第173話 「誰かが石を投げた」
side 日暮蓬
傷付けたいわけじゃなかった。
けど、傷付いてほしかった。
悲しませたいわけじゃなかった。
けど、悲しんでほしかった。
苦しませたいわけじゃなかった。
けど、苦しんでほしかった。
頭の中はグチャグチャで、何をしたいのかもわからない。
誰かに■■てほしい、違う、■■てほしい?
頭は普通だったはずなのに、それだけだったはずなのに、軋んで割れてしまいそう。
ピエロが(笑う)嗤う。
親しげに(嘲るように)、心地良く(煩わしく)、親愛を込めて(悪意を込めて)。
触れたい(撥ね除けたい)、よく聞きたい(黙らせたい)、安心する(信用ならない)。
私じゃない私の力が、勝手に暴れ出す。
ああ、お願い……誰か、私を、死ぬほど、壊れるほど、力の限り■■てください。
side テーレ
岩山が近く石が多くなってきた道を行く馬車の車輪が小石を割り、硬質な音を立てる。
乗合馬車での移動時間は、次の目的地での計画を立てるのに丁度いい。
今回の目的地は結構な僻地だし、私とマスターの他に客はいない。情報洩れとかを気にする必要はない。これからの相手のことを考えれば、最終ミーティングは絶対に必要だ。
今回の相手は、それだけストレートな『危険』を持つ転生者だ。
「『日暮蓬』。最初の目撃情報は私たちの降臨の約三ヶ月前、推定十四歳または十五歳、性別は女、服装はほとんどの場合でモンスターの皮から作った吸熱回復力を持つ特殊耐火服。そして……起こした山火事が五件、市街地での火災が三件、盗賊団と冒険者合わせて殺人件数五十七人、さらに加えて転生者三人を焼殺したと推測される」
クロヌス領から受け取った情報と情報屋から買った情報を照らし合わせて確認しながら、ほぼ確定している情報を読み上げる。
他に客がいたら目的地を変えかねない、これから向かう場所が紛れもない『危険地帯』だという情報の裏付けだ。
「常に暴れ回ってるわけじゃなくて、一度とある街の商会宿……というか、ぶっちゃけると私たちが二番目に滞在したコインズの街なんだけど、私たちが街を出たのと同時期に入れ違うような形で市街地火災を起こしてその弁償のためにローリー家、つまりカーリーの所に『ボディガード』として滞在してる。そして、その時の本人の説明によれば火災を起こした理由は『突然暴漢に襲われたから』だそうよ」
いくら覚悟が決まった後だとしても、あのカーリーが凶暴な転生者を言いくるめたとは思えないし、滞在中は屋敷に籠もってたのか情報はあまりないけど、それまでの行動から考えればかなり異例なレベルで長期間大人しくしていたことがわかる。
それが、カーリーがまだ子供だからこそ、『子供を傷付けてはいけない』という至極一般的な倫理観による自制だったとすると、この転生者の性格が見えてくる。
「おそらく、典型的な過剰な力に振り回されているタイプの転生者。前世では普通の一般人で『もし超能力が使えたら気に入らないやつを懲らしめてやるのに』みたいなことを考えてた人間が、実際にそういう力を得てしまって『どこまでが許されるのか』『どこまでするべきなのか』みたいな線引きがわからなくなる場合はある。過剰な報復だけじゃなくて、『自分は力があるんだから止められる悪党を見逃したらそれは悪事じゃないのか』みたいな正義感の境界を見失ってそういう動きを始める転生者は少なくないわ……今回の場合、その能力が『炎』に特化してるせいで二次被害が酷いみたいだけど」
一応、殺された冒険者や盗賊、転生者の大まかな情報も上がっているけど、どれを見ても『正当防衛まではあり得そうだな』と思うような経歴だ。
盗賊はともかく、冒険者も山火事やその戦闘での異様な姿に対する現地住民の討伐依頼から手を出した……その異常なまでの戦闘能力を警戒して、そして功を焦って先制攻撃を仕掛けて逆に徹底報復されたとしてもおかしくない、あるいは強さ比べかなんかを挑んだと思われるのもいる。
