第24話 『不幸の天使』テーレ
side テーレ
これは、本来なら憶えていないはずの記憶。
正常な天使が持っていないはずの記憶。
私が産まれる前、胎児のまま天に還る前、たった一つの『母親』の記憶。
「悪い魔女の呪いで強くて悪くて人を襲うドラゴンになっていたお姫様は、勇者様の聖なる力で救われ、元の優しいお姫様に戻ることができたのです……おしまい」
胎教というやつなのだろうか。
産むことのできなくなってしまった子供に、せめて母親らしく寝物語の一つでもしてあげたいとでも、思ったのだろうか。
本当は……呪われてても、産みたかったのだろうか。
「王妃様……もはや、王朝は終わりです。反乱軍は城下を包囲しています……既に、最期の用意は済ませてあります」
「そう……ありがとう。本当は産んであげたかったけど……産まれてから殺されるより、眠ったまま目覚めない方が、きっと苦しくないわね」
王族の血を継ぐ者は、もう王妃しかいなかった。
でも、その王妃も長い争いで恨みを募らせた反乱軍の呪いを受けてしまった。
文字通り末代まで祟る、暗君の呪いだ。
産まれてくる子孫の魂を汚し、悪事を好み、何もしなくても周囲の人々、そして護るべき民に不幸を招くという王族としては致命的な性質を植え付ける呪い。
それをかけられた以上、もはや王家の血筋は王にはなれない。
呪いに関わらなかった兄たちは既に殺されていたし、父親は政治に優れた王ではあったけれど、王家の生まれではなかった。
国の独立や主義をめぐる激しい戦いが長く続き、古井戸の底の泥のように積もった数え切れないほどの王朝への、あるいは世界への怨念。
それを儀式で濃縮し、術者の死を以て放たれた呪いは、もはや神様だろうと解けない絶対の呪詛だった。魂の起源を生誕の以前から矯正する、着弾した時点で手遅れな代物だった。
だから、母は末代までの呪いを最初の一人で断った。
母と私が呪いの全てを抱えたまま毒を呷り、贖罪のように燃える城の中で息絶えた。
そして……
「これが今年の天界移住希望者……天使候補生の子達ね。希望者と言っても、魂に染み付いた願望みたいなものだけど……何もわからないのに神様に仕えたいなんて、酔狂っていうのかなこれ」
「本人の願望と言うより、親の思念が染み着いてるのよ。純粋な信仰心なんかじゃなくて、『人間より偉いものになりたい』とか『もう死に溢れる現世は嫌だ』とか。ま、神様の所で育てば元がどんな願望だって神様に合った性質に染まっちゃうんだけどね」
死者の魂を管理する天使たちの会話。
天使の元となる魂は死んだ胎児のものだ。その品質にはほとんど違いはない。いや、むしろ均一に無垢だからこそ、胎児の魂が使われる。
ここはその魂の陳列棚。
卵のような球体に赤子の姿で浮かびながら、私たちは卵の外をぼんやりと見ていた。
だけど、その中で私は異質だった。
「何この汚いの。本当に人間の魂?」
「間違って混ざっちゃったんじゃない? どうせ残って廃棄されるだろうけど」
透明な卵の殻を通して見える私の魂は真っ黒だった。呪いが泥のように染み出し、表面まで汚れていた。
次々と性質の近い神々に眷族として連れて行かれる天使の卵の中、私は商店の店先で一つだけ腐ってしまった果実のように取り残されていた。
最後までどの神様にも引き取られなければどうなるのかはわからなかった。でも、ただ呪いを解かれて生まれ変わるということはないのはわかっていた。
みんな、私を見て目を疑った。
こんな穢れた子供がどうして天使になりたがっているのか。
どうして、産まれてさえいない子供がこんなにも罪を背負っているのか。
天使の卵は残り少なくなった。
神様の中には、性質の合う魂が見つからなかったのかそのまま立ち去る者も多かった。
そんな中……
