第197話 敵軍襲来
side 日暮蓬
その時、私は城の書斎にいた。
あれから、一週間くらい経った。アトリさんの工房には行っていないし、まだ真実を話すことはできていない。それで気まずくて、でも部屋に籠りきりだと怪しまれたり……心配されてしまうかと思って、本からこの世界の知識を得るって名目でごまかしていた。
アトリさんは工房ができてからはほとんど書斎に来ないし、本は工房に持ち帰って読むみたいだったからここはちょうど良かった。アトリさんの匂いは憶えてるから近付いたらわかるし。
けど……その衝撃が城を揺らした時、私が一番に考えたのは……
「地下の工房にアトリさんが……!」
壁には亀裂が入っていた。
一部分が崩れていて、そこから城の外側にしがみつく巨大なネズミみたいな怪物……いや、怪獣が見えた。
相性で言ったら、こういう相手に一番に対処すべきなのは私だってことはわかっていた。狂信者さんもきっと戦えるけど、反動があるからそう気安くはできない。だから、役割を考えれば私が真っ先にここから飛び出して、この怪獣を倒さないといけない……理屈では、それがわかっていた。
けれど……
「アトリさんっ……!」
私は、一目散に城の地下に向かって駆け出していた。
side ライエル・フォン・クロヌス
異常な事態であることは瞬時に理解できた。
同時に、確信はないがその事態の原因も想像できないわけではなかった。
だが、それは『対応できる』ということにはならない。
むしろ、別の動揺があった。
「早い……早過ぎるっ!」
逃げ場のない執務室から廊下を走る。
警護の近衛兵も二人ついてきているが、戦力として全く足りないだろう。
隠し通路からの脱出……よりも、城の者達への指揮が先だ。
それに、状況把握ができないままでは隠し通路だろうと安全とは言えない。
広間に繋がる方向から、警備を行っていた部下が息を切らせて現れる。
「ほ、報告! 十二メートル大の『怪獣』が突如出現! 城に取り付いてこの先の広間に頭部を……」
報告の途中、またも足下を大きな揺れが襲う。
しかも今度は、壁に亀裂が広がる……まるで、獣が餌箱に鼻を突き込んで中を探っているかのように。報告通りのサイズの怪獣ならば、敵意ならぬ『手探り』だけでこの壁を崩壊させるにも時間はかからないだろう。
だが……
「警報はなかった! どこからそんな大きさのものが!」
『怪獣』は発生に対処するだけでも大規模な軍事力を必要とする巨獣だが、突然現れるようなことはない。言ってしまえば、ただ巨大で強力になっただけの生物であって、姿を消したり音を消したりといった搦め手はまず使わない。都市に近付けば必ず警報が発令され伝令が飛んでくる。こんなふうに、突然現れる存在ではない。
仮につい今し方に怪獣となったと仮定するとしても、怪獣を生み出すとされる『徘徊魔王』が周辺で発見されたという報告もない。明らかに不自然で不条理な事態だ。
だが、これを人為的なものと考えるなら……怪獣を何らかの手段で送り込むということ自体がこの城に対する攻撃だというのなら、無視できない心当たりはある。
他でもない、『研究施設』への対策組織の中核となる俺を、対策本部となるこの城を狙った先制攻撃。
しかし、それにしても……
「あまりに早い……どうして、このタイミングで……」
こちらの情報が洩れたのだとして、どうして今なのか。
都合が悪いという話ではない……まだ、中央政府の諜報による調査が行われている段階なのだ。今ここを襲撃しても、また別の誰かが担当を引き継ぐだけで大して益はない。むしろ、このような行動によって『研究施設』への警戒度が上がる分、不利益なはずだ。
しかも、決して無防備になったタイミングというわけでもない、むしろ転生者が四人も集まった状況で……
