第348話 向上心の果て
side 『枯死』
あの日まで、俺は自分が……いや、俺たちが『主人公』なのだと思っていた。
なんでもない日常を送っていたはずなのに、突然わけもわからない内に死んだと言われて、能力を与えられて、放り込まれた新しい世界。
そこで出会った同じ境遇の仲間たちと力を合わせ、冒険をして、成功していく未来。
自分たちが、そういう人生を歩み始めているのだと信じて疑わなかった。疑いもせずにそのまま進んでいれば、どこまでも明るい未来を仲間と一緒に迎えられると確信していた。
だが、それは違った。
あの日、俺たちは自分たちの物語の脇役でしかないと思っていた転生者でも何でもない盗賊たちの策に落ち、壊滅した。
思い出したくもないほど無惨に、徹底的に殺し尽くされ、醜悪な死体になった。
その時、俺は遅まきながら理解したのだ。
俺たちは思い違いをしていたのだと。
この世界は特別な能力や運命的な出会いなんかがあったところで、結局はどこまでも残酷で綺麗事なんて通じない『現実』でしかないと。
だから俺は、生き方を変えた。
主人公を気取って守ろうとしていた正義や道理なんて綺麗事を捨て、この世界を生き抜くために情けや道徳を捨てた。
何があっても死なないように、少しでも生命エネルギーを蓄える機会を求めると同時に、その扱いの熟練のために実験を重ねた。
単に敵を弱らせて自分や仲間を回復させることができる程度だった能力の応用を広げ、磨きをかけ、敵の生命維持に必要な器官をピンポイントで停止させて無抵抗の生命エネルギーを吸い尽くす使い方や逆に過剰な生命エネルギーで回復不能なダメージを与える使い方ができるようになった。
そうしても、まだ安心はできない。
転生者の多種多様な能力の中には、どれだけ生命力があろうと関係のない能力もある。あるいは、またあの時のように策にはまって危機に陥るかもしれない。
そうならないためには、身を護るための地位や情報を集められる立場が必要だった。だから、力のある貴族のお抱え転生者として手を汚す仕事をするようになった。
そうやって、死なないために手段を選ばずに向上してきて、こうして今を生きているのだ。
だからこそ、俺にとってこの手の転生者は一番気に入らない。
綺麗事を振りかざして、汚れる気もなく綺麗なまま生きられると思っている主人公気取りの生意気なガキ。
俺はこんなに生きるために手段を選ばず日々を生きているのに、それを悪事だなんだと宣う世の中を知らない甘い偽善者。
こういうやつの存在自体が、俺を苛つかせて仕方がないのだ。
林の向こう、村の奥の方から散発的な爆発音が聞こえる。
雨で詳しくはわからないが、あちらはあちらで戦闘が行われているらしい。キャプテンのいる側に限って万一はないだろうが、重傷者が出れば俺が治してやるって約束だ。
いつまでもこいつと遊んでやってる暇はない。
「早く死ねよおらっ!」
格闘に交えた魔法攻撃。
蹴り足の間合いを延長する形で伸びた氷の刃は、間合いの外側で届かないはずだった狂信者の首を狙い、風切り音を鳴らしながら横薙ぎに振るわれる。
当然、蹴りの速度そのものは俺の強化した身体能力……より厳密に言えば、瞬間的に生命力を過剰に送って強化された蹴りに必要な部位から繰り出される尋常ならざるもの。延長された間合いの中では蹴りそのものよりもさらに速い刃だ。
だが、狂信者はそれを『掴み』で止める。
態勢と反応速度で不可能と思われたはずの角度への防御を、その金色の光で強化された身体能力と『掴む』という行動に付与された魔法の防御機能で掴み砕く。
「チッ、気取ってんじゃねえよ。そうやってる間にお前のパートナーは捕まってズタズタにされてんだってのを考えろ」
「根拠のないことを言うものではありませんよ。あと、気取ってるつもりもありません」
「ならもっと攻めて来いっての!」
敵の戦闘スタイルが防御に寄っているせいか、思うように攻めきれない。
かといって離脱しようとして距離を取ろうとすると、裏をかくように先読みでダメージを与えてくる。俺の体力は能力の応用でいくらでも回復できるとはいえ、苛つきが募る。
長引けばこちらが有利なことはわかってるはずだ。
それなのに、何故守りに入っている?
俺の回復力が想定以上で作戦でも練り直しているのか?
それとも何かの奇跡でも……いや、『幸運』でも待ってるのか?
