第271話 通りすがりの『カブ頭』
side ライリー
目の前で閉じた世界の隙間。
あちら側のアルジサマと、こちら側のわたし。
「やっぱりこうなったか……負けるつもりなんてなかったんだけどなぁ……」
寂れた街並みの端で壁際に腰を下ろして溜息をつく。
次に隙間が開くのはいつだろう。ミストちゃんの話では少なくとも、一年は無理だろう。開いたとしても、もう二度とアルジサマとは会えないかもしれない。会わせる顔もない。
「恋に破れた人魚姫は、泡となって海の中に消えてしまいました。めでたしめでたし」
今回は悪役だったけど、やっぱりわたしは人魚だったのだろう。
死者が生者に恋をすることに、そもそも無理があったのだ。
人魚姫の不幸は人間と違ったことじゃなくて、人間に似ていたこと。実らない恋になんて落ちてしまったら、最後には消えてしまう他にない。
こうなることは、なんとなく予感していた。
あんな負け方をするとは思わなかったけど、どんなに準備してもあのアルジサマに勝てる気がしなかった。
神官としての適性とか魔法がどうとかじゃなくて、最後の最後まで諦めないあの精神性に勝てるイメージが湧かなかった。最後の最後でひっくり返されるんじゃないかってイメージが拭えなくて、実際そうなった。
「それにしても、まさか自分の欲に負けてやられちゃうなんて……まあ、あれだけ愛を囁かれてお腹いっぱいだけど」
お腹いっぱい愛はもらったけど、やっぱり失恋したのは変わらない。
百回も考えた結果、よく理解した結果だ。
アルジサマは確かにわたしを愛してくれてはいるけど、恋はしてくれない。
性別がどうとかじゃなくて、もっと根本的な問題。わたしは彼の心を揺るがせるほど、現世の全てを投げだしても一緒にいたいと思わせられる魅力がなかった。
友達以上、たぶん家族には数えてもらえるくらいに思ってくれている……こうして命を狙うに等しいことをしても『お仕置き』でゆるしてもらえるくらいに想ってくれているけど、憎んですらもらえないということでもある。
結局の所、わたしは子供扱いされているところがあるのだろう。
いや、実際子供だ……自分の思い通りにならないからって、相手の大切なものも無視して閉じ込めようとしたんだから。それで実際、目の前の欲求が我慢できずに負けたんだから否定しようもない。
「はあ……どうしよ、これから」
わたしは死者。
肉体が既に滅びた存在。
依り代に入れば物理的にものを動かしたりもできるけど、人間性を保つために人間の感情を取り込まなきゃいけない。そうしないと感情を使い切って、劣化していく。
楽しさや喜びが感じられなくなって、最後まで残りやすい苦痛や悲しみ、後悔や憎悪しか思い出せなくなる。それが完全な『悪魔』と呼ばれる状態。
人間に迷惑をかけるだけじゃなくて、自分自身も辛い状態。
ミストちゃんは生前の環境があんまりで負の感情すらなかったからむしろ今の方が感情豊かになったらくらいらしいけど、私は違うだろう。
どうしてだかわからないこの人間性を保ちたければ、肉体を持った人間に取り憑いて感情を盗み取る必要がある。
「アルジサマ以外の人間に取り憑くのか……やだな……本当にただの悪魔になっちゃおっかな。それも……やだな」
この『生と死の狭間』にも、生きた人間はいるはずだ。
運悪く空間が不安定な日に迷い込んでしまった生者、絶対数が少ないだろうけど、いるにはいるはずだ。
人間も、こんな寂れた世界に住んでいたら楽しい感情なんてほとんどないかもしれないけど……やっぱり、万が一にもないかもしれないけれど、いつかアルジサマがわたしを探しに来たりしたときに醜い姿で出会うのは嫌だな。
天界にも通じてないここでは消滅もできないし……
「ヨホホホー、ヨホホホー……おや、嬢ちゃん。こんなところでどうしたんだい?」
俯いていると、声をかけられた。
顔を上げると、被り物をした人が……わたしと同じ、肉体のない死者が、ランタンを持ってわたしを見ていた。