「才能のありそうな子はもう他の所が持って行っちゃってるだろうけど、あんたのところは人手不足なんだからできるだけ目のある子を選んでもらわなきゃだめよ。今日みたいに仕事押しつけられて間に合わないこともあるんだから」
「でも、できれば私は才能とかじゃなくて私なんかの所でも働いてくれるっていう子なら誰でも……」
「そんなんだからいつも余り倒した子しかもらえないって言ってんの! だから私がこうして……どうしたの? うわぁ、これはヒドい」
「この子……どうしてこんなに、黒くなってるんですか?」
「先祖由来の呪いよ……見たところ、先祖というより直系の親からもらったのかしら。それも、お腹の中にいる時に呪いの直撃を食らったみたいね。酷いもんよ……これは悪魔にでもなるしかないわ。性格も歪むように呪われてるし、負の運命が絡みついてる。むしろ一度悪魔堕ちして暴れて裁かれた方が楽じゃない? これだけ強力な呪いだと浄化しきるまでどれだけかかるわからないけど。ほぼ不死身の大悪魔になるわね」
本来は悪魔に堕ちるのは、現世で罪を重ね続けた罪人だ。
発散しきれない悪意を発散しきるまで、悪事に飽きるまで、もう罪の償いには十分だというほど苦しむまで。
悪魔という状態は通常の転生で濾過しきれない罪業の浄化の行程であり、それ自体が罰でもある。
その力の源である呪いが大きいほど強く、そして呪いが尽きるまで浄化の炎獄に焼かれることになる。俗に『地獄』と呼ばれることもある浄化炉だ。
現世で人間に害を及ぼす悪魔は怨念を持ったまま死んで天に還り損ねた者か、異次元に溜め込まれた呪いを利用しようとした人間の緩めた炉の蓋から漏れ出した呪いの断片。
本来の『悪魔』の役割とは、自らの中に呪いを溜め込んで浄化を受ける人柱だ。神々も、そういった魂に必要以上の苦痛を与えようとはしない。
ある意味、天界での悪魔堕ちは最も楽な浄化手段と言える。
呪いを溜め込んだままでは転生もできず、悪行を重ねればさらに呪いを溜め込み苦しみ続けることになる。
呪いは行動を歪め、新たな悪事へと誘導する。
そして、悪事は報復や敵意を招き、苦痛へと繋がる。罪の償いが終わるまで、つまり相応の責め苦を受けて完全に浄化されるまで、消滅することもないのだから、決して逃れることはできない。
それを、自らを満たす『悪』を抑え込みながら『天使』として自らの行いでの清算を望むというのは異例なことだった。
それでも……私の魂は、その道を望んだ。
「この子……それでも、ここに来たんですよね。天使になりたくて、善いものになりたくて、ここにいるんですよね?」
「……え、ちょっと、何考えてるの? その子、性質が極端に『悪と不幸』に振り切れる呪いがかかってるって言ってるでしょ? あんたの性質と真逆なのよ?」
「はい……だから、私が育てれば、この子の呪いを中和できるんじゃないかと思うんです」
「いやいや、これそんなレベルじゃないって! 仮にできたとして、相殺が精一杯でしょ! あなたのところの天使の売りって『傍にいるだけで幸運が訪れる』ってところでしょうが! その子はどうやってもそうはならないのよ!」
「でも……真逆の性質を持つ私しか、この子を天使にできないですよね」
「いや、確かにそうだけど! 無理に全員天使にする義務なんてないんだから! それよりも他の才能のある子を探さないと!」
「この子も才能はありますよ。きっと、立派な家で、たくさんの人からの期待を寄せられて産まれるはずだったんです。その才能をちゃんと善いことに使えるかは、これからです」
「だからって……」
「イヤです! 唯一この子を助けられる神様がこの子を見捨てたら! 誰がこの子を救ってくれるんですか!」
その少女のような神様は泣いていた。