答えがそのいずれにせよ……甘過ぎる。
「お前は、何か勘違いしてないか? 善やら正義やら、そういうものに尽くすような生き方をしていれば長生きして綺麗な死に顔でベッドの中で死ねるとかよ」
攻撃を加速し、防御を押し込む乱打を叩き込む。
魔法の冷気を打撃と共に打ち込み、石化のガードごとその身を凍てつかせていく。
「残念だが、そんな未来はないんだよ。綺麗事言ってりゃ綺麗に生きてそのまま死ねるなんて、そんなことを保証してくれるやつはいねえんだ。この世界にいるっていう『神様』ってやつでさえなあ!」
自分自身のかけた石化はすぐに解けるとしても、その上から俺が打ち込んだ冷気は残り、体力を奪う。
身を守りながら策を練る余裕なんて与えない。
現実には逆転劇も快進撃もない……だって、そうだろう?
「この世には『主人公』なんていねえんだよ。あるのはただ残酷な現実だけ、そして、それを受け入れたやつが生き残って受け入れられないやつが野垂れ死ぬって運命だけだ」
手応えがある。
これまでの戦闘、戦闘前のダメージ。
この雨の中、氷と冷気の魔法を絡めた俺の攻撃で確かに体力が削がれている。動きのきれが低下し、守りで精一杯になっている。
このまま勝つ。
その確信と共に拳により強く力を込めた……その時。
「勘違いしているのは、あなたではないですか?」
狂信者の石化した腕が、まるで赤熱した岩石のように赤く染まった。
瞬間的に石化を解いた腕が、俺の腕を『掴む』。
その、赤熱したような熱感を保ったまま。
「うぐっ、何を……」
「生き物の死というのは、どう取り繕ったところでグロテスクで不浄なものですよ。皮袋の中身を垂れ流し、血潮は黒く錆び付き、肉が腐って蛆が湧く……偉人だろうが悪人だろうが、何年生きようが関係ありません。野垂れ死にだろうが大往生だろうが、どうしたって最後はそうなるのです。それを土で隠そうが、灰にして誤魔化そうが、現象に大差はないのです」
「ぐ、ぅぁ、なんだこれ……てめえ!」
麻痺させているはずの痛覚を貫くような強烈な熱感。
魔法での冷却も意味を成さず、捕らわれた両手が炙られ続け、その火傷を回復しているのがわかる。
「ですが、人はそれでも故人の死に様を……その人を憎からず思っていれば、醜いものだったとは言い伝えはしないでしょう。人は何かを語る時、必ず言葉を選び選択するのです。物事のあらゆる側面から、語るべき部分を切り取り表現するのです。だからこそ……死が美化されるとしても、それはその人物の『よかった部分』を後世まで遺したいという願いの現れなのです」
唐突に、敵の手が離れる。
すぐさま攻撃に移り、拳を打ち込んだが……その拳はイメージよりもはるかに遅く、狂信者の迎撃の掌打によって手首から『粉砕』した。
そこで気付いた……俺の手は、凍り付いていた。
燃えるような熱に抗おうと冷却し続けていた腕が、そのまま冷気の影響だけを直接受けたかのように。
「なん、だと……っ!」
「察するに、あなたはこの世界が物語ではなく、その主人公たるべき運命を持つ人間がいないと嘆いているようですが……違うのですよ。どうしても美化し、語り継ぎたいと思わせる人生を歩んだ人間の生き様が『物語』と呼ばれるのです。尊敬、憧憬、あるいは畏怖。綺麗事であろうがなかろうが、どんな運命であろうと最期までその在り方を貫いた人間こそが『主人公』と呼ばれるのです。『結局は死んだ』という程度で主人公の資格を失うのであれば、不死に至らなかった者はどんな大英雄だろうと主人公失格でしょう」
しまった……今の熱は『幻炎』だ。
熱感だけの錯覚、神経を麻痺させる薬物での伝達阻害を貫通してダイレクトに感覚に突き刺さる非現実の脅威。
錯覚ですら火傷するというそのリアルなダメージに対して反射的に魔法で冷却を試みて……自分自身の腕を、凍結させてしまった。
砕けた腕も再生するが、断面が凍結しているせいで再生が遅い……!
