第255話 サバイバル訓練
side 日暮蓬
それは、年越しを間近に控えたある日のこと。
「サバイバル訓練? テーレさんが?」
「ええ、訓練というより講習のようなものですが。どうですか、ご一緒に」
朝食後。
狂信者さんがいつもの荷物の中からサバイバル用品っぽいもの(使い込まれた実用品)を並べながら、何をしているのか気になってみていた私に今日の予定を教えてくれた。
いわく、旅の中でテーレさんとはぐれた時のためによくやっていることらしい。
「サバイバルって……どんなことやるの?」
「そうですね、初心者の日暮さんが参加するのなら、火起こしや水の確保、それから魚や小動物を捕まえるための罠の作り方といったソフトな項目になりますかね。上級になると食べられる昆虫や土と言ったいわゆるゲテモノ食とかになってきますが」
「昆虫って、なんでそんな本格的な……」
「テーレさんは自分の『不幸』で私と引き離される可能性を心配していますからね。それに、乗合馬車での旅などでは割と普通に実用する知識なので憶えておいて損はありませんよ」
言われてみれば、確かに一緒に馬車で移動していたときには狂信者さんとテーレさんはよく野鳥や野草を取ってきたり水を汲んできたりしていた。
私はそこら辺、魔人が何かを燃やせばそれで空腹を満たすことができちゃったりするし、この時期に雪の中で眠っても寒さを感じたりはしない。だから、その手の技術は全く経験がない。前世にしても、キャンプとか行ったことないし。
「『守護者』を持つ日暮さん自身が使う必要はないかもしれませんが、知識として頭に入れておけば他の方に教えることができます。それに、本格的なことをやろうと思えばまあ……慣れない女の子には少々ショッキングな手法も出てきますが、初級でもそれなりに役に立ちますし、日常で使えない知識でもありません。楽しみながら憶えられる範囲のことをやって技術を憶えるというのは合理的でしょう?」
確かに、私自身にはサバイバル技術なんてなくても、多分どんな山奥だろうと生きていける。実際、『守護者』の制御ができてなかった時には人里を避けて放浪生活なんてやってたわけだし。
けど、もしも私一人じゃなくて他の人と一緒に遭難するようなことがあったら、私だけが助かるかその人も助かるかはサバイバル知識があるかどうかで違うかもしれない。
少なくとも損はない、それは狂信者さんの言うとおりだ。
「一応、私も一通りのことを教わりましたし、今回は復習のようなものです。屋敷の倉庫に使えそうな道具も一式あるので日暮さんが参加しても問題はないでしょう。テーレさんも、日暮さんを近いうちに誘おうかと言っていましたし」
そう言って、道具の点検らしきことを続ける狂信者さん。
もしかしたら、私が興味を示すようにわざと朝食後のダイニングなんてわかりやすい所で作業を始めたのかもしれない。無理やりやれって言われるより、興味を持たせてからやらないかって言われた方がやる気になるだろうし。
そうだとしたら、私はまんまと狂信者さんの作戦に嵌められてしまったわけだ。
実際、もうかなり乗り気になっている。
いや、さすがに虫を食べるとかそこまではできないけど。
「テーレさんは林の中で準備中です。午後には雪が降りそうですしね。それまでに簡易シェルターを作るのに丁度いい場所を探すとか。土や泥で汚れることが予想されるので、もし参加するのであれば動きやすく汚れてもいい服装で庭に来て下さい」
「はいっ!」
こうして、私は人生初のサバイバル訓練を体験することになった。
狂信者さんに言われたとおり、動きやすくて汚れてもいい服に着替えて庭に集合。ちなみに、他の人は誘わないのかと聞いたら、私以外はみんなサバイバル訓練みたいなことを実戦でやったことがあるらしい。
大領主としての後継者争いのために色んな訓練をしたというライエルさんと何でもそつなくこなすレインさんは意外じゃなかったけど、アトリさんは前世でもフィールドワークとかをやっていて、砂漠を放浪できるくらいの経験があるそうだ。荒野さんは田舎暮らしで半遭難みたいな経験もたくさんあって自然に憶えたらしい。
……うん、前々から思ってたけどみんな色々とすごいな。
逞しいというか、人間社会が滅んでも普通に生活できそうな所あるし。私も見習おう。
