第9話 『餓離の実』
side テーレ
「あ、朝! しまった!」
思ったより深く眠ってしまった。
本当は、最低限の時間だけ眠って早く起きて警戒するはずだったのに。
昨日はギルドで『測定結晶』を割るほどの潜在能力があると周囲に印象付けてしまった。それ自体は計画通りだけれど、その才能を危険視する人間がいないとも限らないし、転生者を敵視する勢力もないわけじゃない。
だから、私が警戒するつもりだったのに。
飛び起きて、隣の個室へと歩を進める。
私が現世に存在している以上、あいつが生きているのは間違いない。
奇跡みたいに何事もなく最初の夜を越していてくれればいいけど……
「おや、テーレさん。おはようございます。そんなに急がなくても朝食は残っていますよ。はい、テーレさんの分のパンです。よく噛んでお食べください」
……普通に生きてる。
心配して損した。
「はあ……おはよう。うん、お気楽でいいねあなたは」
襲撃の痕跡もないし、何かあった様子もない。
何もなかったみたいだ。
「何やら心配をおかけしてしまったようで。謝罪として血を……」
「もしかして『ブラッド・ブレッド』っていうダジャレのつもり? 別にそんなことしなくていいから、そのままパンちょうだい。あと、この後市場行くから、無理して食べなくてもいいよ。固いでしょそれ。あなたのいた世界のより美味しくはないと思うけど」
「そうですか? 歯ごたえがあっていいと思いますが。それに顎が鍛えられます」
「だったらいいけど。傷は治った?」
「はい、この通りばっちり痕も残さず治りました。この世界の医療技術は素晴らしいですね」
「まあね。でも、いつでも簡単に傷が治せるわけじゃないし、致命傷なら治療の間もなくに死ぬかもしれないからね。今日はまず、そのための備えをするよ」
「というと……」
バックパックの中を確認する。
……うん、盗まれてない。
とりあえず今日必要なのは、この世界ではそこそこ換金率が高くて、尚且つ旅人でもいくつか持っていても怪しまれない程度の宝石や貴金属の粒。
「装備品を買うよ。準備して」
この『ラタ市』は薬草と鉄の街なんてよく呼ばれる。
理由は簡単、その二つが特産品だから。
元々、鉄鉱石の取れる鉱山の麓にあった採掘場が拡張されて作られたこの街は、周囲が深い森に囲まれていることもあって、森を切り開く時の副産物として取れる木材、採取される薬草に関係する産業が盛んになった。
今では、冒険者の装備や薬品の補給地点としてこの森林地帯を抜ける者たちから外貨を手に入れている。
製鉄所は小規模で、薬の工房も最新技術が頻繁に入ってくる大都市よりは技術が古いから商品の質はさほど良くないけれど、そこは私の目利きと装備作成系のスキルで何とかする。
とりあえず、攻撃のための武器はどうでもいい。私は持参した短剣があるし、ここらのモンスターなら素手でも問題ない。
でも、丈夫な防具はかさばるから持ってこられなかった。特別なマジックアイテムとかもさすがに『従者の持ち物』として用意してくるには無理があった。だからまずは、死なせないための防具を揃えなければいけない。
「欲を言えば全身板金鎧……は、さすがに悪目立ちしそうだし、服の下に着られる鎖帷子とかから始めようか」
何より重要なことは、流れ弾や不意打ちでこいつが死なないこと。
できるだけ防御力が高くて、でもできれば臆病者だと噂にならない程度に大げさじゃない控え目な防具一式。
それに、あまり派手で重い装備だと動きが悪くなってモンスターとは関係のない事故で死なれても困る。いくら人間が多少強靭になっていると言っても、分厚い鎧で全身を包んだまま高所から落ちたり水没したりして死ぬ人間もいるわけだし。
最低限動けるくらいの重さを考えれば、やっぱり鎖帷子までが限度だ。
「この市場は街公認の商店が並んでるけど、値段と品質はマチマチ。日本のように安ければ安いほど得なわけでも、高ければ質がいいとも限らないから、勝手に選ばないでね」
「了解しました。それにしても、映画で見たヨーロッパの露天市場を思い出しますね。鑑賞用ではなく実用目的の剣や盾が置いてあるのは少し違いますが……今にも無法者と美男子の追走劇が始まりそうですね」
こいつは本当にお気楽だ。
私は最適な装備品を探して目をそこかしこの商店に向けて走らせているのに。
「映画の見過ぎ。これがここの日常なんだからそんな簡単に変なイベントが起こるわけないでしょ」
「そうなのですか? これが日常とは、なんとも騒がしい世界ですね。おっと、テーレさん。少し道の端へ寄ってください。ぶつかりますよ」
「え、いきなり……」
道の端へ寄れと言われればそうするしかない。
突然のことに少し困惑しながら道の端へ寄る。
すると……
「おいあんた! そのコートくれ! 代わりにこれをやる!」
「はい、お急ぎの様子。丁度、装備を新調する予定でしたので」
「お、おう! じゃあな!」
明らかに不利な交換を手早く済ませて走り去る容姿の整った男。そして、向こう側から何やら恐ろしい形相で走ってくる三人の男。
ていうか……
「今にもっていうのは比喩じゃなかったの!? 紛らわしいわ!」
こいつ本当に騒ぎが起こり始めてるのを見ながらテンション変えずに言ってたのか。
というか私に避けさせておいて自分は絡まれて……いや、もしかして自分に向けて走ってきてるのを察したから?
