第314話 VS アオザクラ➂
side ヒムロ・アオザクラ
『森の民』と『中央』の人間の関係は基本的にすこぶる悪い。
前回の戦乱で巻き込まれ被害を受けたという歴史的背景や、自然との共生を重視する『森の民』とより新しい人工物で身の回りを固めたがる『中央』の生活文化的な違いという根本的な溝が深いのは今更言うまでもないが、それに加えてもっとどうしようもない問題として『互いが互いを嫌っている』というシンプルな事実がある。
元々は、やはり歴史的なことや文化的な無理解に端を発したことなのだろうけれど、その溝が百年も続き世代も変われば直接の接触がないにも関わらず伝聞での偏った情報から生まれた差別や偏見も起こる。
たとえば、安全な人類域の奥深くに住んでいるおかげで本物の凶暴なモンスターに馴染みのない『中央』の人間の一部は国の軍隊や冒険者の専らの敵が『森の民』だと思っていることもあるし、中には『森の民』を本当は人間に化けて血を吸おうと襲ってくるお伽話の人外種族だなんて本気で信じているやつまでいる。
逆に『森の民』にしても、かつて森に攻め込んできた兵士や転生者の話ばかり聞かされてきた世代は『中央』の人間が大人から子供まで全て血に飢えていて、赤ん坊の頃から言葉よりも早く人の殺し方を教えられていると思っている部分もある。
どちらも冒険者なんかをやっていて実体を目にすれば大抵は自分の認識のおかしさに気付くが、社会の外側を見ることがなければ自分の『常識』として認識しているものを疑うことすら難しい。
そして、その手の誤認識の溝が特に厄介なのは、冒険者のように生まれた社会の外に踏み出した経験から本当に正しい事実と単なるデマを見分けることができる立場の人間が限られていること……それに、その立場の人間がまず受け入れられないことだ。
それこそ、僕がそうだったみたいに。
『森の民』の一員であった母親が『中央』に出ていた時に、どういう間違いだか、あるいはその時の恋の狂気だか勢いだかで中央貴族との間に子供を産み、それから十年後……父親と母親が縁を切って、母親と一緒に森の中の一族の村に帰った僕が、『森の民』から心から歓迎されなかったように。
僕は、自分を『森の民』だと物心つく前から知っていた。
『中央』で生まれたとしても、母親が『森の民』の一員であればその息子も『森の民』……父親の前妻の息子であった『兄』からは、そう言われて、家来か使用人のような扱いをされてきた。
『兄』だけでなく屋敷の使用人の多くも、僕を『当主の息子』ではなく『森の民』として見ていた。
母は純正の『森の民』であったがさすがに当主の妻、直接的な差別発言なんかがあれば当主から叱咤されることになる。だが、僕は違った。
既に後継ぎとしては『兄』がいて、僕は元々作る必要のなかった子供。強いて言うのなら一時の熱愛やら恋愛やらで母をウィンタール家に迎え入れるための口実としての既成事実の結果に過ぎなかった。
父親も、家族も僕を母から引き離したがった。
父親は母を愛していたというよりも、その容姿を自分に相応しい『装飾品』として見定めただけだったのだろう。最初の妻を早くに亡くしてできた隙間を出自はどうあれ見た目は綺麗な母を着飾らせて埋めたかっただけ。
母はそのためのアプローチにまんまと騙され、本気で恋をして、僕が育つ内にいつまでも改めさせられることのない使用人や兄への態度から全てを理解して、僕を連れて生まれ育ったアオザクラの一族の元へと帰った。
それが、僕の十歳の頃の話。
それまでに僕の中には、一つの淡く眩い幻想が宿っていた。
生まれた家で、母親以外の全員から軽蔑の視線と共に『森の民』と呼ばれてきた人生……侮蔑に近い意味合いで呼ばれていたものではあったけれど、母親だけには『本当のこと』を、中央で言われているような野蛮人ではなく優しい人たちで、住みよい『故郷』なのだと、信じていた。
それを心の支えに、いつか自分もそこに『帰る』のだと……この屋敷で呼ばれ続けたように紛れもない『森の民』として、その一員として迎えてくれる本当の家族がいるのだと、思い込んでいた。そうしなければ、耐え続けることはできなかったと思う。
そして、その希望がようやく現実となり、母に手を引かれて初めて『帰った』故郷は……『傷物』にされた母を優しく抱き留め、僕に嫌悪の視線を集めた。