「てめえ! これを狙ってたのか!」
「確かに体力の消耗は私の方が厳しい。正直もう平静を装えるギリギリまで追いこまれていたくらいです。ですが、継続的な集中力ならこちらが有利のようですね。あなたの攻撃は派手でこそあれ、精細が欠けてきています。そろそろミスをしてくれると思いましたよ」
「くっ!」
腕の凍結面を切断して再生を加速させるにも時間がいる。
咄嗟に距離を取るために地面を蹴った……その右脚を、狂信者の右手が掴んでいた。
「ほら、やっぱり読みやすくなったでしょう?」
残った左手が、俺の首にかかる。
右脚と首、腕が使えない状態では自由な左脚での蹴りも満足に当てられない位置に陣取った狂信者は、力を溜め込むように身をかがめた。
「テーレさんから聞いていますから。転生特典の総合性能から考えればあなた自身が人間の形状から外れた身体へと変化する可能性は極めて低いこと……そして、再生の核となるのはいくら攻撃しても再生力の方が上回るようにして護っている心臓から脳にかけた器官でしょう? なら、こうすればどうなるでしょうか」
狂信者が、駆け出した。
俺の右脚と首を掴んだまま、木の枝やなんかにも構わずにほとんど真っ直ぐに。
例の妙な柔術だかの技で、俺の抵抗も軽く流すかのように、人間一人分の重さも無視して突っ走る
「ぐっ、調子に乗るなよ! すぐに腕の再生くらい……」
「単なる首締めや首吊りくらい、いくらでも対策しているでしょう。しかし、これは少し想定外では? 何せ、普段は『触れれば勝ち』なのですから」
腕の再生を待たず、狂信者は飛んだ。
俺を掴んだまま、崖から飛び出した。
「あなたの能力は本当に驚異的かつ、素晴らしいものです。汎用性があり、コストを攻撃力に変えていることで短所と呼ぶべき短所もない。惜しむべきは、『生きること』に長けた能力を持ちながら相反する『殺すこと』に道を定めてしまったこと」
「離せ! 一緒に落ちる気かてめえ!」
「好んで殺したりしなければ、きっと『不死身』でなくとも『無敵』でいることは容易かったでしょうに。本当に、残念です」
空中で態勢を変える。
俺の胴体を締め付けるように両脚を絡ませ、片腕で俺の頭を抱えるように、もう片方の手は俺の下顎を躊躇いなく掴み、強引に口を広げさせた。
そして……そのまま、落下を始める。
「はっ、へめ、あにを……っ!」
「【神を試してはならない】」
数秒後、襲う衝撃と水音。
落ちた崖下がこの雨で流れの速くなっている川であると、村の橋にあった吊り橋の下を流れる川への落下に巻き込まれたのだと気付く。
狂信者の状態が認識できなくなったが、落下直前に発動したのであろう石化で俺の落下を早めた上、単純な水面への衝突よりも大きなダメージを与えたであろうことは確かに認めよう。
俺を水に沈めようというのもいい考えだ。
だが……
「ははへっ(馬鹿めっ)!」
お前が石化して重くなったおかげで、俺は背中側から落ちて顔は上を向いている。
そして、俺の落ちた場所は水面下の岩の上だったのか、何かに寄りかかった状態で止まっている。
態勢と水深が相まって、俺の顔は水面より上だ。
『幸運の女神』に狂信していやがる癖に、ここぞというところで不運なやつめ。
知れ、これが現実だ。
腕をやられたときには正直動揺したが、もうその傷も回復する。石化して身動きが取れないお前がそれを解除した瞬間、俺は密着したお前を全力で叩き潰してやる。
使えば同時に回復が必要で燃費が悪い上にパワーばかりで精度が落ちるからこれまでの戦闘では使わなかったが、外しようのないこの近距離なら本当に最大限まで強化した身体能力での一撃で勝負を決めてやる。
さあ、諦めて石化を解き、姿を現せ…………?
待て……なんだ、この音……崖の上から……
「んなぁあ!?」
村の水路、その終端としてこの川へと流されているであろう排水口、そこからまるで大洪水のように溢れた水が飛び出し、こちらから見て上流の水面へと轟音と共に流れ落ちる。
そして、その水量の変化によって、顔が水面から出ている状態だった俺のいる場所の水位も……っ!
「ば、が、がぼっ! がぼぼっ!」
狂信者の腕に触れているのが認識できないが、強制的に開かれた口に水が流れ込んでくる。
息を吐いて追い出そうとしても、胸を締め付けられているせいか深い呼吸ができない。そうしている間に、水位が上がっている!
魔法だ!
氷で呼吸管を作って、空気を確保しなくては!
