第254話 蓬と小さな騎士➆
side 日暮蓬
屋敷に駆け込み、テーレさんの工房の戸を開ける。
室内に転がっている動かなくなったネズミ人形を見て、私はここを守りきれなかったことを理解した。
そして……
「……ごめん、ゼットちゃんが頑張ってくれたんだけど、全部は対処できなかった」
ここに来る前から、感じ取っていた。
ナイトさんの持っていた『熱』が、私が最初に憶えた独特の熱さが、冷たい人形に群がられて、わからなくなっていたこと。そして、こうしてネズミ人形が止まっても、何故かナイトさんの熱が戻らなかったこと。
アトリさんの手の中にいたのは……あちこちを齧り取られて、動かなくなった……『冷たく』なった、ナイトさんの姿。
その手に付いた泥や周りの木片から、アトリさんも群がるネズミ人形を引き剥がそうとしたのがわかる。けど、相手はバラバラになってからくっついて動き出すような天使の力の一部。
すぐに粉々にしたりできないアトリさんではどうにもできなかっただろう。
私にはわかる……わかってしまう。
もう、この身体はただの設計図の折紙でしかない……『命』が、どこにも宿ってない。
「そんな……守れなかった……」
膝をつく。
自然と涙が溢れてきて、視界が滲んだ。
私とテーレさんは確かに天使を撃退した……けど、これじゃ意味がない。私は……
「ナイトさん……ぅぅ……うぇぇ……」
目を瞑る。
怒りをぶつけるべき相手は、もうテーレさんの一撃で天界に叩き返されている。天使と言えどもあのダメージで与えられる苦痛は並大抵のものじゃない……仇討ちは、もう済んでいる。
私だって、わかっていたはずだ。
結果がどうなろうと、ナイトさんは使命を果たせばこの世にはいられない。人形の完成を見届ければ、テーレさんの手で天界に送還されるはずだった。それが少し、ほんの少し早まっただけ……それだけなのに……
「うぅ……」
「泣かないでください……なのであります」
「だって……」
地面に着いた手に、誰かの手が触れる。
いや、手かどうかもわからない……硬くて、小さいもの。
それに、かけられた声は……
「……え?」
「子供は笑うのであります。笑えないのなら、笑えるようにするのが騎士の役目なのであります」
ナイトさん、じゃない。
けど似てる……それに、ぼやけた視界に見えるのは色が付いてるけど、ナイトさんによく似た姿の小さな騎士。
立って、歩いて、喋って、子供を慰める……木でできた、オモチャの騎士。
「アトリ……さん? これは……」
「……うん、完成したんだよ。テーレちゃんと、ヨモギちゃんのおかげで」
「でも、動かないはずじゃ……」
ナイトさんを作った転生者の能力のバグか、あるいは奇跡と呼ぶようなものか。
確かなことは、夢でも幻でもなく人形が動いていること……それも、ナイトさんの生き写しみたいに。
「……彼から、頼まれてたの。ワタシの能力で……ほら、この前、暴走して止めてもらった『動く石像』あったでしょ?」
確かに、憶えている。
アトリさんが作った石像が動き出して、屋敷を壊しそうになったから止めた。ゴーレムみたいなものだと思ってたけど……この人形は、誰かに操られるのではなく自分で考えて動いているようにしか見えない。
「あれと同じ……『食べる』ということは『命を受け継ぐ』ってことだから。『命を移し換える』ってレシピで作ったやつ……記憶や人格を受け継ぐわけじゃないし、器と元の命が違いすぎると前みたいに暴走しちゃうんだけど……今回は、移し換える先が彼そのものに近かったから」
そこまで言われて、やっと理解した。
確かに、ナイトさんはネズミ人形に群がられて、身体中を齧り取られて命の灯火が消えかける瀕死の状態になった……それは、私も『熱』で感じていた。
けれど……アトリさんは、その消えかけた種火がこぼれ落ちる前に、それを受け止めて、器として完成していた人形に食べさせた。つまり、この人形は……