「…………べつに」
「もしや、今年迷い込んだ子かな。それなら、おにいちゃんがここを案内してあげよう」
「……おにいちゃんじゃないでしょ。声がおじさん」
「ヨホホホ、お互い死んでるのに歳なんて気にすることじゃないさー。先輩の言うことは聞いておいた方がいいぜー。餌場とか教えてやるからよー」
「……餌場?」
死者には人間みたいな食べ物はいらない。
ここではそもそも、何も食べなくても死なないし、作物も育たない。魔法で作ったものでお腹を満たすことはできるだろうけど、それならどこかの『餌場』なんて必要ないだろうし。
「ヨホホホ、ここにはここの社会があるのさー。迷い込んだ人間が魔法の見返りに感情をくれたりするところがねー。自分で見つけるのは大変だよぉー?」
……怪しい人だ。
けど、今のわたしに失うものはないし、警戒する必要もない。
もう、自棄になってもいい頃合いだ。
「わかった……ついていくよ、どこにでも」
被り物の死者は、ランタン片手にスイスイと先を進んでいく。
様子からして、悪魔という感じではない……たぶん、まだまだ人間的な『死霊』。人から感情を安定して得ていて、優しさとか親切心とかが残っている。
「ヨホホホ、そうかい。失恋して逃げて来ちゃったのかい」
「逃げてきたわけじゃ……ううん、逃げてきたのかもしれない。自分でも、よくわかんない」
「ヨホホホ、けどそいつはゆるしてくれるんだろ? なら戻ればいーんだよ、ゆるしてくれる内が花だよー」
「もう戻れないし、アルジサマがゆるしてもテーレがゆるしてくれないよ。てか天使だしあいつ」
「ヨホホホ、天使とか聖人とかって怒らせるとヤバいよねー。おにいちゃんも昔ペテ公のやつにぶち切れられた時には地獄を見てさー。いや、地獄にいけなかったんだけど」
いつの間にか、事情を話してしまっていた。
怪しいのに、妙に話しやすい。不思議と、その手元の光に引きつけられるように後を追って歩いてしまっている。
「地獄かー……わたし、やっぱり地獄行きなのかな」
「ヨホホホ、お嬢ちゃんは悪い子には見えないけどさー。地獄行きが嫌ならさっさと謝るといいよー。そうするだけで、大分濁りも取れるってもんさー」
「もう謝れないよ。だって……会えないんだもん」
「ヨホホホ、着いたよ。ほら、ここを覗いてごらん? あっちの奥に灯りが見えるだろ? あそこさ、そっと見てごらん」
気付けば、高い塔のような所に上っていた。
クロヌスの方にはなかったから、この世界の中で造られたものなのかもしれない。けれど寂れていて、所々に穴が空いている。
その天辺近くで、被り物の死者は少しだけあちら側に開いている扉を指差す。どうやら、あちらにその『餌場』があるらしい。
促されて、隙間を覗き込む。
すると……
その扉は、塔の外に通じていた。
床はなく、先に見えるのは上から見た街並みの。それも……寂れていない、生者の街。
「えっ……」
「教訓だよ、嬢ちゃん」
背中が、トンと押される。
不意を突かれ、わたしは足場のない空中へと放り出される。
落ちながら振り向くと、そこには被り物の中で不気味に輝く火の瞳があった。
「『どんなに親切でも、知らない人にはついていくな』。通りすがりの『カブ頭』……いや、『カボチャ頭』からの忠告だぜ?」
わたしは、数秒の加速感の後、大きな衝撃で目を覚ました。
「ハッ! ゴボッ、ゴボッ……」
胸への激しい衝撃に呼吸が詰まる。いや、呼吸が始まる。
何が起きたかわからないけど、本能的に身体が空気を求める。
いったい、どうなって……
「心肺回復! 自発呼吸再開! 蘇生成功! 死んでるけどね! マスター、意識確認して!」
「はい! ライリーさん、わたしがわかりますか? 身体の感覚はありますか?」
目の前に、アルジサマの顔があった。
思わず、頭が熱くなる。真っ赤になった気がする。
何この状況、何が起きてるの?