まずい……、水の流れが、速い……
「がぼ、ごぼぼ……」
魔法を使うには、呼吸が必要だ。
だが、その呼吸がほとんどできていない。
胸を締められた時に肺からほとんどの空気が押し出されて、今は吸おうとすれば水が流れ込んでくる状態だ。その上、川の水が増水のせいで余計に速く流れ続けている。
少ない魔力で僅かに生まれた氷が、管として形を完成させる前に流れていってしまう。
水位の上昇は一時的か?
いや、この感覚……沈んでいる……少しずつ、水の流れに押されて、寄りかかった岩から滑り落ちるように、より深い場所へと、川下の方向へ、水面よりも低い場所へと、ずれている。
さらに、底に着いたはずの、俺に絡みついた狂信者が重くなっていっているかのように、真下の石を押し退けて、川底へとめり込んでいる?
マズい……ヤバいヤバいヤバい!
流れが安定しても、水面が俺の顔よりも高い!
全力で、本当に生命力の消費を度外視して動かせる部分を全て使って暴れるが、流れる水の中でどれだけの力で手足を動かしても流れを乱すだけでどうにもならない。川底を蹴っても脚がめり込むだけ、殴っても腕がめり込むだけで俺の胴体と頭だけは一ミリたりとも上がらない。
それどころか、より重石が大きくなったかのように沈み込んでいく。
「がっ……ごぼあっ!?」
暴れている内に、体内の空気が尽きたのか。
途端に、全身の力が入らなくなる……意識が遠退きかけ……
そこで『蘇生』する。
溺死の瞬間、俺の『生命力が残っている限り死なない』という能力によって肉体が活性化しようとする。
だが、周りの状況は何一つ変わっていない。
水で満たされた肺がそれを追い出そうと精一杯の圧力で水を吐き出させるが、吐き出した後に吸うのも流れ込んでくる水でしかない。
俺の能力での再生は、失った血や肉は減った体重を補うようにどこからか補充されるが、体内に入ったものを消滅させるような作用はない。『身体の一部』として肺の中で空気が生成されているのかもしれないが、既に水の溜まった袋の中に吹き込まれた空気は泡になって出ていくだけだ。
蘇生しても、溺死寸前よりいい状態になっていない。
むしろ……
「ごぼぁっ……」
俺は能力や魔法なしでも二分は息止めができる。
だが、それはあくまでちゃんと空気を吸って平常心を保った状態の話だ。
口を全開にして、肺を水で満たして、溺死状態から蘇生した直後に息継ぎなしでの再始動で、何秒耐えられる?
いや……一回死ぬまでに何秒苦しみ続ける?
この苦しみが、どれだけ続く?
もはや、能力発動に集中することもできない。
不意打ちでの即死からだろうと俺を復活させてきたこの能力は俺の生存を最優先させ、勝手に蘇生が始まり、また何もできずに溺れ死ぬ。
俺にできる最後の足掻き……それは、僅かに動かせる手を使い、力のないタップをすることだけ。
降参だ、もうやめてくれ、苦しいんだ、石化を解いても攻撃しない、空気をくれ。
そんな全ての想いを込めたタップを、狂信者の身体か川底かわからないどこかへと叩き続ける。
だが、何も変わらない。
狂信者は『俺の命乞いを聞き入れない』という宣言に忠実に、目の前で溺死し続ける俺の姿が見えないはずもないのに、無視を続ける。
ほんの少し、立てば届く距離に、水面があるのに。
手を伸ばした指先の、ほんの数センチ先、降り注ぐ雨粒に波紋を描きながら流れていく水の膜の向こうに、いくらでも空気があるのに。
手も足も、動かせるのに……顔が、空気を吸い込むための器官が、決してこの距離を縮められない。
どうして、こうなった……?
俺は、こうやって惨めな死に方をしたくなくて生命力を溜め込んできたんだ。
俺は、俺だけはあいつらみたいになりたくなくて、ひたすら向上心を持って、弛まず前進を続けてきたはずだ。
なのに、結局は俺も……こんな形で、殺されて、死ぬのか?
だったら……まさか、弛まず進んできたこの道が、間違っていたのか?
生きるためなら何でもできるように情や正義なんてものを捨ててきたこの道自体が、間違った方向へ進んでいただけだったっていうのか?
そりゃねえぜ……助けてくれ、キャプテン……
「がぼぼぼぼぼぼっ!! がぼぼぁあああああ!!」
俺の断末魔の叫びは、流れる川の水面に浮かび雨粒に割られて消える無意味な泡音として、世界から静かに消えていった。
『枯死』の転生者紹介は次回の後書きで。




