第221話 カーマ・マーラ①
誰これ回。
side テーレ
私は、マスターと一緒に行動しているときには同じ部屋で眠る。このクロヌスの隠れ家でも、工房を私室みたいに使ってることは多いけど実質はマスターとの二人部屋だ。
けれど、もちろんベッドは二つ。
つまり、私のベッドに私以外の誰かが一緒にいることはありえないはずだ。
ありえない、はずなんだけど……
「………………」
「スゥー……スゥー……」
柔らかい、感触がする。
大貴族様の用意した隠れ家のベッドだけあって元からいいクッションの利いた寝心地のいいフカフカベッドだったけど、それとは別の種類の柔らかさ……具体的に言えば人体の、それもおそらく女の身体。特に、私の背中に当たる胸の感触とか。
胸の下の締め付けられる感じからして、体勢は私の後ろから抱き付いて髪に顔を埋めているような感じだろうか……寝息も感じるし。
私は普段から壁を向いて寝ている。
マスターと向き合って寝るのはなんか落ち着かないから、癖みたいなものだけど……つまり、私に抱き付くこの女は部屋に入ってきて、そのまま私のベッドに潜り込んで抱きしめたのだろう。
「………………………………」
「スゥー……スゥー……スゥー……」
眠ったふりをしながら、思考を巡らせる。
この屋敷は隠れ家だ。いる人間は限られる。
マスターと共に特急馬車で国道を二週間ほどかけて『学院』への侵入……いや、突入調査を終えて帰ってきたのが昨日の夕方。さすがに長い路程で疲れたからと、夕食を食べて部屋に戻って寝た。確か、昨日の時点でこの屋敷にいたのは……他の地方に劇団観賞に行かせた荒野耕次以外のメンバー。
私とマスターを除き、ライエル、蓬、アトリ、それにメイドのレイン。女子は後半三人。
まず、蓬はない。
理由は簡単、背中に当たっている胸が大きすぎる。蓬の裸は見たことがあるし、昨日見ても急成長していた記憶はない。
だとすれば、後は着痩せの可能性がある二人……アトリとレイン。
夜中に起きたメイドのレインが、寝惚けて私たちの部屋に侵入して私に抱き付いた可能性はあるかどうか……仮に、私たちがいない間ここを寝室に使っていたとしても、さすがにないだろう。というか、私が入室に気付かないとは思えない。この部屋のドアは、静かには開かないように敢えて音が鳴るようになっている。貴族の家にはよくある、暗殺や泥棒への軽い対策だ。
だとすれば……そう、下手人は私たちが眠る前にこの部屋に侵入して潜伏していた。だとすれば、一人で屋敷の家事をこなして忙しいレインには不可能。そして、工房に籠もっているのが普通で誰も見かけなくとも不思議に思われないアトリには可能だ。
なら、なんでアトリがそこまでして私に抱き付く必要があるか?
そんなもの、あのアトリが考えることなんだからどんな突飛なことでもあり得る。『天使をテーマにした絵を描いてみたくなったから本物の天使が自然体で寝ている所を観察してみたい』とか、そんなところだろう。
つまり、私が今から振り向いてみれば、そこにはあのチョコレート色の肌をした芸術家の寝顔があるはずだ。怒るほどのことじゃないけど、さすがに勝手にこんなイタズラみたいなことをされて……しかも、寝惚けていたにしても気付かず抱き枕にされていたなんてプライド的に思うところはあるし、ちょっと驚かしてやるか。
一瞬にして振り返って、真正面からガン見して名前呼んでやるとか、そんな感じで。
そうと決まれば……
いっせーのーで……
『万能従者』を使っての締めつけの緩みを狙った高速反転。
それと同時に目を開けて、アトリの顔を……アトリの、顔を……
「スゥー……スゥー……」
「え……だれ?」
そこにあったのは、予想した顔じゃなく……どこか面影があるように見えるけど、全く知らない女の顔だった。
その女は、私の動きに気付いたのか瞼をゆっくりと上げ……そして、自分を見つめる私の目を見ながら、どこかで見たことのある笑みで、自らの目覚めを告げた。
「おはようございます、テーレさん。今日もいい朝で……眠っているテーレさんも好ましいですが、やはりテーレさんは瞳も綺麗で寝顔とは違った魅力があって起きている時もまた好ましいですね。テーレさん抱き枕の感触が堪能できなくなってしまうのは残念ですが」