「え、あ、アルジサマ? な、なんで、ここどこ、えっ?」
「ふむ、混乱しているようですが意識はありますね。ここは中央都市クロヌス、もちろん『基本世界』です。あなただけ帰還が遅れていたようなので、擬似肉体を通して『降霊』ができるのではと、テーレさんと私で蘇生措置を行っていたところです。神官系の魔法では擬似肉体が崩れてしまうかもしれないので、物理的に」
言われてみれば、テーレが私の胸の上に両手を置いている。
そして、アルジサマがわたしの顔の至近距離に顔を近付けていて、ついでに鼻にもなんか摘ままれていたような感触が残っていて。これってつまり心臓マッサージと……
「あ、あ、アルジサマ、も、も、もしかしてキ……」
「『人工呼吸』ですよ。人命救助のため、非常事態だったためです。いかがわしい意図はありませんが……不快だったなら、謝ります。私が心臓マッサージの方をやると加減がわからず危険だったので」
「ふ、不快なんてそんなことは、でも、なんで、そこまで……」
「何でと言われましても。ライリーを置き去りにするわけにはいきませんし」
なんと言っていいかわからずに口をパクパクしているわたしを見て、呆れたように嘆息するのはテーレ。
「やっぱりあんた、わざと戻ってこないつもりだったわね。全く、こいつがそんなん許すわけないでしょうが。この馬鹿」
アルジサマの顔が離れて、テーレに抱き起こされる。
頭や首筋を触られ、瞳を覗き込まれる。
「ふーん、やっぱり保って今夜限りね、この身体。内部構造まで人体を完全再現とか、やたら忠実だったおかげで助かったわ。崩れたら治療費代わりに回収させてもらうわよ。ていうか没収するから。二度と同じことできないように」
勝手に進む話。
けれど、わたしを浄化してやろうとかそういう話は出てこない。わたし、とんでもないことしたのに。
「わたし……消されたり、しないの?」
「ほんと、百万回浄化してやっても足りないくらいよ。けど……逃がさないわよ。お伽噺の悲恋みたいに消えられてこいつに傷なんて残されたら堪らないんだから。ほら、治ったんだから立ちなさい。立ったら最初に何をするべきか、わかる?」
最初に何をするべきか……それは……
立ち上がって、アルジサマの方を向く。これで正しいのか、こんなことで足りるのかはわからないけど。
「ごめんなさい……もう二度としません」
まず、謝った。
深く頭を下げて、じっと返事を待った。
そうして、数秒……数十秒。
「わかりました。ちゃんと謝ってくれたこと、感謝します。ね、テーレさん」
「……ふんっ。これで言い訳でもしようものなら浄化してやったのに」
顔を上げる。
そこにあったのは、あんなことの直後のはずなのに変わらない笑みを浮かべるアルジサマと、いつものように肩を竦めるテーレ。
テーレはわたしに何かを投げた。受け取ったそれは、魔除けの仮面。年越し祭の風習の、生者が死者に連れて行かれるのを防ぐためのもの。死者と生者の見分けを付かなくするもの。
「これから私とマスターは約束のデートよ。だけどまあ……あんた一人で行動させるのは危ないし、特別に付いてくることをゆるしてあげる。どうせ、その精巧な擬似肉体も朝までに崩れるんだから。今夜一晩だけ生き返ったと思って、ついでに楽しませてあげる。元々、あんたもマスターにくっついてるもんだと思ってたし」
「え、いいの……?」
「はい、テーレさんとは約束通りに今日デートをするという決定事項がありますが、ライリーさんは今日しか生身で現世を楽しむ機会がないのですから。テーレさんは……また今度、二人きりでデートをお願いします。埋め合わせです。そして今日は、いつも側にいて、それなのに寂しい思いをさせてしまったライリーさんへの埋め合わせです」
テーレとアルジサマ、二人に手を取られる。
温かい……生きた人間の、魂の温度を感じる。
思わずこぼれた涙は、仮面が隠してくれた。
「ありがとう……二人とも、本当に……」
side ???
