第174話 『テーレさんは尊い』
side 狂信者
さて、時間というのは有限です。
夜まで巨人が現れないにしても、遊んでいるわけにはいきません。まあ、ここには遊ぶものもあまりないのですが。
排他的な鉱物産業の町とはいえ小さな酒場などはあるにはあるのですが、私たちが行って居心地のいい場所ではありませんし、石を投げられたりはしないとはいえストレスでいっぱいいっぱいの町の皆さんを刺激するのはあまりよくないでしょう。できることと言えば、持ち込んだ本を読んだり考えを書き留めたりといったことくらいですかね。
「『エモい』『萌える』『尊い』『恋しい』、ならどうでしょう?」
「前二つと後の二つが同じ、ニュアンス的にはかなり近いのはわかる」
「では『テーレさんは尊い』『神々は尊い』。この場合はどうでしょう?」
「……違う。さっきのは後者の方ね」
「ふむ、ネットスラング発祥の言語などはやはり発音よりも意味が優先なんですかね。これも記録しておきましょう」
といっても、今回の件とはまた別件のための準備なのですが。
移動中の時間も結構ありましたが、揺れの中では記録物は少し難しいので足場の安定した場所にいる間に実験結果をまとめておかないと。
あまり大領主様の威光にあやかっても意味はありませんし、せっかくならばちゃんとしたものを提出したいものです。
「そろそろ暗くなってくるけど、外に出る? 出てくれば自然と騒ぎになるとは思うけど」
「そうですね。できれば出現から確認したいですし、今日はこのくらいにしておきましょう。テーレさん、お手数おかけしますが」
「はいはい、わかってる。まったく、適当なでっち上げでも大領主の権限でどうにかしてもらえるのに」
「ありがとうございます。では、参りましょうか」
なに、敵対するつもりは最初からありません。
少し遠くから見るだけです。気軽に行きましょう。変に気構えて警戒を招いても面白くはありませんしね。
元々、起伏の激しい土地の盆地に造られた小さな町。
このコーチェンという町を囲む周囲の土地は町の地面よりも随分と高く、その天然の障壁によって外部との交流が断たれているような環境です。
盗賊だろうとわざわざその障害を乗り越えて襲おうと思う程の旨味もなく、周囲には生命の気配が少なすぎてモンスターの気配すらなし。そのためこの町にはろくな防衛力が置かれることはなく、平和が長らく続いていると言えます。
しかし、その地形は逆に言えばいざその障壁を越えて襲い来る脅威が現れれば逃げることも易くはなく、星空を隠す大地の陰からいつ何者かが雪崩れ込んで来てもおかしくない。『何者か』に攻撃されるような心当たりがあれば、町を守る影は大きなプレッシャーを与えることでしょう。
それも、相手が夜闇を赤く照らす炎の巨人なんて象徴的なものが毎夜見られるとなれば、気が気でないでしょうねえ。
「それでも大きな街へ助けや解決を求めなかったのは、日暮さんを刺激するのが怖かったというのと、なんらかの負い目があるから、でしょうかねえ。推測でしかありませんが」
よく炎の巨人が現れるという方角を見ながら適当なベンチに座り、隣で武装を確認しているテーレさんと共にその時を待ちます。
噂通りの方なら、『戦闘』という選択肢は極力避けたいところですが、テーレさんからは最悪の場合はこの町を捨てても逃げるつもりでいろと事前に念押しされています。今回の相手は、それだけの危険度だと。
「改めて確認した町の雰囲気からして、マスターの『誰かが石を投げた』っていうのはほぼ正解でしょうね。今も、私たちが今にも暴れ出すんじゃないかとすごい遠巻きに監視してるし、この距離は単なる未知への恐怖って感じじゃないわ。完全に何かの経験でこれくらいの距離がないとヤバいって学習した距離よ」
『もう手遅れだけど』という呟きを洩らすテーレさん。
戦乱の時代を知る天使としては、人間の愚行の類というのは飽きるほどに見つめ続けてきたものなのかもしれませんが、この町の人々にとっては初体験で最悪の失敗をしてしまったというそれだけなのでしょう。
まあ、そんなもの『傷付けられた側』には関係のないことですが。
