第345話 『猫背の庭師』
side 工作部隊『猫背の庭師』部隊長
暗殺者を追って林に踏み込むが、やはり天候が悪い。
稀に見る大雨、土砂降りだ。
地面もぬかるみ、葉に大きな雨粒がぶつかる音が空気をかき乱し、木々が受け止めきれない雨水が降り注ぐ。
戦場としての環境が悪い。
「B種戦闘態勢を維持! 装備は小回りを優先しろ! 同士討ち狙いの可能性が高い! 陽動に警戒しろ!」
戦術のセオリーとして、悪天候は少数側に味方する。
多数側が数の有利を生かすために使うべきシンプルな連携が阻害され、奇襲や潜伏といった戦力的に不利な側が頼りやすい手法が決まりやすくなる。あちらにも悪天候の不便はあるだろうが、相対的に見ればこちらの方が分の悪い状況だ。
だが、それでも洞窟周りに固めていたこちらの兵は十名、村に配置した者も合わせれば二十名。そして、個々の戦力。
状況に多少の不利があっても、優位は揺るがない。だが、油断は許されない。
一番に懸念される危険、そして同時にあちらの狙い目となるであろう展開は強化された仲間同士での陽動に翻弄された末での同士討ち。
この、闇夜に慣れた俺たちでも周囲の状況を完璧に把握することは難しい環境を利用し、真っ向から戦えない強さの俺たちをその強さをぶつけ合って弱体化させる。
それを防ぐには、互いの位置を正確に把握して動く必要がある。この目も耳も遠くへ届かない環境では、それらが届く範囲内に味方を収める必要がある。
「転生者の『従者』は本体が死ねば無力化する! 俺たちが『枯死』の援護に向かう可能性がある以上、やつだけが村から逃げ出すことはない! 包囲網に回っている兵にも戦闘状態を伝達しろ! 包囲要点の警戒よりも周辺警戒を優先! 配置の近い者と集合させろ! 集合単位は四か五だ!」
四人小隊か五人小隊。
戦力的に正面から負けることはまずあり得ず、高い機動力を保てる移動隊形。そして、それだけ集まっていれば一人だけしかいない敵と誤認して味方を攻撃することはない。
堅実に追いこめば勝てる相手だ。
『ふーん、じゃあ五人が二つと四人が二つの四チームね。こっちでもう橋を見張ってた二人はやっちゃったから』
声が……した。
若い女の声だ。だが、肉声ではない。
俺たちの装備から……通信装置からだ。
「何故、貴様が端末を持っている?」
『そんなもん、倒した二人からぶんどったに決まってんでしょ。なんならこいつらの指でも折って悲鳴でも聞かせて証明してあげよっか? なに? 魔法じゃなくて電波使った無線機なら持っててもわからないと思った? この手の発明は中央政府が勝手な開発や製造を禁止してるはずだけど、転生者の持ち物の複製か何かかしら? こっちじゃマイナーでも扱い方さえ知ってたら傍受くらい簡単だから、今後使うのはあんまりお勧めしないわよ。本当にこれに頼るつもりならもっと内容を暗号化しなきゃ』
「こいつ……」
転生者由来の技術はこちらの水準からすれば従来の妨害技術などを無視し意表を突ける場合の多い便利なものだが、相手も転生者の知識を持っていればその有利が働かない場合もある。
今回は事前に転生者と敵対する予定がなかったが故の準備不足があることが否定できない。むしろ、この通信装置を利用してこちらの情報を傍受されるリスクを考えれば使わないのが賢明であるかもしれない。
だが、問題は何故あちらから通信を行ってきたか。
挑発か、あるいはこちらの手札を無効化したと見せつけてプレッシャーをかけるためか。
あるいは……
『それと……通信機越しに声が聞こえるからって、相手が遠くにいるって思い込むのはよくないわよ?」
『動揺』を誘うため。
余裕の態度を見せ、離れた位置の兵から奪った装備を持っていることを強調し、遠くから一方的にこちらを狙っている様子をイメージさせるため。
