第203話 テーレと死霊術
side テーレ
少し驚いたことだけど、蓬はこのレグザル治療院に来たことがあるらしい。
まだ、能力の制御が利かなかった頃、私たちがラタ市で『悪い転生者』の能力を無効化して倒したという噂を聞いて、自分の能力をどうにかできると期待して足跡と匂いを追ってここに辿り着いたそうだ。
「はは、それで誤解したまま出会っちゃうと危ないと思って……そういう能力じゃないってことだけ教えたら、そのまま逃げちゃって……ごめんなさい」
治療院の村長宅も兼ねる診療所の食卓。
以前はマスターと私、それにショコラティエ一家とアンナで囲んだテーブルでお茶を出しながら、ティアが私と並んで座る蓬を見て苦笑する。
何ヶ月かぶりに顔を合わせたティアは、継承した記憶が馴染んだのか大分安定したように見える。
ココアの記憶を受け継いでもまだ若い癒し手であることは変わらないし、そもそも落ち着かせるためにさり気なく能力を使おうとしても『触る』こと自体ができない相手というのはイレギュラーだっただろう。
ちなみに、そのことに関しての手紙は蓬とのあれこれがあった後で届いた。
ここが僻地ということもあったし、私とマスターが忙しく移動し続けていたり、途中裁判にかけられそうになってギルドを通じた手紙が没収されてたりで情報が届くのが遅れたらしい。魔法通信は技術的に不安定だし仕方がないけど。
「まあ、構わないわ。ココアは元気してる?」
「お母さんは相変わらずだけど、最近は半分隠居気分なのか趣味をいろいろ探し始めてるみたいでね。もちろん、仕事はちゃんとしてるんだけど、私にも結構任せるようになってきて……」
「じゃあ、今はどこに? 見当たらないけど」
「……レグザルの雪祭りで、雪像作る準備に……」
ココアは相変わらずらしい。
心労のせいか短命が多い『癒し手』の一族としてはそこそこいい歳なのに、趣味もかなり元気だし。何でも感覚でできちゃうココアだからこそなんだろうけど、ルビアを学院に行かせた動機の『癒し手の役目に縛るのは惜しい』っていうのは案外自分を重ね合わせた結果だったりするのか……まあ、いないのなら仕方ない。
「まあ、いいわ。ティア、さっそく用件に入っていい?」
「いいけど、やっぱりその子の診断? 一番の問題は解決したみたいだけど」
「たはは……その説は本当にご迷惑をおかけしました。いや、本当に」
そう言って目を逸らす蓬。
何で黙ってるかと思ってたけど、これ単に逃げただけじゃないな? なんか燃やした?
「いいのよ、ゼットちゃんが上手く村を守ってくれたし。今じゃ、この村の守り神みたいなものね」
「マスターの方もいろいろ学習してるらしいけど、こっちも独自の進化してるみたいね。ま、構わないけど……確かに、蓬を診てもらいたいっていうのもあるけど、それだけじゃないわ。大きな目的は三つある」
私たちがここに来た目的は、『修行』……つまり、戦力の増強。
ここでしかできないことだ。
正確には、人の『心』の在り方の専門家である『癒し手』の協力が不可欠になる。
「まず第一に、蓬のメンタルチェックをして、それからセルフコントロールの基本を教えてあげて。抑制だけじゃなくて、適切に感情を活性化するための訓練も」
「はい、お願いします!」
