第30話 個性の尊重
side テーレ
一生を共にしたい?
ディーレ様への敬愛とは違うベクトル……つまり、ディーレ様の眷族だから信仰の一部を私に向けてるわけじゃなくて、私自身を見て愛を感じてる?
それって……
「ふむ、どうやら私も疲れているようですね。もっと論理的な説明をするべきなのでしょうが言葉が浮かびません。思いついたらまた表現を改めるとしましょう」
……いや、待った。
落ち着け私、天使テーレ。
こいつの思考パターンを常人並みだと考えるな。敬愛以外にも信愛友愛家族愛、愛の種類なんていくらでもある。第一、こいつが性的な目で私を見てたら『命令』でいくらでも……いや、それこそ待った!
「え、あっ、ちょ! そういえば私、操られてる時に宿屋でその、すごい変なこと言ったよね! あの時、私が操られてるって大体確信してて受け答えしたんだよね?」
「はい、テーレさんが禁欲の限界を迎えた可能性もかなり思慮していましたが」
「え、じゃああの時、私がやめなかったら……そのまま、先までやるつもりだった?」
「一応、既に『浮気封じの呪紋』は刻んでありましたので、完全に心奪われることはないかと考えていました。もしも命令不達成で苦痛を受けるタイプだと『命令』での制止は二律背反でループになった場合が危険ですし、本物の意思だったならそれはそれで無下にすると失礼ですし」
「『呪紋』は刻んでたから……?」
私のスキルレベル200の『呪紋』の知識では、『浮気封じの呪紋』というのは端的に言えば衝動的欲求を、特に性欲を極端に抑制することで『この命令に従いたい、従わなければならない』という衝動に抵抗する術だ。
普通の対精神干渉の術が精神を壁で囲うように魔力での外部干渉を遮るのと違って、これは精神の機構そのものに干渉する。
つまり、こいつは『性欲』というものをほとんど抱かずに、私に押し倒されるのをよしとしたことになる。
それはつまり……
「ちょっと確認したいんだけど……たとえば、『娼婦』って職業をどう思う?」
「どうとは……それは生業という意味での職業ですか? それとも、魂の適性としての職業ですかな? 前者であればこの世界の医術レベルだと感染症が心配ですしリスクが高いかもしれませんが、社会に必要な職業だと思います。偏見はあるでしょうが、不適切で同意のない性犯罪が蔓延るよりはよほどマシです。後者であれば、きっとひどく『魅力的』な方なのでしょう。本人がそれを幸福に繋がる才能と認識しているかはわかりませんが。これでいいですか?」
「生業としての娼婦はよく『ふしだら』だとか『穢らわしい』とか『売女』とか言われたりもするけど、それに関してはどう思う?」
「そうですね……イメージが先行しているのでしょうが、狭量な意見だと思いますね。そも、性欲を抱くのは雌雄一対で個体数を増やす生物としては当然の習性です。古代のシュメルなどでは娼館と神殿、娼婦と神に仕える巫女はほぼ近しい概念だったそうですし、テレマ僧院のような事例を除けば神聖な儀式としての性行為は近代にも残っています。無計画に子供を作るのは不幸を生み出してしまうのでよくありませんが、ちゃんとした避妊、衛生、感染症の知識を持ったプロがする分には十分に合理的だと思いますね。それに……」
「それに?」
「それらのリスクを上手く抑えられれば、効率良く幸福度を上げる手段としての行為を確立、体系化できます。それを偏見で迫害し、その方面での技術の発展を妨げる呼称はあまり合理的ではありません」
「うん、わかった。もういいよ、理解したから」
徹底した合理主義。
しかも、合理の先に優先するものが他の人間と違う。こいつは、私があの時しようとしたようなことを、私ほど重いことだと認識してなかった。恋だの性愛だのを脇に退けておいて、ただ私がしたいからそれに付き合おうとしただけ。
こいつにハーレム願望を求めたり女の魅力で虜にしようとした私はバカだった。価値観の違う相手には金銀財宝だろうが美姫や美酒もただの石と変わらない。