母は家族との不仲で森を飛び出したわけではなく、これからの世界に一族が順応するために社会を知ろうと族長家の一人として村を出ていた。ある程度、手紙を通しての近況報告などもしていたし、反対はされたが中央の貴族に恋をして、少なくともその時は真剣に愛を持って結婚して子供を産んだというのは報せていた。
けれど、結局のところ実際に返って来た『結果』は『中央の男に騙されて純潔を穢され、産まされた子供を連れ帰って来た』という結末だけ。むしろ、それを責めることなく同情的に受け入れただけでも村の人々は極めて良心的で善良だったと言えるのかもしれない。
けれど、その母の騙された証拠であり、十年という月日を『中央の貴族の子供』として育てられた僕に対しての反応はとても好意的とは呼べないものだった。母の手前わかりやすくこき下ろすようなことはしなかったけれど、僕の周りには見えない壁があるかのように人が避けていった。
唯一僕を労わろうとする母も、何かと理由を付けて引き離された。僕が何かを吹き込んで中央に帰ると言い出さないかと周りが心配していたのだろう。
僕は思い知らされた。
幻想は、結局は幻想のままだった。
『中央』の人間から見た僕は『森の民』という余所者であったけれど、その『森の民』の中に入っても僕は『中央』の人間でしかなった。
自分には『帰るべき場所』なんてものは、初めからなかったのだと知った。
もちろん、僕は十歳の子供なりに受け入れてもらおうと努力をした。
中央にいた頃から、せめて真面目ないい子でいれば認めてもらえるのではないかと勉強を惜しまなかったし、村に来ても周りに認めてもらいたくて母親に少し無理を言ってまで『森の民』の技術や魔法を同世代の誰よりも自分のものにできるように努力した。
けれど、当主の後取りである『兄』よりも勉強ができてしまう次男も、余所者のくせに一族に受け継がれ来た伝統と文化、そして技術に異様な執着を見せて、まるで知識を盗み出そうとしているかのような子供も……努力を重ねれば重ねるだけ、気味悪がられるだけだった。
そんな時だった……『森の民』の間での一族同士の交流。
どちらかと言えば定住を好む『アオザクラ』と違い移動生活を営む『クロクヌギ』の一族が村の近くへと移って来て、一時的とはいえ『お隣さん』としての共同生活送ることになった。元々、『クロクヌギ』は旅商人の商隊のような性格があったためかそういった交流や移住に慣れていて、他の『森の民』も新鮮な『情報』や『特産品』をもたらしてくれる彼らを快く受け入れるという数年周期のイベントだった。
けれど、相変わらず僕は孤立したまま。
『アオザクラ』の族長一族の失態という意味でひけらかしたくはなかったのか、他の子供たちが挨拶に引き出される交流の場にも連れていかれることはなかった。母は反対したようではあったけれど、現族長である祖父には逆らえなかったらしい。
いじけて、人払いの結界を張って独り泣いていた。
そんな僕に声をかけてきたのは、子供のものとはいえ既に大人とそう変わらない技術で張ったはずの『人払い』を直感で看破して入り込んできた、一人の少しだけ年上の少女。
「これ、あんたがやってんの? すごいじゃない。でも、なんで泣いてんの?」
アイリン・クロクヌギ……『クロクヌギ』の族長の孫娘で『アーリン』という愛称で呼ばれるヤンチャ娘。
僕を見つけたのも、『入っちゃいけないと言われた場所は覗いてみたくなる』という子供らしい心理と『人払い』をなんとなく感じ取り見つけてしまうという野生の勘だった。
最初の頃の自分がどんな受け答えをしたかはあまり憶えていない。
けれど、少なくともあまり人間的にいい言葉で彼女と話せたわけではなかったはずだ。何しろ、『中央』だろうと『森の民』だろうと余所者への差別やいじめがあからさまなのは大人よりも子供の方だ。
相手が『活発な年上』というだけで、僕の警戒心は最大限に高まってかなり激しく拒絶したような気がする……よく憶えていないのは、思い出したくなくて記憶を押し込めている内に忘れてしまったのだろう。
何はともあれ、僕はアーリンに強く当たった。
それこそ、子供がケンカで使うべきではないような魔法まで使って、追い払おうとした。相手が誰であれ、普通に嫌われて距離を置かれてもおかしくないことをしたはずだけれど、その時の僕は幻想が砕かれたことでそれくらい絶望していたのだ。
けれど、アーリンはそんな僕を嫌って離れることはなかった。
後から知った話ではあるけど、アーリンの方もなかなかの問題児として知られていたらしい。
