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転生してもニートだった

作者: 黙示

 俺は高校を卒業して3年、1度も働いたことがない。

現在は単身赴任の父とパートで働く母の収入と寝たきりの祖母の年金で生活している。

すっげー快適。


「ん゛ーーー」


長いこと見続けていたアニメ(全24話)をやっと見終わり体を伸ばす。

散らかった部屋に無造作に置かれたコンビニ袋を足で引き寄せる。

中を探るが全てゴミだった。この部屋に他に食べ物はない。

あー......面倒臭い。

だがお腹が空いたので買い出しに行く事にした。

俺は部屋着の上に適当なジャケットを羽織ると、ポケットに金を突っ込んで部屋を出た。

まぶし!

どうやら昼だったようだ。

カーテンを全て閉ざした暗い部屋は24時間365日真夜中だ。

俺は目を細めながら玄関を出た。






 カップ麺が10個、スナック菓子が5個、2リットルペットボトルのお茶が3本入った重い袋を携えて、約500メートルの帰路をのそのそと歩く。

『リクルート』なんて表紙に書いてある雑誌が視界に入って鼻を鳴らす。

バカバカし。

そのとき、前方が眩しい光に包まれた。

目が眩む。

遅れて耳にブーーー!!!と割れんばかりのクラクション音が届く。

頭が揺れる。

なに?なになになになに?

光が2つの光源から発せられているのが目視出来たとき、それが車だとわかった。

ゴンッ!

内側に鈍い音が反響した。

ブツンと意識が途切れた。






 ぼんやりとした視界に知らない天井が映る。

結構意識はハッキリしていて、自分が交通事故に合ったことは理解していた。

てことはここは病院か?

体には全く痛みがなかった。

俺は上半身を起こす。

病院......ではないみたいだ。

木を基調とした壁と床。素朴な机に窓。

何度か目を擦ると近くもはっきり見えてきた。

俺はどうやらベッドに座っているようだ。

俺はベッドから出る。

360度見回してみたが、ここは(物は少ないが)一般的な庶民の一人部屋、という感じだった。

どこだここ。

視界の端でチラチラと何かが動く。

鏡だ。

机の上に置かれた鏡の中で青いものが動いている。

何だ?

近づいて覗き込むと、そこには青髪赤眼の青年がいた。


「ん?」


俺は口をぱくぱく動かしてみる。

すると、鏡の中の青年も同じように動く。

手を上げてみる。

鏡の青年も同時に向かいの手が上がった。

これ俺............?

マジか。これあれか、転生か。転生だ。異世界転生だ!!マジか!!!

俺は一瞬で覚醒した頭をぐるりと回す。

明るい光の差し込む窓があった。

急いで駆け寄って外を見た。


視界一杯に白い石で作られた建物が広がっていた。

日の光を受けて遠くまでキラキラと光っている。

まるでヨーロッパの町並みだ。

この部屋は2階にあるようだった。

下を覗く。

同じく石畳の大通りがあった。

沢山の人がひしめき合って行ったり来たりしている。

人が......人!?

俺は目を見張る。

道には耳の尖った者、肌が毛で覆われた者、翼が付いている者、2足で歩く獣のような者...およそ人とは言い難い生物が入り乱れ、闊歩していた。

おおー!ぽい!っぽい!

赤、黄、青、緑……様々な色の部位が白い背景に映えて面白かった。

ところどころの煙突から煙が上がり、飯時の浮足立った空気と喧噪が満ちていた。

なんだろうか。美味しそうな匂いが鼻を抜ける。

ぐう~。

腹が鳴った。

そういえば昼飯まだだったな。どうしよう。

そう思ったとき後ろから声がした。


「ジニー。ご飯ここ置いとくからねー」


扉の外でゴトリと床に物が置かれる音がした。

ごはん!


「お母さん今日夜用事あるから夜ご飯適当に食べてね」


ジニーって俺のことか。

というかこの、この感じなんかすげぇ既視感。

足音が遠ざかっていく。

俺は走り寄ってドアを開けた。

青い、長い髪が軽快に揺れて俺を振り返る。

鏡の中の俺にそっくりな骨格に赤い目とふくよかな肉をつけた人間のおばさんがいた。

おばさん……多分お母さん、は目を見開く。


「熱は大丈夫なの?大丈夫ならたまには外出たらどうなの?いい歳して仕事もしないで毎日だらだらしてばっかりいて――」

「あーはいはいそのうちね」


俺は足元に置いてあったお盆をもってサッと扉を閉めた。

そのまま扉を背にずるずると座り込む。


まて、まてまてまてまて。

この既視感……まるで俺……。

いやいやいやいやいや。

俺、転生してまでニートなのかよ!

勇者とかがよかったよ!!


……まあ母ちゃんより口うるさいけど養ってくれそうだし、いっか。

取りあえず飯食お。

俺は気を取り直して、お盆を前に正座した。

肉だ。

見た目にはただのステーキだ。

お盆には皿が1つとコップが1つ乗っていた。

大皿の上には漫画とかでよく見る肉の塊をそのまま焼いた、みたいな料理が盛ってあった。

白飯は無しか。

一緒にあったフォークで肉を刺す。

豪快に一口、放り込む。

ブへッ!!!!

思わず吐き出してしまった。

なんて不味さだ!!!!!

生臭さと得体のしれないエグみとなんともいえない味が合わさって吐き気を催す。

俺は咄嗟にコップを手に取った。

ごくごくごくっ。

液体をのどに流し込む。

よかった。

どうやらこっちはただの水っぽい。

俺は目の前に残った大きな肉塊を見据える。

それだけで先ほどの気持ち悪さが口内に蘇ってきた。

くそっ!こんなん食べてられっか!

俺は部屋を飛び出した。


勢いで飛び出してきてしまったが、俺の判断は正しかったと思う。

取りあえず言葉は通じるし、何より外には美味しそうな香りが充満していた。

俺は部屋から見たあの大通りを歩いていた。

上から見たのとはまた違って、横を通り抜けていく異形たちは見ごたえがあった。

おお~。

仰天しながら歩いていると転びそうだ。

運よく履いていたズボンのポケットに硬貨のようなものが入っていた。

これで何か食べれるだろ。

あ、あそこよさそう。

少し先に、大衆食堂のような雰囲気の食べ物屋があった。

より一層甘タレのような濃い匂いが強くなる。

中を覗くと、メイド姿の女たちが給仕していた。

ほう。

ここに決めた。

ドアを押して入る。


「いらっしゃいませー!」


複数の元気な声が俺を迎える。

ジョッキ片手に騒いでるやつがちらほらいるし、大きな声で笑っているし、メイドさんと親しげに話している客もいる。

やっぱここは地元に愛される系の店っぽい。

入ってすぐにカウンターがあり、向かいでメイドさんが俺を見ていた。

ここはレジか?