蓬の『守護者』は精神の具現化だ。
その出力や性質に素養はあるけど、それは固定されたものじゃない。モチベーションやコンディション次第で強さが変化する。
強く怒っていれば破壊力は上がるけど、当たり散らすだけなら威力は分散する。心に迷いがあれば出力は低下してしまうけど、目的がはっきりしていればそれに適した力が出る。
『癒し手』が患者の精神に悪影響を与えないように小さい頃から積む訓練は、そういった感情のコントロールを可能とするものだ。付け焼き刃じゃプロの『癒し手』みたいに殺気や悪意を完全に隠したりはできないだろうけど、元々暴走気味だった蓬なら基礎を憶えるだけでも大分変わるだろう。
「わかった。門外不出の技術ってわけでもないし、感情で暴走しやすい能力者への処置としてはむしろ妥当ね。本人にもその気があるみたいだし、問題はない。二つ目の目的は?」
「……エルミア城跡地にある『あれ』を……使わせて、ほしい」
「……一応、聞かせて。何のために?」
「……あいつに、必要だから。今回の敵は強い……たぶん、『あれ』を使わないと勝てない」
ティアの、長めの沈黙。
わかっている……一族の記憶を継承した彼女にとって、『あれ』が特別な意味を持つものだということも……本来は、私が勝手に使っていいものでもないことも。
「それは、狂信者さんにそう言われたから?」
「違う……そもそも、あいつは『あれ』のことなんて知らないし」
「まあ、そうよね……つまり、テーレが自分からそこまでしてあげたいと思ったんだー。ふーん……」
からかうような視線。
何故だか直視できなくなって、顔を背ける。嘘は何も言ってないはずなのに、なんだか恥ずかしいっていうか罪悪感とは違うんだけど。あと、蓬もなにその顔。人の顔見てニヤニヤすんな。
「使うのはいいよー。そもそも、『あれ』があそこにあるのはテーレのおかげだし、あの人もきっと悪いとは言わないからねー。でも、条件が一つ」
「なによ?」
「次の二つから一つ選びなさい」
「……言ってみなさい」
「選択肢①、狂信者さんを一晩寄越しなさい」
「……はあっ!?」
「そろそろ後継者作り始めたいし、身体だけの関係でもいいかなーって」
「ダメに決まってんでしょ!?」
何言ってんのこいつは!?
記憶受け継ぎすぎてどっかでおかしくなった!?
それともココアなんか情操教育間違えた!?
「じゃあ、選択肢②……テーレが狂信者さんにキス。ほっぺとかおでこじゃなくて、しっかりと口でラブなやつ」
「な、何言ってんの!? どうして私が、いや、やったことはあるけどラブなやつって!」
「選択肢②を拒否したら自動的に選択肢①を了承したことになるけどいいの?」
「え、ちょ、それは、あ、だからって」
「ごー、よん、さん、にー……」
「②! 選択肢②でいいから! あいつに変なことすんな!」
「よし、ヨモギちゃん聞いたわね。言質取ったわよ」
「はい! 聞きました!」
「あ、この……っ!」
「冗談じゃないからね。ちゃんとやらないとダメよ。遅くても今年中には……じゃないと絶交してやるから」
「えーっ!?」
一度やってるけど、あの時は正常じゃなかったし、改めてキスとか、ていうかラブなのってどうすればいいの!? しかも今年中って!
