自身が信じている』からこその説得力がある。仮にも先人として何かアドバイスの一つでもすることがあるかと思っていましたのに、逆に見習うべき部分を見つけてしまいましたわ。お礼と言っては何ですけど……」
セシリアさんの声音が完全に変わります。
いえ、これは今までが声を変えていたという方がしっくりくる感じでしょうか。
「『セシリア・カットゥール』……あまりにもあからさまな偽名だと内心ではお笑いになられたでしょう? わざわざ戦乱の英雄の家名なんて名乗って箔付けかなにかのつもりかと。けれど、実はこれ正真正銘、私が生まれて最初に名乗った名前なんですのよ。もう、家系図からも記録からも消されているでしょうけど、あなたが嘘がお嫌いな方だと聞きましたから本当に久方ぶりに使いましたわ。これを知る人はあまりいません」
「……嘘が嫌いだと言っても、さすがに恨みを買う探偵活動ので使う偽名くらいで目くじらは立てませんよ。冒険者の活動名と同じようなものだとは理解していますし。しかし……」
「ええ、お察しの通り。名を変え、顔を変え、声を変え、人には言えないような生き方をしていますわ。もしかしたら今までもどこかでお会いしたことがあるかもしれませんし、これからも別の名前で、そ知らぬ顔でお話しすることもあるでしょう。私はそういう生き方を選びましたもの。けれど、たまにはこういう気まぐれもありますわ」
シュッと投げ渡された名刺。
受け止めたそれには、以前いただいたものと違いが……表面に僅かな光沢がありました。
「古典的ではありますが、炙り出しというやつですわ。表が一回だけ使える私との連絡方法、裏面には依頼人から『あなたが私のお眼鏡にかなう人物なら』と扱いを任された合言葉。表はあなたが私に依頼をしたくなった時、そして裏は今回の依頼人があなたに直接会いたくなった時に必要になるものです。本当は裏面のみのものを渡すつもりだったのですけど、学びのお礼にあなたにはもう一度だけレアキャラの『セシリア・カットゥール』と会えるチケットをプレゼントしますの」
「なるほど……私との繋がりを『良縁』と認識してくださった、そういうことだと受け取っておきます。チケットの使いどころはよく考えさせていただきます」
「何なら、夜のお相手でもあなたなら『払える価格』で請け負いますわよ? 本命の天使様に拙い手管を見せないための予行練習の相手が欲しければ後腐れなく徹底的な『技術指導者』として対応しますわ」
「クックッ、それもまたよく考えておきますよ。しかし、どうか知らぬ間に連絡が取れぬようになっているということがありませんよう。どうぞお元気で」
「ええ、そちらこそこれからの動乱の渦中。どうぞ命を取りこぼさぬようにお気を付けて……失った命だけは、お金様にもどうにもならないものですから」
折り目正しく頭を下げ、立ち去るセシリアさん。
背筋をピンと伸ばし、胸を張って前を向く彼女にもやはり人知れずとも誇るべきものがあるのでしょう。
人によってはそれこそシンシアさんやゼムコルさんのように良くない生き方だと言うであろう振る舞いを貫く彼女にも、他人の非難を意にもかけずに生きられるだけのものが。
トーリーさん然り、私然り。
私たちはそういうものなのでしょう。
「さて、雨が降り出す前に色々と済ませてしまいましょうかねえ。今日やるべきことは、まだまだありますし。なにより朝食を食べ損ねては一大事です」
何事があろうと、何事もなくとも、自分なりに有意義で善き日々を送る。
信仰に生きるとは本来、そういうものでしょう。