というか、追われてる人間と服の交換に応じるっていうのは……
「さあ、テーレさん。私たちはあっちへ走りましょうか。コートはなかなか上物のようですし、差額分くらいは働きましょう」
「なんでそんな躊躇いなく厄介ごとを受け入れられるのかなこの人!」
というか平然と逃走者に加担するな。どっちが悪いやつかなんてわからないのに。
こいつはどうして私の計画通りに動いてくれないんだろうか。
side 狂信者
さて、何故に彼を手伝ったかと言えば、彼が背格好の似ている私を見て走ってきたこと。そして、三対一だったことです。
だって、バランスが悪いじゃないですか。
こちら側に私とテーレさんが入れば丁度同数になります。事情は知りませんが、ここで彼が追いつかれて争いになれば、追われていた彼は周囲の事物を全て使って迎撃しなければなりません。
数的不利である以上、そうすることができる。そうするべき義務がある。
ならば、せっかく関わる機会をくださったわけですし、争いを市場の外へ誘導した方が迷惑がかからないと思ったのです。
「全く、後先考えずに動くのやめてよ……追われてた方はわからないけど、追ってるやつらは盗賊だよ。この街の低層民の内、無気力なスラム暮らしを選んだのとは逆に、徒党を組んで武力で食いつなごうとする元奴隷。この街は鉱山奴隷が多かったから、力自慢の盗賊も多いんだよ。鉱山奴隷は犯罪者が落とされる地位でもあったから」
『盗賊』ですか。
ゲームではモンスターとして森に出ることもありますが、人間らしい生活をしているのなら、確かに街中にいてもおかしくないですよね。
「なるほど、しかしこんな白昼堂々と盗賊が出るとは、この街は存外治安が悪いのですね」
「普段は街の外の森の中に出るらしいけどね。坑道のどこかが街の外に繋がってるらしくて、宿代をケチって森で野宿した冒険者は大抵二度と森から出てこないって言われてるらしい。ギルドの掲示板に書いてあった」
「ふむふむなるほど。この街を囲う森全体を縄張りとする盗賊団ですか。では、大方アジトは森に点在していて、この街の中まで来るのは補給品の入手のためといったところですかね。ところで脇腹が痛いです。そろそろ下ろしてもらってもいいですか?」
「ダメ。私が担いだ方が速いから」
ちなみに、今の態勢は米俵のようにテーレさんの肩の上に担ぎ上げられた状態です。
うむ、テーレさんのか細い肩が鋭くてしかも腕の締め付けが強いのでとても痛い。
「先ほど屋根に跳んだとき肩が鳩尾に刺さって結構なダメージだったのですが。昨日の爆発より響く痛みだったのですが」
「自分が招き入れた厄介ごとに文句言わない。ほら、さっさとそれ脱ぐ。また見つかったら面倒だから。上等な服ではあっても戦闘装備にはならないし、適当なところで捨てるか売って処分した方がいい」
せっかく貰ったもの早々に処分するというのは心苦しいですが、テーレさんがそういうのならそうしましょう。先程も急に声をかけて迷惑をおかけしましたし。
ようやく下ろしてもらい、なかなかの手触りのコートを……
「……おや? テーレさん。ポケットにいくつか物が入っているようです。出してみてもいいですか?」
「いいよ。爆弾とかの気配はないし」
「では……ええと、丸い石と模様のかかれた木片と紙切れ、それに銅貨が数枚ですか。いや、石にしては妙に軽いですね」
まあ、服とともに手放していいと考えていたようですし、貴重なものはありませんか。
「それ、石じゃなくて木の実。ガリの実って呼ばれるこの世界の植物だよ。安いし潰れないから携行食として持ち歩いてたんだろうけど……食べ物としてはあんまり人気じゃないかな」
「食物として人気ではないから『ガリ』なのか、それとも実が硬いために擬音としての『ガリ』と名付けられただけなのか非常に気になる翻訳結果ですね」