「拙者は『トイ・ナイト・ジュニア』! 父上の命を受け継ぎ、父上が生涯仕えた君主の姫様を護る騎士であります! 父上の盟友ヨモギ殿! どうか父上のためにも笑ってほしいのであります!」
彼自身ではない。
けど、消えかけた彼の熱を、意志の炎を確かに受け継いで若く情熱的に燃え上がらせている……彼の息子。
彼はやり遂げた……やり遂げたんだ……
「ジュニアっ!」
「うおぅ! いきなり抱き付かれるとビックリするのであります! ビビってはいないけどこわかったのであります! あとなんか熱いであります!」
熱がってはいるけど、焦げたりはしない。私の火くらいで燃やせるわけもない。
だって、この子の中には私よりも熱いナイトさんの熱が受け継がれているんだから。
二日後の夕方。
商会の待合室。
十数度目のナイトさんから聞いていた住所と同じ宛先が書かれているかの確認を終えて、商会用の配送依頼書を箱に貼り付ける。
さらに、木箱の内側のクッションや受け取る人たちへのメッセージ、それにもしもの時のための非常用道具セットなんかも確認する。
「一応、トラブルが起きたときのために内側から開けられるようにはなってるけど、何もなければちゃんと家まで届けてもらえるようにしてあるからね。もし自力で移動することになったらこの袋の中のものを使って……」
「もーっ何度も耳にタコができるくらい聞いたのであります! 拙者の力を見くびるなであります!」
「ジュニアの力って言ったってネズミに勝てて猫に負けるくらいでしょ。野生動物に襲われそうになったらこの燻し玉で……」
「それも百回は聞いているのであります!」
昨日はドーピングの反動でグッタリしてるアトリさんを他所にネズミ人形で散らかった屋敷の大掃除、そして今日は朝から復活したアトリさんがジュニアの動作とかに不備がないかを確認しての最終調整で、その間にテーレさんと諸々の準備をしておいた。
ジュニアの旅立ちの日。
もう少しゆっくりしてもいいんじゃないかと思った部分はあるけど、ここはここで安全な場所でもない。この子の使命は私たちといることじゃなく父親を失った女の子の側に行って支えることだ。
私のお小遣い(一応あの屋敷の常駐警備費としてもらってるお金)で一番安全で確実な扱いの郵送をお願いして、明日の朝一番の馬車で出発するように手配している。
つまり、窓口で商会の職員さんに渡せば後は配送用の荷物として倉庫に送られる。
ジュニアは領主から逃げるために引っ越した転生者の家族の所に行くから、その領主が失脚でもしない限りは下手にやり取りするわけにはいかない。つまり、お別れだ。
アトリさんの話では、命を移し替えても知識とかがまっさらなゼロ歳児の状態から動き出す可能性も十分にあったらしい。けれど、こうやって会話ができてナイトさんの口調が移っていたりするのは、ナイトさんに残っていた転生特典の効力のおかげかもしれないらしい。
設計物が込められた想いや役割に応じて、最初からある程度の知能を持って動き出す能力に従って設計通りに作られた人形に、同じ能力で生まれた命を入れた結果。この子が、父親を失った幼い娘の支えになってほしいという願いのおかげ。
アトリさんが美の女神から与えられた能力を持っていて建築神が美の女神の従属神だったから互換性があって『引き継ぎ』が上手く行ったって可能性もあるそうだけど、私は神様の奇跡よりもやっぱり人の想いの起こした奇跡の方だと思いたい。
だから、一日でも早く出会えるようにしてあげるのが彼を手伝うと決めた私のするべきことだろう。
「じゃあ、最後に……」
「なんでありますか!」
「……どうか、元気でね。身体、大事にしてね」
「……もちろんであります。ヨモギ殿、親子二代に渡りお世話いただき、ありがとうなのであります。アトリ殿とテーレ殿にもよろしくなのであります」
「うん、わかってる」
箱を閉じて、鍵を閉める。
次にこの箱が開くのは、ジュニアが彼の『家族』と対面するとき。
