プロローグ
ずっと、自分が嫌いだった… 何も上手く出来ない自分が、何もしようと思えない自分が…
そんなことを思いながら、窓の外を見た。 しかし、入学式には似合わない雨粒が窓ガラスを曇らせて、僕たちの通う学校、桜ヶ丘高校の売りである桜の木は一本も見えなかった。 高校で最初の僕の席は、一番後ろの窓側から二番目の席。 目立たないし、悪くない席だった。 中学のメンツと離れるために電車に二時間揺られ登校しているので、特に話しかけられることも、自分から話かけることもしなかった。 特にすることがなかったので、雨粒が窓ガラスにあたり、落ちていく様子をしばらく眺めていた。 僕は雨が嫌いじゃない。 雨が屋根を叩く音や、雨の日の独特な匂い。 そのどれもが心地よく感じる。 しばらくの間、感傷に浸り時計を確認すると、ちょうど集合時間を知らせるチャイムの音が、教室内に響いた。 チャイムの綺麗な音に耳を澄ませると、周りの音がどんどん小さくなっていくのを感じた。 別クラスの友達とはしゃいでいた奴が話すのをやめ、席が離れている者同士はお互いの席に戻ったためだ。 そうして作り上げられた入学式にしか味わうことが出来ない雰囲気に教室が包まれた。 微かに聞こえる話し声、話しかけようと頑張る生徒、新しい環境に浮かれて、ギャーギャー騒いでいる奴… 果たしてこの雰囲気をこれから何度味わうことができるのだろうか。 この雰囲気は、大体自己紹介後には崩壊する。 クラスをまとめるリーダーが出てくるためだ。 僕の認識だと、このクラスの中心になりそうなのは… 僕の右隣の常磐という生徒になるだろう。 大きな目に、整った鼻。キラリと輝く笑顔。 顔に関して言えば、そこらのジャニーズの数倍かっこいい。 それに加えて、髪も綺麗な茶髪で、しっかりとワックスで固められている。 僕が見た限りでは、外見は完璧だった。 そしてああいう奴の所には大体、人が集まる。 カースト制度という言葉を使って表すのならトップ層に位置するのだろう。 といっても、そういうグループに僕は興味がない。 もう一度、窓の外に視線を戻すことにした。 すると、僕の左隣の生徒から注がれている視線に気付いた。 視線を空から下ろすと目が合いパチっと音が鳴ったように感じた。 しかし、ここからどうしていいか分からなかった僕は、目をそらすことも、話かけることも出来ずに固まってしまった。 今、僕と目があっている少女も、先ほどの常磐と同様に、綺麗な顔立ちをしていた。それに加えて、どこか不思議な少女だった。 綺麗なのは間違えない、だけど儚さというかどこかクールな印象を持っている。 そんな印象だった。 すると、彼女は顔を斜めにかしげ、口元に手を当て、少し困ったような顔をしながら近寄ってきた。 すると、僕の顔の前の手をだし、その手をスライドさせた。
「あの… どーしたの?」
軽く頬を赤らめて、少し照れているようだった。 僕みたいな奴を否定するような人じゃなくてよかった… 僕は自分に自信がない。 勿論、顔に至っては、特に自信がない。
「いやっ、ごめん。 なんでもないです…」
語尾が少し濁ってしまった。 まさか、こんな美女と話すことになるなんて… といっても、今の僕の発言で話は終わるだろう。 それほど僕の返事は最低だった。 ちゃんとしていればもう少し会話を広げることだって出来たはずだ。 といっても、もう遅い。もう一度、彼女の方に視線を向けた。
「同い年なんだから、敬語はやめて。 私は、立花 葵。これからよろしく!」
彼女はいたずらっぽい笑顔で僕にそう微笑みかけていた。 予想外の言動に僕は戸惑ってしまい、きっと顔は真っ赤になっているだろう。 しかし、それを隠すためにどうしたらいいか分からなかったので、そのまま固まってしまった。 二度目のチャンスもまた生かしきれなかった… これは、いくら僕でも、悔いが残る。 それならば… ならば、こうしよう。 こんな醜態を晒す自分は自分ではなく、ここからが本当の自分、成瀬智也である、と。 そして、いつか彼女を手に入れてやる…
僕は自分が嫌いだ、それは変わらない。 いつも自分が求める自分になったことはない。 目的ごとに自分が変わっていくので、精神的な負担はかかるが、そこは問題ではない。 さて、今回はどうなればいいのだろうか…
新しい自分を構築するために、色々な考えを張り巡らしていると、右斜め前のドアから僕たちの担任であろう人物が入ってきた。 綺麗な黒髪を短く切りそろえていて、背が高いのによく似合っている。 また、スーツではなく、白いTシャツにグレーのロングスカートという、どこかに遊びに行くのではないか… そう思えるほど、ふわふわした先生だった。 教壇の前に立つと、出席確認が行われた。 僕のクラスは全員で四十人。 一応、文系の発展クラスということになっている。 そのため、ほかのクラスより女子が多いらしく、女子二十三人と、男子十七人という人数比率だ。 出席確認が終わると、先生が出席簿を閉じ、ひと呼吸おき、口を再び開いた。