泣きながら、私を抱いていた。誰も触ろうとしなかった、呪いにまみれて汚れた私をためらいなく抱きしめていた。
その様子を見て、共に来た神様は深くため息を吐いていた。
「はいはい、わかったわよ。ほんと子供みたい……いや、本当に子供だったわね。いいわよ、あんたがそうなったら意地でも動かないのはよく知ってる。うん、よくよく知り尽くしてる。マジで。でも、さすがにあんたの加護だけじゃコスパ悪いから呪いを散らすための術を教えてあげるわよ。その子が大きくなってきたら自分で使えるようにちゃんと教えなさいね」
「ありがとう!」
「はあ、まあ神様と天使は似てくるものだし、あんたの所にいれば性格もそこまでヒドくはならないでしょ。それに、あんたのところはフワフワした子ばっかりだから、悪巧みできる頭のある子が一人くらいいた方がいいかもしれないしね」
「名前は……じゃあ、少しでも私の性質が働くように私の名前を少し変えて『テーレ』にしましょう! 私はディーレ、あなたはテーレ。善意と幸運を司るだけのちっぽけな神様だけど、これからよろしくお願いします!」
私は、彼女の笑顔を護ろうと誓った。
まだ言葉の意味も理解できないままに、初めて感じたその温もりと善意、そした愛に救われたから、それに応えたいと願った。
私を見つけたことが彼女にとっての幸運だったと思えるように、女神ディーレのための幸運の天使になることを、私自身に強く誓った。それは今も、変わらない。
そして、現在。
私の前には、私を裏切った同期の天使がいる。
「驚いたわ。まさか、あなたが美の女神に魅了されてディーレ様を裏切ってたなんて。それ以前にあなたに、ディーレ様への忠誠を演じられるような才能があるなんて思わなかった」
ターレはディーレ様の部下の天使の中でも、特に純粋で純朴だった。だからこそ、信用していた。
ディーレ様への忠誠心を買ってたからこそ、この転生の計画を教えて、天界からのナビゲートを任せた。だからこそ、まんまと出し抜かれてしまった。いつもの姿が演技だったのなら大したものだ。
「わ、私は女神イディアルに魅了なんてされてません! 私は今も心の底から嘘偽りなくディーレ様の眷族です!」
「あらそうなの。じゃあ、なんで私を売ったの? この転生がうまく行かなかったらディーレ様が困るってわからなかったの?」
「転生者の従者はあなたなんかより私の方がずっとうまくやれます! それに……テーレさんなんていない方が、ずっとディーレ様のためになります!」
ああ……なんだ、そういうことか。
ターレは確かにディーレ様を裏切ろうとは思っていない。裏切ろうとしたのは……私という不良天使だけだ。ディーレ様のために、私を切ろうとした。それなら、ターレの性格と私への裏切りは矛盾しない。
「なるほどね……『自分は女神イディアルに心酔してない、つまり魅了されてない。だからこれは自分の意志だ』。そう思いこんだまま、都合良く動かされてるわけね。自分よりディーレ様に信頼されてる私への嫉妬を煽られて」
「テーレさんの方が信頼されてるなんて嘘です! あなたはただ、呪われてるのをいいことに構ってもらってるだけ! 私は知ってる! あなたは他の天使よりもたくさん加護をもらってディーレ様に負担をかけてることを! それなのにちっとも本質が良くならない、ディーレ様の眷族に相応しくない子だって!」
やれやれだわ。
純粋無垢な天使っていうのも、騙され易すぎて困りものだと思う。確かに私に割いてもらっているディーレ様の信仰が他の天使よりも大きいのは事実だけど。
けど、それも最小限で私の常にマイナスに落ち込んだ運気を悪影響を与えない程度まで相殺する分しかもらってない。さすがに周りを確実に不幸にする天使としてディーレ様にお仕えするわけには行かないからだ。
