第300話 悪事の引き際
side リリア・レイフォックス(?)
徐々に光となって崩れ、消えゆく城のテラス。
狙撃のために任意暴走させていた集中力を平常値まで引き下げ、行動に支障のない現実へと帰還しました。
城も消えかかっていますし、無駄に留まり続けるのは利口ではありませんね。
そろそろ退避するべきかと伏射姿勢を解いて長距離用の狙撃銃を置いて伸びをしたら、床の端が崩れて銃が地面へと落ちていきました。結構崩壊が早いかもしれません。
クロヌス軍に見つかっても困るので持ち帰れないのはわかっていましたけど、地面に落ちてバラバラに壊れる殺人兵器を見るとやっぱり少しもったいなかったかとも思います。
殺傷力は高くとも耐久性はその構造相応、相手を殺せても身を護ることには使えない類の武器なのでこの高さから落ちて壊れるなと言う方が無理だろうとは理解できますが。
まあ、私自身はこのくらいの高さから落ちたくらいで死にはしませんけども。
「さようなら、アレクセイ様。最後の一発は料金外でしたが、特別にサービスということにしてあげますよ。あなたには虜囚生活なんて厳しい『現実』は耐えられないでしょう?」
伸びをすると、全身からペリペリと焼けて硬くなった皮膚が剥がれ落ちていきました。
あの召喚獣からの脱出が少し遅れてしまったために少し焦げてしまった分です。今日はいい入浴剤を使って明日までに治そうと思っていますけど、それにしたって久方ぶりになかなか良いダメージをもらってしまったものですね。
「はあ、まさかあの短時間で『命の予備』が二つも持っていかれてしまうとは。さすがは期待の新人転生者、油断なりませんね。しばらくはできるだけ無駄遣いしないようにしないと」
『命の予備』はいざというときに便利ですけど、一つ造るのに約四十週間、つまり十月十日くらいかかってしまうのが難点です。運が良ければ一度に複数できることもありますけど、逆に途中で失敗することもありますし儀式の都合上効率化できるものでもないので浪費はできませんし。
「また増やすにしても、いい殿方を見つけないといけませんし……アレクセイ様、実はあんまり好みのタイプじゃなかったんですよね。ビジネスの面では上客でしたけど。儀式のお相手をしてくれる殿方はそこらで適当に買ってもいいんですが、どうせ愉しむならやっぱり相手は選びたいものです。そうですねえ、気分的にはやっぱり手慣れすぎた二十代よりも身体の準備が整ったばかりの十代前半の殿方ですかねえ。お小遣い程度で済んで手頃ですし」
見た目がそのくらいの少年の頭を粉砕した直後だと知られたら相手の方に引かれたり逃げられたりするかもしれませんが、彼とは別にそういうのはありませんでしたし。
運のいいことなのやら悪いことなのやら、最後まで私を架空の人物だと思っていたアレクセイ様は、元のキャラクターとの関係性やイメージを壊したくないのか私にその手のことを要求しませんでしたしね……まあ、ヒトシさんの『調整』の副作用で中身がお子様のままだったので無理もありませんけど。
城や城下の兵士の生き残りたちは光の粒子になって消えていきますが、普通に人間である私はもちろん消えたりしません。
ノーラン地方領の大領主としての城の方でもたくさんのものや配置されていた召喚獣などが消え始めているでしょうけど、使用人や侍女たちが消えることもありません。
だって彼らはれっきとした人間、アレクセイ様がこの世界に現れるよりも何十年か前からこの世界で生活している、ただの人間なのですもの。
「この結界からこっそり出るのは難儀しそうですし、しばらくは隠れてやり過ごしますか。すぐに逃げ道くらいはできるでしょうし、帰ったらあちらの城の皆さんにお仕事完了の連絡をしないと。名前も経歴も、もう偽る必要はなくなりましたしね」
アレクセイ様の行動パターンや周辺情報から特定した異世界のゲームタイトル、他の転生者の方々への取材で得られたキャラクターの名前や来歴、話し方の定型句。それらを徹底的に演技指導込みで頭に叩き込んでもらったのですから、今日まで城で役に徹してくれた彼らには誠意を込めて感謝の言葉を伝えたいというものです。
元々お金に困っていた方々とはいえ、一歩間違えれば命が危うい御芝居を長きに渡り頑張ってくれたのですし、ちゃんと約束通りの報酬をお渡しするのが筋というものでしょう。
私はある意味では守銭奴ではあるかもしれませんが、ちゃんと払うべき場面ではキッチリ払うのです。それが、お金様というものへの敬意だと思っています。
お金様の関わる取り引きは何より神聖なものですから。
今回だって、ちゃんと『夢』を売った対価として……『切望していたゲームのような現実』を叶えて差し上げてきた対価として、相応の金額をいただくだけです。
