第169話 『平和主義者』
side 荒野耕次
三年前……少なくとも、俺にとっての主観での、三年前のこと。
朝飯の最中につけたテレビで、『荒野耕大』という男が人を殺して捕まったというニュースを見た。
それは、上京した兄貴の名前だった。
兄貴は人を殺して、警察に自首して、後に死刑判決を受けた死刑囚になった。
だが、それを恥だと思ったことはない。
兄貴は、寡黙で不器用だったが、力持ちで、デカくて、優しくて、村のみんなから頼りにされる男だった。頭も悪くなくて、村の発展のために自分から都会に行った。
そして、兄貴は一人の女と恋をした。
その女は兄貴と会う前はたくさんの男をはべらせてチャラチャラしていたそうだが、兄貴との出会いから心を入れ替えて、兄貴と本気で付き合い始めたのだそうだ。
だが……ある日、その女は昔はべらせていた男共の逆恨みで囲まれて、命こそ取られんかったが酷い暴力を受けた。女として、ある意味殺されるよりも酷い仕打ちを受けたらしい。
兄貴はそれを知ったその日の内に、その男共を殴り殺した。石や鉄パイプなんかを使うこともなく、自分の拳で仇を討った。
俺の知る限り、兄貴は誰よりも力持ちだったが、それを暴力に使うことはなかった。兄貴は、襲われたのが自分自身だったなら何をされようとそんなことはしなかったと断言できる。
兄貴は、女のため、義を通すために拳を振るった。
その女がそれから先、そいつらに怯えなくていいようにした。面会に行った兄貴は、死刑が決まっていたのに、後悔はしていなかった。
ただ……
『耕次、お前は俺の真似をするな。お前は、争いを止められる男になれ。俺は結局、あいつを守れなかった……お前は、守りきれ』
俺は、兄貴の生き様を漢らしいと思った。
世間からどう呼ばれていようと、俺だけはその生き様を否定しない、否定させない生き方をしようと……『漢らしさ』を貫くことを誓った。
そして、同時に兄貴との約束も……争いを止められる男になることも誓った。俺が俺である限り、守るべきものを守りきると。
side 狂信者
まず前提として、荒野さんの能力は『結界を作る能力』です。
この『永遠の休戦地』と呼ばれている空間も、厳密には空間そのものを作り出しているわけではなく『結界』により範囲を区切り、その内部にルールを設定することで異空間のような特殊な環境を作っているだけです。
おそらく、ルール設定次第では不可能ではないかもしれませんが『対象物を結界で囲み、その結界を圧縮するか消滅させることで対象物を破壊する』というような使い方は基本的にできないでしょう。
故に、直接戦闘ではあまり活かされないタイプの能力かと思っていましたが……
「なるほど……『結界内のあらゆる流れを把握し操作できる』、そして『結界の大きさと出力が反比例する』。となれば、そういう使い方もあるのですか」
『石化』した拳を黒い丸太に打ち付けます。
荒野さんは武器持ちなのでナックルガード代わりの石化くらいはありかと思ってのことでしたが、帰ってきた手応えは予想とは異なるもの。というか、衝突したはずなのに手応えがなく、与えたはずの衝撃が完全に吸収されたとしか思えない感覚でした。
そして、返しで振り回された丸太の打点を『石化』した腕で受けると、まるで『石化した拳で殴られたような衝撃』が伝導して来ます。
初見では、丸太を軽々と振り回し地面を割る膂力は荒野さん自身の身体強化魔法か、この山を覆う大結界の内部では荒野さんが強くなるルールでもあるのかと思いましたが、それではなかったようです。
あの丸太に見えるものは、小規模の『結界』です。
おそらく、実体や重さはなく、荒野さんが掴んで振り回しているように見せているのは細かな座標指定を『手で掴んで動かす』という行為によって補助しているというだけでしょう。
一人分の『総意』で発揮できる出力を結界を可能な限り縮小することで必要な高さまで引き上げている。少なくとも、その内部での物理現象を掌握できるくらいに。
「受けたエネルギーの『流れ』を内部で操作して、敵に当てる瞬間にその一点にぶつける。他にも、受けた力を集約蓄積して一度に解放すれば先程の地面割りのような芸当もできるわけですか」
「ほう、何発かぶつかっただけでわかったんか。ま、隠しとるつもりはないんじゃがな。この形にしとるのは、わいが大工仕事でよう運んどった丸太がこんくらいだったからじゃ。一度もこれは武器じゃとはいっとらんやろが」
