第168話 喧嘩祭り
side 狂信者
そこら中の人々の影から沸き立ちつつある『黒鬼』の姿。
最初に見たときほどの即時性はありませんが、確実にそれらは実体を得ようとしています。
標的が誰か……などということは、今更問いかけるまでもありませんね。
「予想の範疇です。ええ、慌てることはありません」
そもそも、ここに入ってくる段階であの剣の少女……アヤメさんの攻撃により不安定になった結界の亀裂から飛び込んだようなものですし、既にここの住人の心にはこれまであり得なかった不安定さ……つまり、不穏な空気というものが生まれていた。
そして、そこに私からテーレさんへの告白です。
『ここより幸福な場所を探しに行こう』。
『与えられた幸福だけで満足していていいのか』。
それは、自分たちへの言葉でないとしても、この世界に疑問を抱かせるに足るものでしょう。自分自身が共感していなくても、他の誰かは共感してしまったかもしれない……それが、世界を壊してしまうかもしれない。ここに逃げ込んできた人々からすれば、その可能性すら廃したいのでしょう。
おそらくはここの住人の総意とは関係のない『無断侵入』以外に明確なルール違反をしていない私が相手なので、黒鬼の出現には時間がかかっているようですが、『総意』が私とテーレさんを排除……いいえ、外の世界への思いを奪い取りここに縛り付けよう、ここより幸福になれる場所が存在するなどという思想を根絶しようと思うのならば、黒鬼はその実現のために実体化することでしょう。
そうなれば、敗北は必至。
強固に統一された『総意』の具現である黒鬼に勝つ手段はないでしょう。
ならば、仕方がありません……この世界を壊します。
そもそも、たった二人や三人のイレギュラーを許容できない世界、その程度で揺らぐ世界が不合理なのです。ならば今ここで、叩き割るのも一つの解決法でしょう。
幸い、『迷子センター』の鬼も対処に困っているのか停止していますし、話せる限りは話させていただきましょう。
「さて、テーレがこちらに来てくださるまで、立ち去る前に一つ私見ですが、この世界の感想を述べさせていただきます。どうぞ聞き流していただき構いません……私が、思ったことを口にするだけです」
この結界、荒野耕次という転生者の能力の強みは、つまるところ『多くの人が心を一つにしていればそれだけ強くなる』というところです。
団結の力と言えば聞こえはいいですが、逆に言えばこの結界はその強度を維持するために心の在り方を『空気』によって強制している。『この争いのない世界が永遠に続いてほしい』という願いが『総意』となり、自らの動力源である住人達の心の在り方を制限している。
『総意』が『空気』を作り出し、『空気』が『総意』を縛っている。
この結界の中で『黒鬼』に勝つためには、その源である『総意』を揺らすべきです。
故に……少々、厳しいことを言いましょう。
「ここは、楽園なんかではありません。他の幸福の在り方を忘れさせ、外を争いの絶えない地獄だと思い込ませることで画一的な悦楽を至上の幸福に見せかける、停滞のための停滞を続ける家畜小屋です」
噓を口にするまでもありません。
最も人の心を逆撫でするのは根も葉もない批判や罵言ではなく、どうしても理性が納得してしまうような否定しようもない正論です。
「いつまでもいつまでも、毎日毎日、飽きもしないからと遊び続けていて恥ずかしくはないのですか! 『みんながそうしているから』と疑問も抱かず、場に流されて楽な道へ流れていることを自覚していないのですか! 外の世界で『弱者』だったからという言い訳をしながら、その『弱者』よりも惨めな卑怯者になっていくことに何故気付かないのですか!」
ええ、確かにそうでしょう。
荒野さんも言っていました。ここに集まるのは、より強く惹きつけられるのは、争いに飽き飽きした者だと。彼らは望んで、争いのない楽園を……『永遠の停戦地』を望んだのだと。
しかしですね……虐げられたことがあるからといって、他人を虐げてはいけないのですよ。
「集団圧力で思想を強制し、どうしても異を唱える者を排斥し、少数意見を総意ですり潰す! それは卑怯者のすることです! こんな酷い閉鎖郷は見たことがない!」
ここは酷い場所です。
どんな独裁国家よりも酷い。
なまじ、感情を奪い取る手段があるために、『楽しさ』を強制させる空気があるだけに、反感を抱くことすら許していない。