まあ、今回の依頼主はアレクセイ様ではないのですけど、アレクセイ様の秘書官として働いている間に与えられた権限で得た物は合法的な報酬ということで。領地運営の仕事自体は基本的に手抜きせずちゃんとやってましたし。
「さてと、依頼の本命である『研究施設』の研究データや試作品類はもうほぼ送り終わっていますし、追加報酬になりそうなものはほとんどありませんよね。例の『究極の力』というものに関しては観察できるかどうかという程度ですし。兵器転用できそうなものならば先方の食指も動くかもしれませんけど、その時にはまた依頼料をもらうとしましょう」
この仕事のついでで済ませるべき用件はほぼ完了。
ただ一つ、心残りがあるとすれば……
「珍しい『同業者』の彼の戦いぶりが見られなかったことは残念でしたね。土蜘蛛さんに殺されなければいいのだけど」
彼の『従者』が消えていないということは、とりあえず今のところはまだ生きているはずですけど。この戦争が終わったら、改めてちゃんと顔合わせしてみたいとも思いますしね。
こればかりは珍しく、稼ぎのネタになるからではなく純粋に興味からという意味で。
「会うとしたら、今度はどんな顔と名前にしましょうか。今回はゲームのヒロインに合わせてそれっぽく弄ってみましたけど、この顔ももう『戦死』したわけですし潮時でしょう」
『リリア・レイフォックス』というのも仮の姿。
私たちにとって、『名前』というのは個人としての自分を縛る枷みたいなもの。名前を使い捨てる私も、名前を持たない主義の彼も、理由は似たようなものなのでしょう。
そう……私たち『狂信者』の職業の持ち主にとっては、陣営や過去なんてあまり意味がないもの。
次に会ったとき、私がここで『リリア・レイフォックス』として動いていたことを知られたとしても、彼は態度を変えはしないでしょう。
私でもそうでしょうから、ハッキリとわかります。
「さあ、一旦帰りましょう、『闇市』へ。ある時は大領主の秘書官、ある時は死の商人、ある時は暗殺者、されども私自身に変わることはなし。敵になるか味方になるかはお金次第ですが……これから始まる戦争では、きっとまたご縁があることでしょう」
私の今の雇い主は、知る人のみぞ知る裏商会……対人兵器専門武器商人ギルド『闇市』。
単純で生命力の強いモンスターを倒すための『より強い武器』ではなく、人間を殺すための『より非人道的な兵器』を扱う闇市場の中心組織。そして、次の戦争の火付け人。
これから始まるもっと大きな戦争に彼が関わってくるのなら、きっとどこかで私とも関わることでしょう。
同じ『狂信者』だからこそ、そう思うのです。
「願わくば、お金払いの良いお客様として対面できることを祈りますわ。後輩さん」
私はしがない狂信者。
『信仰』のスキル記録を更新したけれど、信仰の対象が問題視されて神殿や教会の権威のために記録を抹消された、無名の信仰者。
お金様への敬愛に狂った、『拝金主義』の狂信者です。
さあ、次のお仕事に参りましょうか。
side ライエル・フォン・クロヌス
事前の計画では、可能ならアレクセイは無力化の後、薬剤で昏睡させて中央政府へと引き渡す予定だった。
アレクセイは単なる殺戮者ではなく、地方領の大領主に成り代わり政治的な犯罪にも加担している重罪人。その余罪、どこまで他の貴族も犯罪行為に加担したかなどを問い詰める必要があるからだ。
だが、当然のこととして、最悪抵抗をやめないアレクセイをその場で殺さなければならないことは想定していた。転生者の重罪人に関しては完全な無力化というのが困難であるため、この手の作戦ではそれが基本方針となっている。
しかし、能力が解除され無力化した瞬間のこれは、想定していなかった動きだ。
「荒野! 誰がやったかわかるか!」
『……ダメじゃ。消えていくアレクセイの能力の残滓が霧みたくなっててよく見えん。それに元からアレクセイに敵意を向けとったやつが多すぎる。じゃが、狙撃位置からしてやったのは敵側じゃ』
正体を現したアレクセイを即死させた大口径の銃撃。
それが俺たちへの狙撃であれば、荒野の結界により到達前に対応されていたはずだが、こちらの攻撃対象であったアレクセイへの狙撃は予期していなかったことだ。
責めるようなことではないが……
「口封じか……あるいは敗北者の『処刑』か。荒野、敵の交戦意思は?」
『動揺はあるが、ほとんど変わらずじゃ。鎧悪魔共は一層激しく攻めて来てる』
アレクセイの敗北は、敵陣にとっては一つの引き際であった。
全ての悪行をアレクセイに強要されたことにして、降参し縛につく。それが、最も穏当な解決であり、こちらも最も確率の高い反応だと考えていた。
だが、実際はアレクセイが死んでも敵陣の交戦意思は消えず、戦闘は続いている。