響いた声は、俺の背後、部隊の隙間から届いたものだった。
とっさに振り返り、ナイフを構えたと同時に走る銀の一閃。
それを防げたのは、強化されていたからこそ……いや、むしろ敵がこちらの強化でどうにか受けきれるかどうかというレベルまで準備を整えた奇襲を成功させたことに意識を向けるべきだ。
動きの中に捉えたのは、地面と同化していたであろう泥塗れのマントと、その裏面に刻まれた遮音の呪紋。
こいつは、一度姿を見せた後すぐに遠くに逃げたと見せかけて、痕跡を探しに来る俺たちを近くで待ち伏せていた。事前に倒した橋の見張りの兵から奪った通信装置を使って、その上で周りにいる俺たち自身の音を消し去ることで『ここにだけはいない』と思い込ませた。
「チッ、五人中四人か。結構強いじゃない」
おそらくは、部隊の指令塔である俺を狙っていたのだろう。
その俺は何とかその一撃を防いだ。だが、他の部下たちは奇襲に反応しきれずに短剣での一撃を受けている。それぞれ、受けたダメージは軽いように見られるが……無意味な行為のためにこんなリスクを冒すわけはない。
金髪の『従者』がその短剣に言葉をかけたのは、俺がその行為を妨害するための攻撃に移ろうとしたのと同時だった。
「これで六人。さあ、餌の時間よ。派手に貪りなさい、『バウァ=クゥ』」
暗殺者の奇襲で僅かな傷を負った四人の部下が『見えない怪物』によって食らいつかれ、振り回される衝撃によって周囲は一瞬にして破壊の嵐の最中へと変貌した。
side 『枯死』
俺は何人かの転生者と戦ってきたことがある。
だが、戦闘という過程をすっ飛ばして殺した転生者もいる。
こう言うと、この世界の人間は『まさか』と言って信じないことが多いが、転生者は下手な一兵卒よりも殺しやすいことも多い、楽な相手だ。
裏の世界以外ではなかなか出会さない、転生者同士の戦闘でも油断や容赦を見せないこういうやつ以外は。
「チッ、石化格闘とか渋いじゃねえか。面倒だぜ」
転生者は与えられた能力が強力な分、基礎能力が低い。
能力の応用性を新しく開発していこうとするやつは少なくないが、自分自身の運動能力や魔法技術の方面に関してはほとんどが修行をしたところで趣味の域を出ない。
この世界に来て、環境が変わった分、前世の感覚で『人間離れ』したことができるようになった時点で満足してしまうからだ。冒険者をやっていても、転生特典さえ使い熟せるのなら大抵の場面はどうにかなってしまう。
そう、俺たちもそうだった。
だからこそ、痛い目を見て情けを捨て、向上心を持って生きてきた。転生で得た能力に甘えず自分自身の技能を高め、なおかつ能力の扱いを極めてきた。
その上で、戦闘技術にやたらと秀でる転生者に対しての動揺はない。神々ってやつらが自分たちの力を見せつけるために転生者を送り込んでいる以上、前世から尖った経歴を持っているやつや天才的な才能の持ち主だっている。
問題なのは、こいつの『強さ』ではなく『やりにくさ』だ。
「やはり、速さと力のわりに『固さ』はないですね。回復力で補ってはいるようですが、ガードを外したときのダメージが大きい。常時強化しているのは首や脳だけですか?」
ボクシングや剣道なんかで対人戦に慣れた転生者と戦ったことはある。
そいつらの弱点は、その競技のルールで反則になるような攻撃で攻め続けられたときの対応の遅さだった。それに、人間相手に訓練している分、人間が死ぬような箇所への攻撃をするときに躊躇いが混じり、隙ができる。
転生者になってからひたすらモンスターとの戦闘を繰り返してきた実戦派の転生者とも戦ったことはある。
そいつらの弱点は、対人での駆け引きやフェイントだった。殺傷力や破壊力は高いが、その分戦い方が単純で読みやすかった。
だが、こいつはなんだ。
どういう認識で俺と闘っている?