「あー、うん、まあ枯れてないだけマシか。それにこれだけドライなら、魔法対策さえさせれば色仕掛けへの心配もいらないのも楽でいいし」
「魔法対策と言えば……テーレさん自身は魔法は使えないのですか?」
ああ、やっぱりそろそろ聞かれるかと思ったよ。
確かに、これもずっと隠しておくわけにはいかないし……『呪い』のことがわかってるなら、隠す必要もあまりないか。
「使えないわけじゃないけど、できるだけ使いたくない。というか、私は常に『呪い』の影響を抑えるために魔法を使ってる状態だから、その術式以外に魔力を回したくない。状況によっては仕方ないけど、最小限にしないと『不幸』が起こりやすくなるから」
嘘は言ってない。
【運命的大失敗】も【失敗率証明】も、私の特性が周囲に大きな影響を与えないように『不幸』を散らす術式を一時的に組み替えて、分散するべき『不幸』を特定の対象者にまとめておっかぶせてるに過ぎない。
「ふむ、なるほど。では、知識はあるのですね。魔法の御教授を願うことは可能であると」
「一応は、私の転生特典としての能力……『万能従者』とでも言うべきかな。これはこの世界の一般知識、専門知識を必要に応じてその道のプロ並みに引き出すことができる。だから、教えることはできるよ。ただし、適性のないものを無理矢理教えたりはできないけど」
魔法を教えて行動の自由度が上がったら……いや、私が必要なくなったら、制御が効かなくなってしまうかもしれないと、当分は教えないつもりだった。
でも、それはもう無意味な対策だ。
もう既に、彼は魔法に手をかけている。それも、習得した魔法の相性がよかったにしても、転生者を自力で倒してしまうような潜在能力を持っている。
「そうですね。では、後々お願いしたいです。本当はテーレさんが私に魔法を教えてもよいと思ったときに、完全に修めた初めての魔法を見せて驚かせてあげたいと思っていたのですがね」
「精神に直接影響する魔法を自分を実験台にして勝手に練習するとかもうやめてほしいんだけど。考えられる限り一番危険な練習の一つだからね? 自分で自分の脳を手術するバカいないからね?」
というか、そんなことをやっていて一週間も私に悟らせなかったのがおかしい。いや、元々こいつの精神は異常を疑う部分があったから魔法のせいだと思わなかっただけで、影響はあったのかもしれない。
だけど、そんな私に対して、こいつの方は誰よりも早く異常に気付いた……いや、それよりも早く、私が隠していたこの転生システムの裏の事情に、張りつめていた私の焦燥感に気付いていた。
つまりは、私が信用していなかったから、こいつも私を信用しきるわけにはいかなかった。それが真実だ。
だったら……かなり遅れたけど、ここをスタートラインにしよう。
「でも……ありがとう。あなたが普通の転生者だったら、私は今、こうして自分の意思を持っていない」
「テーレさん?」
食器を片付け、平らな床に膝を突き、正面からこの仮初めの生での御主人様を見据える。
「ごめんなさい。今まで、大事なことを何も話さなくて」
これからは手駒じゃなくて、一緒に考える仲間であるべきだ。
「ディーレ様はか弱くて、他の女神から嫌われてて、この世界での信仰も小さな神様。他の神々の送った転生者からはきっと敵対されるし、転生者として後ろ盾になるような組織もほとんどない。それに、転生特典の私はうっかり裏切られて操られるような間抜けで、本当は天使なんて役割はおこがましい呪われもの」
思えば、私はこの状況を一人でなんとかするつもりしかなかった。転生者を当てにしようとは思ってなかった。頼れるような『あたり』の転生者が来るとは、思っていなかったから。私の計画に、そんな幸運があるだなんて期待するべきじゃないと思っていたから。
でも、はずれもはずれ、大はずれなやつでも、普通の人間にはない考え方があって、私一人じゃ解決できない状況を解決できるとわかった。