それは、僕のように血筋に問題があるとかじゃなくてもっと単純に子供らしい理由として……とてもケンカっ早くて、負けず嫌いだということで。同世代の子供たちの間での『術比べ』でも、白熱しすぎて遊びの中の事故で怪我をしても、勝つまで勝負を続けようとして大人を困らせる程だったとか。
そんな彼女にとって、僕の『挑発的』な態度は琴線に触れるものだった。
結界に隠れればそれを『見つけてみろ』と言われたとでも解釈したように僕の所へ現れたし、罠を仕掛けても無理矢理にでも抜けてきた。
そして、いつしか僕は彼女を拒むことが無駄だと悟って……ようやく普通に、生まれて初めて同世代の友達のように会話ができる関係を築いていた。
「あんなやつら、どーでもいいじゃん! それより、今度の『術比べ』は何やる?」
『アオザクラ』の同族たち、そして彼らから僕のことを聞いた『クロクヌギ』の人々。
僕と会って話していれば彼らから叱られるかもしれない……もしかしたら、僕の知らないところで本当に叱られていたかもしれないけれど、彼女はそんな周りの空気をいつも『どーでもいい』と一笑に付して僕の所に遊びに来た。
村の中に居場所のない僕を、丘や河原、花畑からモンスターの巣の見える木陰なんかまで、連れ出した。
中には大人に『子供だけで行ってはいけない』と言われていたらしい場所もあったけれど、それを無視するアーリンは一緒にルール破りをする仲間として、そういった『心配事』をほとんど言われていない僕を誘ったというのもあったらしい。
僕はその中で、初めて『森の民』の暮らしの本当の輝きを知った。
何千年と自然と共に生きる人々の村の中での社会なんてものは本当にごく一部分で、本当の生活は村の外にあった。
そう……何よりも僕が魅せられたのは、アーリン。
自然に身を任せて生きる彼女の姿だった……小さな世界に囚われることなく、雄大な自然を広く視界に収めようと見上げるようにして、より遠くを見ようとする彼女の横顔だった。
河の清流に身を浸し、風と共に唱い、草木に身を寄せ、鳥獣に親しむ……まるで、無垢な牝鹿のような、動物的な本能に逆らわず自然の中に溶け込むように生きる少女の美しさ。
『森の民』の中でも……彼女以上に『森』と共に生きている人間は他にいなかった。
伝統や知識としてではなく、人間的な文化を嫌うわけでもなく、本当に純粋に『森』の一部としてほんの少しの恵みを受け取り、生きていくのに必要な分だけを大切に身に付けて、人々の争いや確執を『どーでもいい』と捨て去って生きる……僕の幻想の中にあった『森の民』の理想像を体現する生き様。
僕は、彼女のようになりたいと思った。
彼女と一緒にいれば、僕のなりたかった『森の民』になれると思えたから。
けれど……それが半年ほど続いた後、別れは唐突に訪れた。
「ごめん……もう、次の場所に引っ越すみたい。それでね……わたし、爺ちゃんの弟のところで『特別な修行』っていうのをやるんだ。だから、もうずっと会えないかも」
僕は、アーリンから断片的に聞いたその『特別な修行』に思い当たるものがあった。
『再生者』になるための修行。
母に頼み込んで読ませてもらった貴重な書物に記されていた、『大長』を決める儀式で特別な役割を担うための、特別な子供だけがされる教育の始まり。その間に会える人間も限られ、何年で終わるかもわからない。
その役割の内容について詳しくは記されていなかったけれど、それがとても名誉なことであり、その役割を任されるのは特に純粋で『森』の加護を受けた者だけということは確かだった。
つまり、僕が思ったとおりアーリンは『特別』だったのだ。
純粋で、余所者の僕なんかとは違う、一族から必要とされる役目を担う生粋の『森の民』の少女。
もう、僕なんかとは仲良くできない立場の人間になるのだ。
結局、アーリンは『クロクヌギ』の一族と共に『アオザクラ』を去り、僕はまた一人になった。
移動生活が基本となっている彼らにとってはその手の別れは慣れたものであり、僕もまたアーリンにとっては一つの引っ越し先で仲良くなった隣人の一人に過ぎないだろう。
その後、またしばらくしてから父親からの使いが来た。
なんでも後継ぎになるはずだった『兄』が急死して、僕に白羽の矢を立てたらしい。
それに激しく反対した母は『不審死』して、残された僕は差し出されるように『中央』に返され、後継ぎになるための教育を徹底して叩き込まれ、不利にならないようにと『アオザクラ』としての来歴を消し去られ、その名を口にするのも禁じられた。