「そうですね……あなたは、隠すまでもなく強い。平和主義者であっても決してそれは無力故ではないのでしょう。少しやり取りしただけでもわかるほど、あなたの戦闘センスは単なる素人とは程遠い……それでいて、剣道や薙刀の技術でもなく、感覚的な運動神経だけで動いているらしいのが凄いところですよ」
能力の応用力、反射神経、戦闘の興奮に対するセルフコントロール、間合いの取り方。
私が前世の護身術やテーレさんから受けた訓練、そしてあの山での修業を経て修得したそれらを誰に習うまでもなく『こうした方が動きやすそうだ』という感覚で独特なバランスに噛み合わせている。一度も砲丸投げをしたことない陸上選手の卵がセンスだけでコーチより遠くへと砲丸を投げ飛ばしたという話を聞いたことがありますが、それと似た話かもしれません。
大結界は『内部の人数がより多く、心が一つなほど強くなる結界』という能力の裏をついて精神的な揺さぶりで割りましたが、逆に言えばあの丸太状の小結界にはその手の弱点はない。結界のルールを左右するのは荒野さんの意思のみであり、それ故の操作の自由度を範囲の圧縮によって遺憾なく発揮している。
となれば……
「さあ……いつまでも離れとっても、わいには勝てねぇんじゃよ!」
先端で地面を削り飛ばすように振るわれる小結界。
しかし、小結界には実体はなく、地面に『ぶつかる』必要はどこにもありません。
結界の表面の反発力と地面との接触で生じるべき『衝撃』を吸収、さらに通過過程で山の地面に特有のゴツゴツとした小石を結界に取り込み、こちらに向いた瞬間に蓄積した『衝撃』により小石を射出。
「ぐっ!」
防刃効果のあるテーレさん謹製のスータンで防御しましたが、威力は油断できません。
それに、こういった使い方ができるのなら小結界で衝撃を受け止め、その全てを石なりなんなりの射出に込めて一括返送ということもできます。そして、衝撃の蓄積は何も敵の攻撃でなくともいい。上限はあるのでしょうが、離れていればいくらでも『衝撃蓄積』してくださいというようなものです。
つまりは……
「接近戦で小結界の守りを掻い潜り、荒野さん本体を狙うのが最も確実と。なかなかに難しい問題ですね!」
小結界に蓄積されている衝撃が少ないタイミングを逃さず接近。当然、荒野さんも円柱状の小結界を武器として振り回して応戦してきますが……『衝撃を溜め込んで打ち返せる』ということは、『衝撃を溜め込んでいなければ攻撃力がない』ということ。打たれればこちらの動きを吸われますが、それは衝撃が吸収されるというだけでダメージはありません。
つまり……
「はあっ!」
「ぐっ!」
小結界を腕で受け止め、荒野さんの胴体を殴打。
小結界が実体のない結界だとしても座標指定のために円柱状の形態を保持している以上は防御範囲や動きもそのイメージに引っ張られます。
その隙間を突いた腹部への一撃、この世界でお師匠様やリザさんと共に鍛えたこの拳、防具なしの人間相手なら大抵の相手は昏倒するはずですが……
「おのれガリ勉ぽい癖に、結構いい拳持ってんじゃねえか!」
自ら小結界に蹴りを叩き込み、与えた衝撃でガードの上から私の身体を弾き飛ばす。
結界の扱いもさることながら、手応えはあったはずなのに対応があまりに早い。
「くっ……荒野さん、やっぱりかなり鍛えてますね。それに、誰かに師事したようには見えないのに能力を使った戦闘に慣れ過ぎてませんか?」
「ここに人が少なかった頃に色々来たんじゃよ。盗賊やら、わいを人攫い呼ばわりして話も聞かん冒険者やら、腕比べ挑んでくる転生者やらおったからのぉ。こっちが丸腰だってのに、刃物やら魔法やら好き放題に使いよるから嫌でも使い方くらい考えるわい」
「そうですね……因果応報、自分の振るった武器で傷付くというのが自業自得というのなら、まさに『正当防衛』ということでしょう」
相手の攻撃が強力なほど、それを蓄積してさらに強力な攻撃として打ち返すことができる。加えて本人の戦闘センスがあれば、身体強化系の転生者が相手でも勝てそうですね。
これでは私も『恩師の加護』は使えませんし。攻撃が強力になればそれだけ返しも強力になる。防御力も上がるとは思いますが複数回蓄積されれば絶対的に反撃の威力が防御力を抜くでしょうし、必要なのは単純な速度より動きの正確さです。
