第340話 『神体様』
side テーレ
私には『不幸』が集まる。
それが私の生まれ持った性質であることは今更否定しないし、その性質を利用した戦術も多用しているからもはや慣れ親しんだものだとすら言えるかもしれない。
けれど、慣れているとしても、それが性だとしても、周囲に不幸の気配が満ちている状態は気持ちのいいものじゃない。
そう……二百年も周りを不幸にし続けていれば、何かとんでもないことが起ころうとしている空気は、なんとなくわかるようになるのだ。
それは、たとえば人の言い争う声だったり、立て付けの悪い家具の軋む音だったり、空気に混じった僅かな異臭や色の見え方の違いだったり。
不幸というのが唐突に無から現れる事象ではない以上、それが結実するまでには何らかの『予兆』がある。伏線と言ってもいい。
そして、それがハッキリと感じられるというのは、それだけ危険な因子がその空間に満ちているということ。不安定に積み上がった荷箱のように、放置された危険が『何事もないまま』許容されてしまっている。
そう、改めて偽金の詰め込まれた空き家を出て私が感じたのが、そんな感覚。
マスターの最近の『察しの良さ』とは違うかもしれないけど、経験則から感じ取れたのは、村の不穏さ……いや、山のような偽金を見て気付いた『これほどの異常事態』が起きていながら平静を装っていたこの村への危機感だ。
「あの空き家には帰らない方が良さそうね。この村のやつら、本気で善悪の判断が付かない段階まで来てるっぽいわ」
「そうですね……この雨ですし、そこらで寝るわけにはいきませんが、あのユキコさんの秘密基地をお借りするか、むしろユキコさんのお家にお邪魔させてもらう方が利口かもしれません」
「それ利口? あの子、私たちを匿うとかできそうにない気がするんだけど。この村での立場的に」
「だからこそ、ですよ。彼女は少しガードが必要かもしれません……村の人間とは関係ない人脈で」
「はあ……そういうことね。この村、『祭壇』のせいでおかしくなったんじゃなくて元から歪んでたわけね」
ユキコという少女についての話はある程度聞いた。
父親が転生者で報復の対象になったというのは悲惨な話ではあるけど……言ってしまえば、珍しいと言うほどの話でもない。
ちゃんと結婚していれば、政府は転生者の家族が狙われないように強力な護り手のいる治安の良い街への居住を保証してくれる。死んだ転生者の家族が護られないとなれば恋愛とかに及び腰になって深い関係を作るための工作が難しくなるし、生前であっても家族を人質にされてテロ行為を誘発されたりしても困るからだ。
けれど、非公式に持った関係で生まれた子はその限りじゃない。そこまで保証しようとすると、死んだ転生者との関係がないことを立証できないのをいいことに『実は彼の子供だった』とか言って子供を持ってくる無関係な人間がなだれ込んできてきりがないから。最低でも、その転生者自身の認知が必要になる。
今回の事例は……そういった対応の隙間からこぼれ落ちた、不運な案件だろう。
非公式な関係でありながら、転生者の子供であることが間違いないと追っ手がしつこく追ってくるくらいに確信できてしまう情報が洩れてしまっている。そして、その遺伝的な特徴が否定しようもない程に受け継がれてしまっている。
その上、最後に逃げ込んだこの村は……
「同じ価値観を全ての人間が共有すべきとは思いませんが、善悪の判断が付かなくなっているというのは否定できませんね。少なくとも、ユキコさんを中心とした問題に関しては……彼女の人間性を否定していい理由はどこにもないはずです」
「特に大きな問題は、その『善悪の判断がつかない村の連中』が間接的とはいえ、少なくとも転生者一人分以上の力を行使できる状態ができてしまっているこの村の現状よ。しかも、その転生者がユキコの完全な言いなりで、そのユキコが村の大人に『逆らえない』とすると……」
「まあ、実質的に村の『総意』でその力が振るわれる状況というわけですし……こうなりますか。テーレさん、戦闘態勢を」
「『収納空間』の能力だけじゃ説明できないわねこれ……まったく、こんな土砂降りの中『泥遊び』なんて勘弁だわ」
雨に混じり、空から降り注ぐ拳大の光の球。
それが地面や木々に落ちると、表面で弾かれることなくその内側へと染みこむように吸い込まれていき……それらは、その素材を再構成した不格好な『人型』へと変わっていく。
まるで、スプラとヒルトの与えられた権能みたいな能力……アトリも似たことはできるけど、一度にこんなたくさんの『動く人形』は作れない。本来なら、これができるだけで一つの転生特典と同等に近い『奇跡』だ。
そして、それらは明らかに私たちの方へとその身体を向け、歩を進め始める。
村の話し合いでどういう結論が出たかはさておき、それが『仲良くしよう』ではないことだけは間違いない。
「デザインは均一、おそらく核は胸の中央、心臓に近い位置です。表面を剥がすのでとどめをお願いします」
「わかった! こんなの相手に怪我しないでよ!」
side ユキコ
村の奥の洞窟、その奥の祠。
『祈祷』のための台座に座った私の目の前で、『神体様』が放った光球が飛び立ち、村へと散っていく。
「おおっ! さすがは『神体様』じゃ! ユキコもよくやったのぉ!」
「あの余所者共さえ押さえられれば何も心配はない」
「いなくなった者たちの居場所もやつらに吐かせればいいのじゃしな」
相変わらずのことしか言っていない老人会の大人たちに辟易しながら見えないように嘆息するけど、私の目の前の『神体様』は何も感じていないように俯いたまま、静かに佇んでいる。
まるで全身を火炙りにでもされたかのような真っ黒な身体。
