第259話 白昼夢魔
side 狂信者
今日はこの世界、というよりガロム中央会議連盟の採用している暦における年末、日本で言うところの『大晦日』です。
こちらの世界も一年は365日と約0.25日。
つまりは公転周期は地球と一緒ですが、おそらくは地軸の傾きから生じる気候的な時期の基準としては慣れ親しんだグレゴリオ暦とはずれがあります。
春夏秋冬の基準で言えば春に近いらしいですね。
物流などの不確定性が大きいためかこちらではあまり一般層に日付の概念が馴染みが薄いというか、自然に馴染んで空気や気候に合わせて生活している感があるので『○○の時期』という考え方が一般的ですが。
一応、帳簿や年暦の基準としてこの『年越しの日』だけは厳密に統一されているとのこと。極論、それがちゃんと自然の周期に沿った感覚で訪れれば一年のどの日が境目でも問題はありません。
まあ、グレゴリオ暦の年の変わり目もローマ時代の政治的都合や調節により冬至でも夏至でも何でもない日になってしまっているのでどちらが間違いということはありませんが、こちらで定義される『年越しの日』には重要な儀式的意味合いがあります。
テーレさんによると、『年越しの日』は一年で最も魔力の流れが不安定になる日。
死後の世界が最も近付き、先祖や先に天に還った家族友人との心が通じ合い易くなる日とされています。だからこそ、今日は家族で共に過ごし、誰も欠けていないことを報告する日なのだと。
まあ、さらに深い事情を語るのならば、国単位で行われている悪霊や悪魔が人々に干渉することを抑えるための結界を毎年張り替える日なのですがね。
相対的に見て死者が生者に最も干渉しやすい日――――日本で言うところのお盆、あるいはケルトで言うところの『ハロウィン』の方が適切かもしれません。
豊穣祭の側面は薄いものの、着用が推奨されている仮面も家の飾り付けも魔除けの意味合いというのは同じです。
テーレさんが体質的に『よくないもの』を引きつけて周囲の事故発生率が増加する現象……つまりは『不幸』を引き起こすのと同じように、現世に居残っている悪霊や悪魔からの干渉力が高くなればそれだけで事故の確率が僅かながら増大します。
例を挙げるなら、この街でこの日『雪で転んで頭を打つ人』が百人いるとします。
そして、その転んだ先に固い石や段差があればそれは致命傷になり得る事故ですが、それは『運悪く当たり所が悪かった場合』だけで打点が数センチずれてるだけでたんこぶで済むでしょう。
それで死ぬ人は百人の内で一人か二人というのが平時の確率だとして、この『年越しの日』は百人転べば四人か五人が死ぬことになります。たとえ話なので実際の確率はもっと低いでしょうが、現象としてはそういうことです。
国全体で見れば『転ぶ人数』の桁も増えますし、それによる事故の増加数も見過ごせない数字になります。それを抑えるには、人々に外出を控えさせていつもより危険の少ない安全な生活を送ってもらうしかありません。
そのため、この『年越しの日』は家族で過ごし先祖に無事な姿を見せると同時に事故が起こりやすい遠出などを避け、魔除けで『よくないもの』を遠ざけた家で安全に過ごそうというのがこの『年越し祭』の風習の元となったものと言えます。
まあ要するに、今日はいつもよりほんの少し、事故が起きやすい日。
ちゃんとした魔除けを身に付けていればいつもとほとんど変わりないと言っても、周りで他の人を中心に起きる事故まで防げるわけではありません。
ということで……
「はいよっと、失礼します。身体に触れますよ、大きな怪我はありませんね? 火と煙が危ないのでとにかく下に下ろしますよ」
「え、なに!? なんですか!?」
テーレさんとのお出かけ中とは言え、すぐ近くで火災が起これば救助に向かわないわけには行きません。なんか爆発音とかしましたし、粉塵爆発の確率も上がってるんですかね。
いきなりの爆発で気絶していたのか混乱している様子の町娘さん……変な意味はないとはいえ、知らないにいきなり抱えられているというのも嫌でしょうし、時間を取られるのはスケジュールのずれを生みます。
火災に対処している衛兵さんの前に置き去ってお暇しましょう。
「テーレさん! 他には誰もいませんか?」
「うん! 気配ないよ!」
