第305話 また気が向いたときにでも
side 狂信者
空間が抉り取られたようにしてできたクレーターの中央。
地面に仰向けで倒れたままの私の胸の上に、一羽の小さな鳥が舞い降ります。その嘴に、小さな瓶を咥えて。
『隣人、終わった? これ、今飲む?』
『アルジサマ大丈夫!? すぐ痛み止めするからしっかりして!』
「ゼットさん……ライリーさん……助かります……どちらも、なるはやで……」
なんとか息も絶え絶えに答えると、口に瓶の中の液体が落とされ、喉が勝手に嚥下します。ライリーさんがむせ込まないように配慮して手伝ってくれたのでしょう。
液体の正体は、アトリさんがこのために作ってくださっていた回復スープの原液。気付け薬のような効能もあるとか。アドレナリンみたいなものですかね。
男の決闘にお二人の力を借りて土蜘蛛さんを怒らせたくはなかったのでレインさんから預かった使役鳥に入って避難してもらっていましたが、もう力を借りても構わないでしょう。
というか、動けないにしても消化吸収できる内に回復料理を口に入れておかないと、もうすぐ反動が来て衰弱で死にます。というか、今だって死にかけです。
戦闘後の余力など気にしていてはこんな戦いできませんよ。
「まったく、皆さんからドリルドリル言われていましたが……最後は本当に掘削機として使うハメになるとは。先に啖呵切ってなかったら『ちょっと待った』って言いたくなりますよあんなん。空間の裏地を掴み出すとかどうやったら思いつくんですか……」
『ああ……前、空間収納系の能力のやつに……空間ごと消されそうになってな……』
隣に倒れているのは、最後の形態のまま大の字になっている土蜘蛛さん。
彼も『核』へのダメージで変形する気力もないようですが、私ほど死にそうには見えません。構造的には心臓を直接刺されたようなもののはずなのですがね。
これ、彼の戦意喪失でこっちの勝ちっぽい感じになりはしましたが、普通に死ぬまで戦ったらこっちの負けなのでは? 武器も壊れてしまいましたし。
というか……
「はあ、おかげでせっかく余裕を持って溜め込んでいた『奉納者』のポイントもすっからかんですよ。冗談抜きで血まで捧げて溜めたんですからね?」
『そうか……最後の一撃、あれは一番効いた……あれに全ての「幸運」を込めたのか』
「まさか……脱出の時点で使い果たしましたよ……最後のあれは、本当に幸運の尽きた、単なる運試しです。あれでダメならもう降参しかありませんでしたよ」
『そうか……それにしては、不安には見えなかったな』
「そりゃ、属性でのダメージの通りはともかく、威力の元になるのは私の攻撃ですからね。不安を乗せて弱めるよりも、いけると思って全力で押し込む方が勝算がありますよ」
というか、そんなことを考える余裕ありませんでしたし。
ここで攻撃しなければ核には二度と近付けない、そう思えば全力攻撃しかありませんでした。そのために、バカにならないリスクとコストを払っていますし。
「【神のものは 神の手に】で空間を不安定化させて、発動後の瀕死状態から即復帰するために【過剰回復】での回復を先んじて開始して……おかげで残っていた回復力でバッサリやられてもそのまま動けたわけですが。寿命がまた五年ほど縮みましたよ」
『そうか……悪かったな、最後まで付き合わせて』
「いいえ、元々この勝負のために文字通り死ぬほどドーピングしてきましたから。一度は使わなければいけない魔法でした。この後も、戦闘が残っているわけですしね」
まだ、しばらくは動けませんが。
動けるようになったらどうにか荒野さんの結界へ飛んで、あちらに用意された料理や能力で回復しなければ。
と……その前に。
「土蜘蛛さん……いえ、槌屋さんとお呼びした方が?」
『……土蜘蛛でいい。もう、俺は以前の姿には戻れない……いいや、戻れるとしても、戻る気はない。俺は、転生者殺しの怪物だ』
「そうですか……あなたは、まだ『研究施設』に協力する気はありますか? もしそうなら、私は死んでも止めなければならないのですが」
