第九十二話 イミテーションシスター③
そして十分後。
「お姉様、どうしたらよろしいですか?」
プラムが泡立て器を握ったまま見上げてくる。ただしその泡立て器は柄からぐにゃりと歪んでいる。プラムが握った瞬間にこれだ。この泡立て器は昨晩俺が使った時は何も問題無かったので、寿命や不良品ではないだろう。
つまりこれはプラムの力が強すぎる、起動したばかりで力の加減を理解していないという事だ。俺の場合は人間の魂がこの身体の性能を理解していないせいで人間の能力を過剰に超えた力は出なかったが、プラムは最初から全ての性能を制御下に置いているのですぐに力を発揮出来る代わりに加減する経験が不足しているのだ。
これは仕事より先に力を込め過ぎない事を覚えさせた方が良いかもしれない。
「プラム、次はもっと弱く握ってゆっくりやってみなさい」
代えの泡立て器を渡して指示すると、今度は握り潰さずに使い始めた。
小麦粉と卵と牛乳が混ざり、生地へと姿を変えていく。
「その調子です。もう少し早く動かしてみなさい」
「はい、お姉様」
応える声に抑揚も感情も無いけれど、それでも何処か可愛く思えてしまうのだから不思議なものだ。
「ふむ、成る程」
プラムの肩から手を回したルリが感心したように頷いている。
「ルリさん、何をしているのですか」
「見て解らない?」
解るから言ってる。プラムが無反応なのをいい事にしっかり胸を揉みしだく痴女の思考なんか、むしろ解りたくない。
「いいからうちの妹の胸から手を離しなさい」
「この見た目で私よりある…」
「泣くくらいならやるなよ」
勝手にダメージを受けているルリは置いといて、これに一切反応しないプラムにもどうかと思う。
人格形成を目指すなら自分の身を守る事も考えさせるべきか。
「生地も出来てきましたね。もう焼いてもいい頃合でしょう」
加熱しておいたフライパンを一旦濡れ布巾に乗せて温度を下げ、そこに生地を流し込み、綺麗な円になるよう調節する。
「ルリさんは添える果物やソース、プラムは皿の用意をお願いします。壊さないように注意しなさい」
「りょーかい」
「はい、お姉様」
この世界の文明は前世で言う中世に近いが、魔法などの技術があるからか妙に発達しているところも多い。食文化などもそうで、前世の中世では砂糖や蜂蜜は上流階級向けの高級品だったが、この世界ではそこまででもない。高いと言えば高いが、庶民でもちょっと奮発すれば買える程度で、オフィーリアの遺産や個人の収入がある俺は言うまでも無い。
焼きあがったパンケーキをプラムが出した皿に載せると、そこにルリがトッピングして完成だ。
「いやぁ、見事なものねぇ。サペリオンに来て良かったとつくづく思うわ」
出来上がったパンケーキを見てルリがしみじみと呟く。
いくらこの世界が前世の中世とは違うとは言え、日本に似たレイバナ国にパンケーキは無いだろうしな。それにレイバナ国とはつい最近まで国交が無かったせいでこっちの文化もあまり伝わっていなかったようだし。
人数分焼き終わり器材の片付けをしようと思ったが、既にルリがやってくれていた。リューカの海外留学に一人で着いて来るだけはあって、普段の言動はアレだけど女中としては優秀なのだろう。
「それじゃあもらっていくわね」
「ええ、リューカさんにもよろしく」
自分とリューカのパンケーキを持っていくルリを見送り、俺とプラムも フライパンなど残りを片づけてからキッチンを後にする。
部屋に戻ると我がお嬢様が抱え込んだ頭から煙を上げていた。
2年生になってから前より授業が難しくなったと言っていたが、今まで授業に着いて行くのがやっとだったオリビアにはそうとう厳しいらしい。
テーブルとお茶の用意をしてから声を掛ける。
「魔石を接続術式の魔力が魔術師同士の媒介で…ナタリア?」
「はい。おやつの時間ですが、どうなさいます?」
「食べる」
オリビアはゆったりとした動きで席に着く。
ティータイムが始まると、自然とプラムが話題の中心となる。クラスメートがこっそりとこんな人間に近い見た目の魔導人形―俺自身は別として―を創造っていたのだから当然だろう。