声も顔も変わっていても、『従者』である私には……その言葉だけで、それがあり得ないはずの、考えるまでもなく最初に切り捨てていた可能性であることに気付いた。
アトリの工房にて。
何故か『女』になっている上、抱き付いたまま離れないマスターを担いだまま、扉を蹴り開ける。
「こぉーらアトリ!! これどういうつもり!?」
「あ、狂ちゃんも効果出てるニャ。おー、やっぱり鍛えてるとスタイルよくなるニャア」
「隠す気もないわね!?」
悪びれもせずそう言ってこちらを振り返るアトリ。
そして、その正面には……
「あ、あのテーレさん! 今、僕、裸で……」
「ふむふむ、ワタシに見られたときと違う反応ニャ。やっぱり実験的な観察と不意に見られたときとでは反応違うニャ。ここの反応はどうかニャ?」
「ちょ、や、やめてっ!」
下着姿の少年がいた。
線の細そうな、ずっと病弱であんまり外で遊んだこともなさそうな内気な、男の子……ちょうど、蓬と同じくらいの年齢。
しかも……恥ずかしかったのか、比喩じゃなく顔から火の粉が散った。
「あんた蓬にもなんかしたの!?」
「証拠あるニャ?」
「あんたの能力でしか起きないでしょうがこんな現象!」
「まあその通りなんだけどニャ……んん? それ、確かに狂ちゃんニャ? ふーん……面白い実験結果だニャ。とりあえず、後でヌードスケッチさせてニャ」
「少しくらいは言い訳しなさいよ!」
「あ、テーレさん! だ、誰なんですかその女の人! いや、ちょっと服着させて……あれ! なんで女の子の服しかないの!?」
十数分後。アトリの工房にて。
ようやく混乱が収まって、首謀者のアトリから話を聞き出すことができた。
「はあ? 『同じ人間が別の性別になったときの能力変化の実験』?」
「そうニャ。魔法の出力や安定性は変化するのか、感情で動かすヨモギちゃんの魔人ちゃんはどうなのか、前々から実験したいって言っておいたし、ちゃんと昨日言ったニャ」
「昨日言ったって……聞いた憶えないんだけど? 本当に言った?」
「言ったニャ。ほら、『そろそろこの前話した例の実験がやりたいから、明日辺り協力してほしいニャ。ヨモギちゃんもいいニャ?』って、夕食の前に」
「長旅で疲れて帰ってきたタイミングで指示語ばっかりの曖昧な言い方するな! というか明らかに性別だけじゃなくて性格もちょっと変わってる気がするんだけど!」
「ああ、それニャ。昨日の料理の効能は『性別が変わって、同時に元々の性別を認識できなくなる』ってやつだからニャ。性別に違和感を持ったままだと実験結果も精度が落ちるし……今の二人は、元が男だったとか女だったとか言われてもピンとこないし、それに合わせて性格もちょっと変化するニャ。一日経てば戻るから心配すんニャ」
「あんたねえ……」
うちのマスターも大概なトラブルメーカーな気はするけど、アトリの方は油断すると勝手にこういうことやらかすから別の意味で危ない。初めて会った時も勝手に夢に侵入して記憶を盗もうとしてたわけだし……そもそも能力を使って他人をどうこうすることに罪悪感が欠片もないっていうのが怖い。
今のところ、マスターは私から剥がして寝室に待たせてあるけど、笑顔のままなのになんかすんごい寂しそうな目をされたし……心配だ。
同じく自分の部屋に逃げ帰った蓬の方も心配だけど……
「後で簡単な魔法のテストをしてもらったら、もう後は何もしないニャ。せっかくだから一日、いつもと違う狂ちゃんを楽しんだらどうかニャ?」
「いつもと違う……あいつ?」
確かに……いつもなら、あんなふうにベッドに潜り込んだりしてこないし、ああやって直接触れる形での接触は非常時以外は避けられている気がする。
けど、今は同性としての気軽さなのか、いつもよりもなんだか……すごく、素直に気持ちを身体で表してきてるような気もする。いつもは言葉を重ねる部分で、身体を使ってきてるっていうか……
「そもそも、大分前の話ではあるけど狂ちゃん自身も同意した実験だニャ。『一度、違った視点で世界を見てみるのもいいかもしれませんね』って。ニャハハ、狂ちゃんはよくテーレちゃんが男でも同じように愛せるって言ってたけど、実際同性になってみてどうニャ? テーレちゃんは……狂ちゃんのこと、嫌いになったかニャ?」