「……っ! 転生者チームの無事と所在を確認しろ! それと、怪獣は陽動、別働隊が動いている可能性が高い! 警戒を……」
指示を出している最中、すぐ隣の壁が崩れてその向こうに巨大な濁った瞳が見えた。それに、漂ってきた異臭……いや、腐臭に思わず部下たちと共に鼻を覆う。
そして、崩れた壁の向こう……ネズミ型らしき怪獣が大口を開くと、そこから一人、何者かが歩き出てくる。
仮面を付け、怪獣の体液で濡れた礼服を着た男に見える何か……その身形の割りに、一歩一歩を緩慢に踏み出すその動きは人間らしからぬ不安定さと不気味さを露わにしていた。
武器を構える護衛の二人……だが、仮面の何者かは、それに警戒を示すことなく、こちらを向き、ブルブルと身を震わせた。
「ォ、ォ、ォ、ァ、ァ、ア、アア、ギギギ!」
ボゴボゴとその身体が波打ち、背中が異様に膨れ上がる。
礼服は初めからそれを想定して切り開かれていたのか、まるで蛹から蝶が出てくるかのように肉質の花弁のようなものが広がってゆく。
あ、あれはなんだ……
「ラ、ライエル様! 危険です! 我々の後ろに!」
爆発を警戒してか、私の前に立ち盾を構える近衛兵たち。
だが、その身体の隙間から見えたものは、爆発などではなかった。それは……花弁の内から果実が実るように現れた黒い球体。そして、そこから出てくるいくつもの人影と……人間に見えない巨大な何か。
それらは何故か、視認しているにも関わらず細部が認識できないような……マントのようなものを着ていて目深にフードを被っているだけのはずなのに、その体型やマントの外の部分の特徴がわからないという奇妙な感覚を伴った。理解できるのは体格の大小くらい。それも、一人が異様に巨大で一人が子供のように小さいという程度だ。
そいつらは、花弁を背中に戻す礼服の異形を尻目に、瓦礫の散乱する広間の床に降りたって周囲を見回した。
そして、こちらへと視線を向け……
「大領主……まずは、あいつに聞く。連れて来い」
中央の一人が、こちらに手を向け……おそらくは、指さした。
それと同時に、マントの内の何人かが動き始める。特に、子供のように小さいと思えた影はいつ接近したのかわからないほどに素早く私の護衛二人の懐に入り込んでいて……
「ごめんなさい」
二人は、まるで木屑の詰まった布袋のように軽々と左右に吹き飛ばされていた。見れば、小さなマントから出ている手には鞘に収まったままの剣が握られていて……それで殴打されたというのが理解できても、全く見えなかった。
そして、その手は今度は私へと……
「【恩師の加護を】!」
「【失敗率証明】!」
振るわれたはずのそれは、私の前に立った男の手に……狂信者の手によって、振り上げられた瞬間で止められていた。
あと一瞬でも遅ければ、おそらく俺は意識を刈り取られていただろう。
狂信者は横目で俺の無事を確認しつつ、目の前のマントを見下ろす。
「認識阻害の類ですか? しかし、剣は対象外と……おや、この鞘はどこかで見たことがあるような……?」
「っ!」
小柄な影は狂信者の手を振り払い、剣をマントの内側に隠して常人離れした跳躍力で飛び退く。
そして、そのタイミングで駆けてきたテーレが俺を抱えるようにしながら、指を『銃』の形にしてマントの集団へと向ける。
「この臭い……あの怪獣、死んでるわ。それも今さっきじゃない……怪獣の死体で作ったゾンビね」
「なるほど……して、その前に立つ一人を除き認識が不明瞭な方々は? あの仮面の方だけ味方だったりしますか?」
「いや、あいつはネズミの口から出てきた。そして、あいつの背中からマントのやつらが現れた。全部侵入者だ」
「なるほど、さながらマトリョーシカですか……いえ、もう一人と一体いるようですね!」
既に破壊された天井をさらに破って降り立つ巨大な生物。