何よりも酷いのは、ここでは被害者であったはずの彼らが皆、加害者に……等しく、独裁者としての罪を背負ってしまうところです。
「本当はみなさん、わかっているはずでしょう! 黒い鬼はこの世界から生まれているのではなく、あなたが生み出しているのだと! ここの平和を維持するためにという名目で、世界を壊す危険もない小さな敵意にすら我先にと殺到して、外での鬱憤を晴らすように袋叩きにしているのでしょう! 『自分一人が悪いわけじゃないから』『直接手を下したのは鬼だから』、そんなことが正当な反論になるとでも思っているのですか!」
私は見ましたよ。
あの冒険者の方を取り囲んだ黒鬼が、人々の影から生まれ出た瞬間を。刃物を構えた冒険者を前にして恐れて逃げ惑うでも落ち着くように説得するのでもなく、見世物を楽しむように遠巻きに取り囲んでいたのを。
「外で何があったか、個々人がどんな苦しみを受けたのかは私にはわかりません。本当に刃や敵意にトラウマを持つ方も少なからずいるでしょう……しかし、本当にそれだけですか? 怖かったから敵意を取り上げたというだけですか? 違うでしょう……あなた方は、この世界のルールを通して本来は自分より強い『強者』を囲み殺せる状況を楽しんでしまっているのでしょう! 投げ返されない石を投げるのに酔ってしまっているのでしょう! 違うというのなら答えてください! 何故、鬼に襲わせるままにしているのですか? 自分たちで、その剣をしまえと説得しないのですか? 絶対にその刃が自分たちには届かないのをわかっているのに!」
この結界に誘い込まれ、閉じ込められた被害者など誰一人としていません。
私やアヤメさんのようにちょっと頑張ってその気になればいつだって外へと出られる程度の結界です。
ここはただ、場の空気に流された人々が『総意』という形で敵意を持ち込んだ新参者を責め立て、罪の意識を稀釈して『改心させた』と誤魔化しているだけの加害者の巣窟です。
『弱者であった』という大義名分で、直接的には何の恨みもない誰かを目の敵にして吊し上げるのは紛れもなく悪事です。
多数派だからと黙認されていても、法やルールが味方でも、裁かれることがなかろうと……それを黙認して加担している時点で、紛れもなく悪事なのです。自覚していなかろうと、自分が始めたシステムでなかろうと、受動的だろうと、世界をより善くしようとしないのは悪事なのです。
「外の世界でいじめられっ子だったからといって、今度は小さな世界を隔離してその中で『仲間外れ』をいじめ返して仕返しですか……酷くみっともない姿です」
もちろん、私がこんなことを言っても、ここにいる人々の全てが己を恥じ入ったり共感するということはないでしょう。
『自分はそうしても許されるだけの酷い仕打ちを受けてきた』、『所詮は何も知らない強者の綺麗事』、いくらでも『自分は悪くない』という理屈は見つけられるでしょう。器用な人は、きっと多数決に勝ち続けながらそうやって生きてきたのでしょう。
けれど……あなたは、そこまで器用な人に見えませんでした。
そうでしょう、荒野さん。
「あなたの言う『漢らしさ』とは、随分と汚いものですねえ。これがその結果だというのなら、私は女々しい男で構いませんよ……少なくとも、テーレさんが選んでくれたのはそんな私ですから」
バギッ、というプラスチックのケースが重荷に耐えかね割れた時のような音がしました。
間違いありません、結界の天井に亀裂が入っています。
アヤメさんの剣戟の直後の不安定化でも内側からは見えなかった外の光が、常夜の境界を貫いてこの世界へと射し込んでいます。
マイクもひび割れ、スピーカーから声が響くことはなくなりましたが、もう必要ありません。
既にこの世界は、崩壊が始まっているのですから。
「結局のところ、『総意』が力になると言っても、この世界で最大の権限を持つのはやはり能力者の荒野耕次さん……あなたの意向です。その意思に賛同する者が多いほど強くなる結界、あなたのカリスマ性を実行力に変える能力とも言えますが……逆に言えば、結界内の住人の『総意』とあなたの意向が食い違えば、この結界はいとも簡単にその強度を失う。そうでしょう?」
既に施設が崩壊消滅霧散しつつあり、木々も伐採されていたのか少々手荒な交流をする分には十分なスペースが確保された空き地に立つ、一人の男性。