『……いいや、もうあそこに戻るつもりもない。ヒトシも、それはわかっているだろう。だが、今更になって不要になったからと軒を借りた相手を討つほど面の皮も厚くない。悪いが、そちらに付くわけでもない……ヒトシを止めたければ勝手にしろ』
「それは助かります……では、ライリーさん。あれを彼の元へと運んでもらえますか」
私がそう頼むと、使役鳥を操ったライリーさんが土蜘蛛さんの元へと飛び、脚に括り付けられた小瓶を外して嘴で咥えます。
「土蜘蛛さん……こちらの都合で勝手なのですが、できれば飲んでいただけると助かります。一応、決闘は決闘としても軍の戦力としてあなたの『無力化』の任務を受けているのは確かなので」
『……毒は効かんぞ』
「毒ではありませんよ……まあ、似たようなものでしょうが。アトリさんが能力で作れる最高強度の眠り薬ですよ。常人なら中和しない限り一生目覚めないくらいの強度だそうですが……あなたなら、効いたとしてもせいぜい軽い痛み止めくらいの効き目でしょう。私も、それを『飲ませた』上でなら、『逃げられた』としても最大限の無力化を行ったと言い訳ができます。無力化の根拠が『男の約束』だけでは、兵士の方々も不安になりますしね」
『……ふん、飲ませたければ勝手にしろ。拒むつもりもない』
「ありがとうございます」
ライリーさんが垂らした瓶の中の特濃シロップのような液体が、無抵抗な土蜘蛛さんの口へと注がれ、瓶が空となったのが見せました。
多少は効いて、痛みが和らいでくれるといいですね。
「まあ、どちらにしろあなたもダメージでしばらくは満足に動けないでしょうし、私はその間にヒトシさんとの決着を付けるとしましょう」
これで、私の『土蜘蛛さんを無力化する』役割は完了です。
勝敗に関わらずこうなるとは思っていましたがね。
元々、土蜘蛛さんは非道行為に加担していたわけではなかった。
確かに転生者を斃し『研究施設』に利する結果を出すことはあったようですが、その相手はどちらかと言えば力に溺れた『悪い転生者』の部類。
そのほとんどは相手が犯罪者だったり貴族の後ろ盾があれば何をしても許されると思っている手合いでした。中には、人質を取られて従わされている転生者がいれば本人ではなくその人質を取っている側を潰したという話もあります。
ヒトシさんは土蜘蛛さんを抱え込んだと言うよりは、復讐への援助や居場所を差し出すことでお目こぼしをもらっていたというところなのでしょう。
まあ、それだけではないかもしれませんが……
「……まったく、ドーピングや準備段階を含めて転生者数人分の能力と聖人一人分の神性、神器相当の武器を使い潰してようやくダウンを奪えるとか、ほんとどんだけですか土蜘蛛さん。頑張りすぎですよ」
『……なあ、狂信者。俺があの男と直接戦っていたら』
「普通に一撃か二撃で瞬殺ですよそんなもん。今のあなたなら、細胞レベルでの女性性の表現だろうとあなたを対象とした無敵の貫通だろうと軽いもんでしょう。むしろ簡単に殺せすぎて『あれ?』ってなりますよ」
『はっ……ハハハハッ、そうか。それならやはり、お前にやってもらってよかったか。やつの最期はどうだった』
「私は直接手を下したわけではないのでなんとも。聞いた話によれば、私との決闘の後、連れ合っていた方々に『老後の世話』を見てもらえずに惨めに亡くなられたとか。まあ、若い内、力にかこつけて周りをいじめてばかりいた報いとしては順当でしょう」
まあ、そうなる気はしていましたが。
彼が誰か一人にでも誠意を持って愛し合える関係を作れていたら、結果も違ったはずなのですがねえ。
まあ、決闘において私が止めを刺さなかったからといって、決闘の後の人生は自己責任です。そこまで情けをかけようとは思いません。
『そうか……俺の聞いた話では……いや、そうだな。意図があろうがなかろうが、因果応報か。俺でなくとも、資格ある者はいくらでもいたか』
「……? はてさて、何の話やら」
まあ、彼の死に関しては誰の咎にもならなかった……というよりも、能力を乱用してのギルドでの身勝手や商会の宿への襲撃のようにそこかしこで好き勝手をやっていたおかげで『殺されても仕方がない』という空気になってしまったのか、テーレさんによれば公的には死因を曖昧に『決闘でのダメージが原因で決着後に息を引き取った』ということになっているらしいですし。