拳の『石化』を解除し、生身の拳を構えます。
打点を硬化して単純に威力を上げるよりも、小結界に衝撃を吸収される前に拳を退き、身体に命中した時だけ振り抜くという精密動作に気を割いた方が合理的です。
これならば、打ち返される攻撃力を抑えて荒野さんへ与えるダメージだけを上げることができるでしょう。
要するに、小細工抜きの殴り合いです。
「であれば、やはり拳に限る。仕切り直しましょう」
「おうっ!」
もう一度踏み込み、固く握った拳を振るいます。
今度は反撃に対して後退せず、小結界の防御の隙から荒野さんを殴打。
荒野さんも、防御した私の拳や自身の攻撃で小結界に溜め込んだ衝撃を小結界を通してこちらにぶつけてきます。小結界がある分、間合いを取って一方的に攻撃してくる手もあるはずですが、そんな『漢らしくない』小細工はこの空間にあり得ません。
荒野さんも誰かとこういったコミュニケーションができるのを待っていたのか、その攻撃に遠慮も迷いもありません。
「はぁぁああああああ!」
「おらぁぁああああああ!」
殴る、突かれる、殴り返す、打ち返される、踏み込む、ぶつかる、また殴る。
殺意こそありませんが、殴るのも打ち返されるのも本気。当然一撃ごとに痛みが走り、口の中を切ったのか血も出ているようですが……
「はぁ、はっ、はははははははっ!」
「らぁしゃぁぁああああははははっ!」
不思議と、可笑しくもないのに笑えてしまいます。
顔も身体も痛くて熱いのに、拳も一撃ごとに痛みが蓄積していって痺れてきているのに、それを苦痛と感じない。むしろ、この感触が、このダメージが、全て愛おしくてたまらない。
そう、これです。この結界の中には、これがなかった。
「荒野さん、私は今、あなたを見ています。ようやく、仲良くなれそうです。もっと早く、こうしたかった!」
「わいも、おのれみたいな気持ちいいやつだって最初からわかっとったらこうしとったと思うとるわ!」
『敵意』なき楽園。
確かに、『敵意』は争いの根幹にあるもの、人が人を傷つける動機の主となり得るもの。戦争を引き起こし、相手を傷付ける原因にもなるでしょう。
しかし、大別すれば『競争意識』や『挑戦心』もまた『敵意』を含むもの。
『相手よりも優れた結果を出したい』『他の誰よりもいいものを作ってみたい』というのも相手を理解しているが故のものであり、その意識をより高めるために相手を理解しようとするために『敵意』と呼べる感情が原動力。
私が、荒野さんよりもテーレさんに相応しい者になりたいと思ったように。そのために、荒野さんを超えるために決心を固められたように。
『敵意』は必ずしも悪意ではありません。
より善き世界を目指すのならば、悪習や偏見、そして前進を阻む壁とは戦わなければならないのですから。
しかし、楽しい時間が過ぎるのは速いもの。
ましてや、喧嘩ともなればダメージは蓄積し、全力であればあるほどその刻限は急速に迫ります。
幕切れのきっかけは、あっけなく訪れました。
「ぐっ……!」
荒野さんに打ち返された衝撃を回避し損ね、私の顔面に拳数発分の衝撃がヒット。
直撃とはいかなかったものの、額と瞼の皮膚が裂け、血が視界を塞ぎます。
一瞬でも視界が封じられてしまえば、インファイトの結末は言うまでもありません。
「さあ……わいの勝ちじゃぁあ!」
卑怯とは言いません。
荒野さんは喧嘩慣れしていたのか胴体に攻撃を受けることがあったとしても顔面は守られるように立ち回り続け、私のように視界を失ったり昏倒することのないように防いできた。作戦勝ちというのならそれででしょう。
しかし……これは転生者同士の喧嘩です。荒野さんがその利点を活かして、私がそうしてはならないということもないでしょう?
『マスター! 右足引いて思いっきり屈んで、11時の方向に全力アッパー!』
脳内に響いた思念に従って回避行動を取ると、額を衝撃が掠めて行ったのを感じました。
荒野さんは目の見えていないはずの私に回避できるはずもないと思ったのか、必殺の一撃のために踏み込んだまま足音が止まっています。
ならば、これを逃すことはありません。
「いいえ、『私たち』の勝利です」
振り抜いた拳に伝わる手応えは、紛れもなく荒野さんの意識の隙を突き、顎を突きあげたという結果を私に確信させました。