夜のクロヌスを、一人の男と二人の少女が歩いて行く。
黒衣の男と、煌めく金色の髪の少女、それに黒いドレスの少女。
道行く人にはどんな関係の三人組に見えるだろう。両手に花なのか、それとも少し歳の離れた友達だろうか。あるいは、兄妹や家族だろうか。
少なくとも、一緒に色々な店に入って食事をしたり、服を買ったり、アクセサリーを身に付けたりと楽しんでいる様子を見れば、悪い関係ではないだろうと思うに違いない。
昼間に大きな騒動のあったらしい街は少し慌ただしかったけど、年越しの日の事故や事件はある意味で恒例行事みたいなもの。すぐに立ち直るのがこの世界の逞しい人々の力。
黒衣の男は、ふと金髪の少女に尋ねる。
「そういえば、何故あの時、口の中に飴玉を? 飴を舐めながら走るのは危ないですよ?」
金髪の少女は、言われるまで忘れていたような表情を浮かべてから、複雑な表情で答える。
「言ったでしょ。変なことを言う太った髭面のオッサンに渡されたのよ……粗末な服を着て、なんか大鍋とか担いでた変なオッサン……顔とか、よく思い出せないけど……」
「テーレ、知らない人から食べ物とかもらっちゃダメなんだよ」
「うっさいわね! なんか逆らえなかったんだから仕方ないでしょ!」
「テーレさんが、何故か逆らえなかった? それで、粗末な服を着た、太った髭面の、大鍋を持ち歩く男性……テーレさん、もしやそのお方、棍棒などを持っていませんでしたか?」
黒衣の男が何かに気付いたようにそう尋ねると、金髪の少女は思考を巡らせて答える。
「持ってた……かも、しれない。なんか、記憶が曖昧でハッキリ憶えてないけど、言われてみればって感じで……」
「そうですか。やはり、そうですか」
「アルジサマ……知ってる人?」
ドレスの少女が尋ねると、黒衣の男は少しだけ悩んでから、軽く微笑みを返す。
「いえ、逸話ばかりで直にお目にかかったことはありませんので確証はないのです。しかし、私が以前いた世界でそういった特徴を持つ神様が語り継がれていたのですよ。『善神』、つまり異世界におけるディーレ様の同意存在。偉大なる戦士でありながら、丸々太った身体と粗末な服という親しみやすい姿をして、死者を蘇らせる権能も持っていたとされるお方……ケルト神話における主神、ダーナ神族の長、『善き神』を名の由来とするダグザ様です」
「異世界の……主神様?」
「数ある神群の内の一つにおける、という注釈はつきますが。戦争の傷が元で亡くなられたというお噂も聞いていましたが……テーレさんが逆らえなかったということは、そういうことかもしれません。あくまで推論推測憶測の話ですがね」
「ちょっと、異世界の神々の話でしょそれ。いくらなんでも、そんなのがこっちでぶらついてるわけないじゃない」
「それはわかりませんよ。何しろ今日は、一年で一番空間が不安定な年越しの日……この世界の壁が一番薄くなる日なのですから」
三人はそうやって語らいながら、明るい街の方へと消えていく。もう、一番危険な時間帯は去った。後は、限られた時間を楽しむだけだろう。
「ほほぅ、ボウズ。今日は仕事ちゃんとできたかえ?」
明るい世界の住人を見送っていると、声をかけられた。
ちょうどあちらで話題に上がっていた件のオッサンだ。
「ヨホホホ、まーた悪魔を騙しちまった。死者はあの世に導いてやらなきゃならねえってのに、悪いことしちまったぜ。こりゃまた、天の国が遠ざかったな」
「そぉかそぉか、じゃあまた別の世界に行くかの。今度はもうちっと暖かいといいのぉ」
「……悪いな、オッサン。毎度付き合わせちまって」
「ほっほっ、構わんて。儂も隠居旅行のついでじゃからなぁ。それに、儂らの祭事が残ってるのはボウズの人気もあってのことじゃ。気にすることないからの、ほっほっ」
俺は大昔、悪魔を騙して自分が地獄に行かないように契約させた。その時の俺は、地獄に行かなければ天国に行けると思って残りの人生を好き勝手にしたんだが……地獄落ちこそなかったものの、天国に入れてもらえず。
しかも天国の方のお偉いさんを騙しちまったもんだからカンカンになって天国まで絶対に入れないようにされちまった。
そのおかげで今じゃ、こうして方々の世界を巡って償い代わりに生死の狭間に迷い込んだ人間を出口まで導いてやりつつ、生前のあの世から追い出されて流れた先の土地で縁のできたオッサンと一緒に、安住の地を探してるわけだ。
まだまだ先は長そうだが……仕方ねえか。
「種火の礼はしてやったんだ。仲良くやれよ、後輩共。ヨホホホ」
神に拾われた水子に、自分の由来すら忘れた幽霊に、死んでも生の苦しみから解放されなかった人間。
死んでも死んでも死にきれず、未練と呪いを背負って現世を彷徨う、逝き損ないの若人たち。
逝きたくても逝けない俺と違って、てめえらは限りある時間を持ってるんだ。
悔いのないように、頑張って生ききるんだぜ。
悪魔との契約とか聖人への詐欺とかで(他人の願った蘇生じゃなくほぼ自分の力で)生き返るという『神様転生』の原典ことカボチャ頭先輩、コソッと登場。
まあ、元々はカブでしたがなんかカボチャ頭で人気になってしまったので本人もカボチャに切り替えてます。
年末編、残されたHルートでもうちょっとだけ続きます。