だけど、その体格はどうにか人間だとわかるくらいの膨れ上がった筋肉質の肉体。服の代わりにあり得ないほど伸びきった獣のような髪を自分の身に巻き付けるようにして身を縮めている。
顔にかかる髪の毛のせいで目線や表情は見えないけど……きっと、私の後ろの老人たちなんて見えていないのだろう。下手をすれば目の前の私も見えていないし、なんの音も聞こえていないのかもしれない。
私は『願い』を声に出していないのだから。
声にすることなく、心の中で強く『願う』だけでそれを叶えてくれる……叶えてしまう、それが私にわかる『神体様』と呼ばれている彼の性質だ。
あの日……身を清めているときに、砂漠の中の黒点を見つめたあの時。
おそらくはその『黒点』でしかなかった、それだけの距離にいて、人間とも思えなかった彼は、次の瞬間には私の目の前にいた。
自分の二倍以上の背丈の真っ黒な男の人が、いきなり目の前に現れたのだ。
当然驚いたし、何も着ていなくて身の危険も感じた。
けれど……それ以上に、彼の身体中の火傷のような傷に目を引かれた。それは、本当に生きていることが不思議なくらいの酷い状態だったから。
『ぁ……ァ……』
掠れた声で、何を求めているかもわからない今にも倒れそうな様子で、私に何かを訴えかけていた……ように思えた。実際はどうだったのかわからない。
後のことを思えば、単に私の『驚き』という反応に対して下手な真似をしようとしただけなのかもしれない。
とにかく、私はそれをどうしていきなり現れたかわからないけれど、酷い傷を負った人が、喉も焼けて喋れないままに助けを求めているのかもしれないと思った。
裸を見られたことは恥ずかしくはあったけど、私に邪な感情を抱いていないのは感じられたから、私がたまに村の人から隠れるのに使う洞窟の一つへ連れていって、手当てをして、食べ物や水を口に運んだ。
薬草を見つけたり、傷に包帯を巻いたり、そういうのはお母さんと一緒に逃げながら生活している間に慣れていた。私自身にそういう経験があったから、いきなり目の前に現れた彼にもそういう事情があったのかもしれないと思えたのかもしれない。
そうして、村に隠れて彼の看病を続けて……何日かして、さすがに村に戻らないと大事になると思い始めて、看病を続けるのが難しいと感じ始めていて、私はいつの間にか無意識に願っていた。
『彼の傷が早く治りますように』と……そうして、最初の『奇跡』が起こった。
彼の傷が治ったのだ。
本当に、今までの看病がなんだったのかと思うほど、見る間に。
一瞬、自分に何かの力が目覚めたのかもしれないと思った。
転生者だったという父の血が、何かの力を持ったのかと。
けれど……違うことは、すぐに理解できた。彼が、その手から色々なものを生み出し始めたから。
それは、私の持っているのと同じ服だったり、彼に塗ったのと同じ薬草だったり、包帯だったり、食べ物だったり。
私が彼の目の前で『必要だ』と思ったことのあるものだと気付くのに、時間はかからなかった。
そうして……私は、新たに『願い』をかけた。
そうしてみて、その結果から理解できたのだ……彼は、どんなものでも出してくれる。きっと、死んだ人を蘇らせることや命を生み出すこと以外なら、何でも叶えてくれるのだろうと。
それからは……ほとんど、流れに流されて、なるようになっただけだった。
さすがに不審がられて村の大人にこの洞窟が見つかって、人間と思えない風貌にみんなが彼を殺そうと言い出して、それを止めるために『願いを叶えてくれる』ということを口にしてしまって、私以外の『願い』を彼が叶えることがなかったから代表として願いをかける私が『巫女様』なんて様付けで呼ばれるようになった。
そうして、私は村のために色々なものを彼に願うようになった。
私欲のために『願い』を無駄遣いすることは許されなかった。
もしかしたら……私が、大人たちへの反抗を願っていればそれも叶っていたのかもしれない。けれど、それを心から願うには……私の心は、ずっと前に折れてしまっていた。
私は、願いを叶えることができる力や立場を手にしても、それを大人に逆らって使うことができない。だから、今もこうして大人に言われるがままにここに座っている。
ただ、唯一救いなのはこの『願い』が言葉ではなく心で祈るだけでいいということ。
私がどうやって願いをかけたかは、私と彼にしかわからない。
私は……彼に、人を傷付けるようなことをしてほしくない。だから、あの冒険者の二人に関しても『無傷で連れて来て』と願った。
老人たちは村の異変と彼らを結びつけているけれど、それはきっと何かの間違いだという気がするから。
彼らが無傷でここに来てくれれば……もしかしたら、明日の朝を待たずして。いや、それはやっぱりダメかもしれない。
私は……
「ユキコ、いつまでもそこで何をしておるんじゃ」
「まさか余計な願いなど叶えようとしているわけじゃなかろうな?」
「さあ、さっさとこっちに来るんじゃ」
……老人たちは心配症だ。
私だけが願いをかけられると知ったときも、今も、私が『気の迷い』を起こすことを怖がって、声を荒げている。
そして、それに相変わらず震えが隠せない私も……立派な人間なんかじゃないのだろう。
「はい、今戻り……」
「なるほど、『その距離』で『そいつが強く願う』ことが条件か。件の『祭壇』が、情報よりも扱いやすくなってるじゃないか」
それは、理解の追いつかない光景。
洞窟の岩壁の片隅がペリペリと布切れのように剥がれ落ち、その裏から人影が現れる。ナイフを手にした、村の誰よりもガタイのいい、知らない男。
それが、瞬きする間もなくこちらに駆け寄り、私の後ろに回り込んで口に布のようなものを当てた……
何が起こったかわからないまま、布に染みこんだ薬のような匂いを嗅いだのを最後に、私の意識は闇へと落ちて行った。