「それじゃ、自己紹介するね。 みんなは時間取らないから、勝手にやっといてねー。」
クラスから不満の声が上がった。 大体どこの学校にいっても、自己紹介というものは嫌われがちだが、だからこそ、クラスの中心となるような人物はしっかりと考えてきたのだろう。 もちろん、僕は考えていなかった。 しかし、これは逆に好都合だ。 このクラスに過去の自分を知っている人はいないし、自己紹介もない。 つまり、ここのクラスで目立つためには…
「って感じです! 一年間よろしくね!」
ちょうど、先生の自己紹介が終わったようだった。 何も聞いてなかったけど… 少し、周りがざわざわしているようだった。 ここで「じゃあ、みんなで自己紹介しようか」と名乗り出れば、まぁ間違いなくクラスの中心人物になれるだろう。 しかし、それは最適な答えではない。 もっと、手短に楽してなることの出来る方法を僕は知っている。
「それじゃあ、皆の自己紹介を省いた分 時間が余ってるから、その時間使って、委員決めちゃいたいと思いまーす。」
来た… この委員決めこそ、僕の考えていた方法だ。 まず、このクラスでは自己紹介がなかったため、知り合いを除けば、名前を知っている人は少ないだろう。 それならば、まず名前を覚えてもらう必要がある。 そのための一番てっとり早い方法は、委員長になることだろう。 僕の経験上、委員長というのは仕事は楽で、名前をすぐに覚えてもらえる。 中学の時も、それのおかげで、名前だけは覚えられていた。 こういう初めての空間だと、大抵の人は躊躇する。 その間に割り込めば、他の人は立候補出来ない。 目立ちたがり屋も「誰もいなかったら、やってもいいぜ」といい、気持ちをごまかしてくれているので、簡単になれる。
そうこう考えているうちに、委員の名前が黒板に書かれていた。 評議、風紀、保健、図書、生徒会に繋がる仕事もたくさんあるようだった。 僕は生徒会が嫌いだ。 生徒会は先生の犬だとさえ僕は思っている。 事実、そんな所に入るやつは推薦を狙って、先生に媚びている奴だけだ。 だから仕事はトロイし、スピーチもつまらない。 僕がやったほうが早いのではないかとも思う。 まぁ、そんなわけで生徒会関連の仕事は本当に勘弁したい。 すると、カランという音と共に先生がチョークを置いた。
「それじゃあ、今から少し時間取るから、その後に決めるね。」
そういい、先生は椅子に腰掛けてしまった。 役員に選ばれるのは、全部でおおよそ十五人。 生徒会が絡む仕事は任期が一年間で、その他の委員長、各教科の係は学期ごとにかわるようだった。各教科の係というのは、その教科の授業が始まる前に先生から事前に渡されたプリントなどを配る係らしい。 絶対いらないでしょ… 教室内が話し声で埋まり、盛り上がっている。 そろそろ、準備しなきゃ… 大きく深呼吸して、全身の力を抜く。 そして目を瞑り、自分のなりたい人物像をイメージする… すると、頭の中の歯車が変わり、新たな歯車がカチッとハマる。 これはあくまでイメージだが、これで完璧に演じきれる。 ただし、明確な目的や、自分への嫌悪感がないと上手くいかない。 …あくまで、僕の経験談だが。 改めて目を開けると、そこには先ほどと同じ光景が広がっていた 。すると、先生は自分の腕時計をチラッと確認し、手を鳴らした。
「それじゃあ、そろそろ決めるから、立候補は手を挙げてねー」
そういい、一番上に書かれた「委員長」の文字を指さした。
「それじゃあ、委員長 やりたい人!」
それはほんの少しの沈黙だった。 先生の声と同時に、やる気がない人は周りをキョロキョロとし、目立ちたがりはしょうもない押し付け合いをしている。 しかし、「俺」に迷いはない。
「はいっ、先生。 俺、立候補します。」
「おっ、いいね。 積極的な子、先生は好きよ?」
ちょうどいい、周りに意見の確認をしないなら王手をかければいい。 軽く椅子を引き、俺は立ち上がった。
「えっと、一学期の間、委員長を務めることになりました、成瀬智也です。 趣味の幅が広いので、大体のやつと話合うと思います! 気軽に話しかけてください! 一学期間、よろしくお願いします!」
少し照れを含んだ笑顔に、名前の紹介。 これだけで十分だった。 周りからも拍手と、よろしくー。 という声が聞こえる。それに、先生はすぐに切り替えて、副委員長決めに移行していた。
軽く安堵し、ホッと息をつき自分の席に座る。 そして、改めて窓の外を見ようと左側を振り向くと、彼女、立花さんがこちらを見ていた。
「委員長やるなんて、少し意外。 中学の頃とかも、やってたの?」
「うん、一応ね。 中学の時は色んなことしてたから、高校でも何かやろうと思って。 立花さんは人前に出るの苦手?」
「人前に出るのは苦手じゃないけど、委員長みたいな仕事はめんどくさいから嫌。」
どこか冷たい言葉遣いだけど、話はしてくれる。 嫌われてはないみたいだった。 そのことに安堵し、その後も軽く会話を続けることが出来た。
気が付くと、俺の大好きだった雨雲はなくなり、太陽のキラキラした日差しが差し込んでいた。