なるほど、確かに木の実と言われれば納得です。
胡桃より二周りほど大きい木質の球体に見えますが、よくよく見れば繊維質の模様が見えます。
胡桃のような殻に守られた種……いえ、振っても中が動いた感覚はありませんし、中まで実が詰まっているようです。
「食べ物として人気がないというのは、弱い毒性があるとかですか?」
「毒はない。けど固い。そして美味しくない。樹も丈夫でどこにでも生えるし実もたくさん生るし保存も利く。だけど固い。美味しくない。だからまともな収入のある人はほとんど食べない。銅貨一枚で三個くらいは買えるからスラム暮らしの低層民はよく食べるけど、やっぱり固い」
とにかく『固い』と『美味しくない』は繰り返し言いたくなる程度には確実なようですね。
あとテーレさん、何か嫌な思い出でもあるのでしょうか。口に入れてもいないのに苦い顔をしていますが。
まあ、百聞は一見に如かず、味に関して言えば百見は一咀嚼にも満たないでしょうし、毒性がないというのなら食べてみましょうか。コートと共にもらったわけですし。
「どれどれ、では失礼して……なるほど、確かに固い。固形のペットフードの粒を大きな玉にしたらこんな感じでしょうか。味はジャガイモと大豆とニンジンを足して二で割って残りを圧縮したような味ですね。そして固い。確かに食べやすくはないですが……悪くない。日本人の手の入っていない、この世界に元からある味ですね。テーレさんも食べますか?」
「私はいらない。ところで、その木片だけど、少し見せて」
「はいどうぞ。こちらの紙は……メモのようですね。簡単な住所と、店の名前ですか。その木片とセットのようです」
「そう……ただの板の切れ端みたいだし、割れてるし、大した意味はないんじゃない? さっさと処分しちゃおうか」
「いえいえ、お待ちくださいテーレさん。店の住所とセットであったならば、これは予約券のようなものかもしれません。勝手に捨ててはマズいでしょう。それに、彼が追われていた理由もわかるかもしれませんし、行ってみる価値はあるのでは?」
「それ、価値っていうほどの物じゃないし。というか、今日は装備を買いに来たって言ったでしょ。そんなどこかもよくわからない店を探す時間なんてないから」
「いえいえ、そんなことはありませんよ。探す必要なんてありませんし」
店の名前を見て、気になってはいたんです。
せっかくなので、この機にもう一度訪ねてみようかと思いまして。
「昨日、一度行った店です。場所はすぐにわかりますよ」
「あんた……ラクタから聞いたぞ。騙しやがったな?」
おっと、質屋さんは何やら不機嫌なご様子。
しかし怒鳴り立てないあたり騙し騙されが責められない世界で商売をしている自覚があるのでしょう。私は騙してはいませんが。
「何のことでしょう? 青痣を作ってしまったことは謝罪しましたし、私の服装はこの辺では珍妙では?」
少なくとも私の側としては嘘を明言してはいないはずですが。ただ、答えなかった質問と視点が曖昧な表現があったというだけで。
「……ふん。まあいい。噂は聞いてる。あの紙切れはあんたが有名になったらその手のマニアに高く売ってやるさ。で、今日は何をしにきた? 隣の彼女と好きなだけご休憩できる空き家くらいなら紹介してやるぜ?」
「それはまたの機会に。今回はこんなものを持ってきました」
「また何か売りつけようってか?」
「さてどうでしょう?」
木片を出すと、店主の顔色が変わりましたね。
やはりでしたか。
「これは割り符ですね? 模様を書いて割った木片を一致させる、仲間の確認などに使うものです。偶然手に入れたのですが」
「てめえ……いや、いい。誰であれ、それを持ってきたら案内してやる決まりだ。ついて来い」