「その回復力と自己強化は、同じリソースなのですかね」
『削り取る』という決定事項に近い意志。
ただ、それだけしか読み取れない。
敵を殺すための殺意でもなく、獲物を屠るための攻撃性でもなく、俺とのやり取りの中でこちらの攻撃に対応しながら着実に肉を毟り取り、その結果に喜びも達成感も見せずに作業的に次の瞬間を狙う。
こちらを圧倒しているが故に無感動になっているわけでもない。あちらは固くはあるが、それでもダメージを与えられている手応えはある。互いに、打撃戦で余裕の態度を見せられるほどの戦力差はない。
攻撃が受け流され、狂信者のすぐ側にあった樹を蹴り倒す。
受け流されはしたが、確実に『接触』はしていた。相手が普通のやつなら、これだけで殺せた。
「チッ、能力が効けばこんな苦労しねえってのに。どうなってんだか」
こいつの戦闘法は『石化格闘』だ。
転生者でやってるのを見るのは初めてだが、これ自体は実戦の世界じゃ大して珍しくない。
自分の肉体を必要に応じて強化する魔法を、武器や防具がいらないレベルまで尖らせて通常体術の攻防力を底上げする。そのスタイルの内、一般の強化魔法よりもさらに高い強化率の代わりに、強化部位が硬化して動かしにくくなる、全体的に動きが鈍くなるというようなデメリットまでを許容したスタイルが『石化格闘』と呼ばれる。
魔術系の魔法使いなら氷や石で身体を保護してやる戦闘法だが、こいつはデータ通りに神官職の魔法らしく自分自身の身体に石の属性を持たせている。硬くはあるが、間違いなく『生身』のままだ。
俺の手足は格闘の中で確かにこいつに『直接』触れている。それは確かだ。なのに、能力が通らない。
「……チッ、対策済みってことかよ。もう、普通に殺すか」
魔法の瞬間的な発動と解除の技術と共に、自前の格闘技術が必要な戦い方だ。
転生者との戦闘経験が多ければ、『触るだけでアウト』なんてタイプの転生者の存在も意識する。前世からの技術を活かそうとして格闘戦に絞ってこの世界での戦闘法を伸ばしていれば、そういう転生者への対策も持っていておかしくはない。
大抵は、相手に直接触れないように籠手やらブーツやらを分厚くしてくるが、体内まで弾かれるなら他の方法だろう。できれば今後のために解明したいが、それは後でもできる。
能力を使うこと前提で戦わなきゃ、格闘戦に拘る必要もない。
「【凍えて 死ね】」
吹きすさぶ、冷気の刃。
標的の一部分、刃の通過する断面だけを瞬間的に氷結させて脆くさせ、小さな衝撃で綺麗に割る魔法。
魔法への抵抗も高いかもしれないが、この雨の中で濡れた身体に受ければ氷の刃の通過点はそのまま身体を氷に封じ込めた拘束具となる。
この魔法で死ななくてもいい。
決定的な隙ができれば、こっちの勝ちだ。
「【浄化の光】」
対する狂信者の行動は、神官系のセオリー通り。
魔法が到達する前に浄化光で魔法の影響を減退させる。
眩しすぎるほどの浄化光だ。
俺の魔法を即座に無効化できるとは、さすがに転生者としてではなく高い神官適性で有名になっただけはある。
だが、読み通りだ。
「さっさと死ねや」
俺が魔法と同時に安全ピンを抜いていた高威力の爆弾が、俺と狂信者を巻き込む爆発を起こし、魔鋼の鎧も撃ち抜く飛散弾を逃げ場なく解き放った。