というわけで、サバイバル訓練を始めたわけなんだけど……
「蓬、まずその格好はダメよ。植物繊維は水を吸う素材だし、汗の蒸発で放熱するから体温を維持できない。それじゃあ普通の人間は凍死するわ」
いきなりダメ出しを喰らいました。
テーレさん、言うときにはズバズバ言うよね。
「あんたは『守護者』が炎属性だから気にならないかもしれないけど、外は結構寒いのよ。同行者がそんな素材の服を着てたらすぐに指摘しなきゃ死なせるわ。ほら、これに着替える。この手の素材なら雪や水が簡単に浸みることもないし、基本的防寒性も高いわ。手触りをよく憶えておきなさい」
「は、はい!」
「いい、マスターは楽しくやろうみたいに言ったかもしれないけど、私はガチで教えるから。半端な知識で生兵法みたいなことさせたくないし」
そう言って、私に用意していたらしき獣毛製の服を渡してくるテーレさん。
ちょっと強い言葉に驚いたけど……そこに、意地悪しようって意識は感じられない。むしろ、私にちゃんと真剣に指導しようっていう熱意が感じられる。
テーレさんが言っているとおり……私がサバイバル知識を使うとしたら、それは一緒にいる誰かを生かすためのものになる。
だとしたら、その時に私が間違ったことをしたらその人が危険になる……いや、私がその人を死なせてしまうかもしれない。テーレさんは本気でそれを心配してくれている。
「マスター、あんたは教える時間も機会もあったから丁寧に教えたけど、蓬はそうは行かないわ。だから、教えたことだけでも完璧にできるようにちょっと厳しめに行くわよ。文句はないわね?」
「日暮さんが自らリタイアする程でなければ」
「だそうだけど、蓬は? 私も、無理強いはしないけど。やるんならしっかり教えるから」
答えなんて、もちろん決まってる。
私がその熱意にちゃんと応えられる方法は熱意だけだ。
「はいっ! よろしくお願いします!」
「よしっ! いい返事に免じてサクサク進めさせてもらうわよ! さあ、まず最初は……」
テーレさんは私の返答に満足したように、足下のバックパックから最初の『教材』を取り出す。
ぶっとくて丈夫な……縄だ。
「まずは、サバイバルの基本の一つ、素人には解けない丈夫な『縛り方』を憶えてもらいましょうか。大丈夫、今度は最初にその丈夫さを体験させてあげる。できるようになるまで、何度でもお手本としてね」
……忘れてた。
教育の熱意とか意地悪さとは別問題として、テーレさんって人をいじめるのが好きなタイプだったこと……。
数時間後。
テーレさんから許しを得て、地面に大の字に倒れこむ。
「はぁー! 疲れたーっ! サバイバルってこんな体力使うのかー!」
「当たり前よ。サバイバルの肝は体温とカロリーと水分、そして体力の管理計算。次からはもっと疲れずにできるだろうけど、自分の体力に限りがあることを認識しておくのも大事よ」
本当に珍しいくらいヘトヘトに疲れた。
サバイバルって思ったよりキツい……というか……
「はぁー……私ってこんなに体力なかったんだ……知らなかった」
元々、病院の無菌室育ちだ。
スポーツとか運動の経験なんてないに等しいし、ただの引き籠りよりも体力がないのは当然と言えば当然。テーレさんによれば、私の死因が『病死』で体力のなさもその病気の一部として転生の時にある程度は改善されてるらしいけど、それでも同年代女子の平均以下、健康体の最低値だ。
むしろ、今までなんで疲れを意識しなかったかが不思議なくらいだ。
「日暮さんの『守護者』は超能力的に表現すれば『念動力』と『発熱能力』の合成に近いですからね。普段寒さを感じないのと同じように、筋力などのサポートも無意識に行っていたのかもしれませんね」
「あ、狂信者さん……じゃあ、今日は何でこんなに疲れたんだろ?」
「今日はサバイバル訓練という行為を意識したからではないでしょうか。火起こしや軽い石器づくりなどもやりましたが、そのどれもが『転生特典に頼っては意味がない』というもの。普段は体を鍛えたりするよりも物を運んだり歩いたりという行動目的が優先でしょう? 元々運動の経験がなく自分の筋力以上の力が出ていることを不思議に思わなかったというのも大きいかもしれませんが」
「うわー……私、普段から結構ズルしてたんだね」