一瞬、飛行型の怪獣かと思ったが粉塵が晴れるとその全容が明らかになり、予想は否定される。
それは、怪獣とは区別される巨大かつ希少なモンスターの代表格……『翼竜』だ。品種はわからないが全体的に鋭いトゲが多く攻撃的な顔付きをしている。そして、その背に、既に降り立っていた者共と同じマントを着た人間がもう一人乗っている。
「なるほど……どうやら、ドラゴンを使って高高度から怪獣ゾンビを投下したようですね。そして、怪獣ゾンビの体内に仕込まれた仮面の彼が転送か異空間のような能力を持っていた……と。やられましたね、質量と落下速度で城の対砲撃結界を突破されるとは」
先ほど報告に来た部下は既に俺の命令を聞いた直後から伝達のために駆けだしている。直に、近衛兵や他の転生者も来るはずだ。
だが、その前に……この状況だ。
明らかに只者ではない動きをしたマントの仲間が、ドラゴンと共に現れた者を含めて六人。その全てが同程度の強さだとしたら……ドラゴンや怪獣ゾンビを合わせた戦力と、テーレが俺の守りについて実質狂信者だけが戦闘可能な状態のこちらの差は絶望的だ。
逃げ出すにしても、ドラゴン相手では城外へ出ても逃げきれない可能性は大いにある。
先程の動きから、あちらの狙いに明らかに俺が含まれている以上はテーレが俺の護りを外れることもできないだろう……狂信者が、俺を見捨てて逃げるというような選択をした場合以外は。
俺と同じく状況を把握したらしい狂信者は、小さく深呼吸をして……
「……そちらにその気があるのなら、話をしましょう! この来訪の目的を教えていただけますか?」
声を張って、そう言った。
次の瞬間には総攻撃が来てもおかしくない状況で、だ。
この緊迫した状況を読み取れなかったわけではなかろうに、時間稼ぎ狙いでも無駄な申し入れではないかと思ったが……意外にも、俺を指さした中央のマントは、それに反応したようだった。
「……あるものを、求めてきた。おそらく、ここにある物だ」
「返答、ありがとうございます。質問続きでなんですが、私たちがその探し物に協力することで、穏当にお帰りいただくというのは可能でしょうか? 今なら、建物の破壊と先のお二人の負傷は『強すぎたノック』として大事にせず済むように交渉を請け負いますが」
「……穏当に済ませるつもりなら、こんな入り方をすると思うか?」
「他に方法がなければ、そういうこともあるでしょう。心理的優位を狙ったものならもう十分です……こちらも、全力で応戦して一人二人と相討ちできるかどうかという相手と事を構えたくはありません。そちらも……できれば、無傷で帰りたいのではないかと」
「……いや、時間稼ぎだな。大方、城の中の味方が集まるのを待っている」
「まあ、それもありますが。慌てないということはそれでも負けはしないと思っているのでしょう? 先程のやり取りで、私は全力でもさほど脅威ではないと……しかし、不安要素を除くには手っ取り早く要求を突きつけてしまうのがそちらにとってもよいのではと……」
狂信者が、そう言った瞬間……一人だけ、人間離れした大きさのマントが、肩を震わせながら、人間の喉から出るものなのかわからない恐ろしい声を発した。
「脅威に……ならない……だと……?」
その震えは、段々と大きくなる。
認識を曖昧にするマントが段々と『鮮明』になって行き、同時にビリビリと音を立てる。
「違う……そんなものでは……ない……だろう……」
マントが機能を保つ臨界点を超えたのか、その姿が露わになる。
それは……肌色、筋肉と骨でできた節足動物の肢のようなものが絡み合って、あるいは編み上げられてできた人型に近い怪物。それは、明らかに……狂信者を、真っ直ぐに見ていた。
「貴様が、弱いというなら……俺は……」
その姿が、肢を組み換えて形を変えながら巨大化していく。