あちらから持ちかけてきた決闘、人質を取った上での不平等な契約と言えどもちゃんと合意の戦闘の上で勝ちましたし、私が一番の原因とするのが最も収まりがよかったのでしょう。
もしかしたら、私の知らないところで彼の弱体化を受けたギルドや商会の闇が彼を葬っていたとしても、不思議はありません。土蜘蛛さんが『研究施設』経由で手に入れた情報がどの程度の深さまで言及されていたのかは知りませんが。
「資格ある者がどれ程いたのかはともかく、一番頑張り屋なのはあなただと思いますよ……というか、こんな戦い二度とやりたくないです。第二第三の土蜘蛛さんとか現れたら世界が裂けますよ、物理的に」
『頑張り屋……なんてものじゃない。ただ、藻掻き苦しんでいただけだ……見当違いの方向にばかりな』
「そうですね……強いて言えば、情報力の方にもうちょっとステータスを振ってほしかったです。感知能力とかそっちの方、なんで鍛えなかったんですか」
『簡単に言うな……知覚を広げれば、見たくないものまで見えてくる。俺には、自分の中のもので精一杯だった』
やはり、そうですか。彼は、どんな姿になっても善良だから。
『研究施設』にいられたのも、ある程度『見て見ぬふり』ができる知覚の不完全さがあったからこそですか。下手をすれば、この世の全ての理不尽を視て絶望した彼が仇を含めた世界を滅ぼすことを選んでもおかしくはなかったでしょう。
しかし……
「ということは、気付かずにああしたのですか? それとも、敢えて止めは刺さずに?」
『さすがに手応えでわかる……住処を荒らしているのはこっちだ、ダメージは決闘を邪魔できない程度に抑えるさ』
地響き。
そして、持ち上がる山の如き巨体。
これまでの戦闘を静観していた、傍観してくれていたこの戦闘の見届け人。
頭を一つ粉砕されようと、依然として生命活動を停止させていない驚異の生命力の持ち主……『魔王イザン』。
彼は、八本の脚で……いいえ、八本の脚に見えていた部分の『瞳』と『顎門』を開き、その八頭でこちらを見下ろします。そこに敵意は見えませんが、派手な戦闘の跡に『ようやく終わったか?』というような、呆れたような表情を浮かべて。
死んだふりをやめた魔王は自分から生えた頭部の砕けた首を隣の頭で噛み千切って、隣の山へと放り捨てます。傷口から血が出るわけでもなく、蜥蜴の尻尾のように元から自切ができるようになっているようです。
「『魔王イザン』……八本脚の大亀ではなく、九頭の毒霧竜の系統でしたか。頭の一つくらいなら砕かれても重傷にも至らないとは。いえ……」
何とか立ち上がり、膝を突く。
それだけでもかなりキツいのですが、必要なことです。
大変迷惑をかけて怒りを向けられても仕方のないことをしたのですから。そして、その上で寛大にも『手助け』をしてくださったのです。
「イザン高原の順わぬ荒神よ。寝所を騒がせたことを謝罪します。そして、その意図はなかったとしても、あなたの助力に深く感謝を」
私と土蜘蛛さんの超速戦闘。
空気抵抗を魔法ですり抜けていた私はともかくとして、何のひねりもなく力業で音の壁を超えていた土蜘蛛さんの動作や逸れた攻撃での地面への衝撃、果ては最後の大技での空間震。
それらの余波は、何もなければ周囲の自然環境まで破壊し尽くしていてもおかしくなかったもの。
しかし、彼の石化ガス……『停止』あるいは『静止』という権能が充満した空間がそれを受け止めた。
私自身も、対策はしていても彼の衝撃波で受けるはずだったダメージが軽減されていたようですし、あちらの戦場への影響もなかったようです。
かの魔王様からしてみれば、自分の住む土地を守護しただけ……もっと言えば、ここに来たのも土蜘蛛さんを倒すためなどではなく、周辺被害の抑制のための権能散布とそのついでの厳重注意のためだったのでしょう。
さすがに、土蜘蛛さんと死ぬまで戦っても得することは何もないですしね。
「土蜘蛛さんも、何か謝っておいては?」
私が促すと、土蜘蛛さんも身を起こして、魔王イザンの方を向いて、少し考えてから軽く頭を下げます。