「しかし、逆に言えばそれだけ繊細なコントロールができる下地は既にできているということです。それならば、巨大な魔人を象らずとも普段の姿のまま人並み以上の身体能力を発揮できるかもしれませんよ。狭い場所や火気厳禁の場所で使えれば効果的でしょう」
ちなみに、ちゃんと鍛えてる狂信者さんは私以上にいろいろやってたのにまだまだピンピンしている。
今は汚れるついでに林の罠を点検しに行ったテーレさんに代わって、狂信者さんが林で見つけた材料でサバイバル鍋(初級用ゲテモノ抜き)を仕上げているところだ。ロープの結び方も石器の作り方も火の起こし方も応急処理も、復習というだけあってすごい手際よくこなしていた。
それに比べて私はテーレさんに注意されまくって……罰ゲームで縛られたり、泥で落書きされたり、変な臭いの草を嗅がされたりといろいろと悪戯された。
『その気』になると私のことを芸術作品の素材のごとく磨いたり捏ね回したりするように扱うアトリさんと違って、テーレさんは『この理由ならこのくらいは怒らないだろう』ってラインを見極めて突っついてくる感じ。罰ゲームと言われて怒るに怒れない地味な攻撃が余計に『遊ばれてしまった』という妙な敗北感がある。
「狂信者さんは全部手慣れた感じでやっちゃうし……」
「私だって最初は全然できませんでしたよ?」
「でも、あんな悪戯とかされなかったでしょ? 私には今日限定だからって思いっきりやってくるもん」
「いえ、私も似たような『罰ゲーム』はよくもらいましたよ。『食べられるけれど極度に不味い』というものを食べさせられたり、昆虫食をしたり、関節技をかけられたり。まあ、それはそれで楽しかったのですが」
「楽しかったって……」
時々思うけど、狂信者さんってもしかしてちょっと特殊な趣味の持ち主なんだろうか。
いや、元々世間一般的にいうところの『普通の人』とはいろいろと感性とか価値観とか違うっていうのは知ってるけど。悪戯好きのテーレさんに不満がないっていうのはそういうことなんだろうか。
「テーレさんにしてもらえることであれば、基本的に何でも好ましく感じますよ。別れの言葉などは二度とごめんこうむりますが、テーレさんに『馬鹿』と言われても心配する気持ちの表現だと思えばさほど不快ではありませんし。痛みも、温もりも、ちょっとした気遣いも、単に同じ空間を共有している時間も、好ましいものです」
特殊な趣味とかってわけじゃなくて、好きな人にされることだったら他の人にされたら嫌なことでも嬉しいだけ……か。
テーレさんからは、狂信者さんが恋愛っぽいことをしてこないし要求してこないからそういう対象として眼中にないんじゃないかなんて心配を聞かされたこともあるけど……やっぱり、なんだかんだでその心配はないんだろうな。
「……狂信者さん?」
「はい、なんでしょう。鍋はもう少々お待ちを」
「テーレさんと……エッチなことしたい?」
「……日暮さん? いきなりその質問は突飛に過ぎるのでは?」
「はは、なんかのアニメかなんかで『現実の女の子は下ネタとか普通に言うもんだ』みたいなこと言ってたよー。私だって、そういうのが気になる年頃の乙女なんですよーだ」
知りたくなってしまったのだからしょうがない。
狂信者さんがテーレさんに向けている『熱』の名前をちゃんと確認しておきたいのだから仕方ない。
テーレさんの友達として、二人の関係の進展を楽しみにしている者として知っておきたいのだから仕方ない。
「テーレさんには言わないからさ。頑張った私へのご褒美だと思って教えてよ」
「なんでそれをご褒美として欲しがるのかがよくわかりませんが……まあ、初心者向けで厳しくならないだろうと言ったのは私です。思いのほか訓練が厳しかったことへの贖罪ということなら答えないわけには行きませんかね」
「じゃあそれでいいから、教えてよ。テーレさんが戻ってこない内に」
私がタイムリミットをほのめかすと、狂信者さんは二周だけ鍋を混ぜながら逡巡した後、観念したように溜息を吐いて答えた。
「そりゃもちろん、できるというのならしたいですよ。テーレさんとできることは何でも全部し尽くしたいくらいです。ただ穏やかに寄り添うことも、獣のように襲われることも、時には競い合いぶつかり合うことも……食べてしまいたいほどに愛おしい気持ちだって、そりゃありますよ」
思ったよりも熱烈な返事でちょっとびっくりした。