「そ、それは……まだ、わかんないわよ……起きたら、ああなってて驚くばっかりだったし……」
「なら、せっかくだからこの一日を楽しんでみたらどうかニャ? 何かあったらワタシのせいにすればいいから、はっちゃけて見てもいいと思うのニャ。テンションが変なのも、うっかり変な質問しちゃうのも、いつもはしないようなことをしちゃうのも……全部、ワタシの料理で変になっちゃったってことにするニャ」
「いつもは、しないようなこと……?」
「ニャハハ、これはワタシの思い込みかもしれないけどニャァ……狂ちゃんも、単に油断しててワタシの特別レシピを食べたわけじゃないと思うのニャ。そこんところ、よく考えてみるニャ」
というわけで……。
寝室に戻ってきた。
改めて、真正面からマジマジと目の前の女体を観察してみる。
服装はこの屋敷で寝巻きとして使っているシンプルな布着。昨日の夜にマスターが着ていたものだ。体格が少し変わったのか合わない部分はあるけど、アトリの言っていた通り鍛えていた分スタイルがいいのか、背丈はあんまり変わってない。
ただ、髪は男の時と違ってすごく伸びていて、背中まで届いているけど手入れが足りないのか変な癖や枝毛が目立つ。これは、マスターが女だったらこういう髪型にしているはずだっていう、『性格の変化』の影響なのかもしれない。
それに……
「マスター、そんなに胸あったんだ……」
「……? そりゃ、鍛えましたからね」
そういえば、女冒険者には結構デカい人間も多い。
鎧とか合わないし邪魔だろうと思うけど、肩周りの筋肉とかが鍛えられていれば自然と肉が持ち上がって大きく見えるのだ。アーリンとがそうだったし、物理方向に特化気味のマスターが女になればそうなるのも妥当と言えば妥当か。
私は……元手が少なければ、持ち上がろうがないものはない。
……別に、悔しくないし。
「……ああ、なるほど。了解しました」
「え?」
「こんな感じですかね」
突然、ベッドに腰掛けていたマスターが寝巻きをはだけたと思うと、私を引っ張り寄せて抱き寄せた。もちろん、私が押しつけられるのは胸の中だ。
「……っ!? んむっ!?」
「『何を?』とは……てっきり、テーレさんがムラッと来て『胸』に触りたくなったのではと思ったのですが。遠慮することはありません、それがテーレさんを幸福にする行為なのであれば、この胸をお貸しすることくらい安いものです」
押さえつけたまま、頭を撫でられる。
何このマスター! いつもとなんか同じだけど違う!
「ふふっ、同性で淫らな行為でもなし、憚るものでもなし。触れられて減るものでもなし、テーレさんになら多少痛くされたとしても不快とは思いません。せっかくのお休みの日なのです。いつも頑張っている分、たっぷり癒やしましょう」
「むっ、むぅぅ……っ!」
あ、ヤバい。
なんかわかんないけどこれ柔らかすぎてヤバい。なんか目覚めそう、そんな経験ないはずなのに豊満な母性で包まれた記憶が目覚めそう。なにこれヤバい。
「むむむむむむっ……だ、だめ!」
「おや、ダメですか? では、態勢を変えますか?」
「そうじゃなくって!」
このままじゃ一日を楽しむとかどうとか以前にベッドの上で撫でられている内に日が暮れてしまう。というか下手するとなんかの一線を越えてしまいそうな気がする。
お、落ち着け……こいつは、あのマスターだ。あの変人で馬鹿な男がちょっと女になってるだけだ!
「……ああ、そういえばそうでしたね。帰りに、必要なものの買い出しをしようと話していましたね」
「え、まあ、確かにそうだけど……」
「では、今日は一緒にお出かけしましょうか。思えばこの街を遊び目的で練り歩いたこともありません。日暮さんもいるはずですし、ライエルさんに申告すればクロヌスの中を散策するくらいは構わないでしょう?」
「……え、それって、つまり……?」
この都市の散策?
目的の買い物だけじゃなくて?
もしかして……今のマスターと二人で、一緒に?
「テーレさんとデートがしたいのです。テーレさんが嫌でなければ……お買い物のついでに、今日一日だけでも私の道楽にお付き合いいただけませんか?」
……何このグイグイ来る美女。
いつもの面倒臭さはどこ行ったの?
鍛えてますから(肩の筋肉とか)