俺はポケットから硬貨を出すとカウンターに置いた。


「これで買えるやつください」


メイドさんは怪訝そうな顔をしたがそこは接客業。

すぐに笑顔に切り替えて、「では本日のランチAでどうでしょう」と言った。

俺が頷くとメイドさんは硬貨を受け取って、お釣りをくれた。

足りてよかった。


「お好きな席へどうぞ」


と言われましても。

その店は繁盛していてなかなか空いている席が見つからなかった。


「ご馳走様ー」

「ありがとうございました!」


ごっついおじさんが立ち上がって、(多分)レジへ向かっていく。

ラッキー。

俺は隅の席につくことができた。

ふー。

やっと落ち着いた。

海で拾ってきたみたいなごつい木目の木の机は傷やへこみが目立った。

日本だったら多分クレーム入ってる。

けれど、それ以外は普通の居酒屋のようだった。

壁には読めないけどなにやらメニューが書かれた短冊が所狭しと貼ってあった。

机の端にはフォークが入った筒やタレが置いてあった。

小さな店に入りきらないくらい大きな笑い声や話し声がそこここで湧き上がっていた。

食器がぶつかる音や足音、飲み下す音、沢山の音が鳴っていた。

なにより空腹を刺激する美味しそうな匂いが立ち込めていた。

はやく来ないかな~。

俺はフォークを持つと、ランチが来るのを今か今かと待った。

あ、こっち来る。

メイドさんの中でも一際存在感の強い赤髪のメイドさんがお盆をもって歩いていた。

耳まで隠れる大きな帽子から出た毛量の多い髪をゆっさゆっさ揺らし、大きなお尻をぷりぷりさせて近づいてくる。

お尻と一緒に尻尾も揺れていた。

背もたけぇ。

ビッグなお胸は近づくほど大きくなっていった。


「ランチAお待たせいたしました!」


赤髪のメイドさんは俺の座る机までくると、ドンッとどんぶりを俺の前に置いた。

ニコッと笑って身を翻す。

八重歯がキラリと光った。

美人~~~~~!


よし、食べよう。

俺は手を合わせる。

どんぶりの中にはビーフシチューのような赤く、ドロドロの液体が入っていた。

角切りの具材が突き立てたフォークに刺さる。

いただきまーす。


「ブフウッ!!!!マッズ!!!!」


またか!またなのか!

吐き出してしまった。

俺は一緒に運ばれてきた水をがぶ飲みする。

なんなんだこれ、なんでこんな不味いんだ!

盛大に裏切られた気分だ。

涙の出た目を拭う。

匂いはこんなにウマそうなのに!

くそっ!こんな店出てやる!いい加減腹減ったんだよ!何か食わせろ!

俺が立ち上がろうと顔を上げると、隣に恐ろしい形相があった。


「わ!」


思わず腰を抜かしてしまう。

立ち上がることができない。


「おいテメエなにやってんだ」


赤髪のメイドだった。

あんなに綺麗だった顔が吊り上がり、殺さんとばかりに俺を見下ろしている。

地から轟くような低い唸り声で俺を圧する。

怖いっ。

脇に抱えられたお盆がビキビキと音を立てている。

周りの客がわらわらと俺を見た。


「何だ何だ?」

「こいつ、アカコちゃんの前で料理を不味いと言いやがったんだ」

「そりゃいかん」

「やっちまったな」

「殺されるぞ~」


殺される?

マジで?

だが客たちは面白そうに見ているだけだ。

俺が殺されるところを肴に酒を飲むつもりなんだ!

アカコと呼ばれたメイドはドスン!!と俺の向かいに座った。

俺が座ってる椅子まで揺れた。

ひいいい。

アカコが手を振り上げた。

死ぬ!

ドン!

ガチャン!

机が振動して、食器が跳ねた。

アカコは机に手を叩き付けていた。

恐る恐る顔を上げた俺を眼光鋭く睨み付けると、


「食え」


と、どんぶりを突き出した。

アカコの手の下からは湯気が立ち、机は抉れていた。

ビーンと背筋が凍る。

俺は急いでどんぶりを抱えた。


「い、いただきます……」


無意識に声が震える。

俺は客だぞ!なんでこんな不味いの無理して食わなきゃいけねんだよ!!

心の中では反撃するものの、体はアカコに従うしかなかった。

目の前で俺が食べるのを今か今かと待っている。

少しだけフォークに乗せ、汁をひと舐め。

マッズ!!

なんとか声に出すことは避けた。

チラリとアカコを覗く。

アカコは変わらず俺を見据えていた。

いつの間にか伸びていた爪はひと裂きで出血多量で死に至りそうな立派なものだった。

悪寒が走る。

アカコの口が開いた。


「最後まで食えよ」


マジか。

地獄が始まった。


「私はアカコ。ダンさんが丹精込めて作ってくれた料理なんだから残さず食えよ」


お客様は神様なんだぞ!

丹精込めたって愛情込めたって高級食材使ったってなあ!美味くなきゃ意味ねんだよ!


「ジニーです……」

「折角人間が来たのにこんななんて……」


クソ。

吐き気を催しながらも、一口一口着実に口に運んでいく。

アカコはしゃべるのが好きなようで、俺を後目に一人で勝手におしゃべりを始めた。


「今日はいい肉が入ったんだー!何でも遠方の町で竜を討伐したそうでさ!ホントは竜なんて高級すぎて食べれないんだけど、そこはさすが店長。特殊なルートで手に入れてくれたんだー。しかも安く!竜って変な臭みがないでしょ?歯ごたえも良いし、おいしいよね!」

「これ竜なんですか?」


それでいて俺が橋を休めて話かけると睨んでくる。


「そうだよ。知らずに注文したの?どこまでもサイテー」


メニューを見ずに注文することのどこが最低なんだ。

嫌いな奴だからって何でもかんでも悪にするな。

てかこれ竜なのか。思いっきり臭えよ。


「おいしいでしょ」


お世辞にもおいしいなんて言えないし、言いたくもない。

俺は究極に小さく頷いた。

精神的には下を見ただけだ。


 あれから何時間たったろう。

向かいには懲りずに俺を見下ろすアカコがいる。

そして目の前には半分ほどになったシチュー。

全然減らねえ……。

不幸中の幸いなことには、味覚が麻痺してきていることだ。

吐き気はあるけれど、それさえ耐えればなんとかなる。

大丈夫。もうちょっとだ!

己を鼓舞する俺の前に癒しが現れた。

スラッと背が高く、麗しい長髪をたたえた美人が入店してきたのだ。

遠くの席に座ってしまったが、見ているだけで心が穏やかになるほどのオーラを放っていた。


「綺麗ー」


アカコが俺の視線を追う。


「ああ、エルフね」

「エルフ!」


よく見ると確かに耳が尖がっている!