前回の『永遠の停戦地』に偉業目当てで勝手に調査に入った冒険者達と同じ、誰も頼んでなんかいないのに、『危ないかもしれない悪者』を懲らしめてやれば英雄になれると思い込んで何もしなければ大人しい猛獣に石を投げて暴れさせるようなやつがいたのだろう。
相手が本気になってから後悔しても遅いのに。
「能力は『巨大な人型の炎を身に纏う能力』みたいなものらしいわ。恐らくは、転生者の要望で多い『絶対防御』の亜種『自動防衛』の炎属性カスタム。完全に近い『絶対防御』は防御中の使用者の動きを制限することが多いから封印状態になりやすいけど、『自動防衛』は防御力のリソースを攻撃力に回す分、ある程度反撃できる……けど、情報からすると彼女はこれまであらゆる攻撃を無傷で防いだ上で防御型の転生者を食い破るほどの攻撃力を発揮してる。どんな理屈かわからないけど、単純な物理的出力なら総合的に最強の転生者かもね。移動速度は遅めみたいだけど……って、マスター。さっきからずっと黙ってるけど、ちゃんと話聞いてる?」
マスターは向かいの席で何かを考え込むように私が情報から予想した移動経路と時系列を確認している。転生者情報なんかは不確かな情報が多くて深読みしそうなマスターには確定情報だけまとめて渡してあるけど、地図についてはほぼ源情報で正確だからそのまま渡してある。
方針についても、まだ『まずは戦闘じゃなくて話し合いをしてみよう』ってことだけで、他の部分は本人を見てみるまで未定になってるし。
「ええ……話は聞いています。情報を見る限りでは、この日暮さんという方はある時期まで……コインズの街を出発するまで、他の転生者の居場所を積極的に尋ねていたようですね。しかし、彼女はその後、観光都市レグザルへ移動した後の軌跡が不明……まあ、レグザルは人の出入りがかなり多い街ですし追跡情報が途切れても仕方ありませんが、気になるのはその後の行動です。この地に来て、突然また活発に能力を使い出している……それも、連日連夜。これは何か転機があったのではないかと思いまして。それがいい転機とは限りませんが」
どうやら、マスターが考えていたのは圧倒的に情報が少ない今現在の『日暮蓬』のことらしい。
確かに、見るべきは過去の記録ばかりじゃない。特に行動原理に関しては、古い情報を意識しすぎるのは危険だ。今の行動がその行動原理と一致しないということは、行動原理に変化が起きている可能性があるということ。さらに言えば、古い情報のまま予測を立てれば誤った選択をしかねないということなんだから。
「彼女の足取りが途絶えたこと、そしてその直前でカーリーさんという傷付けてはならないと認識する存在を意識したとすれば、それ以前に制御しきれていなかった能力を、少なくともある程度は制御できるようになったと推測できます。そうなれば、変装などで意図的に足取りを隠すこともできるでしょう。山火事などに負い目を感じていれば不思議なことはありません……逆に言えば、彼女は今、そうして一度は得たはずの自制をまた捨ててしまっている。その能力の本質が『彼女の身を護ること』に向いているとあれば……」
「……日暮蓬は、夜な夜な何かと戦ってるってこと? その何かを倒すために、ここに来た?」
「あるいは、避けられない戦いで被害を出さぬためにここに来たのやもしれません。ここなら、山火事の心配はないでしょう」
マスターにつられて、窓の外を見る。
下草すらほとんど生えない荒涼とした大地、細かい穴の無数に空いた溶岩がゴロゴロと転がり、なんとか馬車が通れるまでに整備されたこの一本道を除けば徒歩でも難しいと思える、自然そのままの峠。
数百年前にマグマに蹂躙されて森林なんて消え去った、硫黄の香りが僅かに漂う火山地帯。下が溶岩と火山灰の固まったコンクリートの混ぜ物ばっかりで岩場過ぎて木々の生えない延焼しない
「確かに、その通りかもね。『闇夜を赤く染めながら徘徊する火山地帯の炎の巨人』、絵になりすぎるけど、こういう場所以外でやられるよりはましだわ」