『ああ……すまんかった。次があったら他所でやる。というか極力次はないようにする。迷惑かけたな』
土蜘蛛さんの謝罪……というか、友達感覚のお詫びに近い言葉を受けた魔王イザンは、軽くため息をするように目を伏せ、霧の中に溶けるように消えていきました。
実力的にも素の私よりもずっと近いのはあちらでしょうし、何かしら友達感覚でも怒らないくらいに通じるものがあったのかもしれませんね。
これで、石化の心配もありませんし……っと、そうでした。
「ゼットさん、あれも持ってきていますよね。渡してもらえます?」
『はい、これでしょ。大事に持ってた』
器用に鳥さんの首にかけられていたものを外して私の手に落としてくれるゼットさん。
宿主との共生にも慣れてくれたようでよかったです。
「助かります……土蜘蛛さん、これをどうぞ」
手渡したのは、小さなロケットペンダント。
特別なマジックアイテムや国宝級の芸術品というわけではないものの、上等な品です。そう……強いて言うのなら、気取らない男性が恋人に贈った、思いの籠もった普通の装飾品のような。
『これを……どうして……』
「同じものを、変形中でも肌身離さず持っているのでしょう? 荒野さんとの戦闘の最中、体内に少し見えたものを記憶から再現してもらって、歪みを直した元の形から実物を探しました。あなたの正体を知るための調査の一環でしたが……その中で、売り払われた物が巡り巡って手に入ったので。有名な職人さんの作ったペアのアクセサリだと聞きました。あなた以外に持つべき人はいないでしょう」
『破砕槍』氏は殺した相手や決闘と称して負かした相手からの金品の強奪が常習化していましたからね。
これも、金目のものと見て売り払ったのでしょう。明らかに盗品の、ペアデザインの片割れということで大した値段にはならなかったそうですが。
「過去に囚われるべきではなくとも、忘れていいものでもなし。戒めとして持ち歩くなり、甘苦い思い出の象徴として保管するなりしてください。全て吹っ切れたら、今度こそはより善き未来のためにまた頑張ってほしいものです」
『ふん、より善き未来のために、か……こんな姿になった俺が今更という気もするがな。散々転生者を殺した怪物として恐れられていることくらいは理解している。そんな俺に、よりにもよって一番理不尽に殺されかけたお前がそれを言うのか』
「何を仰いますやら。私に理不尽だったからといってそれが何だというのです。他の方々から見れば、あなたは救世主だったではありませんか」
『ヒーロー……? この、俺がか?』
「はい、あなたを調べてればいくらでもそういう方は見つかりましたよ。人類の戦力として転生者を厚遇する政府や神殿の手前大きな声では言えなくとも、あなたに感謝している人、あなたの活躍を望む人はたくさんいるのです」
転生者の多くは冒険者ギルドや商会を通してこの世界のルールを遵守するべき社会環境を受け入れていますが、中には突然手に入れた不相応な力と全能感から刹那的な生き方に走る人間も一定数います。
それこそ、一般人が突然超能力に目覚めたようなものですから。
普通の魔法や技術では説明できないようなことができる、証拠を残さず人間を消すことすら難しくないという優越感。
まあ、テーレさんに頼りきりの私が偉そうに言えることではありませんが、『もしも超能力が使えたら』という手の話で口には出さずとも悪用を考えない人間は少ないでしょう。
都合のいい物語のように周りの誰もが自分を好きになってくれるとは限らないですしね。自分が好かれるよう努力をするか能力で命や弱みを握るかという二択でなら、有意義なのは前者でも簡単なのは多くの場合後者でしょう。
その上、仮に捕まったとしても、罪を問われないということはありませんが神殿の口添えによる減刑も望める。
それこそ、小柳さんやアレクセイ氏のように、中央政府も知らぬ所で精神干渉能力や制圧力によって周囲の人々を操ったり弱みを握ったりすることで支配者のように振る舞う転生者もいるのです。
「私は、あなたが敗北から最初に得た能力は、二度と騙されないためのもの……転生者の善悪を見極める能力だったのではないかと思いますよ。現に、あなたの的確な『襲撃』が始まってから、転生者による横暴は目に見えて減っているそうですし」