この世界にはエルフが存在するんだ!!

一瞬で疲れが吹き飛んだ気がした。


「この街はいいよねえ。いろんな種族が共存してる。上位種族も雑種がやってる店に来てくれるし、雑種が上位種族の店に行っても普通のお客さんみたいに接してくれるもん」

「……差別があるんですか?」


アカコが目を大きくした。


「何言ってるの?それとも上位種族の”人間”にとっては差別なんて気にも留めないこと?」

「あ、いや俺ずっと引きこもってたもんで……世間知らずなんです」


それにしたって限度があるでしょ、と言いながらもアカコは説明してくれた。


「神、人間、魔、獣。この4種族が純血の最上位種族。その下に、神と人間のハーフのエルフとか、魔と人間のハーフの魔人とか上位種族って呼ばれる人たちがいるの。で、4種以上の血が混じってる種が雑種って呼ばれてる。いろんな血が混ざった汚い者たちって、蔑まれてるでしょ?」

「あー、はい。うん。そうだった気がします」


一通り言い終わるとアカコは美しいエルフを見つめた。

その視線には羨望がこもっているように感じた。

じゃあ俺は最上位種族なわけか。

なんだか誇らしい。

いや、まて俺って本当に人間?

さっきアカコ俺のこと人間って言ってたよな。


「あの、俺って人間なんですか?」


アカコはまたしても目を大きくし、その後怪訝な顔をした。


「そうでしょ。だって人間の匂いじゃない」

「匂い……」


匂いで見分けんの?え?

それとなく自らとアカコの匂いを嗅いでみたが全然人間の匂いというものが何かわからなかった。


幾度となく人が出た。入った。

食が運ばれた。片づけられた。

店が閉まった。

メイドさんたちが帰って行った。

それでも俺は帰ることを許されず、アカコは目の前にいた。

辺りが暗くなった頃、やっと最後の一口を食べ終えた。


「やったあああああああああああ」


やっと終わった!!

とんでもない地獄だった!

お疲れ俺!!

俺は緩んだ顔で立ち上がった。


「じゃあ俺はこれで」


ぐり。

ねじるようにして腕を掴まれる。

アカコがあの鬼のような形相で地面を睨んだ。

そこには昼(もう遥か昔に感じるなあ)俺が吐き出したシチューがあった。

まだあったのか。

まさかこれも食べろとか言うんじゃないだろうな……。


「掃除、してけ」

「はい」


アカコは裏方の扉に入って行くと、モップと水が入ったバケツを持って出てきた。

俺は抗うことなくそれらを受け取ると、誠心誠意こすっているように見えるよう腕を動かした。


「じゃあ私着替えてくるから」

「はい」


俺は自分の口から出たものを拭き取ると、バケツでモップを洗った。

よし。終わった。

これは、えーとどこに返しゃいいんだ?


「アカコさーん?」


姿が見えない。返事もない。

俺はさっきアカコが掃除道具を出した裏の扉を見つけた。

あそこか。

俺はバケツの水を捨て、洗ったモップを持って扉を開けた。


「うわっ!!!!!」


そこには半裸のアカコさんがいた。


「すいません!!」


俺は急いで扉を閉めた。

ここ着替えるとこだったのかよ!先に言えよ!!

一瞬だったがアカコの体を俺は目に焼き付けていた。

丁度ブラジャーを脱ごうとしているところだった。

多い髪の毛を肩にかけ、後ろ手でホックを外そうとしていた。

欧米人みたいなボンキュッボンの体のシルエットが、後ろ向きだったけどありありと見えた。

背中には小さな羽がついていた。

そして、頭には耳が、4つあった。

尖がったやつと、頭頂部に生えた毛で覆われたふさふさのやつ。

その耳が俺を察知したように揺れて、顔が俺を振り返る。

俺と目が合ったとき、アカコはこの世の終わりみたいな絶望に染まった表情をしていた。

俺は咄嗟にドア閉めたけど。大事なとこはなんも見てないけど。

殺される!

女の裸見るとか絶対に殺される!!!


俺は扉の横でアカコが出てくるのをガタガタ震えながら待った。

死が刻一刻と近づいてきているようで生きた心地がしなかった。

物音がして、扉が開いた。

メイド服と同じように深く帽子を被った私服のアカコが出てきた。

アカコは俺の姿を捉えると肩をびくっと震わせた。

俺が待っていたことに驚いたようだった。

俺はすぐにアカコの前に出ると頭を深く下げた。


「ごめんなさい!」


殴られる!

俺は拳を握り身構えた。

しかし何もされない。

それどころか声すらしない。

俺は恐る恐る顔を上げる。

すると、アカコが目を見開いて俺を見つめていた。

え?何?


「怒らないんですか?」


アカコは俺の問いには答えず、小さく息を吸うと逆に訊いてきた。


「罵らないの?」


え?なんで?

アカコは帽子をぎゅっと握って引き下げた。

目元まで隠れる。

耳?

なんやかんや言う奴もいるが俺は気にしない方だ。四つ耳。

アカコは恥じらうようにどもりながら言った。


「私、エルフと獣人のハーフなの」

「えーなんかすごい。お得だ」


アカコがぱっと顔を上げた。

エルフと獣人……だから耳が四つあんのか。

どっちの種族でも耳はトレードマークだもんな。

じゃあ羽はエルフ由来か。


「蔑まないの?雑種なのに!?」


すがる様に俺の手を握ってアカコは言った。

ああ、そっかこの国では雑種は下位なんだ。忘れてた。


「俺そういうのよくわかんないし。それにエルフと獣人のハーフ初めて見たけど、いいねっすね」


アカコの顔がみるみる内に輝いていく。

俺の手を握る力が強くなっていく。

いたいいたいいたいいたい!


「ねえ!お願いがあるんだけど!」


痛い。手もげる。

なにこれ拒否権は無い的な?

アカコは俺の返事なんか聞く気がないらしい。

大きく口を開けて犬歯を目いっぱい見せながら続けた。


「私と結婚して!」


は?

アカコはポッと頬を赤らめながら俺の目を一心に見つめた。


「いやいや、え?」

「私の夢なの!まさかこんないい人が見つかるなんて!運命よ!」


嫌だよ。

こんな暴君と結婚なんてしてみろ。

一生尻に敷かれて肩身の狭い思いをするんだ。

他人と生活、他人を養う、他人が俺に介入してくる。

そんなの苦痛でしかない。

俺は知ってんだ。結婚なんてろくなもんじゃない。

どんな美人とだってしない。頭下げられたってしない。

それを、こんな、会って一日の暴力女と?するわけない!ありえない!


「ダーリン!今日からよろしくね!」

「いや、俺は結婚なんて……いててててててて」


アカコの指の骨が掌に食い込む。

確実に握り潰す強さだ!