色褪せた看板には木目が透けて見え、薄く火山灰を被った屋根は灰色に煤けている。飾り気も遊びもなく、活気や繁栄という言葉からは程遠い衰退を感じさせる町。
火山地帯のど真ん中、標高低めなカルデラ地形の盆地に位置する小さな町『コーチェン』は、火山から得られる硫黄とか、建材やガラスの原料になる火山灰なんかを集めて商会へと売り出すための労働者の町だ。
成り立ちとしてはラタ市にも近いけど、こちらは純粋に原料生産だけで成り立っている過疎地域。盗賊なんてやったところで旅人もろくに近寄らないから儲けは出ないような土地だ。
当然、私たちみたいに外からくる冒険者なんてのもほとんどいない。予想通り、町の住民は閉鎖的な雰囲気で私たちを歓迎した。
「好きにしろ。宿は商会の業者のための所があるが、商会の許可証でねえなら高いぞ」
他の建物より少しだけ大きい町役場の一室。
粉塵で曇った窓を背にした初老の町長は、クロヌス領政府からの正式な調査許可証を見せても、ぶっきらぼうにそう言ってくるだけだった。
ここまで過疎地域だと、領主から受けている恩恵というのも意識できるほど強くないせいだろうけど、それにしたって仮にも『お偉いさん』の後ろ盾をちらつかせられているとは思えない対応だ。
これはむしろ、宿に泊まる方が危ないかもしれない。
「そうですか、では好きにさせていただきます。しかし……これは個人的な質問ですが、町長さん、お疲れですか? 目の下にクマがあるように見受けられますが、もしやお忙しい時期に来てしまいましたでしょうか」
「……ふん、あんたらが『あれ』をどうにかしてくれんなら構わねえ。こっちは、『あれ』のせいで夜もろくすっぽ安心して寝られねえんだ」
マスターの質問に対して、またもぶっきらぼうに答える町長。
懇願ではなく投げやりに聞こえるのは、私たちにどうにかできるなんて期待はしていないということだろうか。
「『あれ』、というのは炎の巨人さんですか。何か実害があったのですか?」
「……まだねえよ。だが、毎晩少しずつ、近くなってんだ……一昨日なんて、近付くだけじゃなくて足下をむちゃくちゃに殴って暴れやがった……そのうち、この町を襲いにくるんではと、どいつもこいつも気が気でねえ。昼間の仕事で疲れ切ってんのに、毎晩毎晩……」
語っているのは、おそらく真実。
この町が閉鎖的に感じるのは、余所者への拒絶感だけでなくそのストレスから来るピリピリとした緊張のせいもあるらしい。
「そうですか……では、この町から逃げ出す住人の方がいたりと、そういった形での間接的な被害が発生しているのですか?」
「町を逃げ出す? へっ、これだから余所者は……俺たちゃ、他に逃げ出す場所なんかねえ。ここで灰と石を荷車に積んで暮らすことしか知らねえ、だから困ってんのさ」
「そうですか。逃げ出す者がいて町の機能が低下して忙しいわけではなく、逃げ出せないからこそ心労が溜まっていると。何か……『対策』は、取られましたか?」
「……好きにしろと言ったろうが。さっさとどうにかしにいけ」
「なるほど、わかりました。では、行きましょうかテーレさん」
何かに納得したように踵を返すマスターに従う。
私にも、予想はつく。この手の話はよくある話……よくある、閉鎖的な環境で馬鹿な人間がやる、ありきたりな過ちの話だ。
「今日はまず、夜中に出るっていう怪物の姿を確認するとして……マスター、もう大体見当はついてるんでしょ? あんな質問をしたんだから」
「ええ、まあ一応『もしかしたら』と思う仮説はありますが確証はありませんし、語る段階ではありませんよ。はっきりした根拠もなく不確実な容疑で糾弾するのはよくありませんし」
「だったら、私が先に言うわ。根拠は長年人間を見てきた勘……というか、この手の人間コミュニティのやり方に詳しくなるからね、特に私みたいなのは」
「……どうぞ、意見の提示を」