だけど、ターレにはそれが私を贔屓しているように見えたのか……いや、そもそもそのリソースの話をしたのが美の女神か、その回し者だろうけど。
「『美の女神』は見た目の美だけじゃなくて機能美や造形美も司る、言い方を変えれば『より優れたもの』を司る女神よ。自分に心酔させなくても、他人から他人への嫉妬を操るくらい何も難しくないでしょうね」
天使達の様子がおかしくないかの確認はいつもしてたつもりだったけど、他でもない私自身に向けて自分が持った感情を隠そうとしてきたなら、わからないのも無理はないか。
「それで、私を自我消失させて自分が転生者の従者に成り代われば、私がディーレ様に信頼されてる分だけ信頼してもらえると思ったんだ? 私の代わりに転生者をうまく導けば、手柄を横取りできると思ったわけ?」
「そんな私が悪者みたいな言い方やめてください! あなたが天使になったことから間違ってるんです! だから、私は間違いを正そうとして……」
「そう言われたから、『善いこと』だと思って、私を悪いことなんて考えられない機械みたいな従者にしようとしたのね。私が天使であることを否定できないなら、せめて悪魔みたいな心だけでも消してしまうべきだと」
ああ、若くて、青臭い。羨ましいなあ。
『悪者』を倒せば、更正させてやれば、自分が正義の味方になれる。
殺してしまうのはさすがに可哀相だけど、記憶を消して人格を塗り替えてやるならハッピーエンド。
ほんと……世界がそれだけ単純なら、どれだけ良かったのやら。
「私は……自分が『悪』だとしても、ディーレ様の悪い側面を引き受ける『必要悪』だと思ってる。私が不幸を与えてしまうとしても、それが必要な場所に届くようにしてるつもりよ」
「デタラメ言わないで! ディーレ様に悪い側面なんてありません!」
善意と幸運を司るディーレ様に、悪い側面なんてない……まあ、確かにその通りよ。
ディーレ様自身が悪意や災いから程遠い、天罰すらもまず与えない神様だものね。
でもね……
「ターレ。人間は争うのよ。そして、争う人間の片方に訪れた幸運は、もう片方の不運になるの。ディーレ様が片方の幸運を司るなら、反対側には不幸を与える存在がいる。それが私……私は、そうやって、悪意の多い方へ不幸を与えることで、よりディーレ様の加護の強い方へ相対的な幸運を与えてきた。いるだけで幸運を運ぶあなたたちと違う私は、そういうやり方でしか、幸運を作れなかった」
皮肉にも、悪意っていうのは人間の争いにおいては強い武器だったから。
戦争をしてる時に、片方の知られたくないことを選んで、もう片方に夢枕で囁く。奇襲をいち早く見つけたいと思ってる見回りの兵士たちの望みと逆に雨を降らせて敵軍を隠す。
そうやって、私は不幸をまき散らすことで幸運を与えてきた。
「それに私がいなくなったら、ディーレ様は他の女神からの嫌がらせを防ぐのに苦労するわ。嫌なことではあるけど、私の中の悪意は『どうやったら女神ディーレが困るか』って考えればどういう嫌がらせが来るのか教えてくれるから」
うん……わかるよ。
誰よりもディーレ様に負担をかけながら、誰よりもディーレ様に信頼されながら、『どうやったらディーレ様が嫌がるか』なんて考え続けてるなんて知ったら、そりゃ顔をしかめたくもなる。
私が自分の悪意に呑まれてしまえば、ディーレ様にとってどれだけ迷惑な存在になるかなんて、考えるまでもない。
『善』しか知らないあなたに、『悪』が本質まで染みついた私が本当は何考えてるかなんて、わからないし。
でも、私にだって言い分はある。