人型から、蟲のように。
表現するのなら、サソリと蜘蛛を足し合わせたような形状。
ただし、多くの肢が捻りながら束ねられた脚の先は槍のように鋭く研ぎ澄まされ、サソリのハサミを人の手に近い形に組み換え、尾の先は針ではなく筒のような形をとり、真正面には人から肉食の怪物に変貌した化生のような恐ろしげな頭が付いていた。
「俺と……闘え!」
それは、一瞬の出来事。
俺の前に立っていた狂信者の姿が消えたと思えば、背後の壁から砲撃を受けたかのような音がした。
目の前には狂信者のいた位置に、その異様な腕を突き出した姿の異形の怪物の姿があり……
「グフッ……カハッ!」
恐る恐る、背後を見ると……そこには、壁に背中からめり込んだ狂信者の姿があった。
不意打ちを受けた……では、済まされない。
先程の足下だった位置には、一瞬であれ確かに尋常ならざる力で踏ん張ろうとしたらしきひび割れがあり、そして狂信者の腕は防御姿勢を取っている……それらは、一瞬の攻防の末、狂信者は怪物の膂力に圧倒され吹き飛んだという紛れもない証左だった。
「うそ……強化状態のマスターが……」
テーレもその動きに反応できなかったのか、目の前の攻撃すべき相手に何もできず呆然としている。
俺も……状況が理解できていても、何もできない。鍛えているとはいっても、このレベルの相手に対しての俺は……全くの無力だ。
「……弱い……弱すぎる……どうしてだ……もっと、強いはずだ……」
怪物が、何かに落胆したような声を発する。
その視界には、俺は全く入っていない。だが、無意識な動きでさえ踏み潰されてしまうのではないかという威圧感で声を発することもできない。
その意識を一身に受ける狂信者は……
「クッ……なんて、力……」
壁から身体を引き抜く動きをしているが、その動きがおかしい。右手だけで壁を押し、どうにか抜け出そうとしている。
左腕が……完全に折れている。
「……もっと、本気を……」
「待て、土蜘蛛! あれについて聞き出すのが先だ!」
侵入者のリーダーらしき中央のマントが叫び、怪物の姿がまたしても消えたとほぼ同時。
狂信者の前に、一枚の『壁』が立っていた。
どこまでも薄く見える、真っ黒な壁。それは、怪物の巨腕を衝撃を吸い取るように受け止めている。
「細かく流す余裕ないでわりぃが、全反射じゃ!」
壁に衝突の速度まで吸われたように静止した怪物が、ゴムボールが壁で跳ね返るかのごとく弾き返された。
しかし、その腕に跳ね返ったと見えた衝撃は空中で全身を一度解体して組み換えるかのような肢の動きによって受け流されたのか、再び異形の姿で着地する。
さらに……
「『掴む』!」
「ヒホッ!?」
マントの一人の足下、床下から飛び出した火焔の腕がその身を握り潰そうとした。掴まれかけた側はギリギリそれを回避したようだが、マントが燃え上がりその姿が露わになる……風船のように太ったピエロだ。
床下から、五メートル大の火焔の魔人を展開したヒグレが姿を現す。
その目は、明確な怒りを湛えている。
「あんたらのせいで……アトリさんが、怪我したじゃない……どうしてくれんの!」
自陣の真下から現れた高熱の巨人に対応して動くマント達。
それを包囲するように、そして俺を護るように城中の近衛兵たちが集まってくる。
「ライエルはここじゃって聞いた……はよ駆けつけろってな。間に合ってよかったで」
狂信者の前にも、姿を消していたのかいつしか現れていたアラヤが丸太状に展開した結界を構えている。
狂信者の会話による時間稼ぎは、ギリギリ成功したということだろう。この城の戦力、今ある分は全てが集まっているはずだ。
だが……
「……チッ、面倒な」
包囲されたはずの『敵』は全く追い詰められているようには見えなかった。
ワンパン(される)系主人公。