真っ黒な丸太のようなものを地面に突き立て仁王立ちしているのは、紛れもなくこの結界の主……荒野耕次さんです。
「おのれは、頭良さそうに見えたんじゃがなあ? まさか、こんなことやらかすとは思わなかったがよ」
「はは、頭の良さには自信がありませんが、やらかすことにはそこそこ自信がありますよ。人とは無意識に妥協してしまうものですし、少しやり過ぎだと思う程度で丁度いいと思っていますから。必要とあらば、尚のこと」
「部屋に籠もって本ばっか読んで、綺麗事ばっか言って何もせんやつもおるでな。そういうやつは好かんが……おのれは、イカレとんのかもなあ。普通やらんで、女一人のために世界一つ……この山の『平和』をぶっ壊すなんてよお?」
「それに関しては先程マイクを通して言ったとおりですよ。ここは『永遠の停戦地』なんて呼ばれていますが、結局のところ『争い』や『敵意』が消えただけで『いじめ』が公然のものになっているようでは、ここは本当の楽園などではありません。反論も叛逆も抵抗も許されない、思考の自由すらない独裁国家のようなものです。そうでないというのなら、彼らはああして無理矢理に呼び出した『黒鬼』などではなく言葉で反論するべきでした。討論の一つくらい、私はお相手するつもりでしたよ。相手が何千人でかかってこようが、理論で論破されない限りは折れるつもりはありませんが」
「……そうじゃな。おのれの言葉は『敵意』じゃねえ。わいらを『叱りつけた』だけ、怒りをぶつけてスッキリするためじゃねえ、ただの『説教』じゃ。だから、鬼がすぐに出てこんかった。おのれは自分で正しいと思った理屈を、わいらのためを思って叫んだ……それだけじゃ。じゃが、わかってんのか? ここを壊すっつうことは、外での生きる場所を奪われたこいつらを、そこに追い返すっつうことじゃ。これから冬やぞ。飢えて凍えて死ぬやつもおるかもしれん、外に出たら絶望して首括るやつもおるかもしれんぞ。それ、わかってやってんのか?」
なるほど、それが理由でしたか。
どうして彼が『組合長』などという役割を嫌々ながらにやっているのかと思いましたが、そんなことでしたか。
はあ……ヤレヤレです。いえまあ、責任感が強いのは結構ですがねえ。
「そんなもの、こんな結界に頼らずに自分たちで『楽園』を作ればいいだけでしょうに。打ち壊された村や荒れ果てた故郷に帰れなどと言いませんよ。本当にここで心を一つにしていたというのなら、真に信頼し合う同志として力を合わせればいい話です。どうしても働くより死んだ方が幸福だという人は好きにさせなさい。本当に生き抜きたいというのなら、状況が厳しくなろうが自分で励むべきです。彼らに生きる意志があるのならそうするべきです。あなたがその全ての責任を背負うのは傲慢です……彼らは、あなたの賛同者であったとしても所有物ではないのですよ」
「……そうか。そうやな、こいつらからいろんなもんを奪っとったんは、わいの方か。それを、おのれのせいじゃと責めんのはお門違いじゃった。じゃがなっ!」
荒野さんが黒い丸太で地面を叩くと、周囲の地面に亀裂が走り、砂煙が舞い上がりました。明らかに人間の筋力ではないというか、単純な腕力以外の力を纏っているようですね。
物々しい雰囲気からそんな気はしていましたが……やはり、そうなりますか。
「わりぃな狂信者! わいはこの祭りの主催者として、この山の頭として、はいそうですかとこの祭りを終わらせるわけにはいかんのじゃ! ディベートとやらは苦手だから勘弁じゃが、鬼は使わん、また追い出したりもせん……同じ転生者同士、殴り合おうてくれんねぇか?」
憎悪のぶつけ合いではなく、メンツや立場の問題。
交渉の一形態、ケジメとしての決闘ですか。
平和的にテーレさんを連れて帰れるのならそれでいいかとも思っていましたが、まあ、それもいいでしょう。
こちらもいきなりテーレさんを取られそうになって心穏やかではありませんでしたし、拳を握るには十分な動機と感情はありますよ。
「殺し合いではなくただの喧嘩、暴力の強さを比べるのではなく意志の強さを比べようということなら請け負いましょう。あなたのような真っ直ぐな人はとても好ましい」
ヒロインを取り合って拳で語り合いというのは定番です。
祭りの最後を締め括る最後のイベント『喧嘩祭り』といきましょうか。
『ちょっと頑張ってその気になればいつだって外へと出られる程度の結界(当社比)』