「それなのにあなたは、『ディーレ様が困るかもしれない』って考えてみることもせずに、勝手に騙されて私を罠にはめた。ターレ、あなたはもう女神ディーレに仕える資格はない。私情に流されて他人を貶めるような薄汚れた天使は、善意を司るディーレ様の傍にいるべきじゃない。だから、あなたの行いはあなた自身を天界に強制送還した上でしっかりと報告してあげる。あなたには、薄汚れてしまった天使にふさわしい左遷先が待ってるわ」
「まさか、『天使』の私を『人間』の身体のまま倒すつもりですか? 文字通り天と地ほどの性能差があるというのに?」
まあ、確かに。
私は転生特典の特性として人間並みの性能しかない肉体に縛られているし、武器も大したものは持っていない。
それに対して、ターレは美の女神の手引きのおかげか、私よりずっと『天使』に近い肉体を持ってこの世界に存在している。単純な性能なら圧倒的にこちらより上だ。
だけど、その分肉体を動かすための魂の繋がり……つまり同調率はかなり高い。私がこの肉体で死んでも天界に還るだけだけど、ターレはあの肉体で受けたダメージがかなりの割合で本当の魂まで届く。
こっちは低リスクで低性能、対してあちらは高リスクで高性能だけど……『天使』というのは、世界を運営する神々の認めた公式チートだ。そう都合よく、あるいは都合悪くできてはいない。
「弓や剣は持ってきてないみたいだけど、『光輪』は用意してあるみたいね。それを使うの?」
「はい、わざわざこの世界でのレベルに合わせるつもりはありません。真っ二つにして告げ口なんてできないくらいに深く傷つけてあげます」
天使の武器は悪魔を誅殺するのにも使うもの。当然、相手が霊体だろうと仮の肉体に重なった天使の本体だろうと刃が届く代物だ。まさに現世においては『神器』と呼ばれるべき理不尽な物品。
あれを受ければ、私もただじゃ済まない。
「なら、私は短剣を使うよ。これは天使の武器じゃないけど、今のあなたなら十分に傷は致命的になる」
私の短剣は特別な能力は付加されていないけど、それなりに業物だ。
何せ、昔この世界に降臨したときに回収した、過去の『転生者』の転生特典だし。本来の使用者が死んで特殊能力は使えなくなってるけど、単純な切れ味と強度は一級品以上。
便利だから所有権が浮いてるのを利用して普段使いしてるけど、今では最も手に馴染んだ武器だ。
「本当にそんなもので勝てるとでも? 私が光輪を放てば、間合いに入る前に真っ二つですよ?」
「そうね……じゃあ、こうしようか。あなたが光輪を放ったと同時に、私もこれを投擲する。光輪は本来は防御用の装備。身を守る術をなくしたあなたの喉にはこの刃が突き刺さるわよ」
「投擲……それこそ、『飛道具』で『幸運』を司る天使である私と勝負するつもりですか? 幸運補正が全くないあなたが?」
「どんなに幸運があっても、光輪を制御するあなたの精神が不純に染まっていれば当たることはないわよ」
光輪は心で制御する。
たとえ盗まれて悪用されそうになっても問題にならないように強力な天使の武具に設定された制限の一つ。心の清い天使には操れても力に溺れるような心の汚い人間には絶対に操れない。逆に、人間の身体に入っている天使でも心さえ清らかなままなら問題なく操れる。
光輪の扱いの熟練が天使にとっては誇るべきことであると同時に、その扱いが下手だと言われることは酷く屈辱的なことだ。
ま、私の場合は危ないから飛び道具として使ったことないけど。
「不純、ですって……なら、自分の身体で確かめなさい!」
やっぱり、あっさり挑発に乗った。百年以上の付き合いだ、こう言えば必ず怒って正面から攻撃してくるのはわかってた。
光輪をこちらに飛ばしてくると同時に、案の定横に跳んで返しに跳んでくるナイフを回避しようとしている。
ほんと、わかりやすいし乗せられやすい。