職員さんに箱を渡しながら『大事なものだから、大切に運んでください』と言うと、職員さんは少し驚きながら、優しく微笑み返してくれた。そして、ジュニアの入った箱の配送依頼書に小さく『丁寧に運ぶこと』という一言を付け加えて、奥へと運んでいく。
特別な能力なんてなくても、想いの詰まった物というのは熱を感じさせるものだ。彼に込められたナイトさんやアトリさん、それに私とテーレさんの気持ちも含めて、ちゃんとそれを感じ取ってくれる人がいるならきっと彼は行くべき場所へ辿り着ける。
きっと大丈夫……だから、私も屋敷に帰ろう。
今回のことで、私の中に燻っていたものは消えた。
きっと、それはよく『スランプ』と呼ばれるものだったのだと今では思う。セルフコントロールの訓練に慣れてきて、『守護者』の制御ができるようになるにつれて私はもう自分の力を抑え込む方向でしか進歩できないのではないかとどこかで不安になっていたのだろう。
下手に最初から出力ばっかり高かったせいもある。一番の長所であるはずのパワーで負けたこともやっぱり大きかったかもしれない。
けど、それは違った。
私はまだ、強くなれる。
誇れるものが何もないなんて嘆くにはまだ早い。ナイトさんに子供だと言われたように、私はまだ未熟だ。けど、だからこそ、私の炎はまだまだ進化する。
この胸の中にあるものをちゃんと表現することも、きっと立派な『勇気』の一つだから。
小さな騎士から教えてもらった新しい火の使い方を大事にしよう。大きくて強いものでなくても、踏みにじられても、決して消えることのない胸の一番奥の火種を。
「ありがとう、ナイトさん。あなたと出会ったことは偶然だったもしれないけど、私にとっては……人生を変えるくらいの幸運だったよ」
ジュニアの中に残る彼の命にお礼を言って、踵を返し外へ向かう。
そして、夕暮れに染まった街並みを見て……
「おや、日暮さん。何かお買い物ですか?」
「おう、なんじゃ偶然じゃなぁ」
「おお、その様子だと屋敷の方はどうやら何もなかったようだな。帰ったら襲撃されていたなどということがなくてよかった」
「お久しぶりです、お元気そうですね日暮様」
商会を出た直後、本当にばったりと目が合った、見知った顔ぶれ。
私と同じで軽く変装しているけど、声や匂いですぐわかる。
本当に偶然……護衛依頼と大領主の仕事が終わって街に帰ってきた四人が合流して、そこに商会から出てきた私が出くわした。それだけのこと。
けど……
「もー、何もなかったなんてとんでもないよ! すごいことがあったんだから、聞いてよね!」
駆け寄って、そこに加わる。
ここで会ってなくても、屋敷に帰れば夜までにはまた顔を合わせることができるはずだったけど、それがほんの数時間早く起こった。それだけのことだけど……こんな気分になったということは、これも一つの『幸運』ってやつなんだろう。
「そうですか、しかしご無事なら何より。こちらもお土産話がありますので……夕食の時に話しましょうか」
「おお、そうじゃ。こっちは帰って来たばっかりでヘトヘトの腹ペコじゃ。帰って飯じゃ」
「夕食で話を聞くのはいいが、今回に関しては俺の話よりも面白い話というのもそうはなかろう。楽しみにしていろよ?」
「ご主人様、あまり自分でハードルを上げるのはいかがなものかと」
みんなで一斉に帰ったら、テーレさんもアトリさんも驚くだろう。
それで、急にたくさん必要になった夕食のために忙しくなるだろうから、私もお皿運びくらいは手伝って、二人ともまだ疲れが残ってるだろうからみんなにも色々と手伝ってもらって、たまには狂信者さんやライエルさんにも料理をしてもらったりするのもいいかもしれない。
久しぶりにあの屋敷の住人が全員揃って、みんな面白い話の種があるんだから。
きっと今晩の夕食はすごく楽しくて、暖かい時間になる。今までにないくらい、賑やかな夜に。
さあ、私たちの隠れ家に帰ろう。
これから知ることができるであろう新しい『熱』に胸躍らせながら。