資料を見る限り、土蜘蛛さんが手を下してきたのはかなり悪質な人ばかり。
洗脳能力のある武器を他人に渡して自分に不都合な人間を本来なんの恨みもない人間に殺させたことのある武器生成の能力者や、能力による依存を引き起こし一方的な想い人を何人も『恋人』に仕立てた薬物生成者、時間停止に近い状態で敵対者を必要以上に残酷に殺戮してきた加速能力者、事故を装ってパーティーメンバーを排除しリーダーに成り上がった疑いのあった自己強化能力者など。
死人の悪口は言いたくはありませんが、同じ転生者として恥ずかしい人しかいませんでした。
あまり知覚方向には能力を伸ばしていないと言っても、彼の能力が後悔をバネにするものならば、『破砕槍』氏の本質を見極められなかった後悔が能力の向上に繋がらないわけがありません。
『事前知識ではなく五感で相手を見極める』。
おそらくは『癒し手』と呼ばれる方々の能力が魔力に左右されない『人間としての能力』によるものであるように……人の心を肌で感じ取り、上辺を装った人間とそうではない人間を見分けるというのは超能力でも何でもない、精度の差はあれ誰でも手にできる人間の基本的な能力なのですから。
彼の本質的な動機が『恨みを晴らしてスッキリすること』ではなく『同じ悲しみを誰にも味わわせないこと』であるからこそ、世界をよくするためのものだったからこそ、この世界のどこかにいる『破砕槍』氏を見つけ出すことにではなく、目の前の転生者を見極める能力が磨かれたのでしょう。
「真っ直ぐに人を愛し、並々ならぬ努力ができ、鬱憤を晴らすためではなく正義のために戦い、相手が誰であろうと義理を通す。あなたほど模範的な『人』はそうはいませんよ」
『くっ……クハハハハハッ! まさか、この姿になってから人として、よりにもよって「模範的」なんて言われるとは思わなかったな……人を捨てた化け物扱いは何度かされたが、この俺が模範的か』
「少なくとも、私はあなたがいたから強くなれた。ドーピングや武器を差し引いても、あなたほどの方が私を意識していると思わなければ、『人』がそこまで強くなっても許される世界だと知らなければ、こんなに気兼ねなく修行なんてできませんでしたよ。そういう意味では、私にとってもヒーローのようなものです」
おべっかでも、お世辞でもなく。
純粋に、尊敬できる……嫌だと言われても、敬服せずにはいられない。
成長の限界や速度に転生者としての特典が絡むとしても、その姿に至ってまで、現実を捩じ曲げてしまう領域まで強くなっても感情的で不自由な『人間』として生きられる事実に、ただ在るだけの全能者や機構ではなく不自由という自由を許された存在であることに。
あるいは、彼のそれそのものが理不尽に近い強さに、彼が自分の価値観によって正義を執行することを否定する人もいるでしょう。
しかし、彼自身もまた自分の感情や判断の不完全さを自覚し悩みながら、時には人間的な懊悩に苦しみながらそれでもやはり見過ごせぬものを正していくというのなら、それは悪いことではないと思うのです。
「さすがに今回ほどの本気バトルは身が持ちませんが……また、何かあれば頼ってください。ヒーローの愚痴を聞ける立場というのも得がたいものですから。まあ、無理にヒーロー活動を続けてほしいとは言いませんが……もう、勝手に終わる気はないというのなら、いつかまた気が向いたときにでも。あなたの名が響くだけで、転生者の悪事が減ったくらいなのですから」
この戦いの前は、私との決着がついたら自分自身に手を下すつもりだったかもしれません。あるいは、本当は私に終止符を打ってほしかったのかもしれません。
しかし、それは困りますよ。
あなたは、既に多くの人の恩人であり、希望なのですから。
『……そうか……そうだな。だが、しばらくは休ませてくれ……それくらいは、構わないだろう?』
「はい、どちらにしろ回復までは時間がかかる程度には私も頑張ったつもりですから……あなたが休んでいる内に、私はあちらの戦場へ向かうこととしますよ」