なら、これは幸運だ。
全てはディーレ様のため、ならばこの幸運はディーレ様のもの。幸運とは、吊り下げられた糸を掴み損ねない者にこそ与えられるもの。
「こんな苦境を理解して、それでも共に歩んでくれるというのなら……これから真に、あなたを『御主人様』と呼びましょう」
深く頭を下げる。
人間に本当の意味で、初めて頭を垂れる。
私は女神ディーレの眷族ではあるけど、今この時は彼の従者としてこの世界に存在している。
その自覚が足りなかった。それが今回の失敗の原因。
これが、私なりのけじめだ。
彼は……マスターは、私を見て驚いたようだった。
まあ、当然か。私も自分がこんなことをしようと思うだなんて、人間に頭を下げる気になるなるなんて思わなかった。
「テーレさん、頭を上げ……いえ、わかりました。では、その呼び名を拝命するとしましょう。テーレさんの自発的な意思であるのなら、それを止めるのも横暴というものです。ただし、敬語はやめてください。私が『命令権』を持つならば、テーレさんは遠慮容赦なく忌憚のない意見を言ってくださらなければバランスが取れませんから」
「わかった……マスター、私はマスターを利用してディーレ様のために『聖地』を造る。全てはディーレ様のために」
「はい、もちろんです。テーレさんは操られていても本心からディーレ様のためを思っていました。私も、そんなあなたに惹かれたのです。私はテーレさんの指し示す方角を目指すとしましょう。全てはディーレ様のために。まあ……常に真っ直ぐそちらへ歩けるかは保証できませんがね」
契約は成された。
魔法の呪縛もペナルティの設定もない口約束だけれど、きっとマスターにはその方がいい。無理に締め付けようとすれば、抜け道を探したくなってしまうのが彼だ。もちろん、私もだけど。
「さて、では顔を上げましょうかテーレさん。すぐにでも今後の方策会議といきたいところではありますが、さすがに疲労を無視して無理に会議を行っても良い話し合いはできません。鍋を片付けて寝るとしましょう。この勢いの雨なら止むまでの時間は長くはありません」
「そうね。マスターも魔力使いまくったはずだし、寝てても追っ手に反応できるくらいには回復したし、そろそろ……布団で寝たい……わ?」
布団代わりのマントはこの小屋に来るまでに雨具として使っていたから、もちろんずぶ濡れで今は吊って乾かしてる最中で寝具として使用不可。
そして、この小屋に置いてあった布団でまともに使えそうなのが掛け布団一枚だけ。下は座布団代わりの毛皮で我慢するとして、寝具は一組分しかない。
私もマスターも暖まったとはいえ、さすがに雨の中を歩いてきた後でまともに布団もなしに寝れば病気になりかねない。
ということは……
「……テーレさん、私が床で寝るというのは……さすがにダメですかね」
「そ、そうね。主従関係はきっちりするって決めたばっかりだし……私が床で寝るのは」
「ダメです。受けたダメージも消耗もテーレさんの方がずっと大きいのですから」
「だよねー」
これはつまり、合理的に考えると……
「一緒に寝ましょうか。体温を上昇させるにも効率的ですし」
やっぱり?
いや、自然な流れではあるけど!
「え、ちょっと、本気!? いや、今更この程度で本気かどうかなんて疑わないけど、私一度やらかしてるよ!? 純情系程遠い肉食系だよ!? てか今日の今日だよやらかしたの!」
しかも、危うく精神的に死ぬところだったのを救出された上、何気に愛の告白と受け取れないことはない言葉を聞かされた直後。外は通りすがりの旅人すら期待できないような雨で、狭い布団に二人きり?
あの時は操られてた部分があるとしても、あれが私の本性であることは否定しようもない事実だし、支配目的じゃないにしても主導権を握るために手を出すって選択肢もないわけじゃないし……ていうか、今なら割と自然な流れで手綱を握れるのでは?