けれど……僕の中には、いつまでも思い出の残像が残り続けていた。
かつてはただの幻影だったものが、今度は人生で一番の煌めきの記憶として、刻まれていた。
村にいた時間のほとんどは苦痛だったとしても、その中の一瞬の輝きだったものは……自然と共に生きる少女の美しさは、消してはならないものと思えた。
僕が人生の中で出会えたものの中で一番価値のあるものだと……決して、この世から消し去らせていいものではないと思った。
だからこそ……どんな手を使っても、森と共に生きる彼らの故郷と文化を守らなければならないと思った。
それが、その煌めきの記憶に微笑む彼女自身を害する必要があるとしても……永遠に、彼女と同じように生きられる美しい人がいない世界にだけはしていけないと、思ったのだ。
だから……
「ああ……わかってたよ。本末転倒してることくらい、それが僕にとって致命的なことくらいさ」
『要塞怪獣』。
僕のとっておきの隠し球で、最終兵器。
それが、地鳴りのような痙攣の末に倒れ伏し、その裂けた頭皮の下から緑の体液にまみれながらも不敵に微笑む彼女の姿が現れる。
「そういえば、『生還者』の称号を取った時の偉業が大型怪獣の単独撃破だったか。どうやってそんなことをやったのかと思ってたけど……なるほど、こうやって体内で暴れたわけか。さすがに急所周りは中で人間が動き回れるような作りにはしてなかったはずなんだけどな」
「全く、まさか二度もこれをやるハメになるとは思わなかったよ。ついでに言えば、もっと小さくて硬いやつならさすがに無理だったわ。あの時はうっかり丸呑みにされて生き残るために必死にやっただけだったけど」
『洗浄』の魔法で体中の体液をはじき飛ばし、こちらに杖を向けながら歩み寄る。
これを破られた以上、僕にこれ以上の対抗手段はない。残ったトラップや駒で多少の悪足掻きはできても、結果は変わらない。
「全く……さすがは生粋の『森の民』ってことだな。僕みたいな半端者の真似事じゃ、とても敵わない。その強さも、例の『特別な修行』のおかげだろ? 全く、嫌になっちゃうな。結局こうして、本物との違いを見せつけられるんだから」
杖を放り捨て、地面に尻をつけて座り込む。
武装解除と降参の意思表示、裏も仕掛けもない、掛け値なしの敗北宣言。ヒトシには悪いけれど、他ならぬ彼女に負けたんなら僕はもう何もできない。
だって……
「はあ……好きにしろよ、『森の民』を一つにまとめるためになんて言って、全ての族長一族の若いやつらを……女も子供も、みんな殺させたんだ。赦されるなんて思ってないから」
身内殺しの大罪。
『大長』の候補を僕一人にして、強引にでも『森の民』を一つにまとめる。十二の氏族が意思統一できず団結できていない『森の民』が一つになるには、頭になれる人間を一人だけにして否が応でも一つになるしかない。
そうでもしなければ、まとまりようがない……時間をかけての話し合いでの団結なんて、どうやっても中央政府に邪魔されて弱体化のために内部分裂するしかないのだから。
だから……
「アーリン、『クロクヌギ』の族長の孫として、『森の民』の代表として仇を取れ。僕を殺して、お前が『森の民』をまとめろ。どうせ、こうなるとは思ってたんだ」
アーリンにだけは刺客を差し向けない、なんてわけにはいかなかった。
計画の最優先路線は僕が『中央貴族』として記録を消されていたが故の『大長』候補の生き残りとして選択の余地のない流れとして『森の民』のトップに収まること。けれど、それは元々かなりリスクの高い賭けだ。
他の候補の暗殺との繋がりが露見すれば信任も元も子もないし、老人たちが伝統を捨ててでも中央の血を引く僕を無視して勝手に称号なしで便宜上の『大長』を立てる可能性も高い。
けれど、アーリンなら……『クロクヌギ』の長老の孫であり純正の『森の民』の彼女が、馬鹿な計画を立てて凶行に走り『森の民』の未来の指導者候補を皆殺しにしようとした僕を討ち取った英雄となれば文句はないだろう。
強く、逞しく、そして誰よりも『森の民』の見本として相応しい生き方ができる彼女ならば、僕の守りたかった『森の民』を守れるだろう。
アーリンが冒険者になって、昔と変わらぬ性格で活躍しているのは知っている。強さも、きっと簡単には死にはしないだろうものであることも。
「……ヒムロ、私がどうやってこの場所を見つけたかわかる?」
「さあ……お得意の直感じゃないか? この大陸の端まで大したもんだよ。おかげで思ってたよりも早くに決着を付けることになったけど」