回復料理があってもさすがにキツいのですがね。
どうしても、ここで結果を待つだけというわけにはいかないのですよ。
「テーレさんの方がピンチのようなので。すぐさま飛んでいきますよ」
転生者紹介『土蜘蛛』
本名『槌屋雲仙』。
転生時十五歳、決闘時は二十三歳。
狂信者、ヒトシと同い年であるが、外見から年齢を読み取らないためどちらからも『かなり年上』だと思われている。
死因は津波により流れてきた流木との衝突。
本人は『逃げ遅れた祖父を助けに行く途中で間に合わず津波に呑まれた』と思っているが、実はその途中で逃げ遅れた近所の児童を発見し、苦渋の選択の末その救出を行った際に流木から児童を庇ったことで死んでいる。
児童は助けられたが、子供を助けるためとはいえ祖父を見捨てるような選択をしてしまったことで自分を強く責めていたため、転生時に死の瞬間の苦痛と共にその記憶を封印されている。
生前は祖父の道場に通っていたこともあり、運動神経と戦闘センスは元からそれなりに高く、何より地道な自己鍛錬に慣れている。
そのため、成長補助の転生特典を得た後は転生者として新たな生活基盤を確立しながら種々のスキルを会得し、神殿の後援を得ないその種の能力の転生者としてはかなり早い段階で万能型冒険者としての地位と安定した生活を獲得した。
一度は結婚し家庭を持ったが『破砕槍』によりそれを壊されてからは復讐に走り、『研究施設』の幹部であった収納能力の転生者により空間ごと消滅させられかける。
しかし、『向上心』により効果を増幅する成長補助の転生特典が絶対的な危機と苦痛を前に暴走し、その肉体は生身で事象の地平を突破するに至る。
その後、ヒトシによる改造で転生特典の『人間としての形を保つ』という機能を低下させたことで肉体を『変形』させ必要に応じた機能を発揮できるようになっているが、実の所これはむしろ『リミッター』であり、改造前は変形などを経ずともそうしようと望むだけで世界を歪めてしまう危険な状態にあった(一応は単なる弱体化ではなく結果的に防御面は改良されており、『学習耐性』を会得している)。
基本状態での膂力は顕著な事象改変が起こらないスキルレベル800~850程度(日暮の『火焔魔人』の全力の約二倍)に留められているが、明確な目的をもって事物に干渉する場合はそれに合わせた『変形』が行われ、物理的な計測値が意味を成さなくなる。
基本的に物理的なことなら『何でもできる』が、意図しない部分への影響が発生しないわけではないので世界のことを気にかけている間はある意味では全能とは言えない状態にある(たとえば音速以上で走って移動するくらいは容易いが、それにより巻き起こる衝撃波や地形の破壊を抑えるために長距離移動では速歩でも秒速100m程度まで歩調を抑えている)。
また、『必殺技』として用意していた攻撃形態は二種類ある。
一つは本編で使用した形態。飛行形態で存在次元を引き上げ相手の周りの空間ごと意図的に不完全な強制転移で隔離し、通常空間には発揮できない『全力』を込めて隔離空間内部を完全消滅させる【其れ即ち杞憂なり】。
もう一つは本編で使用していないが、カタパルトに近い形態に『変形』してバレル内に発生させた重力場により加速させた『肢』を槍として射出する【豊穣神の杖】。
肉体を構成する『肢』の一つを喪失することや変形時間のために再装填に1.4秒かかってしまうデメリットはあるが、相手が隔離空間から脱出できる転移系手段を持っていたり高速で逃走したとしても地平線までなら周囲の地形ごと木っ端微塵にできる強力な遠距離攻撃である。
ちなみに、どちらの必殺技も作ったはいいものの、ヒトシに実験場の使用を求めた際に却下の上、一切の実行禁止命令(特に【豊穣神の杖】に関しては厳命)を出されている。
いつもは諭すか宥めるだけのヒトシが土蜘蛛に懇々と説教した数少ない案件である。
そして、本編でその禁を破った結果として天界で空間の接続を管理する『風の女神』の仕事が一気に増え、文句を言いたくても自派閥のトップである豊穣の女神の担当転生者なので何も言えず泣き寝入りするという、ある意味世界単位の二次被害が発生している。