「それはよかった。では行きましょう」
やれやれ、これでさっきから三軒目ですよ。
年越しの日の事故率が上がるとは聞いていましたが、これはさすがに想像以上ですよ。一軒目は治療が間に合わず死にかけていた方に【過剰回復】をかけるくらいしかできませんでしたし。
寿命が縮んでしまう分、お酒などに気を付けて養生するようにと書き置きも添えておきましたが。
「テーレさんとのデートをする、騒ぎが起きたら解決に向かう。忙しいですが、どちらも約束ですからね」
ライエルさんから依頼された城での護衛をお断りする際、申し訳程度に
『城にVIPが来るという大事を囮に城下の市街地などで何らかのテロ行為などが行われる可能性もないわけではありませんし、その場合は城に転生者や兵員を集中させすぎるのもよくないでしょう。私はテーレさんと街を歩きながらパトロールも行いますので』
などと屁理屈をこねてテーレさんとの約束を守ったのですが、まさか本当にこちらでここまで仕事が出てくるとは。
これではデートついでのパトロールではなくパトロールデート、『爆発現場巡りツアー』ですよ。
先程からレストランで食事を頼もうとしたら爆音、次の店でもまた爆音、今度の店は入ろうとドアに手をかけた瞬間に目の前で爆発ですよ。おかげで素早く対応できて今度は重傷者や死者がいないようですが。
「申し訳ありません、テーレさん。せっかくプランニングしてくださったのに」
「う、ううん。マスターは悪くないよ……うん、事故ならしょうがない」
仮面のせいで表情は見えませんが、俯き具合からがっかりした様子が見て取れます。
思えば、この年末デートを申し込んできたときのテーレさんはかなり覚悟を決めた顔でしたし、せっかく頑張って誘ってくれたというのに仕事で中断ばかりというは面白くなくて当然です。
「こうなったら……しょうがない! マスター、こっち! ついてきて!」
「テーレさん?」
強引に手を引かれ、抜け道のような路地へと導かれます。
大通りを外れ、明らかに普段は使わないような狭く人気のない道を出て、次の細道からさらに人気のない方へとズンズンと進むテーレさん。
「どこへ向かっているのですか?」
「もっと人のいないとこ! いいからついてきて!」
いつの間にリサーチしたのやら、有事に備えてこの街の地形についてはある程度は調べていたつもりですが、ここはもう私の全く知らない道です。現在位置もよくわからないくらいです。
建物も寂れてきていますし、中央都市クロヌスのスラムに近い区域なのかもしれませんが……
「テーレさん、確かにこちらなら事故に巻き込まれる危険は少なそうですが、デートスポットと呼べそうな場所もほとんどないのでは?」
「とにかく二人きりになりたいの! 誰にも邪魔されないところに行く!」
ここまでのデートプランは食事処や装飾品店といったプラトニックなデート向きの場所へ向かうコースでしたが、誰にも邪魔されずとにかく二人きりになって何をするつもりなのか……単に身を寄せ合ってお話ししようというのならそれはそれで好ましい時間なのですが、ぶっちゃけ一つ屋根の下で一緒に暮らしておいて今更でもありますし……
「テーレさん、一つだけ先に言っておきます」
「なに?」
「廃墟に連れ込んで無理やりというプレイをしたいというのならまあどんとこいなのですが、この時期は寒いですし最低限暖を取れるところを選ばないと風邪をひいてしまいますよ?」
「なんの話!?」
「なんの話と言われましても、とうとうテーレさんの性癖をこの身で受け止めるべき時が来たのかと……ん? ストップです。ちょっとだけ待ってください」
「うわっ!」
まあ、突然ペースを合わせていたものを踏ん張って止まればこうなりますよね。
ちょっと悪いことをしてしまいましたが、それはそれとさせていただいて……
「申し訳ありません、呼び止められた気がしましたが。今のはあなたでしょうか?」
裏通りの道の片隅、瓦礫に腰かける浮浪者か低層民らしき方に声をかけます。
確実ではないのですが、声をかけられた気がしたのです。
傍らに器のようなものが置いてあるのでただの物乞いの言葉だったのかもしれませんが、物乞いだろうと場所や時期は選ぶもの。