いや、別に忠誠を誓った直後に裏切るわけじゃないし。
むしろ従者としての仕事としてはよくあるというか、恩を返すついでに依存したくなるほどいい体験させてあげるだけだし。
『一緒に寝ましょうか』ってさっきの言葉も、解釈次第ではそういう提案だと判断できるから御主人様に危害を加えたり無理矢理行動を束縛するわけじゃないから『従者』のルールにも違反しない。
呪紋の解呪くらい、私のスキルレベルならそれほど魔力使わなくてもできるし。
支配は諦めるんじゃないかって?
誰も主導権まで諦めるなんて宣言してない。
廃人はないにしても、また勝手に他の女にフラフラついて行こうと思わなくなるまで調教、もとい教育しておかないと本当にどこでどんなトラブルを起こすかわからない。
一度襲われた相手に隙と口実を与えたのが運の尽きだ。
「もう、全く……私も、もうそろそろ限界だから、それでいいわ……」
『万能従者』のスキルレベルも併用して、立ち上がろうとしたところで疲れ果てて倒れ込むように自然な演技でしな垂れかかりつつ、そのまま体重をかけて押し倒す。
「えっと、テーレさん?」
胸に刻まれた呪紋を消す。
これで後は、どんな鈍感だろうとはっきりと理解できるように唇を重ねてやるだけ。前の不意打ちとは違って、理由もムードも揃った状態で、動機に十分な事件の日の夜というシチュエーションもある。わからないとは言わせない。
唇を近付けていって……
「……テーレさん、ストップです無理をしてはいけません」
あっさりと指で止められた。
何で?
嫌がってるようには見えないし、マスターの性格的に拒絶しないと思ったんだけど……
「救出されたことから謝礼の義務を感じているかもしれませんが、私はテーレさんの趣向に合わない行為を強要したくはありません」
「趣向……?」
「私としてはいつでもオールオーケーなのですが、だからこそ、演技の上でもちゃんと嫌がれるようになりますので、それまでお待ちを」
「……ちゃんと、嫌がる?」
「はい、ご心配なく。私は性的趣向、性癖の否定は行いません。テーレさんがバイストフィリアであっても、決して差別しませんので。無理に多数派に合わせる必要はありませんよ」
バイストフィリアって何?
一般的な単語じゃないんだけど。
『万能従者』で知識検索……精神医学、犯罪学に該当概念あり。
知識閲覧。
「…………!!」
「愛の形は人それぞれ、恥ずかしがることは……テーレさん?」
「う、うぁぁああ! 冷静に分析するな! 忘れろ!」
操られておかしくなってたからってことにしてごまかせてたと思ったのに!
よりにもよってこいつに、誰にも知られないようにしてた私の性癖が! 私の秘密が、こんなやつに!
「そんなにも恥ずかしがる必要はないのでは? 社会的には受け入れられにくい趣向ではありますが、極端なサディズムの一種と捉えれば割りと一般的な理解も……おや、テーレさん、どうかしましたか?」
「脳に衝撃を与えて忘れさせてやる!」
「従者がマスターに攻撃するのはダメだという話では!?」
「逃げるな! 動かれるとうまくいかない!」
「ノーダメージで記憶だけ消去するつもりですか!?」
結局、主従の関係を改めた直後に始まった初めての主従対決は互いに本当の体力の限界が来るまで続き、不健全なことをする余力なんて全くなくなった私たちは倒れ込むように眠ることとなった。
正直、裏切り者のターレや敵対する転生者との戦いなんかよりずっと疲れたけど……どうしてだろうか、布団に共倒れしながら眠りに落ちる瞬間はなんだか久しぶりにスッキリとした気分だった。
同衾(何も起きない)。
嘘つけないオールオーケーと、相手が本気で嫌がらないと萎えるバイストフィリア(詳しい意味が知りたい方は検索してください)という絶望的性癖の不一致。
この小説は基本健全です。