「小石か砂か、それとも食器とかだったりしたかもしれないけど、『町の外から来たよくわからないやつ』が怖くて、友好的な態度すら見下しているように感じられて、誰かが危害を加えた。もしかしたら、子供とかだったかもしれない。けど、その結果『自動迎撃』が発動しかけて、『炎の巨人』が姿を見せた」
ありそうな話です。
特に子供というのは、親の言うことを本当に心の底から信じますからね。『町の外の奴らは俺たちのことを見下してる悪いやつだ』とでも親御さんが酒瓶片手に愚痴っていれば町の外から来た人間を見て、『悪者退治』をしようとしても不思議はありません。それに……考えたくはありませんが、大人にも八つ当たりで石を投げるような人はいないとは言えませんし。
「町が無事なところを見ると、彼女はそれを抑え込むか何かしたのでしょうねえ。しかし、彼らは気付いてしまった。自分たちが石を投げた相手は、たった一個の石への反撃に町を焼き尽くしてしまいかねない荒神のような存在だったと。まあ、そこで礼を尽くして謝罪をしていればどうにかなっていたかもしれませんが」
「はあ、そこで即座に頭を下げられるようなやつらなら最初から石なんて投げないでしょうね。一番最初に謝ったやつが生贄にされるとでも思って、絶対に謝らない。それで、目の前には恐怖の対象がいる。ストレスが溜まって行って最終的には」
「『出ていけ化け物!』……と、そんなところですか。正直、そんな情景は詳細に想像したくはありませんし、こちらの憶測だけのことであってほしいところですねえ。彼女との交渉も面倒になりますし」
「いっそ思い切ってこの町を灰にした後だったら司法取引的な感じで引っ張り込めた気がするんだけど……あ、来たわね」
テーレさんの視線の先に、盆地の縁を浮き上がらせる真っ赤な光が。
丘の向こう側で人間大の本体から発生しているというわけではなく、それなりに遠い場所で巨人の姿となったものがズンズンと一歩、また一歩とこの町に近付きつつあるような光の具合ですね。
「毎日段々と近付いてきているそうですが、最近ではあの丘を越えてはっきりと人型であることが視認できるくらいに距離が詰まってきているとか。それが確かならば、こうして見ていればその姿がそろそろ視認でき……おや?」
『一歩一歩近づいている』、というには、少し様子がおかしいような。
光源が妙に激しく動いているというか、暴れているというか……
「きゃぁあああ!」
「とうとう来やがった! 逃げろ!」
「焼けた岩が降ってくるぞ!」
巨人の姿が見え始めるが先か、岩が宙に飛びあがるのが先か。
悲鳴の直後に現れたのは、自身の半身と同等の巨石を振り上げ、町を囲う岩縁に怒りの形相で叩きつける異様。
身長三十メートルはくだらないかという、炎の巨人……いえ、普段は見ることのないようなとてつもない熱量を感じずにはいられない輝きを持つ火焔の魔人。何百メートルと離れているはずなのに、ここからでも熱をはっきりと感じ取れるほどの放熱。
叩きつけられた巨石が砕け、真っ赤に焼けたまま岩縁付近の建物に降り注ぎます。
この下は無人地帯というわけでもなく……
「これは、聞いていた状況と違いますね……ガッツリ実害が出ているように見えるのですが」
「段々近付いてるって話だったし、こうなるのも時間の問題だったのかもしれないけど……見える? あの胸の所」
「はい、肋骨の中にいますね。なるほど……彼女が日暮さんですか。ああいった形であの熱量とパワーの魔人が展開されるとなれば、無敵といってもあながち間違いではなさそうですね」
むしろ、あの中でどうやってご本人が焼死せずに生きていられるのか。まあ、そういった能力だというのならそうなのかもしれませんが。あの状態では大声で対話を求めても声が届くかどうかもわかりませんし、下手に引き留めるというのも危険でしょう。
今はそれよりも……
「ちょっ、めっちゃ暴れてんじゃない! あのまま暴れ続けたらあそこらへんの壁が崩れるわよ!」
火焔の魔人は足許の地面を全力で殴りつけています。
その拳は地面の岩よりも固いのか拳を痛めて手を止めるというような気配もなく、猛烈な打撃で地面を砕かんとしているように見えます。いえ、あのパワーならば今にでも足許を割り砕いて岩雪崩を引き起こすでしょう。