「ありがと。おそらく、『日暮蓬』はこの町に一度、普通に人間として入って来てる。少なくともそれなりに友好的に。そうじゃなきゃ、こんな町はもう灰にされてるでしょうしね」
「やはりですか。まあ、私も『炎の巨人』ではなく『転生者』に仕事をスカウトしに来たという話をして即座にその二つが繋がる辺りは、そうなのだろうと思いますが」
夜な夜な巨人の姿で徘徊しているだけならば、おそらく『転生者』と言われてすぐにピンとは来ない。
建前と言うか、一応一般的には転生者と言うのは神々の御使い、利益や豊かさをもたらすものとされている。目の前で害悪をまき散らしている者の中に人間を見たとしても、それを『転生者』とすんなり認めるのは難しいだろう。
わかるとすれば、それは元々ただの人間として、友好的に接してきた段階があるのだろう。
「おそらくは、最初は転生者だってことすら抜きにして、単に移住希望者か何かとしてこの町に来た……理由は、ここなら他の転生者やなんかに絡まれる心配もないし、万が一暴走してもここなら被害は大して出ない。やろうと思えば、百人分くらいの力仕事ができるし、贅沢する気がなければ食べていくのにも苦労しない。火山灰なら、炎の巨人を使って運ぼうと燃えたりしないしね」
「けれど、彼女はここにいない。受け入れられることがなかったということですかね」
「……おそらくは『自分たちと違うから』、根本的にはそれだけの理由でね。ここは過疎地帯だけど、新しい住人を受け入れるような心の余裕が全くない。人を増やしていけばそれだけ栄える農村と違って、こういう採掘だけが取り得の町は限られた資源を掘り出すことで利益を出してるから、その採掘が難しくなってくれば誰もが町の『死期』を悟る。要するに、消費していくだけだからね。採掘も、楽な部分を取り終えればより深くて効率の悪い場所から取るしかなくなってくる。人が増えても楽にはならない、むしろ町の寿命が早まるから農村よりも閉鎖的な意識が余計に高くなる」
「しかも、ここは元からあまり外の人間が訪れる立地ではありませんしねえ。きっと、外から来たというだけで顔なじみの業者さん以外は別世界の人間のように見えるでしょう。そして……」
辺りを見回すと、物陰からさっと逃げていくような気配。
冒険者や『研究施設』の尾行なら、もっと上手く隠れるだろう。そこにあるのは、自分たちのほとんど知らない『外の世界』への恐怖や偏見……そして、自分たちの生活を壊されるかもしれないという、何かが変わってしまうことに関する拒絶感。
あるいは、自分たちを見下しているだろうと勝手に思っている『都会人』に対して抱いている、勝手に自分たちを最底辺だと思って、何を言ってもそれが許される免罪符になるという被害者妄想。
そんなもの、自分たちの生活の苦しさや先のなさ、その惨めさを他人のせいにしたがってるだけなのに。『上がいるから自分たちは何をしても這い上がれないんだ』とか、そんなの都会に出てから言ってみろって話なのに。まあ、そういう都会人もいるだろうけど、そうじゃないのもいるわけだし。
けれど、彼らは私たちを遠巻きに見るだけで何もしようとしない。
出て行けとも、何しに来たとも言わない。
これだけの空気の悪さなら、誰がやったかわからないような形で軽く嫌がらせをして『早く出ていけ』とアピールするのが自然だ。
そう、たとえば……
「『誰かが石を投げた』、そういうことですかね。具体的な行動は違うかもしれませんが、そのようなことでしょう」
偶然、投げたら届く場所にいたから。
普段から不満を抱いている対象の一部と認識できるものが、目の前に現れたから。それだけの、ただの八つ当たりだ。
けれど、今回はその相手が悪かった。
勇者になれると石を投げた相手は、それを気にしないようなのろまで鈍感な大人しい獣ではなく、静かに眠っているだけの猛獣だった。
「『間に合ってよかった』……そう言うべき段階か否かは、これからの私たちの行動次第ですね」