手が無くなる!

俺は結婚を拒否することをさせてもらえなかった。

せめてYes、と言わなかった自分をたたえよう……。






 アカコは俺の家にまで押しかけてきた。

あー、お母さん出かけててよかった。

いきなりニートの息子が女の人連れ込むとかカオスだもんな。

アカコを部屋に案内する。


「家に帰らなくていいんですか?」

「ダーリン心配してくれてるの!?ありがとう!でも大丈夫だよ。私一人暮らしだから」


そうか。非常に残念だ。

今日は一日疲れたなあ。

俺はアカコに向き合うことを放棄してベッドに入った。

てか何だよダーリンて。

あのヤクザみたいな口調はどこいったんだよ。


「ダーリンもう寝ちゃうの?」


俺はアカコの言葉を無視して壁のほうを向いた。


「ダーッリン!」

「うがっ!」


体全体に衝撃を感じて押しつぶされる。

アカコが上に飛び乗ってきたのだ。

重。

俺はアカコをどかすともう絶対何も答えてやるまいと心に誓って目を閉じた。

背中でもぞもぞとうごめく気配がする。

アカコが布団の中に入ってきた。

後ろから俺の背中に腕を回すと柔らかく抱き着いてきた。

ビッグな胸が当たってる。

柔らか……心頭滅却すれば火もまた涼し。

無視だ無視。

眉間に皺を寄せて無理に目をつぶるが心が乱れてうまく眠れない。

アカコがギュッと寄ってきた。

胸の感触が強くなる。

うっ。


「あー。まさか人間と結婚できるなんて……。嬉しいなあ……」


なんだか胸にもやっとしたものがもくもく湧いた。

俺は目を逸らすように布団にもぐりこんだ。






 物音で目覚める。

こんなことは久しぶりだ。

いつもは寝て、寝て、寝まくって、もう目が閉じなくなった時か寝飽きたときに自然に起きるという感じだった。

目を開けると眼球を鋭い光が刺した。

これも久しぶり。起きたときに明るいなんて目がイカレた時だと思ってた。


「あっダーリン起きた!」


赤髪の女が俺を振り返るとにかっと笑った。

そっか。そうだ。俺異世界にいるんだった。

アカコは鏡の前で髪の毛を撫でつけていた。

勝手にカーテン開けんなよ。

俺は日を避けるように顔を布団で覆う。


「ダーリンまだ起きなくて大丈夫なの?私もう仕事行くけど。ダーリンは?」

「んー」

「ダーリン?」


アカコは動こうとしない俺にしつこく話しかけてくる。


「ダーリンって何してるの?ねぇ、ダーリン聞いてる?今日休みなの?」


早く仕事いかないかなー。

俺は掛布団を抱え込んで固まった。


「ダーリン!」


アカコが俺から布団を引きはがした。

引っ張られる力が強すぎて成す術なし。身ぐるみをはがされた俺は澄んだ空気に晒された。


「ほっといてください」

「ダーリンもしかして、仕事してないの?」


俺が目を逸らしたことを肯定と受け取ったらしい。

アカコの目がみるみるうちに吊り上っていく。

怖ええ。


「ありえない!そんなのだめに決まってるでしょ!?だらしないったらありゃしない!」


アカコが拳を高く振りあげる。

ひいい!

ズドン!!

アカコの拳は俺の頬をかすって壁を抉った。

パラパラと破片が落ち、アカコの手が壁から離れた。

しんと静まり返った部屋に声が届く。


「ジニ?どうしたの?」


お母さんだ。


「なんでもない!」

「そう?」


お母さんはなんとか来ないでいてくれた。

アカコが俺を見据える。


「仕事、して。私の夫なんだから」

「わかった!仕事するから、しますから!」


アカコは俺を睨みつけながらを腕を引いた。


「じゃあ早く仕事探してよ」


ぶんぶんと首を縦に振る。


「私行くからね」

「いってらっしゃい。あ、お母さんにバレるとめんどいなあ」


どうしようかと思案しているとアカコがニッと笑った。


「大丈夫。私こっちから出るから」


そういうとアカコは窓枠に飛び乗った。


「じゃあダーリン!いってきまーす!」


ひゅんとアカコの姿が消えた。

俺は急いで窓際に駆け寄る。

アカコはまるで一段の階段を飛び下りただけのような身軽さで地面に着地した。

ここ2階だぞ。

さすが獣人。

アカコは振り向いて俺を認めると、手を振った。

俺はアカコの姿が見えなくなるまで見送った。

よし、消えた。

アカコが人影に紛れると俺は窓とカーテンを閉めて布団にもぐりこんだ。

ありゃ文字通り鬼嫁だ。

前途多難だな。先を考えないようにしよう。俺の得意分野だ。

俺は目を閉じた。


これが初夜の翌日。



 「ダーリーン!朝だよ起きて!!」


それから俺の一日はアカコの爆声で始まるようになった。


「今日こそちゃんと仕事探してよ!!」

「わかってます。今日はちゃんと探します。はやくいかないと遅れますよ」

「絶対だからね!行ってきます!!」

「いってらっしゃい」


慌ただしく会話をして出ていく。窓から。

俺はアカコの姿が見えなくなったのを確認すると布団に入る。

ここにはテレビもゲームも書籍もない。

おれのやることとといえば寝ることだ。

布団を丸めて抱き枕にする。

俺は布団抱き枕に顔をうずめた。


「ジニ。朝ごはん置いとくからね」


新発見。俺の名前はジニーではなくジニらしい。

お母さんの足音が去るとのっそりとベッドから起き上がって朝食を部屋に引き入れる。

以前ごはんを食べずに残していたら、昼ご飯を置きに来たお母さんにガミガミとしつこく小言を言われた。

その後は残すのはやめることにしている。

幸いアカコに無理やりシチューを食べさせられて以来舌が麻痺したのかイカレたのか、この世界の料理を不味く感じなくなった。

もそもそしたパンみたいな塊を食べ終えると食器を外に出す。

俺はまた布団に入った。






 次に目が覚めたのは昼。

お母さんが昼ご飯を置きに来た声で起きた。

俺は伸びをすると、四つん這いでベッドから這い出し昼飯を部屋に入れた。

いただきまーす。

手を合わせたその時、目の前にブラックホールが現れた。


「うわ!」


ブラックホール、と言っていいのだろうか。黒いエネルギーの塊のようなものがもやもやと空中にとどまっている。

中心に向って渦を巻くように蠢いている。

俺の背と同じくらいはあるだろうか。なんだこれ。魔法?