既に、最初の大岩で周辺家屋から火が出ていますし、騒ぎから察するに死傷者が出ていてもおかしくありません。
「行きましょう。まずはあの周辺の住人の避難と延焼の防止です、家屋の下敷きになっている人がいれば一瞬一秒を争います」
side テーレ
この世界において、『冒険者』と呼ばれるような人間は『一般人』と比べて基本的な身体能力がかなり高い。それは訓練や戦闘経験の差に起因するものよりもっと根本的な原因に起因するものだ。
人間は日常的に呼吸の中で魔力を取り込み、放出することで無意識に『魔法』と呼ばれている技術と同じように現実を改変している。というより、それを意図的に操作・制御するのが『魔法』だ。そして、無意識に行われるそれは基本的に生物としての基本的な願いである生存欲求に沿う形、つまり健康増進や人体組織の強靭化という方向性に発現する。
『冒険者』が一般人よりもより高い身体能力を得るのは、『死の危険』を身近に感じる機会が遥かに多いからだ。より速く走れなければ死ぬかもしれない、より重いものを持ち歩けなければ死ぬかもしれない、あるいはより毒や病気に強くなければ死ぬかもしれない、そういったリアルな危機感がより具体的に改善点を意識させ、日々の改変を生存に向けて効率化させる。一朝一夕ではかわらないけど何か月間、何年間と積み重ねればその差は別種族と呼べるほどになる。
マスターに関して言えば、成長促進系の転生特典はないし、この世界に来てからの時間はそこらの冒険者の経歴よりもかなり短い。けど、マスターの修めた『リジェネ道』という特殊な修練法は意識的な自己破壊と超再生によってその時間を圧縮する方法だ。今のマスターの身体能力は魔法使いとしては十分に過ぎる程に高い。
格闘術の経験が前世のものだから、その身体能力を活かすための戦闘法にまだ上手く馴染んでいなくて純粋な肉弾戦ではベテランの戦士職ほどの強さとは言えないけど、魔法を併用すれば十分に接近戦もできる。
接近戦ができるというのは、言い換えれば猛獣や魔獣とも取っ組み合いができるほどの力があるということだ。
要するに、冒険者というのはモンスターすら知らない『平和ボケした人々』から見れば、転生者でなくともモンスターのようなものなのだ。
この冒険者という職業に縁のない、冒険心とは無縁なこのコーチェンの町の住人から見れば、その身体能力は『化け物並み』ということになる。
この町の住人には持ち上げられない岩や梁だろうと、易々と持ち上げられる。
燃える岩だろうが木材だろうが、腕を『石化』させて触れることができる。奇しくも、こういう災害の中での人命救助に必要な能力は揃ってる。
つまり、私たちにはこの町の人間にできない救助活動ができた……そのために、『怪物扱い』されることを厭わなければ、という注釈はつくけど。
「よっこいしょ! 足は動きますか? 無理ですか。ではテーレさん、運んでください」
その上でマスターが『助けられるけれど面倒ごとは避けて見殺しにしよう』とか言うはずもなかった。
まあ、こうなるような気はしていたから、私も治療に必要な薬品類とか持ってきてたんだけど。
「い、いてえ……死ぬぅ……」
「はいはい、足折れてるけどすぐには死なないわね。安全なところまで運ぶから治しに行くまで安静にしてなさいよ。まだ他にもいるから」
「ぐ……す、すまねぇ……」
自分で逃げられる人間は早めに避難させて、倒壊した建物や落石で動けない人間をマスターの膂力と私の応急処置で安全に搬送して、延焼しそうな建物は先に壊す。
大本である転生者が暴れてて手が出せない以上、できるのは最終的な被害を最小限に留めることだ。たとえ岩雪崩が起きたとしてもその真下に人間がいなければ、取り返しのつかない事態にはならずにすむ。
「あの魔人そのものが転がり落ちたりしてきたら、どうにもならないかもしれないけど……」
あの火焔魔人なら、丘の上から飛び降りて来てもダメージは受けないだろう。
そう考えれば、あの魔人が丘の上に留まっているのは直接町を破壊する気がないということだろうけど、いつまでもそうであるとは限らない。というか、本人にそのつもりがなくても足下の土台が崩れて転がり落ちてくることは十分にあり得る。