「荒野、能力の同調に回していた分のリソースを再び兵の強化に使ってくれ。日暮! 連戦になるが……」
「うん、わかってる! 前線に合流するよ!」
炎の巨人を纏い、兵の誘導に従って移動する日暮。
こちらはアレクセイの誘導のために変形した本陣を整え、全体の指揮に戻る必要がある。ルゥ将軍が軍指揮の天才だといっても、俺が指揮に関わるかどうかは全体の士気に影響し、それは荒野の結界を通して物理的な兵力にまで反映されるのだ。
だが、思案すべき事柄を忘れるわけにはいかない。
「この後、やつらはどこまで戦うつもりだ? 何を勝利条件に見据え、何を敗北だと認識している?」
『アレクセイ・フォン・ノーラン』の敗北、そして死はこの戦場においてだけでなく、社会的な面でも大きな影響を持つ事柄だ。
今までは、アレクセイが大領主という立場にいたからこそ、『研究施設』は社会的に半合法の態度を取る手があった。アレクセイがどんな悪党だとしても、大領主の認可した組織という事実によって、このノーラン地方領においては存在を認められる可能性があったのだ。
だが、そのアレクセイがいなくなれば、もはや『研究施設』に後ろ盾はなく、味方はいない。
どんなに防衛を続けてもノーラン地方領の軍が援軍として現れることはなく、戦いが続けば中央政府からも兵力が送られるだろう。たとえ、ここから逆転劇を起こして俺たちを打倒したところで、より大きな敵が現れるだけだ。
援軍の来ない籠城、勝ち目のない戦闘。
『研究施設』のトップは、この状況で意地を張り続けるような者なのか。それとも……
「ライエル様! 現場指揮官たちから、ノーラン軍の脅威度低下並びに鎧悪魔の抵抗の激しさに伴い、戦闘を長期の包囲戦に切り替えてはどうかという上申あり!」
「……いいや、戦闘はこれまで通り短期決戦を念頭にペースを維持するように伝達だ! まだ気を抜くな!」
「はっ!」
あと数日、あるいは数刻でノーラン地方領の軍事力とは別の何かが、それも中央政府が敵になっても構わないほどの何かが準備できる……そのための、不利を理解しての戦闘続行。
転生者の専門家とも言えるテーレですら確証を持てない可能性の話ではあるが、ここで攻め手を緩めるべきではないという予感がするのだ。
追い詰めているはずなのに、追い詰められているのではないかという奇妙な感覚が、収まらないのだ。
「さあ! 全軍、前進だ!」
side テーレ
動悸がする。息が乱れる。
気を抜くと、手足の先から感覚が遠退きかける。
思わず膝をつくと、周りの兵士が驚きながら心配そうに声をかけてきた。
「テーレ様! どうされましたか! すぐ、衛生兵を……」
「はあ、はあ、くっ……いらない……そういうのじゃ、ないから」
今の私はマスターとの感覚共有は遮断している。
けれど、私が転生特典の『従者』としてこの現世に存在する以上は、どうやっても完全に繋がりを断つことはできない。
私はダメージを受けてはいない。
けれど、この身体が死にかけている……いや、『天使』としての魂が、依り代としているこの人間体から離れかけている。
これはつまり、私がこの世界に存在するための前提が崩れかけている……マスターが、土蜘蛛との戦闘で、『権能』に近い圧倒的な力によって、その命を断たれかけているということを意味している。
これまでも、マスターが死にかけることは何度かあった。蓬の時なんて、三回は死にかけているはずだ。
けど、私まで存在が不安定になるようなことはなかった。
単純な外傷や病気で死にかけたとして、それで『従者』が不調を来すようなことはない。むしろ、そういう場合にこそ何が何でも全力を発揮して主人を護るべきが従者だ。
そんな常識を覆して直接対峙しているマスターの存在を通して私まで働きかける力を振るうマスターの敵……『土蜘蛛』は、世界の改変に匹敵する破壊力、『マスターが生きている』という現実を概念的に直接捩じ曲げるだけの権能を持っている。
相手が世界の改変に匹敵する能力を持つことは想定通り。
けど、ここにいる私にまでその『破壊力』が貫通するほどとは予想以上。
元々、勝ち目がないに近い相手だっていうのに、それでも一か八かの対抗策を重ねて、どうにか戦いになるようにしたはずだけど、それで相手が予想以上だというのなら絶望的だといってもいい。
けれど、それでもマスターから『作戦失敗』のサインはない。
それはつまり、敵が予想以上の存在だろうと戦いを諦める気はない……『戦闘続行』という意思表示。
『助けはいらない』『自分を信じろ』という、言葉なき宣言。
「負けるんじゃないわよ……マスター」
私にできることは、信じることだけ。
私の祈りが、少しでもマスターの力になることを願って。