「しかし驚きましたね。魔法の造形が細かいので錬金術などに向いているとは思っていましたが、まさかここまでとは」
「そうね。何だか忙しそうにしてたのはこの娘を創造ってたからなのね」
と、そこでオリビアは何かに気付いたのか、パンケーキを口に運ぼうとしていた手を止める。
「プラムちゃん、食べないの?」
言われて見れば、プラムは俺が指示したので席に着いてはいるが、自分の前に置かれたパンケーキに全く手を着けていない。
「オリビア様、私には食事をする機能はありません」
よくよく考えれば食事出来る俺が特殊なんだった。アナベルはクリスティナでも創造れる程度に機能を削ったと言っていたし、それならプラムに食事機能が無いのも当然だ。
「そうなんだ。残念ね。ご飯やおやつを一緒に食べるのってプラムちゃんにとっていい経験になるかもって思ったけど」
オリビアは少し寂しそうに呟いて、パンケーキを口に運ぶ。
「そうなのですか?」
「うん。一緒に食べて美味しいねって笑い合えたら嬉しくなるし、互いに食べさせ合ったら相手の事がもっと好きになるもの。クリスもプラムちゃんにそういうのを感じて欲しいんじゃないかな?」
意外、と言うのは失礼だろうか。確かにオリビアは俺の作った料理にいつも美味しいと言ってくれるけれど、そこまで考えているとは思わなかった。
「私には食事機能が無い為に実行出来ません。もし差し支えなければオリビア様とお姉様で実践して頂けませんか?」
え?
プラム、今何かとんでもない事を要求しなかった?
「いいわよ。ナタリア、あーん」
そう言ってオリビアは大きく口を開ける。
ええと、これはそういう意味で良いのだろうか。
確かに以前に学校の食堂で人目がある中やったが、あの時はエイミーが同席していただけで周囲から注目されているわけではなかった。今のプラムのように凝視されていると、流石に恥ずかしいのだけれど。
「は・や・く」
オリビアの瑞々しい唇がねだる言葉を紡ぎ、プラムの無機質な瞳が催促するような視線を送ってくる。
これを拒む勇気は、俺には無かった。
諦めてパンケーキの一切れをフォークで突き刺し、オリビアの口元に差し出す。
「あむっ、ん、ふふ、美味しい」
咀嚼しながら微笑むオリビアがぺろりと舌を出し、口元に着いた蜂蜜を舐め取る。その仕草は何処となく妖艶で、不意にオフィーリアを髣髴させられた。
「じゃあお返しに」
今度はオリビアがフォークでパンケーキを突き刺す。
ああ、この流れは拒否しづらいな。仕方ない。恥ずかしいけど今回だけは我慢するか。
諦めながら口を開こうとするとオリビアはパンケーキを差し出さず、何故か自分の口に運び、齧るでも頬張るでもなく、口に咥えた。
「ふぁい、ろーお」
出来るかぁ!
喉元まで出掛かった叫びを、どうにか歯を食い縛って再度呑み込む。
いや、それでも許容は出来ない!
口移しって事じゃねぇか!
「ふぉあ、ふぁあふ」
「いや、お嬢様、それはちょっと」
身を乗り出してくるオリビアに思わず後ずさる。
だがそれも一瞬で、すぐに両肩を掴まれてそれ以上下がれなくなった。
「あひあえへ|ふぇふぉひああい」
「口に物を入れて喋っちゃいけません! お行儀悪いですよ!」
目の前まで迫るパンケーキに半ば現実逃避しながら叫ぶ。
逃亡は封じられた。と言うより、オリビアの力が強すぎて振り解けない。逆にこっちがオリビアの肩を掴んで突っ張ろうとしても、腕力はオリビアの方が圧倒的に上だった。
え、嘘だろ?
オリビアが強いのは解ってたけど、単純な腕力でも俺より上なの?
身体が大きく傾き、押し込まれ、頭の中の冷静な部分が肩を竦めて首を横に振っている。
視界の隅に映ったプラムは変わらず無言で俺達を観察していた。
ああ、今日会ったばかりの妹よ。どうかこれは覚えたとしても真似しないでくれ。
口にパンケーキを捻じ込まれながら、俺はプラムがまともに育ってくれるよう祈るのだった。
な、なんとかセカンドキスは守りきったぞ!
既に守れてない