直接こっちを狙った投石とかが来ないのは助かるけど、このままだと……
「テーレさん、住人の避難は済みましたね? では、次はあちらの対処に向かいましょう」
「え、マスター! 手を出せないって話じゃなかった!? 下手に刺激するのはまずいでしょ!」
「ええ、もちろんです! 彼女自身に手を出せば危険でしょう……ですから、クッションを挟みます。魔人さんが執拗に殴りつけている地面の下にこれを」
そう言ってマスターが見せるのは、六個のガリの実。
殴りつけている地面のすぐ下……特に執拗に殴りつけられた場所の下には細かい亀裂が幾重にも走っている。
「なるほど……今なら多少崩れても変わらないわね。まるごと崩れるくらいなら先に、そういうことでしょ」
魔力電池のカートリッジを交換する。
私の指環に刻んだ魔法は『斥力』、つまりは物を押し出す力だ。物体を弾丸代わりに射出するのは難しくはない。大きさに制限はあるけど、ガリの実くらいだったら丁度いい。
「全力で行きますよ……【過剰回復】!」
マスターが手の中のガリの実に魔法を打ち込み、私へ差し出す。
狙いは魔人の殴りつけている地面のすぐ下の亀裂、発芽する前に射出する。
「【斥力弾】! 【斥力弾】、【斥力弾】、【斥力弾】【斥力弾】【斥力弾】!」
亀裂に撃ち込まれたガリの実が、そのどんな土地だろうと根を張り育つと言われる生命力を発揮して亀裂の中で生長する。ポイントは適切に、その役目を果たすように。
生長した根が亀裂を押し広げ、岩の地盤よりもしなやかで頑丈な層を作る。
既に完全に破断した層は、どんなに殴りつけても亀裂が伸びることはない。そして、間に樹木の層が入っていればショックが吸収されて岩同士の衝突で岩場が割れることもない。
「樹木層の上の岩は粉々になって飛んでくるかもしれないけど、大規模に崩れるよりはまし……あれ?」
殴りつけていた地面の感触が変わったのに違和感を覚えたのか、何かを探すように周囲を見回す火焔魔人。その形相からは怒りは消えていないものの、無茶苦茶に暴れようとする気配はもうない。
ため息を吐き捨てるように炎を吹いた魔人は、丘の向こうへ消えていく。
「終わった……みたいね。何が不満だったのかわからないけど、すっきりして帰ってくれるってわけじゃないのが面倒だけど。明日からもこういうことになるんだったら、先に危険区域から住人を避難させておかないと……この町の住人を説得するのは骨が折れそうだわ」
「……テーレさん、それ以前の問題かもしれません。彼らを見てください」
マスターに促されて、視線の先を見る。
といっても、マスターのうんざりというか諦念を含んだ声で大体の予想はついてるけど……そこには、不安や恐怖を隠せない表情でお守りを抱えるように端材や工具を持って集まってくるこの町の住人たち。
はあ……まったく、人間っていうのは。
「『出ていけ』いや、『出て行ってください』って言いたいのかしらね。『お前たちが来たからあいつが暴れ出したんだ』とかね。学習しないのね」
「口にしないだけでも進展と見るべきでしょう。あとは、片手に武器を持ちながらでもいいので、にこやかに握手できるくらいに頑張ってくれると非常に喜ばしいのですが」
このモンスターも現れず冒険者という存在と無縁な僻地においては、『飛び抜けた身体能力を持つ人間』というものは噂に聞くことはあっても実際に見ることはなく、眉唾ものだったのだろう。私やマスターのようなレベルですら『怪物』に見える。同じ人間には見えないと、笑顔でいても危険極まりない存在だと思えてしまう。
この土地から逃げ出すという選択肢を持たない人々が毎夜近付くストレスに追い込まれ、とうとう実害が起きてしまったところに現れた『自分たちと明らかに違う存在』。
前の相手が石一つで滅びを招きかねない存在だったから実行を躊躇ってるけど、丸腰で友好的に接することができないでいる……あんなもの、何の役にも立たないって本当はわかっているでしょうに。
「さあ、宿を引き払いますかね。日暮さんの姿や能力は確認できました。この町での本来の目的に……彼女の勧誘に参りましょう」
「そうね……こんなところにいても、いいことないわ。どっちにとってもね」