攻撃に完全に集中された状態ならともかく、攻撃と回避に意識を分けた状態ならそのコントロールは精度が落ちて『失敗』する可能性が生まれる。普段なら、『幸運』に補正のかかっているターレはその状態でも外すことはないだろうけど……生憎と、今回はそうならない。
「【失敗率証明】」
私の魔法は対象の行動の瞬間を狙って発動する。命中の成功と失敗が分かれるタイミングで、その行為に関する運気を瞬間的に低下させて強制失敗させる。
ま、致命的な成功を最初から出されていたら失敗させることに失敗するんだけど、その確率はせいぜい数十回に一回。
天界にいる時の『幸運』の天使なら普通に引き当てるかもしれないけど……ディーレ様の加護が薄く、そして私の呪いの影響を受ける範囲にいる今のターレにはそこまでの運はない。
現世由来の私の呪いはこちらの位相でこそ真の効果を発揮するのだから。
光輪は私が避けなくても紙一重で私を傷付けることなく外れ、ブーメラン状の軌道でターレの元へ帰って行く。
そして、それに先立つように短剣を投擲する。
「なっ!」
回避しようとしたタイミングからずれて、その動く先を読んだ投擲に驚愕したターレの取る行動は簡単。
天使の運動性能で地面を蹴って短剣の飛来する地点から逃れる。
そして、その瞬間は光輪の操作が疎かになる。
「【確定大失敗】」
魔法の反動で身体がふらつく。けど、前もってわかっていれば立っていられる。反動を計算に入れ、最初から倒れるのを覚悟して使えば、使えないことはない奥の手だ。
ただの失敗を超える大失敗が、光輪を回収すべきターレを襲う。光輪を取り逃してしまうなどという半端な失敗ではなく、致命的な大失敗。
「騙されやすいのもほどほどにしなさい」
「……あ、れっ?」
膨大なエネルギーを放ちながら高速回転する光輪は、ほとんど抵抗なく透過でもするかのように、ターレの身体を貫いて、胴体を上下に二分せんばかりに大きく引き裂いていた。
「な……なんで……」
「よく考えなっての。私の不幸を相殺するために他の天使よりたくさんの加護を受けてるってことは、私の不幸はあんたらの幸運より大きいってことでしょ。それを全部押し付ければ、結果がこうなるのは当然よ。ま、改悪してるだけで本来は呪いを散らして無害化するための術式なんだけどね」
「ひ……開き直らないでくださいよ……テーレ……さん」
向こう側まで易々と見通すことのできる、ある意味どんな亀裂よりも深い裂け目から、天使の肉体は消滅していく。
ターレのしようとしたことは天界でも重罪だ。良くても遙か遠くの部署に左遷されて、二度と会うことすらないかもしれない。
同じ女神の下で働き、そして自分を裏切った天使にかける情けはないけれど、まあ、言いたいことはある。
「今回の悪巧みは失敗したけど、あんたは幸運よ。もしも成功してあいつの従者になってたらと思ったらね」
「はは……なんですか……それ……」
ターレが完全に消えたのを見届けてから、やせ我慢をやめて大の字に倒れる。
意地を張って平気なふりしてたけど、やっぱりこれ使うのは極力控えよう。毎回これじゃ様にならない。
「さて、こっちは命令通り話つけたわよ。あとはそっちに任せるわ」
転生者のクセに転生特典に頼らないあいつが、初めてまともに私に出した指示だ。
実質、人間の身体で天使を倒せとかって無理難題だったけど、倒れてもやり遂げて評価を改めさせるべき場面だった。それだけだ。
「ったく、ターレなんかが従者になってたら、誰があれの手綱を握るってのよ」
ただ助けられるだけのお姫様なんて、私のガラじゃないし。
呪いの解けてない私は、まだ強くて恐ろしいドラゴンで十分だ。それでも構わず背中に乗って一緒に暴れてくれる狂人がいるんだから……私の引っ張る手綱を離さないでいられる馬鹿がいるんだから。それで十分だ。