この寒い年末にこんなところで物乞いをしなければならないとなれば表通りを追い出されたか、つい最近財産を失ったのか、小さな声だったとしてもそれは命に関わる切実な救難信号かもしれません。
「持ち合わせから多少のお金を渡すこともできますが、凍傷などで動けないほどに差し迫っているのならば暖の取れる屯所までご案内します。いえ、それ以前に会話できそうですか? テーレさん、この方の健康状態は……」
「……火をつけて、くれないか」
座り込んでいた方が、傍らにあった器を手にこちらへ差し出してきました。
今度こそはっきりと聞こえた声は存外に若く、外見から老年かと思っていましたが青年なのかもしれません。彼の掲げた器はくり抜かれた野菜の底か何かを使って作られた、托鉢の器よりもさらに質素なもの。しかし、よく見るとその上には油を固めた蝋のようなものが固まった状態で溜まっていました。
「ここに火を、ですか。なるほど、暖を取りたいのなら確かに今一番必要なものです。では、お金の代わりにマッチを一本……」
「違う……そちらではない」
「……そちらではないとは?」
私が問いかけると、物乞いらしき方は指に小さく光を灯します。最も初歩の初歩とされる、指先に光を灯す魔法です。
そして、それを器の中央にある蝋燭の芯らしき部分に近づけると光が一瞬だけ芯にも移りかけますが、その前に指先の光が消えてしまいました。
「これは、マジックアイテムの類ですかね。幻炎を灯すことのできる蝋燭とは珍しいものですね。それを売ればそれなりのお金になりそうですが……」
「火を、くれんのか……」
「一応聞かせてほしいのですが、それによって私が不利益を受けるようなことは起こりませんか? 呪われたりとか」
「ない……ただ、火をつけてくれるだけでいい」
「わかりました。では、そうしましょう」
指先を『石化』し、幻炎を灯して芯に火を移します。
芯は何事もなく火を受け入れ、熱と光を放ち始めました。
「ありがとう……この恩は忘れぬよ」
そう言ってスクっと立ち上がった彼は、まるで最初からただ少し休んでいただけだったというように歩き去っていき、いつの間にか目に見える範囲から姿を消していました。
さて、今の人物は何者だったのやら謎は尽きませんが、それを解き明かす前に……です。
「マスター……行くよ」
私の手を強く引き続けるテーレさん。
いえ……私が五感情報から『テーレさん』と認識しているはずの目の前の人物が私を誘う手に力と焦りが籠もりっています。
そう、確かに背格好や髪の色艶、手触りや声まで私には『テーレさんのものと一致する』と認識されている情報に、違和感が生じている。
厳密には、私が違和感に気付いただけなのかもしれません。
今の一連の流れにおいて……テーレさんが、何一つ目の前の現象に対して相応しいアクションを取らなかったことに疑念を抱いたせいなのでしょう。
「テーレさん……どうして、今の人に関して何も言わなかったんですか。いつもなら、得体の知れないマジックアイテムに触れることや浮浪者らしき方の呼びかけに応じることについて苦言を呈しているでしょう。いえ、それ以前に……」
おそらくは、単なるイレギュラーの一種。
今の方が何かをしたというわけではありませんが、今の接触という現象が、私の認識している『現実』に綻びを生み出している。緻密に組まれた私の五感に映る世界に、私に与えるべき認識に予定されていなかった事象。
疑問を持ってしまえば、目を逸らすことのできない決定的な事実。
「何故、テーレさんのふりをしているのですか……ライリーさん?」
『白昼夢』でも見ていたかのように、崩れ出す周囲の景色。
それは、寂れているなどという表現では足りないほどに劣化した廃墟群と枯れた土地の中に立つ私と、その手を握る人物……何故か実体を持って確かにそこにいる、ライリーさん。
金色に染まっていた髪を根本から黒く変色させつつ、仮面を外したライリーさんは、悪戯のばれた子供のように軽く舌を出して呟きました。
「残念、ばれちゃった」
『年越し』と言いながらトリック・オア・トリート(モノホン)イベント。
ちなみにこの世界にクリスマスイベントは『ない』です(転生者が身内でパーティーするくらいはいいけれど大々的に商業イベント化しようとするとさすがに冷たい目で見られるくらいにはちゃんとした『異世界』)。