「くっ、ぐぅぅ……どうして『あれ』の取り引きでそんな条件が出てくるのよ」
「そんなに変かしら? 恋人たちの守護聖人に感謝として『男女の熱い愛』を捧げるのは何もおかしくないと思うけど?」
「あいつそういうやつじゃなかったでしょ!?」
「さ、それで三つ目は何なのかしら。喚いてたら日が暮れちゃうわ」
実際に日が沈み始めているところだし、そう言われると何も返せない。こっちはお願いに来てる側なんだし。
ああもう、こういう会話のペース握ってくるところとか、ますますココアに似てきたわね。いらんところまでそっくりに。まあ、だからこそ頼りに来たんだけど。
興奮してしまった息を整えて、改めてティアに向き合う。ティアは私の言おうとしていることが、今日の話で一番重要なことであると察したのか、正面から私を見据える。
「三つ目は私自身の戦力増強に……『死霊術』の修得に、協力してほしい。そのために……私の奥にある『呪い』の核と向き合わせて」
十数秒の沈黙。
意味を理解できないらしい蓬も、それが軽々しいことではないとわかったのか押し黙る。
そして……聞き間違いではないことを頭の中で何度も確認したのか、真剣な声音で私に問いかける。
「……よく、その意味を考えてのことなのよね。あなたが、『死霊術』を使うってことがどういうことなのか」
「わかってるわよ。だからこそ、これまで先送りにしてたんだから」
わかりきったことの確認。
けれど、その意味は重い。それは、誰よりも私が、そして同時に私の心の感触を知る彼女たちがわかっている。
「あの……ごめんなさい、テーレさんが『死霊術』を使うのって、何が特別なんですか? テーレさんは確か、『万能従者』であらゆる魔法をある程度使えるとかって……」
唯一この場でその意味を知らない蓬の問いかけに対して、答えるべきか思案顔になるティア。けれど、私が頷きで説明を促すと、ティアは言葉を選ぶように口を開く。
「ヨモギちゃん、あなたはテーレが生まれつき『呪い』を持っているのは知ってる? 周りで悪いことが少し起きやすくなっていう、体質みたいなものなんだけど」
「はい、一応は狂信者さんから少し……だから、テーレさんの周りでは火の元とか戸締まりは気を付けないといけない、みたいな」
「そうね。こうやって現世にいる状態で見られる『不幸』という現象としては、それで間違ってないわ。だけど……実の所、それはテーレが常に魔法で『よくないもの』を発散させた結果なの。それに、幸運の女神の加護もある。こういう言い方はあれだけど……テーレには本来、国が一つ滅ぶのに十分な『不幸』を引き起こすだけの力があるの」
「国が一つ滅ぶって……」
「文字通りの意味よ。何せ、元は王家に向けられた『国を呪殺するための呪い』なんだから」
こればかりは私自身から説明すべきことだと思うから、軽く私が呪われた経緯を説明する。
この大陸の西岸地方一帯を『ガロム中央会議連盟』が実質的に統一する前の戦乱の時代、そのきっかけになった『王朝』の腐敗と分裂……そして、その最期となった最大のクーデターで放たれた呪詛。術者の死と引き換えに、王朝の歴史に苦しめられた人々の怨念が不幸として王家に降りかかるようになる暗君の呪い。
何より、その呪いを受けた王妃の胎内にいた私の魂が、呪いそのものと切り離せないほどに歪んでしまったことも。
この世界の歴史についてそれほど詳しく知らなかったらしい蓬は、一連の説明を聞いて、驚愕を隠さずに言った。
「じゃあ、テーレさんってお姫様だったの!?」
「生まれる前に死んでるからお姫様とは呼ばないわよ。そもそも国だって、一度分裂して今じゃどこぞの地方領主の子孫が治めてるわけだし。主神様に認められた統一王の末裔なんて言っても、腐敗を極めて自壊なんて醜態晒した後じゃ自慢にもならないわ」
「いやいや、統一王って狂信者さんが言ってたこの世界で一番有名な神話の、『主神様』が旅をしたって千五百年前の人でしょ? それで、戦乱の始まりが二百年前だから……統一されて千三百年続いたとか、かなりすごくない?」
「そうだよねー。転生者からの話だと、異世界でもそうそうないらしいわよそんな国。むしろ、それだけ続いた家系のラストエンペラーの血を引く生き残り……じゃないけど、実質その魂を持った最後の一人なんだから、もっと威張ってもいいと思うんだけどねー」