テーレさんの方がヘタレているのに、第三者相手とは言え相手に心配されるほど紳士的な狂信者さんの方がここまではっきりと想いを口にしたことが特に驚きだ。
けど……
「それなら、そういうことをテーレさんに言ったりしないの? 一応……気を悪くしたら謝るけど、転生特典の主従関係で『命令』すればできるんでしょ? テーレさんから聞いたけど」
「クックッ、したくてもできないという事情があるのですよ。特にテーレさんは……むしろ、私の『従者』だからこそ、求めるわけにはいかないのですよ」
「どうして?」
「私の立場からそれを求めればパワハラになってしまう……ということにしておきましょう。それにですね」
「それに?」
「テーレさんって……なんだかんだ言って、見た目よりも幼いですからね。全身全霊で愛したいのは山々ですが、私も自分が少しばかり『重い』人間であるという自覚はありますし。生まれ持った性質故に特異な性癖を持っていたとしても、それとその種の愛情への慣れはまた別の問題です。テーレさんが『愛される側』になる場合は特に」
『愛され慣れていない』……きっと、仕えている幸運の女神様から十分に愛されていないわけではないだろうけど、それは狂信者さんとの間にあるものとは立場とか色々なものが違うのだろう。
テーレさんがテーレさんだからこそ受ける愛というのは慣れていなくて、だからこそ狂信者さんからの愛にはちょっと調子が狂ってしまうのだろう。
「まだ優しくて綺麗な愛情を必要としている年頃の少女に重く生々しい本気の愛情を受け止めろというのは、まだ生きる楽しみを知らぬ子供に世の残酷さばかりを突きつけて絶望させるのと同じくらいに酷な話です。したいことをしたいと思うのは勝手ですが、それはそれとして私はテーレさんの幸福を願っていますからね。ただ想う愉しみを知る前に破瓜の痛みで愛を恐れるようになって欲しくは……いえ、少々卑猥な表現になってしまいますかね。失礼しました」
「そっか……でもさ、テーレさんって『天使』……」
……いや、狂信者さんだってそれがわかっていないわけがない。
むしろ、誰よりもわかっているだろう。
テーレさんは……今のあの精神年齢で『二百歳の天使』だ。
確かにすごく賢いし冷静だし、大人びた態度を取ることもあるけど、根っこの部分はきっとつい先日に現れた天使たちとそう変わらないくらいに幼い。それこそ、隙があれば悪戯がしたくて仕方がないってくらいに。ただの天才児、頭のよくてちょっとだけませた子供ってだけだ。
『天使』って存在のライフスパンは普通の人間の生きる時間よりもはるかに長い。それこそ、あの見た目の年齢と同じだけの精神に……狂信者の言う所の生々しい本気の愛情を受け止められるくらいになるまでには、私たちは生きていられるかもわからない。
狂信者さんはテーレさんと健全な関係を保っている。
けれどそれは、本当に望んでいる形とは少し違ったもので……お互いに人間だったら何年か待てば追いつくのかもしれないけれど、狂信者さんは一生待っても同じ歩幅にはならないテーレさんに気を使い続ける覚悟をして、この関係を保っている。
いつかの私との会話で私が怒ってしまったことだけど。
想いを認めた上で、テーレさんを傷付けない範囲で愛情表現を続けるというのが狂信者さんの答えなのだろう。
『大事にしたい』という感情も、温かい大切なものだ。燃え盛るような恋ではないかもしれないけど、大切なものだ。
「……大人だね、狂信者さんは」
「クックッ、大人かどうかはわかりまんせんが。テーレさんと少しでも長く共に過ごしたいと思えばサバイバル訓練にも身が入るというものですよ」
「そうだね……」
コーチェンで私を止めるために狂信者さんが払った対価は、狂信者さん自身の寿命……十五年。
狂信者さんがテーレさんと暮らせたかもしれない、最後の時間。軽いものでも短いものでもない。
「狂信者さん」
「はい、今度はなんでしょう」
「ありがとうね。あの時、ちゃんと言ったかわからないから。今、言っておきたくて」
「……どういたしまして、友人として当然のことです。さあ、どうぞ」
返事と共に差し出される温かなスープ。
普段食べないようなものばっかりで味はそれほど美味しいとは言えないものだったけど……その熱は温かくて、ほっとするものだった。