中心に向って手を伸ばした瞬間、何かがポーンと弾かれるように渦から出てきた。

それは俺に激突して、俺はしりもちをついた。


「いたっ」


顔を上げるとブラックホールはもうそこにはなかった。

何なんだ。

俺の上には男の子がいた。

なんでガキがふってくんだよ。


「おーい」


俺は子供の肩を揺らす。


「うぅ」


子供は苦しそうに唸った。

え?何?

よく見ると体中に小さな切り傷がついていた。

俺は取りあえず子供をベッドに寝かせた。


「おい、大丈夫かよ」


水を口元にもっていくと、子供はうっすらと口を開けた。

子供の口の中に水を注ぐ。


「ゲホッケホケホ!」


むせた子供が大きくバウンドして咳をする。

お腹が痛むのか、抱えて蹲る。

ええ、どうしよう。

子供は大体12歳くらいだろうか。髪も服も真っ黒で、ところどころに血の赤が飛散していた。

俺は子供に布団をかけてやる。

いや俺どうするよ。

布団から手をはなそうとすると腕を掴まれた。

子供が俺を見据える。


「えっと、大丈夫?」


子供は大きな目をくりくりさせて俺を見つめたままだ。

瞳も黒い。なんか日本人っぽくて落ち着くな。

この世界に来てからカラフルな人種ばかり見てきたのでなんだか心がほっとした。

そういえば黒髪は見たことがない。

暫くすると子供は掴んだ俺の腕を支えに体を起こした。


「別に寝てて大丈夫だぞ」


子供は首を横に振った。

でもあんな怪我してたしなあ。

そう思って子供を見ると、なんと怪我が治っているではないか!

あれ?俺の見間違いだった!?

だってあんなに体中にいっぱいあったのに……。

すげえ。治癒力高え。

こいつも人間じゃないのか。さっきブラックホールから出てきたもんな。

見た目は人間っぽいけど。


「僕は魔王ダークナイト」


いきなりの自己紹介!そして魔王!て、もしかして最上位種族「魔」の王様?

すげえ。ホントにすげえ奴だった。


「で、その魔王様がなんでこんなとこに?」


魔王はちょっと目を見開いた。


「逃げないの?通報しないの?」

「え!もしかして俺を殺すの!?」


魔王は腹を抱えて笑った。


「しないしない!気分じゃないし!」


気分で決まるのかよ。

魔王は布団をどけると、ベッドのへりに座った。


「こんなに大きなお兄ちゃんがお昼に家にいるなんて変だね。人間は働かないと生きていけないんでしょ?」


魔は働かなくてもいいのか。俺も魔に転生したかった。


「養ってくれる奴がいるのに、働いたら負けだ」

「へえぇー。……なんかそれいい!」


魔王は足をバタバタさせて「働いたら負け!」と繰り返した。


「勢いでワープしちゃったけどここにこれてよかった!水くれたし!」

「これも食うか?」


俺は自分の昼飯を魔王に差し出した。

魔王はぴょんっと地面に座ると飯をしげしげと見つめた。


「いいの?」

「ああ。俺は寝てるだけだからな。飯食う気起きないんだよ。むしろ食べてくれたほうが助かる」


それにここの飯美味くないし。

魔王は目をキラキラさせるとフォークも使わずにかぶりついた。

あまりに豪快な食べっぷりだったので、見ているこっちが満足してしまった。

魔王はものの数秒で食べ終わると指と口回りを大きな真っ黒い舌ベロで舐めた。

キリンみたいだな。


「ありがとう!」

「どういたしまして」


魔王が片手を上げた。

何をするのかと思ったら指をならした。

パチンッという小気味良い音とともに宙にドーナツが出現した。


「すごっ!」

「お兄ちゃんも食べる?」


頷くともう一度指を鳴らしてもうい一つドーナツが現れた。

魔王からドーナツを受け取りながら思った。

俺が飯をあげた意味とは……。


「すごいな。魔王って食べ物作ることもできるんだ。なんでもありじゃん」


魔王はドーナツに食らいつきながら言った。


「違うよ。魔の魔法は『強奪と破壊』。これはなんかどっかから強奪してきたんだよ」

「へえ。対象がどこにあってもできんの?見えなくても?」

「うん。念じればね」

「最強じゃん」


すごいな魔王。

俺は魔王がどっかからとってきたドーナツを頬張る。


「ん!?うまい!!!」


甘すぎない甘さとフルーティな香りが口いっぱいに広がって幸せを感じる。

この世界に来て初めて美味いと思える食べ物に出会った。

舌が喜んでいる。無意識に頬が緩む。


「うまいなこれ!うまい!!」

「大げさだあ。フリオの果汁が入ってるから多分北の方のお菓子だね。もう一個食べる?」

「うん!」


魔王は俺にドーナツを差し出す。

魔王の口があどけなく開いた。


「盗んできたやつなのに怒らないの?」


つぶらな瞳が俺を見つめる。

俺は勢いよくドーナツにかぶりつく。


「俺の知らない奴の不幸なんて知らねえよ」


魔王の表情がぱーっと明るくなった。


「やっぱりそうだよね!!」


魔王は俺にぎゅっと抱き付く。


「そう思うよね!でも皆怒るんだよ!しかも強奪されたひとじゃないひとまで怒るの!だから逃げてきたんだよ!」

「やっつけちゃえばよかったじゃん」

「そうなんだけどさー、最初はそうしたんだけどさあ。でもあのひとたち思ったより強くって僕魔力無くなっちゃった」

「それであの傷か」

「うん。ねえちょっとだけここにいていい?」

「いいけど」

「やったー!ありがとうお兄ちゃん!」

「そういやあ俺の名前言ってなかった。俺ジニね」

「ジニお兄ちゃん!よろしく!」

「ああ」






 日が落ちる。

辺りが暗くなる。

魔王はパチンと指を鳴らしてランプに火をつけた。

ちょっとっていつまでだ。

俺はてっきり数時間かと思ったのに。

魔王は一向に帰る気配がない。

もうじきアカコがやってくる。マズイ。

俺は魔王と「いっせっせーの」をやっていた。

遊んで、というので提案したのだがまさか何時間もこれ一本でいくなんて。

俺はとっくの昔に飽きたというのに魔王は何度も手を突き出してくる。

せめてトランプでもあればもうちょっと遊びの幅が広がるのだが……。


「はい。勝った」

「もう一回!」


案の定魔王は拳を並べた。

はあ。

仕方なく俺も手を出す。


「ダーリーン!」


外からアカコの声がした。

窓を開けてという合図だった。

だいたいなんでアカコは当たり前のように俺の家に帰ってくるんだ。

あの鬼嫁にそんなことは口が滑っても言えないので渋々立ち上がって窓を開ける。

すぐにアカコが飛んで入ってきた。


「ダーリン今日こそちゃんと仕事見つけたんでしょうね!」


帰宅して第一声がこれか。

俺は後ずさる。


「毎日毎日やるやるって言って何日経った!?いつ仕事するの!!」


殴られる!