「死ねば王族だろうが奴隷だろうが魂の扱いは同じよ。むしろ恨みを買ってる分損してるくらいだわ」
だからあんまりこの話はしたくないのよ。
お姫様なんて言われたって、そういう生活したこともそういう教育受けたこともないし、性格はこれだし、ドレスとか似合わないし。
私は女神のディーレに仕える天使テーレ。それだけで十分だ。
「話を戻すわよ。とにかく、私には解呪不可能な国家規模の呪いがかかってて、『王朝』の領土だった範囲全体から常に『よくないもの』が集まってくる。それは、そこにあるだけで運気や人の精神状態を悪化させて『不幸』を引き起こすし。だから、私はディーレ様の加護で『幸運』を振りまいてそれを相殺しながら、加護で足りない分を厄除けに近い効果のある術式で散らしてなんとか『少し悪いことが起こりやすい』程度に収めてるんだけど……」
「『死霊術』では、死霊だけでなく悪魔や悪霊を使役する。そして、『よくないもの』っていうのは彼らの魔法にとって力になるものなの。だから、テーレが『死霊術』を使えば……」
「周りが『よくないもの』で満たされてるから、普通の死霊術者が使うよりもすごい魔法が使える?」
「そういうこと。ただし、問題があるわ」
説明のために、私は紙に図を書いて見せる。
それは、呪いの中心である私を示す人型の周りに、集まってくる『よくないもの』を示す『近付いてくる矢印』を書いて、さらにそれを散らす扇風機のようなイメージで私の発散術式を書き込んだ図だ。
「今の私の状態は、こうやって集まってくる『よくないもの』を常に術式で吹き飛ばし続けている状態。こうしないと、周りの『よくないもの』の密度が高まりすぎてより簡単に、より強力な『不幸』が実現しやすくなる。術式の調整で吹き飛ばす方向を一つに揃えて特定のものを『不幸』にすることはできなくはないけど、根本的に集まってくる『よくないもの』を防いでいるわけじゃない。しかも、この集まり方にはムラや波があって、偶に密度が一定ラインを越えて『不幸』が結実してしまう」
「テーレが『死霊術』を使うなら、その不規則さは致命的になる。例えるなら、火を使う作業をするのに、周りの空気の濃さや風向きが変わり続けるみたいなものね。普通よりも火が燃えやすいのは確かなんだけど、安全に使うにはいつどこから風が吹いて、どのタイミングで燃料を調節するかの法則を見つける必要がある」
「つまり、私が死霊術を使うには……私自身に食い込んだ呪いを、私に刻まれた瑕の形を解析する必要がある」
ティアが聞き返したのはこの部分だ。
私に刻まれた呪いは、それを刻むために己の命すら投げだしても構わないという程の深い怨恨と憎悪の結晶。それを、他ならぬ私自身が読み解かなければいけないということ。その上で、叶うことなら私の求めたときに求めた形で『よくないもの』を集められるように、術式を加えること。
私が死霊術を扱えるようにするということは、そういうことだ。
つまりは、私に残された呪いの本質と……私の血に、今は亡き『王朝』の歴史に向けて投げかけられた怨嗟の念と向き合い、関係性を変えるということ。
今までの『自分は悪くないのに運悪く王家に生まれようとして呪われただけの魂』という立場では真正面から受け止めることのなかった一族の罪を直視して、その上で呑み込まれずに可能な限りの主導権を奪い取るということだ。
「だから、私は強くなるために自分自身を……そして、私の中にいるはずの、ある男と向き合わなきゃいけない」
「ある男……?」
以前、何代も前のショコラティエに触れてもらって、その時に見えたという影。
私に呪いを刻んだ存在、実質的に『王朝』を終わらせた男、その力量から生前は『不死身』と呼ばれ、最期には己の死を持って仮にも千三百年続いた大国を呪殺した……史上最強とされる死霊術者。
「元宮廷専属呪術師……怪僧『グリゴリ』。自分自身の命を呪いに変えて撃ち出した男の残留思念が、二百年経った今でも私の中で生き続けている。私は、私自身の精神の内側に飛び込んで、そいつと対決しなければいけないの」
実は亡国のお姫様属性持ち(ただし未出生)。
一応、一章の方でサラッと開示済みの情報ですが、どれくらいの方が憶えているのやら……