「では行きましょうか。もちろん、テーレさんも一緒でいいですよね?」
「好きにしろ。こっちだ」
棚がスライドすると地下への階段が……ロマンですね。ワクワクします。
すんなりついて行く私に不満そうなテーレさんは、危険かもしれないのに何故ホイホイついていくのかという気持ちでしょうか。
心配してくださるのは嬉しいのですが……
「テーレさん。これは縁というものだと思うのですよ。ラクタさんに紹介してもらった店で使える割り符が偶然に手に入ったのですから。女神ディーレが幸運の女神なら、この流れに乗るべきだと思ったのです」
「……」
「しかし、テーレさんの懸念ももっともです。なので、私を護りきれなくなると判断したらその前に必要と思う動きをしてください。私がこの世界で一番信用し、信頼し、信愛しているのはテーレさんですから。今日は武器防具装備を手に入れるために来ましたが、結局のところどんな鎧や名刀よりもテーレさんが頼りになることはわかっています」
隠し事をしないとは言いませんが。
そこはテーレさんも何かを隠しているのでお相子ということで。
「そんなの……当たり前だし。死なせるわけにはいかないんだから」
「おいおい! あんたらノロケるのは後にしろよ。着いたぞ」
通されたのは、どうやらもう一つの店頭のようです。
表の店にはそこらから拾ってきたまだ使えそうなものが置いてある感じでしたが、こちらは……
「おらよ。会員様限定の特別な品だ。仕入れのルートは勿論秘密、ここで買ったことを外に洩らすのも禁止だ。そこらの森で拾ったことにでもしておけ」
なるほど……いい品々です。
しかし、血の香りが強いですね。
「……盗品倉。それも、こそ泥がスリや置き引きで手に入れるわけがないような、冒険者の装備や戦利品。レアなモンスターの毛皮なんかもある。どうやって手に入れたのやら」
テーレさんの呆れ顔と言葉から察するに、そういう店なのでしょう。おおこわいこわい。
しかし品揃えと品物の質は表通りの市場とは比べ物にならないものでしょう。
「探りを入れるのはお勧めしねえぜ。その珍妙な服がここに並ぶことになるし、女は……まあ、楽しくはないだろうな」
ここから無事に帰さない……という意味ではありませんね。
街に出ても、街の外に出ても安全ではないと。
「なるほど。それはともかく、テーレさん。何かいい装備はありますか? 私は目利きできないのでお任せします」
「え! ここで買うの? 明らかにこれ死んだ人間から……」
「ときに、テーレさんは糞掃衣というものをご存知ですか? 大昔の高僧が墓地で拾った布を繕った服ですが……」
まあ、別に私は仏教徒というわけではありませんが。
しかし、先達の再利用を嫌がるほど新し物好きではありません。
「……まあ、あなたがそれでいいなら構わないけど。他の転生者は結構気持ち悪いとか言うよ?」
「テーレさん。死人の服がどうこうというのなら私ほど適切な着用者はいないのでは? 私、実際に一度死んでますし」
「……このモンスターの皮と脱け殻、それとそっちの糸。『ゲリラスパイダー』の巣の糸。後は市場で道具を買ったら宿で私が作る。明日までにはできるからそれでいい?」
「そうですか。テーレさんは裁縫までできるんですね。さすがです。あ、テーレさん自身の装備もちゃんと買わないといけませんね。さすがに二着作るのは手間でしょうから……」
「いい、そっちも自分で作るから。余計なこと言わないで」
ふむ、テーレさんは古着は好まないタイプでしたか。
まあ、女の子ですから、洋服は新品がいいというのもわかります。
何はともあれ、装備の目処が付いて何より。
これも偶然の出会いの産物、つまりは幸運、つまりは、女神ディーレの御加護です。
ディーレ様に深い感謝を捧げましょう。