怖気づいた俺の前に魔王が飛び出した。


「働いたら負けなんだよ!」

「誰!?」


アカコが叫んだ。

俺も叫びそうになった。

なぜなら魔王の髪と瞳の色が俺と同じになっていたからだ。

青い髪と赤い目の魔王が仁王立ちで俺とアカコの間に立つ。


「まお――」俺が説明しようとすると、遮る様に魔王自ら紹介した。


「イトナです!」

「誰!!??ま、まさかダーリンの子供??」

「違います違います」

「親戚です!」

「ええ!ダーリンにこんな可愛い親戚いたの!?」


なんで隠そうとするんだ。

俺は先ほど魔王が言っていたことを思い出す。

『通報しないの?』

アカコは煩いもんな。魔王だって知られたら面倒くさそうだ。

そういうことなら俺も利用させてもらおう。


「今日はイトナの世話があったから仕事探せなくて……」

「言い訳なんか知らない!」


嘘だろ。

アカコが腕を振り上げた。


「お兄ちゃんを働かせようとするなんてお姉ちゃんは負け組なんだね!」


アカコの振りあがった拳に血管が浮き出る。


「さっきから負けとか勝ちとかなんなの!?仕事してるほうが偉いにきまってるじゃない!しかも私のダーリンよ!?仕事しろよ!」


力のこもった拳が振り下ろされる。

俺は目をつぶる。

衝撃が来ない。音もしない。

薄目を開けると、なんと魔王がアカコの腕を片手で掴んでいた。

アカコの顔が歪んでいる。

腕も足もプルプルと震えている。

力は十分にかけてるいるんだ。でも、止められている。

ははは。

これはとんだ幸運が舞い込んできたな。


「イトナありがとう」


魔王はにっこりと笑った。

アカコが諦めたように全身の力を抜く。


「この子本当に親戚なの?人間はこんな力もってないよ」

「親戚だよ!お姉ちゃんは負け組だから僕に勝てないんだよ」

「だからそれなんなのよ。ダーリン!子供に変なこと教えちゃダメじゃない」

「なんで俺」


まあ言ったのは俺なんだけど。


アカコはその後何度か魔王につっかかったが、ことごとく止められた。

敵わないと観念したのか、寝るころには大人しくなっていた。

俺たち三人は布団に入る。

狭い。

川の字で寝るとか何気に初めてだな。

いや、小さい頃はしてたのか。

お母さんと、お父さんと、俺……。

ないな。

俺が生まれた時からお父さんは単身赴任してたし。


「じゃあランプ消すよ」

「うん」


魔王がパチンと指を鳴らすと火が消えた。

便利だ。

魔王は持ち前の小ささでアカコの胸と俺の間にもぐりこむと、ものの数秒で寝息を立て始めた。

アカコが魔王の頭をなでる。


「寝てれば可愛いのに」


お前もな。

アカコが布団を引き寄せて魔王の体を覆う。

なんか家族みたいだな。

て、何考えてんだ俺。

急いで思考を停止させる。


「アカコさんもうちょっとそっちいけません?」

「無理」

「そ、ですか」


アカコと二人だけでも狭いというのに魔王が入って俺は落ちそうだった。

壁側のアカコが眉を下げる。


「ねえ、敬語とかさん付けとか、やめてよダーリン」

「え。いやでも俺ら他人だし」


会ってまだ数日だぞ?


「うん、そっか」


アカコは顔を布団にうずめた。

なんだか後悔とか罪悪感のようなモヤモヤしたものが胸に残った。

アカコのつむじを見つめる。

この人も黙ってれば普通に美人なんだよな。

結婚だって、別に、暴力とかしなければしてもいいんだけどなあ。

そう思っていたとき、いきなりアカコの顔が上がった。

ばちんと目が合う。

アカコが目をきゅっと細めて、綺麗な犬歯を目いっぱい出して笑った。


「じゃあ早く結婚して夫婦になっちゃおう!」


ぶわわ、っと顔が熱を持ったのがわかった。

俺は慌てて布団をかぶった。

まぶしい笑顔だった。可愛かった。

ドッドッドッドと鼓動が体中で振動する。


「そのためにもお仕事探し頑張ってね。ダーリン」

「……はい」





 アカコに殴られないなんて、なんていい朝なんだ!

俺は例によってアカコの声に起こされたものの、魔王の働きによりアカコは口だけで仕事に向かったのだった。


「ありがとうイトナ~~~~!こんなに二度寝が気持ちいいのは久しぶりだ~~~」

俺はベッドの中でゴロゴロと動き回った。

逆に目が冴える。

俺に押しつぶされそうになりながら魔王ははにかむ。


「あ、飯食っていいからな。もうじきドアの外にくるから」

「昨日言ってた養ってくれる奴!」

「ご名答!じゃあ俺寝るから」

「おやすみ」


半分寝ている意識の中で布団の中に魔王が潜り込んでくるのを感じだ。

小さな両手が俺の腰に回る。

あったかい。

俺は優しく眠りにいざなわれた。






 ドタドタドタドタ!!!

ガチャガチャガチャガチャガチャ!!

うるっさい!なんだ!

俺は布団を頭までかぶって耳をふさいだ。

金盥をせわしなく叩いたような耳に刺さる音が近づいてくる。


「ダーリンなにこれ」


アカコ?

そっかもう夜なんだ。

俺はベッドから這い出る。


「ごめん窓」

「今日はイトナ君が開けてくれたからいいの。それよりも」


イトナが。そういえば魔王の姿が見当たらない。

俺と一緒に寝ていたと思ったけど。

ベッドの中にもいなかった。

騒がしい音の塊が扉の外で止まった。

どんっと勢いよくドアが開く。

そこには沢山の人がいた。

全身をメタル甲冑でつつむ、同じような背格好のひとたちがぞろぞろと部屋に入ってくる。

一瞬で部屋が埋め尽くされた。


「ちょっとなんなの!?」


アカコがそのうちの一人に掴みかかる。

が、あっという間に数人に取り押さえられた。


「雑種だ。やはり低俗な魔王よ。雑種など飼っている」


アカコの眉がピクリと動いた。


「待ちなさい」


爽やかな、それでいて力強くよく通る声がした。

その声が続ける。


「レディになんてことをしているのですか。血など関係ありません。その方がまず罪を犯したのか、だれかの幸福を脅かしたのか、それを調査してから言を発し、行動すべきです」


アカコを拘束していた甲冑たちがそそくさとアカコを放した。

ドアから甲冑たちを避けさせて入ってきたのは他の人とは雰囲気の違う青年だった。

まわりにキラキラのエフェクトが見える。

紳士、という肩書がぴったりなイケメンだった。

その男だけが甲冑を着ておらず、腰に刀を携えていた。

紳士は手を腰に当てて頭を下げる。


「私は人間国第一騎士団団長、オスカー。こちらで魔王の魔力を感知したため赴いた次第です」


魔王!!ってイトナ!