「違う……私は、中央のあんたの家に行って、ここについての手掛かりとかを見つけたのよ。それに……あんたが調べてた、中央政府の企みやらの情報もね。ご丁寧に標準語から私たちの言葉に訳してあったしね」
「そうか、もう見たのか。標準語からの翻訳は僕自身のための暗号のつもりだったし、後で別ルートから情報が入るようにはしておいたけど、まさか僕の家の方からバレるとはね……最初から、僕が暗殺の首謀者だって疑ってたわけか。さすがは……」
また、野生の勘で見つけたのだろうと。
それを称賛しようとしていた途中、胸倉を掴まれて息が詰まった。
目の前には、見たことのない怒りを瞳に宿した彼女の顔があった。
「疑ってたわけないでしょ! あんたも狙われてるんじゃないかって心配だったから会いに行ったのよ! 全部一人で抱え込んで馬鹿やって! 先に相談しなさいよ!」
「だ、だって……僕が言ったって……聞く人なんて……」
「言っておくけど、私は一度だってあんたのことを『仲間じゃない』なんて思ったことないんだからね! 今だって! 殺せとか冗談じゃないわよ!」
それこそ今にも殺されそうな怒りの形相で言われても説得力がない。
いや、そりゃアーリンの親戚とかも死んでるわけだし殺されるのが当然のことをしているから怒りを向けられる覚悟はしていたけれど、怒りの方向性が思っていたのと違う。
これじゃあまるで……
「まったく……しょうがないわよね……だって、私たちはそんなことをしなくても団結できるって、そういうところを見せられなかったのはこっちだもんね……でもね、私があんたにもう会えないかもって言ったのは、あんたが仲間じゃないからとかじゃないのよ」
「じゃあ……なんでだよ。アイリンは特別な、選ばれた『森の民』だから修行を……みんなに、必要とされる役割で、僕みたいな余所者じゃあ会えないから……」
「昔のあんたじゃわからなかったでしょうね……私の『特別な修行』っていうのは、確かに特別な役割のためのものだった。けど、それは偉くなるとかじゃない……『大長』を決める儀式で、相応しい巫女がいなかったときのための埋め合わせ。儀式で寿命を差し出して、それまでに人身御供として神に捧げる肉体を整えるための修行よ」
すぐには言葉の意味を理解できなかった。
つまりは、儀式の生け贄。
巫女を用意できなかった儀式の不備を補うため、純潔を保ち健全な心身を持つ乙女が自らの身を削る『栄誉の役職』。
いつか中央に戻るかもしれない子供には詳細など明かせない、それこそ『森の民』を野蛮だと結論付け兼ねられない儀式要素。
当時の僕には決して明かされるはずのなかったアーリンの『特別』の本当の意味。
彼女が煩わしいことを『どーでもいい』と一蹴する、その達観の正体……それは、幼くして天命を受け入れていたからこそのもの。
「結局、ずっと『祭壇』が今まで見つからなくて修行の役割は次の子に移ったけど……会えないかもしれないって言ったのは、『祭壇』が見つかったら巫女が見つからなくてもすぐに儀式をするはずだったから。私たちだって、すぐに一つにまとまらなきゃいけないことくらいわかってた。あんたは……ただ、信じて全部話してほしかった。一人で抱え込まずに」
「そんな……僕は、僕のやったことは……」
「きっと、家族を失ったみんなには赦されないわよ……けど、『森の民』が本当はそれだけ危ないところまで来てるってことは、ちゃんとみんなにもわかった。だから無駄になんてさせない。やり方はあんたの思ってたのと違うかもしれないけど、必ず私たちは『森の民』としての在り方と誇りを守り抜く。だから……あんたは殺さない。必ず帰ってきて、私と一緒に力を尽くしなさい」
強く、抱き締められる。
耳許で告げられた『帰ってきて』という言葉が、脳に響く。
今まで、そんな言葉をかけられたことはなかったから……『帰る場所』なんて、どこにもないはずだったから。
だけど……違ったのか。
僕の居場所は……この腕の中にあったのか。
「本当に……いいのかな? 僕が、こんな僕が、みんなの所へ帰っても……」
「馬鹿ね……帰って来なかったら怒るわよ」
視界の端には、彼女の頬を伝う滴が見えた。
以前の毎日を楽しそうに生きながら微笑む彼女の顔には見られなかったもの。
だけど……不思議とそれは彼女には似合わないとは感じられない。大人になり、怒りや悲しみの表情が加わった彼女の横顔を彩る宝石のように見えた。