「先日城下の牢獄から魔の大罪囚が脱獄しました。魔王の魔法によるものと思われます。魔王はその囚人をつかってなにを企んでいるのか、私共には想像もつかない厄災をもたらすやもしれません。一刻も早く見つけ出さねばならないのです。どうかご協力いただきたい」


もしかしてイトナが逃げてきたやつって、こいつらなのか。


「申し訳ないけど俺たちは魔王とか知らないです」

「本当ですか?」


オスカーが詰め寄る。

確かに知らない、といえば嘘になるかもしれないが実際今どこにいるかはわからないし。

間違ってないと心に言い聞かせる。


「先日の戦いで魔王は深い傷を負った。まだワープゲートは開けない。この部屋にいるはずです」


甲冑の男たちが部屋を隅々までひっくり返す。

布団をめくり、机を動かし、壁を叩く。

その間、オスカーだけは何やら部屋中を睨み、押し黙っていた。

もともと物が多い部屋ではなかったので甲冑たちの動きはすぐに止まった。


「ほらね、いないでしょ」


オスカーがある一点を見つめた。


「いえ、います」

「へ?」


オスカーは物凄い速さで剣を鞘から抜くと、見つめていた一点に向かって振った。

剣先から光線が飛び出し壁に当たった。

すると今まで何もなかったそこに魔王が現れた。

壁に張り付いていた魔王は、体が硬直したようにぽとりと床に落ちる。

一斉に甲冑たちが魔王にのしかかった。

魔王はあっという間にロープでぐるぐる巻きにされた。


「イトナ!」

「このロープには魔法を封じる力が込められています。抗おうとしても無駄ですよ。といっても、今のあなたでは壁に擬態するほどの力しか残されていないようですが」


甲冑たちが乱暴に魔王を引っ張る。


「数々の罪を犯したといえど子供。手荒にしてはいけません」


魔王は石のように固まったままだ。

オスカーは魔王を抱えると俺たちの方を向いた。


「大変お騒がせいたしました。ご協力、感謝いたします。失礼しました」


丁寧にお辞儀をすると、甲冑を引き連れて帰って行った。

部屋にはたくさんの足跡と散らばった家具と、呆気にとられた俺とアカコが残った。

捕まってしまった。

これでよかったのだろうか。

と、少しの罪悪感は感じるが、しかし俺が抗ったところで敵うまいと明らかな諦めがあった。

あのアカコの怪力でさえ一瞬で封じ込められたもんな。

俺はアカコを見る。

アカコはぼーっと開け放たれたままのドアを見つめていた。

その顔には赤みが差している。


「アカコさん?」

「……素敵な人だったね」


アカコが呟くように言った。

ああ、オスカーさん。

アカコはまだそこにオスカーの残像を見ているのだろう。

じっと動かずに宙を見ていた。

確かに、あんな顔だったら人生楽そうだ。

部屋を片付けようと立ち上がったとき、耳に、またあの不快な音が聞こえてきた。

ガチャガチャガチャガチャガチ!

まさか……。


「貴様も来てもらう!」


甲冑の男たちが再びやってきた。

しかもあろうことか次は俺?なんで?


「俺なんもしてないです!」

「いや、魔王がただの人間の家に来るはずがない!貴様も魔だろう!姿を偽って魔王をかくまった罪だ!」

「まってください俺本当に人間です!匂いだってほら!」

「魔王は匂いを消すくらい容易い。貴様もやっているのだろう。お見通しだ!」

「ちょっと!ダーリンはホントに人間よ!あの魔王だってホントに知らなかったの!」


何言ってもだめだこいつら聞く気ない!

俺はあっという間にあのロープで縛られた。

ただのロープで十分だ!俺は魔法なんて使えないんだ!


「放せ!放せえ!!」


甲冑の一人が俺を脇に抱えた。

くそっ!放せ!やだ!俺牢獄で過ごすなんてやだー!!

甲冑たちがドアに進んでいく。


「アカコさん!助けてアカコさん!!」

「ダーリン!!」


伸ばした手を甲冑に抑え込まれる。

アカコさんに届くことなく、ドアが閉まった。






 石の壁と天井。前の一面だけ鉄の棒。

冷たい牢屋で壁に腕と脚を縛りつけられ、飯も与えられない。

時間間隔はとっくに狂った。

勿論昼夜なんてわからない。

自分の体の感覚さえ感じなくなった。

手がどこにあるのか、動かそうと神経を集中させてみたが動いたのか動いていないのかすら確認するすべはない。

最初のほうは来なかったけれど、そのうち甲冑が俺の牢の前にやって来るようになった。

言うことは毎回同じ。


「魔王はどこに行った。言ったらここから出してやる」


どうやら魔王が逃げたらしい。


「まさかあんなに魔力が残っていたとはな。貴様が看病したんだろう?」


看病した時は魔王って知らなかった。

てか看病って言えるほどのことはしてない。勝手に治ったんだ。

だいたい俺はずっとここにいるんだぞ。魔王がどこに行ったかなんて知るか。

言おうとしても声が出ない。

水分を摂っていないせいでのどが張り付いて出てこないのだ。

暫くすると諦めて去っていくが、また暫くして同じ格好の別の奴が来る。

ほら、また来た。

甲冑の男が牢の前で止まる。

甲冑の男は鍵を取り出した。


「出ろ」


あれ?もしかして冤罪ってやっとわかった?

腕と脚を解放された俺はのろりと立ち上がる。

どこに重心があるのかわからなくて、想像みたいにすらすら歩けない。

足が体を支えきれなくてよろめく。

そんな俺を甲冑の男は乱暴に掴んだ。

自分でもびっくりするくらい軽々と引きずられていく。


「処刑だ」


 俺は久しぶりに日の光を浴びた。

 処刑台の床は牢屋よりも暖かった。

頭上に大きな刃が見える。

錆びついていて茶色くなっている。

俺はそのしたに寝かせられた。

人が大勢集まっている。

公開処刑だ。


「ただいまより、魔の罪人の処刑を行う!」


右の方から大きな声がした。

ずっと何も食べていなかったせいで頭がぼーっとする。

今から処刑?ギロチン?

全然実感がわかない。

それでも欠けた刃が下りてくるところを想像して背筋が凍った。


「この者は大罪人であり魔の王でもあるダークナイトの逃亡を補助し、自らも罪に加担した。さらに人間に姿を模し、魔であることを隠して強奪を繰り返していた模様」


誰かがうだうだと言っている。

そんなことはどうでもいいから殺るならはやく殺ってくれ。

俺はいつまでこの恐怖を感じていなきゃいけないんだ。


「……よって今から処刑を執り行う」


わーっと見物人が湧いた。

死ぬんだ俺。

腹の下がぎゅっと硬直した。

俺は目を瞑った。

そのとき、聞きなれた声が響いた。


「ダーリーーーーン!!!」


地をも揺らす、唸るような叫び声。

アカコだ。

俺は顔を上げる。

背の高い赤髪が揺れながら人を分けて近づいてくる。


「ダーリン。もう大丈夫だからね」


アカコはぴょんっと俺の傍に飛んできた。

涙ぐんで俺を抱きしめる。


「ちょっと困りますこの罪人の知合いですか?」

「困るのはこっちよ!無罪の人を殺そうなんてサイテー!!オスカーさん!!」


アカコが呼びかけた先にはオスカーがいた。

オスカーもまた人をかきわけてくる。

甲冑たちが慌てたように駆け寄っていく。


「私は言いましたよね。その方がまず罪を犯したのか、だれかの幸福を脅かしたのか、それを調査してから言を発し、行動すべきだ、と。すぐにジニさんを解放しなさい。この方は無実です」

「はいっ!」


あれよあれよという間に俺に繋がれた鎖は外され、観客がはけていった。

甲冑たちが俺に頭を下げる。

オスカーは甲冑たちの前に躍り出ると、誰よりも深く深く頭を下げた。


「こちらの、アカコさんが私に助けを求めてきました。あなたは何も悪いことはしていない、と。その時に初めてこのような愚行を知りました。私の部下が大変失礼いたしました。今回は部下の独断とはいえ、私の監督不行き届き、私の責任です。本当に申し訳ありませんでした」


それから何度もオスカーは俺に頭を下げた。


「ダーリン。ごめんねすぐに助けてあげられなくて」

「ジニさんの家計を徹底的に調べ、付近の目撃情報なども収集し、完全にジニさんが魔であるという疑いが払拭できる証拠を集めることに手間取ってしまいました。すみません」

「でも間に合ってよかった!ありがとうオスカーさん!」


一瞬意識が飛ぶ。

咄嗟にアカコが俺を支えた。

アカコそのまま俺の体を包み込むように抱きしめる。

頭が胸に沈んでいく。

じんわりと他の温もりが全身に染みてきて、俺はすうっと眠りに誘われた。






 「ジニお兄ちゃん。ジニお兄ちゃーーーん!!!」


激しく体を揺さぶられて目を開ける。


「はやく起きないと遅れるよー」


魔王が俺を見下ろしている。


「まだ寝るー」

「ちょっとー今日起こしてって言ったの誰だっけー?」


ああ、そっか。今日か。

俺は気だるい体を起こす。


「じゃあそこに置いといたからね」

「うん。ありがとう」


暗く狭い部屋の隅にスーツが折り目正しく置かれていた。

 あれからもう半年か。

あの日、冤罪死刑のギロチン台から解放された俺はその場で気絶した。

まあ何日も何も食べてなかったし、ずっと緊張状態だったし、それが緩んで一気に疲労がのしかかった的なやつだ。

何日っていっても3日だけど、と医者は言っていた。嘘だろ。俺は2週間くらいは閉じ込められてたよ。

すぐに体調は完治したので俺は次の日には病院から家に戻った。

アカコがついてくるかと思ったら来なかった。

まあゆっくり休みたかったし、良かったけど。そんな思いで俺はベッドに潜った。

その日のうちにオスカーが家に謝罪にやってきた。

アカコはオスカーにくっついてきた。

オスカーがあまりにしつこく謝るので最後らへんはキレ気味にもういいよ!と追い返した気がする。

詫びに持ってきた竜肉もクソみたいな味だった。

次にやってきたのはなんと魔王だった。

「これからは僕が養ってくれる奴になってあげる」と俺をワープゲートで魔の城まで連れて行った。

そこには俺の部屋と全く同じ部屋が用意されていた。

そして俺は好きなものを好きな時に言えば用意してくれるし、それ以外は干渉しない(たまに一緒に遊ぶけど)最高の日々を手に入れた。

しかも魔王が出してくれる料理はどれも美味い。

後に聞いたことだが、あのとき、ワープゲートで俺の元に魔王が飛んできたとき、魔王は結構ヤバイ状態だったらしい。

俺が水を与えなければ自らでは一歩も動けなかったという。

恩返し的な感じでこんな良くしてくれるのだろう。

俺は毎日食っちゃ寝、食っちゃ寝を繰り返していた。


 俺は魔王が用意してくれたスーツを広げる。

そういやスーツって着るの初めてだな。

高校んときの制服と着方はいっしょか。

部屋着を脱いでシャツに袖を通す。

あれ、入んぞ。


「イトナー!」

「はーい」


宙に呼びかけると、一瞬で部屋のドアが開いて魔王が入ってきた。

俺は途中でつっかえた腕を魔王に見せる。


「えー!言われたサイズ用意したのに!」

「魔の魔法って強奪と破壊だろ。俺の脂肪とってくれない?」


魔王は腹を抱えて笑った後何度も頷いた。


「脂肪とるのは初めてだよ!」


魔王がパチンと指を鳴らすと、次の瞬間俺の体は軽くなった。

ほっそりとした腕がすっと袖に通っていく。


「わお便利!ありがとう」

「着替えたら送るからね」

「うん」


スーツを着るとなんだか心までシャキっとする。

体を縛られるような堅さは嫌いだけど、まあ、こういう場くらいはさすがにしっかりした服を着ないとな。

魔王がワープゲートで会場まで送ってくれた。

地面に着地した俺の視線の先に、美しく着飾ったアカコがいた。

ピンクのフリルが全体にあしらわれたドレスがよく似合っている。


「あ、ジニ!……さん」


アカコが俺に気づいて駆け寄ってきた。


「来てくれると思わなかったよ。一応家に招待状は送ったんだけど、半年も出かけてるって聞いてたから。今どこに住んでるの?」

「まあ、遠いところです」

「そっか。来てくれてありがとね」


アカコの後ろからオスカーがやってきた。

タキシードはこいつのために作られたんじゃないかって程ぴったりだ。

オスカーはさりげなくアカコの横に並ぶ。


「オスカー!ジニさん来てくれたよ」

「そのせつは本当に申し訳ありませんでした」

「もういいですってさすがに」

「そうよ!今日は楽しんでもらいに来たんだからそういうのやめてよ」


アカコがオスカーを小突く。そしてそのまま腕を絡めて組んだ。

顔を赤らめながらおしとやかに口角を上げて、アカコはオスカーに微笑んだ。

あんな顔俺にはしなかったなあ。

心から幸せそうだ。

安心した。本当に好きなんだな。

ふう。

俺は息を吐き出して腹に力を入れた。


「ご結婚おめでとうございます」

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